いや~、2週連続で雪に翻弄されるとは思いませんでした。先週の金曜日(14日)、私用で長野県に行き、夜、東京に戻ろうとしたら中央道は雪のため通行止め。仕方ないので下道を走行。
ところが、長野県と山梨県の県境に差し掛かったところで交通は完全にストップ。当初、しばらく待っていれば動き始めるだろうと楽観。しかし、どんなに待っても動かず。結局この日はそのまま車中で過ごすことに。
翌土曜日(15日)の朝はこんな感じ。雪は相当積もっていました。アカンやん。
しばらくして国道建設事務所の人が来る。
「運転手さん、少しずつ除雪しますんで、クルマを移動してもらえますか?」
「わかりました」
苦心しながら、クルマを反対車線に移動させる。
もう少しすれば、交通が再開されるな…、と喜んだものの、結局その日の作業はここまで。夜になり、乗用車だけ最寄りの道の駅に放り込まれ、そのまま夜を明かす。
16日、弁当が1度支給されるも、クルマのガソリンが全体の4分の1を切る状況に。これは相当マズいことになったなと焦る。というのも、エンジンをかけないとスマフォの電池が充電できないからです。やむを得ず、極力スマフォを使用せず、冷凍庫のような車内で過ごしました。
その日の昼間は晴れていたので、まだ多少暖かかったのですが、晴れていたぶん夜の冷え込みはキョーレツ。マイナス5度から6度の状態で眠れるわけがない。睡魔が来るようで来ない感じで朝まで過ごしました(実は、その道の駅には休憩できる避難所があり、避難しようと思えばできたのですが、人が多かったのと、その極寒に自分がどれだけ耐えられるのか挑戦してみようと思い、敢えて厳しい道を選びました)。
17日、朝になっても事態は一向に改善される気配無し。車内にいても寒いので、外に出て、あちこちウロウロ。すると地元に住んでいるという見知らぬおばあさんに声をかけられました。
「雪は本当にすごいねぇ。そうだ、アンタ、豆乳飲むかえ?(飲みますか?の意)」
おもむろに手提げ袋から豆乳のパックを取り出し、ワシに手渡そうとします。
「いやいや、おばあさん、ご自分で飲んでくださいよ」
「いんや、(豆乳は)まだ沢山あるから飲めやれ(飲んでいいよ)」
おばあさんとはもちろん面識はありません。でも申し出を断る理由もないので有り難く受け取ることにしました。こういうさりげない優しさって、非常事態の時には言葉にならないくらい嬉しいものですよね。もしまた再会できることがあればお礼がしたいと思っています。
夕方、国道20号で山梨県の大月まで行くことができるという情報が。中央道は未だに通行止めのままなので、とりあえず行ってみることに。
降雪量は山梨県のほうが凄いと聞いていたので不安な気持ちを抱きつつ向かうと、確かに甲府あたりから先は尋常でない雪の量。不思議に思ったのは歩行者が車道を歩いていることでした。
最初、理由はわからなかったのですが、ふと歩道に目を向けて謎が解けました。
写真ではわかりにくいですが、大量の雪で歩道が通れないのです。まだ車道のほうが除雪されているので、歩行者はやむを得ず車道を歩いていたというわけ。
午後10時頃、一宮御坂付近で国道20号は大渋滞。またもや動きません。すると、たまたま後続のクルマの運転手から声をかけられました。聞けば、その人は山梨県内の災害援助をしているNPO団体の方だとか。この先、勝沼 - 大月 間は通行止めなので最寄りの避難所(笛吹市指定の宿)に行ってはどうかと勧められました。まあ、いつ開通するかもわからないので、その提案に乗ることに。
午後10時半、宿に到着。所定の手続きを済ませ休憩していたら、午後11時、中央道開通の情報が。これは嬉しい知らせでした。今晩はここで宿泊かと覚悟を決めていたので。宿に待機していた市役所職員にお礼を言い、勝沼インターから中央道に乗る。帰宅したのは18日午前3時でした。
こうして、4日間にわたる「試練」は幕を閉じたのでした。しかしながら、今もなお雪の中で救助を待っている方々がおられます。そのことを思うと、ワシは本当に運がよかったなと感じる一方で、1日も早くすべての被災者が助けられることを祈るばかりです。
