~男は男、女は女らしくを否定する恐るべきジェンダーフリー~
男女が、お互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することが出来る男女共同参画社会の実現をめざして施行された男女共同参画社会基本法が、今各地で問題になっている。
それは、男女の特性を認める「男女平等」「男女同権」ではなく、男女の区別そのものを否定するものでないかと言われているのである。そこで出て来る言葉に「ジェンダーフリー」があるが、ジェンダーとは、生まれた時から亡くなる時まで、変わるとのない男女別の生物学的な性ではなく、社会的・文化的にな性差を意味しているとのことで、その性差から自由になって男女共同参画社会を作ろうと言うわけで、それでジェンダーフリーというのである。であるから、「男らしさ」「女らしさ」を否定して、例えば「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや、男の子の鯉のぼり」などは安易に「男・女のらしさを押しつけてはいけない」ということで、日本の伝統文化を否定する恐ろしい思想であると言わざる得ない。
インターネットで検索してみると、各地の自治体が、この男女共同参画法にもとづき、ジェンダー・チェックマニュアルのガイドラインを作成しているのが分かるが、例えば岐阜県地域県民部男女共同参画課では、次のようなガイドラインを出しているので「具体的なチェック項目」と書かれていた部分を抜粋して紹介する。
男女共同参画を推進するための行政刊行物等の作成に関するガイドライン(抜粋)
1 固定的な役割分担意識にとらわれていませんか
* A 男性といえばネクタイ・スーツ姿、女性といえばエプロン姿で表現していませんか。
* B 家事、育児、介護の場面で登場するのは決まって女性というように表現していませんか。
* C 地域や福祉のボランティアは女性の役割というように表現していませんか。
* D 職場の場面で女性が登場しても、きまって説明や指導を男性から受けていたり、お茶だしやコピー をしているのは女性といったように表現していませんか。
* E 職場の会議の場面は全員男性というふうに表現していませんか。
* F 性別で職業を固定して表現していませんか。
2 必要以上に女性と男性を区別していませんか
* A 性別によって人の特徴を決めつけていませんか。
性による特徴の決めつけ例
・「女は弱く・男は強い」「女は感情的・男は論理的」「女らしい優しさ、男らしい決断」など
性による決めつけの表現の例
・「女だてらに」「女らしいきめ細かさ」「女の感性」「男は泣くものではない」「男らしく豪快に」 「雄々しい」「女々しい」など
同じ行動でも、男性なら「積極的」、女性なら「気が強い」など異なる評 価 ・基準を用いた表現をしていませんか。
* B 女性は「赤系」、男性は「青系」など、服装や持ち物の色を性別で固定化していませんか。
* C「人形遊び」は女性、「野球」は男性など、遊びやスポーツの種目を性別で固定化していませんか。
* D 男性を「氏」で、女性を「さん」で表現したり、男の子を「くん」、女の子を「ちゃん」と表現していませんか。
* E 男性と同じ会社員なのに、女性を「OL」「キャリアウーマン」と別に表現していませんか。
* F 男性を表す言葉を基本的なものとして、女性であることを強調するための表現をしていませんか。
・「幼児/幼女」、「老人/老女」、「養子/養女」、「悪人/悪女」など(幼男、老男、養男、悪男という表現はありません)
* G わざわざ「女性冠詞」をつけていませんか。
・「女性弁護士」「女性社長」「女教師」「女流作家」など
3 男女を上下関係や優劣をつけて表現していませんか
* A 名簿や順番で、男性が前、女性が後ろになるようにしていませんか。
* B 女性と男性を並べて表現するときに男性を前に、大きく、中心にし、女性を付属するものとした表現をしていませんか。
* C 家族を描くとき、中心に父親がいて妻と子どもが寄り添う表現になっていませんか。
* D 女性は男性より劣ることを前提にしていたり、男であることに価値をおいた表現にしていませんか。
