ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

戦前に完成した新郷(発電所)ダム

2021-09-30 07:10:49 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県喜多方市高郷町塩坪(たかさとまちしおつぼ)にある阿賀野川水系の新郷(しんごう)ダムを訪れます。アクセスは県道16号を進んでいくと当該ダムの右岸になります。

最初に新郷ダムの「ご尊顔」をご覧ください。



県道沿いにあるこの建物が東北電力第二新郷発電所です。



その入口のところには新郷発電所および第二新郷発電所の看板。新郷発電所の発電開始が1939年7月なので新郷ダムが建設されたのも同時期と思われます。また、第二新郷発電所は1985年9月から発電開始なのでこのクリーム色の建物はその頃に建てられたものなのでしょう。



近くには水利使用標識。発電所が付設されているダムなので当該ダムの正式名は新郷発電所ダムなのかもしれないですね。



右岸からだとダムがほとんど見えないので阿賀川の左岸へ行ってみます。ダムの下流にある塩坪橋から新郷ダムを見るとこんな感じ。訪れた時にはモヤがかかっていました。



塩坪橋を渡り、左岸からダムへアクセスしてみます。でも、この通路は行けるのはここまで。ちなみにこの通路の先にあるのが新郷発電所。



通路の脇には新郷発電所の看板とその水利使用標識。



あっ、やっぱり「新郷発電所ダム」が正式な名称のようですね。





では、ダムの上流側へ行ってみることに。写真中央の草が生えているようなところが網場(あば)になっていて、流木やゴミが通らないようになっています。それらが除かれた水が発電のための取水口へ向かうのです。



大きいゴミが除かれた水は次に写真右に見える縦格子のようなフィルターを通過し、貯砂池に流れ込みます。



そして水はこのゲートを通過して左岸にある新郷発電所へ送られるものと思われます。



それにしても、ダム名の由来はなんでしょうね。この辺りの地名なのかなぁ…。
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戦中に完成…山郷(発電所)ダム

2021-09-29 11:22:02 | 福島(ダム/堰堤)
ホント、月末は原稿の締め切りに追われ疲れます。はぁ〜。

どーも、ワシです。今回は福島県喜多方市高郷町揚津(たかさとまちあがつ)にある阿賀野川水系の山郷(やまさと)ダムを訪れます。アクセスは磐越西線の尾登(おのぼり)駅に近い県道16号沿いにダムがあるのですぐわかります。

まずは下流から見た全景をご覧ください。



阿賀川の下流はこんな感じ。



ダム横に近づいてきました。



右岸には東北電力の山郷発電所と第二山郷発電所があります。



山郷ダムの真横に来ました。迫力がありますねえ。



そこには水利使用標識があります。そろそろ作り直したらどうでしょうか。



左岸、上流側には山郷(第二山郷)発電所の看板。山郷発電所の発電開始が1943年2月なのでダムの築造もその頃と思われます。



左岸、上流側から見たダムの様子。



よく見るとダムの上部には「山郷ダム」の文字が…。



阿賀川の上流はこんな感じ。



左岸の上流側には「殉教者之碑」が建っています。ダム建設にあたり12名が亡くなられたようです。合掌。





左岸の県道16号沿いにはちゃんとした駐車スペースはありません。もし行かれる際には「殉教者之碑」近くの空きスペースに停めてくださいね。
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統括地点か?…上野尻(発電所)ダム

2021-09-28 06:53:46 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県耶麻郡西会津町上野尻(やまぐんにしあいづまちかみのじり)にある阿賀野川水系の上野尻ダムを訪れます。アクセスは国道49号から磐越西線の上野尻駅方面へ行き、阿賀川へ向かうと到着します。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。



ダムの上をよく見ると「上野尻ダム」の看板があります。



左岸側には水利使用標識。以前、どこかで書きましたが阿賀川は新潟県に入ると名称が「阿賀野川」に変わります。ここは福島県なので阿賀川というだけのこと。結果的には同じ川なんですね。



左岸、上流側からダムを見るとこんな感じ。



左岸、ダム横にある表示板。ここも前回の豊実発電所ダムと同様、東北電力の上野尻(もしくは第二上野尻)発電所のためのダムなので正式名称は「上野尻発電所ダム」なのかもしれません。古いほうの上野尻発電所の発電開始が1958年8月なのでこのダムが建設されたのもこのころと思われます。



これがダム上です。車両通行可なのでそのまま進んでみます。



その橋の親柱には「阿賀川」「柴崎橋」のプレートが嵌め込まれています。





柴崎橋の中央から見た上流の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。



右岸寄りに上野尻発電所があります。





この建物の入口のところに「阿賀野川ダム管理所」のプレートが…。ん? どういうこと?



