ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

6月も終わりだな

2004-06-30 21:35:32 | 脳みその日常
なんや知らんけど、もう半年終わってもうたな。
あと半年で正月か…ってゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

今年は何か新しいことをしようと思っとるんやが、諸般の事情でなかなか進まん。
うーん、まだ充電しとれっちう天の声か?
わからんけど。

明日から7月。
おーし、6月を締めくくる意味で、恒例のドライブにでも行ってくるか。
(なんちう無理のあるこじつけやねんっ)
その模様は、のちほどレポートする予定ですんで、お楽しみに。
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やれやれ…

2004-06-29 23:20:04 | 脳みその日常
講義も無事終了。それにしても受講者が増えんな。
あれっ、そんなセリフは先月も書いたような…。
しかし、今回は新しい人が2人来た。
常連になってくれることを祈るばかりである。

ウチの講義の特色(?)は、講義が終わってから近くの喫茶店で「二次会」があること。
いや、こちらがメインだったりしてね。
それはともかく、新しい受講者が言うには、

受講者「先生の頭の中はどうなってるんですか?」
ワ シ「いえ、フツーに脳みそが詰まってますが」(受講者、苦笑)
受講者「なんでいろんな知識が次から次へと出てくるのが不思議なんですけど」
ワ シ「( ̄~ ̄;) ウーン、なんなら頭ん中、見てみます?」(受講者、ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!)

ま、こんなたわいもない会話が交わされる。
ところで、この「二次会」に集うメンバーだか、ワシは最年少なのだ。
つまり受講者のほうが年長なのである。
だからある意味ではツラいものがあるのさ。
ムカついても激怒するわけにもいかないしねえ。
エヘラエヘラ笑うしかない…。
なんたって、あちらはワシの「お客様」だからなあ。

お客様は神様とは、よく言ったものよ。
客を粗末に扱ったら商売はたちまち左前になる。
うんうん、よーくわかるわ。
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準備、準備♪

2004-06-28 23:29:38 | 脳みその日常
明日は恒例の講義の日。しかーし、まだ準備はこれから(笑)うーむ、やはり徹夜になりそうだな。まあ、しゃーないか…。

それにしても暑い。にもかかわらず(この場合、この接続句が正しいのかは疑問だが)、相変わらず夜になるとあちこちで道路工事をしてやがる(昼間はどうなのか知らんが)。ったく、まだ年度末じゃないんだぜー。もっとさ、効率よく工事はできんのかね。あっちで穴ぼこ、こっちでも穴ぼこ…。そんなに穴を掘りたきゃ、一生地下に潜ってろっての。いや、取り乱しました。

でも、実際、高速道路の集中工事のようにやればだいぶ違うんじゃないのかねえ。ああ、それも五十歩百歩か。「集中工事をします」などと抜かしておきながら、その後もチョコチョコとつまらん工事をしてるもんな。本当のところ、すべき工事なんだろうかね。たぶん違うと思うが。

ワシは学生の頃に日本道路公団関係の運転手をしていたことがある。当時はバブルの真っ最中で、どいつもこいつも浮かれとった。公団の職員なんて、本当にいい加減だったな。たとえば地主を説得して土地を買い取るのが仕事なのに、ちーともやらん。なぜかというと、そんな面倒くさいことはやりたくないからさ。

その事業所に3年ぐらいいれば、そのうち違うところに異動になる。だから在任中はチャランポランなことをして時間をつぶすだけ。ある時なんか、
「クルマ出してくれ」って言われて、
「今日はどちらに行かれるんですか?」って聞くと、
「そうだなあ、とりあえず富士山のほうへ行ってよ」
おいっ、ワシはタクシーかよっ。

んで、河口湖まで行くと、バカ職員ども、
「うーん、今日はいい天気だねえ」などと抜かしやがる。そして、
「適当に見晴らしの良いところにでも行って」などと、ダメ押し。
お前ら、公用車を使って平日にドライブすんじゃねーよ。
こんな奴らが、工事事務所のエライさんだったりするから、余計に腹が立つ。さらに、
「おみやげでも買おうか」などと相談してるし…。
バカタレめ…。
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あれま、日付が変わっちまったw

2004-06-26 02:31:25 | 脳みその日常
本日は、というよりも昨晩は久々に東京シティ・フィルの演奏会に行く。それというのも、面白そうな曲目が並んでいたからだ。それにしても、このオケの音は相変わらず「しょぼい」ねえ。特に弦楽器群は、ちーとも鳴らん。それゆえに、しょぼく聴こえてしまう。なんとかならんのかな。