:「女だてらに」「男まさり」「女にしておくにはもったいない」「女にしては」「男がすたる」「男をあげる」「女の腐ったような男」など
* E 女性を家や夫に従属する存在として表現していませんか。
:「嫁にやる」「主人」「入籍する」など
* F 女性に対してだけ「仕事と育児が両立できるか」「どうせ腰かけ的に勤めるだけ」などとか、結婚や出産を機に、女性が仕事をやめるのは当然だという表現をしていませんか。
* G 職場で、指導者や上司、会議のメンバーは男性、補助的な仕事や受付案内は女性として表現していませんか。
* H 「女の出る幕じゃない」といったような女性に登場の機会を与えない表現をしていませんか。
* I 男の子は高学歴が望ましく、女の子にはそんな必要がないかのような表現をしていませんか。
4 女性の性的な側面を強調して描いたり、商品扱いしていませんか
* A 人の目をひくため、水着姿の女性や口や胸元・足など女性の体の一部だけを強調した表現をしていませんか。
* B 職務や能力に無関係な女性の容貌や外見のみを重視し、強調した表現をしていませんか。
:「美人OL」「職場の華」「ミス○○」など
* C 若さや性的魅力だけが、女性の価値であるかのような表現していませんか。
大体以上が、岐阜県地域県民部男女共同参画課で出しているガイドラインだが、他の自治体とも同じようなものである。しかし、このような各家庭内のしきたりまで干渉して行政がチェックするような事態になったら、日本が今日まで培ってきた文化、習慣などが破壊され、モラルを低下させ荒廃を招くのは目に見えている。
他の例を上げると、昔話である桃太郎は、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯といったという話は、男は外(仕事)女は内(家事)と固定的な役割分担意識にとらわれた話であるので性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。
また、ファッション界にも「ジェンダーフリーファッション」を支持する人もおり、男女が同じ服を着るのではなく、性別に関係なく自由な服装を着ると言うことは、男性的なファッションを女性が身につけることも、逆に男性が女性的なファッションを身につけることもジェンダーフリーであり、その中間としての中性的ファッション、さらに性を超越したファッションも存在し、一部熱狂的な人達に支持されていると書かれたHPがあった。そのうち、男性がスカートをはいたり、女性が背広を着る時代が来るかもしれない。
最近、新聞に報道された千葉県松戸市の行っている「ふりーせる保育」は、大人と子供は対等で、園児の意志を最大限尊重するというものであり「おやつや食事は園児の選択に任せ、嫌なら食べなくても飲まなくても良い」とか、言葉遣い、挨拶、箸の持ち方など指導がないがしろにされ、極めつけは「園児の発表会を見たい」と保護者が保育園側に申し入れたことろ「それは保育士が決める問題でなく子供達の意志で決めるべき。各家庭で働きかけて欲しい」とか、「母親が御飯を作るような歌詞はジェンダーフリーに反するので園では歌わせない」と言ったような事まで、これでは、行き過ぎを通り越して、自分たちの思想や価値観に合わないものは否定する全体主義そのものであることは明らかである。
男女共同参画権とはロシアにおいて行われた、女性解放のための政策で、家族を敵視し、性別を嫌い、家事労働の共同化、性の自由化を主張する思想であったが、家族の崩壊、小子化、少年非行の増加など失敗に終わっている。であるから、男女共同参画権は、社会主義・共産主義を思想にもつ特殊な人が推進しているものであり、HPを検索して頂ければ、社民党、共産党員が、これに積極的に取り組んでいることがよく分かる。まあ社民党、共産党が推進するようなものには気を付けた方が良いのである。私達はこのような文化や社会を破壊するジェンダーフリーの危険性を広く訴えるべである。
(2002/11/28)
この記事は「私の主張」第151号
「日本の伝統文化を荒廃させる男女共同参画法」
~男は男、女は女らしくを否定する恐るべきジェンダーフリー~
