ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(134):東志方野尻⑤・玉田黙翁

2011-10-21 07:38:53 |  ・加古川市東志方

玉田黙翁

Shikata_006 写真は、玉田黙翁(たまだもくおう)の墓碑です。

黙翁は、野尻(志方町野尻)に生まれた江戸時代の高名な儒者です。

玉田家は、代々医を業としており祖父、父(柔庵)も医者でした。

黙翁は、医者としてだけではなく、学問の道を究めました。

そして、野尻で塾(虎渓精舎・こけいしょうじゃ)を開き、多数の門弟を指導しました。

今もその跡が、野尻の虎ヶ谷の黙翁の墓のそばにあります。

黙翁は、ほとんど虎ヶ谷の地を離れることなく門弟を指導しました。

黙翁のことを知った小田原藩主は、彼を江戸に招きました。

二度ばかり、江戸に行ったのですが、二度とも一年で帰郷しています。

門弟には姫路藩の儒者など多数いました。

黙翁は、天明五年(1785)75才で没しました。

現在、玉田家は絶えています。

が、野尻には、玉田姓が多く、35軒中何と玉田姓は26軒を数えています。

玉田黙翁の私塾・虎渓精舎跡へ案内してくださった方も玉田さんでした。

*『加古川市史(第二巻)』参照

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