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私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

戦没者の遺族は訴訟より靖国神社の参拝を

2004年05月13日 22時33分53秒 | 靖国神社問題
戦没者を追悼することは国民の代表として天皇陛下や内閣総理大臣が、ことある事に行わなければならない義務であると思っているが、その戦没者の御霊が祀られている我が国唯一の施設はご承知のとおり靖国神社であり、陛下や総理が参拝しないとしたら最も精神的な苦痛を受けるのは英霊達ではないだろうか。また戦没者を追悼し、平和を祈念することは当たり前のことと思っている良識ある国民も損害賠償までは請求しないが、同じ気持ちであろう。

 ところが、小泉総理が靖国神社を参拝したことで、私の思いとは反対に精神的苦痛を受けたとして台湾人を含む戦没者遺族ら236人が原告となり、国と総理、靖国神社に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたと言うのだからため息が出てしまう。なぜ精神的苦痛になるのかまったく理解出来ないが、それも、なぜ1万円なのか。精神的苦痛があると言うならとても1万円位では癒されないだろうから、もっと高額な請求をしないのであろうか。まったく冗談で損害賠償を求める訴訟を起こしたようであるが、大阪地裁はこれら原告の請求を棄却するとともに、憲法判断を回避したと報道されているが当然の判決と言うべきでだろう。

 大阪地裁の吉川慎一裁判長は13日の判決で、同種訴訟では初めて小泉総理の参拝を私的なものと判断を示したが、それは「公用車の利用と秘書官の同行にとどまる」と指摘し「国の機関である首相の行為とは認められない」と判断したからだそうである。それはそうかも知れないが、靖国神社に小泉総理が内閣総理大臣の資格で参拝したとしても、それを「公式」だ。「いや私的だ」と騒ぐこと自体が不毛な論争と言うべきであろう。

 毎年のようにアホな新聞記者が、靖国神社に参拝する総理や閣僚らに「公式ですか私的ですか」と、これまたアホな質問をしているが、それこそ愚劣な質問というべきだろう。アホな新聞記者や、このような訴訟を起こす原告らにとってははっきりして欲しいかも知れないが、そのようなことはどっちでも良いではないか。小泉総理の参拝がどのような形であれ、参拝がなんでも公式になり、憲法違反だと思っている連中には何を言っても無駄である。

 だいたい国家元首である天皇陛下や内閣総理大臣が、戦没者を追悼し、平和を祈念するために靖国神社に参拝することが裁判沙汰になることが異常ではないか。今回訴訟を起こして敗訴した原告には戦没者遺族がいるそうだが、ならば靖国神社に何度か参拝されたことがあるだろう。その社頭で多くの参拝者の姿を見られてどのように感じられておられるのか。この場に小泉総理が来ることはあってはならないと思っているのであろうか。むしろありがたいと思わないとすれば、戦没者の遺族らしくないと思えてならない。

 原告側は損害賠償請求を棄却された判決を不服として大阪高裁に控訴する方針とのことだが、同種訴訟で「総理の靖国参拝は憲法違反」と判決を下した福岡地裁の亀川裁判長のようなおかしな判事にうまく当たれば良いだろうが、さてどうなるか。裁判を起こすのは勝手だが、まあ損害賠償など認められる訳ないのにご苦労なことだ。そのような裁判を起こす暇があれば戦没者の遺族らしく機会あるごとに靖国神社を参拝していただきたい。その方が英霊達は喜ぶのではないだろうか。
(2004/05/13)  

この記事は「今日のコラム」
戦没者の遺族は訴訟より靖国神社の参拝を
としてHPに掲載されていたものです。


小泉総理の靖国参拝が違憲なら憲法改正せよ

2004年04月10日 16時47分27秒 | 靖国神社問題
~内閣総理大臣が、堂々と参拝出来ない状態は異常である~  

 福岡地裁の亀川清長裁判長が傍論で述べた「小泉総理の靖国神社参拝は憲法違反」との判断が大きな波紋を呼んでいる。小泉総理は「日本人が靖国神社に参拝してどうしていけないのか。」とし、支那や韓国が反発していることに関して「なぜ批判されるのか分からない。今後も参拝を続ける」と述べている。どうか総理におかれましては、行政府の長として靖国神社に祀られている祖国日本の安泰を願い散華された数多の英霊達に感謝の誠を捧げ、平和を祈念し、今度とも、わが国が誇りある伝統文化を持つ国として発展出来るように日々ご努力願いたい。

