ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

静電気夜話

2008-01-28 04:36:09 | 脳みその日常
冬といえば静電気。あの「バチッ! ヒィィィィイ」となるのは確かに嫌だ。一瞬だけど痛いもんね。なぜこんなものが世の中に存在するんだろう。百害あって一利無しという気がするけれど。もっとも、物質摩擦がある限り静電気は発生するんだから消滅することもないんだよね。あー、鬱陶しい。

鬱陶しいけれど気になったので静電気について調べてみた。一体あの憎き静電気を発見したのは誰なのか。それは、なんとギリシャ七賢人でお馴染みのタレス先生(B.C.624-B.C.546)だったのである。タレス先生といえば、ほれ、万物の根源は水なのじゃと高らかに宣言したかどうかは知らんけど、とにかく世界の根源を合理的に説明した人物として知られている。さすが大先生、そんな昔に万物の根源を見つけていたとは!

でも大先生だからといって人間として完全無比とは限らない。むしろ抜けてるところがあったりするから面白い。たとえば先生、夜空の星を見上げていたら夢中になるあまり足下の穴に落ちてしまった。すると近くにいた女性に「学者って遠くにある星のことはわかっていても足下のことはわからないのね」と笑われたとプラトンは伝えている。きっとその時、先生、ぐうの音も出なかっただろうな。

もうひとつ逸話を。先生の母親が、結婚しない先生を心配して「結婚しなさい」と言ったところ、先生は「いや、まだその時ではありません」と答えたという。そして適齢期を過ぎた頃、再び母親が「そろそろ結婚しなさい」と言うと、先生は「もうその時期ではありません」と返したという。母親にしたら、なんちう扱いにくい子だったろうね。ああ言えば「じょーゆー」(もう死語だな)

タレス先生のことはどうでもいいんだけどさ。とにかく不快な静電気は何とかならんのかというのが正直なところである。でも静電気学会においてさえ現在でも静電気の正体を正確に把握していないそうだ。となると今のところは我慢するしかないのか…。ええい、悔しいから、いっそのこと火花ならぬ静電気でも散らしてやるか(いや、できない)
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培われてくるもの

2008-01-27 07:09:05 | 脳みその日常
昨日、ある番組を見ていたらひとりの女性に目が釘付けになった。どことなく上品で華やいだ雰囲気がある。これはタダモノではない。早速ネットで調べてみた。

その人の名前で検索してみると、同じように感じた人がいるらしく情報はワンサカ出てきた。ここでその人の名前は出さないが、とにかく彼女は我々とは「育ち」が違っていた。

いわゆる裕福な家庭に生まれたお嬢様である。そしてご両親の教育方針が素晴らしかった。習い事を含め、すべてにおいてその筋の一流の人と接するように導いたのだという。ご両親はそれが最も大切だからという考えだったのだそうだ。なるほど、この人に気品が感じられるのはそういうわけだったのか。思わず納得。

戦後間もない頃、このご家庭以上に裕福な人々はいただろう。しかし子供を教育するにあたり、常に最良のものに触れさせようと考えた親はどれほどいたことだろうか。多くの親は子供に平均以上の教育は受けさせたかもしれないが、ここまでの「こだわり」をもっていた親は少なかったのではないだろうか。もし当時裕福な人々がみな同じ考えで子供に教育を受けさせていたら、現在の熟年層の人々はもっと優雅な立ち居振る舞いをしているはずだから。

さり気ない気品というのは「はい、どうぞ」と出せるものではない。よく、役者が高貴な人々に扮するけれど、所詮それは付け焼き刃に過ぎない。優雅なフリをしているだけ。そりゃそうさ、「育ち」が違うもの。にじみ出るものがないのだから仕方がないのだ。

そう考えると、決して裕福でない我々は手も足も出ないということになる。勝負にならんではないか、と。

いやいや、すぐさま悲観することもないよ。「そうだな、よーし、じゃあ成り上がればいいんだよな?」いや、そういう話じゃない。

物質的な意味で裕福になることは、やろうと思えば誰でも可能だ。貴方も数年後には大金持ちになっているかもしれない。でも、カネを持つと同時に「心の豊かさ」も手に入れることはできない。こればかりはどうにもならない。いくらカネがあったって、心の貧しい輩はいるからね。

