伊派の石造物
報恩寺(平荘町山角)の五輪塔の話です。
報恩寺の境内の奥にみごとな4基の五輪塔(県指定文化財・写真)があります。この一基から金銅製の骨臓器がみつかりました。
正和五年(1365)の造立であることも明らかになりました。
これらの五輪塔は、報恩寺の僧の墓塔であり、作者は、大和の名工・伊行恒(いのゆきつね)であることもわかりました。
これと常楽寺五輪塔を比較すると、両者の規模は同じ六尺塔(約180㎝)ですが、その形状には差があります。
また、論文「東播磨の中世石塔と文観」は「・・・具体的にいえば、常楽寺五輪塔は地輪が幅に比して高く、火輪の軒反りがかたく、法恩寺の五輪塔は花崗岩製で、常楽寺の方は凝灰岩と異なります。
制作時期の問題は、近在に報報恩寺五輪塔以外の適当な比較材判がないので明確にできないのですが、少なくとも宝塔と五輪塔を製作した石工は異なる人物だと考えた方がよさそうです」と述べておられます。
報恩寺の五輪塔は、硬い花崗岩製です。
製作には高度な技術を必要としました。
伊行恒は、大和(奈良)を根拠地としながら摂津の御影を中心にした活動で知られています。
伊派の石工たちが深く関係していたのが、奈良・西大寺でした。
報恩寺は、もともとは西大寺の真言律宗寺院です。
鎌倉末期には西大寺流の律宗が、ここ加古川の地にも伸びていたと考えらます。(no3520)
*写真:報恩寺(平荘町山角)の五輪塔
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