 この靖国参拝違憲判断を聞いた時に驚いたのは、原告側が主張していた「小泉総理の靖国神社参拝は国の宗教的活動を禁じた憲法に違反し、信教の自由を侵害された」として原告一人あたり10万円慰謝料を求めた国家賠償請求は「原告の信教の自由を侵害したとはいえない。参拝で憤りなどを抱いても、賠償の対象となる法的利益の侵害ではなく、不法行為は成立しない」として棄却している。だが、亀川裁判長は、原告敗訴の判決を出しながら、個人的な感想にすぎない「傍論」部分で「小泉総理の靖国参拝は違憲である」と述べていることである。

 これでは被告となった国側が勝訴していることになり、「小泉総理の靖国参拝は違憲である」との「傍論」に書かれた亀川裁判長の個人的な感想について納得出来ないとして控訴して争うことが出来ず、原告側が「慰謝料を求めた国家賠償請求が認められなかったのは不服である」と控訴しない限り、この判決は確定することになるのである。  

 原告にとってみれば慰謝料が認められなかったのであるから、不当判決になる訳で、控訴するのが筋であると思うが、原告側は控訴しないことを表明している。それはそうであろう。亀川裁判長が「小泉総理の靖国参拝は違憲である」との判断を下したことから慰謝料なんか貰わなくても良いとして、この判決を確定させたいであろうから、不当判決であっても原告側は判決を受け入れようとしている訳である。

 今までなら、このような裁判を起こす人は不当判決に怒り、納得出来る判決が出るまで上級審で争うであろうが、今回に限り不当判決にも関わらず変に納得して歓声まで上げたと言うのだから理解出来ない。それと亀川裁判長は福岡地裁のひとり裁判官にも関わらず、今回の裁判が慰謝料を求めた国家賠償請求訴訟なのに、その請求の理由がないと棄却しておきながら、個人的な感想として憲法判断をしていることであり、これこそ不当判決ではないであろうか。裁判官がこうも簡単に憲法判断を下しても良いのか。

 ここで思い出すのは昭和48年9月、長沼ナイキ基地訴訟で「自衛隊違憲」の判決を出した、福島重雄裁判官のことである。この裁判で原告勝訴の判決を言い渡した福島裁判官は「憲法第9条は、自衛戦力を含めた一切の軍備、戦力を放棄し、かつ交戦権をも否認している。陸、海、空各自衛隊は現在の規模、能力からみて、いずれも憲法第9条2項にいう陸海空軍に該当し、違憲である。自国の防衛のために必要であるという理由では、軍隊ないし、戦力であることを否定する根拠にはならない」と述べているが、この判決が出た時に自衛隊内に動揺が広がり「自分達は憲法違反の存在なのか」と士気が喪失したのではと言われている。

 幸いこの判決は最高裁判所で「自衛隊については、統治行為に属し、司法審査件の範囲外」として憲法判断は回避されたが、では裁判所が自衛隊は違憲であるとの判決を下し、それが確定したら、国は自衛隊を解散させるのであろうか。国の安全に関わることであるから、裁判所がこのような憲法判断を簡単に下すものではないと思った記憶がある。

 今回の小泉総理の靖国神社参拝は憲法20条(信教の自由)に触れて憲法違反となるならば、政府が戦没者の霊を慰めることが出来ないような今の憲法がおかしいと言わざるを得ない。日本が過去に、民族の誇りをかけて戦い、たった一つの命を捧げた数多の英霊達に、行政府の長たる内閣総理大臣が、その御霊をお慰めするために堂々と参拝できないという状態はどう考えても異常である。参拝してはいけないとしたら誰が国のために命を捧げようと思うであろうか。

