ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

上田市の山口砂防ダム

2024-06-27 06:56:49 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上田市上田にある信濃川水系の山口砂防ダムを目指します。アクセスは国道18号の「山口」信号を「わかば薬局」側へ入り、そのまま道なりに進みます。ある程度登っていくと二又になるので右へ。上信越自動車道の下を潜って約300mほど行ったところが目的地です。

見えてきました。新緑の中に埋没している感じですね。

左岸、ダム横に到着です。

「ダムの上には絶対に行かせないぞ!」という決意の感じられるゲート。そこまで言うなら行きませんよ。

ダム本体に嵌め込まれた銘板。着工は平成5年7月、竣工は平成10年(1998年)10月と読めます。

道路沿いには表示板があり、名称は「山口砂防堰堤」とありますが、高さが24.0mなので定義上は砂防ダムになります。なお、山口というのはこのあたりの地名です。


築造の経緯は不明ですが、この資料:no.54によるとここの河川名は黄金沢川だそうです。ただ、資料の表記では高さは21.0m、また着工は平成2年となっていますが、現場の表示板などを見れば明らかなようにこれは誤記と思われます。やはりネットの資料だけから判断するのは危険という実例ですね。フィールドワークがいかに大切かわかります。

そういえば、同名の築造物が長野県北安曇郡小谷村にもありましたね。もっとも、それは高さが14.0mなので定義上は砂防堰堤なのですが…。(参考
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仙仁砂防堰堤

2024-06-25 06:58:40 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の記事で書きましたが、フツーの地図にはない情報が現場の案内板に記されていることがあります。これは見学者にとって実に貴重で、次なる目的地の指標になるんですよね。で、前々回の記事の表示板に出ていた「仙仁砂防堰堤」に今回は行ってみることにします。アクセスは国道406号沿いにある「仙仁温泉 岩の湯」の先、つまり約400mほど南へ行ったところに仙仁砂防堰堤があります。

【仙仁川の由来】(参考)(参考
ところで、この砂防堰堤は仙仁川(せにがわ)に築造されているのですが、河川名の由来が気になったので調べてみることにしました。おそらく直接的な由来は仙仁川の上流に仙仁山というのがあることからその名がついたと思われます。また、追加情報としてはこの地に住んでいた一族が清和源氏の流れを汲む半農半武士の仙仁氏で、上に書いた「岩の湯」の東側の山にその昔「仙仁城」を築城して地域を治めていたようです。その築城年代は不明ですが室町時代には仙仁氏が城主を務めていたようなので仙仁城はそのころには既にあったものと思われます。ちなみに仙仁川は下流で宇原川(うばらがわ)と合流し鮎川となり、さらに下流の村山駅の南側で百々川(どどがわ)と合流したのち千曲川(ちくまがわ)に流入します。千曲川はその後新潟県に入ると信濃川に名称が変わるため、結果的に仙仁川は信濃川水系となります。

さて、そんなこんなで仙仁砂防堰堤が見えてきました。

このあたりは駐車スペースがないので安全な場所に停めましょう。そしてこれが右岸から見た堰堤の様子。残念ながら堰堤の上には行けませんでした。

上流側から見るとわかるように落水部を覆うように鋼製スリットが設置されています。でも、見た感じでは鋼製スリットは後付けのようですね。

仙仁川の上流方向の景色。


で、この堰堤はいつ築造されたのかというと銘板が確認できなかったのでわかりません。しかしながら「金山第二砂防ダム」のところにあった表示板には諸元が記されているのを思い出したので確認してみると高さは14.5m、長さは98.0mだそうです(写真下方)。
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宇原川の堰堤たち(3)…金山第一砂防堰堤

2024-06-24 07:01:08 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。で、前回記事にした「金山第二砂防ダム」の表示板に「金山第一砂防堰堤」なるものを見つけたので行ってみることにします。これはグーグル先生の地図には載っていないありがたい情報。そう、現場にはこうした貴重な情報があるので実際に足を運ぶ意味があるんですよね。

