私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

愛知県での拳銃使用立てこもり事件について

2007年05月19日 20時37分39秒 | 社会問題
~現場の警察官の犠牲はあまりにも大きく痛恨の極み~  

 愛知県長久手町で発生した元暴力団員・大林久人容疑者による拳銃を使用した立てこもり事件の報道を見ていて、平成14年に公開された映画「宣戦布告」の中で、侵入した武装工作員に対して、一旦は出した発砲許可命令を指揮官が「一切撃ってはならない」と取り消し、そのためにSAT隊員が武装工作員によって射殺されてしまうという場面を彷彿させるものであった。

 次第に意識が失われていく中で、胸のポケットに入れてあった妻と愛娘の写真を見つめながら仲間の隊員の励ましも空しく殉職してしまうのだが、愛知県長久手町での事件でも、妻と昨年7月に生まれたばかりの愛娘を残し、23歳のSAT隊員の林一歩巡査部長が殉職しており、さぞかし無念であったろうし、反撃があった場合でも発砲許可命令が出ていなかったとしたら、そのような命令を出していた指揮官の優柔不断には驚きの何者でもない。

 本来ならば、大林容疑者が拳銃を撃っているとの110番で最初に駆けつけた愛知警察署長久手交番の木本明史巡査部長が大林容疑者に銃撃され、怪我をした時点で、現場に向かった隊員に発砲許可命令を出すべきであった。だが大林容疑者が「近づくと撃つ」と叫んでいるために、傷つき倒れている木本巡査部長を6時間近くも放置したと言うのだから話にならない。これが警察官ではなく、一般人であったとしても6時間近くも同様に放置するのか。また木本巡査部長が手を動かしているから大丈夫だと判断したならば、愛知県警の上層部は傷つき倒れている部下を見殺しにしようとしたのも同然であり、これでは組織として相互信頼や士気が維持出来るのか大いに疑問である。

 SAT隊員の林巡査部長が殉職した時の対処方法が一番問題であろう。当然ながら大林容疑者は倒れている木本巡査部長の救出に警察が動くであろうと予想し、その様子を見ていただろうから、いくら気づかれないように接近しようとしても分かってしまうであろう。であるから、その反対側に閃光弾や発煙弾を投てきしたり、あるいは大きな音を出して容疑者の注意をそらし、突入するとの態勢をとったかのようにして、その隙に木本巡査部長を救出すれば、SATの林巡査部長が銃弾に倒れることはなかったとの可能性が大きいと言わざるを得ない。

 映画「宣戦布告」の中でも、部下を失ったSATの小隊長が「指揮官が優柔不断じゃやっていられないんだよ」と叫ぶ場面があるが、愛知県警の上層部は何を恐れて大林容疑者を射殺せよとの命令を出さなかったのか。SATは特殊急襲部隊と言われているが、なぜSATが出来て、状況によっては容疑者を射殺することもあり得るとのことで凶悪犯罪や武装工作員の侵入を抑止しようとしているのではなかったのか。

 元暴力団員ひとりに手こずっていては、武装工作員が侵入した場合もSATが出動するようだが、これではSATに犠牲者が出ることは確実であり、国民は不安であろうし、今回の件も当初から容疑者を射殺する方針をとっていれば、29時間もの間、付近の住民生活に大きな影響を与えことはなかったであろう。

 警察官が拳銃を使用して、容疑者の逃走防止を図って逮捕したり、正当防衛、緊急避難に該当する事案だとしても、偏向マスコミは「警察官が発砲」という見出しで発砲があたかも犯罪であるかのような報道姿勢をとってきた。警察官が拳銃を使用する場合は警察官職務執行法第7条に「武器の使用」として、相手すなわち容疑者に危害を加えても良い場合が定められている。法に基づく「武器の使用」であるにも関わらず、偏向マスコミはそれを叩いてきた。

 さらに人権屋弁護士というおかしな連中がおり、凶悪犯人の人権のみ尊重し、警察官や一般市民の人権には関心がなく、今回の愛知県での事件でも、もし容疑者を射殺していたならば、これ時とばかり出て来るであろう。

 愛知県警の上層部は、もし容疑者を射殺すれば、偏向マスコミや人権屋弁護士の批判を恐れていたとしか思えない。その恐れのために、SAT側からの「武器の使用」をさせない方針をとり、その結果、妻と愛娘を残して優秀なSAT隊員を殉職させた訳である。

 多くの国民は今回の事件の経過を報道だけから得たものであったとしても、警察を称賛することはないだろう。同様な事件が発生しても、また同じような対処をして、警察官が死傷しているようでは実際に対処する現場の警察官には同情し、応援するが、優柔不断な指揮する警察上層部への批判は高まるであろう。

 それにしても優柔不断な指揮する警察上層部のために現場の警察官の犠牲はあまりにも大きく痛恨の極みである。これは政治家にも言えることであり、前述したように偏向マスコミや人権屋弁護士にも言えることである。警察は普通の市民には親切にし、犯罪者には厳しく当たるべきだが、偏向マスコミや人権屋弁護士のために犯罪者までにも親切にしなけばならなくなってしまったのは異常である。

 SAT隊員が殉職したにも関わらず事件が解決したとの安堵感を持つ者も多いだろうが、同じような凶悪犯罪に発生し、再び同じような対処するような警察ではダメだ思っている者もいるだろう。治安の悪化を望む勢力でもない限り、普通の国民は警察を頼らざる得ないのであって、今回の件は今後に大きな課題を残し、また警察の動きを逐一生中継し、容疑者に情報を提供した偏向マスコミの責任も大きいと言わざるを得ない。
(2007/05/19)

この記事は「私の主張」第266号
  愛知県での拳銃使用立てこもり事件について
 ~現場の警察官の犠牲はあまりにも大きく痛恨の極み~
としてHPに掲載されていたものです。