ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

こんな催しが…

2008-10-30 16:42:13 | 脳みその日常
本日から赤坂のアークヒルズのカラヤン広場で「Tokyo Designers Week 2008」というものをするようです。たまたま昨日サントリーホールに行く用事があったのですが、その時には催しの準備をしているところでした。


右の写真は、いわば看板みたいなもの。


そして、下の写真は展示してあるものです。ここでの展示は11月3日までのようなので、興味ある方はお早めにお出かけ下さい。

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想いがつい…

2008-10-21 05:41:09 | 回想する脳みそ
歳を取るのは嫌なものです。昨日の夕飯に何を食ったのかすら思い出せないんですから…。でも不思議なことに昔のことは覚えているもの。なんなんでしょうね、これは。

そんなわけで、今回は遠い昔の高校時代のお話をします。

ある日の数学の授業で「事件」は起きました。この日は代数だか行列だかの授業だったと思います。代数なんてね、ワシのような文系の生徒にはどーでもよいのでした。何しろ大学受験には関係のないものだったんですからね。でもまあ、学校の方針だったのかもしれませんが、文系のクラスでも理系の授業が行なわれていたのです。

そんな、誰も聴きもしない授業ですから、教える先生だって淡々とおざなりに説明するだけ。ワシらのほうはワシらのほうで「よし、この授業は寝るぞー!」と決め込む奴もいれば、他の科目の予習をする奴など、もう「なに?この空間!」てな感じでした。

でも、先生としては生徒とコミュニケーションをとりたかったのでしょうね。そう、あれは「ケーリー・ハミルトンの定理」を説明し終わった時のことです。ここで、ちょっとこれについて説明しておきましょうね。ワシがこれを習った時代には確か「ケイレイ・ハミルトンの法則」と呼ばれていました。まあそれはどうでもいいんですが、意外に知られていないのは、これはハミルトンというひとりの学者の名前ではないということです。

当時ワシも誤解していたのですが、これはアイルランドの数学者ウィリアム・ハミルトン(1805-1865)の四元数の研究に着想を得たイギリスの弁護士で数学者のアーサー・ケイリー(1821-1895)が発見したものだったのです。つまり2人の数学者によって発見された定理というわけですね。ならば「ケーリー&ハミルトンの定理」と表記すればいいのに、実際には「ケーリー・ハミルトンの定理」などと書かれています。うーん、これじゃあ誤解されるのも無理ないわなあ。

え? その定理はどういうものかって? そんなの覚えてないですよ。なにしろ寝てたんですから。

ま、このように様々なリズムによる寝息がさながらミニマル・ミュージックのように聞こえている時でした。先生が突然A君を名指ししたのです。A君はその時、完全に昏睡状態でした。ちょっとヨダレが出ていたかもしれません。そんな状態の彼に先生はたずねました。

「はい、じゃあ、A君、この法則は何と言ったかな?」
「ん? うーん、んぁー?」

もうね、完全に寝ぼけてます。先生はそんなの先刻お見通しなのですが、激怒することなく板書された法則を指して

「ほら、ここに書いてある法則式は何と言うんだい?」

と、優しくA君を諭すように言いました。A君の脳みそはようやく正気に戻ってきたようで、元気よく教室中に響き渡る声で

「はい、それは『ケイレイ・ハルミトンの法則』です!」(一同爆笑)

と、のたまったのでした。なぜ我々が爆笑したのかといいますと、これには理由がありました。当時A君には「ハルミ」という名の片思いの子がいたのです。もしかすると名指しされる直前に「ハルミ」の夢を見ていたのかもしれません。いや、きっとそうでしょう。だから「ハミルトン」を「ハルミトン」といい間違えたのです。どうでもいい情報ですが、この「ハルミ」さん、美人ではありましたが、いささかふくよかな体型だったので、A君はきっとこの法則を記憶する際に

「ハルミ」+「豚(トン)」=「ハルミトン」

と覚えたんだろうなという説がまことしやかに広まったほどです。そんなA君も今ではメタボ真っ盛りの小学校教諭。もちろん奥さんは「ハルミ」さんじゃありません。あー、なんと甘酸っぱい青春時代でしょうか。ちなみに本人に確認しましたが、彼はこの「事件」については全く記憶にないそうです。