では、どうするのがよいのか。たとえ貧しくとも、たとえ一流の教育が受けられなくても心を常に清らかな状態であるよう心がければよい。そして何が正しくて何が間違いであるのかを見極める冷静な判断力をもつよう努めるにつれて、次第に何かが自分の中で変わってくる。そうなると「気品」はにじみ出ないかもしれないが、それとは別の何か、たとえば存在感とか独特のオーラみたいなものが本人の意識とは無関係に発せられるようになってくる。

貴方が親ならこれを率先して実行すればよいし、子供を教育するのであれば、子供にそうした心のあり方を教えたら良い。もちろん裕福なら前述のご両親のようにすればよろしい。くれぐれも親(指導者)は子供の前で愚痴をこぼしたり醜態を晒さないように。子供はそれを見逃さないのだから。
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青葉台の南国

2008-01-26 04:50:27 | ドライブ関連


田園都市線青葉台駅付近を走っていた時、目に留まった店。周囲は真っ暗なのに、ここだけ昼の雰囲気。しかも冬なのに南国の夏ってな感じが漂う。ちなみに道路を挟んだ向かい側には韓国料理店があるが、その看板にはなぜか「無国籍料理」なんて書いてある。一体、どっちやねん!
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「新国」を探検

2008-01-23 06:04:46 | 音楽あれこれ
昔からどうもオペラは苦手である。そのため、これまで新国立劇場に行くことはなかった。ところが、知り合いの編集者から「オペラのチケットがあるのでどうですか」というアリガタイ(?)お言葉が。当初この編集者はその公演に行く予定だったが、急遽行けなくなったので「ぜひ行って欲しい」と。そんなわけで、今更ながら新国立劇場に足を踏み入れることに。

用意された座席は、何とステージに最も近く、オケ・ピットが真下に見えるところ。ここからだとハッキリ言って舞台はロクに見えない。つまり側面の席だったのだ。

でも演目なんて仕事柄よく知っていたから別に舞台が見えなくても関係ない。むしろこんな席で聴くことはまずないから、この機会にオケや指揮者の観察をしようと思い立つ。そして案の定、色々な発見があった。この意味で今回はとても有意義な時間を過ごせたと思う。

ここでその演奏については語らない。ある時からこのブログでは語らないことにしたから。その代わり、建物についてちょっと紹介しようと思う。最初の写真は建物のイニシャルが見える正面のもの。この正面の内部がロビーになっていて、その窓からは甲州街道とその上を走る首都高速4号線が見える。



甲州街道側の壁面の写真がこれ。つまりロビーの窓からはこれが真ん前に見えるというわけだ。そしてよく見てみると真ん中当たりに数字らしきものが。



それを拡大したのが次の写真。これは何かというと休憩の残りの時間を示すためのもの。オペラの公演では何回か休憩時間がある。お客はその都度ロビーで寛ぐことになる。そうした場合に休憩時間があとどれくらいあるのかがわかるようにこのインジケーターが設置されているというわけだ。なかなかよく考えられているぢゃあないか。



まるで「おのぼりさん気分」(笑)
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ポリシーは曲げられない

2008-01-22 06:42:26 | 脳みその日常
今回は愚痴のようになってしまうけれど、まあ、お付き合いを。

原油価格の高騰によって、我々の生活には様々な影響が出始めている。原油に由来する材料を使った業種は、モロ直撃。それらの企業にとっては死活問題。で、どうするかというと商品の価格を上げることになる。「材料費値上げのため」という理由で。

大企業と中小零細企業間の「格差」もまた拡大の一途をたどっている。こちらの問題は原油価格の高騰に加え、直接間接的に北京オリンピック開催に起因するらしい。たとえば鉄関係などが良い例。オリンピック開催に向けて北京では鉄の需要が高まり、価格も高騰する。そのため鉄を材料として加工する中小の企業では仕入れ価格の高騰で利益が上がらない。

