ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

いろいろある…天ヶ瀬ダム

2023-03-16 15:01:11 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は京都府宇治市槙島町六石山(まきしまちょう ろくこくざん)にある淀川水系の天ヶ瀬(あまがせ)ダムを目指します。アクセスは京滋バイパス(国道1号)の宇治東インターチェンジを降りて府道7号を左折し、宇治川を越えた所の「宇治橋西詰」信号を左折。突き当たりを左折して府道3号をそのまま行くと目的地に到着します。

左岸から見た様子。ご覧のようにアーチ式のダムです。


天ヶ瀬ダムの入口は確かに府道3号にあるのですが、ダム自体はこの管理支所の横の道を進んだ奥にあります。この写真はダム側から撮ったもので、その通路は写真だと左側になります。


天ヶ瀬ダム築造構想は既に1947年にありました。その目的は淀川の洪水を防ぐ役割と近畿地方への電力供給だったのですが、築造の直接的なきっかけとなったのは1953年9月に来襲した台風13号で、この時宇治川の向島地先で堤防が破壊されるなど甚大な被害が発生したそうです。こうした災害を防ぐべく翌1954年に淀川水系改修基本計画が決まり、天ヶ瀬ダムは1959年に工事に着手。ちなみにダム名はダムの左岸側の地名から命名されました。そして1964年11月、高さ73m、長さ254mからなるアーチ式コンクリートダムが完成。

左岸側にあるプレート。


左岸から見たダム上。歩いてみましょう。


ダム上の欄干にはあちこちに天ヶ瀬ダムに関する案内が貼られていて勉強になります。例えば天ヶ瀬ダム築造以前の様子がこちら。

発電の説明。写真には「喜撰山ダム」が出ていますが、これは立入禁止になっています。


ま、こんな感じに案内がたくさん貼られていて全部を載せることはできません。ご容赦。

ダム上、中央から見た貯水側の様子。


一方、ダムの真下と、宇治川下流方向の景色。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


右岸から見たダムの様子。


本当はもっと色々と書きたいことがありますが、今は心の整理がついていないのでやめておきます。いずれコラムのような形で書くかもしれません。
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築造年はいつ?…滝上ダム

2022-11-18 07:31:06 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府宮津市万年にある如願寺川水系の滝上ダムを訪れます。アクセスは国道178号沿いにある宮津市民体育館前のT字路を入り、滝上浄水場を横目に見ながらさらに登って行くと到着します。

【万年に至る経緯】
現在ここの地名は万年ですが、それは慶応2年(1866年)以降の話。それ以前は吹屋谷(ふきやだに)と呼ばれていたそうな。吹屋は鍛冶屋を意味するので、このあたりには昔は鍛冶屋が多く住んでいたのかもしれませんね。

さて、右岸に到着しました。そこから見たダム上の様子です。


でも、実際のダム横はこうなっています。つまり洪水吐からの水路と思しきところに架かる橋を渡ってからダム上へ向かうようになっているのです。

でも、ご覧の通り、ダム上に行くことはできません。一番上の写真はそのフェンスの隙間から撮ったものなのでした。


水路の上流側の様子。この先が本当に洪水吐なのかどうかはわかりません。


一方、下流側はこんな感じ。


これだけでは物足りないのでダム下へ向かい、木の間からちょっとだけ見える「ご尊顔」をキャッチ。

よく見ると、ダム下の中央あたりから水が出ています。

染み出てきた水は本当に澄んでいて、流れ出る音を聞かせられないのが残念!


先ほどの水路はここに繋がっているらしく、ダムの下へ流れ落ちる構造のようです。


ダム下から見た下流方向の様子。


宮津市の資料によれば、滝上浄水場が完成したのは1912年6月で、翌年11月から宮津市内の一部に給水を開始したと書かれています。ところが滝上ダムに関しては平成16年(2004年)に改修とあるのみで、築造年についての記述はありません。あー、なんだかモヤモヤした気分。(参考

(おまけ)
ダム下の草むらで見つけた不法投棄の現場。

題して「捨てられた愛妻」…あ、あなた〜。
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行くのはなかなか…岸谷ダム