前半はマルタンの2つの作品。最初は《小協奏交響曲》。これは2つのオーケストラ群とチェンバロ、ハープ、ピアノからなるもの。だが、作曲家がわざわざ2群のオケにしたことを指揮者のYは、ちっともわかっていないようだ。こういった作品の場合は、当然両群の音量や音色を対比させる必要がある。そうすることで作品に面白みが出るというもの。ところが通り一遍な演奏なので、オケを2つに分けた意味がまるで表現されない。どういうことかね、彦太郎君(あっ、書いちゃった)。

また、曲目解説は、若手のFという人が書いていたが、マルタン作品についての評価基準がよくわからない。この作品と次の《7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲》について、「素晴らしいのに」なぜか知られていないと述べていた。

確かに両作品は有名ではない。実際、どちらもあまり演奏される機会はないだろう。でも、果たして「素晴らしい」のかどうかは疑問である。なんとなれば、《小協奏交響曲》とほぼ同時期に書かれたバルトークの《管弦楽のための協奏曲》を思い出してみれば良い。書き手Fの文脈から判断して、これらの作品を素晴らしいとしているのは、マルタンの作曲した中での名作という意味ではなさそう。つまり、音楽作品全体のなかで、知られていないが「素晴らしい」と言いたいらしい。まあ、素晴らしいと感じるか否かは書き手本人の感覚でしかないから、その意見を否定はしない。でもねえ、解説の中に、せめて比較対象としてバルトークのことぐらい触れてもいいんじゃないかね。ま、まさか《管弦楽のための協奏曲》を知らないのか? そんなことはないと祈りたいけど。

《7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽合奏のための協奏曲》の演奏においては、特に第2楽章がよかったな。冒頭の弦楽の響きだけは、しょぼくなかった。なーんだ、やればできるじゃん。なぜそうした響きを他の作品でも出さないのさ。だめだねえ、まったく。作品そのものは、たいして面白い曲ではない。いや、ワシの感覚からすると、マルタンは、室内楽作品のほうが密度が濃くて優れたものが多いと思うけどな。もちろん、この意見も私見に過ぎないのだがね。

後半は、新実徳英の作品2つ。最初の管弦楽組曲《森は踊る》は日本初演で、世界初演は昨年の11月にバンコクで行なわれたという。そう、これを聴くために今回ワシは来たようなものだ。しかし思いっきりわかりやすい作品で拍子抜け。わかりやすいと言えば聞こえはいいが、要は曲の所々に有名な作品の断片がはめ込まれただけにすぎない。ある時はガーシュウィン《ラプソディー・イン・ブルー》の冒頭だったり、またある時は……ええと、なんだったかな。いろいろあって忘れちまったわ。そうそう、ガムランのリズムなんかもあったな。ま、どーでもいい作品だけど。

1997年の作品である《風神・雷神》の目玉は、何と言っても和太鼓の林英哲だった。強弱と音色を使い分けながら緊張感を持続させた演奏はよかったね。この作品の最後のほうには和太鼓とオルガンのカデンツァがある。ここは奏者のアドリブが要求されるらしい。でも、Sの弾くオルガンのアドリブは、まるで70年代のロックのキーボード、例えばジョン・ロードもどき。もしくはELPのキース・エマーソンのソロみたいじゃん。いや、そんなに格好よくなかったけど。

本日の日記が日付変更線を越えてしまったのは、会場で同業者のI氏と出くわしたから。彼は仕事で来ていたらしい。さあ、この演奏をどう評価するんだか。演奏会終了後、I氏を送りがてら、ファミレスで久々に話し込んでいたら、いつしかこんな時間になってしまった。

さあ、今晩も演奏会だ…。
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散髪

2004-06-24 23:40:03 | 脳みその日常
いつ店じまいしてもおかしくない美容室に、もう10年以上も通っている。当然、予約なんてしなくてもよい。気が向くと出掛ける。そんな場所だ。

そこは閑古鳥が啼いているほどだから、腕は悪い。だから客は来ない。しかし店主の人柄は、すこぶる良い。散髪してもらっている間は、いろんな話で盛り上がる。退屈しのぎに雑誌なんか見る必要もない。

確かに、駅のほうまで足を運べば、低料金の店はいくらでもある。でも、もともと人混みが嫌なので、敢えてそのためだけに行くことはない。いや、本音を言えば、この店が近所にあるから行くのだ。ただそれだけの理由。

しかし、相性というのは重要だ。腕が良いから、料金が安いから、といった理由だけで店を選ぶと、後悔することが多い。何がツライって、髪を切られている間の空気に耐えられなくなることだな。だから店には雑誌や新聞の類いがあるのもわからんではない。

雑誌類を読むことで緊急避難するのは簡単だ。でも、他人に髪の毛を切ってもらうのにコミュニケーションなしでは済まされまい。となると、当然会話をする必要が生じる。ところが、店主との相性が悪いと、何かこう、しっくりいかないまま作業が終わる。気に入った髪型になったところで、爽快な気分になれないのは、そういうわけなのだと思う。ワシの場合はね。