ならば「材料費値上げのため」と謳えば良いではないかと思うが、そうはいかない。なぜなら彼らのクライアントである大企業はそれを認めないから。大企業が決めた価格でしか取引をしないのだ。そうなると、中小企業は自らの利益を縮小してでも取引するほかはない。「そんな条件だったら取引してやらんよ」と言えば、もう次から注文は来ない。そうなるのが怖いから中小企業は泣く泣く条件をのむ。

でも、利益のでない経営では設備投資もままならない。そこで社長はカネ貸しに融資を依頼するハメになる。不本意だろうが仕方がない。返済できる企業はまだいい。多くは返済のための借金を繰り返し、場合によっては融資すら断られるケースもある。近年中小企業の倒産が相次いでいるが、ほとんどはこうしたアリ地獄のスパイラルにハマってしまったことが原因。気の毒というほかはない。

もちろんこれは他人事ではない。業種こそ違えど、ワシだって同じこと。さすがに中小企業のような材料費は必要ないけれど、こちらで値段を決められない点は同じ。原稿料を決めるのは、あくまでクライアント。その価格が理不尽なほど安くても従うしかない。もし「そんなギャラだったら、受けられません」などと言えば次から仕事は来ないと思って間違いない。

仮に時給換算してみると高校生のアルバイトより安かったりする。シャレにならない。

で、そうなるとズルいことを考える奴が現われる。400字いくらの計算なのだから、とりあえず字数を書けば良い。内容がスカスカだって構わんじゃないか。こうすれば短時間で仕事が終われるんだし。仕事は要領よくやらなくちゃ…って。いわゆる「字数稼ぎ」ってやつである。

確かに仕事は要領よくやるに越したことはない。でも、ワシは内容のクオリティを落としてまで短時間で終わらせたいとは思わない。ポリシーに反すると思うから。いや、オーバーに言えばさ、なんか悪魔に魂を売っているように思えるんだよね。

でも、クライアント側はそんなこちらサイドの事情なんてわかっていないし、彼らにとってはどうでもよいこと。悲しいことに原稿の内容が詰まったものであってもスカスカであっても大した問題じゃないとする担当者もいるからねえ。

ポリシーを曲げたらカネは稼げるかもしれない。だけどそこまでしてカネを稼ぎたいとは思わない。あー、ワシはつくづく世渡りがヘタだなと思うよ。
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黄色い奴ら

2008-01-21 05:19:15 | ドライブ関連
雪が降るというからワクワクしながら待っていた。しかし、一向に降る気配がない。これだからテキトーな天気予報は当てにならんのだ。どうしてくれる、このワクワク感を!

と、まあ、そんなわけで家にいても落ち着かないのでドライヴに出かけた。相変わらず目的のない走行である。

気の向くままに走っていたら、いつの間にか「あきる野」に来ていた。すると、このクソ寒いのに道端で寛いでいる奴を発見!



そう、あいつだ。えーと、名前は何だっけ…。まあいいや、そんなこと、どーでも。



そして、その近所には何やら黄色い団子3兄弟が見えた気がした。ん? 一体何なんだ? あれは。

慌ててUターン。そして、黄色の物体を目指して近づいてみると…
























なんだよ、連れ込み宿の看板じゃねーか。(表現が古いですか、そーですか)



不思議なのは、この画像がやたらに荒れていること。同じケータイで撮影したのに、どういうことなんだろう。ことによると、このあたりには良からぬ「何か」がいるのか?

ま、まさかね…。
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マイナスだけが収穫

2008-01-20 19:56:37 | ドライブ関連
気分転換に山中湖まで行ってきましたよ。残雪を期待したものの、ほとんどなし。それでも気温はマイナス9度。ひぃ~、さぶ~。



復路、談合坂サービスエリアに立ち寄る。すると目にも鮮やかなイルミネーションが。



実際に見ると白色のイルミが眩しいけれど、写真ではイマイチよく写らない。かなひぃ。



今夜、東京は雪かもしれない。夜半にでも繰り出すかな(笑)
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落とす人が落ちるものを…