2022-11-17 07:19:23 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府舞鶴市与保呂岸谷(よほろきしたに)にある与保呂川水系の岸谷ダムを訪れます。アクセスは国道27号と与保呂川が交差する「舞鶴市字浜」の交差点を与保呂川に沿って進み、府道51号から府道487号を進んでいくと与保呂浄水場があるのでそこを右折していくと目的地に到着します。

【与保呂の由来】
さて、与保呂という地名が珍しいので調べてみました。奈良時代の713年、元明天皇が各令制国の国庁に地方の歴史や文物を記した風土記編纂の詔勅を下します。こうして各国の風土記が完成するわけですが、京都北部の内容を記した『丹後国風土記』も同時期(おそらく8世紀中)に編纂されています。そこには有名な「浦島伝説」や「羽衣伝説」も所収されています。『丹後国風土記』の原本は散逸して現存していないのですが、15世紀末に京都の北白川家に伝わっていたものを丹後国一之宮籠神社の社僧である智海が筆写したのが『丹後国風土記残欠』と呼ばれるものです。ここに与保呂についての記述があります。それによれば、

「与保呂と号くる所以は、古老伝えて曰く、往昔、豊宇気大神之神勅によりて、此地に神人仕丁等を置かせらる。故に与保呂と云う。」

とあります。つまりこの場所に神社の雑役や警備を担当する神人(じにん)や古代の律令制において50戸ごとに二人の成年男子が三年交替で諸官庁で労役に服す仕丁(じちょう、つかえのよぼろ)が配備されたことからここを与保呂と呼ばれるようになったというらしい。

しかしながら『丹後国風土記残欠』の中で記されている「地名の由来」は938年に編纂された『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』の誤記を訂正することなく使用していることから、『丹後国風土記残欠』は散逸した『丹後国風土記』を補完するものではなく、どちらかといえば偽書とされているようです(参考)。

いずれにせよ、与保呂という地名が古代において公的な仕事に使役された人民の意である丁(よほろ)に由来するのは間違い無いのかもしれません。

だらだらとまあ書いてしまいました。で、当初の目的地である岸谷ダムに戻りましょう。これが左岸側から見た様子です。


左岸のダム横に来たんですが、なんと立入禁止!貯水池だから仕方がないのかもしれませんね。


扉には経済産業省が運営する平成19年度の近代化産業遺産に認定されたとあります。ただし、これは岸谷ダム(岸谷貯水池)だけが認定されたのではなく「舞鶴市の赤煉瓦製造関連遺産と建造物」の一部として認定されたようです。なんと紛らわしい。


それでもフェンスの間からダム上を見ると、こんな感じです。


しかしまあ、なんとも悔しい。というのはですね、ここへはすんなり到着したわけじゃないからです。まずは与保呂浄水場への入口にある案内板があります。これによれば岸谷ダム(貯水池)は明治38年(1905年)に完成し、旧海軍の水がめとして使用されたのち、現在は舞鶴市の生活用水として使用されているそうな。


その道を入ってくと与保呂浄水場の正面玄関となります。



でも、岸谷ダムは見えません。えー、どこにあんねん。地図で確認するとこの道の先にあるようです。仕方ないのでクルマを降りて向かうことに。

こんな景色を見ながら、

このカーブの先にあるのか?

いーや、ないんかい!

またカーブが…。

おっ、何か見えて来たゾ。


で、ようやく先ほどのダム横へ到着したわけなんです。通常ダム巡りをすると一日に10,000歩から14,000歩くらいは歩きます。なかなかの運動になっていいんですが、時々こういう「試練」に出くわすと途端に息が上がって自分がポンコツであることを思い知らされます。まあ、ポンコツなのは間違いないんですけどね。でも、負けんぞー。
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たぶん…西ヶ谷ダム

2022-09-08 06:53:47 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市右京区嵯峨越畑筋違(さがこしはたすじちがい)にある淀川水系の西ヶ谷ダムを訪れます。アクセスは国道477号から「花の里 越畑」という手書きの看板のあるT字路を入って行くと到着します。ダム名はグーグル先生の地図に載っているもので、国土地理院の地図には記載されていません。ダムのある場所が西ヶ谷というのかもしれませんが、詳細は不明。

右岸に到着しました。そこから見た貯水側の景色です。向こう側(左岸側)に洪水吐のようなものが見えますね。



下流側は、こんな感じ。



そして、これがダム上。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



ああ、やはり越流式の洪水吐のようです。



一方、下流側の景色。森、森、森…。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸から見た下流側の様子。



