ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ざくろ、豊作、豊作!

2022-10-31 13:45:24 | 脳みその日常
どーも、ワシです。いや〜、今年は家の庭のざくろが大豊作。たった一本しかないざくろの木からこんなにとれました。実はまだとってないやつが目測で30個くらいあるんですが、今日はとりあえずこれだけ収穫。



さあて、これらをどう料理に使おうかな…。思案中。
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二つの顔をもつ?…大倉ダム

2022-10-30 06:53:56 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県仙台市青葉区大倉岩下にある名取川水系の大倉ダムを訪れます。アクセスは国道48号「熊ヶ根」表示のT字路を入り、そのまま県道263号を道なりに進んで行くと到着します。

上のリンク先の説明に書いてありますが、大倉ダム築造のきっかけは昭和22年(1947年)のカスリン台風、昭和23年(1948年)のアイオン台風、昭和25年(1950年)8月に起きた増水により大洪水が発生したことにありました。また同時期、仙台市、塩竈市(しおがまし)の人口増加に伴って上水道用水の需要が高まり、さらに発展途上にあった仙塩工業地帯への工業用水の補給が必要となるなど水資源の総合開発を求める声が上がってきました。

そうした理由から旧建設省直轄事業として大倉川を堰き止めてダムを築造することが決定され、昭和33年(1958年)に工事が開始され、昭和36年(1961年)に洪水調節、灌漑、上水道、工業用水、発電を目的とした多目的ダムが完成。ダム管理は翌年から宮城県が行なっています。さらに平成23年8月1日には当該ダムの愛称が「仙台環境開発 大倉ダム」に決まったそうな。


ま、そんなこんなで右岸のダム横に到着しました。おー、アーチ式かな?


ダム上は、こんな感じ。緩やかなアーチを描いていますね。


右岸の道を貯水側に行ったところから見ると、こんな感じ。


その道沿いには水利使用標識があります。これは発電を目的とした標識ですね。


右岸沿いの道をさらに進むと「宮城県大倉ダム管理事務所」があります。



では県道263号でもあるダム上を進んでみましょう。もちろん車両通行可ですが、道幅が狭いため歩いて進みます。

ダム上、中央には待避所を兼ねたスペースがあり、そこには「仙台環境開発 大倉ダム」の看板がデーンと置かれています。

「仙台環境開発」というのは会社名で、同社がスポンサーとなってダムの維持管理を行なうのだそうです。そうした意味を込めて同社と宮城県の間でこのダムの愛称を「仙台環境開発 大倉ダム」とするネーミングライツ(命名権)契約が締結されたそうな。こうしたダムに対するネーミングライツの導入は全国で初めてのことらしい。ふーん。その意義についてよくわかりませんが、まあ、そういうもんなんでしょうねえ。


その近くには大倉ダムの案内板があります。それをなんとなく読んでいたら…

あれれ、確かにアーチ式ダムなんですが、その形は一般的なアーチ式ダムとは違うんですね。二つのアーチが繋がっていて、その形はまるでお尻のよう(笑)

こちらの概要はリンク先の説明よりも詳細に記されています。上の築造経緯を正確に記すと、昭和25年(1950年)8月に襲来したヘレン台風による大豪雨を受けて、同年より宮城県がダム調査に着手。同31年(1956年)から建設省の直轄事業となり、同33年(1958年)4月から建設工事に着手。同37年(1962年)3月にダムが完成した後、ダムは宮城県が管理することになったようです。


ダム上、中央から左岸側を眺めると、ダムがもうひとつあるように見えますね。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。


一方、下流側はこんな感じ。


ダム上、中央から左岸へ行く途中には左岸農業用水取水塔があるんですが、その壁にも水利使用標識が。この目的はもちろん農業用水の確保です。


左岸に来ました。そこから見たダムの様子。これだけでも立派なダムに見えますよね。

ちなみにそこに見える非常用洪水吐を下から見ると、こんな感じです。


ダム築造の背景には悲惨な出来事があったわけですが、さすがは旧建設省だけあってそうした事実をきちんと案内板で説明しています。見学者からすると詳細な記述は本当にありがたい情報であり、「いい仕事」をしているなと感心させられますね。
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また今度ね!…青下第1・第2ダム

2022-10-29 06:53:19 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。宮城県仙台市を流れる青下川を「青下両水堰」「青下第3ダム」と下ってきて、次なる目的地は名取川水系の「青下第2ダム」になるんですが、その入口にあたる場所に来てみると、なんと門が閉まってるじゃないですか!