まあ、しばらくは「へんてこりん」な髪型に我慢するしかないけど(笑)
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おいおい…

2004-06-23 13:55:55 | 脳みその日常
中学生の女子が5歳児をマンションから突き落として問題になっている(記事はコチラ)。幸い、児童は軽傷で済んだようで何よりだ。テレビでは、やたらと女子中学生の精神状態がどーのこーのと騒いでいる。

確かに、こんな行動をとること自体は異常であろう。一刻も早い改善策を期待したいものだ。しかしながら、マスゴミはなぜ5歳児の行動にもっと注目しないのか。まさか、この子が中国人だから取材でツッコむと何かヤバイことでもあるのか?

ワシが不思議に思うのは、5歳児がなぜゲーセンにいたのかということだ。しかも報道によれば店員に顔を覚えられていたというではないか。もっとも、この日は母親がパチンコをしている間に、この子は隣接するゲーセンにいたらしいが。それにしても、5歳でゲーセンの「常連」かいな…。それもすごいな。

自慢じゃないが、ワシも早熟のワルで鳴らしたものだ。7歳で万引きと恐喝をし、8歳からタバコも吸っている。それでも、この子の年齢では、こんなことはしなかった。せいぜい女の子のスカートをめくるのに命をかけていたぐらいか。今にして思えば、実に天真爛漫な幼稚園児だった。もっとも、当時はゲーセンなどなかったのだが。

被害者とはいえ、5歳児の側にも問題はあったのではないかと、ワシは考える。だいたいだな、この母親はケシカラン。子育てをそっちのけで、パチンコするとはどういうことぢゃ。パチンコをしてはイカンというのではない。やるのであれば、子供を自分の目の届くところに置いておけと言いたいのである。ほったらかしにしとくから、こんな事件に巻き込まれるのだと言われても仕方がないだろ。

目先の欲求や不満の解消だけのために、子育てをいい加減にしてはイカン。子供は、しょせん子供なんだよ。大人みたいな判断基準をもっているわけじゃない。だから、バカ親からは、よっぽどのことがない限りマトモな子供は育つわけがない。まれに、アホな親を見て「ああいう人になってはいけない」と気づく賢い子もいるが…。

子供がマトモに育つかどうかは、結局は親の普段の行動にかかっているのだ。そんな簡単なことがわからん親が、本当に多すぎるぞ。
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ネームバリューだけじゃダメ

2004-06-22 23:25:33 | 脳みその日常
我が国では比較的有名なピアニスト、アンドレ・ワッツのリサイタルを聴く。

この人、もう58歳になるらしい。16歳でデビューして以来、一般的には「リスト弾き」という扱いを受けてきた。でもね、今晩聴いた限りでは、あまり作品のことを考えて弾いていないなというのが率直な感想だ。それに…

最初は、J.S.バッハの「コラール前奏曲」を2つ。呆れたのは、音が濁りまくっていたこと。すなわち、和音の変化するところで、きちんとペダルを踏み直してないのだ。仮に踏み直していたとしても、ホールの残響で、音は混濁しっぱなし。ワッツは、前述の通り初心者ではない。ホールの残響ぐらい、リハーサルの時に感じ取れるはずだ。なのに、なぜこのようなことをしたのだろう。まったくもって不可解である。

次のベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第7番》は、何となく弾き流し、という感じ。そして前半最後のシューベルト《3つの小品》D.946にしても、感覚的に弾くだけで、シューベルト特有のリズムを全く意識していない。その特有のリズムというのは、「タン・タタ」もしくは「タタ・タン」というもの。なぜ、そんなに無頓着に弾けるのだろうか。ワシの頭の中は、ますます「???」。

後半最初は、リゲティの《ムジカ・リチェルカータ》からの抜粋。個人的な見解を述べれば、リゲティの管弦楽作品については優れた作品が多いことは認める。しかし《ムジカ・リチェルカータ》のような曲は、退屈するだけで、クソ面白くもない。せいぜい第3曲ぐらいだな、聴くに堪え得るとすれば。ワッツは楽譜を見ながらの演奏だったので、コメントは省略。

次のバルトークは有名な《アレグロ・バルバロ》。このリサイタルの曲目解説は、ごますり日和見ジジイで有名なM。あのな、Mさんよ、フツー「バーバリズム」って「原始主義」もしくは「野蛮主義」じゃないのかい? アンタ、これを「野生スタイル」などと平気で書いているが、なんでわざわざそんな風に表記を変えるわけ? 文章からみて、別に敢えて表記を変える必要はないじゃん。つーことは、ちゃんと音楽史を勉強してないってことはバレバレだな。やだねー、知ったかぶるのはやめろよな。ワッツさんの演奏も、ちっとも野蛮じゃないし…(泣)

