ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

来たら食べられたのに…

2022-03-31 07:03:03 | 脳みその料理
どーも、ワシです。今から二週間ほど前、もう30年前からの付き合いである音楽家が二人、どこで聞きつけたのか知りませんが、ワシの作るデザートが食べたい!と連絡してきました。「何も都内からわざわざ来んでよろしい」と、一旦は断ったのですが、

「パティシエの作るデザートを是非とも食べたい!」
「誰がパティシエやねん!」
「あーたに決まってるでしょーが!」
「むぅ…」

見事に押し切られてしまいました。そして、

「そちらに到着するのは、たぶん夕方過ぎになるだろうからその日は泊まらせてネ!」
「ほわ?」
「もうおかしな関係になるような歳でもないし…」
「そりゃ、そーだけどさ」
「みんなで雑魚寝でいいからさぁ」
「うーむ」
「楽しく飲もう!飲もう!」

来てもらうのは構わんのですが、そうなると酒の肴も用意せにゃならん。さあて、何を作ろうか。とりあえずデザートだけでも作っておこう。簡単にできるものといえばレアチーズ・ケーキ。ちょいとおしゃれにコーヒークリームをデコレートしときました。



で、来訪するのは昨日だったのですが、その前日、つまり一昨日急に「明日は仕事があって、時間的にそちらに行けないこともないけど、疲れが溜まりそうなのでまた今度にする」との連絡。

はぁ〜。残念なような、ホッとするような複雑な溜め息が出ました。まあ、音楽家の気まぐれはよくあることなので、こんなのは想定の範囲内。

でも、デザートは思いのほかうまくできたので彼女らが食べずに終わった幻のデザートをアップしときます。

たまにはこんな記事もいいでしょ?

それにしてもコロナ・ウイルス感染の嵐が収まらないのでワシらの例会がちっともできないのが辛いところだな。こっそりやったらいいのかもしれないんですが、メンバーの一人であるドクターMは医療従事者だから参加するのはキビシイだろうねえ。そうなると、例会の開催はまだまだ先になりそう。一連の感染騒ぎは一体収まるんでしょうか。このままいくと永遠に開催できないまま…。

あー、面倒臭い時代だぁ!
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南高梅に水を!…島ノ瀬ダム

2022-03-30 07:05:53 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は和歌山県日高郡みなべ町東神野川(みなべちょうひがしこうのがわ)にある南部川(みなべがわ)水系の島ノ瀬(しまのせ)ダムを訪れます。ダム名は左岸側の地名「島之瀬」から命名されたと思われますが、「之」が「ノ」に変わった理由はわかりません。アクセスは国道424号沿いに「島ノ瀬ダム」という道路表示があるのでそれに従って進むと到着します。

右岸、下流側から見た「ご尊顔」がこちら。治水ダムかな? なんとも存在感のあるダムです。



ダム下も頑丈に造られているという印象です。



右岸、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。



これがダム上。幅は狭いですが車両は通行できます。



右岸のダム本体には「島ノ瀬ダム」「平成3年(1991年)3月完成」と書かれたプレートが嵌め込まれています。





ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。水がなみなみと湛えられています。



一方、ダム下までは44.5m。さほど恐怖は感じない高さです。



そして下流側の遠景がこちら。



左岸に来ました。近くには島ノ瀬ダムの案内板があります。補足説明すると、当該ダムは南部川が渇水した際に農業用水を供給するための貯水ダムで、1973年から1995年の間に行なわれた国営南紀用水土地改良事業のひとつとして築造されたもののようです。同事業ではそのほか辺川(へがわ)頭首工をはじめ、幹線・支線用水路が整備されたことで農業用水の安定供給が実現。これにより2013年には梅の栽培面積は4,180haとなり、日本一の梅の生産地となったそうな。(参考1)(参考2) 



案内板の隣には「ダムの見学ポイント」が記されています。



また当該ダムは小水力発電施設も備えています。説明がちょっとわかりにくいなぁ。



オシャレなデザインの「島ノ瀬ダム」表示。その背後には「希利水悠久」「梅の里を潤す」と刻まれた石碑。



石碑「梅の里を潤す」の裏側には諸元が記されています。



貯水側に面して建っているのが「島ノ瀬ダム管理事務所」。





その壁面には水利使用標識が貼られています。



管理事務所の隣には「島ノ瀬ダム建設協力者顕彰の碑」。ダム建設にあたり家屋が移転した方、用地を提供した方の名が記されています。



ダム下へ行ってみました。そこからダムを見ると、こんな感じ。ホント、存在感が半端じゃありません。



目立たない場所には「島ノ瀬ダム完成記念」と刻まれた碑が。なぜこんなフォルムなんだろうか…。考えてみると施工業者は五洋建設・東急建設建設共同企業体。ああ、なるほど、これは五洋建設のトレードマークである五角形のことなのかと納得。(参考



