ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

しぶんぎ座流星群へ期待

2005-12-31 09:50:44 | 脳みその日常
いよいよ2005年も大詰めを迎えた。といっても、ワシ自身は何の感慨もないんだが。例年に比べ、個人的には今年はあまり積極的でなかったように思う。来年はいくつか目論みがあるので、それを実行に移せたらなと考えている。みなさんはいかがですか?

ところで、年が開けた4日の深夜に「しぶんぎ座流星群」が現われるという。名称の由来や現われる時間については「国立天文台」のサイトを参考にしてほしい。もちろん星空フリークのワシは何があっても見るつもりだ。たとえ原稿の締め切りが迫っていても…。

明日はカレンダーの上では2005から2006に変わる。でも実際に何が変わるわけでもない。ただ人間が勝手に明日から「わーい、正月だ」と浮かれるだけ。意味ねーなーと思う。

まあ、そうやって「区切り」をつけることで人間は何かと訣別していくのだろうな。若い人たちのことを「リセット世代」などと呼ぶけれど、広い意味でこうした行為そのものがリセットなのではないのだろうか。

あーだこーだ語っても仕方がない。一応世の中の「しきたり」に従って結びの句を述べておこう。

「みなさん、良い年をお迎えください!」
そして
「来年も、どうぞよろしくー」
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まずは自分を顧みること

2005-12-30 04:40:41 | 脳みその日常
1年半ぶりぐらいで大昔の彼女に電話をした。もちろん未練があってのことじゃない。とある用件があったので連絡しただけのこと。

ひとしきり話し終えた後、「最近はどーよ?」という話題になった。互いにもう恋愛感情などを抱く関係ではないし、ヨリが戻ることもない。ただ、ひとりの友人として幸せに暮らしているのか?という意味でそういう話になったのだ。

話によれば仕事は相変わらずバリバリとこなしているそうな。しかし特定のパートナーは未だに現われないらしい。「そりゃ困ったねえ」と話を聞きつつ、ふとその原因が本人にあることにワシは気づいた。

コイツは仕事上、多くの男性と出会う機会はあるらしい。でも本人にとって「この人だ!」という魅力的な男性がいないと嘆く。「じゃあ、どんなタイプがいいのさ?」と聞けば、「私みたいな破天荒な性格を受け入れてくれる人かな」と。

「まあ、そこまで器の広い男性ってのは、なかなかいないんじゃないのか?」
「そうねえ…」
「人生、なかなかうまくいかんね」
「そうね、私の人生はそもそも波瀾万丈のようだし」

ここまで読んでお分かりかと思うが、コイツ、自分の性格のほうに改善すべき点があるんじゃないかとはまったく感じていない。また自分の人生を「波瀾万丈なんだわ」と決めつけている。まるで悲劇のヒロイン気取り。

いくら仕事がバリバリできても、こういうタイプの女性を果たして男性は好むだろうか。人の好みはそれぞれだろう。しかし男の目から見て、こんなのはあまり魅力的に映らないと思うけどなあ。コイツの目からみて「ピンと来る男性がいない」というより、相手の男性のほうが先に「引く」んじゃないのだろうか。

後輩たちには、「特定の相手がいるなら、歳を食う前にさっさと結婚したほうがいいぞ」と言うことにしている。なぜなら独身で歳を重ねるほど「ヘンな知恵」がついてくるからだ。下手に歳を食ってしまうと、知らなくても良い知恵までついてしまい、結果として偏屈な性格になる人が多い。不思議なのだがそうなのである。だから偏屈になる前に結婚しろよと言うのだ。

コイツの場合は「仕事をバリバリこなしている自分」というものに自信があるので、ついつい自らを顧みるということがスッポリと抜け落ちてしまっている。何かうまくいかないのには必ず理由なり原因なりがあるものだ。その原因が自分のほうにあるのではと考えるならまだ救いはある。だが、それすら気づいていなければ、どう努力したところで結果が出ないのは当然なのだ。

昔はもっと普通だったんだけどなあ。ま、本人が自覚するしかないんだろうけど。
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意外な場所のトンネル

