細工所から野尻へドライブをし、途中満開のコスモス畑に出会いました。(「志方町を歩く・125」を参照ください)
細工所から野尻のコスモス畑の間に七つの池が並んでいます。七つ池です。
今日は、「七つ池」の話をしましょう。
旧石器の狩人・三村秀弘
昭和6年、考古学者の直良信夫(なおらのぶお)は、明石市の西八木海岸で、化石化した人類の腰の骨を発見しました。
この骨は、教科書にも登場する「明石原人」の骨です。
しかし、戦前の日本の学界は「日本には、旧石器時代が存在せず、疑わしい・・・」として、これを否定しました。
不幸は重なり、この骨は東京空襲で焼失してしまいました。
しかし、昭和24年(1949)群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡の発見により、わが国にも縄文時代以前に人類が住んでいたことが確かめられました。
納豆の行商をしていた相沢忠洋(あいざわただひろ)さんは、行商の途中、赤城山山麓で旧石器時代の地層から旧石器の遺物を発見しました。
兵庫県はどうであったのでしょうか。
昭和35年・家島群島の無人島・太島(ふとんじま)で旧石器の存在は確認されたのですが、本土側では、旧石器の存在は依然として謎のままでした。
しかし、「県下にも旧石器は必ずある・・」と信じていた一人のアマチュアの考古学愛好家がいました。
当時、印南郡志方町で町議をしていた三村秀弘氏です。
志方町細工所から野尻に向かう道沿いに七つの池が転々と連がっています。七つ池(写真)です。
ここで、三村氏は旧石器を発見しました。
遺物のあった4ヶ所は、総称して「七つ池遺跡」と呼ばれています。