みなべ町といえば南高梅(なんこううめ)の産地として知られていますが、それを示す碑がここにあります。なお、南部川村(みなべがわむら)は1954年12月1日から2004年9月末まで存在した日高郡に属した村で、同年10月1日から南部町(みなべちょう)と合併してみなべ町として発足しています。当時の南部川村役場には全国で唯一の「うめ課」があったそうな。きっと気合が入っていたんでしょうね。



【南高梅の歴史】
ついでに南高梅の歴史を調べてみました。南高梅の原木は現在のみなべ町晩稲(おしね)に住んでいた高田貞楠(たかださだくす)が明治35年に自身の桑畑を梅畑にしようと近所の勇惣佐七(ゆそうさひち)から内中梅の苗を購入して植えたところその中に大粒の実のなる優良種が一本あるのを発見。これを母樹として育て「高田梅」と命名したものが南高梅の原木となります。その母樹は1931年、小山貞一(こやまていいち)に継承され栽培されます。

1950年、梅の優良品種を統一して市場の安定を図るための「梅優良母樹調査選定委員会」が設立。37品種の優良種を調査した結果、1954年に7系統(白玉、養青、古城、改良内田、高田、地蔵、薬師)が選ばれ、中でも高田梅はここの気候にあった最良品種との評価を受けます。そして、この調査研究に参加した南部高校園芸科の生徒を指導し、かつ同委員会の委員長でもあった竹中勝太郎(たけなかかつたろう)が高田梅の名称を「南部高校」と「高田梅」から「南高梅」と命名し今日に至ります。(参考

いや〜、ダムを巡っていてまさか南高梅の歴史を学ぶとは思いませんでした。はははは。
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甲斐ノ川発電所のための…鍋坂ダム(堰堤)

2022-03-29 06:53:59 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした「柳瀬取水ダム(堰堤)」の下流には今回訪れる日高川水系の鍋坂(なべさか)ダムがあります。住所は和歌山県田辺市龍神村甲斐ノ川(りゅうじんむらかいのがわ)。ダム名の鍋坂はダムの左岸側の地名と思われます。アクセスは国道425号を和歌山方面へ向かい、道の駅 水の郷日高川龍游を過ぎた先に目的のダムがあります。

こんな感じで見えてきます。



調べてみると、鍋坂ダムはここから直線距離にして約800m下流にある「関西電力 甲斐ノ川発電所」(1925年8月運用開始)で発電に使用される水を取水するための施設のようです(参考)。上の写真の左側のところに取水口が見えます。

ダム横の、この建物が「鍋坂ダム管理所」。国道からだと半地下の建物のように見えます。





管理所の前には日高川を背に水利使用標識が掲示されています。これは国道からズームして撮ったもの。



ここから日高川の上流側を見ると、こんな感じ。これを遡って行くと柳瀬取水ダムがあるわけです。



ダム横から見た図。でも、フェンスがあってダム上に行くことはできません。



左岸の下流側から見たダムの「勇姿」。写真右下が左岸側の取水口から分水してきた水。なんと澄んでいることか!





その付近から下流側を見ると、こんな感じ。写真左下の水路が甲斐ノ川発電所へ繋がっているんでしょうね。



鍋坂ダムは前回の柳瀬取水ダムと同じく発電所で使用するために築造されたものですが、その規模を見るとやはり高さが15m未満のようなのでダムではなく堰堤と呼ぶのが適切ではないかと思います。また発電所本位に捉えるならば、その名称は「甲斐ノ川発電所取水堰堤」になるんでしょうね。
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堰堤かな?…柳瀬取水ダム

2022-03-28 07:07:16 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は和歌山県田辺市龍神村柳瀬(りゅうじんむらやなせ)にある日高川水系の柳瀬取水ダムを訪れます。まずはダムの下流にある柳瀬大橋から見た景色をご覧ください。