…というわけで、表示板に書かれている場所へ。来た道を約500mほど戻り、宇原川(うばらがわ)側へ降りる脇道のあるあたりに目的の堰堤があるようです。とりあえずそのあたりにクルマを停め、藪の中を進んでいくと…。

おおっ、発見、発見。「金山第一砂防堰堤」。竣工年月が上流に築造されている「第二」と同じ昭和60年(1985年)2月なので両者はセットで築造されたことがわかります。ただ、こちらは高さが14.0mなのでダムではなく堰堤と表記されているのは定義的には合っています。

では、早速堰堤の上へ。中央の落水部をみるとこんな感じ。

そこから上流方向を眺めます。

堰堤の下を覗き込むと副堰堤が備えられているのがわかります。


そして、下流方向の遠景。

堰堤中央から左岸側を見るとこんな感じ。これを見ると確かに道から離れているのでこの堰堤の存在はわからんですよね。道はあの深緑色の高木の向こうにあるんですから…。


そんな場所にあるので堰堤の下へは行けず、「御尊顔」を拝むこともできませんでした。次回は上の表示板の地図に載っている「仙仁砂防堰堤」を目指します。
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宇原川の堰堤たち(2)…金山第2砂防ダム

2024-06-23 07:00:41 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回に続き、宇原川(うばらがわ)沿いの道を登っていきます。前回の「曲り屋敷砂防堰堤」から直線距離にして約2.0km上流のところにあるのが金山第2砂防ダム、つまり今回の目的地です(グーグル先生の地図の表記は「金山第二堰堤」)。

ここは道路沿いに下の表示板があるので迷うことはありません。

早速ダム横に向かいます。この表示には「砂防堰堤」と記されていますが、高さが22.5mなので定義上は砂防ダムの表記が正しい。昭和60年(1985年)2月竣工。

本体に貼られた銘板の表記も「金山第2砂防ダム」となっています。

これが左岸から見たダム上。中央へ行ってみましょう。

中央の落水部の様子。

そこから見た宇原川の上流方向の景色。

ダム下を覗き込み、

下流方向を眺めます。

「御尊顔」を正面から拝めるかなと左岸から斜面を降りてみましたが、ダム下までは降りられず、落水部が最も見えるところから撮ったのがこちら。

ふと、「ここが第2ならば、どこかに第1があるはず」と思ったので、改めて道路沿いの表示板を見直すと…ありました、ありました。ここよりも下流のところに「第1」があるようです。


当初の予定では宇原川の「探検」はこれで終了するつもりでしたが、まだまだ続きます。
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宇原川の堰堤たち(1)…曲り屋敷砂防堰堤

2024-06-22 06:52:05 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回から長野県須坂市仁礼(すざかし にれい)を流れる宇原川(うばらがわ)に築造されている堰堤を探していきます。アクセスは国道406号と宇原川が交差する右岸側の道を進んでいきます。グーグル先生の地図ならば有限会社 河東工業を目安に、その南側の宇原川と並行して走る道を行けば良いと思います。

最初のS字カーブを過ぎてから少し行ったところの右側が目的地ですが、道路から堰堤らしきものは見えません。なので、クルマはそのあたりに停め、雑木林を入っていきます。耳を澄まして水が落ちる音のするほうへ向かっていくと、堰堤の下近くに表示板を発見。「曲り屋敷砂防堰堤」。堰堤名の「曲り屋敷」とはこの地区の名称のようです。昭和58年(1983年)3月竣工。

藪を掻き分けて堰堤近くまできました。

副堰堤の様子。水が限りなく澄んでいます。

右岸の堰堤横に来ました。危険という表示はありますが、自己責任で堰堤の中央へ行ってみます。

堰堤中央の落水部の様子。

そこから見た上流方向の様子。

堰堤下の副堰堤を覗き込み、


下流方向を眺めます。

堰堤中央から見た右岸側の様子。


現場には築造の経緯を示す案内板はありません。そこで調べてみると昭和56年8月23日、台風15号による土石流が宇原川上流で発生し、そのまま下流の民家4棟を押し流し、10人が死亡、20人が重軽傷を負ったそうな(参考)。その日付から推測するとこの曲り屋敷砂防堰堤はその甚大な災害を受けて築造されたものと思われます。

