昨日、冷蔵庫の中味を整理していたら、全く手つかずのチョコレートが多数出てきました。見れば賞味期限は2016年。捨てるのも勿体ない。よし、これで何かを作ろう!
で、思いついたのがガトー・ショコラ。そういえば昨日は西洋の偉い人の誕生日。面識はありませんが祝ってあげることにしました。
う〜ん、イメージしていたものとなんか違うな。もっと、こう、高さがあるような…。でも味は濃厚なので良しとしました。たぶん原因はメレンゲの泡立ちが今ひとつだったからだろうと思います。
これで使用した板チョコは、たったの2枚。まだまだ「ストック」があります。さあて、どうする…。こりゃ年末に向けてのチョコレート祭りか?
ぬぁんてね。
で、思いついたのがガトー・ショコラ。そういえば昨日は西洋の偉い人の誕生日。面識はありませんが祝ってあげることにしました。
う〜ん、イメージしていたものとなんか違うな。もっと、こう、高さがあるような…。でも味は濃厚なので良しとしました。たぶん原因はメレンゲの泡立ちが今ひとつだったからだろうと思います。
これで使用した板チョコは、たったの2枚。まだまだ「ストック」があります。さあて、どうする…。こりゃ年末に向けてのチョコレート祭りか?
ぬぁんてね。
先月の例会は蕎麦打ちの予定でしたが、メンバーのスケジュールが合わず、中止。じゃあ今月こそ蕎麦打ちを…とのことでしたが、集合時間が遅くなりそうということで、またもや中止。その代わり、通常の飲み会となりました。アテの全体がこちら。
下段左から、豚キムチ、生野菜のサラダ、鳥の唐揚げ。上段左から、天ぷらの盛り合わせ、モツの煮込みです。まあ、ありふれたメニューでしたが、それぞれの完成度は高かったようで、メンバーからお褒めの言葉を頂戴しました。ありがたや、ありがたや。
蕎麦打ちの主であるメンバーのMは、蕎麦が打てなかったことを気にしてか、
「よ〜し、年内にはなんとかやろう!」
と意気込んでいましたが、さて、どうなることやら。
それにしても寒いっす。家の前の道は凍っているし…。スケートしたろか!
下段左から、豚キムチ、生野菜のサラダ、鳥の唐揚げ。上段左から、天ぷらの盛り合わせ、モツの煮込みです。まあ、ありふれたメニューでしたが、それぞれの完成度は高かったようで、メンバーからお褒めの言葉を頂戴しました。ありがたや、ありがたや。
蕎麦打ちの主であるメンバーのMは、蕎麦が打てなかったことを気にしてか、
「よ〜し、年内にはなんとかやろう!」
と意気込んでいましたが、さて、どうなることやら。
それにしても寒いっす。家の前の道は凍っているし…。スケートしたろか!