うむむむ。さてさて、どうにか見ることができないかなと思い、上の写真でいうと左側のところからフェンスに沿って行ってみました。しかし青下川まで行ってもフェンスがあって、結局ダムは見えず。見えたのは青下第2ダムの説明と思しき石柱のみ。


いや〜、参ったな。これじゃあ、ご覧の皆さんに申し訳ない。ならば、その下流にある青下第1ダムへ行ってみよう。

地図を見ると目的地は仙台市水道記念館あたりから行けそう。で、その入口に来てみると、やっぱり門が閉まってました。案内板を見て納得。どうやらワシは開館時間外に来たからのようです。そりゃ開いてないわけだ。


でも、案内板から分かるように開館時間内ならば第1・第2の両ダムを見学することができそう。となれば、日を改めて訪問することにしましょう!

てなわけで、今回はここまで。
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芸術品だねぇ…青下第3ダム

2022-10-28 06:51:48 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県仙台市青葉区大倉藪畑(やぶはた)にある名取川水系の青下(あおした)第3ダムを訪れます。アクセスは昨日記事にした青下量水堰から県道263号方面へ向かい、その道沿いにある大手門公民分館のところのT字路を入っていきます。民家へ向かう感じですが、目的地はその先にあります。

これが青下第3ダム。

ダム本体もそうですが、ダム下の壁面全てが玉石貼りになっていて、もはや芸術品!


右岸のダム横付近から見た様子。ご覧の通り、ダム上に行くことはできません。


ダム横から見た青下川上流方向の景色。この少し上流に青下量水堰があります。


青下量水堰のと同じようなフォルムの案内塔。

青下第3ダムの完成は昭和9年(1934年)で、高さ15.15mの玉石貼りの越流式重力ダムです。

ここも青下量水堰と同様に登録有形文化財に指定されています。(参考


ダムの表面は工程を考えれば、コンクリートむき出しのままでも良いと思うのに、敢えてそこに玉石を貼るというのは「こだわり」なのでしょうか。それとも別の理由があるのかな? いずれにしても職人たちの労苦は賞賛されてしかるべきものですね。お見事!
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もはや文化財…青下量水堰

2022-10-27 06:58:40 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県仙台市青葉区大倉西原にある名取川水系の青下量水堰(あおしたりょうすいぜき)を訪れます。アクセスは国道48号の「熊ヶ根」というT字路を定義(じょうぎ)方面へ入り、少し行くと二股に分かれるので左の道を進み、しばらく行くと到着します。ただ、見つけにくいです。目印があるとすれば、道路の右側にある水利使用標識かなぁ。

仙台市の水源はいくつかあるようですが、青下川もそのひとつ。この川にはダムが三つあって、青下量水堰はそれらの上流にあります。量水堰とは文字通り川の水量を計測するために設けられた堰堤なので決して規模の大きなものではありません。データによれば高さは2.0mほどらしい。でも昭和8年(1933年)に築造された玉石張りのコンクリート堰堤は登録有形文化財に指定されるほど貴重なものでもあるようです。(参考

その御姿がこちら。青下川は道路よりもまあまあ低いところを流れているので見下ろす形になります。


その見下ろすところにあるのがこれ。

青下量水堰の説明と、

登録有形文化財のプレート。


その近くにある水利使用標識。


量水堰には近寄れず、名残惜しいので最後にもう一枚。


興味のない方には「なんだ、こんなもんか」と思われるでしょうが、ええ、こんなもんなんです。ただ、実際に目で見て確認するのが楽しいんですよ。
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次回のお楽しみか?…樽水ダム