2005-12-29 06:09:38 | ドライブ関連
八王子郊外をクルマで流していたらトンネルを発見!引き寄せられるように向かう。

ソロソロと近づくと、な、な、なんとそこは法政大学の構内。

なるほど、確かにトンネルには「法政トンネル」と書いてある。もっとも、トンネルとはいっても、長さは80メートルぐらいだろうか。いや、それにしても山をくり抜くほどの敷地があるのか…。すごいねえ。

あとで調べてみたら、ここは「多摩キャンパス」だった。なるほど、そのサイトを見ると確かにキャンパス内にはトンネルがある。あっ、住所は町田市なんだな…失礼。

あ、そういえば世田谷区にある国士舘大学の敷地内にもトンネルがあったな。あれも初めて通った時には驚いたけど。

もちろん世田谷に山なんてない。地面を掘ってトンネル状にしたものだ。機会があれば今度はその写真を載せてみようか。
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今年最後の講義

2005-12-28 19:36:04 | 脳みその日常
昨日は今年最後の講義。世の中は師走でクソ忙しいのに、受講者たちはわざわざ時間を割いてワシの講義を聴きにやってくる。本当にありがたいと思う。ならば、こちらも一所懸命教えねば、と力が入る。

講義をする部屋へ行こうとしたら、目の前に後輩の学生MさんとSさんがいて驚く。

「わっ、何してんだ?こんなところで」
「何って、ヒマだったから先輩の講義を聴きに来たんじゃないですかぁ」
「あっ、そうか…もう大学は休みなんだねぇ」
「そーですよぉー」
「(それにしても『ヒマだから』ってのが泣けるな…とほほ)」

ま、ともかく人が多ければそれに越したことはない。それに若い人が講座に来ると部屋が明るい感じになる。たぶん通常の受講者たちも大歓迎だろう。

講義のあと、忘年会に突入する。もちろん後輩たちも参加(させる)。場所はいつもの「玄海」だ。さすがに忘年会シーズン。店内は客で溢れていた。

前にも書いたが、ここは刺身のネタが新鮮で、とにかく値段が安い。となれば、客が集まるのは当然。めちゃくちゃ飲み食いして、いろんな話をして盛り上がっていた。ワシはクルマだから食う専門だったけど。
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毛皮の国の人だもの

2005-12-27 03:01:36 | 音楽あれこれ
前にもご紹介したことのある『NORDIC SOUNDS』の最新号が届く。今回は北欧のジャズ特集のようだ。パラパラとページをめくっていたら、あるところで目が釘付けになる。

図版をクリックして拡大したものを見ればわかるが、この花嫁衣装はすべて毛皮でできている。「何とも暑そうだな…」それが最初に見た感想。よく見りゃ、懐刀の柄がシカの角だし…(苦笑)

これが何であるかご存知の方はハッキリいって映画通。しかも前衛的な。ワシは不勉強なので今初めて知ったのだが、これはマシュー・バーニーが今年制作した映画『Drawing Restraint 9』(邦題「拘束のドローイング9」)のワン・シーンである。花嫁に扮しているのは、バーニーのパートナーであるご存知ビョーク。それにしてもビョークは相変わらずハジケた活動をしているのぉ。

これまた不勉強ながら、この作品が今年の夏に金沢21世紀美術館で「マシュー・バーニー展」として開催されていたことも知らなかった。きっと面白かったんだろうな。同美術館は常に意欲的な企画をすることで知られている。そういえば9月から10月にかけて同美術館で行なわれた「ゲルハルト・リヒター展」は面白かったと友人が言ってたな。
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気の流れ

2005-12-26 05:22:11 | 脳みその日常
世の中で信じられている「風水」や「方位学」について、ワシはまったく知らない。ほとんど興味もない。しかし感覚的に、あることに気づいた。

少し前に部屋の模様替えをした。模様替えといっても、ただ仕事をしやすい環境にしたというだけなのだが。ともかく、機能的にはこれでいいなと思った配置でしばらく仕事をしていた。

ところが模様替え後、いまひとつ気分が乗らないことが多かった。何だろうな、体調でも悪いのかな。最初はそう思っていた。でも、生来の不規則な生活は相変わらず。だから大して気にすることもなく月日は過ぎていった。

そうこうするうち、たまたまバラエティ番組で風水の話をしているのを見る。番組のなかでは「この方角が良くない」とか「これをここに置くと良い」などと熱心に説明していた。もちろん、そんなことを真に受けるワシではない。「えー、ホンマかいな」とか「なんでやねん!」と軽いツッコミを入れながらボーッと眺めていた。

ただその時に、ちょっと閃くことがあった。風水や方位学が拠り所にしているのは、いわば「気の流れ」を重視すること。だから気を阻害するような配置は良くないということになる。

そこで自分の部屋にそれを当てはめてみる。すると、どうやらワシが普段いる場所が「気の流れ」の途中であることに気づいた。モノが気の流れを阻害するとダメなのだから、それが人であっても良くないのではないか?

