言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『高坂正堯と戦後日本』を読む。

2016年11月02日 08時43分39秒 | 日記

 

 近年、高坂正堯についての記述が眼につくやうになつた。1996年5月に亡くなつたので、没後20年といふ節目の年だからといふことが直接的な契機であらう。本書でもそのことは記されてゐる。

  しかし、当然ながらそれだけではない。国力が停滞する時期になつて、日本の世界的位置を探らうといふ動機は、深層であれ表層であれ私たちの意識の中にある。アメリカの大統領選挙がこれほどまでに取り上げられるのも、韓国や中国の記事が相当な量で語られるのも、あるいはフィリピンやミャンマーの首脳が来日することも、私たちの位置取りが少なくとも東アジアにおいては「過渡期」に入つてゐることを象徴してしてゐるやうに感じられるからである。

 高坂の言論が活発になされ始めた時代は、三島由紀夫の晩年と一致する。異質な文明国日本はその文化的伝統に回帰すべきとする三島に対して、高坂は「あくまで近代的理性に依りつつ日本のユニークさを普遍へと結びつけることを期待していた」と言ふ。それが高坂の「海洋国家論」であつた。しかし、それには世界史の中で舵取りを担へるほど、日本がその役割を自覚し、現実的に活躍しなければならないのであるが、日本は視野狭窄に陥り、三島が恐れた「極東の空虚な経済大国」になつてしまふ。「極西」の先進国として日本を再定義しようとした高坂の理想は、三島が危惧した現実に破れたのである。その「いらだち」が晩年の高坂には明確であつた。

 かうした三島の議論とクロスさせ高坂の言論を整理していく、中西寛の「権力政治のアンチノミー」が本書の白眉である。アンチノミーとは「二律背反」といふことである。高坂の言論もアンチノミーを抱へざるを得なかつたといふことであらう。

 極めて優れた論考が並べられてゐる。福田恒存から見た、やや否定的な高坂正堯像しか持つてゐなかつた私にとつても、とても有益な視点が与へられた。

 国際政治学といふものが誕生し始めた頃に、かういふ碩学がゐた京都大学は、やはり卓越した学問の府である。

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