ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

色々学べるョ…南椎尾調整池

2020-12-31 06:20:13 | 茨城(ダム/堰堤)
茨城県桜川市真壁町椎尾(しいお)にある利根川水系の南椎尾調整池に来ました。まずは左岸から見た調整池の様子です。



貯水側から見るとこんな感じ。



これがいわゆるダム上。進んでみます。



越流式の余水吐が左岸側にあり、水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



余水吐の橋を渡ると南椎尾調整池についての案内板があります。ここは霞ヶ浦用水事業のひとつとして、降雨分布が不均一なこの地域のために農業用水・水道用水、そして工業用水を安定して供給するために造られたものだそうです。



この案内板の隣には「つくしこ調整池」の石碑があります。



その裏には「つくしこ由来」と題する文。それによると、奈良時代の歌人、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ:生没年不詳)が詠んだ句、

鷲の住む「筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率いて 娘子壮士の 行き集ひ かがふ嬥歌」に 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな (万葉集:巻9-1759)

が載せられています。でも、この石碑では上の全文のうち「」部分を転載しているのですが、全文掲載でないのはどうしてなんでしょうね。なにも抜粋せずに全部載せてあげたら良いのに…。



ちなみに「」内の補足説明をしときましょう。
・裳羽服津(もはきつ)…地名らしいのですが、正確なところは不明。
・娘子壮士(をとめをとこ)…若い男女の意味。石碑では「娘子荘子」となっていますが、これは間違いと思われます。
・嬥歌(かがひ)…元々は歌を歌いながら踊る宗教行事のこと。ここでは男女の出会いの場という意味で、今風に表現するなら婚活パーティーのこと。

…と、万葉集を引用するのは良しとしましょう。また、調整池を建設するにあたり用地を提供した人々の名前を載せるのも大切なことです。でもね、タイトルになっている「つくしこ由来」がどこにも書いてないんです! どういうことやねん! で、由来はなんなん?

すみません、取り乱しました。気を取り直して歩きます。ダム上、中央付近から見たつくし湖の様子はこんな感じです。



一方、下流域の景色です。



対岸(右岸)まで来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、つくし湖側から見た様子。



同、下流側から見た様子はこんな感じです。



調整池の周囲には色々な案内板があります。まず、筑波山の中腹でミカンが採れる理由。



調整池の地理的な位置。



そして、詳細に書かれた霞ヶ浦用水の歴史。なかなかの力作です。



部分を拡大しますんで、お読みになりたい方はどうぞ。









これは子供向けの案内板かな?



これは一体なんなのでしょうね。脇の看板はのっぺらぼうなのでわからず。



「紫の 山と薬師の 影うつす 水辺に映えよ 若き桜木」と刻まれた石碑。紫の山とは筑波山のことです。それは朝夕に色が変わって見えることからそう呼ばれるようになったそうな。紫峰とも言います。残念ながら作者名はよくわかりませんでした。



調整池でありながら、色々学ぶことの多い場所でした。興味のある方は是非行かれてはいかがでしょうか。

本年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。来年も頑張りますんで、よろしくちゃん!
コメント

郷土愛に満ちた…中之橋

2020-12-30 06:30:17 | 橋のユニークな親柱
前回の三穂ダムがある阿知川のすぐ上流に架かっているのが、この中之橋です(2017年7月竣工)。三穂ダムへはこの写真でいえば対岸の道から入っていきます。



その中之橋の親柱には二種類のデザインを見ることができます。ひとつは、

「笹竹を流す 七夕中之橋」

と記されたもの。



もうひとつは、

「まっぱだか 水あべをした阿知の川」

と記されたもの。



これらの句は1974年に発行された初代「阿智村かるた」所収のもの(参考)。また、描かれている絵は地元出身の童画家、熊谷元一(くまがいもといち:1909-2010)の作品だそうです(参考)。

