ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

那須疏水と西岩崎頭首工

2020-10-31 06:46:32 | 栃木(ダム/堰堤)
今回は那須塩原市西岩崎にある那珂川水系の西岩崎頭首工(とうしゅこう)を訪ねてみます。アクセスは地図によれば県道30号から脇道に入り、那須疏水公園近くにあるようです。

到着しました。とりあえずクルマを近くに駐車し、ここからは歩いて行きます。



こんな小径を進んで行くと、



那須疏水公園の案内図がありました。



よく見ると、西岩崎頭首工の文字が。1976年完成とあります。



近くには「那須疏水旧取水施設」の説明看板。これを読むと那須疏水の歴史は古く、明治時代の1885年に最初の施設が完成し、水田や感慨に利用されたそうです。その後何度かの改良が行われたのち、1976年に国営那須野原総合農地開発事業の一貫として西岩崎頭首工が完成します。ということは、つまり那須疏水と西岩崎頭首工は全くの別物ではなく、祖先と子孫みたいな関係なんですね。



で、那須疏水旧取水施設は2018年に日本遺産に認定されます。



その一部が次の写真。これは明治時代に作られた水路の跡。現在は使用されていないので草ボーボーになってます。







これも明治時代に作られた取入口のトンネル。しっかりした作りです。



これが那須疏水が取り入れていた現在の那珂川(西岩崎頭首工の上流側)。



西岩崎頭首工はその下流に建設されています。



那須疏水公園から頭首工を見るとこんな感じ。




上の説明看板によれば、ここ那須疏水は1883年完成の安積疏水(福島県)、1890年と1912年に完成した琵琶湖疏水(滋賀県/京都市)と並ぶ日本三大疏水のひとつに数えられる優れた取水施設ですが、那須疏水の歴史を知るまでワシは西岩崎頭首工は全く関係のないものと思っていました。

お恥ずかし限りです。でもこうやって現地に行って歴史を知ることはとても有意義なことであり、またスリリングな気分にもなります。

楽しいな、ドライヴ♪
コメント

上池なのだ!…沼ッ原調整池

2020-10-30 06:48:13 | 栃木(ダム/堰堤)
那珂川水系の沼原(ぬまっぱら)ダム(那須塩原市大字板室)は前回の深山ダムと直線距離にして2kmくらいのところにあります。なので、あっという間に到着できるかなと思いきや、なかなかの大回りをしないと辿り着けません。深山ダムから行くならば、一旦県道369号を南下し、県道266号に入ってから鶴見大学セミナーハウス方面の道を登って行くしかないからです。

ようやく到着しました。これです。「なんだ、フツーの池じゃん」と言うなかれ。よく見ると壁面が全てコンクリートで固められています。深山ダムはこの写真でいえば真ん中あたり、つまり沼原ダムの向正面の下のほうにあります。



到着はしたものの、ダムへ向かう道が見つかりません。また、ここが沼原ダムという表示もなし。キョロキョロして見つけたのがこの案内板。



ご覧の通り、ここが沼原ダムであるのは間違いありません。しかし案内板に「沼原ダム」とはどこにも書かれていませんね。「沼ッ原調整池」が正式な名称のようです。

また、案内板の下のほうには深山ダムとここがどう繋がっているかの図があります。これはいうまでもなく両者が標高差を利用した揚水発電のための上池と下池の関係にあることを示すものです。それにしても山中の地下にこんな水圧鉄管や発電所を設置するなんて、よくもまあ考えたもんだなと感心します。

この調整池の周囲にあるのが沼ッ原湿原で、訪問者のための駐車場は舗装こそされていませんがとにかく広い、広い。夏季には多くの観光客が訪れるからなのかもしれませんね。



不思議なのは現地ではダムという表示がないのにネットのサイトなどには「沼原ダム」と紹介されていることです。ここはひとつ国土地理院の地図表記に従って「沼ッ原調整池」と表記しておくことにしたいと思います。
コメント