2022-10-26 06:52:03 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県名取市高館川上(たかだてかわかみ)にある名取川水系の樽水(たるみず)ダムを訪れます。アクセスは国道4号「名取市田高」交差点を秋保(あきう)方面へ曲がり、東北本線の陸橋を越えた最初の信号を右折。そのまま県道118号(名取村田線)を道なりに進んでいくと左岸側へ到着します。

到着したはいいんですが、ダムへの入口は閉じられていました。

崩壊斜面の復旧工事を今年いっぱい行なっているため、立入禁止のようです。

でも、工事が終わればダム上に行くことはできるんでしょうか。「きけん!!立入禁止」の看板はこの工事のためだけなのか、それとも元々ここへは立ち入ってはいけないのか、これだけから判断することは難しいですね。


門の隙間からダムを見るも、確かに工事中のようです。


それでも、どこかダムが見えるところはないかなとダム下へ行ったり、右岸側へも向かったのですが、いずれも進入禁止で行けず。そこで、左岸側の県道118号を上流方面へ少し行くと、ちょっとだけダムを見渡せる場所がありました。そこからの眺めがこんな感じ。向こうの白い建物が管理棟のようですが右岸側にあるのでもちろん行けず。


目的地に来たものの、近くには案内板もないので樽水ダムについて上のリンクを参考に要約してみます。当該ダムは増田川を堰き止めて築造されたのですが、この増田川、地形の関係で蛇行している上に河岸の堤防が未整備だったため増水するたびにあちこちで氾濫を繰り返し、周辺住民に多大な被害を与えていたそうです。

一方、名取市は仙台市に隣接していて、昭和38年に新産業都市に指定されたのに伴い、人口増加が予想されることから上水道の急速な拡大整備が必要になっていました。増田川総合開発事業はこうした経緯で始まり、その一環としてこの地に洪水調節、灌漑および上水道の供給を行なう多目的ダムの築造が決定されます。そして昭和40年から国庫補助事業となり工事が進められ、昭和52年(1977年)3月に中央コア型ロックフィルダムが完成。ちなみにダム名はダムの上流の地名に由来します。

…と、まあ、つらつら書いて来ましたが、肝心の樽水ダムを見ないことには話になりません。今回は残念ながら見ることができませんでしたが、いずれ機会を見つけて(立てるものなら)ダム上に立ちたいと思います。
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無いようで有る!…三日町頭首工

2022-10-25 06:59:10 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上伊那郡箕輪町三日町(かみいなぐんみのわまち みっかまち)に天竜川水系の三日町頭首工があるようなので行ってみました。アクセスは天竜川沿いに走る町道900号のところにあるキョウデン長野事業所の近くです。

ところが、地図で見ると町道900号は天竜川から少し離れているので頭首工の存在がわかりにくい。そこで、すぐ上流に架かっている十沢橋を渡り、右岸側の「みのわ天竜公園」の南あたりに移動することに。

近くにクルマを置いて河岸に向かうと…おや? 頭首工は確かこの辺りだと思うんですが、それらしきものが見当たりません。


でも、左岸の上流側には取水設備らしきものが見えます。


狐につままれた状態で、それでも頭首工があると思われる横に来ました。すると看板に「ゴムぜきにのらない」の文字。


あ、もしやここはゴム引布製起伏堰(ゴム堰)なのか? すぐに天竜川に駆け寄ります。予想は大当たり。どうやら訪れた時、ゴム製のチューブから空気が抜かれていてペチャンコ状態。だからわからなかったのです。状況によってこれを膨らませることにより堰堤に変身するというわけ。


右岸、下流側から見ると、こんな感じ。ゴム堰が膨らんでいなければ何の変哲もない川の様子です。


天竜川の下流方向の様子。


右岸側にはゴム堰を跨ぐように金属製の網が嵌め込まれています。最初は何かな?と思ったのですが、よく見ればこの網の下が魚道になっていました。つまりゴム堰が膨らんだ際、お魚さんたちは上流へ行けないのでここを通るというわけです。


ふと左岸を見ると、やはり同じ構造の魚道がありました。もしかすると向こうに見えるクリーム色の建物はゴム堰に関係があるのかな?