 賠償を求めた原告達が、そのような慰霊は必要ないと思っているとしたら、「あなた達は先祖の墓参りもしないのか」と言ってやりたい。戦争の是非は別にして、すでに神となられた英霊達の慰霊などしないで無視する方が良いと思っているとしたら何と非情な人達であろうか。靖国の神々達に何の責任があるのか。連合国の事後法で裁いた国際法無視の東京裁判で、勝手にA級だB級だとレッテルを貼られて刑死した人も、戦後において全会一致の国会決議により名誉を回復されているのに、いまだに日本にA級、B級戦犯が存在しているかのように言っている支那や韓国、反日日本人などは嘘つきである。

 しかし、小泉総理が靖国神社を参拝したから、「小泉効果」によって靖国に参拝する人が増えたのは違憲だとは、すごい論理の飛躍だが、国のやることにすぐ違憲だと騒ぐ輩も困ったものだ。亀川裁判長は今回の判決で被告となっている国を勝訴させておきながら、判決主文でなく法的拘束力がない部分で小泉総理の靖国参拝は憲法20条(信教の自由)に触れて違憲であると余計なことを言い、被告である国側の控訴権を奪ったことになり、これでは原告と亀川裁判長が仕組んだ陰謀であるとの疑いを禁じ得ない。

 新聞各紙の社説を読んでみたが、参拝に反対する朝日は「憲法違反という司法の警鐘に素直に耳を傾けるべきだ。毎日は「一国のトップの行為が違憲とされたことは一大事だ。」北海道新聞は「靖国違憲判決*小泉首相は参拝やめよ」と書いているが、では日本国を代表する総理が靖国神社に参拝することは違憲であるなら、それが国のあり方として正常なのか。いつまでも支那や韓国から文句を言われないようにするために憲法改正して、戦没者の霊を慰めるために政府代表が公式参拝が出来るようにすべきであろう。憲法違反と言うと、それがすぐ悪く言われがちだが、自衛隊にしても同じで、いつまでも違憲な存在だと言いがかりを付けられないように、はっきり合憲の存在となるようにすべきであろう。

 靖国神社に一度も参拝したことがない人は是非とも足を運んで欲しい。私は来週早々に参拝の予定だが、この判決が、原告らの思惑通りにならず、参拝される多くの国民が、新しい戦没者追悼施設など必要ないとの思いを靖国の社頭で感じるであろう。そして遊就館を見学され、靖国の神々達をご覧になり、また、その遺書を読んで欲しいと思っている。「このような若い方が…」と絶句され、そのような方の犠牲の元に今の平和があることをおわかりになるであろう。靖国神社とは、日本人の心のよりどころであり、戦没者を追悼し、平和を祈念する唯一の歴史ある慰霊施設である。それを形骸化しようとする勢力の台頭を良識ある日本人であれば断じて許してはいけない。
(2004/04/10)   

この記事は「私の主張」第205号
  小泉総理の靖国参拝が違憲なら憲法改正せよ
~内閣総理大臣が、堂々と参拝出来ない状態は異常である~
としてHPに掲載されていたものです。


政府を揺さぶる靖国訴訟原告の在日朝鮮・韓国人

2004年04月08日 22時57分47秒 | 靖国神社問題
  小泉総理の靖国神社参拝は「国の宗教的活動を禁じた憲法に違反し、信教の自由を侵害された」として九州や山口県などの宗教関係者、在日韓国・朝鮮人ら211人が、国と小泉総理に1人当たり10万円の慰謝料を求めた国家賠償請求訴訟で、福岡地裁の亀川清長裁判長は慰謝料請求については、賠償の対象になる不法行為とはいえないとして棄却したが、総理の靖国神社参拝は違憲と判断した。

 このような裁判を起こす人はどのような人達であろうか。郡島恒昭(ぐんじま・つねあき)原告団長は福岡県春日市の浄土真宗本願寺派僧侶だそうであり、他には仏教、キリスト教の宗教家や市民、肉親が靖国神社に合祀(ごうし)された遺族、戦前に強制連行されたと申し立てる在日朝鮮・韓国人らだそうである。

 小泉総理が靖国神社を参拝すれば遺族にとってはありがたいと思うのは普通であると思うが、反対に、それが苦痛であるので慰謝料を国に請求するのであるから、そのような事で請求出来るなら、大江健三郎などの反日日本人がテレビに顔を出すだけでも苦痛だから慰謝料を請求したくなる。