2008-01-17 06:27:30 | 脳みその日常


昨日は「歌い方教室」夜の部が今年初めてあった(昼の部は先週から開講)。みなさん元気で何より。

レッスンの後、生徒さんのひとりから粗品をいただく。何かと思えば固形クリーナー。この人はクリーニング店の奥さん。毎年お年賀として配っているのだとか。

そうしたちょっとした気配りは嬉しいもの。でもさ、クリーニング屋さんが石けんを配って大丈夫なんだろうか。「これって、汚れがよーく落ちるわよ!」そう言っていたが、そんなに汚れが落ちるんだったらクリーニング店に行かなくなっちゃうと思うんだけどねえ…。

さて、東京は初冠雪。ややこしい仕事も終わったことだし、近いうちに雪でも見に行こうかな。
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にわか営業マン

2008-01-15 05:48:01 | 脳みその日常
昨年、値段はリーズナブルだが壮大なCDの企画があり、ワシはそのうちの8枚ほど原稿を書いた。この企画はクラシック音楽初心者には最適なので、早速各方面に宣伝してみた。

すると、注文が取れるわ取れるわで、現在のところ500枚近くオーダーが入る。クラシックですよ、クラシック。こんなマイナーなジャンルなのに、しかも個人の「営業」で、あっという間に注文が取れるなんて本当に驚きである。いっそのこと営業マンにでもなろうかしらん(苦笑)

いうまでもないが、この「営業」は全くのボランティア。いくら商品が売れたってワシには何のマージンも入らない。ならば、なぜそんなことをするのかって? 儲けにもならないことなのに。

理由は簡単だ。できるだけ多くの人にクラシック音楽の良さを知ってもらいたい。ただそれだけのこと。マイナーなジャンルであるのなら、少しでも多くの人に知ってもらうのは業界に身を置くものとして当然すべきこと。値段が安ければ安いほど商品は売れるのだから。そこに自分のマージンを乗せて売るなんてセコイ真似はしない。こんなところで小銭を儲けてどーするって話ですもん。ワシはそんなウツワの小さい人間ではないのだ(笑)

そんなことより気になるのは別のこと。これだけ注文するということはその枚数が家に届くということでもある。そして注文者別に仕分けしなければならない。一体ウチにそんなスペースがどこにあるんだろうか。さてさて困ったぞ。

あ、どーでもいい話でしたね。どーも、すみません。
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おい、キューリ!

2008-01-14 07:50:05 | 回想する脳みそ
ここでいう「キューリ」とは小学校時代の友人のあだ名である。なぜ「キューリ」なのか。他の奴よりもちょっとだけ顔が長かったから。ただそれだけの理由でコイツは「キューリ」と命名された。今そんなことをしたらPTAが黙っていないだろう。でも当時は大らかな時代。きっと本人は不本意だったろうが、周囲の誰もがコイツのことを「キューリ、キューリ」と呼んでいた。もちろん親しみを込めてである。だから問題にすらならなかった。

ある教員から聞いた話によると、最近の小学校では名字(もしくは名前)で呼ばせているという。あだ名で呼び合うと保護者から即座に学校へクレームが来るからなのだそうだ。「なぜウチの子がこんなあだ名で呼ばれなくちゃならないのか! 一体学校は何をしてるんだ!」と。

なるほど、言われてみれば最近の子供たちはあだ名で呼び合うことはしていないかもしれないな。ワシの感覚からすると、なぜあだ名で呼び合わないんだろうと不思議に思っていた。小学生のクセに何か他人行儀な感じがしたからである。もっとフランクな関係になればいいのにと。

それと比べたらワシのガキの頃なんてあだ名は当たり前。いや、今から考えれば「こりゃマズイだろ」というようなあだ名で呼ばれている奴もいた。河童に似ているという理由で「カッパ」とか、目が大きいから「デメ」というのはまだフツーの類い。前述の「キューリ」もここに属する。

ひどいのになるとスポーツ刈りというヘア・スタイルをしているだけで「ハゲ」。実際にハゲてるわけじゃないのに。また鼻が詰まり気味の女の子には「ちくのう」。うーん、間違いなく傷ついていただろうな。