そして最後はリスト。《死のチャールダーシュ》《調性のないバガテル》《眠られぬ夜、問いと答え》《ハンガリー狂詩曲第13番》。うーん、渋いと言えば渋い選曲だが、《ハンガリー狂詩曲第13番》を除いてはどれも晩年の小品。しかも、作品の構造を考えずに弾くから、これまた面白くも何ともない。

あぁ、若き青年時代のワッツは、いずこへ…。なんかね、聴いてて思ったのは、この人、今は昔の栄光で生きてるって感じなんだよな。つまり若年で注目された頃は、そこそこの才能があった。それで、世界的に名前も知られるようになった。

ところが、その時点から音楽家としての成長はストップしたんじゃないかな。ピアニストだって還暦近くなれば、ある意味で「分別ある」演奏をするようになる。若い頃のように指はまわらなくても、年齢と経験というものによって「味」が出てくるものだ。

さらに、知的なピアニストであれば、作品の構造を把握できているために、輪郭のはっきりした解釈をするようになる。もちろん、若年からそれができる人もいるが。悲しいかな、ワッツの場合は、そうではなさそうだ。

非情なことを言えば、ピアニストなんて「指先筋肉労働者」さ。だからといって、筋トレを続けていればよいというわけじゃない。指先の筋肉から生じるパワーは、当然音になるわけだが、それが芸術としての表現になるかどうかは別の次元でしょ。作品が要求する表現をするには、やっぱり「おつむ」も重要なんだよ。
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台風去って…

2004-06-22 05:13:35 | 脳みその日常
台風の影響は、いろんなところに出る。

社会が高度に文明化されていれば、なおさらだ。電車のダイヤは乱れ、道路はノロノロ状態に。新幹線の架線には近くの屋根が飛んできて、ストップ。もう、どーにもならん。社会の脆弱さが一気に露呈する。これが大地震だったらどうなるのか。
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル

世の中がこんな状態だから、ワシの出足も鈍る(笑)おとといは暑さでヘタり、昨日は強風を理由にコンサートをキャンセル。いや、本当は聴きたい演奏会だったのだが、ついつい生来のヘタレぶりが出てしまった。(ただの出不精だというウワサも)

さっきはさっきで、風呂場にはナメクジが現われるし…。ええ、ええ、もちろんそれ相応の処罰をしてやりましたとも。今回は「火攻め」(笑)どこかのサイトに、ナメクジは火で焼くのが一番という記述がありました。なぜに一番なのかは書いてない。そうなると、その理由が知りたいと思うのは当然である。俄然ワシの好奇心に火がついた。

あわれなのは、生け贄となるナメクジくん。こんな明け方に、よもやオッチャンから火あぶりの刑を受けるとは思わんかったろうねえ。いや、それもこれもキミが不法侵入したからなんやで。覚悟を決めなさい。

そして、いざライターで着火。「ぎょえええぇぇぇぇぇぇ…」と叫んだかどうかは確認できなかったが、彼がもんどりうって暴れる姿からは、そのような叫びが聞き取れた。しかしだな、こいつ、なかなかしぶといねん。往生際が悪いっちうんかな。なかなかくたばらんのやわ。さらに、着火したあとの体色はみるみる白色に変わる。でも、まだ動いとる。なんちう生命力や…

話題は全く違うが、テレビで全米エア・ギター選手権なるものが開催されたそうな。これは、あたかもエレキ・ギターを弾いているかのようにステージで「ふり」をするだけのこと。参加者はみなスピーカーから出る音に合わせて、恍惚の世界に突入する。

優勝したのは、韓国系の女性。でも、その「プレイ」ぶりは、どうみてもイモネーチャンなんだけどな。なぜに彼女が優勝したのか。映像を見ながら考えていたが、その謎は最後に解けた。このネーチャン、プレイの最後にパンツが丸出しになっとるやないけ。それも白地にキティちゃんの顔がでっかくプリントされたやつ。なるほど、これが審査員のエロ心に火をつけたんやな。恐るべし、アジアン・ピューティー。いや、ちーともビューティーやなかったのだが(笑)
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うっかりドライブw

2004-06-21 05:02:53 | ドライブ関連
あかんっ、郵便を出すのを忘れとった…というわけで丑三つ時に、いそいそと出掛ける。

ワシの場合は、だいたい本局に行くのだが、歩いて行けない距離ではない。しかし、この蒸し暑さから逃れるためにクルマに逃げ込む。そう、クルマにはエアコンがあるからだ(笑)ヘタレにもほどがあるな…自嘲気味のワシ。