続きます。
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現在は発電に利用…高井砂防ダム

2024-06-20 06:54:09 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、前回記事にした鎌田砂防堰堤(ダム)が築造されている鎌田川は下流で松川へ合流するんですが、その流れ込んだ松川のすぐ上流に高井砂防堰堤というのがあります。これは株式会社 工営エナジーが運用する高井発電所で発電するための築造物で、同発電所の運用開始は2015年10月1日。しかしながら、高井砂防堰堤それ自体が築造されたのは昭和51年(1976年)で、のちに工営エナジーがその落水差に目をつけて発電用のダムとして利用し始めたようです。ただし、同砂防堰堤の高さは36.0mなので定義上は砂防ダムとなります。(参考:no.32

…と、まあ、概略はこんな感じですが、県道66号からはこんな風に見えます。ちなみに写真中央に小さく見えるのが発電所で使用するための取水門だそうです。

そして、ダム下へは県道66号から入れそうな道があるんですが…なんと「関係者以外の立ち入り禁止」とな! むぅ。

じゃあってんで、上流の高井橋を渡り、左岸側に来てみました。そこから撮ったのがこちら。


実は、ここ、とても期待していたんですよね。というのも現在長野県で築造されている砂防ダムの中で以前訪れた与川砂防ダムに次ぐ第2位の高さを持つダムだからです。まあ、仕方がない。

なお、この県道66号をさらに登っていくと七味温泉 紅葉館の奥に「奥日影砂防堰堤(ダム)」というのがあるようなんですが、それはまたの機会に訪れてみようと思います。
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深緑色の水!…鎌田砂防堰堤(ダム)

2024-06-19 06:55:07 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上高井郡高山村奥山田を流れる鎌田川に築造されている鎌田砂防堰堤を目指します。アクセスは国道403号の「松川団地入口」信号を高山方面へ入り、県道66号をひたすら走っていきます。そして右側に鉄塔のようなものが見えたらその先に左へ入る脇道が出てくるのでそちらへ。目的地はそこからすぐのところです。

おー、見えてきました。あれのようです。

右岸、上流側から見た様子。

右岸、堰堤横に設置されている表示板。名称は「鎌田砂防堰堤」ですが、高さが20.0mなので定義上は砂防ダムになります。昭和60年(1985年)12月竣工。

これがダム上です。中央へ行ってみましょう。

落水部を見るとこんな感じ。水がキレイなのがわかりますね。

鎌田川の上流方向の様子。

ダム下を覗き込みます。

少し細長の形状をした副ダム。

そして、下流方向の遠景。

ダム上、中央から見た右岸側の様子。


築造の経緯は不明。なお、この資料によれば着工は昭和55年とのこと。
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防災上の工夫…菅砂防ダム(堰堤)

2024-06-17 06:56:47 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県下高井郡山ノ内町寒沢菅(しもたかいぐん やまのうちまち さむさわすげ)に信濃川水系の菅砂防ダムというのがあるようなので行ってみることにします。アクセスは国道292号の佐野角間インターを降りて角間温泉方面へ。そのまま県道342号をどんどん進んでいくと目的地に到着します。

右手を流れる伊沢川(いざわがわ)に砂防ダムが見えてきました。これのようです。

右岸、ダム横から見た様子。表示板には確かに「菅砂防ダム」と記されています。

ダム上の中央に来て落水部を覗きます。

そこから上流方向を眺めます。

ダムの下を覗き込み、

副ダムの落水部を見ると、そこには鋼製スリットが設置されていました。確かに上のリンク先の写真にもその様子を見ることができます。

ダム上、中央から右岸側を見るとこんな感じ。ガードレールのところが県道342号です。


リンク先の説明によると、昭和56、57、61年の台風により上流で土石流が発生し、それが下流域の集落や公共施設に被害を与えたことが菅砂防ダム築造のきっかけだそうです。そして平成3年に工事に着工、平成10年(1998年)に竣工したわけですが、副ダムのみに鋼製スリットを設置しているのは理由があります。つまり本ダムが土石流を堰き止める役割を果たし、それにより流れが減速したところで副ダムの鋼製スリットで流木を捉えるという「作戦」らしい。なるほど、なるほど。

ただ、諸元を見ると本築造物の高さは14.0mであることから定義上は砂防堰堤になります。
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詳細不明…屏風ダム(砂防堰堤?)