いや、さらにスゴイあだ名を思い出したぞ。

「くにゃにゃう」

何のことだかサッパリわからないと思う。由来はこうだ。ある時、この女子は教室で不覚にも「おもらし」をしてしまった。それも大きなほうである。

周囲には当然ニオイが漂い始める。本人は涙目なのだが、もうどうすることもできない。そのうち誰かが「くさい」と言い始めた。そこで終わればこの子のあだ名は、まあ「クサ子」で済んだだろう(そのあだ名でも相当ショックだろうが)。

ところがそのニオイがかなりキツかったらしく、連想はどんどん発展する。

くさい → 鼻が曲がる → 気が狂う → 頭が腐りそう → 腐っちゃう

子供の想像力とはナント恐ろしいのだろう。途方もない形へ向かってしまう。

しかしこれを命名した奴にもそれなりに良心の呵責があったのだ。あだ名を「腐っちゃう」とストレートに呼ぶのは忍びないと思ったようで、ちょっと可愛らしく、そして元の言葉のニュアンスを残して「くにゃにゃう」と命名。まあ、どんなに変形したところで本人は命名の由来を知っているのだから相当ショックだったとは思う。

いま、彼らはどうしていることやら…。ちなみに「キューリ」は現在、地元の会社で営業の責任者らしい。ふと思い立ってそいつの名前(もちろん本名)で検索してみたら偶然発見。扱っているのは精密機器。やっぱり野菜じゃなかったか。ウソウソ、ごめんよ、キューリ。
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「よこはま」なんだけどさ

2008-01-13 18:17:53 | ドライブ関連
久しぶりに深夜のドライヴをする。特に目的もなく相模原から横浜あたりをブラブラ。

大したネタも見つけられず、さて帰ろうかと思ったその時、妙に存在感のあるストラクチュアが目に飛び込んできた。近づいてみればそれは「ららぽーと横浜」。370店舗に4200台収容の駐車場を完備。そりゃまあ、堂々としているのも当たり前か。

      


場所は横浜市都筑区の緑産業道路に面したところにある。確かに横浜市にあるから「ららぽーと横浜」と称するのは間違いではない。でもこんなに内陸部にあると「よこはま」というイメージじゃないよなあ。潮の香りだって、もちろんしないし。
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「念」の威力

2008-01-11 17:46:57 | 脳みその日常
何を隠そう、いーや何も隠さんが、ワシはちょっとした超能力者である。超能力といったって行方不明の人が探せるとかそういうスゴイものじゃない。ただ、ちょっと念力が使える、いーや、それも違うな。うーん、どう表現したらいいのかな。つまりは自分がこうと思ったことは大体その通りになってしまう…ま、その程度の念力だ。

先に書いておくけれど、ワシは自分の思い通りに周囲を動かそうなんて、これっぽっちも思ったことはない。世の中には自分が世界で一番みたいな考えの人はいるが、ワシはそれほど図々しくない。そのへん、誤解なきように。

たとえば最近の例でこんなことがあった。ある仕事を頼まれたのだが、ものすごーくヤル気が起きなかった。

「嫌だな、やりたくないな」

そんなことばかり思っていた。でも受けた以上断ることは出来ない。ああ、どうしよう。でも嫌だなあ。

ちょっとした嫌な気分は誰にもある。でも、この時ばかりは違った。何はさておき、とにかく「嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌、嫌」という気持ちがフル・オブ・ハートだったのだ。

すると、しばらくして依頼先から電話が。

「仕事を依頼した手前、誠に言いにくいのですが今回の企画は突然ボツになりました」
「ほぅ、そうですか」
「ええ、それでお願いしていた仕事はしていただかなくてもよくなり…」

なになになになになに、中止になったとな! おー、ワンダフル。ひょえ~~な気分。これで一気に晴れやかな気持ちに戻った。

実はこういうことは誰でも可能なこと(だと思う)。要するにこのケースでは嫌悪という「念」を無意識のうちに相手に送り続けていたのだ。それも相当強い「念」を。

本来であれば、多少嫌なことであってもやらざるを得ない。それがフツーの人生だろう。誰もが「仕方ないな」と思いつつ嫌なことをクリアしている。でも心底嫌だなと思った時、その思いは「念」となって相手のところに飛んで行くような気がする。