確認したい衝動に駆られて、左岸へ移動します。

すると、またまた予想が大当たり。建物には「三日町頭首工(起伏堰)」の文字。1999年3月に設置されたようです。


今度は左岸から眺めてみます。どうやら写真下に見える白いところの下にゴム堰と繋がる何かがあり、


それが先ほどの建物に繋がっているようです。たぶん建物の中から配管を通じてゴム堰に空気を送り込むんでしょうね。ちなみに写真中央を横切っているのは先ほど見た取水口から取り込まれた水が流れる水路です。


いや〜、最初は何もなくて焦りましたが、よく見ればこの時はゴム堰がオフの状態。記事にできて良かったぁ。ま、絵的にはパンパンに膨らんだゴム堰が見れたら良かったんですけどね。

へへ。
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「おさんやり」で許してね!…大堰頭首工

2022-10-24 06:51:43 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上伊那郡箕輪町東箕輪にある天竜川水系の大堰(おおせぎ)頭首工を訪れます。場所は箕輪ダムへ行く途中の、県道442号と町道757号が合流するところです。特に看板はないので、うっかりすると通り過ぎてしまいます。要注意。

到着しました。これが沢川下流から見た大堰頭首工。向こうに見えるガードレールのところが県道442号。


沢川の下流方向は、こんな感じ。


頭首工へ近づきます。箕輪ダムから流れ出た水がここへ来るんです。

頭首工本体に嵌め込まれたプレート。1987年3月竣工。


上流側から頭首工を眺めます。


県道442号沿いには「百川潤人」と刻まれた石碑。

その裏には大堰頭首工の工事が1986年11月に着工され、1987年3月に竣工。さらに大堰の大改修工事が翌年11月に着工され、1997年3月に完成したと記されています。


じゃあ、頭首工名でもある大堰ってなに?ってなるわけですが、それは県道沿いの案内板にちゃんと書いてあります。それによると、大堰とは沢川の水をここで分水することで北方向の北小河内区(きたおごうちく)中村の高台にある水田や生活用水に提供するため人工的に作られたものだそうです。それがいつ作られたのか正確には不明ですが、記録から推測すると江戸時代の1607年から1639年の間に完成したものらしい。

ところが大堰完成後この地に疫病が流行。これは大堰のルートが天竜川の流れる方向と逆の「逆さ川」で、それが神の怒りに触れたのだと信じられ、それをきっかけに「おさんやり」と呼ばれる厄除け行事が毎年八月に行なわれるようになったという。「おさんやり」の由来は「災遣」で、災害が起こらぬよう遣り過すという意味。そして「おさんやり」は現在では箕輪町の無形民俗文化財に指定されているそうな。ほぉ〜。


頭首工自体は決して大きなものでも古いものでもありませんが、その成り立ちを知ると大堰の重要性を思わざるを得ません。
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シンボルだけど…中の沢砂防堰堤

2022-10-23 06:53:15 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県上伊那郡箕輪町東箕輪にある天竜川水系の中の沢砂防堰堤を訪れます。アクセスは県道19号の「東西線入口」交差点から山へ向かっていくと到着します。堰堤名の「中の沢」は箕輪町(みのわまち)の北部に位置する北小河内区(きたおごうちく)を流れる沢の名称。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。これ、山の中腹にあるので遠くからでも見ることができます。