 浄土真宗本願寺派はこれで信用を落とすであろう。総理が英霊に感謝することがいけないと言っている僧侶がいるのであるから当然であろうが、小泉総理が靖国神社に参拝したからと言って、それはニュースにはなることはあっても、それが国民に対する心理的な強制となり、他の宗教への影響を与え、信教の自由を侵害されるとはとても思えない。

 宗教家であれば、他の宗教も尊重してやるのが正しいと思うが、どうも今回の訴訟の原告になった人はそうではないようである。そう言えばあの大作教も「神棚など壊してしまえ」と言っていたような気がするが、宗教家がそのようなことでは困る。また原告の中に戦前に強制連行されたと申し立てる在日朝鮮・韓国人がいるそうだが、これは朝鮮人の宗教観が日本と異なることからのようで、「朝鮮を侵略した日本人の英霊と共に靖国神社に祀られていては御霊がさまよってしまうので祖国に戻らせたい」と考えているようで、だから、総理が参拝することなど絶対に許されない訳である。

 それにしても、今回の訴訟に在日朝鮮・韓国人が原告となり、日本政府を揺さぶっているとは、ふざけた話だ。また、それに加担し祖国を貶める反日日本人とは不思議な存在であると言わざるを得ない。
(2004/04/08) 

この記事は「今日のコラム」
「政府を揺さぶる原告の在日朝鮮・韓国人」
としてHPに掲載されていたものです。


靖国神社に合祀されている英霊達は加害者か

2004年01月04日 20時12分55秒 | 靖国神社問題
  小泉総理の靖国神社参拝について、支那や韓国が抗議してくるのは、毎度のことだが、その反日国を喜ばすかのように、民主党の菅が「参拝は国益に反する」と発言し、さらには公明党の浜四津敏子代表代行まで3日に都内のJR新宿駅西口で街頭演説した際に「近隣諸国の国民感情からしても、大変残念だ。被害者の痛みをわかって、被害者の立場にたって判断しなければならない」と批判し、政府が検討している無宗教の国立追悼施設の建設を「一日も早く実現すべきだ」と訴えたとのことである。

 一昨年に国立追悼施設構想の撤回を求める国会議員の意見広告が新聞に掲載されたが、驚くべきことに公明党からは1名も参加者がいなかったと記憶している。参加していれば「靖国に代わる無宗教の国立追悼施設の建設を一日も早く実現すべきだ」とは言わないだろうが、浜四津敏子代表代行の言う「被害者の痛み」とはなんだろう。

 被害者がいれば加害者がいると言うことになる訳だが、その加害者は靖国神社に祀られている英霊達であり、だから小泉総理が参拝することは、被害者である支那や韓国の感情として問題であると言いたいのであろうか。日本では亡くなった者が生前にどんな罪を犯したとしても、それを罵ることはしないと言う宗教観があり、極東三馬鹿国家のように、死んだ人でも憎たらしければ墓を壊したり、唾を吐きかけることを平気でする国とは違うのである。

 浜四津敏子代表代行は、靖国神社に合祀されている英霊達を「加害者である」と言ったのも同然であり、日本の国会議員でありながら極東三馬鹿国家だけに顔を向け、その脅迫に屈して靖国神社に代わる国立追悼施設の建設を「一日も早く実現すべきだ」だとは何を考えているのだろうか。慰霊とか追悼と言った亡くなった人の御霊をお慰めする祀りごとを無宗教によって行うことなど出来ると本当に考えているのであろうか。であるから無宗教の国立追悼施設が靖国神社より日本人の宗教観に合致しているとはどう考えても思えないのである。

 靖国神社にはいわゆる「A級戦犯」が合祀されているからいけないのだと言われているが、日本には存在しない呼称であり、これは連合国側が、国際法に違反して行った東京裁判で、事後法である「平和に対する罪」に問われた日本政府の指導部にいた者に勝手に付けたものである。しかし、主権回復後、いわゆる「B、C級戦犯」とともに、名誉が回復され、法務死とされて遺族年金や弔慰金が支給されることとなり合祀されたとのことである。

