ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(135):東志方町野尻⑥・玉田黙翁②

2011-10-21 12:24:55 |  ・加古川市東志方

黙翁は元禄10年(1697野尻新田に生まれ、名は信成、俗称を金次郎といいました。

号を虎渓庵、敵山、黙翁としています。

    陶淵明に私淑

彼は陶淵明(とうえんめい)の生活にあこがれを持ち学問にはげみました。

彼の生活は、まさに陶淵明と重ね合わせることができます。

父が亡くなった時、黙翁はすでに46才であったので、それまでに父の庇護のもとで十分学問に打ち込み、才能を伸ばすことができたと思われます。

彼は儒学・文学だけでなく医学にも詳しく、弓馬剣術、村の経営にも通じていたといわれています。

      虎 渓 精 舎

Shikata_008玉田家の墓地の入り口のところに、学問所「虎渓精舎(こけいしょうじゃ)跡」(写真)があります。

虎渓精舎は、祖父・修斉が書斎として建てたもので、父もこの部屋を書斎とし、時には講義の場としていたようです。

黙翁は、修斉の墓を守り、この清閑な地で隠棲して、一切の名誉を望まず、孤高の生活を楽しみました。

そこでは、まさに陶淵明にあこがれた黙翁の生活がありました。

*『志方町誌』参照

  <蛇足> 

黙翁は陶淵明(636427)にあこがれ勉学に励みました。

陶淵明の有名な詩「歳月人を待たず」の最後の部分を載せておきます。国語の授業を懐かしく思い出してください。

   ◇歳月人を待たず◇    陶淵明

  ・・・・

 盛年不重来  盛年(せいねん) 重ねて来らず

 一日難再晨  一日 再び晨(あした)なり難し

 及時当勉励  時に及んで当(まさ)に勉励すべし

 歳月不人待  歳月 人を待たず

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志方町を歩く(134):東志方野尻⑤・玉田黙翁

2011-10-21 07:38:53 |  ・加古川市東志方

玉田黙翁

Shikata_006 写真は、玉田黙翁(たまだもくおう)の墓碑です。

黙翁は、野尻(志方町野尻)に生まれた江戸時代の高名な儒者です。

玉田家は、代々医を業としており祖父、父(柔庵)も医者でした。

黙翁は、医者としてだけではなく、学問の道を究めました。

そして、野尻で塾(虎渓精舎・こけいしょうじゃ)を開き、多数の門弟を指導しました。

今もその跡が、野尻の虎ヶ谷の黙翁の墓のそばにあります。

黙翁は、ほとんど虎ヶ谷の地を離れることなく門弟を指導しました。

黙翁のことを知った小田原藩主は、彼を江戸に招きました。

二度ばかり、江戸に行ったのですが、二度とも一年で帰郷しています。

門弟には姫路藩の儒者など多数いました。

黙翁は、天明五年(1785)75才で没しました。

現在、玉田家は絶えています。

が、野尻には、玉田姓が多く、35軒中何と玉田姓は26軒を数えています。

玉田黙翁の私塾・虎渓精舎跡へ案内してくださった方も玉田さんでした。

*『加古川市史(第二巻)』参照

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