下池なのだ…深山ダム

2020-10-29 06:33:19 | 栃木(ダム/堰堤)
今回からしばらく栃木県のダムを巡ります。まず訪れたのは那須塩原市百村字深山(もむらあざみやま)にある那珂川水系の深山ダム。アクセスは県道369号(黒磯田島線)を那珂川に沿って遡って行けば到着します。

深山ダムの右岸に到着しました。まず目に入るのがこの洪水吐(こうずいばき)。



その洪水吐の下流はこんな感じになっています。



県道369号は深山ダムの右岸からダム上、そして左岸へ続きますが、右岸に来て最初に目に入るのがこの管理支所の建物です。



また、びっくりするくらい広いダム横のスペース。200〜300台くらい余裕で駐車できるんじゃないでしょうか。写真ではイマイチ伝わらないかもしれませんが、とにかく広い!



そのスペースには色々なものがあります。まずは「深山湖」のプレート。ほほぅ、この貯水湖の名称ですか。



その裏には深山ダムの諸元表。



七千山水源(ななせんやますいげん)の森と深山ダムの概要が記された案内板。これによると深山ダムは1974年3月に完成した表面アスファルト遮水壁型ロックフィルダムで、水道用水、農業用水の確保と発電を目的として作られたようです。



水利使用標識です。多くのダムでは目的別に標識を複数掲示していますが、ここでは一枚の標識に集約されています。コンパクトにまとまっていて見やすいと思いませんか。たぶんこれを作った担当者は頭脳明晰なんじゃないかと思いますね。



では、ダムに目を移していきましょう。まずは右岸の深山湖側から見た様子です。確かに深山湖の壁面がコンクリートで覆われているのがわかります。



これが県道369号でもあるダム上。歩いて進んでみます。



先程見た洪水吐をダム上から見るとこんな感じ。



びっくりなのはダム上の道から洪水吐の様子が透けて見えること。見た瞬間、驚きました。



洪水吐を過ぎると…ん? 墓標?



いえいえ、深山ダム竣工記念の石碑でした。



その裏にはダム建設の簡単な経緯が記されています。でも1969年着手し、1973年完成とあるんですが、先に見た案内板では1974年3月完成と書かれていましたね。う〜ん、どういうこと?



この石碑の隣には深山ダム竣工25周年記念の碑があります。これは1998年10月とあるので逆算するとダムの竣工は1973年ということになります。とすると、案内板の表示が間違っているのか?



モヤモヤした気分のままダム上を進みます。中央付近から見た深山湖の様子。



下流側の景色はこんな感じです。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな景色です。手すりのサビがひどいですね。



対岸、下流側から見た様子。



対岸、深山湖側から見るとこんな感じ。



ここは観光地的な要素はないものの、栃木県のダムとしては規模の大きいものの上位に入ると思います。またこの深山ダムは次回訪問する沼原ダムと揚水発電をする上で密接な関係にあります。深山ダムはいわばその下部調整池なのだそうです。ほぉ〜。
コメント

ユルく見ることは可能…手取川第2ダム

2020-10-28 06:37:22 | 石川(ダム/堰堤)
前回の手取川ダムでは空振りを食らってしまいましたが、ヘコんでいても仕方がありません。次のダムを目指します。

今回はそのすぐ下流にある手取川水系の手取川第2ダムを訪れてみました。住所は白山市仏師ヶ野町(ぶしがのまち)。アクセスは手取川と並行して走る国道157号から少し脇に入ったところにあります。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



ダム横から見るとこんな感じ。



ダム上はこんな感じですが、無断で入ることはできません。



仕方がないので少し高い場所から撮ってみました。



手取川上流はこんな感じです。



ダム上は行けないので、上流側から右岸のほうへ行ってみました。途中、上流側から見たダムの様子です。



右岸、貯水側から見たダム。



クリーム色の建物には発電用の水利使用標識が見えます。



予想はしていましたが、案の定、右岸からもダムへ行くことはできませんでした。北陸電力も占有地への第三者の侵入を厳重に拒む傾向があるようです。個人的には「何もそこまでしなくても…」と思うんですけどね。
コメント

