~参拝する人も少ない、英霊に感謝と慰霊の誠を捧げる地~
小田原から伊豆半島の東海岸を通る道路は国道135号線と呼ばれているが、その国道を車で走っていると、山が道路脇まで迫っている静岡県熱海市伊豆山に「興亜観音」がある。
「興亜観音」は先の大戦における戦没者が祀(まつ)られていると聞いていたが、何度か用事でその近くを通っていても、一度も訪れたことはなかった。
先日、気温が30度を越していると思われる日であったが、用事が早目に済んだので、どのような所であろうと思い、参拝することにした。
国道上にある興亜観音と書かれたバス停留所から見える参道はかなりの急坂で、私の中古車では登るのは無理と思い、少し熱海市内に寄った道路脇の空地に車を駐車して、人影が全くない延々と続く急坂を登りはじめた。舗装はされてはいるが、先日の台風でかなりの雨が道路上を流れたのであろうか、石や泥、枯れ枝などが道路脇に堆積しており、自動車が通れる位の幅はあるが決して歩き易い道とはいえなかった。
ムア-とする暑さの中、汗が滴り落ち、タオルで何度も拭う。道の両側の木々の枝が道路にはみ出しており、普段は歩く人もいないのであろうか。廃屋となった住宅の前を通り過ぎると、T字路になったところの道路脇に、体の半分は生い茂った夏草に隠れていたが、おだやな顔の2体のお地蔵さんが立っていた。
さらに延々と続く急坂を登る。行けども行けども「興亜観音」には着かない。この先に本当に「興亜観音」があるのだろうかと心配になってくる。すると道路脇に小さな「興亜観音参道」と書かれた手作りの看板を見つけ、この道に間違いないと思い、さらに急坂を登ると、車が通れる位の幅のあった道が急に狭くなり、そこには簡素な門が設置してあった。
すると、そこにおられた作業着姿の中年女性に「よくお参りなさいました。もうすぐですから」と声を掛けられる。私が「ちょっとお参りに」と答え、門をくぐると、中央だけがコンクリートで固められた狭い山道となる。まもなく「ひとやすみ」と書かれた東屋の前を通り、さらに登ると、周囲はうっそうとした樹木に囲まれているが、やや開けた所に、露座の興亜観音が立っていた。
褐色の陶像の興亜観音は優しく柔和な慈悲にあふれたお顔をされており、眼下に広がる相模湾の方に向かい合掌されている。また少し離れたところに、いわゆるA級戦犯として処刑された広田弘毅、松井石根、東條英機、板垣征四郎、土肥原賢二、木村兵太郎、武藤章の「殉国七士の碑」、またB・C級戦犯として処刑された者1068名の供養塔、戦没将士の慰霊碑の3つが並んで建っていた。
その場所にいると、過去の戦争によるこのような多くの犠牲があるからこそ、今の平和が享受出来るのだと感慨深いものを感じた。すると、そこへ玉虫が羽音をたてながら、私の周りを2周して、飛び去って行った。美しい羽根を持つ玉虫を見るのは数年ぶりだが、昆虫までも今日の参拝をあたたかく迎えてくれた。
その碑のすぐ先には相模湾の眺めが素晴らしい観音堂があり、正面には高さ2尺の興亜観音が祀(まつ)られており、その左右に日中両国の戦没者の霊牌が祀られている。また松井大将の遺影や、東京裁判で、起訴された被告人に全員無罪の判決文を書いたインドのパール判事の写真も飾られていた。ここは英霊に感謝する地であるのにもかかわらず私以外には参拝者の姿もない。
観音堂の中には、作務衣姿の中年女性がおり「このような暑い日に、ご参拝いただきありがとうございます。お茶をどうぞ」と言って冷たい麦茶を出してくれた。作務衣姿の中年女性から「興亜観音」のいわれ等について説明を受けたが、ここは日中両国の戦没者の霊を弔うために昭和15年、松井石根大将が建立された観音さまで、松井大将はここで朝夕お経をあげ、敵・味方の区別なく戦没者の霊を供養されていたという。私は、相づちを打ちながら説明を伺っていると不覚の涙を流してしまった。どうして涙が出てくるのであろうか。
戦後、誤った東京裁判史観による禍で、戦前の日本はすべて悪であったという風潮を醸成され、日本精神が失われてしまった。英霊に感謝して慰霊の誠を捧げて、これを顕彰するのは国民の務めであるという当然の行為が危険視され、日本民族の魂や誇りが喪失し、英霊が冒涜されている状態である。また中国、韓国からは小泉首相の靖国神社への参拝まで文句を言われている。私はこのような今の日本の現状を憂い、東京裁判史観から脱却しない限り英霊の安らぎはないと主張せざるを得ない。
参拝される方が1人も見えられない日もあるという寂しいお話を伺い、どうか1人でも多くの方が「興亜観音」を参拝され、その護持に協力し、誤れる東京裁判史観を打破され、日本人としての誇りを持たれることを希望するものである。
(2002/07/25)
写真:興亜観音
この記事は「私の主張」第132号「熱海・伊豆山の『興亜観音』を参拝して(1)」
~ 参拝する人も少ない、英霊に感謝と慰霊の誠を捧げる地~
としてHPに掲載されていたものです。