ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

偶然発見!…上山沢第1砂防堰堤(ダム?)

2023-06-24 06:58:21 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県木曽郡南木曽町読書(きそぐん なぎそまち よみかき)にある木曽川水系の与川(よかわ)砂防ダムを目指します。アクセスは国道19号沿いにある「与川入口」という表示の書かれたT字路を入り、与川に沿った道を進んで行きます。そして与川道らんかん橋あたりから今度は上山沢(かみやまさわ)沿いに進んで行くと到着するようです。

ところが、もう少しで目的地というところで思わぬ「収穫」が…。道沿いにはこんな案内板があったのです。


「上山沢第1砂防堰堤」? いやいや、こんなの、地図に出てないよ。

改めて案内板を読むと、この砂防堰堤は2012年に改良工事が行なわれて、元々堰堤中央に隙間(スリット)が空いているところに鋼製のシャッターが設置されたそうな。それにより出水期にはシャッター(横桟)を付けて下流域への土砂の流出を防ぎ、非出水期には横桟を撤去して無害土砂を下流へ供給するものらしい。(参考

案内板の横には「上山沢第一砂防ダム」と刻まれた石碑があり、

その裏側には平成10年(1998年)3月建立と記されています。これは石碑の建立時期であるとともに上のリンク先の記述を読むと当該堰堤が同年に築造されたことがわかります。ただ、残念なのは諸元が記されていないので「堰堤」なのか「ダム」なのか判断がつきかねる点です。というのも、案内板では堰堤と表示されているのに対し、石碑ではダムと書かれているから。これが困惑する原因なんですよね。紛らわしいっちうねん!

で、肝心の築造物なんですが、横から見るとフェンスがあって近づくことができません。

また、左岸、下流側から眺めようにもご覧の通り木に隠れてほとんど見えず。「ご尊顔」は上の案内板の写真を見るしかありません。

最後にここの場所を示した地図を載せておきます。写真中央のカーソルのところが当該箇所で、やや右のところが当初目指していた与川砂防ダムになります。


次回はいよいよ「本丸」へ突撃します。
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大平街道沿いの谷止工のひとつ

2023-06-23 07:00:50 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや〜、長野県飯田市の大平街道から南木曽方面へ向かっていた時、ふと目に止まってしまいました。

これなんですがね。小さいから谷止工(たにどめこう)かな?

場所は長野県飯田市上飯田(かみいいだ)で、中井戸澤(なかいどさわ)というらしい。

見つけてしまった手前、スルーするのも忍びないので早速近づいてみます。形状は砂防堰堤ですが、

本体に貼られたプレートを見ると…ああ、やっぱり谷止工でした。昭和63年度に築造されたもので、高さ4.5m、長さ28.5m。

そこから大平街道を見ると、こんな感じ。


前にも書きましたが、谷止工なんてものはそれこそ無限にあるんです。それをいちいち調べていたらキリがありません。おそらく一生かかっても終わらないと思います。世の中にダムマニアはいても「谷止工マニア」がいないのはそういう理由かもしれません。

とはいえ、谷止工はたとえ小さくても土砂の移動を防ぎ、斜面の安定を図る立派な役割を果たすもの。いわば治山事業においては欠かせない隠れた功労者でもあります。無数の谷止工があるからこそ山の斜面は荒廃せずに保たれてもいるわけです。だから決して谷止工をないがしろにしているわけではありません。ただ、見きれないので敢えてスルーしているんです。今回はたまたま見ちゃったというだけの話。
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市(の)瀬(砂防)ダムを探す!

2023-06-22 06:53:06 | 長野(ダム/堰堤)
あー、今月の特集原稿を書かなくちゃいけない…。面倒だなぁ(ボソ)

どーも、ワシです。さて、今回は長野県飯田市上飯田(いいだし かみいいだ)に天竜川水系の市の瀬砂防ダムというのがあるようなので探しに出かけます。このサイトによれば市の瀬砂防ダムは長野県の砂防ダムでは5番目の高さを誇るもので、31.5mあるらしい。おー、デカそうだね。楽しみ、楽しみ。

目的地は松川沿いにあるというので地図で探すも見当たりません。松川には以前訪れた松川ダムがありますが、今回の目的地は砂防ダムなので、おそらくそれよりも上流にあるのではないかと推測します。というのも砂防ダムの多くは通常のダムよりも山奥にあることを経験的に知っているからです。

とはいえ、ここからが大変でした。松川ダムの上流といっても広く、おまけに砂防ダム名に「市の瀬」とあるので地名かなと思うも、それに該当するものが見当たりません。さて、どーする?