左岸側にある白いガードレールの付いた橋の下は洪水吐から流れ出た水路です。ただ、ご覧の通り木が水路に覆い被さるように生えていて、そこから洪水吐も下流側の水路も見ることはできません。



西ヶ谷ダムについては築造の経緯や諸元を示す案内板はありません。ましてやここが西ヶ谷ダムだという表示もありません。たぶん間違いないと思いますが…、うん、きっとそうなのでしょう。
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これが正式名称?…鴨川柊野砂防堰堤

2022-09-07 06:56:21 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市北区西賀茂中島町(にしがも なかじまちょう)に淀川水系の柊野(ひいらぎの)堰堤というのがあるので行ってみました。アクセスは国道367号の「北大路橋西詰」交差点から賀茂川沿いに北上し、上賀茂神社(正式名:賀茂別雷神社[かもわけいかづちじんじゃ])を横目に見ながらさらに進んで行くと到着します。

賀茂川の左岸から見た「ご尊顔」。存在感が半端ないです。



左岸の堰堤横から見た様子。ん?「鴨川柊野砂防堰堤」と書かれていますね。名称が違うのか?



ちょい上流側から見ると、こんな感じ。



もうちょい上流から撮ってみます。



次に右岸へ移動し、パチリ。



右岸の堰堤横には案内板があります。ここの表記は「柊野堰堤(砂防ダム)」。左岸の表示板と違いますね。どちらが正式名称なんでしょうねえ。考えちゃうなあ。いや、それより堰堤なのにダムと併記するのはどうなんだろうか。ダムの定義からすると明らかにこれは堰堤なのですから、あえて表示するなら「柊野砂防堰堤」とすべきでしょう。あ、左岸の表示に近いじゃん。





昔から「かもがわ」は増水による氾濫を繰り返してきたそうで、特に1935年の豪雨では市街地が水浸しになり多大な被害があったという。これをきっかけとして「かもがわ」は改修工事が進められ、1941年にこの柊野堰堤が完成したとあります。


右岸、上流側から見た堰堤の様子。



【「かもがわ」の漢字表記について】
ところで、「かもがわ」の漢字表記ですが、賀茂川もあれば、鴨川もあります。これ、どちらが正解なんでしょうか。調べてみると1964年に公布された河川法によると、この川の起点から終点まで表記は「鴨川」で統一されているようです。国土地理院の地図もそうなっていますね。じゃあ「賀茂川」は間違いなのかというとそうでもないようです。つまり慣例として起点から京都御所近くで高野川(たかのがわ)と合流するまでを「賀茂川」、合流してからは「鴨川」と呼ぶのが認められているようなんです。グーグル先生の地図でもそのように表記しているのですが、おそらくその慣例に準じているのでしょう。だからどちらも間違いではないようですね。

こうして見てくると、この築造物の正式名称は右岸の案内板の表記でなく、左岸の看板にある通り「鴨川柊野砂防堰堤」ではないかと思われます。

ふふふ、なんだか発見した気分。
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山科音羽川の砂防堰堤たち

2022-09-06 06:56:13 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府京都市山科区大塚葭ケ谷(やましなく おおつかよしがたに)を流れる山科音羽川に砂防堰堤がありそうなので行ってみます。グーグル先生の地図を見ると「音羽川砂防堰堤」というのがあるらしいんですが…。アクセスは国道1号からフランス家庭料理bistrot Si・ba・kiを目指してください。その前を通り過ぎ道なりに進み山科音羽川沿いに登って行くと到着します。

さて、すれ違いができないほど細い道を進み、山科音羽川に架かる鎌研ぎ橋を渡ってしばらく登って行くと左側にこんな砂防堰堤が見えてきます。



堰堤の横には看板があります。でもロープが張られていて堰堤に近づくことはできません。



堰堤には「山科川砂防堰堤」と書かれています。1956年に京都府土木建築部が築造したとあります。



グーグル先生の地図に書かれている「音羽川砂防堰堤」はまだ上流のようなので、さらに登っていきます。

地図に示されたあたりの場所に来ました。確かに砂防堰堤があります。これかな?