対岸の親柱もこのセットになっています。





こうした親柱は地元ならではの郷土愛が感じられるもので、見ていてほのぼのしますね。
コメント

三穂ダム(再訪2020)

2020-12-29 07:01:42 | 長野(ダム/堰堤)
いや〜、見えないことは恐ろしい。今回天竜川水系の三穂ダム(堰堤)を再訪して痛感しました。前回ここを訪れたのは深夜で、もちろん真っ暗。頼りになるのは流れる水の音のみ。そこから判断して「ああ、このダムは小さいんだな」と思い込んでいました。(前回の記事

ところが、昼間に行ってみると、あ〜ら、びっくり。とんだ勘違いをしていることがわかったのです。これが「ご尊顔」ですが、深夜時には見えなかったので驚いたわけです。えっ、こんなの、あったん?



さらにわかったのは、このダム(堰堤)は阿知川に造られているのですが、発電用の施設は川幅の半分だけで、もう半分は越流式の床固工(?)になっていること。



上流側から見ても、そのことがわかりますね。



ダム下流の阿知川はこんな感じ。



深夜では絶対にわからないのは、この澄み切った水のさま。なんと美味そうな水でしょうか…。



で、前回ワシがダムだと思い込んでいたのは、どうやら取水口からの水路のことだったようです。



下流方面へ向かう水の勢い(音)が誤った判断を下したのでした。



水利使用標識も前回と変わらず。



取水口の下流側から見た様子です。ダム(堰堤)本体との位置関係がこれでわかると思います。



視覚情報の多寡で、これほどの誤認があるとは本当に驚きました。そして誤った情報を流してしまい深く反省しております。ごめんちゃい。

これこそが三穂ダム(堰堤)の真の姿です。
コメント

駒場ダム(再訪2020)

2020-12-28 07:08:49 | 長野(ダム/堰堤)
国道256号から県道89号に入ってすぐのところにあるのが駒場ダムです。ここは以前訪れたのですが、深夜だったため何も見えず。そこで今回は昼間に訪問というわけです。前回の深夜の様子はコチラをご覧ください。

「ご尊顔」は地理的に考えて県道から見るしかありません。なぜなら駒場ダムは敷地に入ることができないからです。ようやく撮影できたのがこれ。でも春から夏にかけては木が生い茂るため、たぶん見えないんじゃないかと思います。葉が落ちた今だからこそ見ることができたのかもしれません。でも、枝が邪魔だなぁ。



貯水側からのダムの景色も県道からはこれが精一杯。う〜ん、よくわかんないね。



貯水側に向かって「駒場ダム」と記された看板が見えました。もちろんこれはズームしたものです。



水利使用標識も以前と同じ。河川名は「阿智川」とありますが、阿知川とも表記されます。正しくはどちらなんでしょうねぇ。



県道を貯水側に向かって歩いてみます。すると、わかりますかね、この水の綺麗さが。美味しそうです。





貯水側から遠巻きに見たダムですが、写真ではよくわからんですね。



駒場ダムは方角的には昼神温泉の北北西に位置するので、そちらから「ご尊顔」が見えるかなと思ったのですが、残念ながら行けそうな道がありませんでした。とほほ。
コメント

叫んで眺めて…恩出橋

2020-12-27 06:46:29 | 橋のユニークな親柱
下伊那郡阿智村智里(ちさと)昼神付近を走る国道256号から阿知川へ向かって曲がると昼神温泉の旅館街になりますが、その「なしのざわ通り」を進むと阿知川にかかる橋が恩出橋(おんだしばし)と言います。1993年5月竣工だそうです。


この恩出橋の親柱には男の子が乗っていて、2種類のポーズをとっています。ひとつは叫ぶポーズ。いや、歌っているのかもしれません。



上流側のは眺めるポーズ。



橋はこんな感じです。



恩出橋の中央付近から見た阿知川上流の様子。



一方、下流はこんな感じ。



対岸の親柱も同じですが、今度は上流側に叫ぶ子供。



そして下流側には眺める子供。



なぜこの橋が恩出橋というのでしょうか。また、なぜ男の子は叫び、眺めているのでしょうね。ちょっと調べてみましたがわかりませんでした。ご存知の方がいらしたら教えてください。

