言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「考へる」とは、他人の言葉で考へること。

2016年11月04日 10時28分09秒 | 日記

 芦田宏直先生のブログを読んでゐて、標題の言葉に出会つた。今、原文を引くと、少々違つてゐるが、次のやうである。

「〈考える〉とは、他者の言語で考えることだ。自分の言葉で考えないことの訓練が学校教育。」

 この短い文から、いろいろなことが言へさうである。

 アクティブラーニングの成否を分けるのは、この「自分の言葉で考えない」で「考える」といふことができるかどうかである。自分の言葉で考へるだけでは、それはアクティブでもなんでもなく、ただの自動思考、いつも通りの作業である。分かることが拡大するのでも、わからないことが明らかになるでもない。抑制しつつ自由に考へさせるには、先生の力が大きい。

 そこで更に芦田先生は、「アクティブラーニングではなくて、パッシブラーニングが重要。」といふことを書いてゐる。「パッシブラーニング」とは初めて聞いたが、これは宿題として「考へ」てみたい。

コメント
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