その付近から山科音羽川の下流方向を眺めると、こんな感じ。



左岸、堰堤の横から見た様子。ここもフェンスがあって堰堤の上に行くことはできません。



少し上流側から堰堤を撮ってみます。



その付近から見た上流側の景色。



堰堤の少し上流側のところに看板があります。あれっ、この堰堤の名称も「山科川砂防堰堤」。「音羽川砂防堰堤」じゃないやん!先ほど下流で見た堰堤と比べると高さは2.5m高く、長さは14.5m長いことがわかります。そして完成は1970年3月とあるのでこちらのほうが後に築造されたようです。



これら2つの砂防堰堤から推測されるのは、最初に下流に砂防堰堤を築造したものの、その後この堰堤の規模では災害防止には不十分という判断がなされ(もしくは堰堤の能力以上の災害が発生した)、上流に少し規模の大きいもうひとつの砂防堰堤が築造されたのではないかということ。

本当のところはどうなのかはわかりません。でも確実に言えるのはこの砂防堰堤が「音羽川砂防堰堤」でなく、「山科川砂防堰堤」だということ! グーグル先生、ちゃんと確認せんかい!

ただねえ、確かにその表記は間違ってるんですが、上にも書いたようにこの川の名称は山科音羽川なんですよね。となると現場の看板の表記も厳密にいえば「山科音羽川砂防堰堤」じゃないといけないんじゃないかなぁ…ぬぁんて思ったり。

へへへ。
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管理所からの景色がオススメ!…高山ダム

2022-05-17 06:58:17 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府相楽郡南山城村田山(そうらくぐんみなみやましろむらたやま)にある淀川水系の高山ダムを訪れます。アクセスは県道82号沿いにあるので迷うことはありません。

まずは右岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。なかなか年期の入ったダムですね。



県道を来ると当該ダムの左岸に到着するのですが、そこには高山ダムの案内板があります。これによると、ダム建設は1962年に基本計画が決定し、1969年3月にダムが完成したとあります。



さらにイラスト付きの説明図。親しみやすい感じがします。



このアングルはなかなか良いとは思いますが、このダムがアーチ式には見えません。



でも、こうして見ると案内板にある通り、高山ダムがアーチ式のコンクリートダムであることがわかりますね。



貯水側からだと、アーチ式かどうかはわかりにくいですね。



では、ダム上を進んでみることにしましょう。このダム上は車両通行可ですが、さほど広くないため車同士のすれ違いが難しいんです。そのため通行する際には対向車が来るか確認しないととんでもないことになります。

ダム上、中央付近に掲げられた水利使用標識。関西電力による発電用ダムなんですね。



同、中央から見た名張川の上流方向の景色。



一方、下流側の景色は、こんな感じ。



対岸(右岸)に来ました。そこからダムを見ると、こんな感じです。



右岸にも左岸側にあったのと同じ説明図があります。



高山ダムでは水質を保全する取り組みを行なっているそうな。川を堰き止めると、どうしても植物性プランクトンが増殖しやすくなり、富栄養化現象が発生しがち。そこで川の中に連続的に気泡を発生させ、水を垂直方向に流すことで川面に集まっている植物性プランクトンを川底に送ることでその増殖を抑えているのだそう。さらにダムの上流側に分画フェンスを設置することで植物性プランクトンが下流へ行かぬようにする対策も取られているそうな。ほ〜。



右岸には慰霊碑があり、ダム建設の際に亡くなられた6人の名が刻まれています。合掌。





そこからダムを見ると、こんな感じ。



右岸の高台には「高山ダム管理所」があります。





そこからダムを見下ろすと、こんな感じ。綺麗なアーチを描いているのがわかりますね。



先ほども書いたようにダム上は狭いので対向車の有無を確認する必要があります。でも、見通しがあまり良くないのでそこを通過するには正直勇気がいるかもしれません。しかしながら県道に戻る必要がなければ右岸から国道163号へ抜ける道が用意されているので何も恐怖に怯えながらダム上の道を戻らなくても良いのでご安心を!
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あ〜ら、いらっしゃい!…大野ダム

2021-11-15 06:56:00 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府南丹市美山町樫原(かしはら)にある由良川水系の大野ダムを訪れます。アクセスは国道27号から府道12号に入り、そのまま進むと府道沿いに「京都府大野ダム総合管理事務所」があります。その隣に駐車スペースがあるのでクルマはそこへ停めましょう。