(お知らせ)

浪合堰堤をアップデートしました。昼間の様子を追加しています。よろしければコチラをご覧ください。
コメント

浪合村の谷止工(平成2年度)

2020-12-26 07:16:57 | 長野(ダム/堰堤)
前回の和合堰堤から県道243号をさらに和知野川に沿って遡っていきます。県道は大根沢川のところでヘアピンカーブになるのですが、そこで偶然目にしたのがこれ。これは見に行くしかあるまい。吸い寄せられるように近づきます。



砂防堰堤でしょうか…。



さらに近づいてみると本体に嵌め込まれたプレートを発見。そこには

  “平成2年度
災害関連緊急治山事業第27号工事
   谷止工
 浪合村字半堀地内
  長野県林務部”

と記されています。浪合村とありますが、同村は2006年(平成18年)1月1日に阿智村に編入合併し、現在はありません。



夏ならば涼めること間違いなし!



下流はこんな感じ。写真右上に見えるガードレールのところが県道243号。



いや〜、また谷止工に目を奪われてしまいました。マニアックの世界へ…。いやいや、危ない、危ない。
コメント

遠巻きに…和合堰堤

2020-12-25 06:31:20 | 長野(ダム/堰堤)
前回の谷止工の場所から県道243号に戻り、和知野川に沿ってさらに遡ります。しばらく進み、脇道に入ると中部電力が管理する和合(わごう)堰堤に到着です。和合はこの辺りの地名。



近くにはこんな看板。



堰堤下流の景色です。



本当ならもっと堰堤に近づきたいところなのですが、堰堤へ至る道が中部電力の専用道路なので近づけるのはここまでなんです。

う〜ん、残念!
コメント

阿南町の谷止工(平成3年度)

2020-12-24 07:05:17 | 長野(ダム/堰堤)
前回の和知野ダムからその上流に沿って走る道(県道243号)を進んでみました。するとグーグル先生の地図に和合小学校近くの、和知野川に流れ込む沢を遡ったところに「堰堤」があるのを発見。住所は下伊那郡阿南町和合本村(あなんちょうわごうほんむら)大沢地内。気になったので行ってみることに。

細い道を行った先に見つけたのは確かに堰堤。



下流もご覧のようにデカい岩がゴロゴロ。



もうちょっと堰堤に近づいてみます。もうね、荒れ放題ですよ。



その付近を見下ろすとこんな感じ。



「ご尊顔」を接写。鉄の棒が懸命に支えているのがわかります。



横から見るとわかりやすいですね。



一体、この堰堤に名称はあるんだろうか…。探してみると堰堤本体に嵌め込まれたプレートがありました。

 “平成3年度
災害関連緊急治山事業第22号工事
 谷止工(不明)
 106 B TYPE
阿南町字本村大沢地内
 長野県林務部”



谷止工(たにどめこう)は荒廃している沢の土砂流出防止のために作られるものです。こういうのを探していくと無数にあるんでしょうね。極めてマニアックな領域に入っていきそうなのでこの辺でやめておきます。
コメント

和知野ダム(再訪2020)

2020-12-23 07:07:41 | 長野(ダム/堰堤)
長野県下伊那郡阿南町西條(しもいなぐんあなんちょうにしじょう)にある天竜川水系の和知野(わちの)ダムを再び訪問しました。前回深夜に訪れた時の様子はコチラでご覧ください。