2024-06-16 06:55:33 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県下高井郡山ノ内町平穏(しもたかいぐん やまのうちまち ひらお)に堰堤らしきものがあるようなので行ってみることにします。その場所については文字で説明するのが難しいので下に地図を載せておきます。

まあ、場所としては角間川の右岸にある平穏第三発電所のすぐ上流に今回の目的地があるんですが、実際に行ってみると、もうほとんど木の中に埋もれている感じでした。同発電所から目的地までの道を進んでいくと堰堤下の中央に辿り着きます(グーグル先生の地図のストリートビューでも堰堤の壁面を確認することができます)。堰堤の壁面は玉石を積んだ工法のようですが、堰堤名を示す銘板も見当たらず。

そこで右岸側の堰堤横を目指します。そして、最もよく見える場所から撮ったものがこちら。印象としては高さはわからないものの、長さがやたら長い!でも、堰堤の上へは木々に覆われていて行ける状態ではありません。


なので、今回の写真はこれだけ。それにしてもこの築造物の名称はなんというんでしょうね。調べてみると名称は「屏風ダム」というそうな(参考)。でも名称は判明したものの、その由来や不明。まあ、横に長いからそれが屏風のように見えるからなのかもね…。知りませんが。また、諸元についてもわからず。

そもそもなぜ角間川に注目したのかというと、この川に「角間砂防ダム」というのがあるというの知ったからです。そして上の参考資料の地図をみると屏風ダムの上流に平穏第二発電所があり、さらにその上流に角間砂防ダムはあることがわかりました。ちなみに同砂防ダムは昭和55年(1980年)に竣工したもので、高さは27.0m、長さは71.0m(参考:no.38)。こりゃあ見学しがいがあるなと思ったのですが、どうやらそこへ至る道がないようです。

嗚呼、残念!

(屏風ダムの場所:写真中央右寄りのカーソル部分)
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たぶん…竜王砂防ダム

2024-06-15 06:59:07 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県下高井郡山ノ内町夜間瀬(しもたかいぐん やまのうちまち よませ)に信濃川水系の竜王砂防ダムというのがあるようなので行ってみることにします。アクセスはホテル・タガワ直営の竜王総合体育館を目指し、その裏手の道を倉下川(くらしたがわ)沿いに進んでいくと到着します。

右岸側の道を進んでいくと…どうやらこれのようです。でも、新緑の中に埋もれているような状態。

右岸のダム横から、まず下へ降りてみます。壁面を見ると玉石積みの工法のようです。こりゃだいぶ古いんでしょうか?

壁面をよく見ると銘板がありました。ところが半分以上が苔に覆われていて判読不能。うーむ。

仕方がないのでダム横に戻り、ダム上に行こうとするもご覧の通りで行けそうにありません。あちゃー。

次は上流側から倉下川へ降りる道があったので川伝いにダムの落水部まで来てみました。なにしろ水はとてもキレイ。

そして、下流方向の遠景を眺めます。

そこから見た倉下川の上流方向の景色。


ところで、この築造物は本当に竜王砂防ダムなのでしょうか。先ほど見たように銘板では確認できないのでなんとも心許ないわけです。そこで改めて国土地理院の地図を見ると倉下川にはここ以外にダムらしきものは見当たりません。そして近くに竜王スキー場があることから、おそらくこれは竜王砂防ダムに間違いないと思われます。

で、肝心の諸元ですが、この資料によれば、竜王砂防ダムは高さが20.0mで、長さが71.5m。そして昭和55年に着工され、昭和60年(1985年)に竣工したようです。あらら、意外に新しいダムなんですね。
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発電用取水堰堤…一ノ沢堰堤