堰堤は竹の腰公園の上方にあり、城山林道沿いには神社や史跡などがあるようです。


堰堤の高さは13.5mと表示されていますが、見た感じはもっと大きく見えます。2008年9月竣工。



堰堤の流水部には鋼製スリットが設置されており、流木などの大きいものはここで食い止めるようになっています。


右岸の堰堤横に来ました。正面からはわからなかったのですが、思いのほか横長のフォルムです。そういえば上の看板に149.0mって書いてありましたね。


自己責任で堰堤の上を歩きます。


堰堤の中央に来ました。流水部を見下ろします。


上流側の様子。もちろん川はありません。2006年7月、この斜面から土石流が発生し、下流の住宅と畑地を覆ったそうな。(参考


下流側の景色。空から撮っているように見えるでしょ? それだけ見晴らしは最高。


堰堤中央から右岸を見た様子。


上にも書いた通り、遠くからでも見える中の沢砂防堰堤。まるで箕輪町北部のシンボルのようです。でも土石流災害が起こったからこそ築造されたわけで、罹災された人たちのことを思うと能天気に喜ぶわけにはいきませんね。
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いろいろ不明…羽場渕堰堤

2022-10-22 06:53:40 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上伊那郡辰野町伊那富(かみいなぐんたつのまち いなとみ)にある天竜川水系の羽場渕(はばふち)堰堤を訪れます。アクセスは県道19号から国道153号への抜け道である県道203号と天竜川が交差するところが目的地です。

堰堤名はここからすぐ南のところに羽場城跡があるので、それに由来するのではないかと思われます。ちなみに羽場城は『長野県町村誌』によると「天文年中小笠原十二郎居住すと云跡あり」と書かれているので、少なくとも室町時代の天文年間(1532-1555)には築城されていたようです。その後、羽場城には上伊那十三騎の一人として活躍した榮氏が居住したようですが、榮氏は1636年に主君である高遠城主、保科正之が山形へ向かうのに同行したため、羽場城は事実上廃城(参考)。

なお、小笠原十二郎の詳細は不明です。この人物については別の資料では下伊那松尾の城主で小笠原礼法の中興の祖とされる小笠原貞宗(1292-1347)の四男、重次郎と同一人物とみなし、城は重次郎が築造したと記されていますが、年代から考えると時代が合わないので恐らく同一人物ではないと思います。また重次郎についても詳細は不明です。

到着しました。どうやらあれのようです。でも、なんだかなあ、どこにでもありそうな小さな堰堤ですね。


右岸の上流側に取水装置が見えます。


右岸側へ移動し、そこから堰堤を見るとこんな感じ。


先ほどの取水装置を見ようと歩いて向かうも、藪になっていて辿り着けず。また、これが羽場渕堰堤であるという看板もなし。うーむ、どうしようかな…と思案しながら、ふと右岸を見ると二つの石碑がひっそりとありました。

ひとつは「巾下下井水路 隧道改修記念碑」と刻まれたもの。

なんだろうなと思いながら隣の石碑を見るとその沿革が記されていました。それによると同水路は明治35年(1902年)4月に天竜川のこの付近から隧道によって取水した結果、良質の米が収穫されるようになった。ところが平成時代になり、その隧道内で崩落が発生。土砂の除去作業が困難となる。そのため1999年に県営中山間整備事業が採択され、調査や用地買収を経て工事に着工。2003年1月20日に改修工事が完了したとあります。


羽場渕堰堤と巾下下井水路との関係は説明がないのでわかりません。でも、両者は地理的に見て近い場所にあるので何らかの関係があるんじゃないかと思われます。
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歴史とアーチ…東天竜・伝兵衛井共用頭首工

2022-10-21 06:52:58 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上伊那郡辰野町平出(かみいなぐんたつのまち ひらいで)にある天竜川水系の東天竜・伝兵衛井共用頭首工を訪れます。ここは昨日記事にした西天竜頭首工の下流にあるもので、場所は岡谷市(おかやし)と辰野町の境の少し辰野町寄りのところにあります。目印は県道14号沿いに小さな鳥居があるので、そこを降りて行くと目的地に到着します。

これが全景。なかなか立派な頭首工です。


頭首工の名称について調べてみました。天竜川の左岸の東天竜(ひがしてんりゅう)用水はまたの名を東井筋、上井筋とも呼ばれるもので江戸時代の1856年に完成。一方、右岸にある伝兵衛井筋は西井筋、上堰、上伊那井筋とも呼ばれるもので、1859年に完成したと言われます。伝兵衛とは上伊那地域の水路開発に尽力したことで知られる伊東伝兵衛(1801-1862)のこと。伝兵衛は現在の上伊那郡長谷村に生まれ、伊那谷の数々の水利事業を手がけ、伝兵衛五井と呼ばれる五つの井筋を開削。それらは「鞠が鼻井筋(1832年完成)」「大島二番井(1858年完成)」「小原井筋(1866年完成)」「お鷹岩井筋(1869年完成)」そして先に挙げた伝兵衛井筋の五つです。

