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私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

日本の伝統文化を荒廃させる男女共同参画法

2002年11月28日 15時11分38秒 | 社会問題
~男は男、女は女らしくを否定する恐るべきジェンダーフリー~

 男女が、お互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することが出来る男女共同参画社会の実現をめざして施行された男女共同参画社会基本法が、今各地で問題になっている。

 それは、男女の特性を認める「男女平等」「男女同権」ではなく、男女の区別そのものを否定するものでないかと言われているのである。そこで出て来る言葉に「ジェンダーフリー」があるが、ジェンダーとは、生まれた時から亡くなる時まで、変わるとのない男女別の生物学的な性ではなく、社会的・文化的にな性差を意味しているとのことで、その性差から自由になって男女共同参画社会を作ろうと言うわけで、それでジェンダーフリーというのである。であるから、「男らしさ」「女らしさ」を否定して、例えば「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや、男の子の鯉のぼり」などは安易に「男・女のらしさを押しつけてはいけない」ということで、日本の伝統文化を否定する恐ろしい思想であると言わざる得ない。

 インターネットで検索してみると、各地の自治体が、この男女共同参画法にもとづき、ジェンダー・チェックマニュアルのガイドラインを作成しているのが分かるが、例えば岐阜県地域県民部男女共同参画課では、次のようなガイドラインを出しているので「具体的なチェック項目」と書かれていた部分を抜粋して紹介する。

男女共同参画を推進するための行政刊行物等の作成に関するガイドライン(抜粋)

1 固定的な役割分担意識にとらわれていませんか 

* A 男性といえばネクタイ・スーツ姿、女性といえばエプロン姿で表現していませんか。
* B 家事、育児、介護の場面で登場するのは決まって女性というように表現していませんか。
* C 地域や福祉のボランティアは女性の役割というように表現していませんか。 
* D 職場の場面で女性が登場しても、きまって説明や指導を男性から受けていたり、お茶だしやコピー をしているのは女性といったように表現していませんか。
* E 職場の会議の場面は全員男性というふうに表現していませんか。
* F 性別で職業を固定して表現していませんか。

2 必要以上に女性と男性を区別していませんか  

* A 性別によって人の特徴を決めつけていませんか。

  性による特徴の決めつけ例
 ・「女は弱く・男は強い」「女は感情的・男は論理的」「女らしい優しさ、男らしい決断」など
  性による決めつけの表現の例
 ・「女だてらに」「女らしいきめ細かさ」「女の感性」「男は泣くものではない」「男らしく豪快に」 「雄々しい」「女々しい」など
  同じ行動でも、男性なら「積極的」、女性なら「気が強い」など異なる評 価 ・基準を用いた表現をしていませんか。
* B 女性は「赤系」、男性は「青系」など、服装や持ち物の色を性別で固定化していませんか。
* C「人形遊び」は女性、「野球」は男性など、遊びやスポーツの種目を性別で固定化していませんか。
* D 男性を「氏」で、女性を「さん」で表現したり、男の子を「くん」、女の子を「ちゃん」と表現していませんか。

* E 男性と同じ会社員なのに、女性を「OL」「キャリアウーマン」と別に表現していませんか。
* F 男性を表す言葉を基本的なものとして、女性であることを強調するための表現をしていませんか。
 ・「幼児/幼女」、「老人/老女」、「養子/養女」、「悪人/悪女」など(幼男、老男、養男、悪男という表現はありません)
* G わざわざ「女性冠詞」をつけていませんか。
 ・「女性弁護士」「女性社長」「女教師」「女流作家」など

3 男女を上下関係や優劣をつけて表現していませんか 

* A 名簿や順番で、男性が前、女性が後ろになるようにしていませんか。
* B 女性と男性を並べて表現するときに男性を前に、大きく、中心にし、女性を付属するものとした表現をしていませんか。
* C 家族を描くとき、中心に父親がいて妻と子どもが寄り添う表現になっていませんか。
* D 女性は男性より劣ることを前提にしていたり、男であることに価値をおいた表現にしていませんか。
 :「女だてらに」「男まさり」「女にしておくにはもったいない」「女にしては」「男がすたる」「男をあげる」「女の腐ったような男」など
* E 女性を家や夫に従属する存在として表現していませんか。
 :「嫁にやる」「主人」「入籍する」など
* F 女性に対してだけ「仕事と育児が両立できるか」「どうせ腰かけ的に勤めるだけ」などとか、結婚や出産を機に、女性が仕事をやめるのは当然だという表現をしていませんか。
* G 職場で、指導者や上司、会議のメンバーは男性、補助的な仕事や受付案内は女性として表現していませんか。
* H 「女の出る幕じゃない」といったような女性に登場の機会を与えない表現をしていませんか。
* I 男の子は高学歴が望ましく、女の子にはそんな必要がないかのような表現をしていませんか。