 浜四津代表代行は靖国神社の「遊就館」を見学したことがあるのだろうか。「靖国の神々」のコーナーでの多数の戦没者の遺影を見れば、自然と手を合わせ「ご苦労さまでした。安らかにお眠り下さい」との気持ちになる。遺影にはまだ若い女性も多数飾られており、「氷雪の門」という映画にもなった樺太真岡郵便局で電話交換手として働いていてソ連軍の侵入により自決した9人の乙女達。傷病兵の看護などをおこなった沖縄のこれも映画になった「ひめゆり隊」と言われた戦没女子学徒隊。ほか女子挺身隊員や日赤救護看護婦も神となっている。  

 さらには米潜水艦の攻撃を受けて沈没した対馬丸に乗船していた沖縄の疎開学童死没者なども合祀の対象になっているとのことであり、浜四津代表代行は、このような人達まで「加害者」として参拝することは良くないと抗弁するのであろうか。

 「神棚など壊してしまえ」と言う宗教法人創価学会が母体である公明党の議員が言ったことであるから、靖国神社などなくなっても構わないと思っているようで、だから、そんな英霊達を加害者呼ばわりしたと同然な発言をしたのであろう。靖国神社は、日本における国に殉じた英霊達の御霊をお慰めする唯一の追悼施設であり、それを極東三馬鹿国家が破壊しようとしているのに抗議せず同調しているのだから創価学会・公明党は日本の文化と伝統など守らなくても良いと本当に思っているのであろうか。
(2004/01/04) 

この記事は「今日のコラム」
靖国神社に合祀されている英霊達は加害者か
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終戦記念日の大雨は英霊の嘆きと悲しみの涙

2003年08月15日 20時58分59秒 | 靖国神社問題
  終戦記念日の8月15日は例年であれば、ぎらぎらとした太陽が照りつけ、気温も35度を超えることも珍しくない時期だが、今年は前日の14日から大雨が続き、各地で被害が出るほどであり、雨の一日となってしまった。靖国神社には国の代表者の参拝の姿もなく、靖国神社を形骸化する新しい追悼施設建設の動きや、支那などからの小泉総理の参拝を批判する内政干渉に怒り、また嘆く、英霊たちの悲しみの涙のようである。

 8月15日が、梅雨が明けてから、最悪の天候になったのは偶然であろうか。平成元年2月24日に行われた昭和天皇の「大喪の礼」の日も東京は氷雨が降る最悪の天候であった。また、

 昭和天皇御製  昭和62年8月15日
「この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひは深し」

は、政府主催の日本武道館で行われる「全国戦没者追悼式」に行かれても靖国神社をご親拝出来ないことを憂いていたからに他ならない。

 いずれも国であっても、その代表者は祖国のために散華された英霊を慰霊するのは義務であり、総理が8月15日に参拝をせず、元首である天皇陛下のご親拝も、政治的な判断で見送られているようでは英霊の御霊は慰められるのであろうか。

 小泉総理は、今年はすでに参拝を済ませているとして靖国神社には参拝せず、すぐ近くにある千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花した。「いかなる批判があろうと、8月15日に必ず参拝する」と総裁選挙の時に宣言し、就任会見では「戦没者慰霊祭の日に、感謝の気持ちを表すのは当然だ」と明言していたが、就任から3度目となる終戦記念日であったが、今年も公約を果たさなかった。

 支那が、死んで何百年経過しようと売国奴の烙印を押された者の像に唾を吐き掛けるのは勝手だが、靖国神社は日本にある日本のために散華された英霊たちが祀られている我が国唯一の戦没者追悼施設である。日本は日本独自の文化があり、死んだものに対しては鞭を打つことはしない。あの北朝鮮工作船の乗組員でさえ、船の科学館で展示されている工作船の横に「2001年12月22日九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる」としてユリの花が手向けられている。いくら敵対国とは言え、亡くなった者に対しては哀悼の意を表することが日本人の文化だということを支那が理解することは永遠にないであろう。支那は靖国神社にいわゆるA級戦犯が祀られているからと、がたがた言っているようでだが、法的にA級戦犯たちはとっくに名誉回復されており、日本には存在しない。