あくまで仮説である。しかし配置を換えて改善されるのであればそれに越したことはない。そうと決まれば即実行するのがワシの流儀。

…やってみた。

しばらく様子をみないことには何とも言えない。だが配置を換えて数時間経つけれど、今のところ何か気分がよい。転換前とは何かが違う。

もちろんこれは気分的なものかもしれない。でもまあ結果がよければそれでいいのだ。何となくヤル気の起きない方は実行してみてはいかがだろうか。いいかもしれないよ(笑)
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ベヒシュタインで《黒鍵》

2005-12-25 16:46:05 | 回想する脳みそ
上京した頃の夢を見た。当時は部屋にピアノがなかったので、どこかで練習させてもらうしかなかった。時間単位で練習させてもらえるのは楽器店か、もしくは「ピアノ練習所」。安いところだと1時間300円で練習させてもらえた。

とはいうものの、カネのない学生にとって1時間300円は大きい。ましてや練習が1時間で終わるわけがない。気づけば2時間から3時間なんて当たり前のように過ぎていた。

さすがに困ったなと思っていた時、ある人から有り難い話を聞く。なんでも、ある婦人が無償で自宅のピアノを弾かせてくれるというのだ。しかも時間無制限で。

今ならば、「そんなウマイ話なんてあるものか。きっとウラがあるに違いない」と疑うだろう。だが、当時のワシにしてみればこれほど嬉しいことはなかった。本当に申し訳ないとは思ったが、ご好意に甘んじることにした。

このお宅は婦人がピアノを教えておられるいわゆるピアノ教室である。しかしワシに提供して下さるのはレッスン用のグランドピアノではなかった。婦人が子供時代から使用していたというアップライトピアノである。ピアノが弾けるならそれで十分すぎるほど幸せ。それはお宅の2階の一室にあり、いつも気後れしながら練習させてもらっていた。

驚いたのは、そのピアノがベヒシュタイン製だったこと。ベヒシュタインのピアノの存在は知識として知っていたが、当時はまだ実際に弾いたことはなかった。よもやこんなところで弾くことができるとは思わなかったし、嬉しかった。

その響きは婦人の性格のごとく明るく温かかった。毎回弾かせていただくたびに感謝しつつ、時間を忘れて練習した。

このころはすでにピアニストになる夢は捨てていたが、なぜかショパンのエチュードを練習していた。記憶では27曲すべてそこで練習したはずなのだが、昨日の夢ではなぜか作品10-5である《黒鍵》を練習しているシーンのみ。何なのだろう。何か意味があったのだろうか。

無償で弾かせていただいたのは1年ほど。その後ワシは引っ越してしまい、自然に音信不通になってしまった。果たして今あの御婦人はどうされているのだろうか。当時婦人は50代後半ぐらいだったと記憶しているが、お元気なのだろうか。できるだけ早い機会に訪ねてみたいなと思うこのごろだ。最後にきちんとした形でお礼をしなかったし、何よりあの練習のおかげで今のワシがあるのだから…。
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特別講座はヒーフー

2005-12-24 04:54:22 | 脳みその日常
昨日は、いつもの講座でない別の講座で話をする。これは場所も受講者も違う、まさに別モノ。たまたま紹介され、話をして欲しいと前々から頼まれたのだ。

しかしながら、いつもとは勝手が違った。当初の予定では子供たちを相手に話をすることになっていた。ところがフタを開けてみると、来る子供の数より大人の数のほうが断然多かったのである。

大人の受講者が多いんだからいいじゃないか、いつものようにやればよいではないかと思うだろう。確かにその通りだ。でも受講するのが大人だけならばよいが、数こそ少ないものの子供もいるのだ。それも5歳の幼稚園児!さあ、どうするワシ。