4 女性の性的な側面を強調して描いたり、商品扱いしていませんか 

* A 人の目をひくため、水着姿の女性や口や胸元・足など女性の体の一部だけを強調した表現をしていませんか。
* B 職務や能力に無関係な女性の容貌や外見のみを重視し、強調した表現をしていませんか。
 :「美人OL」「職場の華」「ミス○○」など
* C 若さや性的魅力だけが、女性の価値であるかのような表現していませんか。

 大体以上が、岐阜県地域県民部男女共同参画課で出しているガイドラインだが、他の自治体とも同じようなものである。しかし、このような各家庭内のしきたりまで干渉して行政がチェックするような事態になったら、日本が今日まで培ってきた文化、習慣などが破壊され、モラルを低下させ荒廃を招くのは目に見えている。

 他の例を上げると、昔話である桃太郎は、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯といったという話は、男は外(仕事)女は内(家事)と固定的な役割分担意識にとらわれた話であるので性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。

 また、ファッション界にも「ジェンダーフリーファッション」を支持する人もおり、男女が同じ服を着るのではなく、性別に関係なく自由な服装を着ると言うことは、男性的なファッションを女性が身につけることも、逆に男性が女性的なファッションを身につけることもジェンダーフリーであり、その中間としての中性的ファッション、さらに性を超越したファッションも存在し、一部熱狂的な人達に支持されていると書かれたHPがあった。そのうち、男性がスカートをはいたり、女性が背広を着る時代が来るかもしれない。

 最近、新聞に報道された千葉県松戸市の行っている「ふりーせる保育」は、大人と子供は対等で、園児の意志を最大限尊重するというものであり「おやつや食事は園児の選択に任せ、嫌なら食べなくても飲まなくても良い」とか、言葉遣い、挨拶、箸の持ち方など指導がないがしろにされ、極めつけは「園児の発表会を見たい」と保護者が保育園側に申し入れたことろ「それは保育士が決める問題でなく子供達の意志で決めるべき。各家庭で働きかけて欲しい」とか、「母親が御飯を作るような歌詞はジェンダーフリーに反するので園では歌わせない」と言ったような事まで、これでは、行き過ぎを通り越して、自分たちの思想や価値観に合わないものは否定する全体主義そのものであることは明らかである。

 男女共同参画権とはロシアにおいて行われた、女性解放のための政策で、家族を敵視し、性別を嫌い、家事労働の共同化、性の自由化を主張する思想であったが、家族の崩壊、小子化、少年非行の増加など失敗に終わっている。であるから、男女共同参画権は、社会主義・共産主義を思想にもつ特殊な人が推進しているものであり、HPを検索して頂ければ、社民党、共産党員が、これに積極的に取り組んでいることがよく分かる。まあ社民党、共産党が推進するようなものには気を付けた方が良いのである。私達はこのような文化や社会を破壊するジェンダーフリーの危険性を広く訴えるべである。
(2002/11/28)  

この記事は「私の主張」第151号
  「日本の伝統文化を荒廃させる男女共同参画法」
~男は男、女は女らしくを否定する恐るべきジェンダーフリー~
としてHPに掲載されていたものです。


涙を流しても平気で嘘をつく恐るべき少年達

2002年11月22日 23時19分52秒 | 社会問題
  本年10月3日に、愛知県春日井市の児童自立支援施設「愛知学園」で発生した入所中の少年3名による職員強盗殺人事件の審判が、名古屋家裁で行われ、菅英昇裁判長は、強盗殺人の非行事実に問われた中学生3名を検察官に逆送せず、少年院送致の保護処分を決定したという。この裁判官は、まことに甘い決定を下したと言わざるを得ない。

