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私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

常に国民の事を思う両陛下の大御心に感激

2003年07月05日 22時14分58秒 | 皇室

  4日午前7時10分ごろ、北海道富良野市学田の国道38号線を通られ、中富良野町の観光農園「ファーム富田」に向かっておられた北海道をご視察中の天皇皇后両陛下の車列に、不審車両が接近し、それを阻止しようとした警護の警察官の運転する白バイが衝突して、その弾みで白バイが両陛下のお車に接触するという事案が発生した。

 北海道警察本部は、公務執行妨害の現行犯人として古泉靖容疑者(35歳)を逮捕して取り調べをしているとのことである。同容疑者には背後関係はないとみられているとのことで、そうなると精神異常者ではないかと思料されるが、両陛下に危害を加えることを目的に、かかる暴挙が敢行されたことは、まことに遺憾なことと言わざるを得ない。

今まで両陛下の車列に発煙筒が投擲されたり、国民体育大会で、両陛下に向けて同じく発煙筒が投擲された事件などが発生しているが、幸いにも大事に至っていないようだ。

 この日本には、日本共産党のように皇室の廃止を綱領に定める政党があるが、日本の歴史は皇室の歴史であり、皇室の歴史は日本の歴史そのものであるにもかかわらず、その皇室を否定していながら「日本」共産党という名の党名を使っているのですから奇妙なことである。

 逮捕された古泉靖容疑者は、日本共産党員かどうかわからないが、党員でなくても皇室を否定して、廃止を求める思想を持っている日本人とは思えない人がいても不思議ではない。

 昭和天皇の氷雨の中で行われた大喪の礼の時、皇室を否定する人が体操をしながら礼をするという「体操の礼」をしてちゃらかしたり、いくら思想の自由とは言え、この人達には亡くなった人を追悼する気持ちも心もないのかと憤慨した思いがある。

 両陛下に対する警備は、昭和天皇の時と比べ、対向車線を規制しないなど、かなり緩やかになっているとのことだが、今回の両陛下の車列に不審車両の接近を許すという事案からして警備の見直しはやむを得ないことであろう。

 宮内庁の手沢治彦侍従は「両陛下は白バイを運転していた警察官が怪我をしたのではないかと心配されていた」と語ったとのことである。多くの国民はこのような不届き者のために両陛下に万一のことがあってはと心配になるが、両陛下はご自身のことより、まず国民の事をご心配されるとは、両陛下の常に国民の事を思う大御心を拝察し感激してしまった。
(2003/07/05) 

この記事は「今日のコラム」
常に国民の事を思う両陛下の大御心に感激
としてHPに掲載されていたものです。


拉致被害者にお言葉を掛けられた両陛下

2003年06月14日 21時42分52秒 | 皇室

  新潟県をご訪問中の天皇皇后両陛下は、昨日(13日)ご昼食のため柏崎市役所にお立ち寄りになられた際、同市役所の職員として働いている北朝鮮に拉致され、昨年帰国した被害者の蓮池薫さん(45)、祐木子さん(47)夫妻に会われ、天皇陛下は「お帰りなさい。今まで長い間苦労されましたね」とのお言葉を掛けられ、皇后陛下は「お帰りになって良かったですね」と優しく笑みを浮かべられ、さらに両陛下は、拉致被害者の曽我ひとみさん、地村保志さん、富貴恵さん夫妻と家族のことをお気遣いになっていたとのことである。

 蓮池薫さんは「陛下に『お帰りなさい』と言われ胸が熱くなりました」と語り、祐木子さんも「陛下に『お帰りなさい』と言われ胸がジーンときました。うれしくて夢のような時間でした」と語ったとの報道がなされていた。

 私は、天皇皇后両陛下が、新潟県をご訪問中に拉致被害者にお会いになり、お言葉を掛けることがあれば拉致問題解決の進展につながると思っていたので、この報道を知り、胸が熱くなり、感涙してしまった。

 昨年10月20日新聞各紙に掲載された、皇后陛下の「何故私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことはできません。今回の帰国者と家族との再会を喜びに思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います」との異例とも言える談話からして、両陛下は新潟県をご訪問中に、是非とも拉致被害者にお会いになり、お言葉を掛けたいとの思いがあったことは間違いないであろう。そこで蓮池薫さん、祐木子さん夫妻が職員として働いている柏崎市役所を昼食場所として選び立ち寄ったのではないであろうか。

 天皇皇后両陛下が拉致被害者にお会いになったことは、北朝鮮にとって、こんな衝撃的なことはないと思う。それは両陛下の「お帰りなさい」とのお言葉に日本国民は拉致問題解決には一歩も引かないとのメッセージが込められているからだ。朝鮮総連の建物の免税を中止し、貨物船の入港を阻止するなど、ドンドンと北朝鮮に圧力を掛ける動きが全国に広がっている。拉致被害者やその家族にとってみれば、こんな心強いことはないであろう。

 拉致被害者全員が帰国され、天皇皇后両陛下から「お帰りなさい」とのお言葉を賜る日が一日でも早く訪れることが、北朝鮮擁護派以外の国民の願いである。
(2003/06/14) 

この記事は「今日のコラム」
拉致被害者にお言葉を掛けられた両陛下
としてHPに掲載されていたものです。


旧正田邸の取り壊しに反対する

2002年11月06日 20時54分51秒 | 皇室
 美智子皇后陛下がお住まいになっておられた旧正田英三郎氏邸が、資産を相続したご兄弟から相続税の物納申請がなれたことから、競売のため取り壊されることになったそうである。塩川財務相は「(建物を)残す考えはない。法律、政令通りにやるのが一番で、特例は避けたいと思っている」と述べ「法的処分の前に歴史的、建築的に審査をして色々と考えることはあるが、今回はそういった意見の提出がない」と説明したという。