そうはいっても、クルマなら本局まで2分とかからない。快適な空間になるまでには、まだ時間がかかる。えーい、ちょっとだけならドライブもええやろ。誘惑に負けるワシ。

青梅街道を新宿方面にクルマを走らせる。こんな曜日、こんな時間に他の車はほとんど走っていない。ルンルン気分。ゴキゲンになってきたところで、ワシが上京して3番目に住んだアパートに行ってみることにした。

一方通行もいいとこの細い道なのに、ここはそんな規制はない。ムチャクチャもいいとこだ。でも、夜中なので、まず対向車は来ない。

恐る恐る行ってみると、おおっ、あった、あった。モルタルは塗り替えられていたが、オンボロ・アパートの雄姿はそのままである。嬉しいねえ。今はどんな貧乏学生が住んでいることやら…

さて、早稲田通りから中野通りに入る。昼間だと渋滞で知られるこの通りも、この時間はさすがにガラガラ。へー、こんなに空いているんか。と思っていたら、バカ発見。

ぶっとい改造マフラーをつけて無意味な爆音を轟かせるポルシェ・ターボ。しかも、カラーは気違い色としかいいようのないド派手なムラサキでっせ。案の定、スピードも一定ではない。ノタノタ走るかと思えば、いきなり加速するし。

もう、脳みそがイッちゃってますね。百歩譲って、それは我慢してあげます。でも、アンタの発する爆音で、一所懸命に朝刊を配達してる新聞屋の兄ちゃんたちが、驚くとともに迷惑してるのがアンタにはわからんのですか? まあ、わからんでしょうね。そいつをもう少し観察していたかったのですが、途中から新宿方面に左折していったので、アホの観察は終了。

ワシは直進して甲州街道に向かう。そして帰宅しようと、いつもの道をカッ飛んでいくと、今度は違う種類のバカをみつける。

オイ、営業ナンバーの3.5トン車のトラックよ。アンタ、標識が読めんのか? この道路は最大積載量が2.0トン未満の車両しか通行できんのやで。いくら道路が空いてるといっても、そりゃルール違反やろ。ケーサツは、つまらん取り締まりばかりしとらんで、こーゆーバカを捕まえんかいっ。特に営業ナンバーの車ってえのは、運送することでメシを食ってるプロなんやから、ルールを守るのは当然やろが。

夜明けごろには、こうしたイカれたのがウロウロしてます。ま、ワシも他人のことは言えんけど。ぶははは。

(感謝)
過日の日記内容について、多方面から個人的に励ましのメールをいただきました。この場を借りて、お礼申し上げます。大丈夫、ワシは元気でっせ。
オホホホ!!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞオホホホ!!
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(;´д`)ゞ アチィー!!

2004-06-20 23:03:06 | 脳みその日常
うはーっ、真夏やん。突然暑くなったもんやから、身体がついていけへん。
何かをやろうと思うても、なーんもする気にならん。
てなわけで、今日は昼間のコンサートに行く予定だったが、キャンセル。

せめて部屋だけでも冷房にすればええかと思うが、ちと待てよ。
そろそろ台風が来るんちゃうか?
ちなみにワシが使っとるエアコンは21年も前に買ったウィンド・ファン式。
つまり、窓を少し開けて使うやつ。
せやから、外の湿気を完全にシャット・アウトできるわけやない。
うーむ、しゃーないな…この台風が去ってから「夏バージョン」にするか。
それまでは、汗だくだく、唯々諾々(←意味がちゃうっw)の日々を送ることにしよう。

それにしても暑いな…
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大切な日

2004-06-19 23:19:03 | 回想する脳みそ
今日は、ワシの人生において大切な人のうちの2人に会ってきた。

ひとりは、もう20年ほどの付き合いになる自動車の整備士のSさん。この人は現在、小規模の修理工場を経営している。ワシとはなぜかウマが合い、およそ三ヶ月に一度はクルマのエンジン・オイルの交換を名目にして会いに行っている。

彼は常にお客の立場になって考えてくれる素晴らしい人だ。実際には優れた腕の持ち主なのに、決して偉ぶったりはしない。そして、こちらの質問に懇切丁寧に答えてくれる。こんにちワシが年甲斐もなく「やんちゃ」な運転をしていられるのは、この人のきめ細かいメンテナンスのおかげであるといっても過言ではない。わざわざ40kmも離れた遠くの工場に行くのは、そのためである。

思えば、カネのない学生時代には本当にお世話になった。普通、修理などをすれば、部品代の他に工賃というものを請求される。しかし、Sさんは決まって「いいよ、工賃はサービスしてあげますから」と言ってくれた。当時彼は民間の整備工場の社員であったが、貧乏学生がいつも心を悩ませたのは「こんなことを会社に内緒で、独断で決めていいんだろうか」ということだった。

