ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

小武川の堰堤たち(7)…小武川第三発電所取水堰

2024-04-28 06:59:52 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きになります。小武川(こむかわ)沿いの道をさらに遡っていきます。すると、道路の右側にこんな建物が…。なんでしょうね。

「東京電力 甲府制御所 小武川第三発電所取水口」とあります。

グーグル先生の地図で確認すると、この近くに同発電所取水堰があるようなので小武川へ向かいます。すると、こんな水路が見えてきました。おそらく小武川から取水されてきたものなのでしょう。

近くにある水利使用標識。

そして小武川に近づくと…おおっ、これが取水堰!

昨日記事にした上来沢川ダムの壁面と同じ石積みスタイルです。ま、そりゃそうだ、その記事で書いたように同発電所の運用開始は1927年12月。つまりこの取水堰の築造もその頃。だから同じような工法で築造されたのでしょうね。

取水堰の上流側から見た様子。

この左岸側のところに取水口があり、そこから取水した水が先ほど見た水路を通って上来沢川ダムへ送水されるようです。そういえば、この水の色、確かに同ダムに溜まっていたものと同じ色ですね(笑)

左岸、取水堰から見た小武川の上流方向の様子。


さらに小武川の上流へ行こうとしたんですが、訪れた時、この先は冬季通行止めで行けませんでした。なので、このシリーズは今回は終了します。また暖かくなって機会があれば出かけてみるつもりです。
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小武川の堰堤たち(6)…上来沢川ダム

2024-04-27 06:52:33 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きです。小武川第一砂防堰堤沿いの道をさらに遡って行くと右側から上来沢川(かみくりざわがわ)が小武川へ合流してきます。その上来沢川に築造されているダムが上来沢川ダムで、今回の目的地となります。ここはダム便覧に登録されているので期待は高まります。

ところが、小武川沿いの道から上来沢川の上流へ行こうとするもクルマで行くことはできません。なんと、車両通行止めなんですよ。

でも、立入禁止ではないのでクルマをその場所に停め、歩いて向かうことに。おそらく目的地までは1.0kmくらいはありそうですが、せっかく来たので覚悟を決めて出発。

まあまあ歩いたと思われるところで「第一村人」ならぬ最初の堰堤に遭遇。

左岸側の堰堤本体に銘板が嵌め込まれているのですが、ズームしても読めず…。


しばらくして、また堰堤らしきものが見えてきました。

ここは右側に銘板が嵌め込まれていて、昭和61年度の治山事業として築造された谷止工(たにどめこう)と判明。

この時点でまだ400mほどしか進んでいません。緩やかながら坂道が続きます。うーん、なかなかキツい。

坂道を進んで行くと思わず目を疑います。え?なに?道と上来沢川が交差してるやん!訪れた時は川の水量が少なかったので飛び石を渡って先へ進みます。


今度は川の左岸側の道を登っていきます。すると、またまた堰堤らしきものが登場。

銘板を見ると昭和62年度の治山事業として築造された谷止工であることがわかります。


さらに道を登ります。ちっとも目的地に到着しません。もうね、足のももがパンパン。緩やかとはいえ、ひたすらの坂道は堪えます。

そして見えてきたのがちょっと古めかしい谷止工。あとでわかるのですが、おそらくこれは上来沢川ダムの築造と同時期に作られたものと思われます。でも、まだ着きません。


何度か休みながら登って行くと、ようやく目的地が見えてきました。あれのようです。

近くまで来ました。いや〜、ツラいツラい。でも古そうな感じのダムですね。それもそのはず、上のリンク先のデータによれば、築造されたのは、なんと1927年!昭和2年ですよ。石積みの感じといい、まさに昭和初期の工法です。すぐ下流の谷止工もその工法であるのは明らか。

高さ=19.0m、長さ=49.6mの重力式コンクリートダムということで、上部と下部をパチリ。


左岸のダム横には水利使用標識があります。使用者が東京電力リニューアブルパワー株式会社なので当然発電を目的としています。

すぐ近くにある建物は管理所かな?

その壁面にある表示は「上来沢調整池…」までは読めますが、その下は読めず。むぅ。

左岸、上流側から見たダムの様子。美しい水の色です。

近くにある表示板。これによれば当該ダムは小武川第三発電所の調整池らしい。それはいいんですが、よく見ると上来沢川の読み方が上のリンク先の表示とは異なっています。ここでは「かみくるさわかわ」なんですよね。ちょっと、ちょっと、どちらが正しいの?