幸いなことに国土地理院の地図には堰堤を示す「==」のようなマークが表示されています。これを頼りに探すしかありません。

そんなわけで、松川ダムから、これまた以前訪れた西俣川堰堤までの間を探すことに…。

松川ダムの近くを通る大平街道から西俣川堰堤方面へ行き、少し行ったところにS字カーブがあります。そこには黒色の石碑と仏像のようなものが…。うーん、なんか気になりますね。

近づいてみると、石碑には「恒久治水」と刻まれていて、

その裏側には「市瀬ダム概要」が記されていました。あれれ、上のサイトでは「市の瀬」と記載されているのですがこれは間違いなのでしょうか。それとも市の瀬砂防ダムは別のところにあるのか?

石碑の諸元を見るとダムの高さは31.5mで、長さは88.5mとあり、これは上のサイトのデータと同一。また、竣工は石碑では昭和47年(1972年)10月と書かれていて、これもサイトのデータと一致します。

そんなわけで、どうやらここが当初の目的地であることがわかりました。いやいや、良かった。石碑の隣におられる水神様?も「見つかってよかったのぉ」と言っているかのよう(笑)

しかし、肝心のダムはどこに?ふと近くを見るとダムへの降り口のようなものが…。

階段を降りて行くと、そこはダム上でした。

中央まで進んでくると確かに砂防ダムの形状であることを確認。

ダム上、中央から西俣川の上流方向を眺めます。この上流に西俣川堰堤があるんですね。

落水部を見下ろし、

下流側を眺めます。

そして、右岸を見るとこんな感じ。


ご覧のように、周囲は木だらけ。正面からの「ご尊顔」ももちろん拝むことはできませんでした。でも位置が確認できただけで満足。そしてこんな場所によう作ったなというのが正直な感想。

ちなみに当該ダムが築造されたのは昭和36年(1961年)6月に発生した大水害(三六災害)により飯田松川流域のいたるところで山腹崩壊が起こり、多量の土砂が流れたため、人々の土砂流災害の恐怖を緩和する目的で築造されたようです(参考)。
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行く手を塞ぐ土砂!

2023-06-21 06:54:18 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回は国道152号から遠山川沿いに遡って行き、2つの砂防ダムを見ようと思います。2つのダムのひとつは長野県飯田市上村(かみむら)にある北又砂防ダム。もうひとつは長野県飯田市南信濃木沢(みなみしなのきざわ)にある本谷砂防ダムです。どちらも高さは30.0mで、これは長野県の砂防ダムでも第7位にランク付けされる巨大なもののようです(参考)。ちなみに以前訪れた下伊那郡平谷村にあるうつぼ砂防ダム(1992年築造)や松本市にある牛伏寺砂防ダム(1970年築造)、そして大町市にある長畑砂防ダム(2002年築造)もやはり30.0mなのでこれから訪れる2つのダムもおそらくこんな感じなのかなあと期待に胸が膨らみます。

で、北又砂防ダムまであと5kmくらいのところまで来た時、思わぬ事態に遭遇!


いやいや、思いっきり土砂崩れしてますやん。土砂が完全に道を塞いでいます。

土砂崩れの斜面を見上げます。うーん、なかなかの規模の土砂崩れです。


いうまでもなく万事休す。北又砂防ダムの先にある本谷砂防ダムももちろん諦めざるを得ません。土砂崩れの光景があまりに衝撃的すぎて遠山川沿いを走る林道のことを忘れていました。もしかするとこの林道からなら行けたのかもしれません。ただ、林道ですからね。クルマで行けない可能性もあるわけで…。

今回痛感したのはダムのある場所を舐めてはいけないということ。特に砂防ダム(堰堤)が築造された場所というのはかつて災害が発生した場所でもあり、災害を防止するためにダム(堰堤)が築造されたわけです。だから見学するのならそうしたリスクに遭遇することも想定した上で行く必要があるということですね。たまたま今回は巻き込まれなかったからラッキーだっただけで…。

2つの砂防ダムを見ることができなかったのは残念ですが、また機会を見つけて訪れてみようと思います。
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二丁砂防ダム(堰堤)を探す