ダムへ向かってみましょう。柳瀬大橋は日高川に架かる橋で国道425号が通っているんですが、その橋から東に進むと日高川の左岸になります。そして国道沿いにある「産直の店 まあはいらんせ」の看板のあるT字路を入って行くと道幅の細い鉄橋があるんですが、鉄橋の手前からダムを見ると、こんな感じ。写真右側に見える4つの穴が開いたところがどうやら取水口のようです。



鉄橋を渡り、左折した付近から見た景色。日高川の水がめちゃくちゃキレイです。



下流側に目をやるとダムはこんな風に見えます。写真右下が取水口のあるところ。



その道をダムへ向かって下ると取水口を裏側から見ることができます。



その近くには水利使用標識があります。関西電力が発電用に築造したダムのようですね。



ダム横には柳瀬取水ダムの管理所と思しき建物。





右岸をさらに下ったところからダムを見ると、こんな感じ。手前が取水口からの導水路で、沈砂池になっています。



そこから下流側を眺めると、こんな景色。沈砂池は何段にも分かれていて、下流へ行くほど水が澄んできます。もっとも、もともと水はキレイになんですけどね。



で、この導水路がどこに繋がっているかというと、直線距離にして約1.0km下流にある「関西電力 柳瀬発電所」に向かいます。水路は山の中を通っているようです(参考)。同発電所の運用開始が1919年12月ですからこのダムもその頃には完成していたんでしょうね。

確かに柳瀬取水ダムという表示がありますが、見た感じは高さが15m以上あるようには思えません。むしろ堰堤じゃないかと思われます。それしても、日高川…キレイだなぁ。
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偶然見つけた丹生ノ川砂防堰堤

2022-03-27 07:02:24 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は偶然見つけたものを書こうと思います。その時、ワシは和歌山県の県道735号を走っていました。この県道、なかなか手強くて、気が遠くなるほどカーブの連続なんです。いい加減、カーブに飽きてきたな…と思っていたら急に見通しの良い道路になりました。そこで見つけたのが丹生ノ川(にゅうのかわ)砂防堰堤です。住所は和歌山県田辺市龍神村丹生ノ川。砂防堰堤名はそこの地名であるとともに川の名称でもあります。

この堰堤は丹生ノ川をコンクリートで完全に堰き止めておらず、スリットが開いているので「透過型」の砂防堰堤ですね。



よく見ると、堰堤本体には堰堤名を刻んだプレートが嵌め込まれています。2015年3月竣工。



上流側から堰堤を見ると、こんな感じ。



県道から見た上流側の丹生ノ川の様子。



堰堤の横から見ると、こんな感じ。歩いて行ってみます。



堰堤の中ほどから上流方面を見ると、こんな感じです。河岸の堤防がしっかり整備されていますね。



堰堤の上から下を見ると、こんな感じ。



そして下流方面を眺めると、こんな感じ。上流側の堤防がガッチリとコンクリートで固められているのに対し、下流側は未整備の状態。とりあえずこの砂防堰堤で災害を食い止められるだろうと判断したのかもしれません。



この堰堤の場所は説明しにくいので国土地理院の地図で示しておきます。写真中央の「・385」のところにあるのがそうです。385は標高を表すのでこの砂防堰堤は標高385mの場所にあるというわけです。



最初に書きましたが、この砂防堰堤は偶然見つけたものです。ちなみにグーグル先生の地図には載っていません。まぁ高さが10m程度の砂防堰堤なんて全国には山ほどあるんでしょうから記載されていないのも無理はないんですけどね。そう考えると国土地理院の地図は堰堤名こそ記されていませんが、ちゃんと堰堤の場所が示されているので凄いなと思ったりします。
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正式名称は…奥里取水ダム

2022-03-26 06:51:12 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は奈良県吉野郡十津川村内原(とつかわむらないばら)にある新宮川水系の奥里(おくさと)ダムを訪れます。ダム名は右岸側の地名から取られたものと思われます。アクセスは国道168号から笹の滝方面へ進み、滝川に沿って走る道を登って行くとダムの左岸に到着します。

到着しました。これですね。なんだか古めかしい感じがします。



左岸のダム横にある表示板。どうやら「奥里取水ダム」が正式名称のようです。グーグル先生の地図では「奥里ダム」と表記されていますが同一のダムです。



取水ダムというからにはここには取水口があって、本流の滝川とは別の水路を通って何処かへ流れ込んでいるはず。じゃあ取水口はどこにあるんでしょうか。とりあえず左岸のダム横から見た様子をご覧ください。こうしてみると、当該ダムはアーチ式であるのがわかりますね。