 頭のいい人が伝統文化を守ることは大事だと普段から言っておきながら。古くなった建物だからとして、なぜ由緒ある建築物を破壊してしまうのか。古くても良いものは修理してでも保存しようとは考えないのであろうか。まったく残念でたまらない。それも畏れ多くも美智子皇后陛下がお住まいになっておられた住宅ではないか。この事に憤慨している時、皇室との結びつきが深い長野県軽井沢町が同邸の町内への移築・保存を近く財務省に申し入れることを決めたという。軽井沢町の英断を期待する。
(2002/11/6)

この記事は「今日のコラム」
「旧正田邸の取り壊しに反対する」
としてHPに掲載されていたものです。


天皇陛下崩御を悲しむ

2002年03月29日 20時35分18秒 | 皇室
  昨年の9月に大量の吐血をされ、絶対安静の状態が続いていた天皇陛下は、1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)のため、ご快癒を祈る国民の願いも虚しく、皇居・吹上御所にて崩御された。歴代天皇の中では最長のご在位で、その飾らない人柄から多くの国民の敬愛を受け、喜びも悲しみも国民と共に歩んでこられた。  

 陛下は、国民の努力によって成し遂げた戦後の復興を心から喜び、また戦争による国民の犠牲を最も悲しみ、昭和61年に行われたご在位60年記念式典の際、お祝いの式にもかかわらず「先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」と述べられたことから、戦争責任について、常に胸を痛めておられた。吐血された前月の8月15日に行われた「全国戦没者追悼式」に洋服を作り替えねばならないほどおやせになり、明らかに症状が進んでいると思われる痛々しいお姿でご出席になられ、それが公式行事に出席された最後のお姿になるとは思わなかった人も多いことであろう。  

 わが国が国家として尊厳を保っていられるのは、ひとえに皇室の存在を上げる人がいるが、私もそのように思っている一人である。わが国の伝統文化を守り、後世に伝えていく事ほど大事なことはない。その事を使命と考え、守りぬいているのは皇室以外にはないと言っても過言ではないであろう。皇室の存在を否定することは、わが国を否定することであり「天皇制はいらない」と叫ぶ人々は、昨年の9月19日の大量の吐血以来、崩御されるまで100日以上に及ぶご闘病生活の間、全国で誰にも強制されることなく、多くの国民がご快癒を祈る記帳をされている事実をどうとらえているのか。  

 皇室の存在を認めるか認めないかなどの論議を、言論の自由が十分過ぎるほど認められているわが国ではしてはならないと言うことはない。皇室の存在を認めない連中は、氷雨が降るなか崩御を悲しみ、弔問記帳に訪れる人波を見ても「俺も行かなくては」と思わなくてもよく、どこかに集まって勝手に「困ったものだ」と愚痴をこぼしていれさえすればいいのであり、そのような連中に私の悲しみの気持などわかろうはずがない。
(1989/01)      

この記事は「私の主張」第94号
「 天皇陛下崩御を悲しむ」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
つからず、作成年月のみの記載となります。またアーカイブ
として作成年で登録するとエラーとなるため暫定的に2002年
3月に作成したものとして登録しています。


天皇陛下のご回復を願う

2002年03月28日 18時40分51秒 | 皇室
 天皇陛下は9月19日の深夜、皇居・吹上御所で吐血され、本日(27日)に至も、体温、脈拍、血圧などは安定しているも、体内出血が止まらず、憂慮される病状が続いている。

 陛下の御長寿と御回復を祈るため、皇居や全国の宮内庁施設で受け付けられている陛下に対する一般国民からの、お見舞い記帳は25日は皇居・坂下門だけでも、あいにくの雨にもかかわらず10万人を数えたそうであり、2時間も待たなければ記帳が出来ない、という状態も一時あったとの事である。

 皇室について、わが国の一部ではあるが、さまざまな論議がされているものの、大勢は皇室の存続を支持している事は間違いなく、日本国民であるならば陛下のご健康を心配するのは当然であると思うし、特に昭和21年に始まった全国ご巡幸は、敗戦のショックで虚脱状態の国民を慰め、戦後復興に大いに貢献し、また園遊会などで陛下に直接お目にかかった人は、人間天皇として、そのお人柄に心を打たれた国民は多かったのである。しかし、誰からも強制された訳でもなく、ごく自然な気持ちで多くの国民が記帳に訪れている事に対して反対の態度をとり、記帳所の撤廃を叫ぶ人々がいるという事は驚くべき事だ。

 陛下の御回復を祈る国民の心に水をさし、自らの主張を押し付けようとする事は問題であり、神奈川県議会が「天皇陛下のご快癒に関する決議」を行ったところ「このような決議は平和憲法の精神に反する」とは、私にはとても理解できない。

 さらに各地でお祭りなどの中止や自粛がされているが、これに対しても抗議を行っており、その中で東京都新宿区の「大新宿区まつり」実行委員会が、同まつりの中止を決めたことについて、同区の共産党議員団が、まつりの中止撤回を求める抗議文を山本克忠新宿区長に提出したことに対して、同区は「まつり中止の撤回は考えていない。共産党には回答しない」としている、との報道がなされていた。

 陛下のご回復を願い、また記帳に訪れる人々の気持ちを解しておまつり騒ぎは止めよう、との同委員会の方針を同党は逆撫でしているとしか思えないが、「共産党には回答しない」とは、訳の分からない事を言っている共産党は相手にしない、と言うことだろうが誠に痛快である。
 (1988/09) 

この記事は「私の主張」第88号
「天皇陛下のご回復を願う 」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
つからず、作成年月のみの記載となります。またアーカイブ
として作成年で登録するとエラーとなるため暫定的に2002年
3月に作成したものとしています。