 事件は施設から脱走するために、職員の森野成雅さんを、無理と喧嘩し騒ぎを起こして誘い出して殺害し、出入り口の鍵と現金を奪って逃走したというものである。菅英昇裁判長は非行事実に問われた中学生のうち2年の生徒は「根強い他者への不信」3年のうちのひとりは「極めて未熟な自我」もうひとりは「精神的な未熟さ」があるとそれぞれ指摘しているが、少年事件の低年齢化、凶悪化、多発化などの対応するために、刑事罰を求める検察官送致の年齢を16歳から14歳に引き下げた少年法の改正があったのにも関わらず、これに逆行するような世論を憤慨させ、遺族の心情を無視した今後の同種の少年審判に影響を与える納得しがたい極めて遺憾な決定である。

 私は、強盗殺人事件を起こすような少年達が仮に涙を流して謝罪しても信用してはいけないと思っている。平気で人を殺すこのような少年は、涙を流しても平気で嘘をつく恐るべき少年達であると裁判官は認識すべきである。
(2002/11/22)

この記事は「今日のコラム」
「涙を流しても平気で嘘をつく恐るべき少年達」
としてHPに掲載されていたものです。


国歌斉唱の指導をする授業参観を拒否

2002年07月13日 19時52分40秒 | 社会問題
~茨木市の小学校は、本当に国歌斉唱の授業をやっているか~

 先月のことだが、大阪府茨木市内の公立小学校で、学習指導要領で音楽の時間に義務づけられている国歌の指導をする授業を、同市内の主婦らが参観したいと学校当局に願い出たところ、「市民活動をしている人たちの興味本位の参観は困る」との校長の判断で拒否されていることが産経新聞で報じられていた。

 国歌の斉唱を妨害するために授業参観をする訳ではないのに、「国歌を歌う子供達の姿を見たい」という主婦らの願いは、「授業はちゃんとやっており、興味本位の参観は子供たちにプラスにならない」とか「職員会議にはかりたい」とか言う学校長により拒否されたそうであり、まことに学校当局の対応は不可解と言わざるを得ない。

 私の娘が小学生の時、教科書には確かに国歌・君が代が載っているのをみたが、先生から「この歌は両親に教えてもらいなさい」と言われ、音楽の授業ではとうとう教えてもらえなかったそうである。であるから、大阪府茨木市内の公立小学校でも、本当は国歌の指導をする授業が行われていないのではなかろうか。同市内の主婦らが参観すると、行われていないことがバレてしまうので、拒否したのではと勘ぐってしまう。

 参観を申し入れたのは、50歳代の主婦2人で、在校児童の保護者ではないそうで、他の10人程度の仲間で、子育て中の保護者から教育の相談を受けたり、卒業式などに国旗の掲揚、国歌の斉唱の実施を学校に申し入れたりする活動を行っているという。

 国旗や国歌に反対する人が、実力を持って、掲揚されている国旗を引きずり降ろしたり、国歌斉唱の時に別な曲を演奏したり、大声で妨害する行為は言語同断であるが、この主婦らが求めた国歌の指導をする授業で、児童達が元気よく歌っているのを静かに参観することがなぜいけないのであろうか。

 国旗・国歌を貶めようとする行為ではあるまいし、国旗の掲揚、国歌の斉唱の実施を学校に申し入れたりする活動をしている団体と言うだけで、拒否の方針をとらざるを得ない理由は、国歌の指導をする授業を行っているようなふりをして、実は行っていないことがバレで日教組の先生方から「なぜ校長は、授業参観を許した」と突き上げがあると困るからなのか。

 今の子供達が国歌を知らず、「大相撲の歌」とは思っていたり、国旗掲揚の際には起立はおろか、注目もしない子供もいるそうである。また、長野オリンピックの時に、国歌を「選手団の歌」、国旗を「選手団の旗」と紹介しているが、その開会宣言をされた天皇陛下の服装は正装ではなく、「近くまできましたので、ちょっと寄りました」というようなラフなものであったと記憶している。そのことは、長野オリンピック委員会の、国歌を「選手団の歌」、国旗を「選手団の旗」と紹介することを事前に知った陛下の「無言の抗議」であったのではなかろうか。
(2002/07/13)

この記事は「私の主張」第128号
「国歌斉唱の指導をする授業参観を拒否」
~茨木市の小学校は、本当に国歌斉唱の授業をやっているか~
としてHPに掲載されていたものです。