 終戦記念日の8月15日に、こんなに大雨が降った記憶が私にはない。雨は人間の力ではどうすることも出来ないが、これは単なる偶然ではなく、この大雨には英霊たちの「日本はどうしてこのようなだらしがない国になってしまったのか」とのメッセージが込められているのではないであろうか。
(2003/08/15)

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終戦記念日の大雨は英霊の嘆きと悲しみの涙
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支那、韓国の圧力に屈しなかった小泉総理の靖国参拝

2003年01月15日 18時12分35秒 | 靖国神社問題
~日本人としての気骨がない野党は参拝を批判できるのか~

 今朝(1月15日)目覚めた直後に2階にある書斎の窓から、富士山方向を眺めると、空は雲一つない快晴であり、おりから日の出直後の太陽の光に照らされて、積もった雪が赤く染まる赤富士を見ることが出来た。思わず「綺麗だな」と声を出してしまい、こんな美しい国に日本人として生まれて本当に良かったと新たに認識するとともに、祖国日本が、これからも安全で平和が続くように思わず富士山に向かい手を合わせてしまった。  

 さて、昨日(1月14日)に小泉総理が就任後、3度目になる東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝に先立ち「お正月ですし。新たな気持ちで行く。平和のありがたさをかみしめて、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝したいと思います」と官邸で記者団に述べ、支那や韓国の反発については「これまでも(両国には)説明しています。日中、日韓の友好に変わりはない。今後とも変わりはないということを理解してもらいたい」と語ったという。小泉総理が、支那、韓国からの抗議があることを承知しながら、それに屈せず、わが国の主権を守り、国の代表として靖国神社に参拝したことを全面的に支持する。

 先の大戦において戦没されたあまたの英霊に感謝し、御霊をお慰めすることは日本国民として当たり前であり、わが国が今日、平和を享受しているのは、勇敢に戦い戦死した多くの将兵や多くの国民の犠牲者があるからこそであり、それを普通の日本国民は片時も忘れてはいけない。それを国の代表者が参拝してその御霊をお慰めすることは、義務であると言って良いであろう。

 北朝鮮情勢が緊迫する中、わが国は平和的な解決を望む気持ちを、小泉総理は靖国神社に参拝することで示したのではないであろうか。このことは、まことに畏れ多いことだが、明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を先の大戦の前、昭和天皇は御前会議で2回歌われ、平和を希望される気持ちをお示しになったとのことと同じことと思うのである。

 小泉総理の靖国参拝に対して予想された通り、支那政府は「A級戦犯をまつった靖国神社への日本の指導者の参拝に断固反対する。小泉首相の誤った行動は中日関係の政治的基礎を損ない、中国を含むアジアの多くの国の人々の感情を傷つけた。日本政府が表明した歴史問題の態度と約束に背くもので、中国政府と人民は強烈な不満と憤慨を表明する」と述べ、韓国政府も「深い遺憾を表明する。誰もがわだかまりなく参拝できる施設の設置を明言した小泉首相が(靖国神社に)参拝したことに失望を感じる」と抗議しているが、まったくふざけた事だと言わざるを得ない。

 両国とも、このような抗議が内政干渉になるは思わないのであろうか。支那も韓国も、日本に対して様々な問題で謝罪を求め、優越感に浸るのが好きらしいが、日本は日本であり、支那や韓国の属国ではなく主権を持った別の国であることを知っていながら抗議を繰り返すことに、多くの日本人はうんざりしている。

 しかし、わが国には、小泉総理の靖国参拝を評価せず、支那や韓国の抗議に同調する人がいるとは驚きを禁じ得ない。民主党の菅代表は「A級戦犯合祠(ごうし)、政教分離の問題もあり、首相の立場での参拝は反対だ」と強調し「中国や韓国の新体制が決まる前にお参りをして、反発をかわそうという姑息な考えだ」と述べており、共産党の志位委員長は「どういう理由、時期であれ、参拝は侵略戦争を肯定する立場に身を置くものだ」と抗議。社民党の土井党首は「北朝鮮の核開発問題で近隣国が話し合いを進めようとしている時に、なぜ参拝するのか理解できない」と批判した。与党である公明党は「かねてから首相の靖国参拝に憲法の政教分離違反の疑いがあり、北朝鮮問題が緊迫度を加え、中国と韓国と連携を緊密にするのが重要なときに、外交上の影響が出ることを強く懸念している」と強調したという。