右岸へ来ました。上流側を見ると網場(あば)があり、ここで大きなゴミを遮断した後、



網場を通過した水はここから発電用として使用されます。



右岸、上流側には立派な建物が。



あれれ、ここにも阿賀野川ダム管理所の表示が! いや、どないなっとんねん!そもそもここは上野尻発電所ダムじゃないんかい!



とにかく、その管理所からダムを見るとこんな感じ。景色としては美しいですねえ。



管理所の隣はちょっとした公園になっています。そこには何かが書かれている石碑が。



なんでこういう石を使うかねえ。目がチカチカして見にくいったらありゃしねえ。まるで色盲検査の表みたいじゃん。でも頑張って読みましたよ。文面はこうです。

「熱と人の和がなければこんな仕事はできない。これは私の心からの敬意と感謝のしるしである。昭和34年春 白洲次郎」

おおっ、またもや白洲次郎の登場です。以前記事にした上田(うわだ)ダム以来ですね(参考)。



その奥には立派な慰霊塔。ダム建設にあたり3名の方が亡くなられたとあります。合掌。





管理所の件ですが、この場所が阿賀川であるにもかかわらず「阿賀野川ダム管理所」と表記されているということは、おそらくこの管理所では上野尻発電所ダムのみならず阿賀野川に築造された全てのダムの管理を手がけているのではないかと思われます。つまり表記の意味は「阿賀野川(に作られた全ての)ダム(のための)管理所」なのでしょう。そうでないと説明がつかんし。
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遠巻きですが…豊実(発電所)ダム

2021-09-27 06:56:33 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は新潟県東蒲原郡阿賀町豊実(ひがしかんばらぐんあがまちとよみ)にある阿賀野川水系の豊実ダムを訪れます。アクセスは国道49号から阿賀野川に沿って走る国道459号を進んで行くと磐越西線の日出谷(ひでや)駅と豊実駅の間にあります。

到着しました。国道459号から見える「ご尊顔」はこんな感じ。



国道から脇道を下りていくとダムへ近づけそうなので行ってみます。すると豊実発電所の入口のところに「許可標識」が。「目的」の欄を見ると「豊実発電所ダム管理施設の用に供するため」とあるので、正式には豊実発電所ダムと呼ぶのかもしれませんね。



やはり発電所の入口のところには「水利使用標識」。柵の向こうにあるのでどうやってもうまく撮れませんでした。東北電力が管理する水力発電所であるのはわかりますが。



ここからは歩いて阿賀野川へ向かって下りていきます。写真手前に見えるのが阿賀野川から取水された水を溜めている部分と思われます。これが発電に使用されるんでしょうね。



さらに緩やかなスロープを下りてきました。ダムは見えるのに行けるのはここまで。東北電力もガードが固いです。



次回からはしばらく阿賀野川を遡ってダムを訪ねることにしますよ。お楽しみに!
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温泉街の奥に…肘折砂防堰堤

2021-09-26 07:11:11 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡大蔵村南山にある最上川水系の肘折砂防堰堤を訪れます。アクセスは国道458号から肘折温泉を目指し、温泉街を抜けた銅山川に目的の堰堤があります。ただし、温泉街の道路はめちゃくちゃ狭いので要注意。

【肘折温泉、名称と由来】
肘折温泉は平安時代の807年に開湯したとされ、肘を折ったある老僧がここの湯に浸かったところ傷がたちどころに癒えたという言い伝えから命名されたそうな(参考)。

…というわけで、到着しました。これが肘折砂防堰堤の全貌。なかなかの規模です。銅山川の左岸からも行けるようですが、訪れた日は工事中だったので右岸から近づくことに。



肘折砂防堰堤は文化庁の登録有形文化財に指定されています。登録されたのは2009年8月7日(参考)。







その工法は練石積玉石コンクリートと呼ばれるもので、セメントを節約するためにコンクリートの中に玉石を詰めて硬化させる、当時としては典型的な工法だったようです。それが今では文化財として認められるようになったのでしょうね。