で、視線を下に降ろすと…あっ、ありました、ありました、取水口。写真中央の細かいギザギザのところがそうです。



左岸の、この部分から取水された水は、調べてみるとかなり遠回りしながら昨日記事にした「風屋(かぜや)ダム」の左岸の上流側の短いトンネルの手前のところに流れ込んでいるのがわかりました。

取水された水はダム下の、この小屋の下を通り、必要なだけ別の水路に流れてゆきます。そして余分な水はご覧の通りダム下の滝川へ排出される仕組みなんですね。



ダム上を歩きたかったのですが、敷地内は関係者以外立入禁止なので断念。



それにしても水が本当にキレイ。わかりますかね。まさに心が洗われるようです。



念のためダム便覧で確認すると、当該ダムは1954年に着工され、1960年に竣工したとあります(参考)。そこに記されているデータの数値も先ほど見た表示板と同じ。なのに、なぜダム便覧では「奥里ダム」と表記され、現場の表示である「奥里取水ダム」ではないんでしょうね。不思議だなぁ。
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69名が見守る…風屋ダム

2022-03-25 06:56:45 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は奈良県吉野郡十津川村風屋(とつかわむらかぜや)にある新宮川水系の風屋ダムを訪れます。アクセスは国道168号の風屋隧道の脇道を進んで行くと到着です。

まずは左岸から見たダムの「横顔」をご覧ください。こんなダムです。



順を追って見ていきます。まず脇道を入ってすぐのところに水利使用標識があります。これを見ると当該ダムは発電を目的としたダムで、調べてみるとダムに発電所は併設されておらず、ここから直線距離にして約8.3km下流にある国道425号沿いの芦廼瀬川(あしのせがわ)に面した十津川第一発電所(奈良県吉野郡十津川村小原[おはら]:1960年10月1日運用開始)で発電に使用する水を供給するためのもののようです(参考)。ちなみに芦廼瀬川は十津川に合流します。



左岸のダム横に向かって脇道をさらに進むと、壁面には「水力発電所のしくみ(十津川第一発電所)」を説明する案内板があります。



その隣には十津川第一発電所の工事概要を記した巻物のようなプレートが貼られています。これによれば、ダムの高さは101mで、ダム上の長さは329.5mだそうです。





ダム横を過ぎて下流側に進むと、そこには立派な慰霊碑があります。建設作業員を表したレリーフは芸術的。作者はわかりません。







その裏側には建設に際して亡くなられた69人の名が刻まれています。合掌。



さあ、ダム上に向かいます。左岸側のダム本体にはアルファベットによる「KAZEYA DAM」のプレート。これはなかなか珍しいですね。1960年10月竣工。もちろん別の場所には「風屋ダム」と表記されたプレートも嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。美しい景色です。



一方、ダムの真下は、こんな感じ。さすがに101mの高さは足がすくみます。



そして下流側の遠景。こちらも良い眺めです。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



右岸を貯水側へ向かって進んで行くと、こんな建物が。特にそれを示すプレートはありませんが、取水設備のようなものがあるのでその操作所なのかもしれません。





その場所からダムは、こんな風に見えます。



ダムの建設経緯はわかりませんでしたが、見学するには十分堪能できる場所と言えるんじゃないかと思います。
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下部貯水池なんだけど…旭ダム

2022-03-24 06:55:18 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は奈良県吉野郡十津川村旭(とつかわむらあさひ)にある新宮川水系の旭ダムを訪れます。アクセスは国道168号から「あさひキャンプ場」方面へ向かい、キャンプ場を横目で見ながら旭川に沿って走る「もみじ街道」をしばらく行くと到着します。

おー、見事なアーチ式ダムですね。



左岸の道沿いにあるこの建物は「旭ダム管理所」。





このアングルのほうがアーチ式ということがわかりやすいかもしれません。



そして、こちらも。



貯水湖は、こんな感じ。



しかし、残念ながらダム上に行くことはできません。さすが敷地内への侵入には過敏な関西電力が管理するダムだけのことはあります。なので、もちろんダム上からの写真はありませんし、旭ダムの案内板もありません。

