ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ビーナス@松本

2008-12-29 15:58:25 | 脳みその日常
  


もう先々週のことになりますが、松本在住の友人Mを訪ねるために出かけてきました。彼は有能な医師で、その日も手術を終えてからの再会となりました。どこで待ち合わせるかという話になった時、ことによると手術が長引く可能性があるかもしれないということで、昔懐かしい場所で落ち合おうということに。そこなら長居もできるからです。

その場所とは「ビーナス」というスナック。ここは松本駅の前の道を左に真っすぐ行って、女鳥羽橋を過ぎたところにあります。店は地下にあり、地方のスナックにしては大きく、なんとミラーボールも完備。カラオケもできますし、一通りの楽器も揃っているのでやろうと思えばライヴも可能。気さくな性格のママさんと笑みを常に絶やさないマスターが経営しているお店です。


(写真左からマスター、ママさん、アルバイトの子)


ワシがこの店に行ったのはもう20年以上前でした。きっかけはその友人Mに連れて行かれたのですが、今回久々に顔を出したところ、ママさん、開口一番

「あらー、●●君じゃないの!久しぶりねぇ~」

なんと、ワシの名前を覚えていたのです。ワシは別にここに頻繁に通っていたわけじゃないのにですよ!本当に数えるほどしか行ってなかったにもかかわらずです。

「いや~、よく覚えてますね」
「何言ってるのよ、当たり前じゃないの!」

ん~、何が当たり前なんだかわからんのですが、友人が来る前からいきなり昔話で盛り上がります。その瞬間、既に気分は20年以上前に遡るのですから不思議です。たとえば、閉店時間までさんざん飲んだ数時間後、近所にあるアルプス公園にママさんとマスター、それに常連客全員でピクニックに行ったことがありました。もうね、こちらは二日酔いもいいとこなんですが、みんな若かったんでしょうね。めちゃくちゃ遊んだ挙げ句、ママさん手作りの弁当をいただきながら…。ワシは決して常連客ではなかったのですが、友人Mが常連客みたいなものだった関係で「ついでに」参加したわけです。まあ、とにかくアットホームな雰囲気に満ちあふれていました。

そんなこんなで話が盛り上がっていた時に仕事を終えたMが来店。さらにワシの後輩で、現在松本に戻っているAさんに声をかけたら「行きます!」ということで、これまた久々の再会。ワシもAさんもクルマだったので飲みませんでしたが、Mはひとりでウイスキーのボトルを飲み干す勢い。で、店を出る深夜三時半には完全に泥酔状態。意識は完全に吹っ飛んでました。きっと普段のストレスが相当溜まっているんだろうなと推察。もちろん酩酊している奴を放ってはおけないので自宅までクルマで送ってから帰京しました。

さて、なぜこのように「ビーナス」のことを書いたのかというと、ママさんから景気が悪くて仕方がないわあという話になったからです。いろんな方法で宣伝したらどうです? そういえば、この店にはホームページはないんですか? などと話しているうち、ワシが酔ってもいないのに

「じゃあ、この店のことを自分のブログで宣伝してあげようかな」

みたいなことを言ったもんですから、ママさん、その気になっちゃいましてね、「ぜひお願いね♪」というわけで、今回は宣伝のブログになったわけです。

まあ、地方とはいえ、この店には地域の有名人やら世に言う「偉い人」たちも多数来ます。ママさんのトークも面白いので、お近くにお越しの際にはぜひお立ち寄り下さい! このブログを見たとマスターに言えば、何らかのサービスをしてもらえると思いますよ。ちなみにワシは「ビーナス売り上げ向上」のための新企画ブレーンに任命されました(どうせいっちうねん)。ご期待(?)下さい

ま、こんなところでいいかな?ママさん(笑)
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恩師の訃報

2008-12-14 06:22:17 | 脳みその日常
先週の月曜日、老父の様子を見に帰省しました。もちろんそれだけが目的ではなく、友人の父が9月に亡くなったということで彼を慰める予定もあったのです。通常帰省する場合、ワシは中央道で行くのですが、この日はなぜか別の道で行こうと思い立ちました。その道は時間的にも距離的にも長いのは知っています。にもかかわらず、敢えて遠回りをしたのです。

ある場所まで来た時、ふと気づきました。「ああ、ここは●●先生のお宅の前の道じゃないか」と。●●先生はワシが小学校の時にお世話になった人で、今では考えられないでしょうが、なんと六年間ずーっとワシの担任だったのです。そして卒業以来こんにちまで何かとアドヴァイスをくださる貴重な存在でした。お宅の前を通り過ぎながら「そういえば、先生、元気で過ごされてるかな?」と思いつつ自宅に。

老父の健康に異常がないことを確認して帰京した翌々日、小学校時代の同級生から電話が。いやいや珍しいこともあるもんだと思いつつ電話に出ると、

「●●先生が亡くなったそうだよ」

同級生の話によれば、先生が亡くなられたのは火曜日とのこと。それを聞いた瞬間、悲しい気持ちと同時に驚きを禁じ得ませんでした。偶然といえばそれまでですが、先生が亡くなられる前日にワシはご自宅の前を通ったからです。そのことを同級生に話すと会話はしばしストップ。そして同級生はおもむろに

「きっとそれは先生が呼んだんじゃないの?」

そうかもしれません。頻繁にコミュニケートしていたわけではありませんでしたが、先生とは毎年の年賀状をはじめ、ことあるごとに話を聞いていただいていたのです。先生のほうは先生のほうで、お会いするたびに「長年教員をしてきたが、お前のクラスが一番印象に残っている」と仰っていました。そしてそのあとには必ず「お前がクラスの中では出世頭だからな。俺はお前を誇りに思っているぞ!」と。