すぐ近くには概要を示す案内板。これによると1950年4月1日に着工し、1952年3月31日竣工とあります。



さらに堰堤に近づくと「記念 弘法礼(?)湯」と刻まれた石碑が。天明年間(1781-1789)に南山村の庄屋の柿崎氏がこの地を訪れた際、温泉が湧き出ているのを発見。これをなんとか開湯できないかと奮闘したものの資金が続かず百有余年放置されていた。その後明治39年(1906年)に三原半三郎がこの工事に再度取り組み、翌年3月に竣工した…といったようなことが書かれています。



だいぶ堰堤に近づいてきました。



下流側の景色はこんな感じ。



堰堤の横まで登ってみます。堰堤の表面のゴツゴツした石の感じが歴史を感じさせますね。



これが堰堤の上。工事中なので立ち入ることはできませんでした。



改めてナイスなアングルで撮ってみました。いいねえ。



(おまけ)

国道458号から肘折温泉へ降りてくる県道57号の途中に「肘折希望(のぞみ)大橋」というジェットコースターのような橋があります。これは最初から作られたものではなく、2012年4月10日と5月13日に発生した土砂崩れにより県道が160mも崩落したため同年中に急ピッチで工事が進められ、大晦日に仮開通。本開通は2013年11月30日だそうです(参考)。





いや〜、肘折温泉は鄙びた温泉街ですが雰囲気は良いです。ぜひ一度行ってみてくださいね。
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ピカピカの新人!…最上小国川流水型ダム

2021-09-25 07:10:46 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡最上町富澤(もがみまちとみさわ)にある最上川水系の最上小国川(もがみおぐにがわ)流水型ダムを訪れます。アクセスは国道47号沿いにある陸羽東線(りくうとうせん)の赤倉温泉駅の東にある県道28号に入り、途中から県道262号を左折して進んでいくと到着します。

これですね。完成してまだ新しい感じがします。



ダム横には「最上小国川流水型ダム」のプレートが嵌め込まれた石碑。



その裏側には建設の経過が記されています。1991年に予備調査が開始され、2015年に工事着工、そして2020年3月に完成したとあります。なんと、完成して一年半じゃないですか! そりゃあ新しいわけだ。



県道262号沿いにあるこの建物が管理所。初々しさがありますね。





管理所付近から見たダムの上流側の様子です。小さな堰堤があったりしますね。



同じ場所から見たダムの様子はこんな感じ。ダム上の欄干にある真っ赤な手すりが印象的です。



ところが、ダム上には行けず…。「この先 立入はご遠慮ください」と穏やかな表現ですが、鉄パイプでガッチガチに塞がれていて進みようがありません。それならいっそのこと「立入禁止」の表示にすればいいのに。



ダム本体にも「2020年3月竣工」と記されたプレートが嵌め込まれています。





それにしても「流水型ダム」というのは初めて見ました。調べてみるとこれは洪水調節に特化したダムのことで、貯水を必要としないダムの一形態だそうです(参考)。

へぇ〜、そうなんだね。勉強になりました。
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山肌の穴!…小以良川ダム

2021-09-24 06:56:33 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回目指すのは山形県新庄市萩野にある最上川水系の小以良川(こいらがわ)ダムです。アクセスは県道307号から小以良川の左岸の細道を進んでいくと到着するのですが、その道はグーグル先生の地図に出ていないくらいなので難易度は極めて高いと言えます。もし行かれるならば相当な覚悟が必要かもしれません。

本当にこの道を進んでいくとあるんだろうか…と思いながら、ふと山肌を見ると穴がポッカリ開いています。これはねぇ、びっくりしますよ。なになに、どういうこと?



細道と並行して流れているのが小以良川です。



そして、すぐ上のほうを見ると…どうやらこれが小以良川ダムらしい。ダムの斜面を右岸から左岸へ横切る形で登って行きます。



見れば、先ほどの低いところに開いていた穴から水が流れています。これについては後でなんなのか判明しました。



ダム横に来ました。



左岸、貯水側から見たダムの様子です。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。逆光のせいで、実際にはもっと明るいです。