見たいなぁ…手取川ダム

2020-10-27 06:25:02 | 石川(ダム/堰堤)
今回は石川県白山市東二口(ひがしふたくち)地先にある手取川(てどりがわ)水系の手取川ダムに向かいました。アクセスは国道157号を行けば到着します。

もちろんダムへは国道から入っていくのですが、実際に行ってみると関係者以外は人も車両もダムへ近づくことはできません。一般の見学者は近くの手取川ダム展望台から見るしかないようです。

というわけで、展望台から見た景色がこれ。貯水池の中にニュッと生えているように見えるのは取水塔です。



その貯水湖の名前は「手取湖」だそうで。



1980年に完成した手取川ダムは、高さが153mもある巨大なもの。だからこそ実際に見てそのスケールの大きさを感じたかったわけですが、見ることができないとは…。とほほです。

手取川ダムの概要は(コチラ)をご覧ください。
コメント

ダム上の道幅はゆったり…浄土寺川ダム

2020-10-26 06:59:06 | 福井(ダム/堰堤)
九頭竜川水系の浄土寺川ダム(福井県勝山市村岡町浄土寺)は国道157号からJCHO福井勝山総合病院付近を流れる浄土寺川に沿って遡っていくと到着します。

まずは右岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



ダム横にはシンプルな形をした監視所があります。





そばにはダムの概要を示す案内板。これによれば浄土寺川ダムは洪水調節、流水機能の維持、水道用水確保を目的とする多目的ダムと書かれています。



2008年6月に竣工したダムだそうで。



右岸、貯水側から見たダム。



これがダム上。写真で見るとあまりわかりにくいですが、実際の道幅はかなり広いです。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。



ダムの真下です。高さ72mから下を見るとまあまあ怖いねえ。



下流の遠景はこんな感じです。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。これだと道幅の広さがわかるかな?



対岸、下流側から見た「ご尊顔」。



対岸、貯水側から見るとこんな感じ。



ダム上から先ほどの監視所を撮ってみました。まるで小さな体育館のよう。あはは。



完成してまだ12年ほどの「新米ダム」ですが、今後の活躍に期待しましょう。
コメント

半分だけ使って発電…下荒井ダム

2020-10-25 06:57:26 | 福井(ダム/堰堤)
今回は勝山市遅羽町下荒井(おそわちょうしもあらい)にある九頭竜川水系の下荒井ダムに来ました。アクセスは国道157号と県道168号(藤巻下荒井線)の交差する場所にあります。

全景はご覧の通り。ダムは九頭竜川を完全に堰き止めているのではなく、半分ほど堰き止めて関西電力が発電用に使用しているようです。



下流側には国土交通省が管理する雨量観測所があります。





ダムの左岸には魚道が設けられていて、お魚さんも安心して上流へ行くことができます。



ダム横には関西電力の下荒井ダム管理所があります。でも立入禁止。





ダムの上流側には導水路があり、



あちらへ流れていきます。これ、結構すごい勢いで流れていくんですよ。



発電のための水利使用標識です。もぉ〜、フェンスが邪魔でちゃんと撮れません!



ここは平地にあるので風景を楽しむような場所ではないですね。
コメント

こう呼んでおきたい…竹田川砂防堰堤

2020-10-24 07:07:55 | 福井(ダム/堰堤)
さて、竹田川沿いの道をさらに遡って行くとグーグル先生の地図には「砂防ダム」と書かれた場所(福井県坂井市丸岡町上竹田)があります。ん?名無しのダムなのか? 気になったので行ってみました。

どうやらこれのようです。



看板がありました。「竹田川砂防堰堤」というんですね(竹田川水系)。



上流側から見た砂防堰堤。



これが堰堤の上。



堰堤の上には何やら刻まれています。「砂防堰堤 昭和38年(1963年)通常砂防工事」とあります。



また、高さ16mとあるので今日の砂防法の定義からすれば砂防ダムと呼んでも間違いではありません。



足下に十分注意しながらダム上を進み、真下を見るとこんな感じ。



下流側の景色です。



竹田川の上流はこんな感じ。



う〜ん、何だか色々な表記がされていて混乱してきます。何が正しいのかわかりませんが、一応「竹田川砂防堰堤」と呼んでおくことにしておきましょう。

よっ、竹田川砂防堰堤!(本当に呼んでどうする!)
コメント

龍ヶ鼻づくし…龍ヶ鼻橋

2020-10-23 07:06:57 | 橋のユニークな親柱
前回の龍ヶ鼻ダムの管理事務所の前の道(県道259号)をさらに進んで行くと、龍ヶ鼻ダムの貯水湖である龍ヶ鼻湖を渡るための橋が現われました。