でもさ、A君、今頃ワシにピアノを教えてとか言わんでくれよな。そんな太い指だと黒鍵と黒鍵の間に挟まって抜けなくなっちまうぜ(笑)
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只管打走

2008-10-13 00:45:45 | ドライブ関連
先週のある日、ふと走りたくなって630kmほどドライヴしてきました。たまーにこのような衝動に駆られることがあるのです。ストレス解消といえば聞こえはいいのかもしれません。でも実際には現実逃避のために遠出しているようなものなんですよ、ええ、ええ。

特別な目的地はありませんが、まあ、とりあえず新潟あたりまで行こうと考えました。もちろん高速を使ってです。ただし、このルートは何度も走っているので、今回は逆回りで行くことにしました。

関越道から軽井沢方面である上信越道にクルマを走らせ、しばらく行ったところで「東部湯の丸サービスエリア」に立ち寄ってみました。ここは初めて寄りましたが、なんと、関東ではあちこちにある「くるまやラーメン」があるぢゃないですか! まったく予想していなかったので驚きました。

下の写真は証拠のつもりで撮影したものですが、看板が明るすぎて見事に失敗しています(苦笑)念のため説明しますと、写真中央部に2つの白い看板があり、左側のが「くるまやラーメン」の看板で、右側のは「東部湯の丸サービスエリア」の看板です。



まあ、そんなことはどうでもいいのです。今はとにかく走り続けたいだけなので…。

上信越道をさらに下ってゆくと、上越ジャンクションで北陸自動車道に合流となります。今回は新潟方面と心に決めているので右の車線に。

合流してしばらくすると車線規制ですよ。そう、昨年7月に起きた新潟県中越沖地震の影響がまだ残っているのです。柿崎ICから柏崎IC、そして西山ICあたりまで昼夜車線規制をして復旧工事を行なっているのです。

右の写真は車線規制のため左側の走行車線を走っている時に撮影しました。約30kmもの間、低速で走行する大型トラックのケツに付いていてヒマだったので撮ったわけです。くれぐれも良い子はマネしないようにね。

そうそう、この途中にある米山サービスエリア(新潟方面)は立ち寄る機会があればぜひ寄ってみてください。天気のよい日中であれば建物の裏手にある公園から日本海と佐渡島がみえますから。それに「さばサンド」も美味です。

さて、長岡ジャンクションから関越道に戻ります。ここからは東京まで一本道なのですが、当夜はなかなかファンキーな雨でしてね。油断していると即座にスピンしかねない状況でした。スピンといえば、その先の小千谷パス停付近でクルクルしながら自爆したことが思い出されます。そう、あれは1992年の2月某日でした…。まあ、これについてはいつかお話しすることがあるかもしれません。

そんなことを思い出しながら長い長い関越トンネルに突入です。時はすでに深夜。ほかにクルマはほとんどいません。てなわけで、今度はトンネル内をパチリ。再度言いますが、良い子はマネしちゃダメよ。


直線が続くと眠くなるものですが、この時は強烈な雨で睡魔が忍び寄るスキすらありませんでした。関越トンネルを抜けて谷川岳PAから渋川伊香保ICあたりまでは緊張の連続。股の間のポニョが縮みっぱなしでしたよ(笑)そう考えるとF1ドライヴァーってえのは尊敬に値します。条件は違うにしても雨の中で爆走するんですから。


高崎ICあたりから雨も小降りになり、高坂サービスエリアで休憩することに。建物の入り口に謎の旗が…。

「高坂ルンバ」

どんな踊りなんでしょうか…。

建物の中に入ってその謎が解けました。大福なんですねえ。食ってないのでわかりませんが、もしかすると食べるとその旨さで思わず踊りたくなるのかもしれません。(なんじゃそりゃ!)

それにしてもなぜ「ルンバ」なのでしょうか。踊りならほかにサンバもあるし、ボサ・ノヴァ、いやタンゴだっていいじゃないか。意味がわからんです。ちなみに商品ケースの表記は「高坂るんば」。一体どちらが正しいのやら…。
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