同、下流側の様子です。この道を登ってきたわけです。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



そういえば、洪水吐はどこにあるんだろう…と、見れば左岸の奥まったところにあるのを発見。



左岸に戻り、洪水吐へ行く途中にある貯水湖に面したこの建物。なんですかね。



その裏側に行ってみると、ボートか何かを下ろす設備がありました。



撮影しているこの場所、実は緩やかなスロープになっていて、このまま駆け下りて行けば貯水湖にダイブできそう…もちろん、しませんでしたが。



湖面すれすれのところまで下りてきました。この写真右側のコンクリート部分が洪水吐です。



今度は洪水吐の上から撮りました。越流式になっています。そして増水すると、水はここから溢れ出て、



この水路を通って下流へ向かうのです。そうです、先ほどダムの下にあった低いほうの穴は、どうやらここと繋がっているようなのです。でも、高いほうの穴はなんなのでしょうね。



残念というべきか、ここが小以良川ダムという看板は何一つ見当たりませんでした。何かしらの案内板があればいいのにと密かに思う見学者なのでした。
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偶然通過できた?…桝沢ダム

2021-09-23 06:51:38 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県最上郡金山町下野明桝沢(もがみぐんかねやままちしものみょうますざわ)にある最上川水系の桝沢ダムを訪れます。アクセスは国道13号から県道320号、そして県道323号へ行き、途中から桝沢川(?)に沿う道を登っていくと到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。



で、いよいよダム上へ向かうのですが、その直前にこの隧道を通らなければなりません(これはダム側から見た写真です)。



隧道上部には「謝水恩哉」と刻まれています。出典は不明。



隧道を抜けた目の前にダムが現われます。まず目にするのが水利使用標識。灌漑用のダムのようです。



その横には桝沢ダムの概要と諸元が記された案内板。これによると当該ダムは最上特定地域総合開発事業の一環として農業基盤の整備・近代化を目的として1967年に竣工したとあります。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



貯水湖の眺めです。



では、ダム上に行こうか…と思いきや、ゲートが施錠されていて進むことができませんでした。



その脇のところに階段があり、登っていくと桝沢ダムの管理事務所の入口があります。





このダムに関して、他のサイトを見ると隧道の入口までしか行けないとありましたが、訪れた日は偶然なのか隧道のゲートが開いていて通ることができました。その意味ではラッキーだったのかもしれません(参考)。
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アート、アート!…神室ダム

2021-09-22 07:07:21 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡金山町有屋(もがみぐんかねやままちありや)にある最上川水系の神室(かむろ)ダムを訪れます。アクセスは国道13号からダムと繋がる金山川と並行して走る県道73号を登って行くと到着します。

建設計画の当初、ダムの名称は金山ダムだったそうですが、北海道空知郡南富良野町に同名の金山(かなやま)ダムがすでに1967年に完成していたため混同を避けるため名称を変更することに。そこでこのダムの水源が神室山(かむろさん:標高1,365m)であることから神室ダムと命名されたようです(参考)。でも読み方が違うし(「かねやま」と「かなやま」)、所在地も別の県なんだから名称変更しなくても良かったんじゃないかな…と個人的には思ったり。

まあ、そんなこんなでダムが見えてきました。あれですね。存在感が凄い!



まずはダムの下へ。幅が広すぎて画面に収まりません。



なのでパノラマで撮ってみました。



ダム横に来ました。そこから見るとこんな感じ。



ダム横のちょっとした広場にはダムの諸元や建設の歴史などが記された案内板があります。これによれば洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水の確保を目的とする多目的ダムとして1974年に予備調査が開始され、1993年10月に完成したそうです。



また、このダムの目的と構造の説明図もあります。



ダム横にあるこの建物が管理事務所(管理所)。あ、確認するのを忘れました。てへ。



建物の入口前には堂々たるレリーフ。作者はわかりません。



その場所からダムを見るとこんな感じ。



近くには「山形県 神室ダム」と刻まれた石碑や、



貯水湖名でしょうか、「神室湖」と刻まれた石碑があります。



では、いよいよダム上を歩くことにしましょう!