ワシはお笑いが好きなので、よくその類の番組を見ます。先日行われた「M-1グランプリ」も見ました。面白かったには違いないのですが、なぜか違和感のようなものを覚えたのです。
一応これもコンクールなのでネタを演じる時間は決められています(コンビ結成年による制限も)。しかしながら出演するコンピの話芸のスタイルはまちまち。会話に徹する「しゃべくり漫才」もあれば、コント風なのもある(まあ、これは「コント漫才」というそうですが)。
どのスタイルも漫才なのかもしれません。でも果たして両者は同じものと言えるのでしょうか。まず言えるのは視覚的な効果。しゃべくり漫才は言うなれば「静的な漫才」。これに対し、コント漫才は「動的な漫才」といえるでしょう。
ネタの内容はともかく、舞台上で激しく動き回るものに対して、見る側は「おっ、一所懸命にやってるな」と思うでしょう。これがある種のアピール・ポイントになります。しかし、しゃべくり漫才のほうはほとんど定位置から動かないので視覚的なアピールはできない。この点だけでもしゃべくり漫才は不利となります。
コンクールならば、出場者の条件は平等でなければならない。たぶんですが、漫才というのは基本は話芸だと思うんですよね。言うなれば、目を瞑って聞いていても面白いというのが優れた漫才だと思うわけです。
漫才においては舞台の中央に「センター・マイク」と呼ばれるものが置かれますが、この役割は当然演者の声を拾うのが目的。違う見方をするなら、このマイクの前で演じるのが漫才なんですよと規定しているに等しい。
ですが、舞台上を動き回るコント漫才だと、いくら舞台の中心にマイクが置かれていても熱演の音声は拾いきれない。じゃあ、あのマイクは何のためにあるんだということになる。
幸い、テレビ放送などではセンター・マイクの他に別のマイクがセットされているのでセンター・マイクから離れたところで発せられる声も拾うことができます。でも、それって圧倒的にコント漫才のほうが視覚的効果を与えやすいことになりませんかね。
ドタバタのほうが面白く感じるのはわかります。でも漫才ってのは先にも書いたように基本は話芸だと思うんですよ。漫才師がどんな単語をチョイスするか、またどう聞き手の予想を裏切って話を展開させるのか。これが漫才師の腕の見せ所ではないでしょうか。
この大会は別の見方からすると若手漫才師の大会です。だから舞台上をメチャクチャ走り回っても何とかなる。でも年齢を重ねていけばそうはいかない。動きたくても動けなくなるからです。
とはいえ、ベテラン漫才師たちは若い頃から話芸に磨きをかけてきた。だから今でもテンポはゆっくりながらも味のある漫才を続けられる。しかしドタバタ路線で名を挙げた若手は今後名漫才師となれるのでしょうか。
刹那的な栄光に満足するのなら良いと思います。ですが、今後漫才師として活動していくとすれば、ちょっと心配になります。いや、このイヴェントのあり方が将来の漫才の衰退のきっかけにならなければいいなと思うのですが…。
ド素人視聴者のつぶやきでした。
一応これもコンクールなのでネタを演じる時間は決められています(コンビ結成年による制限も)。しかしながら出演するコンピの話芸のスタイルはまちまち。会話に徹する「しゃべくり漫才」もあれば、コント風なのもある(まあ、これは「コント漫才」というそうですが)。
どのスタイルも漫才なのかもしれません。でも果たして両者は同じものと言えるのでしょうか。まず言えるのは視覚的な効果。しゃべくり漫才は言うなれば「静的な漫才」。これに対し、コント漫才は「動的な漫才」といえるでしょう。
ネタの内容はともかく、舞台上で激しく動き回るものに対して、見る側は「おっ、一所懸命にやってるな」と思うでしょう。これがある種のアピール・ポイントになります。しかし、しゃべくり漫才のほうはほとんど定位置から動かないので視覚的なアピールはできない。この点だけでもしゃべくり漫才は不利となります。
コンクールならば、出場者の条件は平等でなければならない。たぶんですが、漫才というのは基本は話芸だと思うんですよね。言うなれば、目を瞑って聞いていても面白いというのが優れた漫才だと思うわけです。
漫才においては舞台の中央に「センター・マイク」と呼ばれるものが置かれますが、この役割は当然演者の声を拾うのが目的。違う見方をするなら、このマイクの前で演じるのが漫才なんですよと規定しているに等しい。