2023-06-20 06:59:21 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県下伊那郡豊丘村河野(しもいなぐん とよおかむら かわの)に天竜川水系の二丁砂防ダムというのがあるらしいので行ってみることにしました。アクセスは県道18号から豊丘村と松川町の境を流れる間沢川(まざわがわ)を遡る道を進んで行くとあるようです。

このダムの存在を知ったのはこのサイトに出ていたからです。でも、二丁砂防ダムは地図には載っていません。なのでどうやって探すのかを思案します。そのサイトからダムが間沢川に築造されたことがわかったので、そのどこかにダムはあるはず。しかし間沢川をくまなく探すのは効率が悪い。そこで手がかりとなるのはダム名。「二丁」ってなんだろう。調べてみるとそれは間沢川の右岸側の地名であることがわかりました。ならば二丁付近でダムを探せば良い。

てなわけで、二丁付近でダムを探すと…ありました、ありました。おそらくこれがそうです。木が邪魔で見えにくいですが。

ダム横から見るとこんな感じ。やっぱり木で遮られています。

上のリンク先のデータによれば、この築造物は昭和27年に着工し、翌年(1953年)に完成した高さ10.0mのアーチ式のダムだそうです。でも、高さが15.0m未満なので分類上は砂防堰堤ですね。

まあ、それでもアーチ式であることを確認するため川に下りて近づいてみました。うん、確かにアーチ状になってます。

下流側はこんな感じ。

そして間沢川の上流方向の様子。


ちょっとした冒険気分。そして目標物を見つけた喜び。うん、サイコー!
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藤倉一沢砂防ダム(堰堤)

2023-06-19 06:56:52 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県山県市藤倉(やまがたし ふじくら)に藤倉一沢砂防堰堤というのを見つけたので行ってみることにしました。アクセスは県道91号沿いにあるALESS部品販売前のT字路を入り、緩やかな右カーブに差し掛かる所のT字路を入っていくと到着するようです。

右手にある伊自良苑(いじらえん)というグループホームを過ぎたところで急坂となり、クルマで行けないことはなさそうですが念のためそこからは歩いて目的地へ向かいます。

150mほど登るとお目当ての堰堤が見えてきました。よく見ると堰堤の中央に透過型の設備があるのがわかります。

堰堤の横に来ました。そこには表示板があります。

これが、いわゆるダム上ですが、フェンスがあるのでその先には行けません。

ふと足元を見ると堰堤本体にプレートが嵌め込まれています。2013年3月に完成したもので、そこには「藤倉一沢砂防ダム」と表示されていますが、高さは8.5mしかないのでダムの定義からすると表示板の通り砂防堰堤が正しいことになります。

堰堤横から見た下流側の遠景。


なんとものどかな場所でした。気になるのは下流にグループホームがあること。万一堰堤が決壊したら直撃間違いなしなのに…。余計な心配かな?
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歴史的ため池!…入鹿池

2023-06-18 06:55:19 | 愛知(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は愛知県犬山市堤下(つつみした)にある木曽川水系の入鹿池(いるかいけ)を目指します。アクセスは北尾張中央道とも呼ばれる国道155号バイパスから犬山/明治村方面へ向かう県道453号へ入り、道なりに進んでいくと到着します。

いきなりですが、いわゆるダム上の中央から見た左岸側の景色をご覧ください。あとで触れますが、このダム上の長さは724.1mもあるんです。ちなみに高さは25.7mだそうで。

右岸側の様子。写真中央に見えるのが取水塔で、左側には洪水吐(余水吐)があります。また湖面にはボートが多数浮かんでいますが、ここは釣り場でもあるようです。

洪水吐の下流側から見た様子。増水すると水はこの水路を通って流れてゆきます。

釣り客で賑わうなか、入鹿池を眺めます。

ダム上、中央付近にある案内板。上に示した諸元の数値はこれによるものです。また入鹿池は2010年3月にため池百選に選定されたそうな。

2016年11月16日には当時の天皇皇后両陛下が当地へ行幸された記念碑があり、

その奥に見えるのは農業用水を取り入れるための取水塔のスルースバルブと取水管。これは1961年4月に旧取水塔に設置されたもので、2001年3月まで使用されていたものという。