2024-06-13 06:58:59 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の「一の沢砂防ダム」からさらに一の沢川に沿って上流へ向かいます。そして、1.5kmほど進んだところで、こんな堰堤が出現。なんでしょうね。


オレンジ色の管理橋のようなものに貼られている銘板。「一ノ沢堰堤巡視路橋」とあるので堰堤名は「一ノ沢堰堤」で、中部電力が管理する施設のようです。橋の竣工は1985年10月。

水利使用標識。使用目的が発電なので、この堰堤はどうやら発電所へ送水するための取水堰堤らしい。

左岸の堰堤横から見た様子。

そして、右岸側には取水口が見えます。なるほど、ここから取水するようです。


でも、ここから取水されるとして水はどこへ送られるのでしょうか。国土地理院の地図を見ると、ここから山を越えた南側の二ノ沢でも取水し、さらに南側を流れる本沢で取水、そして本沢に流れ込む崩沢でも取水したのち、山の中を通って以前訪れた須砂渡(すさど)砂防ダムのすぐ上流にある中部電力株式会社 烏川(からすがわ)第三発電所(長野県安曇野市堀金烏川)へ流れ込み、発電のために使用されます。リンク先のデータによれば、同発電所の運用開始は1985年10月とあるので、上に記した一ノ沢堰堤の巡視路橋の竣工年と一致することからこれらの施設体系は同時期に建設されたことがわかります。
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一の沢(浅川)砂防ダム

2024-06-12 07:00:36 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県安曇野市穂高牧(あづみのし ほたかまき)にある一の沢砂防ダムを目指します。アクセスは県道25号から国営アルプスあづみの公園(穂高口)のT字路を入り、穂高カントリークラブあづみ野カントリークラブの脇道を通って一の沢に沿う道を進んでいくと到着します。

目的のダムは道の下方にあり、道からはこんな風に見えます。

なので、漫然と走っていると通り過ぎてしまいますが、幸いなことに道路沿いには「一の沢砂防ダム」と刻まれた石碑があるのでそれが目印になります。

石碑の裏には「着工:昭和五十三年九月/しゅん工:昭和六十年(1985年)十一月」と記されています。

ダムへの階段があったので降りてみました。左岸側から見たダム上の様子がこちら。

そして下流側から見るとこんな感じ。

ダム上の中央へ行き、落水部を見ます。

そこから上流方向を眺めます。

ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景。

中央から左岸側を見るとこんな感じ。


道路沿いの石碑には諸元が記されていないので改めて調べてみると、このダムは別名「浅川砂防堰堤」とも呼ばれるようで、高さは35.0m、長さは97.0m。(参考:no.91)(参考)なぜ堰堤名が別名「浅川」というのかというと、ダムの北北東に標高1,742mの浅川山(あさかわやま)があることに由来すると思われます。
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小谷村の唐沢砂防堰堤

2024-06-10 06:57:41 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、前回は文字通り脇道に逸れてしまったので今回は当初の目的地である唐沢砂防堰堤をレポートします。それこそ道の行き止まりのところにあるのがこれです。もしかするとここの道はこの砂防堰堤を作るためだけに造成したのかもしれませんね。知りませんが。


堰堤下の沢に架かっているのは単なる橋ではなく水管橋のようです。

とりあえずは堰堤に近づき、落水部を見上げます。

この工法は鋼製枠の中に土石を詰め込んで築造したもの。

堰堤下から下流方向を見るとこんな感じ。この沢の名称が唐沢なんでしょうか…。

なんと銘板は右岸側の本体に貼られていることがわかったので、確認するため先ほどの水管橋を渡ることにしました。で、水管橋の中央から見た「御尊顔」がこちら。

右岸に来ました。水管橋に向かって流れてくる水路。この水が水管橋の管に入って左岸側へ流れていくようです。

右岸側の堰堤下まで来て銘板を撮ろうと思うのですが、どの角度からも木の枝が邪魔してその記載内容がクリアーになりません。もうね、嫌がらせですわぁ。



これらから読み取れた内容は次のとおり。

「平成12年度国補特定緊急砂防工事 
  唐 沢 砂 防 え ん 堤
  高さ9.0m  長さ48.0m 
  着  工 平成10年10月
  しゅん工 平成13年8月
    長野県土木部
    姫川砂防事務所」