でも、Sさんはワシの心配など全くおかまいなしに、せっせと工賃抜きの伝票を切ってしまう。彼がその損失をどう補ったのかは、いまだ不明だ。「困っている時は、お互い様ですよ」と笑いながら言うSさんだが、そのフレーズを聞くたびにワシは彼に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。そして心の中でいつも最敬礼していた。いや、今もそうだ。

もうひとりの大切な人は、ワシに無償の愛を教えてくれた人である。けれども、彼女はもうこの世にはいない。そう、今日は彼女の三回目の命日なのであり、その墓参りに行ってきたのだ。

思えば、2001年はワシにとって大切な人を三人失った年である。ひとりは彼女、そして約二週間後にはオフクロ、さらに12月には大学で世話になったW先生と永遠に別れるという体験をした。それぞれの人と別れるのは辛かったが、精神的に最も「こたえた」のは、やはりフィアンセとの別れだった。

しかし我々は長くつきあったわけではない。普通の恋人たちのようにデートをしたのは4ヶ月ほどだったろう。残りの1年半のデートの場所といえば、病室だったな。でも、場所がどこであれ、相手の顔を見ることができるだけで嬉しかった。実際、一度も喧嘩したことはなかったし。

でも、彼女の病状は日に日に悪化していった。そんな体調にもかかわらず、彼女はいつもワシの身体を気遣ってくれていた。ある日病室に行こうとして、ふと脇にある階段を見ると、点滴をぶら下げながら階段を上る彼女がいた。
「な、なにしてんのさっ」
驚いて尋ねると、彼女は
「熱が出たってメールが来たから、早く熱が下がって仕事ができるように、この階段で『お百度参り』をしてたの」
すべてにおいて、この人は、こんな調子だった。自分のことよりも相手のことを気遣うという人だった。

それでも、彼女は何とか持ち直して一時的に退院できるまでに恢復した。医者は「信じられない」を連発した。当時TVでは「ビューティフル・ライフ」というドラマがあった。その内容は我々のケースと酷似していたため、冷静なワシでさえ動揺せずにいられない番組だったのを覚えている。なぜなら、それは結果的に悲劇に終わるというストーリーだからだ。

しかし、彼女の体調は精密検査をしても何ら問題は見られなかった。嬉しかったね。だって、ドラマとは違う展開になりつつあったのだから。「なっ、やっぱりドラマはドラマなんだよ」そう言って笑い合っていた。

ところが楽観したのも束の間、容態は急変。そして、彼女はあれよあれよという間に遠くの世界に行ってしまった…

泣いたね。生まれてこのかた、ほとんど泣いたことのないワシのどこにそんな涙があったのかというぐらい、泣いた。

当時、明治生命のCMに使われていたのが小田和正の「言葉にできない」という曲だった。今でも、それを聴くと反射的に目頭が熱くなってしまう。これは一種のPTSDかもしれないな。

しっかりしろっ、ワシ(キムタク風)
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知らないうちにイメージが…

2004-06-18 06:01:47 | 脳みその日常
東フィルのハンガリー音楽特集(?)を聴いてきた。前半はリストのハンガリー狂詩曲から5曲。後半はバルトークの《弦楽のためのディヴェルティメント》とコダーイの組曲《ハーリ・ヤーノシュ》。指揮は岩城宏之。

指揮がチョン・ミョンフンだと毎回大入り満員になるのだが、昨夜は6~7割の入り。著名な岩城をもってしてもこの程度の集客。まあ、それは仕方のないことである。

ワシが驚いたのは、冒頭の《ハンガリー狂詩曲第2番》だ。何に驚いたかというと、自分の記憶の中にあるイメージに、である。この作品はもちろんピアノ曲として知られるものであるが、管弦楽版でもよく演奏される。それは別にどーでもいいことだな。

びっくりしたのは、演奏が開始された瞬間にNHKの「名曲アルバム」のイメージがフラッシュバックしたこと。そう、ワシはこの番組の中で演奏されたこの曲のイメージを記憶していたということなのだ。むろん、番組のイメージ映像などは覚えていない。ただ、演奏スタイルが「名曲アルバム」なのだ。これは一体どういうことなのか。

岩城は、長年NHK交響楽団の常任指揮者を務めていた。だから現代音楽でもない限り、彼の演奏スタイルというものは、我々の知らないうちに記憶の中に定着しているといってもよい。「名曲アルバム」という番組においても、当然彼が指揮していたものも多いはず。この番組での演奏は、ほとんどがN響であるが、東フィルだって収録に参加している。

岩城の指揮と東フィルの演奏。この2つの要素がワシの記憶の深いところに残っていた。だから、音が鳴った瞬間に番組がフラッシュバックした。ワシは、そのように解釈しているのだが…