としてHPに掲載されていたものです。
男女が、お互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することが出来る男女共同参画社会の実現をめざして施行された男女共同参画社会基本法が、今各地で問題になっている。
それは、男女の特性を認める「男女平等」「男女同権」ではなく、男女の区別そのものを否定するものでないかと言われているのである。そこで出て来る言葉に「ジェンダーフリー」があるが、ジェンダーとは、生まれた時から亡くなる時まで、変わるとのない男女別の生物学的な性ではなく、社会的・文化的にな性差を意味しているとのことで、その性差から自由になって男女共同参画社会を作ろうと言うわけで、それでジェンダーフリーというのである。であるから、「男らしさ」「女らしさ」を否定して、例えば「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや、男の子の鯉のぼり」などは安易に「男・女のらしさを押しつけてはいけない」ということで、日本の伝統文化を否定する恐ろしい思想であると言わざる得ない。
インターネットで検索してみると、各地の自治体が、この男女共同参画法にもとづき、ジェンダー・チェックマニュアルのガイドラインを作成しているのが分かるが、例えば岐阜県地域県民部男女共同参画課では、次のようなガイドラインを出しているので「具体的なチェック項目」と書かれていた部分を抜粋して紹介する。
男女共同参画を推進するための行政刊行物等の作成に関するガイドライン(抜粋)
1 固定的な役割分担意識にとらわれていませんか
* A 男性といえばネクタイ・スーツ姿、女性といえばエプロン姿で表現していませんか。
* B 家事、育児、介護の場面で登場するのは決まって女性というように表現していませんか。
* C 地域や福祉のボランティアは女性の役割というように表現していませんか。
* D 職場の場面で女性が登場しても、きまって説明や指導を男性から受けていたり、お茶だしやコピー をしているのは女性といったように表現していませんか。
* E 職場の会議の場面は全員男性というふうに表現していませんか。
* F 性別で職業を固定して表現していませんか。
2 必要以上に女性と男性を区別していませんか
* A 性別によって人の特徴を決めつけていませんか。
性による特徴の決めつけ例
・「女は弱く・男は強い」「女は感情的・男は論理的」「女らしい優しさ、男らしい決断」など
性による決めつけの表現の例
・「女だてらに」「女らしいきめ細かさ」「女の感性」「男は泣くものではない」「男らしく豪快に」 「雄々しい」「女々しい」など
同じ行動でも、男性なら「積極的」、女性なら「気が強い」など異なる評 価 ・基準を用いた表現をしていませんか。
* B 女性は「赤系」、男性は「青系」など、服装や持ち物の色を性別で固定化していませんか。
* C「人形遊び」は女性、「野球」は男性など、遊びやスポーツの種目を性別で固定化していませんか。
* D 男性を「氏」で、女性を「さん」で表現したり、男の子を「くん」、女の子を「ちゃん」と表現していませんか。
* E 男性と同じ会社員なのに、女性を「OL」「キャリアウーマン」と別に表現していませんか。
* F 男性を表す言葉を基本的なものとして、女性であることを強調するための表現をしていませんか。
・「幼児/幼女」、「老人/老女」、「養子/養女」、「悪人/悪女」など(幼男、老男、養男、悪男という表現はありません)
* G わざわざ「女性冠詞」をつけていませんか。
・「女性弁護士」「女性社長」「女教師」「女流作家」など
3 男女を上下関係や優劣をつけて表現していませんか
* A 名簿や順番で、男性が前、女性が後ろになるようにしていませんか。
* B 女性と男性を並べて表現するときに男性を前に、大きく、中心にし、女性を付属するものとした表現をしていませんか。
* C 家族を描くとき、中心に父親がいて妻と子どもが寄り添う表現になっていませんか。
* D 女性は男性より劣ることを前提にしていたり、男であることに価値をおいた表現にしていませんか。