調べてみると、旭ダムは1978年に竣工したダムで、すぐ近くにある瀬戸ダム(1978年竣工)と繋がっていて、旭ダムの左岸上流側にある関西電力の奥吉野発電所(1978年8月運用開始)の揚水発電のための施設らしい(参考)。つまり上部貯水池の瀬戸ダム(標高:964m)と下部貯水池の旭ダム(標高:462m)との間で揚水発電を行なうんですね。じゃあ瀬戸ダムはどんなところだろうと思うじゃないですか。気になるじゃないですか。でも、一般車両は瀬戸ダムへは行くことができないので見ることはできません。なぜそれほどまでに関西電力は秘密にしたがるんでしょうね。まさか公開できない「何か」があるとか…。

何だろうなぁ。気になる〜。
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プルニエ協定からの〜…猿谷ダム

2022-03-23 06:58:18 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は奈良県五條市大塔町辻堂(おおとうちょうつじどう)にある新宮川水系の猿谷(さるたに)ダムを訪れます。ダム名は右岸側の地名から取られたもの。アクセスは国道168号の「新猿谷トンネル」の北の側道から入るか、もしくはダムの下流の辻堂新橋を渡ってすぐ左折して進んで行くと猿谷ダムの左岸に到着します。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。地形的にダム下からの「ご尊顔」を撮ることはできないのでご容赦ください。



しかしながら、すぐダムを見ることはできません。猿谷ダムはこの「猿谷ダム管理支所」の奥にあります。ただし、一般の車両は進入禁止なのでクルマは手前の駐車場に停めて歩いて行きます。







近くには猿谷ダムをめぐる案内板があります。紀伊半島の内陸部は昔から水不足に悩まされてきました。第二次世界大戦後の1947年に国土復興計画のひとつとして「十津川・紀の川における資源の開発」が掲げられ、2年後の1949年には「十津川・紀の川総合開発計画」が策定されます。この計画では紀の川の水の一部を大和平野に流すことと熊野川に猿谷ダムを建設し、その水を紀の川に流すという壮大なものでした。翌1950年には奈良県と和歌山県の間でこの事業を実施する協定、いわゆる「プルニエ協定」が締結され、猿谷ダム建設の調査が奈良県によって開始。そして1952年からは建設省(現在の国土交通省)に移管され、1958年3月31日に猿谷ダムは完成したとあります。ちなみにプルニエ協定と呼ばれるのはそれが締結された場所が元京都祇園演舞場のプルニエ会館だったからです(参考)。



その隣には猿谷ダムの流域の説明図。



管理支所の前のダムに面したところにはユーモラスなベンチがあります。なかなか可愛いですね。



そこからダムはこんな風に見えます。



よく見ると、ダムの上のところには「国土交通省 猿谷ダム」の文字が!



ダムへ近づきます。これが左岸から見たダム上。



ダム本体に刻まれているのは「昭和32年(1957年)2月竣工」の文字。ん?「竣」の文字が微妙に間違ってます。



近くには猿谷ダムの概要を示す案内板。1958年3月に完成したと書かれていますが、これはダム全体の完成した年月なんでしょうね。



では、ダム上を歩いてみましょう。ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。



一方、ダムの真下の様子。74mの高さはまあまあ足がすくみます。



そして下流側の遠景。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。向こうに見えるクリーム色の建物が管理支所。



ダムそのものは年季が入っていますが、案内図の丁寧な説明などを見ると、さすが国が管理しているだけのことはあるなと感心します。未見の頭首工や取水堰堤の存在も知ったので、機会があればそれらにもいつか行ってみようと思います。
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和田発電所のための…九尾ダム

2022-03-22 06:52:01 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は奈良県吉野郡天川村九尾(てんかわむらつづらお)にある新宮川水系の九尾ダムを訪れます。アクセスは県道53号(すずかけの道)沿いを走っていけば到着します。

このダムは昨日記事にした川迫ダムの下流にあり、天ノ川(てんのかわ)に沿った道(県道53号)を下ってくると姿をあらわします。

見えてきました。あれですね。



ダム横に来ました。そこに水利使用標識があります。関西電力が管理する発電用ダムですね。調べてみると、このダムは直線距離にして約2.2km下流にある和田発電所(吉野郡天川村和田)で発電するための水を取水するために造られたようです(参考)。ちなみに取水口はダムの左岸、上流側にあるようですが確認できませんでした。