いえいえ、先生、ワシはちっとも出世してませんし、うだつの上がらんモノ書きですってば。これについてはどうも誤解されていたフシがあります(苦笑)まあ、でも最後は校長まで務められて定年を迎えられた先生が、ウチのクラスが最も印象的だったと思われていたとは何となく嬉しい気持ちでした。

悠々自適の生活を送るはずだった先生ですが、定年後ほどなくして脳梗塞で倒れられました。奥様は懸命な介護をされ、先生もリハビリに専念。数年後には何とか普通の生活を送れるまでに恢復されます。ところが喜びも束の間、今度は献身的な介護をされていた奥様が疲れからか亡くなってしまいました。

それからというもの、先生の落ち込みようといったらありませんでした。元気を絵に描いたような先生なのに、それ以後の年賀状の文言には弱気な発言の連続。教え子に弱音を吐く教師なんて、まずいません。それほどまでに先生は落胆していたのだと思います。

教師といえば本来生徒に勉強をはじめ、いろいろなことを与える存在ですね。生徒のほうもそれを当たり前と思っています。ですが、この歳になってみて思うのは「教師もひとりの人間」だということです。子供の頃に見上げていた元気の塊のような先生も、実は喜怒哀楽の感情をもつ普通の人間だったのです。

今までは生徒として与えられるばかりでしたが、ここはひとつ恩返しをしなくちゃならんな。そう思ってからワシは弱気になっている先生をことあるごとに励まそうとしてきました。いくら老人が元気だからといっても、すべての老人が元気なわけじゃありません。年齢に関係なく体力的・精神的に弱っている人はいるのですから。

そういう時に受けた訃報です。悲しい気持ちよりも後悔の気持ちが勝っています。まだまだ恩返しが足りてなかったのですからね。偶然ご自宅の前を通りがかった時、ことによるともう危篤状態だったのかもしれません。最後にちょっとでもいいからお会いしたかったなあ。

遠方に住んでいるのと仕事の関係で先生の葬儀に出席することはできませんでした。でも、先生、年内には伺いますよ。出来の悪い教え子だったでしょうけど、先生から教えられたさまざまなことは忘れませんからね。それがたとえ形のないものであっても、今度はワシが誰かにそれを与えようと思ってますから…。

合掌
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2つのツリー

2008-12-08 02:57:09 | ドライブ関連
今回ご紹介するのはツリー2つ。最初のは東京オペラシティ・コンサートホールのロビーに飾られているものです。偶然映り込んでいる人の大きさを考えると、これがそれなりの大きさであるのがわかると思います。



まあ、明るい場所で大きいツリーなんてさほど珍しいものじゃないでしょうから、これとは対照的に暗い場所で小さいツリーを。



これは八王子市にある某宗教系の大学の近くで撮影したものです。もちろんこのツリーはその大学とは何の関係もありません。どうやら東京都水道局が推進しているプロジェクトの場所のひとつのようです。深夜このあたりは真っ暗で、このツリーだけが妙にピカピカ光っているのが印象的でした。

一歩間違うと何やら怪しげなものも出そうで…ひぃぃぃぃぃ。
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そのうち調査するかも…

2008-12-04 06:40:41 | 音楽あれこれ


街中にイルミネーションが輝く季節になってきましたね。昨年の冬はまるで狂ったかのように夜中にイルミネーションを求めて奔走していたわけですが、今年もどうやらそうなりそうな予感が…。なんなんでしょうね、ワシは光に近づく虫ですか!


ま、そんなわけで、おとといは赤坂のアークヒルズに行ってきました。そしたら、あーた、光ってるじゃあーりませんか。こりゃ、なかなか綺麗だと思い、早速パチリ。ちょいと前にも紹介しましたが、このカラヤン広場ってえのは何だかんだと飾ることが好きなようです。まあ、ピカピカしてるから面白くていいんですけどね。

この日は演奏を聴きに行ったのですが、意外な発見がありました。今「プロコフィエフ・チクルス」というのをやってましてね、そのひとつを聴いたわけです。当夜のプログラムでは《ヴァイオリン協奏曲第1番》(1915-1917)が演奏されたのですが、その第3楽章のある部分にはどこかで聴いたフレーズがあるじゃありませんか。

うーん、なんだったかな、えーと、えーと…。ああ、そうだ、同じプロコフィエフの《ヴァイオリン・ソナタ第1番》(1938-1946)の第1楽章の中にあるパッセージなわけですよ。両作品が同時期に書かれたのであれば似たフレーズが出てくるのはよくありますが、30年近く時を隔てて類似するフレーズが現われるのはどのような意味があったのでしょうね。

このことは手元にあるいくつかの解説を確認したのですが、指摘しているのはありませんでした。ま、誰かは書いているのかもしれませんが、そこまで調べるほどの興味はないので「捜査打ち切り」にしたわけですがね。ま、そのうち本格的に調べてみようかなとも思っています。

報道でご覧になられた方もおられると思いますが、演奏会の後半には「えらい人たち」が聴きにいらしてました。しかも後半の曲目が《交響曲第6番》。いやいやいや、「えらい人たち」には本当に頭が下がります。よりによってこんなマニアックな曲をわざわざ聴きに来られるとはね。この作品を聴いて体調を崩されたのではないとは思いますが、できるだけ早い公務への復帰を祈念しております。

最後に、どうでもいい写真を。これは喫煙所から上を見上げた「風景」です。愛煙家にとって、これからの季節、休憩時間は寒い思いをしながらホタルになるしかありません。まあ、それも一興ですけどね。
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