:「女だてらに」「男まさり」「女にしておくにはもったいない」「女にしては」「男がすたる」「男をあげる」「女の腐ったような男」など
* E 女性を家や夫に従属する存在として表現していませんか。
:「嫁にやる」「主人」「入籍する」など
* F 女性に対してだけ「仕事と育児が両立できるか」「どうせ腰かけ的に勤めるだけ」などとか、結婚や出産を機に、女性が仕事をやめるのは当然だという表現をしていませんか。
* G 職場で、指導者や上司、会議のメンバーは男性、補助的な仕事や受付案内は女性として表現していませんか。
* H 「女の出る幕じゃない」といったような女性に登場の機会を与えない表現をしていませんか。
* I 男の子は高学歴が望ましく、女の子にはそんな必要がないかのような表現をしていませんか。
4 女性の性的な側面を強調して描いたり、商品扱いしていませんか
* A 人の目をひくため、水着姿の女性や口や胸元・足など女性の体の一部だけを強調した表現をしていませんか。
* B 職務や能力に無関係な女性の容貌や外見のみを重視し、強調した表現をしていませんか。
:「美人OL」「職場の華」「ミス○○」など
* C 若さや性的魅力だけが、女性の価値であるかのような表現していませんか。
大体以上が、岐阜県地域県民部男女共同参画課で出しているガイドラインだが、他の自治体とも同じようなものである。しかし、このような各家庭内のしきたりまで干渉して行政がチェックするような事態になったら、日本が今日まで培ってきた文化、習慣などが破壊され、モラルを低下させ荒廃を招くのは目に見えている。
他の例を上げると、昔話である桃太郎は、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯といったという話は、男は外(仕事)女は内(家事)と固定的な役割分担意識にとらわれた話であるので性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。
また、ファッション界にも「ジェンダーフリーファッション」を支持する人もおり、男女が同じ服を着るのではなく、性別に関係なく自由な服装を着ると言うことは、男性的なファッションを女性が身につけることも、逆に男性が女性的なファッションを身につけることもジェンダーフリーであり、その中間としての中性的ファッション、さらに性を超越したファッションも存在し、一部熱狂的な人達に支持されていると書かれたHPがあった。そのうち、男性がスカートをはいたり、女性が背広を着る時代が来るかもしれない。
最近、新聞に報道された千葉県松戸市の行っている「ふりーせる保育」は、大人と子供は対等で、園児の意志を最大限尊重するというものであり「おやつや食事は園児の選択に任せ、嫌なら食べなくても飲まなくても良い」とか、言葉遣い、挨拶、箸の持ち方など指導がないがしろにされ、極めつけは「園児の発表会を見たい」と保護者が保育園側に申し入れたことろ「それは保育士が決める問題でなく子供達の意志で決めるべき。各家庭で働きかけて欲しい」とか、「母親が御飯を作るような歌詞はジェンダーフリーに反するので園では歌わせない」と言ったような事まで、これでは、行き過ぎを通り越して、自分たちの思想や価値観に合わないものは否定する全体主義そのものであることは明らかである。
男女共同参画権とはロシアにおいて行われた、女性解放のための政策で、家族を敵視し、性別を嫌い、家事労働の共同化、性の自由化を主張する思想であったが、家族の崩壊、小子化、少年非行の増加など失敗に終わっている。であるから、男女共同参画権は、社会主義・共産主義を思想にもつ特殊な人が推進しているものであり、HPを検索して頂ければ、社民党、共産党員が、これに積極的に取り組んでいることがよく分かる。まあ社民党、共産党が推進するようなものには気を付けた方が良いのである。私達はこのような文化や社会を破壊するジェンダーフリーの危険性を広く訴えるべである。
(2002/11/28)
この記事は「私の主張」第151号
「日本の伝統文化を荒廃させる男女共同参画法」
~男は男、女は女らしくを否定する恐るべきジェンダーフリー~
としてHPに掲載されていたものです。