5歳から70歳代までの受講者を前にして、ちょっと考えてしまった。できるだけ多くの人に楽しんでもらうにはどうしたらよいのか、と。そう、最大多数の最大幸福を目論んだわけである。

そもそも、この特別講座は「まずはクラシック音楽を楽しんでみよう」という程度の人たちが集まっている。だから言うまでもなく難しい話はできない。噛み砕いて噛み砕いて唾液でドロドロになるぐらい易しい言葉で説明するのはデフォルト。でも、楽しませるのは本当に難しいのだ。

救いだったのは、たまたま昨日が「クリスマス・イヴイヴ」だったこと。よし!子供たちのためにクリスマスにちなんだお話でもしてやるか。となれば、チャイコフスキーの《くるみ割り人形》がベスト・チョイスである。

もっとも、どのような人が来場しそうなのかは事前に聞いていたので、《くるみ割り人形》の話をすることは予め決めていた。そして子供たちへ「こんぺいとう」をプレゼントしてやろうと思い、それも事前にネットで注文してあった。もちろんそれはワシの好意であり、すべて自腹である。

ともあれ、無事に講座は終了した。どの程度理解されたのかはわからない。しかし子供たちは騒いだりすることもなく、お行儀よく聞いていた。また年配の方々もそこそこは楽しんでもらえたのではないか。まあ、反省する部分もなくはないが。

帰る前にそれぞれの受講者へ直接「こんぺいとう」を手渡す。気分はまるでサンタクロースだ。もっとも、赤い帽子や赤い洋服を着てなかったけど(苦笑)
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オジサンの発想

2005-12-23 05:22:47 | 脳みその日常
あるサイトにたまたま目が止まった。それはマイクロソフト社製のゲーム機「XBox360」を特集したサイトである。ワシはまったくゲームをしないので興味はない。むしろワシの目を惹き付けたのはロゴマークのほう。

球体に十字の切り込みの入ったマーク。これってさ、どう見てもシイタケの飾り切りだよな?あ、ここ、一応笑うところです…一定の世代以上ならば。

「XBox」のエックスってのは、おそらく「無限の可能性を秘めた」とか「謎の」という意味が込められているのだろう。そうした夢の詰まった箱がこのゲーム機の名称だろうということはわかる。しかし「360」というのを見ると、オジサンはついつい昔のクルマを思い出してしまうのだ。そう、スバル360…。ここでニヤッとしたアナタはきっと御同輩ですな。

もちろんここでいう360とはエンジンの排気量に他ならない。対して「XBox」のほうの360とはこのゲーム機で世界中の友達と繋がっている、すなわち360゜を意味しているのは言うまでもない。

それにしても360という数字を見ただけでオールド・カーに想いを馳せるとはワシも歳を食ったものだな…。
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レブエルタスとの遭遇

2005-12-22 05:41:36 | 音楽あれこれ
つい先日のこと。ある演奏会が催されるホールへ向かう。開演の少し前に到着し、小腹を満たすため近くのコンビニに入る。コンビニといっても大手のチェーン店ではない。オバチャンがひとりレジのところにちょこんと座っている、そんな店だ。

店に入り、普通に食品を物色しているとBGMが流れているのに気づく。まあ、それもよくあること。珍しいわけじゃない。しかしよくよく耳を澄ますと、なんとレブエルタスの《マヤ族の夜》ではないか!

えっ、なぜここでレブエルタスが流れてるんだ…?あまりに唐突な出来事で、冷静な判断のできない自分がそこにいた。(右の図版とは何の関係もない。たまたまウチにサロネンの指揮したCDがあっただけのこと)

シルベストレ・レブエルタス(1899-1940)は20世紀前半のメキシコを代表する作曲家として知られる。同国の作曲家としては有名であるが、世界的にメジャーというわけじゃない。ましてやコンビニのBGMで流れてるなんて、まず誰も想像できまい。だから一瞬ワケがわからなくなったのだ。

だがそれも先入観の決めつけなのかもしれない。コンビニのオバチャンがレブエルタスを聴いちゃいけないなんて誰が決めたんだ?もしかすると、このオバチャン、南米音楽のマニアかもしれんな。うーむ、おそるべし!