少年非行を助長させる人々へ

2002年03月28日 20時00分34秒 | 社会問題
   両親をバットで殺してたり、喫煙を注意した教師を逆に殴るなど、恐るべき事件を最近の子供は起こしている。「少年非行が増え、困ったものだ」と嘆いてみてもなんら解決しないし、これからの日本の将来を担う子供達をどのように教育し、人格を形成して良識ある社会人として通用する人間にするのは大人の義務であると思う。

 少年非行の原因は、「親だ、教師だ、社会だ」と騒いでみても仕方ないし、こんな事を言うと反発があるかもしれないが、戦後の誤れる民主主義が招いた結果といっても過言ではなく、要するに誰の責任でもない。しかしそう言っても、付け上がる子供達をどうするか、反省すべき点は大人にはないのか普段から私は考えていた。と言うことは付け上がるように仕向け煽動している事が大人側にあるという事実である。その典型的な記事が11月26日の朝日新聞に掲載されていたので批判をしたいと思う。

 それは「中学生たちに反逆のススメ」との見出しで東京弁護士子どもの人権救済センタ-が、「子どもの人権ってなーに」とのパンフレットを発行したとの記事である。その恐るべき内容の記事を見落とした人もいるであろうから紹介すると、「校則は必要最小限に。理由のない決まりは本来守る必要がない」「公立校の制服のほとんどは実は標準服で、着なくてもいい」「服装は他人の迷惑にならないかぎり自由にして良い」「自分に似合った髪形を決めるのは当然のこと」などと解説し、さらに不登校に関して、「義務教育は大人たちの義務であり、自分にとって学校がどうしても必要か、もう一度、じっくり考えてみよう」と、学校なんて行っても行かなくても良い事だと説いているのである。

 子供のうちからル-ルを守ることや、親や教師の監督に服さず、反逆をすすめて学校など行かなくてブラブラしていればいい、体罰を受けたら弁護士に相談しなさいとの事であろうが、まともな教育を受けていない無知な子供を増やそうとする弁護士会の目的は何であろうか。それにしても戦慄すべき内容である。
(1988/12)

この記事は「私の主張」第92号
「少年非行を助長させる人々へ」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
つからず、作成年月のみの記載となります。またアーカイブ
として作成年で登録するとエラーとなるため暫定的に2002年
3月に作成したものとしています。


原子力発電所の問題について

2002年03月28日 19時40分01秒 | 社会問題
   人間は当たり前のことが当たり前でなくなる出来事を体験するとショックを受けるものである。例えば、電気についても、事故等で停電になった時、産業や日常生活に与える影響は計り知れないものだ。停電にならなければ電気の有難さは分からないのは、故障して初めて自動車の便利さが分かるのと同じで、今や我々の生活は、たとえ数秒間の停電であっても起きてはいけない状態となっている。

 「いま使っている電気はいま発電している電気です」という電力会社のコマ-シャルが時々流れているが、わが国の電力会社は、電気の安定供給のために、安全性を最も考慮しつつ今後とも原子力発電所の建設を進めるとの方針をとっており、現にわが国の総発電量の約30パ-セントは、原子力発電によるものだそうで、今後もその割合は増加することになるとのことである。  

 ところが残念な事に、わが国は唯一の被爆国であるという特殊な事情からであろうか根強い反対運動があることも事実である。彼等は、その安全性に様々な疑問を抱き、まるで新興宗教に凝り固まった人みたいに「嫌のものは嫌です」と、どんなに安全性について説明しても事故を心配して話しを聞こうとせず、操業停止を求める訴訟を各地で起こしている。

 確かに、もし原子力発電所が放射能を外部に出すような事故を起こしてしまっては困るが、水力や火力発電が、いずれも自然は破壊と安定供給の面から問題があることから、安全性を最も優先して推進していくことはやむを得ない事だと思う。

 ところで10月21日の読売新聞の夕刊に、国際原子力機関(IAEA)の運転管理調査団が、わが国では初めて実施していた福井県高浜町の関西電力高浜原子力発電所3、4号機の調査で「完ぺきでかつ細部にわたって可能な限り最高水準の安全性をもって運転されており、人材、資金が安全な操作を確保する上で、十分投入されている」見解を示し、「運転管理状況が世界的にも最優秀」と満点の評価をしたとの記事が掲載されていたが、見落としてしまいそうな小さな記事なのである。このようなな大事なことを大きく報道しないで、大した事でもないことを針小棒大に報道してひんしゅくを買っているのマスコミの姿勢は情けない。
(1988/11)

