社説[橋下氏発言]人権感覚に重大な疑問
沖縄タイムス 2013年5月16日 09時27分
およそ公人が公の場で発言する内容ではない。論外だ。女性に対する人権感覚を著しく欠いており、公党の共同代表としても公職の市長としても、失格である。
旧日本軍の慰安婦問題をめぐり、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日「当時は軍の規律を維持するために必要だった」と発言した。
橋下氏は「あれだけ銃弾が飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に休息を与えようとすると、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と制度そのものを肯定した。
政府は1993年の河野洋平官房長官談話で慰安婦問題で旧日本軍の関与と強制性を認めている。
橋下氏は「暴行、脅迫をして拉致した事実は裏付けられていない」と語った。強制を裏付ける日本政府・軍の公文書は現時点では見つかっていないかもしれないが、だからといって強制がなかったとは言い切れない。公文書を焼却処分した可能性も捨てきれない。慰安所で不特定多数の日本兵を相手にさせられたことがそもそも強制であり、その種の証言は多くある。
慰安婦制度は女性の人権をじゅうりんし、人間としての尊厳を奪うものである、との認識が国際社会の常識だ。
韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は米議会で「歴史に正しい認識をもたなければ明日はない」と演説した。日本を念頭に置いたものだ。橋下氏の発言は韓国の国民感情を逆なでし、「反省しない日本」のイメージを再び世界に広げてしまった。近隣外交がとげとげしくなっている折、外交感覚を疑う。
(以下略。全文はリンク参照)
(引用終了)
現在の価値観で過去を裁くことは愚かなことであり、それは時代の変化によって今では処罰の対象になっていることでも、かっては合法であったものもあり、そのような歴史を見つめることは出来たとしても、あれこれと糾弾しても始まらないし、当時はそのような時代だったと思うしかなく、今更過去を変えることなど不可能であるからである。
戦時中に私の母と叔母は女子挺身隊として、近くの兵器工場に勤労奉仕として行ったそうであり、叔母の話によると動員されのは独身の女性だけが、結婚すると動員が解除されたとのことで、賃金を貰っていたかどうかは記憶がないと言っていた。
挺身隊はあくまでも勤労奉仕で、それ以外の目的はなかったと母と叔母は話していた覚えがあるが、韓国ではなぜか挺身隊イコール慰安婦になっているそうで、それも旧日本軍によって20万人も強制連行されたものだと言うのだから穏やかな話ではない。
旧日本軍の駐屯地近くに設けられた施設に慰安婦がいたことを否定する者はいないであろうし、韓国からの慰安婦を強制連行したとの日本を糾弾する声に対して強制連行の証拠はないとして反論しているに過ぎず、20万人も強制連行されたのであれば、その証拠は山ほどある訳だが、なぜか何一つ出て来ないからであり、慰安婦であったと自称する方がそのような証言したとしても、それを裏付けるものがなければ強制連行の証拠は存在しないと言うしかないのである。
何でも日本を悪者にしたいのは韓国だけではなく、偏向マスコミも同様で、慰安婦問題でも韓国の主張をそのまま受け入れており、沖縄タイムスは社説の中で、橋下徹大阪市長が13日「当時は軍の規律を維持するために必要だった」と発言したことを批判し、その橋下氏が「暴行、脅迫をして拉致した事実は裏付けられていない」と語ったことに対して、「強制を裏付ける日本政府・軍の公文書は現時点では見つかっていないかもしれないが、だからといって強制がなかったとは言い切れない。公文書を焼却処分した可能性も捨てきれない。慰安所で不特定多数の日本兵を相手にさせられたことがそもそも強制であり、その種の証言は多くある。」とまで書いているのだから驚きを禁じ得ない。
韓国では慰安婦として旧日本軍に20万人も自国民の女性が強制連行されたと言われているそうだが、そうなる強制連行を目撃した方も多数存在する筈だが、そのような方がいないのは不可解であり、また元慰安婦の証言は変遷しており、旧日本軍が駐屯していない時期や戦争が終わって旧日本軍が引き上げた後に慰安婦をしていたと明らかに嘘をついていることが既に明らかになっており、それを沖縄タイムスなどの偏向マスコミも知っている筈だが、韓国にとって不利になることは報じない決まりがあるようだ。
慰安婦の強制連行があったとする証拠はなかったのだから、なかったことの証明は出来ないし、沖縄タイムスがあったと言うのであれば探して証明すれば良いであろう。当時は公娼制度があり、だから慰安婦の存在は合法であり、それを扱う業者の存在も合法であったことから、軍による慰安婦になる意思のない女性の強制連行がない限り何ら問題はないのであり、これからも強制連行の証拠など出て来ないであろうし、強制どころか高待遇であることから、募集に応じた方が多かったと見るのが自然であろう。
(2013/05/18)