一応確認をするため買い物を済ませる時にオバチャンに尋ねてみた。

「こういう曲って、よく聴くの?」
「ええ、最近は何度か聴いてるわねえ」

さりげない受け答え…。な、何者なんだ?このオバチャン。

「でもね、こればっかりだから…」
「ん?」
「ほら、いま有線(放送)、聴けないのよ。故障か何かで…」(ほらって言われてもなあ…)
「ほぅほぅ」
「だから、これなのよ」

え?いまの有線ってそんなマニアックな曲も流れるのか?ふーん。

「じゃ、これはCDか何か?」
「そうよ、ウチのオニイチャン(従業員のこと)がヘンな曲のCDしか持って来ないから」
「え?あ、あ、そう…。な、なるほどね」
「寒いから風邪引かないようにね」

そう言うと、オバチャンは指先の切ってある軍手をはめた手でワシにお釣りを渡した。むむむ、なんたる異空間(笑)
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ETCは便利だけれど…

2005-12-21 06:01:51 | 脳みその日常
思い立って深夜のドライブに出掛ける。今回は何となく山奥へ行きたい気分。そこで中央道の上野原インターで降り、相模湖へ抜ける。

無論この道は街灯がないほどの山道。舗装はされているが、まるで林道のよう。対向車でも来たら万事休す。そんな道だ。

でも暗闇の静寂はワシの心をくすぐる。安全な場所にクルマを停車させて一服する至福の時。これが自然の「暗さ」なのだ。

もっとも、それを恐怖だと感じる人もいるだろう。まあ、そうかもしれない。万一何か起こっても助けを求めることができないような場所だから…。

そうそう、本題はETCのことだったな。これは本当に便利である。深夜もしくは夜間割引になるし、従来のように料金所で停車する必要がないから。ホント、いいことずくめだし。

しかし個人的にはチョット寂しい気もする。以前は料金所で係員のオッチャンとたわいもないコミュニケーションをして楽しんだものだ。たとえば、

「いやー、ずいぶん冷えてきたねえ」
「もうそろそろ雪は降るかねえ」
「おう、この感じだと、そろそろ(雪が降る)かもなあ」
「やだねえ、雪は…」

その程度の会話だ。もちろんオッチャンとは面識なんてない。二度と会うこともない人かもしれない。でも、それでいいのだ。

なかには無愛想な係員もいるけれど、郊外へ行けば行くほど話し好きなオッチャンが多かったりする。まあ、オッチャンの側からすれば深夜の料金所なんてヒマだから誰かと話をしたい気分になるのかもしれないけど。

便利をとるか、一瞬の会話をとるか…。心情的には難しい選択ではある。
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配達人には優しく

2005-12-20 18:57:23 | 脳みその日常
本日午前中に到着する予定だった荷物が夕方に届く。配達業者にその理由を尋ねると、このところ降り続く雪のせいらしい。なるほど、ニュースでは確かに各地で雪が降っており、あちこちの高速道路や一般道路はマヒ状態のところもあると言っていたな。遠方からの荷物であればあるほど荷物が遅滞する可能性は高くなる。

荷受けする側はそんな事情を知らない。だから予定時刻に荷物が届かなければ心配になるし、人によっては激怒することもある。「約束が違うじゃないか!」と。荷受けの怒りもわからんではない。荷物によっては一刻を争うものもあるのだろうし。

だけどその怒りを配達人に向ける人もあるようだ。

「予定時間より遅れて届けたら文句言われるんじゃないの?」
「ええ、まあ、そういうこともありますけどね(苦笑)」
「頭ごなしに怒る奴もいるんでしょ?」
「まあ、たまにはいますね、そういうお客さんも」

しかしそれは筋違いというもの。荷物の遅延は彼らのせいじゃないんだから。荷受けと直接顔を合わせるのは配達人しかいない。だから荷受けは思わず配達人に不満をぶつけたくなるんだろうな。配達人は可哀想な役回りというほかはない。

こんな季節である。師走でイライラすることもあるだろう。でも配達人には優しく接してあげてくださいな。
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寝耳の尻拭い

2005-12-19 16:01:58 | 脳みその日常
世の中は師走で忙しいが、ワシ自身は年内のピークは過ぎた。なのでノンビリ昼寝をしていたら…電話が。音楽事務所のI君からである。