それはさておき、小武川第三発電所はどこにあるんだろうと思い、調べてみると小武川の下流にある小武川第四発電所取水堰のすぐ上流側にあることがわかりました。そして、さらに国土地理院の地図を見ると上来沢川ダムに貯水されている水は上来沢川の水のみならず次回記事にする小武川第三発電所取水堰で取水された水がここへ流れ込んでいることも判明。調整池という名称はそういうわけだったのです。

こうした連携を調べるとダムの意味がよりわかって面白いですよね。ダムに関するブログやサイトは多くありますが、そのほとんどはダムを単体でしか見ていません。確かに独立したダムもありますが、調整池的役割を果たすダムや揚水発電を行なっているダムは決して単体ではありません。周辺の関連施設と連携してはじめて機能するのです。だからこそダムは単体で見るのでなくトータル的に理解する必要があるんじゃないかと思うんですけどね。ええ。

続きます。
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小武川の堰堤たち(5)…小武川第一砂防堰堤

2024-04-26 06:55:51 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前々回の続きになります。小武川下流砂防堰堤からさらに遡ります。小武川沿いの道を大きく右カーブしたすぐのところに次の堰堤が見えてきました。
 
それがこちら。
落水部の切れ込みが深い堰堤です。
左岸、堰堤横に来ました。堰堤は道の少し下にあります。そのため堰堤に近づくことはできません。
堰堤の上には銘板がありますが、太陽のような形をした柵が邪魔で銘板の内容がなかなか読み取れません。
角度を変えてなんとか読み取ろうとします。するとこの堰堤は「小武川第一砂防堰堤」と確認できました。そして高さは14.5m、長さは113.0mで、平成25年(2013年)3月に完成したもののようです。
 
銘板から明らかなように、先ほど回ったカーブあたりからが小武川の下流というようです。たぶん。というのも、今回の堰堤から「下流」の文字がなくなるからです。
 
まだまだ続きます。
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小武川の堰堤たち(4)…小武川下流砂防堰堤

2024-04-24 06:59:58 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きです。小武川沿いの道を約1.0kmほど遡って行くとまたまた堰堤が見えてきます。それがこちら。

コンクリート製のしっかりした砂防堰堤のようです。

左岸、堰堤横から見た様子。堰堤上の表示板には「小武川下流ダム」と書かれています。

堰堤の上にはふたつの銘板があり、手前には「小武川下流ダム」と記されたもの。高さ=14.0m、長さ=183.0mで平成3年(1991年)10月完成とあります。

奥にある銘板には「小武川下流砂防堰堤」と表示されていて、平成24年(2012年)3月完成、補強厚1.5m〜3.6mと記されているのでこれは補強工事が行なわれたことを示しています。名称が「ダム」から「砂防堰堤」に変わっているのは砂防法の定義からすると高さが15.0m以下なのでこちらが正しい表記となります。

堰堤への侵入防止柵を避けて上流側から見るとこんな感じ。


周囲には木があったり、 侵入防止柵があったりで堰堤の上に行けず、また堰堤の下にも行けないため「御尊顔」を拝むこともできませんでした。

次回へ続きます。
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小武川の堰堤たち(3)…小武川第四発電所取水堰

2024-04-23 06:55:26 | 山梨(ダム/堰堤)
へへ、どーも、ワシです。前回の続きになります。小武川沿いの道を400mほど遡って行くと堰堤らしきものが見えてきます。それがこちら。

同じような大きさの石が全面に貼られている、古い感じの堰堤ですね。

左岸、堰堤横に来ました。そこからみるとこんな感じ。

「東京電力リニューアブルパワー株式会社」の文字が見えます。グーグル先生の地図を見ると、ここは「小武川第四発電所取水堰」というそうな。

国土地理院の地図を見ると、小武川第四発電所はここから直線距離にして1.1km下流にあり、ここの右岸から取水して小武川とは別の水路を通って送水され発電に利用されるようです。調べてみると同発電所が運用開始されたのは昭和2年(1927年)11月なので、この堰堤が築造されたのもその頃と推定されます。(参考

堰堤横から見た下流方向の様子。同発電所はここを下っていき、前々回の記事で取り上げた「小武川下流第1床固」のすぐ下流の右岸にあります。


堰堤の工法を考えると確かに昭和初期の堰堤スタイルです。100年近く前に築造されていると思われるので、そのうち登録有形文化財に指定されるかも? でも、いまいちアートっぽくないから無理かな。

続きます。
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小武川の堰堤たち(2)…無名の谷止工

2024-04-22 06:53:13 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きになります。小武川沿いの道を遡って行くと、右カーブを過ぎた先で目の前にこんな築造物が出現します。写真では伝わりにくいですが、思わず「おっ!」と声が出てしまうくらいの存在感。


