言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉は7%。

2016年11月18日 09時23分30秒 | 日記

 今、ファシリテーターの第一人者である堀公俊氏の本を集中的に読んでゐる。ビジネス本といふのは、あまり趣味ではないので、本屋に行つても素通りすることが多いが、教育関係の本の関連でこの著者に出会ひ、今読んでゐる。

 福祉を「関係への配慮」と考へてゐる者としては、かういふ本はもう少し丁寧に読んでみるべきだなと思つた。

 「人間のコミュニケーションのうち、言葉が占める割合はたった七%だと言われています。残りがなにかといえば、三八%が声の調子や抑揚などの音声によるもので、五五%は表情や態度などのいわゆるボディランゲージなのです。」

 数字はともかく、言葉が占める割合の小ささは、日常的に実感してゐることと違和感はない。私たちは、論理的に考へてゐるやうで、気分の走る方向に言葉を当てはめてゐる場合の方が多いのではないか。だから、気分の影響を受けやすい声の調子や抑揚、表情や態度に表れてしまふのであらう。

 だから、言葉が大事ではないのではなく、むしろ逆で、言葉を大事にすることで、それらを制御できるやうにならなければならないといふことなのである。

 あるいは、メールなどのやり取りでは不十分で対面で話すことは重要だといふことになる。

 

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