 これら各党の反応に一々反論するのも疲れるが、民主党の菅代表が言うA級戦犯というのは国際法を無視して行われた東京裁判で、被告となった当時の指導者に連合国が勝手に付けたランクで、戦後、国会決議によって復権しており、死刑になったとは言え戦没者と同じように靖国神社に合祠されている。

 次に拉致問題で、すっかり信用を失った共産党と社民党の抗議理由については反日日本人の言うことで、理由にもならないので相手にせず無視することにする。公明党が小泉総理の靖国参拝が政教分離違反の疑いあると言うのは笑わせる。公明党が創価学会との政教一致そのものであるのに、小泉総理の靖国参拝を批判する資格はないであろう。

 小泉総理は正しい決断をした。支那や韓国からの抗議や圧力があることを承知しながら、それに屈せず、わが国の主権を守った訳であり、それにひきかえ、公明党や野党の連中には日本人としての気骨がなく、参拝を批判出来る資格はないと言わざるを得ない。また、前にも書いたことがあるが、支那や韓国から靖国神社参拝の件でいつまでも文句を言われないように、政府は天皇皇后両陛下の靖国神社へのご親拝の再開を決断をすべきである。
(2003/01/15)      

この記事は「私の主張」第155号
  支那、韓国の圧力に屈しなかった小泉総理の靖国参拝
~日本人としての気骨がない野党は参拝を批判できるのか~
としてHPに掲載されていたものです。


何度でも言う。新追悼施設は不要だ

2002年12月15日 23時21分58秒 | 靖国神社問題
 このほど、福田官房長官の私的懇談会「追悼・平和記念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」は、新たに国立の無宗教の戦没者を追悼する施設が必要との最終報告書をまとめたが、最終的には政府の責任において判断されるべきとして、政府に新施設を建設するか否かについてゲタを預けた格好になっている。頭の良い人が何人も集まって懇談し出した結論が、これではまことに無責任であると言わざるを得ない。  

 大体、無宗教の追悼施設など実際に出来るか大いに疑問であり、懇談会が「何人もわだかまりなくこの施設の赴いて追悼・平和祈念を行うことが、ごく自然の国民感情として可能になる」としているが、どのような追悼施設を作ろうと、戦没者を追悼することが、過去の戦争を美化し、平和憲法に違反するものだというひねくれ者もいることからして、小泉首相の靖国神社参拝に反対している中国、韓国の要人が、この新施設なら、わだかまりがなく赴くことが出来るとは思えない。  

 国会議員の中には新追悼施設は不要とする建設反対の意見が多く、新施設が実現するかどうか分からないが、もし追悼施設が出来るようなことになった場合、中国、韓国は新追悼施設が出来たのだからと言って靖国神社の廃止を求めてくる可能性がある。日本は主権国家であって、中国、韓国の圧力に屈して、新施設を建設をしようという動きは断じて許してはならない。靖国神社は戦没者追悼の中心的施設であり、これは、絶対に揺るがすことは出来ない。何度でも言う。新追悼施設など不要だ。
(2002/12/15)

この記事は「今日のコラム」
「何度でも言う。新追悼施設は不要だ」
としてHPに掲載されていたものです。


無宗教の追悼施設など誰が行くか

2002年11月19日 21時52分13秒 | 靖国神社問題
 福田官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」がまとめた靖国神社に代わる新たな国の追悼・平和施設に関する理念部分の素案が18日、明らかになった。それによると、国立の無宗教の追悼施設の建設を打ちだしており、私は、かねてから靖国神社という歴史ある立派な追悼施設があるのに、中国、韓国に文句を言われたからと言って、新たに税金で国立の追悼・平和祈念を行うための恒久施設を建設することなど必要ないと主張してきた。