「入鹿池水積招福」と刻まれた石碑。

その裏側には沿革が記されています。その内容を以下に転記します。

「     沿   革
 愛岐の丘陵地帯三千四百四十ヘクタールの水を、五条、成沢、郷の三川に集め、千五百二十万立方メートルの水を湛える入鹿池は、周囲約十六キロメートル、満水面積百六十六ヘクタールの日本屈指の農業用溜池である。この池が築造されたのは今から凡そ三百五十年前で、当時、この地方は、尾張藩祖徳川義直公の重農政策により、新田開発が盛んであったが、農民達は水不足に悩んでいた。このような状況の中、寛永五年に、小牧村の江崎善左衛門を始めとする六人衆の、熱心な溜池築造論議が始まり、犬山城主成瀬正成を通しての請願が叶い、入鹿村の盆地に水が湛えられたのは、寛永十年二月の事であった。
 築造から二百三十六年、明治元年五月十三日払暁の入鹿池切れは、一瞬にして千余人の尊い人命と、二百数十ヘクタールの美田を奪い、後世に残る一大参事となった。決壊した河内堤は、直ちに復旧に着手され、昼夜を分たぬ人海戦術により再築された。その後、明治十五年には余水吐が設けられ、明治三十九年に、旧取水塔、そして昭和十九年には、貯水量の増大を図ると共に、中堤中央部にも余水吐が設けられた。昭和三十三年からは、愛知用水事業の一環として、新取水塔の建設及び主要幹線水路の改修が始められ、昭和三十六年五月に完了した。処が、その翌月、この地方は、集中豪雨により大被害を受けた。なかでも、入鹿池の提塘に生じた亀裂及び漏水は、当時、大きな問題となり、築造以来の大改修工事が行なわれる事となった。この工事は、老朽溜池等整備事業として行なわれ、提塘の補強、余水吐の統合及び排水能力の増大等が図られた。これには、昭和三十七年から十年の歳月を要した。この頃から、下流河川の安全性や、池の有効活用が課題とされ、これに対処する為、昭和五十三年から防災ダム事業、昭和六十年からは、愛知用水二期事業により、幹線及び支線水路の管路化が始められた。
 入鹿池は、今や、この地域の農業用溜池としての他、多目的ダムとして、更には観光資源としても、重要な役割を果すに至っている。吾々は、この恵まれた自然と、先人達の築いた偉大な財産を守り、更により多くの恵みを受け、この地域が増々(ママ)繁栄することを念願し、ここに記念の碑を建立するものである。
      昭和六十三年四月吉日」

上記の記述と他の案内板のデータを年表風にまとめると次のようになります。
寛永十年(1633年)12月:入鹿池完成
明治元年(1868年)5月13日:入鹿池決壊
明治十二年(1879年):復旧工事完了(案内板の記述による)
明治十五年(1882年):余水吐設置
明治三十九年(1906年):旧取水塔完成
昭和十九年(1944年):中堤中央部にも余水吐設置
昭和三十六年(1961年)5月:新取水塔及び主要幹線水路改修終了
昭和三十六年(1961年)6月:集中豪雨により提塘の亀裂及び漏水発生
→ 老朽溜池等整備事業の開始
昭和五十三年(1978年):防災ダム事業開始
昭和六十年(1985年):愛知用水二期事業開始 →幹線及び支線水路の管路化
平成十三年(2001年)3月:現在の取水塔完成(スルースバルブの案内板の記述による)

現在入鹿池を管理しているのは入鹿用水土地改良区で、1952年に設立されたものだそうです。その事務所はなんと入鹿池の下、つまりダム下にあり、なんともモダンなデザイン。



いやいや、なかなかの歴史がありますね。ちなみに池の名称はここがかつて入鹿村だったことに由来するそうな。
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現場表記を尊重…桜ため池

2023-06-17 06:57:23 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回はダム便覧で見た鳥取県倉吉市桜にある天神川水系の桜溜池を目指します。アクセスは県道34号から法万(ほうまん)方面へ向かう東伯中央広域農道に入ります。そして最初のT字路を入り、道なりに進んで行くと目的地に到着します。

…というわけで右岸に到着しました。これがいわゆるダム上になります。行ってみましょう。

上の写真のガードレールのある橋のところが洪水吐の水路で、橋から覗くと越流式の洪水吐が見えます。そして増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