「あのー、いまヒマですか?」
「うん、ヒマだよ。どうしたの?」
「えーと…、緊急で1曲だけ曲目解説をお願いできればと」
「ああ、いいよ。それでいつまでに?」
「ゆ、ゆうがたまでに何とか…」
「うへっ」

話によると、依頼するのを忘れていたとか…。しかしプログラムの冊子はすでに印刷し終わっており、どうにもならん状況に。そこで冊子の間に1曲の解説を挟み込む方法をとるという。まあ、よくあることだが。

「何とかなりますか?」
「うん、まあ、何とかしないとマズいでしょ?」
「そうですか、よろしくお願いします!」

てなわけで、寝ぼけていた脳みそを叩き起こし、速攻で原稿を仕上げる。いやいや、間に合って良かった。

さて、今日はこれから演奏会。しかし途中で抜けて新宿での忘年会に顔を出さねばならぬ。外の強烈な木枯らしのように今日はバタバタだ。
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モーツァルト・ダイアリー

2005-12-18 17:38:01 | 音楽あれこれ
ベーレンライター社が作った「モーツァルト・ポケット・ダイアリー2006」。原綴は"Mit Mozart durch das Jahr 2006"である。モーツァルト協会会員のなかにはすでに入手された方もいるはず。

リンクしたサイトをご覧になればわかるが、これはタテ15.3cm、ヨコ11.2cmという小さなもので、144ページからなっている。一応日記という体裁をとっているので、通常の日記手帳の機能は十分にある。モーツァルト・ファンに嬉しいのは毎日の項目だろう。つまり年に関係なく、「日」に起こった出来事が書かれているのだ。たとえば7月25日のところには「1788年:ト短調の交響曲 K.550初演」とある。

そんなわけで、ファンならば毎日この手帳を開くのが楽しくなる。そんなアイテムだ。また、多くの図版もあり見るだけでも楽しい。表装は写真ではわかりにくいが一応革張りで、手触りがすこぶるグッド!定価は14.95ユーロ。現在の1ユーロが139円ほどだから単純計算で2,078円。

でも今ならアカデミア・ミュージックで1,800円で買うことが可能。ワシはモーツァルト・ファンでもないのに10月に「成り行き」で購入してしまったが、後悔はしていない。でもアカデミアさんはそんな値段設定にしたことに後悔していると嘆いていた(笑)
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子供番組を見る

2005-12-18 15:52:15 | 脳みその日常
このところ、つとめて子供向けのテレビ番組を見ている。もちろんヘンな趣味からではない。今週末、ある地域の子供たちの前で「お話」をするためである。担当者から「子供にもわかりやすいクラシック音楽のお話をして下さい」とお願いされたので、子供の目線になって日々「ネタ」を考えているのだ。子供番組でもクラシック音楽が使われていたりするのでね…

それにしても近頃の子供番組は洗練されているねえ。洗練という意味は出演者にイケメンやアイドルのような可愛いコが顔を揃えているということ。よく子供番組の出演者に子供のお母さんたちが熱狂するというが、それはそういう意味だったのかと悟った。毎週イケメンがテレビに登場すれば、そりゃーお母さんたちだって嬉しいだろうねえ。でも、逆にお父さんたちが熱狂しないのはなぜなんだろうか。子供番組なんて彼らは見ないということなのか?

それはさておき、ワシはふだん子供の目線でモノを考えることはない。だから見慣れない番組を見ると非常に新鮮に映る。と同時に制作者が子供の心理をうまく掴んでいるなと感心させられたりもした。ナントカ戦隊のようなヒーローものなどは、大人の目線では「しょーもない」と感じることであっても、子供の目線ではそんなことはない。やはりあそこでキックすればカッコイイのだ!妙な動作のキックなのだが、子供はそれを見て「うぉぉぉぉ、カッコイイ!」と思い、画面に釘付けになる。た、たぶんそうじゃないかと思うけれど。

子供は大人と違ってリアクションが正直だ。つまらんと思えばすぐにあくびをしたり、注意が散漫になる。だから相手が子供とはいえ手を抜くことはできない。手を替え品を替え、軽妙なトークで彼らの心をつなぎ止めなければならないのだ。普段の大人向けの講座とは違い、こっちのほうが緊張したりして…。いやー、どうなることやら。
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