黙翁は元禄10年(1697)野尻新田に生まれ、名は信成、俗称を金次郎といいました。
号を虎渓庵、敵山、黙翁としています。
陶淵明に私淑
彼は陶淵明(とうえんめい)の生活にあこがれを持ち学問にはげみました。
彼の生活は、まさに陶淵明と重ね合わせることができます。
父が亡くなった時、黙翁はすでに46才であったので、それまでに父の庇護のもとで十分学問に打ち込み、才能を伸ばすことができたと思われます。
彼は儒学・文学だけでなく医学にも詳しく、弓馬剣術、村の経営にも通じていたといわれています。
虎 渓 精 舎
玉田家の墓地の入り口のところに、学問所「虎渓精舎(こけいしょうじゃ)跡」(写真)があります。
虎渓精舎は、祖父・修斉が書斎として建てたもので、父もこの部屋を書斎とし、時には講義の場としていたようです。
黙翁は、修斉の墓を守り、この清閑な地で隠棲して、一切の名誉を望まず、孤高の生活を楽しみました。
そこでは、まさに陶淵明にあこがれた黙翁の生活がありました。
*『志方町誌』参照
<蛇足>
黙翁は陶淵明(636~427)にあこがれ勉学に励みました。
陶淵明の有名な詩「歳月人を待たず」の最後の部分を載せておきます。国語の授業を懐かしく思い出してください。
◇歳月人を待たず◇ 陶淵明
・・・・
盛年不重来 盛年(せいねん) 重ねて来らず
一日難再晨 一日 再び晨(あした)なり難し
及時当勉励 時に及んで当(まさ)に勉励すべし
歳月不人待 歳月 人を待たず
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