見ると、ダム本体の親柱に相当するところに丸太を模したようなモノ。なんかオシャレですなぁ。



ん? 壁画? なんのことだろう。



…と思いきや、ダム上の欄干に公募で厳選された17点の作品が展示されていました。では展覧会のスタートです。ご覧ください。
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ここでちょい休憩。ダム上の中央に来ました。「神室湖」の様子をどうぞ。



一方、ダムの真下はこんな感じです。60.6mの高さはあまり恐怖を感じません。



下流側の遠景です。いい眺めですね。



ささ、展覧会の続きです。
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お楽しみいただけましたか? これらを見ながらダム上を歩いたので対岸(右岸)へ来るまでだいぶ時間がかかりました。で、振り返るとこんな感じ。



右岸、「神室湖」側から見たダムの様子。



いや〜、壁画に目を奪われて気づきませんでしたが、ダム上の通路も実に凝った作りです。



なかなかの「アート」なダムでした!
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高台の慰霊碑…高坂ダム

2021-09-21 07:06:24 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県最上郡真室川町差首鍋(もがみぐんまむろがわまちさすなべ)にある最上川水系の高坂(たかさか)ダムを訪ねようと思います。アクセスは国道344号の高坂の大カツラ付近の細い道を進んで行くと到着するようです。

ところが、訪れた日、ダムは工事中らしくアクセスは断念。う〜ん、なんとかダムを見ることはできないものかな。ウロウロしていたら右岸側を通る高台の道から高坂ダムの一部を見ることができました。まるで空から見たダム上ですね。



…と、近くを見ると慰霊碑が。



高坂ダム建設にあたり6名の方が殉職されたようです。合掌。



慰霊碑には1967年5月建立と刻まれているので高坂ダムが竣工したのもおそらくこの頃と思われます。
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2つの融合…月光川ダム

2021-09-20 07:05:37 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山形県飽海郡遊佐町(あくみぐんゆざまち)にある月光川(がっこうがわ)水系の月光川ダムを訪れます。アクセスは羽越本線の遊佐駅近くを流れる月光川を遡っていくように進んで行くと到着します。

右岸に到着しました。なかなか立派なコンクリート製のダムです。



ダム本体には建設記録が記されたプレートが嵌め込まれています。これは珍しい。1965年4月の予備調査から始まり、1972年4月に建設着工、そして1978年5月に竣工とあります。



やはり本体に嵌め込まれた「月光川ダム」のプレート。う〜ん、渋いね。



ダム横には月光川とダムの説明が書かれた看板。月光川は急流河川のため昔から度々洪水が発生。そこで遊佐町は町民の生命を守るために山形県の支援を受けながら月光川に洪水調節のためのダムを建設したそうな。また、1997年7月からは管理用発電も開始されています。



その隣には月光川ダムの案内図と標準断面図。



その案内板付近からダムを見るとこんな感じ。おや? 先ほどの「せつめい」にも書かれていましたがコンクリート・ダムと並んで向こう側にロックフィルダムがあるんですね。ほっほー。



これが右岸から見たダム上。ゲートが開いているので行ってみましょう。



このダムは案内図にある通り、「西のこまい沢」「中のこまい沢」そして月光川の本流である「南のこまい沢」が合流する場所に築造されています。コンクリートダム部の中央から見た「中のこまい沢」方面はこんな感じ。写真右上が「中のこまい沢」。



そして「西のこまい沢」方面の景色はこんな感じです。



コンクリートダムの真下の様子。



そして下流側の遠景です。うん、良い景色です。



コンクリートダム部が終わった場所からダムを見るとこんな感じ。山腹に見えるクリーム色の建物が気になります。あとで行ってみましょう。





同じ場所から見た「南のこまい沢」方面の様子。ここからロックフィルダム部になります。貯水側を覆っているコンクリートの斜面が何だか競輪場のバンクを思わせますなぁ。ともかく、さらに進んでみましょう。



ロックフィルダム部の奥までやってきました。これが本当の対岸になります。ダム上の長さ、445mだそうですが、まあまあの距離です。



では、先ほど気になった場所へ行ってみます。右岸の道を下流側に少し行くと細い脇道があるのでその坂を登ります。すると見えてきたのは「山形県月光川ダム管理所」。ああ、やはり管理所だったのか。





コンクリートとロックフィルの融合。なかなか珍しいものを見せてもらいました。
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芸術の香りが…田沢川ダム

2021-09-19 06:53:12 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県酒田市山元にある最上川水系の田沢川(たざわがわ)ダムを訪れます。アクセスは国道345号から平田浄水場を目指し、県道363号から県道315号に入り旧阿部家を過ぎて進んでいくと到着します。