もっとも、ワシはこの解釈に自信があるわけではない。しかし、一般論として捉えるとき、イメージというのは本人の知らないうちに擦り込まれているものである。たとえば、音楽と映像という組み合わせ。

何かを体験している時に、たまたま音楽が聴こえていたとしよう。すると、数年後にその音楽を聴いた瞬間に、当時体験した出来事が鮮やかによみがえる。そんな経験は誰にでもあるのではないか。

お恥ずかしい話だが、ワシが小学生の修学旅行の頃に熱中していたのはムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》だった。ウチの地域だと旅行先は東京、江ノ島コースである。田舎から都会へ向かう道中は、まるで開けゆく大いなる未来のように思えた。その心境が《展覧会の絵》の中の「プロムナード」、さらには終曲の「キエフの大門」のイメージと重なったのではないかと思われる。だから今でも、この作品を聴くたびに修学旅行を思い出す。本人が望むと望まざるとにかかわらず、である。

音楽には元来イメージを喚起させる力がある。もし、それがなかったら我々は音楽を楽しく聴けないかもしれない。逆に言えば、イメージを鮮明に喚起させる演奏であればあるほど、わくわくするような音楽だということになろう。だから演奏家は、作品に対してイメージを持つことが求められる。なぜなら、演奏者本人が作品に対するイメージをもっていなければ、彼(または彼女)の理想とするイメージの再現は、まずあり得ない。そうなると、つまらん演奏になるのは必至。感動? あるわけないじゃん(笑)
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ヴラディゲロフねえ…

2004-06-17 12:47:34 | 音楽あれこれ
昨日のピアノ・リサイタルは、珍しい作曲家の作品を取り上げていたので聴きに行ってみた。それはブルガリアの作曲家パンチョ・ヴラディゲロフ(1899-1978)である。珍しいといっても、それは一般的な話であって、ワシには懐かしい響きなのであるが…

それというのも、今から15年以上も前にワシは彼の作品にハマっていたのだ。知り合いの師匠がヴラディゲロフに師事していた関係で、ワシはその知り合いを通じて彼の音楽を知ったという次第。師匠というのは、知る人ぞ知るブルガリア音楽の専門家である浅川豊夫(b.1937)氏その人である。

浅川氏は、ヴラディゲロフの音楽を知らしめるために《ピアノ協奏曲第3番》をはじめとして、日本初演をしたことでも知られるピアニスト。ワシは、そのライヴ録音のCDを氏のサイン入りで持っているが、なかなか興味深い演奏で何度聴き直したことだろうか。ブルガリアの民謡旋律と思われる主題が、ふんだんに用いられており、これがまた泣かせるのだ。

いや、ワシの思い出なんぞ、どーでもよい。不思議なのは、昨日のピアニストがなぜヴラディゲロフの作品を取り上げたのかということだ。しかも《ソナチネ・コンチェルタント》なぞというマニアぐらいしか知らないであろう曲を…。

資料や関係者の話を総合してみると、どうやらピアニストがまだ大学生の頃にヴラディゲロフを知ったらしい。この人はまだ30手前ぐらいなので、作品を知ったのはたぶん90年代最初だろう。しかし、自力で探したのではなく、師事していた先生からヴラディゲロフという作曲家の存在を教えられたようだ。

ここでワシは思う。あぁ、やっぱり日本の音大は、江戸時代からの徒弟制度の影響が残っているんだな、と。それも悪しき習慣が、である。音大の生徒は、よく言えば素直である。だから先生の言う通りに真面目に課題に取り組む。そこまではいい。しかし、彼らは与えられたものしか飲み込むことをしない。ちょっと横を見れば美味しいものが転がっているのに、である。

はっきり言おう。生徒たちは、幼い頃から自分で考える習慣がない。だから大学生になっても自分のやりたいことが見えないし、どうしたらよいのかもわからないのだろう。クラシック音楽を専門にしながら、ごくごく一部の音楽しか知らない。それで満足してしまっている。これがフツーの音大生の実態である。もちろん、教えるほうにも問題はあるのだが。

このピアニストの発想も、おそらくはさほど違わないのではないか。彼女はヴラディゲロフ以外の東欧の作曲家の作品をどれだけ弾き込んでいるのだろうか。演奏を聴く限り、ほとんど知らないと思われる。というのも、前述したように、ヴラディゲロフ作品の「命」は民謡旋律なのだ。これをしっかりと聴かせないということは、その「命」がわかっていないも同然。ただ弾けばいいってもんじゃないのである。

演奏する作品が、いつ、どこで作曲されたのか。その社会的・文化的背景にはどのような特徴があったのか。同時代の他の作曲家とは、どこがどう違うのか。そういったことは知っていて当然。しかし、音楽外的な諸要素のことすら知らないで演奏しても、作品の良さが聴衆には伝わらないのは当たり前なのだ。