近づいてみます。築造物本体に貼られた銘板。令和2年度の治山事業により築造された谷止工だそうです。

そこから下流方向を見るとこんな感じ。

参考までにこの場所の地図を載せておきます(写真中央の「➕」)。


ちなみにこの場所をストリートビューで見ると、撮影日時が2012年6月なので当該谷止工はまだありません。でも、その時点で山腹から土砂が流れ、道に到達しているので、この場所では頻繁に山腹崩壊が起きていたことがわかります。そして、おそらくその土砂流出を防ぐ目的でこの谷止工は築造されたのでしょうね。

続きます。
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小武川の堰堤たち(1)…小武川下流第1床固

2024-04-21 06:59:57 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回から山梨県韮崎市を流れる富士川水系小武川(こむかわ)の堰堤をできるだけ辿っていきます。小武川は以前訪れた徳嶋堰頭首工のすぐ上流で釜無川へ流れ込みます。なので、小武川へのアクセスはそのあたりから入って行くことになります。一番わかりやすいのは国道20号の「宮脇」信号のT字路から入るルート。そこから道なりに進んでいくと小武川に近づきます。「宮脇」信号のところには武川米直売所「なごみ」があるのでそれを目印にすると良いと思います。

小武川に突き当たり、右(上流方向)へ進んでいくと、まずこんな景色が見えてきます。

吸い寄せられるように近づくと、そこには銘板が。「小武川下流第1床固」だそうで、平成27年(2015年)3月に完成したものらしい。

理由は分かりませんが、なぜかもっと近づきたくなります。

左岸から落水部分を見下ろすとこんな感じ。

そこから下流方向を眺めます。

一方、上流側の景色。


この床固(とこがため)の高さは5.9mなので特に大きいものじゃないんですが、なんでしょうね、同じ大きさの石をコンクリート面に埋め込む工法のせいなのか妙に惹かれるものがあります。

参考までに、この場所の地図を載せておきます。目的地は写真中央の「➕」です。


続きます。
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藪の先に…細田沢堰堤

2024-04-17 06:54:17 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は山梨県山梨市西に細田沢堰堤というのがあるようなので行ってみることにします。アクセスは国道140号沿いの花輪自動車鈑金塗装工場のT字路を入り、「採石工場入口」の看板のある先の交差点を右へ。そのまま道なりに進んでいくと到着します。地理的な位置としては大石神社の西になります。

これが細田沢堰堤ですが、

実は上に記した道沿いから見えるわけじゃありません。その道沿いにある倉庫前の道から入っていきます。でも、そこから先は藪なので当該堰堤に近づくには草をかき分けながら進むことになります。

堰堤の下に来ました。見上げるとこんな感じ。

足元にはひっそりと銘板が置かれていました。これでも草をかき分けて見えるようにしたんですよ!高さ=13.0m、長さ=82.0mで、完成は平成26年(2014年)2月。

堰堤の横に行くことはできない感じなので上流側がどうなっているのかは不明。仕方ないので堰堤下から下流方向を眺めてみました。この水路が細田沢らしい。


ここはグーグル先生の地図の地形地図にも国土地理院の地図にも載っていません。住所を頼りにグーグル先生の地図の航空写真を見て堰堤の存在を確認しました。探すのは面倒くさいですが、お目当ての場所を見つけた時は思わず「よっしゃ!」と歓喜の声を心の中であげます(笑)
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霊峰富士が!…第二上の沢(砂防)堰堤

2024-04-16 06:57:36 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山梨県山梨市北に堰堤らしきものを見つけたので行ってみることにします。アクセスは国道140号を八幡南インターで下り、国道の側道をしばらく進みます。そして突き当たりを左に曲がり、県道31号に入ります。少し行くと左側に八幡農協共選所が見えてくるのでそこの脇道を右へ入ります。ここからは道が狭くなるので注意。心細くなりながら道なりに進んでいくと、なんと動物除けのゲート(4本の電線)が出現。うはっ、万事休すかと思えますが手動で外せば先へ進むことができます。そのまま道を登って行くと突き当たりが目的地です。

到着しました。これのようです。

名称は「第二上の沢堰堤」。高さ=14.5m、長さ=72.5m。完成は平成18年(2006年)3月。火山砂防事業により築造されたものだそうです。ま、堰堤には違いないんですけどね。

これで「あー、そうですか」と帰るのもなんなので右岸側の堰堤横へ。そこから見た様子がこちら。

あれ、そこにある表記によれば堰堤名は「第二上の沢砂防堰堤」になってます。また完成年月も平成17年(2005年)3月に…。うーん、表記が統一されていませんなあ。いったいどちらが正しいんでしょうか。

堰堤の上に行けそうなので中央へ行ってみます。落水部の様子はこんな感じ。

そこから見た上流方向の様子。

堰堤下を覗き込み、

遠方を眺めると…、おおっ、富士山が!