そういえば、同名の砂防堰堤は各地にあるんですね。例えば昨年訪れた長野県岡谷市の堰堤もそうでしたし(参考)、同県伊那市高遠町にも国道152号近くにあるようです(未見)。さらに同県諏訪郡富士見町を流れる釜無川にもあるようですがそれを示す表示板はなく、近くにある看板からワシは「唐沢二号砂防ダム」として以前記事にしました。本当のところはどうなんでしょうね。
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脇道の奥に…日土沢砂防堰堤

2024-06-09 06:59:00 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きになります。上雨中砂防ダム(堰堤)横の道をさらに登っていくとグーグル先生の地図によれば「唐沢砂防堰堤」というのがあるようです。今回はそれを目指すのですが、その唐沢砂防堰堤が見えるところまで来た時、ふと右に入る脇道を見ると何やら築造物らしきものが…。

それがこちらです。

堰堤本体に嵌め込まれた銘板には「日土沢砂防堰堤」と書かれており、高さ=9.0m、長さ76.0mで、平成27年(2015年)12月竣工。堰堤名の「日土沢」はなんて読むんでしょうね。たぶんこの沢の名称なのでしょうが。


話は前後しますが、脇道に入る前に見えた景色がこちら。ね、なんか気になるでしょ?


で、現場に戻ります。この砂防堰堤は透過型で、中央に鋼製スリットが設置されています。

右岸の堰堤横から見た様子。地形を考慮した曲線的な作りになっています。さあ、中央へ行ってみましょう。

中央にある鋼製スリットを上から見下ろします。

そこから上流方向を眺めます。まあ、確かに土砂崩れが起きても不思議ではない感じです。

堰堤中央から真下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景。

堰堤中央から見た右岸側の様子。


この日土沢上流の地質はきわめて脆弱なため、山腹では過去に何度も土石流や地滑りが発生したそうな。事実、平成7年7月の豪雨では土石流と地滑りが発生し、下流の虫尾集落の村道を塞いだそうです。そうした土砂対策として築造されたのがこの日土沢砂防堰堤らしい。(参考

ふーむ。

次回の記事では唐沢砂防堰堤をレポートします。
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メインの堰堤?…上雨中砂防ダム(堰堤)

2024-06-08 06:56:09 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。前回の続きみたいになります。昨日記事にした「第3号上雨中砂防ダム」(堰堤)のすぐ上流にあるのが「上雨中(かみうちゅう)砂防ダム」です。グーグル先生の地図では「上雨中砂防堰堤」と表記されています。

わかりにくいですが、下流側から見た「御尊顔」はこんな感じ。

左岸沿いの道からみるとこんな風に見えます。堰堤本体の形はイレギュラーで、直線でなく途中で曲がっています。

堰堤に近づき、落水部を見上げます。

本体に嵌め込まれた銘板。「上雨中砂防ダム」と表示されており、竣工は昭和62年(1987年)10月。しかし高さが12.0mなので定義上は砂防堰堤になります。

左岸側から見た堰堤の様子。先にも書いたように堰堤の上が途中で曲がっています。

堰堤の上を進み、中央の落水部を見るとこんな感じ。

そこから上流方向を眺めますが、木だらけ…。

堰堤の下を恐る恐る覗き込み、

下流方向を眺めます。

堰堤中央から見た左岸側の様子。


上にも書いたように当該堰堤の築造は1987年で、昨日記事にした「第3号」の築造が1997年。そこから推測されるのはこの砂防堰堤がまず築造され、その後下流に副次的な役割を持つ小規模の砂防堰堤が築造されたのではないかということ。

地図を見ると、この上流にも堰堤らしきものがあるので行ってみようと思います。
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