ダム上、中央から見た桜溜池の様子。

一方、下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、下流側から見た様子。

同、溜池側から見るとこんな感じ。

この看板によれば、正しくは「桜ため池」のようです。


周囲に案内板がないので鳥取県による県内防災重点ため池一覧表で調べてみました。それによると桜ため池の高さは32.1mで、ダム上の長さは124mだそうです。溜池の名称はここの地名に由来するもの。国土地理院の地図ではちゃんと「桜ため池」と表示されています。グーグル先生の地図やダム便覧の表記は「桜溜池」。またダム便覧には高さ36.6m、長さ115mと記載されていてリンク先の一覧表と数値が異なっています(参考)。さらに同便覧では竣工は1973年と記されていますが、典拠が明示されていないのでそのデータを鵜呑みにするのは危険かもしれません。
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三兄弟の長兄…西高尾ダム

2023-06-16 06:59:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県東伯郡北栄町西高尾にある由良川水系の西高尾ダムを目指します。アクセスは説明が難しいので記事の最後に地図の写真を載せておくので参考にしてください。

地図の通りに来るとダムの右岸に到着します。こんなダムです。

右岸側には西高尾ダム完成記念と刻まれた石碑があります。平成五年(1993年)三月とあるのでそのころに築造されたのでしょう。

これが右岸から見たダム上。橋の下は洪水吐からの水路になっています。

右岸側の洪水吐は越流式で、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。

その洪水吐を渡る橋を過ぎると正真正銘のダム上になります。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た貯水側の景色です。なかなかの眺めですね。

一方、下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

いわゆる親柱のところには「にしたかおダム」「西高尾ダム」と表示されたプレートが嵌め込まれています。


左岸、下流側から見たダムの様子。下に示すリンク先によれば高さは46.2mで、ダム上の長さは237mだそうです。

西高尾ダムの管理事務所は左岸にあります。


その近くからダムを見るとこんな感じ。

国営東伯農業水利事業計画概要。ここに記されているのは昨日記事にした小田股ダムと同じなので詳細はそちらをご覧ください。

近くには「西高尾ダム」と刻まれた石碑。

水利使用標識。小田股ダムと同様に灌漑を目的としたダムであるのがわかりますね。

左岸、上流側から見たダムの様子です。

ついでに右岸の上流側にある周辺マップもどうぞ!


国営東伯農業水利事業による3つのダムの築造年をまとめると、次のようになります。
西高尾ダム…1993年3月
船上山ダム…2003年から2004年の間
小田股ダム…2007年3月
なるほど、西高尾ダムは三人衆の長兄なんですね!(笑)

西高尾ダム周辺の地図。
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三人衆のひとり!…小田股ダム

2023-06-15 07:00:23 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県東伯郡琴浦町福永(とうはくぐん ことうらちょう ふくなが)にある洗川(あらいがわ)水系の小田股(こだまた)ダムを目指します。アクセスは国道9号の琴浦東インターチェンジを降りて県道44号を南下。そして県道204号を福永方面へ。道なりに進んで、赤松倉坂トンネルを抜けて道なりに登って行き、最初のT字路を入って行くと目的地の左岸に到着します。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を仰ぎます。なかなか立派なダムです。写真右に見えるのが洪水吐からの水路。

左岸にやってきました。ここは広いスペースがあり、まず目を引くのが「小田股ダム」と刻まれた石碑。平成19年(2007年)3月完成だそうです。

近くには水利使用標識があります。倉坂川を堰き止めて築造した灌漑用のダム。

「国営東伯農業水利事業計画概要」の案内板。東伯郡琴浦町と北栄町は鳥取県の中心部の農業地域で、昔から畑作物中心に農業が行なわれていました。その水源は勝田川(かったがわ)と加勢蛇川(かせちがわ/かせいちがわ)に依存していたため、絶えず旱魃の脅威にさらされていたそうな。そこで、こうした不安に対応すべく立ち上げられたのが国営東伯農業水利事業計画でした。同計画ではこの地域を流れる3つの川それぞれにダム、すなわち勝田川に船上山ダム、西高尾川に西高尾ダム、そして倉坂川に小田股ダムを築造することで農地への用水の安定供給を図り、生産の向上を目指しています。特筆すべきはそれぞれのダムで用水不足が生じても各ダムで用水を補給し合うシステムが構築されていること。それにより地域全体の用水の安定供給に繋がるのだそうです(参考)。ふむふむ、なるほど。



これが左岸から見たダム上。歩いてみましょう。

左岸側にある洪水吐。越流式ですね。増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って下流へ向かいます。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。おー、ビューリホー。