まずは田沢川ダムの全貌をご覧ください。



では、順を追って見ていきます。県道315号を登ってくると道路にはこの看板があります。



そして、まず目にするのが田沢川ダムの管理所の建物。





駐車スペースは道路沿いにあり、そこには田沢川ダムの案内板があります。洪水調節、河川環境と機能の保護、水道用水の安定供給を目的とした多目的ダムですが、諸元表の「位置」を見ると「飽海郡平田町(あくみぐんひらたまち)大字山元」とあります。しかし平田町は2005年11月1日から八幡町(やわたまち)、松山町とともに酒田市に合併したため現在の住所は記事の冒頭に示したものが正解。



案内板の隣には周辺案内図。田沢川ダムは田沢川と「クサイ沢」を堰き止めて築造されたとあります。いや、「クサイ沢」って…。臭うんでしょうか…知りませんが。



ダム横近くには「ひらた赤滝湖」のプレートが嵌め込まれた石碑。これが貯水湖の名称ですね。



石碑の裏側には名称の由来が丁寧に説明されています。「ひらた」はここの地名。「赤滝」はここから10km上流にある滝の名称。赤(アカ)は梵語やアイヌ語で「信仰の水」「浄水」を意味し、長雨や旱魃出会ってもその水量に大きな変化はないと伝えられているそうな。いや〜、勉強になります。



ダム横には「フローラ」と題する彫像。作者は酒田市出身の彫刻家、高橋剛(たかはしごう:1921-1991)。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科を卒業し、ダンサーや裸婦像などを多数手掛けたことで知られています。





フローラ(Flora)はローマ神話に出てくる花と春と豊穣を司る女神ですが、その彫像の足下には周辺自治体の「花」のプレートが嵌め込まれています。

松山町(酒田市合併以前)「ツツジ」


平田町(酒田市合併以前)「ミスミソウ」


酒田市「トビシマカンゾウ」


彫像付近からダムを見るとこんな感じ。



管理所脇には「定礎」の石碑。1994年7月。



その付近からダムを見るとこんな感じです。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た「ひらた赤滝湖」の様子。幅が広いのでパノラマで撮ってみました。写真左奥に「クサイ沢」、そして右奥が田沢川になります。



一方、ダムの真下はこんな感じ。高さ81mはなかなかの迫力です。



そして下流側の遠景。山だらけ…。



ダム上の途中には「惠水」と題されたブロンズ。作者の石黒光二は1952年に旧平田町に生まれ、多摩美術大学彫刻科を卒業。高橋剛は師匠。2001年に完成したこのブロンズについて石黒は次のように述べています。
「男性の右手は天からの雨を指し、左手でそれが荒れくるうことのないよう鎮め、女性は恵の雨が広く大地に染み渡り、豊かな稔りをもたらすことを願う。全ての生命の源である水への感謝と畏怖の念と祈りを込めて」(参考





別の角度から。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸からさらに進むと「遊歩道入口」があり、それを登って行くと記事の冒頭で示した写真のような景色を見ることができます。



田沢川ダムは2001年に完成したようですが、芸術性が加味されており、センスの良さを感じさせるものでした。オシャレだわぁ。
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「黙而雄」…瀬場砂防堰堤

2021-09-18 12:30:54 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は昨日の記事に挙げた立谷沢川(たちやざわがわ)の六渕(ろくぶち)砂防堰堤のすぐ下流にある最上川水系の瀬場砂防堰堤(山形県東田川郡庄内町瀬場)を訪れます。

これがそう。



堰堤と案内板が嵌め込まれた石。なかなか良いアングルです。



その案内板には1951年4月16日着工、1953年12月25日竣工という細かいデータまで記されています。また、2017年6月28日には六渕砂防堰堤とともに登録有形文化財に指定されています(参考)。



登録有形文化財であることを示すプレート。



堰堤の中段下は水際まで近づくことが可能。



そこから下流を見るとこんな感じ。



堰堤の最上段に行ってみます。上流側から見た堰堤の様子。



これが堰堤の上。進んでみましょう。



堰堤の上、中央から見た上流側の景色。遠くに見えるのが六渕砂防堰堤。



ズームしてみるとわかりますね。



一方、下流側はこんな感じ。中段から見るのとはまた違って見えます。



ここから左岸を見るとこんな感じ。



左岸、上流側にあるのがかつてこの堰堤の名称でもあったという「黙而雄」。これについては一昨日の記事でも触れましたのでご覧ください(参考)。





で、これが当時のもの。こちら側には「瀬場堰堤」の文字。



その裏側には「黙而雄」と刻まれています。



いや〜、歴史的建造物ってのは味があっていいもんですなぁ。
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間口の広い…六渕(淵)砂防堰堤