やはり昼間だと「ご尊顔」を拝むことができます。いいねえ。



左岸側からもう一度。おや?左岸側に何か見えます。



魚道と、取水口からの水路ですね。



それにしても、この魚道、なかなかの長さです。



おなじみの水利使用標識の内容は前回と変わっていません。



上流側から見たダムの様子です。写真でいうとダム本体の左に見えるのが取水口です。



道路より下にある施設の場合、深夜ではまずほとんど見えないので色々な発見がありました。
コメント

金谷堰堤(再訪2020)

2020-12-22 06:50:52 | 長野(ダム/堰堤)
前回の心川堰堤から心川集落センター方面の道を進み、センターを過ぎてしばらく行くと天竜川水系の金谷(かなや)堰堤に到着します。ここも以前深夜に訪れた時(参考)にはまるっきり見えなかったので今度は昼間に訪問しました。

これが金谷堰堤の「ご尊顔」。



ここが金谷堰堤であることを示す看板。心川集落センターはこの道の先にあります。



水利使用標識。鈴ヶ沢川は下流で心川と合流し、さらに下流で売木川に流れ込みます。



堰堤を少し高いところから見るとこんな感じ。



深夜では全く見えなかったので、今回の訪問でスッキリしました。
コメント

心川堰堤(再訪2020)

2020-12-21 06:55:05 | 長野(ダム/堰堤)
天竜川水系の心川(こころがわ)堰堤を昼間に再度訪ねてみました。前回訪れた時の深夜の様子はコチラです。

県道46号から心川集落センター方面へ向かい、心川の手前の細い道を入って行くと到着。

どうも、お久しぶりでございます。こんな「お顔」でしたか。



ここが心川堰堤であることを示す看板。



堰堤横から見るとこんな感じ。



上流側から見た堰堤。



さらに近づいてみます。



上のリンク先をご覧のように、深夜ではその全体がわかりませんでしたが、今回昼間に訪問してその全貌を見ることができました。ほぅほぅ。
コメント

売木堰堤(再訪2020)

2020-12-20 07:11:53 | 長野(ダム/堰堤)
長野県下伊那郡売木村(うるぎむら)の県道46号沿いにある天竜川水系の売木堰堤も前回(参考)は深夜に来たので全く見えませんでした。そこで今回は昼間に訪問というわけです。

おお〜、これですな。堰堤は県道よりも下にあるので、どうりで見えないわけです。



上流側の、県道を挟んだ高台に管理所らしき建物があります。しかし、寂しげ。



県道から見下ろすと堰堤の対岸へ行くための吊り橋があります。



吊り橋の全体像です。ああ、こういう感じなんですね。



吊り橋の袂には水利使用標識の看板。これは深夜では気づきませんでした。



吊り橋の袂から見た売木堰堤の様子です。



最後に、下流から見た堰堤をご覧ください。岩がゴロゴロ。



道路の下にある堰堤は、やはり昼間でないと楽しめないですね。実感。
コメント

岩倉ダム(再訪2020)

2020-12-19 06:38:32 | 長野(ダム/堰堤)
長野県下伊那郡売木村(うるぎむら)にある天竜川水系の岩倉ダムを再訪しました。前回訪れた時(参考)は真夜中だったのでその全体像が見えず、今度は昼間にちゃんと見てやろうと思った次第。

おおっ、これが「ご尊顔」ですな。



ダムの右岸、下流側から見た様子です。



これがダム上ですが、立ち入ることはできません。



1936年竣工ですから、今年で84歳。その割に若々しく見えます。



貯水側から見たダム。



対岸へ向かいます。途中、下流にある道から見た様子。



ダムから流れ出た水は岩倉川となります。



対岸(左岸)へ来ました。管理所のような建物ですが、それを示すプレートはありません。



対岸、下流側から見た様子です。



ご存知、水利使用標識。おおっ、許可期限がアップデートしてるやん(前回のと見比べてください)。



当然ながら、こちら側からも立ち入ることはできません。



対岸、貯水側から見た様子。あれれ、「岩倉ダム」の看板なんてあったかなぁ。深夜では気づきませんでした。



再訪して改めて岩倉ダムの全貌を見ることできて良かったです。満足、満足。
コメント

横長でシンプル…小山ダム

2020-12-18 06:46:11 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県高萩市横川にある大北川水系の小山ダムに向かいます。アクセスは県道22号を行くと到着します。