一方、下流側の遠景。リンク先の諸元によれば高さは50.0mなので、まるで空撮しているかのように見えます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、貯水側から見たダムの様子。

同、下流側から見るとこんな感じです。


いや〜、なかなかスケールがデカいなあ。あ、そういえば、左岸側上流に管理事務所があったようですが、うっかり行くのを忘れました。次に鳥取に行った際に訪れてみようと思います。ところでダム名の由来はなんだろうなあ。地名かな?
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歴史に負けぬスケール!…船上山ダム

2023-06-14 06:57:35 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて今回は鳥取県東伯郡琴浦町山川(とうはくぐん ことうらちょう やまがわ)にある勝田川(かったがわ)水系の船上山ダムを目指します。アクセスは国道9号から大山/香取へ向かう県道30号に入り、しばらく進むと船上山と書かれた表示板のある交差点があるので左折。そのまま県道289号を進みます。やがて県道34号に合流するのでそのまま直進。船上山トンネルの先が目的地です。

なかなか規模の大きいダムですね。

順を追って見ていきます。上のアクセス通り来ると右岸に到着するのですが、そこに見える茶色の建物が船上山ダム管理事務所です。


その付近からダムを見るとこんな感じ。

右岸、貯水側には「船上山ダム」と刻まれた石碑があります。

これがダム上。行ってみましょう。

越流式の洪水吐は右岸側にあって、

溢れた水はこの水路を通ってあちらへ流れてゆきます。

「船上山ダム」「せんじょうさんダム」のプレート。ちなみにダム便覧では「せんじょうざん」とありますが、これは誤表記(参考)。現場を確認していない証拠です。


水利使用標識。灌漑を目的としたダムなんですね。

ダム上、中央へ向かう途中には小さな案内板と定礎の石碑があります。

その左にあるのは諸元表。「位置」項目の住所を見ると「鳥取県東伯郡赤碕町大字山川」と記載されていますが、赤碕町は1900年3月27日から2004年9月1日まで存在した町名で、同日に東伯町と合併して琴浦町が発足したため消滅。そのため現在は上に記した住所となります。高さ43.9m、ダム上の長さ232.1mのロックフィルダムだそうです。

定礎の石碑には平成12年(2000年)11月と刻まれています。じゃあ竣工はいつだろう。築造を担当した三井住友建設のサイト(参考)を見ると1997年6月と記載されていますが、これは明らかに間違い。なぜなら竣工後に定礎というのはありえないからです。またダム便覧には2003年竣工と記載されているものの、典拠が明示されていないので鵜呑みにはできません。竣工時期について上の諸元表の記載から推測するならばそこには旧住所が記載されているので竣工したのはおそらく2004年9月以前と考えられます。

ダム名でもある船上山の説明書き。船上山(せんじょうさん)は当該ダムの西に位置し、標高は687mの山(説明書きでは616m)で、大山(だいせん:標高1,729m)、三徳山(みとくさん:標高899.6m)とともに伯耆三嶺と呼ばれ、古来より山岳仏教の聖地のひとつとして修験者の霊場として知られているそうな(参考)。ちなみに船上山の由来は屏風岩と呼ばれる断崖の様態が船底に見えることからその上にある山という意味で命名されたらしい(参考)。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。いや〜、絶景、絶景!

一方、下流側を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、貯水側から見たダムの様子。


鎌倉時代、隠岐島に流された後醍醐天皇が1333年に伯耆の豪族、名和長年に迎えられて幕府討伐のために挙兵した舞台として知られる船上山。討伐を目論むスケールの大きさはその麓に築造されたダムにも反映されているかのよう…ぬぁんてね。
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たぶん堰堤だろうな…寺谷池

2023-06-13 06:59:44 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡大山町東坪(さいはくぐん だいせんちょう ひがしつぼ)にある真子川(しんじがわ)水系の寺谷池を目指します。これはダム便覧に記載されているもので、池の名称は寺谷川を堰き止めて築造したことによるものと思われます。アクセスは広域農道沿いの「フットボールセンター大山」の看板のついたカーブミラーのある交差点を西方向(花街道)へ。そして最初のT字路を入ります。しばらく行くと斜め左に入る細い道があるのでそこを入っていくと目的地に到着します。