ところで、かつての東天竜用水の取水口は現在の場所から約100m上流にありました。しかし東天竜用水は、大正8年(1919年)に西天竜用水が開設されたことで取水量が減少することが懸念されたため、その取水口が昭和2年(1927年)に伝兵衛井筋の取水口の対岸に移設され、現在に至っています。つまり両者が共同で取水するというところから東天竜・伝兵衛井共用頭首工と命名されたというわけですね。ちなみにこれは「日本の近代土木遺産(改訂版)~現存する重要な土木構造物2800選~」のひとつに認定されています。(参考)(参考)(参考

水の流れ方も多様で迫力があります。


水利使用標識。使用目的の項目に「かんがい又は養鯉」とありますね。鯉を養殖してるんだな…。珍しい。


堰堤部分に注目!アーチ型になっているのがわかりますか? なんと芸術的な!


左岸側の取水口。これが東天竜用水の入口で、

この水路を通って天竜川の東側の農地へ向かいます。


残念ながら伝兵衛井筋の取水口は確認できず。でもアーチ型の味わいのある頭首工でした。
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最初の関門…西天竜頭首工

2022-10-20 14:00:22 | 長野(ダム/堰堤)
川崎市にある音楽愛好家団体から「来年の春頃、レクチャーをして欲しい」との依頼が。いやいや、これ来年の話でしょ? 鬼が笑うぜ。はっはっはっ。

てなわけで、どーも、ワシです。えー、今回は長野県岡谷市川岸にある天竜川水系の西天竜頭首工を訪れます。ここは諏訪湖の釜口水門から流れ出て天竜川になった水が最初に通る「関門」。アクセスは飯田線の川岸駅のすぐ北にあります。

まずは西天竜頭首工の全景から。


左岸、上流側から見た様子。


左岸にある二種類の水利使用標識。かんがいと発電に使用されるようです。


左岸のこの建物は「上伊那(かみいな)郡西天竜土地改良区 頭首工管理事務所」。



その敷地内には「先人の苦心実りて 水豊か 金風薫る 西天大地」と記された石碑。2004年2月建立。 


左岸から見た管理橋の様子。車両通行可ですが、車両の高さは2.0mまで。


左岸側にある取水口。


写真中央の細く段々になっているところが魚道。


頭首工本体に貼られた門扉調節のプレート。1976年3月に設置されたものらしい。


管理橋の中央から見た上流側の景色です。これを遡っていくと諏訪湖になります。


一方、天竜川の下流方向の様子。


右岸に来ました。振り返ると、こんな感じ。


本体に貼られた「西天竜頭首工」のプレート。1976年3月に設置されたようですね。


右岸、上流側から見た様子。


同、下流側から頭首工を眺めます。右岸にパトカーが停まっていますが、中には誰も居らず。何してんねん!


天竜川の水はあまり綺麗じゃないですね。生臭く独特なニオイを発しています。
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待張川の砂防堰堤たち

2022-10-19 06:51:40 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。先日、グーグル先生の地図を見ていたら長野県岡谷市川岸上(おかやし かわぎしかみ)地先に待張川(まちはりがわ)砂防堰堤というのがあるのを見つけました。一体どういうものなのか興味があったので行ってみることに。

地図に従って現地へ向かうと、おー、これのようです。なんだか、すっかり自然に溶け込んじゃってますね。


左岸の堰堤横には「待張川本川砂防堰堤」と表示されています。2007年12月竣工ですから、完成してまだ15年しか経っていません。でも、この表示板の向こうがいわゆるダム上なのに草で覆われてしまっていてとても行ける状態ではありません。なので、ダム上に行くのは断念。


あーあ、これで終わりか…と思いながら、ふと上流方向を見ると、ん? 砂防堰堤がもうひとつあるじゃないですか!