まずは洪水吐に焦点を当てた写真から。これだけ見るとそんな大きなダムじゃないなと思うかもしれません。でも、



右岸のダム下から見るとこんなに横長なダムであることがわかります。



では、順を追って見ていきましょう。大野ダムへ行くには府道12号沿いにあるこの看板が目印。



府道沿いにあるこの建物が「京都府大野ダム総合管理事務所」。





貯水湖の名称は「虹の湖」。ダム湖百選のひとつでもあります。



ダムへ行くには管理事務所の横の細道を進み、階段を下りていきます。すると、大野ダムの概要と諸元を示す案内板があります。これによると当該ダムは由良川総合開発計画の一環として洪水調節を主たる目的として1961年に完成したダムだそうです。また洪水調節に支障のない範囲内で発電も行なっているとのこと。



右岸のダム横には大野ダムのプレートが嵌め込まれたモニュメント。なかなかオシャレです。



別の角度から。これによれば建設省(現在の国土交通省)と近畿地方建設局が築造したもので、竣工は1961年3月31日。着工は1957年11月31日。ん?? この年は11月は31日まであったんでしょうか? たぶん「30日」の間違いだと思うけどね。お役人様、しっかりしてくだせぇ。



ダム本体の欄干の上に設置された看板。いやいや、この看板の形状はどう見ても繁華街にあるスナックのそれでしょう!「スナック 大野ダム」と書かれていても違和感はありませんね。この日1番の傑作。



そしてこれがダム上。進んでみましょう。



「虹の湖」の右岸を見ると最高水位を示す2つの標識が。ひとつは2004年10月28日の台風23号来襲時の水位。この時由良川流域では福知山市から舞鶴市にかけて氾濫し、国道175号が冠水したそうです。もうひとつは2013年9月16日の台風18号来襲時の水位。この時の由良川流域では舞鶴市、福知山市、綾部市で合計448haが冠水したそうな。



ダム上、中央から見た「虹の湖」の様子。



一方、ダムの真下はこんな感じ。高さはあまりないように思えますが、それでも61.4mあるんです。



でも、下流側の遠景を見れば「ああ、それなりの高さだな」と実感します。



洪水吐付近に嵌め込まれた「大野ダム 建設省」と「概要」のプレート。





洪水吐の別の柱に嵌め込まれたプレート。これによるとダムの着工は1957年11月1日。あれ?先ほど見たダム横のモニュメントの日付と違いますね。どういうことなんでしょうか。



別の場所にも「大野ダム 建設省」のプレート。う〜ん、嵌め込むのが好きだねえ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



プレートが多数嵌め込まれているのは仕方ないとしてもスナック風の看板は…ちょっとねぇ(苦笑)
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弁財天宮が見下ろす…由良川ダム

2021-11-14 07:12:40 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府綾部市戸奈瀬町下ヶ成(あやべしとなせちょうしもがなる)にある由良川水系の由良川ダムを訪れます。アクセスは昨日の記事で訪問した和知ダム脇の国道27号を京丹波わちインター方面へ。インター入口を横目にそのまま国道を進み、国道沿いにある「綾部市」の看板の先の細い道を入って行くと到着します。

で、到着したのはいいんですが、敷地内には立ち入らせないことで有名な関西電力だけあって鉄柵でガッチリとガードされています。写真中央に見える建物が管理所かな? いや、はっきり見えませんが「取水口見張所」のようです。





近くには水利使用標識。ご覧のように鉄柵の上には有刺鉄線! さすが秘密主義に徹する関西電力様です。



場所を移動します。ここがベスト・ショットの場所なのでしょうが、木が邪魔してよく見えませんね。



右岸、ダム横のこの場所には弁財天宮があります。





そこからダム横を見た様子。越流式の大きな堰堤という感じです。でもデータによれば高さが15.2mあるのでダムには違いありません。対岸(左岸)には魚道らしきものも見えますね。



右岸のダム横の上流側にあるこの写真のところが取水口のゲートのようです。ここからすぐ下流隣にある新由良川発電所へ送水されるのでしょう。




右岸からしかダムを見ることができませんでしたが、まあ関西電力のダムとしては見せてくれてるほうだと思います。だから良しとしましょう。
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国道沿いだけど近づけず…和知ダム

2021-11-13 07:02:17 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府船井郡京丹波町市場(きょうたんばちょういちば)にある由良川水系の和知(わち)ダムを訪れます。アクセスは由良川と並行して走る国道27号沿いにあります。

国道からダムを見るとこんな感じ。



ダム横に近いところから、もう一枚。こっちのほうが絵になるかな?