見えてきました。これですね。



県道沿いに入口を示す看板があるのでわかりやすい。



入って右手に見えるのが管理事務所。



心霊現象の番組のタイトルに出てきそうな字体。ぞぞぞ〜。



管理事務所からダムを見るとこんな感じ。



ダム上に行くには少し歩きます。



ダム上近くまで来ました。脇には小山ダムと刻まれた石碑。2005年7月竣工とあります。



近くには「小山ダム建設協力感謝の碑」。それによると大北川はこれまで何度も氾濫し、下流の磯原地区に甚大な水害を起こしてきた。そのため大北川の洪水調節と利水の安定供給を目的としたダム建設が決まったのだが、決定からダムの完成まで何と34年もの年月がかかったとあります。また、ダム建設に際しては15戸の移転と150余名から土地提供の協力を得たと記されています。



貯水湖の名称は「こやま湖」。



その裏には湖名の由来が書かれています。要するにここの地名を付けたのですが、わかりやすくするために敢えて平仮名で表現したそう。



では、ダム上を歩いてみます。その長さ、462m。なかなかの長さです。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。あれれ、こちらは2005年3月になってます。上に見た石碑と4ヶ月違いますが、どういうことなんですかね。



下流側から見たダムの様子。



歩を進めます。ダム上、中央付近から見た「こやま湖」の様子。



65m下の様子です。「こやまダム」と刈りそろえられています。



遠景はこんな感じ。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸、下流側から見たダムの様子。こうして見ると横長のダムであるのがわかりますね。



2000年以降に作られたダムにしてはちょっと素っ気ない感じです。しかし、要は水害防止をするのが目的なのですから、これはこれで良いのです。
コメント

かたくりの里…水沼ダム

2020-12-17 07:04:41 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は北茨城市華川町小豆畑(きたいばらきしはなかわちょうあずはた)にある大北川水系の水沼ダムに向かいます。アクセスは県道153号から入るのが無難。ダムの上流から左岸へ行く感じになります。地図を見ると県道27号から花園川沿いにダムの左岸へ行く道もありますが、ダムまであと2kmというところで万事休す。ダムへ辿り着くことはできません。

…というわけで、水沼ダムの上流からの道を来ました。するとダムを発見。あれですね。



ダム横に来ました。



花園川を堰き止めて造られた貯水湖です。



ダム横の脇に管理事務所があります。





水沼ダムの案内板。治水と利水を目的とする多目的ダムだそうです。1962年に着工し、1966年6月完成。



では、ダム上を歩いてみましょう。



ダム本体に嵌め込まれた「花園川」と「水沼ダム」のプレート。





ダム上、中央付近から見た貯水湖の様子。



同、ダムの真下はこんな感じ。



その遠景です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見たダムの様子。年季の入ったダムという感じですね。



対岸、貯水側から見るとこんな感じ。



このあたりは「かたくりの里」というそうです。万葉の歌人、大伴家持(718-785)が唯一カタクリについて詠んだ歌、

「物部の八十少女らが汲みまがふ 寺井の上の堅香子の花」(万葉集:巻19・4143)
(大勢の少女たちが集まって水を汲んでいる。その寺の井戸の傍に咲くカタクリの花よ)

のことが記されています。





また県道から入ったすぐのところには水沼ダムの諸元が書かれた看板がありました。



(おまけ)
最初に花園川沿いから遡るとダムへたどり着けないと書きましたが、万事休すの場所がこちら。



これを見た瞬間、本当に脱力しましたよ。しばし呆然…。ま、これも冒険、冒険。
コメント