思わずズームしちゃいました。

中央から右岸側を見るとこんな感じ。


堰堤の下からここまでは実際のところ道がないので斜面を登らないと辿り着くことはできません。なかなか苦戦しました。でも、富士山を拝むことができたので疲労は一気に飛びました。ただ、「第二」とあるんですが「第一」もあるんでしょうか。国土地理院の地図では見当たらないんですよ。
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存在感!…地蔵沢(大蔵沢)谷止工

2024-04-14 06:56:42 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、前回まで富士川水系日川の堰堤を辿りましたが、それらを見終えて県道218号を下ってきた時のこと。県道沿いにある日川渓谷レジャーセンターのすぐ上流のカーブのところで存在感のある築造物を発見。

それがこちら。近づいてみることにします。

「崩壊土砂流出危険地区 大和町田野大蔵沢地区」

さらに近づきます。立派な砂防堰堤ですね。

そこから下流方向を眺めます。

堰堤の上流がどうなっているのか気になったので右岸の道を登り、堰堤の横に来ました。ご覧のように堰堤は道の下にあります。

堰堤の壁面に嵌め込まれた銘板。それを見ると平成27年度の治山事業として築造された谷止工のようです。高さや長さは不明。

谷止工の上に降りられそうなので行きます。そこから見た様子。

中央へ来ました。落水部はこんな感じ。

そこから見た上流方向の様子。上流には複数の床固工のようなものが見られます。

落水部の下を覗き込み、

下流方向を眺めます。写真右下のカーブしている道は県道218号。

中央から右岸側を見るとこんな感じ。


銘板には地蔵沢とも表記されていますが、国土地理院の地図を見ると大蔵沢とあるので両方の表記があるようですね。それはともかく、この谷止工、現場に行くとなかなかの迫力があります。
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日川の堰堤たち(5)…嵯峨塩4号堰堤(ダム?)

2024-04-13 06:57:17 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きです。嵯峨塩2号堰堤から上流へ約200mほど登ったところに堰堤を発見。それがこちら。

右岸の堰堤横に来ました。堰堤は県道の下にあるので見下ろす形になります。

右岸の堰堤の上にある銘板。「嵯峨塩4号堰堤」の文字が見えます。ただ、銘板は落ち葉に半分埋もれていて、残念ながら高さと長さのデータが読めず…。また竣工年も確認できません。でも「平成元年度荒廃砂防事業」の文字が読めるのでこれが完成したのはその頃と推測されます。

右岸、上流側から見た様子。

そこから上流方向を見るとこんな感じ。


この上流には堰堤はもうないかな…と思い、この時は探検するのを諦めました。ところが、後日改めて調べてみると上日川ダムのすぐ下流に堰堤らしきものがあるのを発見。むむむ。また機会を見て行ってみることにします。

それにしても、「2号」から「4号」までの距離は上に書いたように約200mほどしか離れていません。もし順番通りであればその間に「3号」があるはずなんですが、見当たりません。どこかにあるんでしょうか…。
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日川の堰堤たち(4)…嵯峨塩2号堰堤

2024-04-12 06:50:45 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きになります。日川嵯峨塩堰堤から上流へ約300mほど遡ったところに、また堰堤を見つけました。それがこちら。

右岸、堰堤横から見た様子。堰堤は県道から少し下にあります。

右岸の堰堤横には銘板があり、それによれば、この堰堤名は「嵯峨塩2号堰堤」。いま見ているのは令和4年度に完成した高さ=14.5m、長さ=80.0mの堰堤。しかしこれは改築したもので、昭和49年3月10日に完成していた高さ=12.0m、長さ=70.0mのものを高さを2.5m、長さを10.0m増やしています。

右岸、上流側から見ても分かる通り透過型の砂防堰堤になっています。

そこから上流方向を見るとこんな感じ。


実はこの堰堤、もともとは通常の砂防堰堤で、今回の改築工事で透過型に変更したらしい。というのも、2019年4月ここに来た際、たまたま工事中の様子を撮っていたのですが、それを見ると鋼製スリットがありません(参考)。何らかの意図があって方針転換をしたのかもしれませんね。

続きます。
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日川の堰堤たち(3)…日川嵯峨塩堰堤

2024-04-11 06:59:03 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、前回に続き、県道218号を遡っていきます。高級そうな佇まいの嵯峨塩鉱泉 嵯峨塩館を過ぎて、少し登ったところが今回の目的地です。