その名も「龍ヶ鼻橋」。



貯水湖ではありますが、実は竹田川でもあるんですね。



ユニークなのは親柱の横に龍の図があること。ただ、これ、よく見ないと龍であることがわかりにくいんですよね。何となくシュールなデザインにも見えたりして…。





対岸側には「りゅうがはなばし」と「竹田川」のプレート。





まあ、とにかくこの辺りのモノの名称には必ずと言って良いほど「龍ヶ鼻」が付いています。こだわりと言えばこだわりですが、よそ者の見学者からするともう少し捻ったネーミングでもいいんじゃないかなと思ったりします。

…と、勝手なことをほざいているわけですが。
コメント

伝説に基づく…龍ヶ鼻ダム

2020-10-22 06:55:54 | 福井(ダム/堰堤)
今回目指すのは福井県坂井市丸岡町上竹田にある九頭竜川水系の龍ヶ鼻ダムです。アクセスは国道364号から県道259号へ入り、竹田川に沿って行くと龍ヶ鼻ダムの右岸に到着します。

おっ、あれですね。



着きました。まずは右岸から見たダムの「ご尊顔」をどうぞ。



すぐそばには「龍ヶ鼻ダム竣工記念碑」が。1989年3月竣工とあります。



ダム横の「みはらし広場」には龍ヶ鼻ダムの概要を説明する案内板があり、多目的ダムであることがわかりますね。



また、その横にはダム名とダム湖の由来となった龍ヶ鼻の説明が記された石碑があります。ダムについての詳しい説明はコチラをご覧ください。



広場の奥にあるのが管理事務所。





管理事務所を裏手から見るとこんな感じ。



その付近からダムはこんな風に見えます。



では、ダム上に向かいましょう。ダム上の横には「龍ヶ鼻ダム」と刻まれた石碑。逆光で文字が見えませんね。すみません。



そして、ダム本体に嵌め込まれた竣工記念のプレート。



これがダム上。



ダム上、中央付近から真下を見ると…。



下流側の遠景です。山々が美しいですね。



貯水湖(龍ヶ鼻湖)側の景色も下流側に負けず劣らずイイ感じ。



ダム上の建物に貼り付けられている水利使用標識。これは発電用のものですね。



とか何とか言っている間に対岸(左岸)に来ました。振り返ればこんな景色。



対岸、下流側から見たダムの様子。



同、貯水側からダムを見るとこんな感じ。



対岸には「鍋倉トンネル」があります。1981年3月とあるので龍ヶ鼻ダムが完成する以前にあったことがわかりますね。





トンネルの長さ150mとあるのでチャレンジしようとしたところ、暗闇からヒソヒソと人の声が…。なになに?心霊スポットか? いえいえ、出て来たのは高齢のご夫婦でした。お、おどかすなって(笑)
コメント

焼物は使われてませんが…九谷ダム

2020-10-21 06:52:29 | 石川(ダム/堰堤)
今回訪れる大聖寺川水系の九谷ダム(加賀市山中温泉枯渕町)は前回の我谷ダムの右岸沿いを走る県道153号を進んでいくと到着します。

到着しました。まずは右岸から見た「ご尊顔」を。



ダム横には管理棟があります。





九谷ダムと刻まれた石碑。



九谷ダムの概要が書かれた案内板。すぐ下流の我谷ダムと提携関係にあるようです。



右岸貯水側から見たダム。



これがダム上です。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。うんうん、美しい!