ですが、舞台上を動き回るコント漫才だと、いくら舞台の中心にマイクが置かれていても熱演の音声は拾いきれない。じゃあ、あのマイクは何のためにあるんだということになる。
幸い、テレビ放送などではセンター・マイクの他に別のマイクがセットされているのでセンター・マイクから離れたところで発せられる声も拾うことができます。でも、それって圧倒的にコント漫才のほうが視覚的効果を与えやすいことになりませんかね。
ドタバタのほうが面白く感じるのはわかります。でも漫才ってのは先にも書いたように基本は話芸だと思うんですよ。漫才師がどんな単語をチョイスするか、またどう聞き手の予想を裏切って話を展開させるのか。これが漫才師の腕の見せ所ではないでしょうか。
この大会は別の見方からすると若手漫才師の大会です。だから舞台上をメチャクチャ走り回っても何とかなる。でも年齢を重ねていけばそうはいかない。動きたくても動けなくなるからです。
とはいえ、ベテラン漫才師たちは若い頃から話芸に磨きをかけてきた。だから今でもテンポはゆっくりながらも味のある漫才を続けられる。しかしドタバタ路線で名を挙げた若手は今後名漫才師となれるのでしょうか。
刹那的な栄光に満足するのなら良いと思います。ですが、今後漫才師として活動していくとすれば、ちょっと心配になります。いや、このイヴェントのあり方が将来の漫才の衰退のきっかけにならなければいいなと思うのですが…。
ド素人視聴者のつぶやきでした。
昨日の続きではありますが、鶴ヶ峰から辰野駅方面へ抜けようとクルマを走らせていると、いつもの「夜景アンテナ」が反応しました。それで向かったのは大城山(標高1026m)。
ジャーン、どうですか。辰野町の夜景が一望できるんです。真っ暗のなか、ふと気づけば休憩用のイスがあるじゃあ〜りませんか!
ならば座ってみましょう。そこから見た夜景はこんな感じ。うん、やっぱりキレイだ。
大城山から辰野駅方面への道は狭いながらも舗装されています。なので、次に来る時はこちらから登ってくればストレスなく到着できるでしょう。未舗装の林道を走るのはそれなりの面白さはありますが、パンクの可能性などを考えると結構ストレスが溜まるんですよね。
大城山、アンタ、いい仕事するねぇ。気に入った!
ジャーン、どうですか。辰野町の夜景が一望できるんです。真っ暗のなか、ふと気づけば休憩用のイスがあるじゃあ〜りませんか!
ならば座ってみましょう。そこから見た夜景はこんな感じ。うん、やっぱりキレイだ。
大城山から辰野駅方面への道は狭いながらも舗装されています。なので、次に来る時はこちらから登ってくればストレスなく到着できるでしょう。未舗装の林道を走るのはそれなりの面白さはありますが、パンクの可能性などを考えると結構ストレスが溜まるんですよね。
大城山、アンタ、いい仕事するねぇ。気に入った!
辰野町小野(おの)から塩尻峠に抜ける道を走っていると、「○○の標→」のような看板を発見。うん、これは行くしかなかろう。ところが、行けども行けども、こんな道ばかり。
ゆっくり進まないとクルマの腹をこするので要注意。深夜なので当たり前なのですが、周囲は真っ暗。
で、ようやくお目当ての場所に到着。「日本中心の標」そう、日本のヘソに当たる場所です。ここは鶴ヶ峰。同名の地名が横浜にもありますが、もちろん違います。へぇ、標高1277mもあるのか…。
さらにその先の道を進んで行くと、何やら見えます。なんでしょうね。
展望台でした。
真っ暗ですが、せっかくなので登ってみます。うはっ、めちゃくちゃ寒い。ビュービュー風が吹くなか、見えた夜景が、
暗闇なので方角がわかりません。どこなんでしょうね。きっと昼間なら良く見えるんだと思います。
ゆっくり進まないとクルマの腹をこするので要注意。深夜なので当たり前なのですが、周囲は真っ暗。
で、ようやくお目当ての場所に到着。「日本中心の標」そう、日本のヘソに当たる場所です。ここは鶴ヶ峰。同名の地名が横浜にもありますが、もちろん違います。へぇ、標高1277mもあるのか…。
さらにその先の道を進んで行くと、何やら見えます。なんでしょうね。
展望台でした。
真っ暗ですが、せっかくなので登ってみます。うはっ、めちゃくちゃ寒い。ビュービュー風が吹くなか、見えた夜景が、
暗闇なので方角がわかりません。どこなんでしょうね。きっと昼間なら良く見えるんだと思います。