到着しました。おー、透過型の砂防堰堤ですね。

右岸、堰堤横から見た様子。ご覧のように堰堤は県道から見下ろすところにあるので、ここから堰堤にいくことはできません。

堰堤上にある表示板。ズームすると「日川嵯峨塩堰堤」と読めます。高さ=14.5m、長さ=75.0mで、平成26年(2014年)8月に完成したものらしい。

でも、それ以外の情報は見当たらず、なんとも消化不良の感が否めません。

で、諦めて次の堰堤に行こうと県道を少し登ったところで道端にこんなものを発見。この表記によると先ほど見た堰堤は改築したもので、昭和47年(1972年)1月に完成していたものを高さを2.5m、また長さを19.0m延ばし、あらたに透過型の鋼製スリットを設置したもののようです。

この銘板横に日川へ向かう道があり、それを下って行くと見事な「後頭部」が!


「御尊顔」を拝むことはできませんでしたが、これを見た瞬間にモヤモヤが消えました。

続きます。
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日川の堰堤たち(2)…日川第3堰堤

2024-04-10 06:55:56 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回に続き、日川を遡っていきます。県道218号沿いにある民宿旅館 高山荘(こうざんそう)を過ぎて300mほど登った場所が今回の目的地です(山梨県甲州市塩山牛奥[えんざんうしおく])。

到着しました。日川に降りることができたので下流から「御尊顔」を拝むことに。

そこから下流方向を眺めます。

県道に戻り、右岸の堰堤横に来ました。

堰堤の上には銘板があります。「日川第3堰堤」。高さ=13.0m、長さ=88.0mで、昭和52年(1977年)1月に完成したものだそうです。

右岸、上流側から見た様子。

では、堰堤の上を歩いて中央へ行ってみましょう。中央の落水部の様子。

そこから上流方向を眺めます。

落水部から堰堤の下を覗き込みます。

下流方向の様子。木ばかりで何も見えません。

堰堤中央から右岸側を見るとこんな感じ。県道と堰堤は繋がっている感じなので、ここは見つけやすいです。


ここが「第3堰堤」ということは、「第1」と「第2」も存在するのでしょうか…。

続きます。
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日川の堰堤たち(1)…天目堰堤

2024-04-09 06:52:59 | 山梨(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回からしばらく山梨県を流れる富士川水系の日川を遡っていこうと思います。日川といえば、その上流に上日川(かみひかわ)ダムがあり以前行きました(参考)。その時にはほとんど気づかなかったのですが、調べてみると日川にはいくつかの堰堤があることがわかりました。そこでこのシリーズではそれらの堰堤に焦点を当てます。

最初に向かうのは山梨県甲州市大和町木賊(やまとちょう とくさ)にある堰堤です。アクセスは県道218号を上日川ダム方面へ向かい、天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)を過ぎてしばらくいったところが目的地です。でも、県道から堰堤は見えないので脇道を降りていくことになります(ここからは歩きで)。

急な坂をしばらく下って行くと目の前に土砂で一杯になった堰堤が見えてきました。

日川の左岸、堰堤横から見た様子。

近くにある銘板。これによれば堰堤名は「天目堰堤」で、昭和43〜44年度荒廃砂防事業として高さ=11.5m、長さ=75.7mの堰堤が昭和45年(1970年)2月20日に完成したとあります。そして令和5年度に通常事業として長さが78.0mに拡張する改築工事が行なわれたようです。

堰堤上の表示板には令和6年3月に改築工事は完了したとあります。

堰堤の中央へは行けないので左岸から上流方向を眺めます。

一方、下流方向はこんな感じ。

そして、リニューアルされたお姿がこちら。


さて、堰堤名の「天目」は何に由来するんでしょうね。推測してみます。おそらく直接的には堰堤築造当時このあたりの地名が東山梨郡大和村天目だったことに由来すると思われます。大和村(やまとむら)は2005年11月1日に塩山市(えんざんし)、勝沼町(かつぬまちょう)と合併して甲州市となり消滅しました。

じゃあ「天目」は何に由来するのでしょうか。これは上に示したリンク先の栖雲寺の説明の中にヒントがあります。栖雲寺は1348年に業海本浄により開山されました。天目山と命名されたのは開山したこの場所が業海の修行した中国浙江省の杭州市にある天目山の景色に似ていたからだそうです。地名の天目は寺が開山したのち、それにあやかってそう呼ばれるようになったのではないでしょうか。たぶん。

続きます。
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