そんなのは偶然だよと思うだろう。でも、少なくともワシの場合は決してレアなケースではない。良い意味でも悪い意味でも本当に念じているとその通りになってきたからねえ。

オカルト? うーん、そうかもしれない。しかし超常現象みたいなものはよくわからないんだよな。それにワシは怪しい宗教の信者でもないし。ただ、自分が体験してきたことを書いているだけでね。ほら、ちょっと前に「見えちゃった」ことを書いたでしょ? あれもそうだし。

いずれにしても、なぜそうなるのかというメカニズムはわからない。だけど、こういうことって、程度の差こそあれ誰にでもできるものなんじゃないかな。そう思うよ。

あ、だからといってワシにヘンな「念」を送らんよーに。怨念なんて、もっとイカンよ。だってワシは未だにスプーンすら曲げられないヘタレなんだからさ。
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企画の成否

2008-01-10 23:38:57 | 脳みその日常
周囲がお膳立てしてくれたチャンス。それに応える力量があればよし。さらなる飛躍の場となるから。しかし力量が伴わない場合は逆効果となる。

フタを開けてみれば場の空気は重く、演奏の途中だというのに席を立つ客もチラホラ。なかには用事があって帰った人もあったろう。でも本当に力量があれば場の空気はピンと張るし、帰らなければならないとしても魅了されて帰りにくくなるもの。

お膳立てをするほうにも問題がある。チャンスを与えるのは良いこと。しかし、きちんとした見極めができていないと企画としては失敗。それに出演者本人が何より気の毒。力量のなさを衆目に晒されてしまうのだから。

要は企画する側に才能を見抜く優れた眼力があり、出演者にそれ相応の力量がないとイヴェントは成功しないのだ。あまりにわかりやすい失敗例を目の当たりにし、思わず苦笑。



かく言うワシも、これまで多くのチャンスを逃してきた。あとから「あれは掴んでおくべきだったかな」と思うことはいくつもある。でも掴まなかった(掴めなかった)のはワシの運命。今さら悔やんでも始まらないし、心残りがあるわけでもなし。現在の「ワシという存在」は過去が集積された結果なのだから。

ま、確実に言えるのは、与えられたチャンス(もしくは時間)に対して精一杯立ち向かうことだ。結果なんて考えることはない。うまくいく時はトントンと進むし、そうでない時はどんなにもがいてもダメ。ただ、常に最善を尽くしていれば結果がどうであれ、少なくとも後で悔やむことはない。
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「子供」と「子ども」

2008-01-09 11:21:40 | 脳みその日常
どうでもよいことに目くじらを立てる。そんな人は珍しくない。もっとも、その人にとっては大問題だから目くじらを立てるんだろうけど。

たとえば英語のチャイルドを日本語で表記する時、あなたならどう書くだろうか。たぶん、

「子供」もしくは「子ども」

だろうと思う。しかし、ある人たちの選択肢はひとつしかないそうだ。彼らは「子ども」は認めても「子供」は認めないらしい。その理由は次の通り。

「子供」と表記するのは子が親のお供をすることを意味する。子は親のお供をする存在ではない。子にはそれぞれ人権がある。だから「子供」と表記するのはよろしくない。でも「子ども」ならばそのニュアンスがないのでOKなのだそうだ。

なんだい、そりゃ。

誰も「子供」をそんな風に思って表記してないでしょうに、フツー。いや、そんなことは考えたこともないし、思ったことだってない。目のつけどころがSHARP…じゃなくて、明らかに理解の範疇を越えてるよ、まったく。
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駿河台下のイルミ

2008-01-08 17:51:39 | ドライブ関連


綺麗だなあと思いつつ、いつも通り過ぎていた。
あぁ、いつか撮らなくちゃ。
まあ、そのうちに…。
今度通った時にでも…。

そんなこんなで、夢が遂に実現!(なんちう夢ぢゃ)

場所はお茶の水、駿河台下。
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