ダムの真下です。



そして遠景はこんな感じ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな景色。



横には「建設の碑」と刻まれた石碑。2006年3月とあります。



こちら側にもダムの概要説明の案内板。図解の説明がわかりやすいです。



九谷ダムの建設にあたっては、複数の集落が湖底に沈んだことがわかる図。



最後に左岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



ダム名から分かる通り、この辺りは有名な九谷焼の産地でもあります。見学者の視点からすれば、このダムのプレートとか案内板に九谷焼を使えばよりオリジナルな感じになるのにな…と思ったり。
コメント

二つの町が湖底に…我谷ダム

2020-10-20 07:11:22 | 石川(ダム/堰堤)
加賀市山中温泉我谷町(わがたにまち)にある大聖寺川(だいしょうじがわ)水系の我谷ダムに来ました。ここはダム上の道が国道364号なので、大聖寺川に並行して走るこの国道を来るとお目当てのダムに間違いなく到着できます。

【大聖寺川について】
元々この川は大聖寺町(1958年1月1日に廃止。他の8町村と合併して加賀市となる)を流れていたところから命名されたものです。ちなみに大聖寺とは白山五院のひとつで、かつて近くの錦城山(きんじょうざん:標高65m)にあったことから町の名前になったそうな。じゃあ、白山五院って何でしょうか。

【白山五院と白山信仰】
白山五院は白山信仰の流れを汲む五つの末寺(柏野寺、薬王院温泉寺、極楽寺、小野坂寺、大聖寺)のこと。白山信仰の歴史は古く、奈良時代に修験者の泰澄(たいちょう:682-767)が717年に白山の御前峰(ごぜんがみね)に登り、翌年同地に白山妙理大権現を奉祀した社を建て開山したのが最初と言われています。どんな信仰かはまた別の機会に書くかもしれないので省略します。

話が逸れました。ダムに戻りましょう。まずは左岸の下流側から見たダムをご覧ください。大聖寺川に沿って国道364号を来ると対岸(右岸)に辿り着きます。



ダム本体に嵌め込まれた「我谷ダム」のプレート。



これがダム上を走る国道364号です。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。良い眺めでしょ?



下流側はこんな感じ。写真は色褪せて見えますが、実際はもっと綺麗。



で、管理事務所はどこかな? と思いきや左岸の少し貯水側に行ったところにありました。国道沿いには「石川県大聖寺川ダム統合管理事務所」の看板。



当該の建物はこれです。





近くにはダム建設にあたり我谷町と枯渕町(かれぶちまち)の家々が湖底に沈むことになり、それを示す「水没記念碑」が。その裏側には住んでいた人々の名前が刻まれています。





う〜ん、でも、記念碑ってのはイメージとして完成したとか到達したといったプラス的な意味があるように思うのですが、どうでしょうか。その解釈が間違っていなければ水没記念碑というのはちょっと違和感があります。水没を祝っているようなニュアンスも感じられるからです。例えば「水没の碑」とか「水没に寄せて」みたいなタイトルならしっくりくるんですが…。
コメント

若々しく見える…赤瀬ダム

2020-10-19 07:01:10 | 石川(ダム/堰堤)
梯川(かけはしがわ)水系の赤瀬ダムは小松市赤瀬町(あかぜまち)にあります。アクセスは県道161号を進んでいけば到着します。

【梯川について】
梯川の名称の由来はこの川の様態に関係があります。つまりこの川に架かる橋は増水した際には橋板を増やし、通常時には減らすといった可変構造を採用していたことから「架け橋(梯)」と呼ばれたそうです。その後、その名称は川の名前にもなり「梯川」になったそうな。ほぅほぅ。

県道161号から行くと赤瀬ダムの右岸に来ます。貯水側から見たダムはこんな感じ。



そこにはダム近郊の案内図や、



「赤瀬ダム」と刻まれたオブジェのような碑。1978年9月完成だそうです。



あ、でも上のオブジェが完成したのが1978年9月で、ダムが完成したのは同年7月31日なんですね。それは下の石碑からわかります。画像では分かりにくいですが。



そして、ダム横には管理事務所。



事務所の「務」の字が「努」みたいになってます。力が入ってますね(笑)