近づいてみます。こちらはまだ新しい感じです。


本体に嵌め込まれたプレートには「待張川本川第2砂防堰堤」と表示されており、2009年11月に竣工したと書かれていますね。ということは、先ほど見た砂防堰堤の二年後に築造されたことがわかります。高さは同じ8.0mですが、長さ(幅)が40.0mなので下の砂防堰堤よりも32mほど短いことになります。


右岸、上流側から見た様子。向こうに見える道の横のこんもりしたところが下の砂防堰堤のある場所です。


「第2」の堰堤の上には草が被さっていないので堰堤の上に行けるかなと思ったんですが、残念ながらこちらも行けませんでした。

それにしてもグーグル先生の地図ではこの場所に砂防堰堤はひとつしかないように書かれていますが、実際には二つあったというのは発見でしたね。ちなみに国土地理院の地図を下に載せておきます。さすが、こちらにはちゃんと砂防堰堤が二つ出ています(写真中央のカーソル部分)。


信頼と実績の国土地理院!(なんのこっちゃ)
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ポーポー。ケーキにアレンジ

2022-10-18 06:53:20 | 脳みその料理
どーも、ワシです。今月のデザートはポーポー・オン・ザ・ヨーグルトムースケーキ。少し前に友人のドクターMがいつものように畑で採れた野菜とともに珍しい果物であるポーポーを届けてくれました。昨年の今頃、初めて目にしたポーポーをアイスクリームに混ぜた記事(参考)を載せましたが、今回はケーキ編です。ヨーグルトムースケーキの上に軽く煮詰めたポーポーの果肉にゼラチンを加えたものを載せただけの簡単なもの。昨年のアイス・ヴァージョンはポーポーの美味しさをほんのり味わうことができましたが、今回のケーキではポーポー独特の甘みがヨーグルトムースと相まって、これはこれで美味でした。


まいう〜。

ちなみにポーポーの種はこんな感じです。どーでも良い情報ですが、参考までに。
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安全優先!…七北田ダム

2022-10-17 12:33:29 | 宮城(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は宮城県仙台市泉区福岡蒜但木向(ひるただきむかい)にある七北田川(ななきたがわ)水系の七北田ダムを訪れます。アクセスは国道457号と交差する県道223号を七北田ダム方面へ曲がり、しばらく行くと二又に分かれるので左の道(県道263号)に入っていきます。そして「七北田ダム管理事務所」の看板のあるところを入って行くと目的地に到着します。

途中から見たダムの様子。写真だとわかりにくいですが、左岸側に洪水吐があるようです。


そして管理事務所に到着。ところが門が閉まっていてダムに近づくことはできず…。



仕方がないので今度は県道263号に戻り右岸へ行ってみることに。しかーし、こちら側も門扉が閉まっていて行けず。むむむむ。


県道を貯水側に沿ってさらに進むとちょっとした駐車スペースがあり、そこには古めかしい石碑があります。全文は読めないんですが、その記述からわかるのはどうやら七北田ダムが築造される前、ここには蒜但木溜池が昭和26年(1951年)3月に築造されていたようです。石碑はその記念碑らしい。



少し離れたところには七北田ダムの案内板があります。これによれば、この場所の地盤は軟弱で透水性が大きいため様々な処理がなされているそうな。そして蒜但木溜池に代わる施設として昭和44年(1969年)4月に予備調査が開始され、昭和60年(1985年)3月に完成したとあります。その目的は洪水調節、流水の正常な機能維持、仙台市泉区と塩竈市(しおがまし)への上水道用水供給だそうな。


そこから見たダムの様子。


上にも書いたように蒜但木溜池を改修してヴァージョンアップしたものが七北田ダムなのですが、下流地域の水がめとして重要な役割を果たしているのを思えば安全対策としてダム上が立入禁止なのは仕方ないのかもしれませんね。
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