玉田黙翁
黙翁は、野尻(志方町野尻)に生まれた江戸時代の高名な儒者です。
玉田家は、代々医を業としており祖父、父(柔庵)も医者でした。
黙翁は、医者としてだけではなく、学問の道を究めました。
そして、野尻で塾(虎渓精舎・こけいしょうじゃ)を開き、多数の門弟を指導しました。
今もその跡が、野尻の虎ヶ谷の黙翁の墓のそばにあります。
黙翁は、ほとんど虎ヶ谷の地を離れることなく門弟を指導しました。
黙翁のことを知った小田原藩主は、彼を江戸に招きました。
二度ばかり、江戸に行ったのですが、二度とも一年で帰郷しています。
門弟には姫路藩の儒者など多数いました。
黙翁は、天明五年(1785)に75才で没しました。
現在、玉田家は絶えています。
が、野尻には、玉田姓が多く、35軒中何と玉田姓は26軒を数えています。
玉田黙翁の私塾・虎渓精舎跡へ案内してくださった方も玉田さんでした。
*『加古川市史(第二巻)』参照
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