ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

4日間の試練

2014-02-20 08:00:27 | ドライブ関連
いや~、2週連続で雪に翻弄されるとは思いませんでした。先週の金曜日(14日)、私用で長野県に行き、夜、東京に戻ろうとしたら中央道は雪のため通行止め。仕方ないので下道を走行。

ところが、長野県と山梨県の県境に差し掛かったところで交通は完全にストップ。当初、しばらく待っていれば動き始めるだろうと楽観。しかし、どんなに待っても動かず。結局この日はそのまま車中で過ごすことに。

翌土曜日(15日)の朝はこんな感じ。雪は相当積もっていました。アカンやん。



しばらくして国道建設事務所の人が来る。

「運転手さん、少しずつ除雪しますんで、クルマを移動してもらえますか?」
「わかりました」

苦心しながら、クルマを反対車線に移動させる。



もう少しすれば、交通が再開されるな…、と喜んだものの、結局その日の作業はここまで。夜になり、乗用車だけ最寄りの道の駅に放り込まれ、そのまま夜を明かす。

16日、弁当が1度支給されるも、クルマのガソリンが全体の4分の1を切る状況に。これは相当マズいことになったなと焦る。というのも、エンジンをかけないとスマフォの電池が充電できないからです。やむを得ず、極力スマフォを使用せず、冷凍庫のような車内で過ごしました。

その日の昼間は晴れていたので、まだ多少暖かかったのですが、晴れていたぶん夜の冷え込みはキョーレツ。マイナス5度から6度の状態で眠れるわけがない。睡魔が来るようで来ない感じで朝まで過ごしました(実は、その道の駅には休憩できる避難所があり、避難しようと思えばできたのですが、人が多かったのと、その極寒に自分がどれだけ耐えられるのか挑戦してみようと思い、敢えて厳しい道を選びました)。

17日、朝になっても事態は一向に改善される気配無し。車内にいても寒いので、外に出て、あちこちウロウロ。すると地元に住んでいるという見知らぬおばあさんに声をかけられました。

「雪は本当にすごいねぇ。そうだ、アンタ、豆乳飲むかえ?(飲みますか?の意)」

おもむろに手提げ袋から豆乳のパックを取り出し、ワシに手渡そうとします。

「いやいや、おばあさん、ご自分で飲んでくださいよ」
「いんや、(豆乳は)まだ沢山あるから飲めやれ(飲んでいいよ)」

おばあさんとはもちろん面識はありません。でも申し出を断る理由もないので有り難く受け取ることにしました。こういうさりげない優しさって、非常事態の時には言葉にならないくらい嬉しいものですよね。もしまた再会できることがあればお礼がしたいと思っています。

夕方、国道20号で山梨県の大月まで行くことができるという情報が。中央道は未だに通行止めのままなので、とりあえず行ってみることに。

降雪量は山梨県のほうが凄いと聞いていたので不安な気持ちを抱きつつ向かうと、確かに甲府あたりから先は尋常でない雪の量。不思議に思ったのは歩行者が車道を歩いていることでした。

最初、理由はわからなかったのですが、ふと歩道に目を向けて謎が解けました。



写真ではわかりにくいですが、大量の雪で歩道が通れないのです。まだ車道のほうが除雪されているので、歩行者はやむを得ず車道を歩いていたというわけ。

午後10時頃、一宮御坂付近で国道20号は大渋滞。またもや動きません。すると、たまたま後続のクルマの運転手から声をかけられました。聞けば、その人は山梨県内の災害援助をしているNPO団体の方だとか。この先、勝沼 - 大月 間は通行止めなので最寄りの避難所(笛吹市指定の宿)に行ってはどうかと勧められました。まあ、いつ開通するかもわからないので、その提案に乗ることに。

午後10時半、宿に到着。所定の手続きを済ませ休憩していたら、午後11時、中央道開通の情報が。これは嬉しい知らせでした。今晩はここで宿泊かと覚悟を決めていたので。宿に待機していた市役所職員にお礼を言い、勝沼インターから中央道に乗る。帰宅したのは18日午前3時でした。

こうして、4日間にわたる「試練」は幕を閉じたのでした。しかしながら、今もなお雪の中で救助を待っている方々がおられます。そのことを思うと、ワシは本当に運がよかったなと感じる一方で、1日も早くすべての被災者が助けられることを祈るばかりです。
コメント (2)

疲労ドライヴ

2014-02-10 04:51:58 | ドライブ関連
土曜日は静岡へ演奏会を聴きにでかけました。前日は実家に居たので、静岡へはそのまま直行。しか~し、まさか稀に見る大雪になるとは…。

とにかく早めに現地に行こうと早朝に到着。演奏会は午後からだったので、どう時間をつぶそうかと思案。ネットで調べてみると近くに「美肌湯」という施設があり、早朝から営業しているとある。ならば、行ってみましょう。



山梨県から静岡県への峠越えは吹雪がすごくて相当疲れましたが、これで疲労回復。

午後からは静岡駅前にある「静岡音楽館AOi」へ。ホール内部はこんな感じ。



これで何事もなく帰京できれば楽しいドライヴのはずでしたが、くそったれ低気圧が邪魔をしました。帰京しようと東名に乗ると沼津インターから先が大渋滞との情報。仕方なく手前の愛鷹パーキングエリアで待機することに。まあ、深夜になれば渋滞も解消するだろう…と楽観。