そんなわけで、なんとか左岸に到着しました。なかなかの山奥です。

これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。

写真では分かりにくいですが、左岸側に洪水吐があります。

ダム上、中央から見た寺谷池の景色。

一方、下流側はこんな感じ。木しかありません。

右岸の下流側の斜面が崩落しています。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側から見た様子。


現場には案内板はありません。そこでネットで詳細を調べてみました。ダム便覧を見ると寺谷池(てらたにいけ)の高さは15.0mで、長さは95.0mと書かれています(参考)。だからダム便覧に記載されているのかもしれません。ところが、鳥取県の農業用ため池データベースによれば、まず名称は「てらたにいけ」ではなく「てらだにいけ」となっていて、高さは13.9mで長さは95.0mと記載されています(参考)。もし後者のデータを信用するなら寺谷池はダムではなく堰堤なので便覧のラインナップに入れるのはおかしいことになります。なぜならダムと定義されるには高さが15.0m以上なければならないからです。高さが1.1m足りないのですから堰堤となるわけですね。

それにしても、ここまでくると気軽にドライヴというのではなく、もう冒険のレヴェルだなあ。自らを笑います。
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偶然目にした門野池(堰堤)

2023-06-12 06:57:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は偶然見つけた水関連施設を紹介します。鳥取県西伯郡大山町赤松(さいはくぐん だいせんちょう あかまつ)を通る県道36号を走っていた時のこと。何気なく風景を見ていたらこんなものが目に飛び込んできました。

いや、なに?あれは…。

吸い寄せられるように近づいていきます。うん、洪水吐のようですね。

洪水吐の下流には副ダムがあります。

右岸の、いわゆるダム横に来ました。これがダム上のようです。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、下流側はこんな感じ。向こうに見えている道路は県道36号。

洪水吐の上には橋が架かっていて、それを渡ると対岸(左岸)になります。そこから貯水側を見るとこんな感じ。

それにしても、この施設はなんという名称なんでしょうね。地図を見ても何の表示もないし。

ところがその謎を解く鍵がありました。洪水吐に架かる橋です。ふとその親柱を見ると「門野橋」と刻まれています。しかも昭和32年(1957年)3月竣工の文字も。


これと住所をヒントに鳥取県の農業用ため池データベースで確認してみます。すると条件に合致するのは門野池(かどのいけ)のみ。おおっ、これに違いない!さらにデータを見ると、門野池の高さは9.8mで、ダム上の長さは110mであることが判明。(参考

うーん、高さからするとこれはダムではなく堰堤に定義されるもの。遠くから見たら「おおっ、これはダムでは?」と思うほど立派な洪水吐だったので堰堤とわかった時、ちょっとガッカリ。でも偶然目にしたのでそのワクワク感は半端なかったです。
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鳥居の先に…金屋谷2号砂防堰堤

2023-06-11 06:58:26 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡伯耆町金屋谷(さいはくぐん ほうきちょう かなやだに)にある日野川水系の金屋谷2号砂防堰堤を目指します。アクセスは県道52号から清山川(せいやまがわ)の南側を並行して走る道を上流方向に入り、しばらくして左側に鳥居が見えるT字路を入っていくと目的地に到着します。

正直、鳥居の先に堰堤なんてあるんだろうか…と思っていたら、ど〜ん、こんな立派な砂防堰堤が!堰堤中央が開いている透過型構造のようです。

訪れた日には、たまたま水が凄い勢いで流れていました。

堰堤下から見上げると…。

堰堤本体に嵌め込まれたプレート。平成4年(1992年)11月完成で、高さが14.5m、長さが80.0mと読めます。

堰堤中央の開いたところから流れ出る水。めちゃくちゃ澄んでます。

堰堤下から下流方向を見るとこんな感じ。


堰堤の上に登る方法が見つからず、上流側を見ることは断念しました。それにしても「2号」とあるので「1号」はあるんだろうか…と地図を見ると、県道52号の下流側に「金屋谷砂防堰堤」というのがあるので、おそらくそれが「1号」に相当するんじゃないかと思われます。で、行ってみようと思ったのですが、そこへ至る道らしきものがないので諦めることにしました。
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よっ!伯耆富士!

2023-06-10 06:57:42 | ドライブ関連
どーも、ワシです。いや〜、鳥取県の大山(だいせん:標高1,729m)ですよ!別名伯耆富士(ほうきふじ)と言われる通り、確かに富士山に似ていますね。大山は知識として知っていましたが、実際に見ると圧倒的な存在感!


ちょっとした感銘を受けました。
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