貯水側からダムを見るとこんな感じ。遠くに見える山の形が格好良いです。なんていう山なんだろうか。



ダムの上流側の由良川の様子。



そこから国道を下流方面へ行くと関西電力の和知発電所へ向かうスロープがあります。でも秘密主義でお馴染みの関西電力なので当然のことながらそれ以上立ち入ることはできません。





ダム名の「和知」はこのあたりのかつての地名に由来すると思われます。資料によると当該ダム竣工が1968年なのですが、当時このあたりの住所は京都府船井郡和知町(わちちょう)だったため「和知ダム」と命名されたのでしょう。ちなみに和知町は2005年10月10日までの名称で、翌日から近隣の丹波町、瑞穂町(みずほちょう)と合併して京丹波町に改称しました。
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国道27号から見えるゾ…畑川ダム

2021-11-12 06:57:18 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は京都府船井郡京丹波町下山(きょうたんばちょうしもやま)にある由良川水系の畑川(はたがわ)ダムを訪れます。アクセスは山陰本線の下山駅近くの国道27号から見える場所にあります。

まずは国道から見た畑川ダムの「ご尊顔」をご覧ください。小ぶりながら存在感があります。



ではダムに近づいてみます。国道から入っていくとまず目にするのが畑川ダム管理所。





その横に畑川ダムの案内図があります。これによると当該ダムは洪水調節、水道用水の確保、河川流量の安定化を目的とし、2013年3月に竣工したそうな。案内図には「平成24年度完成」とありますが、隣に置かれた「畑川ダム竣工」の碑から竣工年月が特定できますね。





貯水湖名は「下山四季彩湖」。四季の様々な彩りと色彩を掛けたネーミングですな。



左岸、下流側から見たダムの様子。こう見ると、なかなかゴツいねえ。



これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た下山四季彩湖の様子。写真右奥のほうに昨日記事にした畑川脇ダムがあります。



一方、ダム下はこんな感じ。



そして下流側の遠景。写真上に通っている陸橋が国道27号。



あっという間に対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



下山四季彩湖側からダムを見ると非常用洪水吐は越流式なのがわかります。



まあ、それは下流側から見てもわかりますけどね。へへへ。



築造されてまだ8年目のダムなので初々しさがあります。それはコンクリートの色からわかりますね。
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予備的な?…畑川脇ダム

2021-11-11 07:17:47 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府船井郡京丹波町下山(きょうたんばちょうしもやま)にある由良川水系の畑川脇(はたがわわき)ダムを訪れます。場所は山陰本線の下山駅の近く。国道27号から山陰本線の北側の道を入っていくと到着します。

地形的に正面から「ご尊顔」が拝めないので、左岸の下流側から見た様子をどうぞ。



国道27号から入ってしばらくするとこんな景色になります。雰囲気的には橋に見えますが、これがダム上の道。この下にダムがあるんですね。訪れた時、この道路は手前から車両通行禁止になるのでダム上は現段階では通行できません。なので歩いて渡ります。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



一方、ダム下はこんな感じ。左岸のダム横から下りるジグザグの道があるのですが、柵があって下りることはできません。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。もー、フツーの道路にしか見えません。



左岸、貯水側から見たダムの様子です。



ダム名が「畑川脇」ですから、これはいわば非常用の、予備的なダムと思われます。周囲に案内板や諸元表がないので詳細は不明です。次回は「本家」である畑川ダムを取り上げます。
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学び、楽しむ場…日吉ダム

2021-11-10 07:08:46 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府南丹市日吉町中(なんたんしひよしちょうなか)にある淀川水系の日吉ダムを訪れます。アクセスは府道50号を行くと当該ダムの左岸に到着します。そこからもダム上に行くのは可能ですが、ダム上近くには十分な駐車スペースがありません。なので、府道の坂を少し下り、桂川に架かる橋を渡って右岸から坂を登って行くとゆったりと駐車できるのでそちらがオススメ。