演奏する動機が「珍しい曲だから」とか「他の人が弾かない作曲家だから」などという理由で演奏されては困る。そう、まずは考えることから始めないとね。そうしないと、いくら演奏しても成長はないよ。
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喉元、過ぎとる…

2004-06-16 02:05:58 | 脳みその日常
最近のマイ・ブームはキムチだ。あの辛さは、たまらんねえ。というか、たまたま近所のスーパーで直輸入のキムチを安売りしていたから買っただけのことなんだが。そんなことがマイ・ブームになるとは、つくづく泣けてくる。

いや、それよりも心配なのは、数日前に報道された韓国キムチ事件だな。生ゴミをキムチに混入して販売したとかで大騒ぎになっとる。製造元の社長は、それを苦に自殺したとも言われるし。

このところ、ワシの作るメニューには「キムチがらみ」の料理が多い。豚キムチ丼なんてのは、簡単に作れて食欲も増進するからお気に入りである。コチュジャンを入れると味に深みが出て、よりナイスな味になる。

納豆キムチも、混ぜておしまいという簡単メニューだな。この間なんかゴマ油で炒めたチンゲン菜をこれに加えてみたら、なかなか色彩的に美しかったわ。チンゲン菜のシャキシャキした食感もあって、グーな出来ばえに満足。

しかしであーる。すでに何度も食ってしまった直輸入のキムチであるが、これに生ゴミは混入してなかっただろうな。特に違和感はなかったし、ただ、ただウマイーと思ってバクバクと食っていたから気づかなかったのだが。知らずに食っていたらと思うと、
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル

まあ、当局が発表した社名リストには載っていなかったようだから、たぶん大丈夫だとは思うが、それでもねえ…。まあ、食ってしまったものは、しゃーない。うまいと思って食えば、ええねん。

狂牛病騒ぎの時もそうだったが、あんなもん、個人レベルでは防ぎようがないんだから、ワシは何の対策もとらんかった。食うなと言われても、牛肉、食いたいやん。ええ、ええ、あの時は、しっかり安値で買わせていただきましたとも。
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中原街道めぐり

2004-06-15 06:27:45 | ドライブ関連
久しぶりに中原街道を下って走ってみた。もちろん、始点からではない。環8からの合流である。

この街道はもう何度も走っているはずなのだが、意外と忘れていることがあった。道順のことではない。大田区から多摩川を越えると神奈川県になる。確かに道路標識には「中原街道」と書いてある。しかし、同時にこの道は神奈川の県道45号線でもあるらしい。中原街道とは、おそらく武蔵中原を通る街道なので、そのように呼ばれているのだろう。だが、武蔵中原を過ぎると、中原街道という表示よりも、むしろ道路標識には県道45号線という案内が目立ってくる。ほぉー、そうだったのか。なるほど、なるほど。そこで、そこから先は、この「県道45号線」に沿って走ってみることにした。

部分的に道幅が拡張されているところもあるが、やはり昔ながらの街道のせいか、全体的に道幅は狭い。佐江戸から用田あたりまでの各信号は、かつて運送のアルバイトをしていた際によく目にしたおなじみの地名。用田までは明確な記憶があったが、今回の目的は「県道45号線」の制覇である。そう、今は、これにこだわらなければならない。

すると、どんどん茅ヶ崎のほうに向かっているではないか。おぉっ、こんなほうに行くのか? へー、知らなかったな。でも、いつしか45の表示が見えなくなっている。おや? どこで終点になったんだろう。まあいいか…グダグダしてると、朝日が昇ってきそうだし。うん、帰ろう(笑)あっさりと割り切ることも必要なのである。

もちろん、Uターンはしない。とりあえず国道1号に出て、茅ヶ崎駅前を通り、平塚方面に向かう。当初は、国道129号線経由で戻る予定でいたのだが、ワシの前を、ノソノソと走るトレーラーが出現。あかん、こんなことじゃあ、夜が明けちまう。しゃーないので、途中から産業道路に入り、相模原方面に。

この産業道路は、県道46号線でもあるのだが、国道129号線とほぼ並行に走っているので、帰るのには都合が良い。また、夜中という条件もあるが、ある程度のスピードで行くと、信号をうまくクリアすることができる。まあ、それは前から知っていたんだけどね。

ひたすら直進してくると、座間市に入る。そして、相武台駅前の道を通って、相模大野から町田駅方面に行こうと考えていた。ところが、相武台を過ぎたあたりから、またしてもノソノソ走るトラックが出現。うーむ。しゃーないので、途中から鶴川街道方面に軌道修正する。その後はスムーズに走ることができた。

今回の走行距離は120km。まずまずの距離だ。それに、なかなか気分よく走れて満足だった。
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