2021-09-17 06:54:23 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県東田川郡庄内町立谷沢にある最上川水系の六渕(ろくぶち)砂防堰堤を訪ねます。アクセスは県道344号から入って行ったところにあります。

まずは全体像をご覧ください。立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防は任せなさい!と言わんばかりの偉容です。



堰堤の横に来ました。石積みのしっかりした構造のように思えます。



堰堤の本体に嵌め込まれたプレート。1997年11月完成とありますが、これは改築の完成年のようです。調べてみるとこの堰堤が作られたのは1952年で、2017年6月28日に国の登録有形文化財に指定されています。プレートには「六淵砂防ダム」と表記されていますが、これは高さが15mなので定義上は間違いではありません。ちょっと気になるのはプレートでは「淵」なのに他の資料では「渕」になっている点。どちらが正しいんでしょうか(参考)。



それはともかく、堰堤の中央に来ました。流水部の間口が広いので、ご覧の通りの迫力!



中央から見た上流側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。



ところで、堰堤名の「六渕(淵)」は何に由来するんでしょうね。この付近の地名なのでしょうか?
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玉川第六砂防堰堤から学ぶ

2021-09-16 06:53:09 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日の記事に載せた竜神橋から上流側を見たらですね、何やら立派な堰堤が! これは何でしょうね。早速行ってみることに。



竜神橋を渡って玉川の右岸からアクセスしてみます。どうやら砂防堰堤のようです。



堰堤の横から見た様子。



堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「玉川第六砂防ダム」とあり、1975年10月に築造されたもののようです。でも高さが11.0mなのでダムの定義上からすると砂防堰堤になります。住所は山形県東田川郡庄内町立谷沢西山。



堰堤の中央に来ました。流水部はこんな感じ。



そこから見た上流側の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。あちらに見える橋が竜神橋です。



堰堤中央から右岸を見るとこんな感じ。



堰堤の上面。単なるコンクリートの打ちっぱなしでないのは職人仕事という感じがしますね。



右岸から堰堤の下に降りる道があるので行ってみると、途中には「砂防発祥之碑」と刻まれた石碑や、



「黙而雄」と題された石碑。裏側の説明によると、これは元最上川水系砂防工事事務所公務課長だった倉上靖が1952年11月に転勤で同地を去る際に残した言葉だそうです。倉上はこの玉川が下流で合流する立谷沢川(たちやざわがわ)の砂防に関わった人物。「黙而雄」は文字通り読めば「もくしてゆう」なのでしょうが、その意味は「黙々として与えられた仕事を果たす」。しかしこの石碑はオリジナルではなく、元々は立谷沢川にある瀬場堰堤石碑の背面に刻まれたものだそう(参考)。





堰堤の下に来ました。そこには「立谷沢川の龍神信仰」と題する案内板。なぜ龍神を信仰するかというと、月山の奥深いところに龍神様が住んでいるという言い伝えがあり、立谷沢川が洪水を起こすたびに龍神様へ祈りを捧げていたそうな。なるほど、それで竜神橋の装飾が竜ざんまいなのも納得です。ん〜、でも1つ疑問が。「立谷沢川の龍神信仰」を説明するのならこの案内板は立谷沢川沿いに建てればいいのに、なぜここに? 立谷沢川に合流するとはいえ、ここは玉川なんですけどー。



それはさておき、堰堤には一対の竜神が描かれています。作者は案内板にあるように庄内町出身の秋葉玲。この人のプロフィールは不明ですが、同町の清川公民館建設20周年記念事業として1999年3月に制作された紙芝居『清河八郎』の絵を担当しています(参考)。清河八郎(1830-1863)は江戸幕末の庄内藩出身の志士で、尊王攘夷の思想から倒幕運動を唱えるため諸国を歴訪し浪士組を結成するなどして明治維新の一翼を担ったことで知られています。

で、話を戻しましょう。堰堤の右岸側に描かれているのがこちら。



左岸側のはこれ。



まあ、なんだかんだ書きましたが、1つの砂防堰堤でこれだけ見どころがあるのも珍しいかもしれません。また、石碑「黙而雄」に関係のある瀬場堰堤は近くにありそうなので訪ねてみようと思います。

それはそうと、ここが「第六」ならば「第一」から「第五」もきっとあるんだろうなぁ…いやぁ、深追いはやめておきましょう。キリがありませんからね。
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