この記事は「私の主張」第91号
「原子力発電所の問題について 」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
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3月に作成したものとしています。


訴訟ブ-ムを憂う

2002年03月28日 15時40分48秒 | 社会問題
 最近の訴訟ブ-ムを憂いているが、このようなことで裁判をして損害賠償を請求するのかと、思わず世の中には色々な考えを持った人がいるものだと呆れてしまうことがある。
 世間には裁判で白黒をつける事が必要な場合もあるが、身内や親しい友人の間で行われた裁判により、埋めることが出来ない深い溝が出来てしまった時は悲劇であり、さらに、具体的な被害が発生してないケ-スや天災としか思えないものに対してまでも賠償や補償を要求するなど、ゆすり、たかりの風潮がわが国に蔓延している。

 6月18日の新聞報道によると、マンズワイン社の有毒物質ジエチレングリコ-ル入りのワインを飲んだ人が肉体的被害を受けたとして損害賠償を求めた訴訟の和解が成立したとの記事が載っていた。確かにジエチレングリコ-ルの入ったオ-ストリア産のワインを国産ワインとブレンドして「国産高級ワイン」と偽り販売した責任は責められるべきであるが、それを飲んだことによって健康に被害があったわけではなく、被害者の会の「これらの行為は消費者をあざむく悪質な犯罪そのもの」との主張には理解できない。

 訴訟を起こした被害者は25人であるそうだが、マンズワイン社はこのワインを約40万本販売し、うち約4万本を回収したとの事で、残りの約36万本のうち何パ-セントかは廃棄された、と考えてもかなりの人が飲んでいる訳であり、このわずか25人の人達だけが「気分が悪い損害賠償を求める」と訴訟を起したとは何とも不可解である。  

 この件が報道された事によって気分が悪かったのはこの25人の人達だけではなく何万人もいる訳だが、要するに自分が被害者になった場合は訴訟を起こせば金が取れる、と考えているからに他ならない。ゴネ得の典型的なものであり、この様な人は訴訟を起こしては和解金を取り、また別の訴訟を探していると勘繰りたくなる。この様な人達がいる限り裁判所は忙しくて大変であろう。
(1988/06)      

この記事は「私の主張」第81号
「訴訟ブ-ムを憂う」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
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3月に作成したものとして登録しています。


激写ブ-ムを憂う

2002年03月26日 21時00分58秒 | 社会問題
 写真週刊誌のよる”激写”ブ-ムに、私は以前から人権侵害の恐れがあると眉をひそめていたが、10月21日東京法務局が、無断で女性の写真を掲載した講談社の「フライデ-」に対し、同社の責任者を呼び「人権擁護の観点から到底看過できない」と異例の「勧告書」を手渡したとの事である。  

 ”激写”ブ-ムによって、同種週刊誌の新規参入が続くなか、明らかに「報道の自由」とは無縁の暴力的取材が行われていると認められる写真が次々と掲載されており、この様な取材とはいえない人権侵害に対し、どうすることもできない個人を擁護するために、東京法務局がこの様な勧告を行ったことは、当然と言って良いであろう。

 第4の権力と言われるマスコミは、司法当局から何を言われようとも、自分達のやっていることが、なんら恥じる事ない「報道の自由」の中での行動であると信じているので、恐らく反省するどころか「そんな勧告を一々聞いていたら仕事にならん」と考えている確信犯なのである。

 写真を無断で掲載された女性は、10月24日講談社に対し「肖像権の侵害である」として、損害賠償を求める民事訴訟を起こしたとのことであり、さらに塀(高さ1,75メ-トル)の上から、その女性の家の室内を覗いて撮影したことも分かり、普段から人権問題に熱心すぎるくらいなマスコミが、何人にも認められている人権と言うものに、まったく理解を示していないと言わざるを得ない。言っている事と、やっている事が、あまりにも違いすぎるのである。  

 この裁判の結果が、どのようになるか注目されるが、この訴えを機会に、マスコミは人権というものが、どの様なものかを深く噛み締めてもらいたいものである。
(1986/10)  

この記事は「私の主張」第74号
「激写ブ-ムを憂う」
としてHPに掲載されていたものです。
なお、かなり前に書いたものであるため、作成日の記録が見
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