ところが、渋滞は時間の経過とともに解消するどころか、悪化。覚悟を決めて午前2時半頃、パーキングエリアを出発。しかし、本線はすでに大渋滞でまったく動かず。本線合流までに何と1時間かかりました。

このまま東名で行っても、いつ帰京できるかわかりません。もしかすると他の高速道路のように通行止めになる可能性もあります。そこで下道の情報を確認したところ国道1号はアウトだが、国道246号ならまだ大丈夫そうということが判明。そこで、沼津インターで降りることに。

国道246号に合流して1キロほどは確かにスイスイでした。「おおっ、これは英断!」などとニヤニヤ。

しっかーし、その先からが渋滞地獄。ちっとも動く気配なし。Uターンするにしても、中央分離帯があるためできない。逃げ道がないという状況。これはキツかったな。否応なしに我慢を強いられました。Uターンのある交差点まではほんの1キロ半。でもそこまで進むのに2時間半! むむむ。

この段階で、帰京を断念するかどうか考えていました。沼津か三島あたりで様子見するか…と。ふと、並走している東名を見たら、上り線が意外に流れていることに気づく。それならば沼津インターから再び乗ろうと決意。

インターに乗ったのが午前7時半。相変わらずの大渋滞。でも、もういいや、ジタバタしても始まらん。渋滞に身を委ねてしまえ!

御殿場を過ぎたあたりから渋滞は解消。その後はスイスイだったけれど、帰宅したのは昼前。いや~、疲れました。
コメント

アサリバター・ソース

2014-02-08 04:29:00 | 脳みその料理
7日、老父の様子を見に行きました。そして夜、友人を招いての食事。この日のメニューは、ブリのアサリバター・ソース、長芋と鶏肉のスープ、煮物、卵と味噌とネギの和え物、サラダ、そしてデザートはりんごのコンポート。



りんごは仏壇に放置されっぱなしで、シワシワになっていたものを利用。シワシワになっているくらいだから、そのまま食してもマズい。完全にボケているから…。でも、コンポートにすると美味しく食べることができます。

しかし、なんといっても旨かったのはポワレしたブリの下に敷いたアサリバター・ソース。ハマグリをソースにするのはよくありますが、ハマグリで可能なのだからアサリだってイケるだろう…ならば、作ったれ! ということでチャレンジ。結果、オーライでした。
コメント

生きている長さ

2014-02-03 05:06:45 | 脳みその日常
ちょっと重い話ですが、よろしければお読みください。

老父のところに来ているヘルパーさんと先々週、実家でお会いしました。いろいろ話しているうち、ワシの伴侶のことに話が及びました。伴侶といっても、もう14年近く前に他界しているので「写真でよければ来週にでもお見せしましょうか?」と約束。

そして先週、そのヘルパーさんが来られたので、約束通り生前の写真を見せました。すると、ヘルパーさん、写真を見るなり、号泣。

「ど、どうしたんですか?」
「いえ、なぜかわからないんですけど涙が出てきてしまって…」
「はぁ…」
「こんな経験は初めてです。どういうことなんでしょうね。うっ…うっ…」
「う~ん、そういわれても…」

目にしている写真の人物が故人だとしても、実際に会ったこともないのに泣けるものなのでしょうか。確かにそのヘルパーさんは感受性が豊かではあります。でも、本人いわく、「まさか涙が溢れてくるとは思わなかった」と。

いずれにしても、会ったこともない他人の写真を見て泣いてくれたことに対して、ワシは心の底から有り難く、そして嬉しい気持ちになりました。

ここで、ふと「人は2度死ぬ」ということを思い出しました。人の死は2回訪れる。最初は肉体的な死です。この段階ではもう肉体をもった故人とは会うことはできません。

しかし、故人についての思い出(記憶)は他者の中にまだ生きています。肉体の有無に関係なく、その「人」はまだ生きているのです。

では、2度目の死はいつなのでしょうか。簡単に言えば、故人の記憶をもった他者が肉体的な死を迎えた時、もしくはその他者が故人の記憶を忘却した時であるように思います。

興味深いのは、若くして亡くなろうが、年老いて亡くなろうが、生まれてから2度目の死を迎えるまでの期間はさほど変わらないということです。

(1)|-肉体あり-|-------思い出期間-------------|
(2)|----肉体あり----------------|-思い出期間-|

例えば、上の図をご覧下さい。(1)は早世した人のパターンです。若くして亡くなった人について、周囲の人たちはみな長い間惜しみますよね?

ところが、天寿を全うして高齢で亡くなった人(2)については、亡くなった直後には悲しまれるものの、よほどの業績を積んだ者でない限り、意外なほど忘れられるのが早いように思います。これはあくまで経験的な印象なのですが…。

まぁ、肉体的に死んだ後のことなんてどうでもいいのかもしれません。それよりも、今を一所懸命に生きることのほうが大切なのかも。

ただ、今回思ったのは、故人とは全く面識のない人が故人の記憶を共有してくださったこと。これは本当に驚きでした。もちろん、これは科学的には実証できないことですが、実はあり得ることなんです。でも、これ以上はアタマのおかしい人に思われてしまいそうなので、説明はここまで。
コメント