 懇談会の委員のほとんどが、最初から施設の建設ありきの論議をしており、唯一建設に反対していた坂本学習院大学教授は10月に亡くなっており、その理念も紹介されたそうだが、それは無視されて、今回の理念部分の素案となったようである。

 いったい宗教施設とは異なり、無宗教で死没者を追悼する施設など、この世にあるのかと言いたい。そんな雲を掴むような施設に、小泉首相の靖国神社参拝に文句を言っていた中国の江沢民なら参拝するかも知れないが、他には誰も参拝しないであろう。
(2002/11/19)

この記事は「今日のコラム」
「無宗教の追悼施設など誰が行くか」
としてHPに掲載されていたものです。


国立慰霊施設の新設は不要

2002年06月18日 22時49分06秒 | 靖国神社問題
~中国、韓国の干渉に靖国の英霊が泣いている~  

 現在、靖国神社に代わる国立の慰霊施設を新設する必要があるかを検討している福田官房長官の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」において、追悼対象に外国人も含めるかなど色々な論議がされているそうであるが、中国や韓国の内政干渉にも等しい圧力があったからといって、新たに国立の慰霊施設を作る必要がどうしてあるのか、私にはまったく理解できない。

 靖国神社は明治2年に戊辰戦争で倒れた人たちを祀るために創建されたものであるそうで、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった、わが国唯一の、その御霊を慰める施設であり、全国各地の市町村などの鎮守様と言われる神社とは性格を異にしている。

 あの戦争で「靖国で会おう」の合い言葉で、多くの者が散華していったが、靖国神社に来れば、英霊となった夫や息子、兄弟などに会うことが出来ると言って、いまでも、多くの遺族の方々が参拝に見えられる。今年は例年よりも早く桜が開花したが、その桜が満開になった3月21日に私は靖国神社を参拝しているが、境内は多くの人で混雑しており、社頭の掲示板には、祖国を愛しつつ戦歿された英霊の御心に触れていただきたいとのことで御祭神の遺書・書簡等が掲示されており、当日は、わずか24歳で硫黄島で戦死された広島県双三郡三良坂町出身の陸軍中尉吉森美之命の「大望の第一線に征く」との遺書が掲示され、多くの方が、足を止めて見入っていた。

 このように靖国神社が、わが国唯一の過去の戦争により犠牲となられた多くの英霊や戦没者の慰霊施設として、多くに参拝者でにぎわっているにもかかわらず、また別の慰霊の施設を税金をかけて作る意味はないと言って良いであろう。総理が靖国神社を参拝すると、中国と韓国だけが決まって抗議してくるが、いずれも国でも、その国の代表者が定期的に戦没者が埋葬されている墓地や慰霊施設に赴き、その御霊を慰めることは、普通に行われており、また、国の代表者して外国を訪問した場合など、このような慰霊施設に献花することも外交儀礼として行われている。

 ところで、この程、在日米軍横田基地の空軍将校で組織する「将校会」のメンバーが靖国神社を参拝され献花・敬礼・黙祷されたとの報道がなされていたが、本当にありがたいことであり、日本国民の一人として心から謝意を表したい。このような外国武官たちによる靖国神社に眠るわが国の英霊への鎮魂の祈りが行われていることは、靖国神社が宗教施設であるからに他ならず、今論議されている新しい国立の慰霊施設が、宗教的性格を帯びることがない、石碑等になれば、とても慰霊の施設とは言えず、単なる橋や道路の建設記念碑のような存在に等しい。

 このように、わが国を代表する戦没者の慰霊施設は靖国神社以外に考えられないのに、「中国や韓国から抗議をされたから新たな施設をつくろう」と言う発想をする人は、国家主権を守る気概もなく、日本人の英霊、戦没者を冒涜し、国民感情より、外交に配慮して、また、その遺族の心の安らぎの場とも言える130 年余の歴史を有する靖国神社を無視することであり、絶対に許すことが出来ない暴挙である。中国や韓国の内政干渉に屈して新たな慰霊施設を作ろうとする動きに、靖国の英霊は泣いていることであろう。
(2002/06/18)   

この記事は「私の主張」第121号
「国立慰霊施設の新設は不要」
~中国、韓国の干渉に靖国の英霊が泣いている~
としてHPに掲載されていたものです。