ところが、長野県と山梨県の県境に差し掛かったところで交通は完全にストップ。当初、しばらく待っていれば動き始めるだろうと楽観。しかし、どんなに待っても動かず。結局この日はそのまま車中で過ごすことに。
翌土曜日(15日)の朝はこんな感じ。雪は相当積もっていました。アカンやん。
しばらくして国道建設事務所の人が来る。
「運転手さん、少しずつ除雪しますんで、クルマを移動してもらえますか?」
「わかりました」
苦心しながら、クルマを反対車線に移動させる。
もう少しすれば、交通が再開されるな…、と喜んだものの、結局その日の作業はここまで。夜になり、乗用車だけ最寄りの道の駅に放り込まれ、そのまま夜を明かす。
16日、弁当が1度支給されるも、クルマのガソリンが全体の4分の1を切る状況に。これは相当マズいことになったなと焦る。というのも、エンジンをかけないとスマフォの電池が充電できないからです。やむを得ず、極力スマフォを使用せず、冷凍庫のような車内で過ごしました。
その日の昼間は晴れていたので、まだ多少暖かかったのですが、晴れていたぶん夜の冷え込みはキョーレツ。マイナス5度から6度の状態で眠れるわけがない。睡魔が来るようで来ない感じで朝まで過ごしました(実は、その道の駅には休憩できる避難所があり、避難しようと思えばできたのですが、人が多かったのと、その極寒に自分がどれだけ耐えられるのか挑戦してみようと思い、敢えて厳しい道を選びました)。
17日、朝になっても事態は一向に改善される気配無し。車内にいても寒いので、外に出て、あちこちウロウロ。すると地元に住んでいるという見知らぬおばあさんに声をかけられました。
「雪は本当にすごいねぇ。そうだ、アンタ、豆乳飲むかえ?(飲みますか?の意)」
おもむろに手提げ袋から豆乳のパックを取り出し、ワシに手渡そうとします。
「いやいや、おばあさん、ご自分で飲んでくださいよ」
「いんや、(豆乳は)まだ沢山あるから飲めやれ(飲んでいいよ)」
おばあさんとはもちろん面識はありません。でも申し出を断る理由もないので有り難く受け取ることにしました。こういうさりげない優しさって、非常事態の時には言葉にならないくらい嬉しいものですよね。もしまた再会できることがあればお礼がしたいと思っています。
夕方、国道20号で山梨県の大月まで行くことができるという情報が。中央道は未だに通行止めのままなので、とりあえず行ってみることに。
降雪量は山梨県のほうが凄いと聞いていたので不安な気持ちを抱きつつ向かうと、確かに甲府あたりから先は尋常でない雪の量。不思議に思ったのは歩行者が車道を歩いていることでした。
最初、理由はわからなかったのですが、ふと歩道に目を向けて謎が解けました。
写真ではわかりにくいですが、大量の雪で歩道が通れないのです。まだ車道のほうが除雪されているので、歩行者はやむを得ず車道を歩いていたというわけ。
午後10時頃、一宮御坂付近で国道20号は大渋滞。またもや動きません。すると、たまたま後続のクルマの運転手から声をかけられました。聞けば、その人は山梨県内の災害援助をしているNPO団体の方だとか。この先、勝沼 - 大月 間は通行止めなので最寄りの避難所(笛吹市指定の宿)に行ってはどうかと勧められました。まあ、いつ開通するかもわからないので、その提案に乗ることに。
午後10時半、宿に到着。所定の手続きを済ませ休憩していたら、午後11時、中央道開通の情報が。これは嬉しい知らせでした。今晩はここで宿泊かと覚悟を決めていたので。宿に待機していた市役所職員にお礼を言い、勝沼インターから中央道に乗る。帰宅したのは18日午前3時でした。
こうして、4日間にわたる「試練」は幕を閉じたのでした。しかしながら、今もなお雪の中で救助を待っている方々がおられます。そのことを思うと、ワシは本当に運がよかったなと感じる一方で、1日も早くすべての被災者が助けられることを祈るばかりです。