これがダム上なんですが、秘密主義で知られる関西電力ですからもちろんその上を歩くことはできません。鉄柵がありますからね。





ダム横にあるこの建物が「九尾ダム管理所」。





右岸、下流側からダムを見ると、こんな感じ。上のリンク先を見ると九尾ダムの竣工は昭和12年(1937年)。なんと戦前ですよ、戦前! 厳しい顔のおじいちゃんといった感じ。



ダムの下流側はこんな景色です。



ダムは県道沿いにありますが、意外にもこの道、見通しが良いため車両がビュンビュン通ります。駐車する際にはお気をつけください。
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正しい読み方は?…川迫ダム

2022-03-21 07:02:16 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回はですね、奈良県吉野郡天川村北角(てんかわむらきとずみ)にある新宮川水系の川迫(こうせ)ダムを訪れます。ダム名はダム便覧の表記に準じていますが、水力発電所ギャラリーの表記は「こうせいダム」(参考)。一体どちらが正しいんでしょうねえ。

アクセスは天ノ川(てんのかわ)に沿って走る国道309号を進んで行くとダムの右岸に到着します。ただし、国道309号はすれ違うことが難しい、いわゆる「酷道」なので運転は慎重に。また訪れた日には雪がかなり残っていたのでちょいヒヤヒヤものでした。とはいうものの反面ワクワクしちゃうんですけどね。

そんなこんなで到着。



国道沿いにあるこの建物が「川迫ダム管理所」。目的地には夜が明けて間もない頃に着いたのでまだちょいと暗い。





水利使用標識。関西電力が管理する発電用のダムです。河川名が熊野川になっていますが、川迫ダムから下流は天川村までが天ノ川で、五條市に入ると熊野川という名称に変わります。ちなみに川迫ダムから上流は川迫川と呼ばれるようです。なお、上に示した水力発電所ギャラリーのリンク先によると川迫ダムで取水された水はここから直線距離にして約4.1km下流にある川合発電所へ送水され発電のために使用されるそうな。つまり川迫ダムは川合発電所(のための)取水ダムなんですね。



右岸、上流側からダムを見ると、こんな感じ。



ダム横から見た上流側の様子。管理所の位置はこれでわかると思います。写真右がダム。



ダム名は先ほども書いたように上流の川の名称が「川迫川」なのでそこから取られたように思います。さらに上流には川迫川渓谷があるので、もしかするとそれが由来かもしれません。
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メインは柿園のため!…一の木ダム

2022-03-20 06:58:39 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は奈良県五條市野原町(のはらちょう)にある紀の川水系の一の木(いちのき)ダムを訪れます。アクセスは国道168号から県道138号(赤滝五條線)を進んで行くと一の木の右岸に到着します。

まずは左岸から見た見映えの良い「ご尊顔」をご覧ください。



県道138号からダムの右岸に来ると、まず見えるのが「一の木ダム周辺マップ」。説明によると、当該ダムは五條市と吉野郡下市町(しもいちちょう)にある柿園などに水を供給するための農業用利水ダムとして1991年に工事を開始し、1997年に完成したものだそうです。



水利使用標識。



ダムの右岸、下流側にあるこの建物は「一の木ダム管理所」。





そこからダムを見ると、こんな感じ。



右岸、貯水側からの景色。



これがダム上です。車両も通れますが、ここはひとつ歩いて行きます。



ダム上の欄干には周辺地域のシンボルが飾られています。

五條市の木「くすのき」


下市町の木「スギ」


西吉野村「緑と柿のふる里」


下市町の花「マツバボタン」


五條市の花「ききょう」


ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



一方、ダムの真下には副ダムが見えます。



そして下流側の遠景。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



ダム下へ行って「ご尊顔」を撮ろうとしましたが、こちらはあまり見映えが良くないですね。



訪れた時間が夕方に近かったせいか、撮った写真が全体的にオレンジ色がかかっています。柿園へ水を供給するためのダムなのでこんな色合いが相応しいのかも…ぬぁんてメチャクチャなこじつけ。

ところで、ダム名の「一の木」は何に由来するんですかね。この付近の地名なのかなぁ。疑問だ。
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露払い的な〜…大迫ダム

2022-03-19 16:36:51 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした大滝ダムの横を走る国道169号を吉野川に沿って遡っていくと、またまたダムが現われます。それが今回訪れる紀の川水系の大迫(おおさこ)ダムです。住所は奈良県吉野郡川上村大迫。