まずは府道50号の坂を下りる途中から見た「ご尊顔」をご覧ください。



では、順番を追って見ていきましょう。府道を桂川の上流方面から来るとこんな感じで見えてきます。



先にも書いたようにゆったりと駐車したいので右岸の坂を登っていきます。そしてまず目に入るのが日吉ダム管理所の建物。ちなみに管理所の写真は映り具合を考慮してダム上から撮っています。





右岸のダム横には日吉ダムの概要と役割を説明する案内板。洪水調節、流水の正常な機能維持、水道用水の確保を目的とする多目的ダムで、1998年3月に竣工とあります。



別の案内板では水道用水の供給について説明しています。これによると日吉ダムの水は大阪府、京都府、兵庫県に供給されているそうな。ほほぅ。



近くには「天若湖(あまわかこ)」と記された巨大岩がドスンと置かれています。これがダム湖の名称。



なぜ天若湖なのか…。その理由はこの案内板を読めばわかります。つまり日吉ダムの完成によって誕生した湖を上空から見たら龍の姿に似ていた。それはこの地域で伝承されてきた神様「天若日子(あめのわかひこ)」の力により神の化身である龍の姿になったのだと。確かに湖の形は龍に似ています。これが周囲の動植物にエネルギーを与え、「ひよし龍の森」と呼ばれる所以になっているのでしょう。ただし、先に挙げた案内板によると1998年3月竣工となっていますが、ここでは1997年完成となっています。果たしてこの違いはなに?



この付近からダムを見るとこんな感じ。



では、いよいよダム上を歩いてみることにします。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。天若湖はダム湖百選のひとつなんですね。



右岸の管理所のすぐ下のところには最高貯水位を示すマーク。2013年9月16日に台風18号が来襲した時の水位だそうです。この時、南丹市園部や下流の亀岡市では多数の床上・床下浸水が発生したようです。



右岸側の斜面には「日吉ダム」と刈り込まれた文字。



ダム上、中央から見た天若湖の様子。なるほど、ダム湖百選に選ばれるのもわかります。



同、下流側にはユニークなものが。なんと副ダムの上にループ橋があるんです。しかしこれは歩行者のみ通行可。





貯水側にあるこの建物はなんでしょうね。とても気になります。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ここは府道50号とつながっています。



左岸のダム横にある案内板。これによると先ほど気になった建物は「選択取水設備」と言うらしい。それがなんなのかはわかりませんが。



左岸からみた「選択取水設備」の様子。見れば見るほど不思議な形に見えてきます。



左岸、下流側から見たダム。これもなかなか絵になります。



最後に、下流の広場から見た非常用洪水吐の様子をどーぞ。



日吉ダムについてもっと知りたい方はコチラをご覧ください。色々学ぶことができますよ!
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いずれ完全に水没?…世木ダム

2021-11-09 07:03:01 | 京都(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は京都府南丹市日吉町天若(ひよしちょうあまわか)にある淀川水系の世木(せぎ)ダムを訪れます。ダム名は当該ダムの北側にある日吉町の世木(せき)地域に由来するものと思われます。アクセスは桂川に沿って走る府道50号を進むと到着します。

まずは右岸、下流側から見た「ご尊顔」をご覧ください。一般的なダムに比べなんとなくスッキリしていると思いませんか? よく見ればゲートがありません!なお、写真左上に見えるガードレールのところが府道50号。



その府道50号から世木ダムはこんな感じに見えます。でもこちら側(左岸)からダムへ近づくことができないので右岸に行ってみることにしました。



右岸、上流側からダムを見るとこんな感じ。ご覧の通り、右岸の道はダムよりも高いところを通っています。



ダムへ近づく道はないかなとキョロキョロしていると「世木ダム遊歩道」の看板が。



この階段を降りて行くとダムへ行けるようなので行ってみましょう。



右岸のダム横に来ました。これがダム上になります。行ってみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子です。遠くに見える白いガードレールのところが府道50号。



一方、ダムの真下はこんな感じ。ザーッと落水しています。



そして下流側の遠景はこんな感じ。この先が天若湖になります。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



それにしても周囲に案内板がないので当該ダムの詳細はわかりません。あとで調べてみると1951年に竣工した世木ダムは、下流の日吉ダムが1997年に完成したことで大部分が水没したらしい。だからゲートも撤去されたのでしょうね(参考)。
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