管理事務所付近から見た「ご尊顔」です。




では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色。



ダムの真下はこんな感じ。



その遠景は長閑な様子って感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



こちら側にはダム本体に「赤瀬ダム」の表示が。



対岸、下流側から見たダム。



対岸、貯水側からはこんな風に見えます。



このダムは完成してからもう42年になるのですが、上に示したオブジェが古さを感じさせないので印象としては若々しく感じられます。不思議なものですね。
コメント

石川県の大日川ダム

2020-10-18 06:54:41 | 石川(ダム/堰堤)
今回訪れたのは白山市阿手町(はくさんしあてまち)にある手取川水系の大日川(だいにちがわ)ダムです。アクセスは容易で、県道44号を進んで行くとダム上の道に来ることができます(つまりダム上の道も県道44号というわけ)。

まずは左岸の下流側から見た「ご尊顔」をどうぞ。なかなか凛々しい面構えです。



周辺案内図です。これで大日川ダムの位置がわかると思います。



大日川ダムの概要が示された案内板。これによると1952年に着工し、1968年に完成された多目的ダムであることがわかりますね。



多目的ダムを示すように水利使用標識も複数あります。これは発電用のもの。



こちらは灌漑および農業防災用のもの。



墓標のような「大日川ダム」と刻まれた石碑。



その裏側です。1967年11月竣工とあります。あれれ、先に見た案内板には1968年完成とありましたが、どういうことなんですかね。完成と竣工は違うのかな…。う〜む。



そこから見えるダムの様子。



石碑の奥には管理事務所があります。事務所の下は通路になっていて、車両も通れるようになっています。





その通路を抜けたところから見たダムの様子。



では、ダム横に戻り、ダム上を進んでみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水湖(大日湖)の様子です。天候に恵まれ、美しい眺望です。



ダムの真下はこんな感じ。



その遠景です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見たダムの様子。



同じく、大日湖側から見たダムの様子はこんな感じです。



調べてみると大日川と称する川は全国に11ほどあり、北は福島県相馬市を流れるものから南は愛媛県西条市を流れるものまであるんですね。また大日川ダムと称するダムは兵庫県南あわじ市にもあるようです。いつか行けたらいいなあ…。
コメント

痒くはないけど…手取川第三ダム

2020-10-17 07:09:35 | 石川(ダム/堰堤)
今回目指すのは白山市河内町口直海(はくさんしかわちまちくちのみ)にある北陸電力が管理する手取川(てどりがわ)水系の手取川第三ダム。アクセスは国道157号沿いにある河内郵便局近くの県道181号を進んで行くと到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をどうぞ。



別の角度からもう一枚。



ではダム横へ行ってみます。まず目に入るのはこの建物「手取発電管理所」。





近くには手取川第三ダムの構造図。



ダム本体に嵌め込まれたダムのプレート。



その横に水利使用標識。河川名「直海谷川」は(のみだにがわ)と読みます。何だか痒くなりそうな名前ですねえ。直海谷川は500〜600m下流で手取川に合流します。



近くにはフランシス水車と水圧鉄管の展示物。調べてみると今日の水車の主流はこのフランシス水車だそうです。この水車を開発したのはイギリス出身のアメリカのエンジニアであるジェームズ・ビシェノ・フランシス(1815-1892)で、1833年にアメリカへ移住し技術者としての腕を磨きます。

このフランシス水車が考案されたのは1848年で、それまで主流だったフルネーロン水車(1826年にフランスのブノワ・フルネーロンが開発)のエネルギー変換効率が80パーセントだったのに対し、フランシス水車の効率は何と90パーセントを達成。以来、ほとんどの水力発電所ではフランシス水車が使われているそうな。ほぅほぅ。





で、肝心のダム上はどうなっとんねん! とお思いでしょうね。そうでしょう、そうでしょう。ワシもそう思いますよ。でもね、何だかダム上には足を踏み入れてはいけないような雰囲気があったんです。北陸電力もどこかの電力会社のようにダムをオープンにしない気質みたいなものがあるのかな…。知りませんが。

申し訳ないので、せめて貯水側から見たダムの様子だけでもお見せしましょう。



これでご勘弁ください。
コメント