お〜、見えてきました。あれですね。



ダム横の国道沿いには川上村の地図を模したオブジェ。でも、なぜ南北が逆なんでしょうねえ。違和感。



左岸にある大迫ダムの案内板。だけど文字などが消えかかっています…。



「大迫ダム」と刻まれた石碑。常々思うんですが、文字を白抜きにすればもっと目立つのになぜしないんでしょうねえ。



石碑の裏には「建碑の記」と題された文言。ここに書かれている通り、吉野川という名称は奈良県内での呼び名で、和歌山県に入ると紀の川に変わります。名称はともかく、この川は昔からその流域の生活と産業に大いに寄与してきました。しかし氾濫と旱魃を繰り返す「気まぐれ」の川でもあり、人々はその変化に苦慮しつつ対応してきたそうな。昭和25年(1950年)、国民の食料確保と地域農業の復興そして奈良/和歌山の両県民の多年にわたる「努力」に報いるべく国は十津川・紀の川総合開発構想を立案。これに基づき十津川・紀の川の土地改良事業は当時の農林省(現在の農林水産省)直轄工事が開始。大迫ダムはこの開発計画の一環として昭和39年(1964年)に建設が始められ、昭和49年(1974年)6月7日に完成したという。





石碑の隣りには「横軸ペルトン水車発電機」があります。説明にある通り、これは大迫ダムの約下流10kmにあった関西電力迫発電所に設置されていたもの。同発電所は明治45年(1912年)に宇治川電気株式会社(1906年創立、1942年解散)によって建設され発電を開始します。そして昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で損壊するまで川上村などに電気を供給してきたそうな。設置されている発電機は奈良県では最古のものだそうです。(参考)(参考





その付近からダムを見ると、こんな感じ。見てお分かりの通り、大迫ダムはドーム型アーチ式なんですね。



これが左岸側から見たダム上。車両通行可ですが、ワシは歩いて行きます。



ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。



一方、ダム下の様子。副ダムのところがアーチ状になっているのはダムの形に対応しているからなのでしょうね。



そして下流側の遠景。写真下部に見えるクリーム色の建物は大迫発電所。



対岸(右岸)に来ました。下流側からダムを見ると、こんな感じ。



右岸にも大迫ダムの案内板があります。これはまだ風化していません。しかし諸元を見ると着工は1963年4月で、完成は1973年9月となっていて、左岸の「建碑の記」と内容と異なっています。うーむ、どちらの記述が正しいんでしょうか…。





水利使用標識。灌漑用水と上水道用水のためのダムなんですね。でもダム下に発電所があるんですが、この標識には発電の文字はないですね。どういうことなんでしょうか。



右岸にあるこの建物は「大迫ダム管理所」。





最初に書いたように大迫ダムは大滝ダムの上流にあります。ダムの規模は大滝ダムのほうが大きく新しいので大迫ダムでは担いきれない役割を大滝ダムが担っているのかもしれません。そうした現状を見ると大迫ダムは相撲の横綱の土俵入りに例えるなら大滝ダムの、いわば「露払い」みたいな役割を演じているようにも思えます。
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吉野川の守護神!…大滝ダム

2022-03-18 06:57:21 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は奈良県吉野郡川上村大滝(かわかみむらおおたき)にある紀の川水系の大滝ダムを訪れます。アクセスは国道169号を行くと大滝ダムへ通じる道があるので、そこを入って行くと左岸に到着します。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。そのデザインがなかなか格好よろしい。



ダム下にある副ダムは、こんな感じ。



これらの画像は国道169号沿いの駐車場から撮ったものです。駐車場の目印は面白い形のコレ。



そこには大滝ダムの見どころが親切に説明されています。ダムへの行き方も、これでわかりますね。



国道からダムへの道を来ると左岸に到着します。



ダムの左岸にはダム建設以前に居住していた人々の様子、そしてダム建設によって移住した人々の氏名が記されています。でも、苦笑しちゃうのは「大滝ダム 水没者氏名」って表記。これはいただけないな。まるで溺死したみたいじゃん。「水没世帯主名」ならともかく…。



左岸の山側には大滝ダムについての案内板があります。このダムも1959年9月に発生した伊勢湾台風がきっかけで翌年4月から建設のための調査が開始されました。ダム本体の工事に着手したのは1988年12月になってからで、1998年4月にダムの定礎式が行なわれ、2002年10月にダム本体工事が完了。そして2013年3月になってようやく大滝ダム竣工式が行なわれたとあります。完成までは随分と長い道のりでしたね。







左岸、下流側から見たダムの様子。ダム上の下には「中みち」なるものがあって、そこも歩くことができるようです。ワシは歩きませんでしたが。



左岸のダム横から下流側に行くと「学べる防災ステーション」があります。ワシは学んできませんでしたけどね。



ダム横近くには大滝ダムの配置図があります。



これが左岸から見たダム上(空みち)。幅が広いので、ゆったり歩くことができます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。



同、クレストゲートから真下を見ると、こんな感じ。



ダム上のところには放流設備の図解付き説明があります。興味のある方には嬉しい配慮ですね。





クレストゲートの横付近から下流を見ると、こんな感じ。副ダムも深いですが、ダムそのもののスケールがとにかくデカイ!



ダム上から右岸の下流側にある「大滝ダム管理支所」の建物を見ると、こんな感じ。





左岸から340m歩いて右岸に来ました。振り返ると、こんな感じ。写真右奥に見えるのが「学べる防災ステーション」の建物。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



その近くには「おおたき龍神湖」と刻まれた巨石。これがダム湖名なんでしょうね。



伊勢湾台風発生から大滝ダムの完成まで、実に54年。半世紀以上もの年月をかけてようやく吉野川の「守護神」が登場したわけです。今後は下流域の安全を担っていくことでしょう! 実に頼もしい存在です。
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壬申の乱の狼煙…津風呂ダム

2022-03-17 06:58:52 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は奈良県吉野郡吉野町河原屋(よしのちょうかわはらや)にある紀の川水系の津風呂(つぶろ)ダムを訪れます。アクセスは国道169号から「津風呂」方面へ向かう県道256号を津風呂川に沿って進んでいくと左岸に到着します。

到着しました。これですね。



左岸、貯水側にあるこの建物が「津風呂ダム管理所」。





そこからダムはこんな風に見えます。



ダム横と管理所の間には津風呂ダムの案内板があります。諸元によると当該ダムは1954年9月に工事着工し、1961年8月に完成したとあります。





左岸、ダム横の下流側には慰霊碑があります。これによると、ダムの湖底には中世の南北朝時代に「津風呂築後守従五位上平朝臣光季入道覚佛」(原文ママ)によって拓かれた津風呂という村がかつてあったそうな。この人物についてはよくわかりませんが、どうやら南朝の忠臣、牧堯観の執事だったようです。牧堯観は『太平記』に登場する真木定観(まきじょうかん)のことで、1336年12月、後醍醐天皇が京を脱出して吉野に潜伏した際、同行した家臣の1人として記されています。

で、慰霊碑の表記は上に書いた通りですが、ネットを検索してみるとどうやら「津風呂筑後守従五位上、平朝臣光秀入道覚佛」が正しいように思います(参考)。なお、現在津風呂川と呼ばれている川は『日本書紀』の中で大海人皇子(おおあまのおうじ:?-686/後の天武天皇)が都落ちして吉野に来た際に通ったとされる津振川のことで、津風呂はこれに由来するようです(参考)。いずれにしても、この慰霊碑は湖底に沈んだかつての津風呂村の祖先の霊とダム建設に際して亡くなられた方々のために建立されたというわけです。





慰霊碑のあるところからダムを見ると、こんな感じ。



では、ダム上に行ってみることにしましょう。条件付きではありますが、一応車両通行可です。



ダム上、中央の建物の壁には水利使用標識が貼られています。灌漑用水と上水道用水のためのダムであることがわかりますね。



同、中央から見た津風呂湖の様子。



一方、ダムの真下はこんな感じ。ダムの高さは54.3mですが、ダム下に停車している車両を見るとその高さを実感できるんじゃないかと思います。



下流側の景色。逆光で暗くなっていて、よく見えませんね。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



津風呂湖では11月1日から3月31日までワカサギ釣りができるそうな。



でも、右岸側にはちゃんと「魚霊供養之碑」が建ってました。1977年4月建立。





左岸、ダム横の下流側には別の諸元表が。これを見ると津風呂ダムの着工は1954年1月になっています。管理所の横にある案内板の表記と違ってるんですが、一体どちらが正しいんでしょうか…。



吉野に下った大海人皇子は672年にこの地から壬申の乱ののろしをあげ、翌年天武天皇として即位します。それを思うとそのむかし日本史の教科書で学んだ壬申の乱がなんだか身近なものに感じられてくるから不思議ですね。
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