ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

匂いの記憶

2011-08-29 04:45:13 | 脳みその日常
記憶のメカニズムというのは本当に不思議なもの。ちょっと嫌な話ですが、最近体臭に異変を感じました。「お、これがいわゆる加齢臭というやつかな?」

まあ、そういう年齢になっているので当然といえば当然なのかもしれません。驚いたのはその匂いが昔嗅いだことのあるものだったこと。

もう40年近く昔のこと。東京の池袋に親族が下宿してまして、そこを訪ねた時のことです。どういういきさつか忘れましたが、その時家主さんにお会いしました。温厚でとても優しそうな老夫婦だったのを覚えています。

そう、その時です、あの匂いに遭遇したのは! 当時その家主さんがおいくつだったかは知りません。少なくとも高齢者だったとは思います。

その匂いを、ついにワシが共有したわけです。ある意味でショックではあります。でも、それよりその匂いを記憶していたことのほうが驚き。

そして匂いの記憶とともに当時の池袋の様子や家主さんのお宅の記憶までよみがえってきました。当時聴いていた音楽なども一緒に…。別に記憶しようなんて思ってなかったのにね。

脳みそとは、いや記憶とは、かくも不思議なものです。
コメント

寂しい夢

2011-08-28 04:13:34 | 脳みその日常
先日、珍しく夢を見ました。それは今から10年前に亡くなったW先生が現われたのです。亡くなって以来初めて夢に登場したので、(夢の中では)嬉しいやら驚くやら…。

夢の中で互いに再会を喜び、何か会話したように思います。残念ながら夢なのでその内容は覚えていません。

やがて、先生は寂しそうな顔をしながらポツリと、

「そろそろ行かなくちゃいけないのだ…」

この言葉とともに先生は何か入国ゲートみたいな入り口のところに立っていました。そのゲートを見ると某国の名称が書いてある。

「えぇ! 先生は拉致されていたのか?」
「いや、そんなはずはない。亡くなったじゃないか!」
「どういうことなんだ?」

夢の中とはいえ、ワシの頭の中は大混乱。冷静になって考えるのですが、まったく意味がわからない。もっとも、それが夢ってもんなんですけどね。ともかく、

「そうですか…。それじゃ、またお会いしましょう!」

なんて、よくわからないまま別れの挨拶をするワシ。そこで目が覚めました。


いや~、本当に不思議な夢でした。亡くなった人が夢に現われる場合、多くはニッコリ微笑むのみで言葉を発しません。なぜかわかりませんけど。

でもW先生はハッキリと話された。故人の声を夢の中で聞いたのは初めて。だから驚いたのです。

これはどんな意味があるんだろうか。目覚めてからいろいろ考えてみました。結論からいうと、よくわかりません。

ただ、先生の墓は家族以外はどこにあるのか誰も知りません。生前どんなに親しい関係を築いていた人すら知らないのです。何らかの事情があるにしても、墓参りをしたいなあと前々から思っていました。でも今もってその望みはかなわぬまま。

それにしても10年も前に亡くなった人が夢に突然現われるってのはどういうことなんでしょうね。ご丁寧に挨拶するために登場されたのでしょうか。それはそれで嬉しいことですが、なぜ今になって?

なんとも寂しい夢でした。
コメント

桑名再び

2011-08-22 03:43:16 | ドライブ関連
6月初旬に入院した友人を励ますため、再度三重県の桑名まで行ってきました。もちろん日帰りの強行スケジュール。

昼前に東京を出発したのですが、この日は強烈な土砂降り。当初は中央道経由で行こうと考えていましたが、八王子で通行止めとの情報が…。ならばと東名道経由で。

ところが東名も豪雨で渋滞の嵐。渋滞から抜け出せたとしても多量の雨で前がほとんど見えない状態。いやぁ、これは参ったな。今日はずっとこんな感じなのか…。

と思いきや富士川サービス・エリアあたりまで来たら、すっかり晴れ。今までの悪天候は一体なんだったのかと思うほど。ここで高速の状況をネットで確認してみると、東京から御殿場までで事故が4件ほど発生しているという。まあ、あの状態で事故らないほうが不思議か。

豊田ジャンクションから伊勢湾岸道へ。伊勢湾岸道といえば刈谷ハイウェイ・オアシスが有名。いろんなレジャー施設があります。

ここで、友人を喜ばせるために今回同行してもらったツレが「あの観覧車に乗ってみたい!」と素っ頓狂なことを言い出す始末。まあ話のネタとして乗ってみるかということに…。

(クリックすると写真は拡大します)


こんな感じで、デカい。近くから見上げると、また迫力があります。

(クリックすると写真は拡大します)


乗ってみると、意外に高く感じますね。いい景色。

(クリックすると写真は拡大します)


頂上付近はこんな感じです。

(クリックすると写真は拡大します)


そんなこんなで、桑名に到着したのは夕方。友人にはツレが行くことを秘密にしていたので案の定驚いていました。まあ喜んでくれたようで何より。今月末には何とか退院できるとのこと。もっとも、リハビリは続くそうなので手放しでは喜べませんが。

2時間程度の滞在でしたが、いろいろ談笑してきました。帰途は東名が渋滞していたので中央道で。こちらはまったく渋滞なし。順調に帰京しました。

今回の走行距離は880km。前回同様「お腹いっぱい」のドライヴでした。
コメント

一石二鳥?

2011-08-18 04:15:22 | 回想する脳みそ
以前、旧友に会った話をしましたね。そのうちのひとりとは中学時代からの付き合いで、甲子園に出場したこともあるナイスガイ。おっさんになった今でも野球への情熱は衰えていません。もっとも、現在は選手ではなく指導者として活躍していますが。

奴には今でも感謝していることがあります。それは基礎体力を作るきっかけを与えてくれたこと。あれは確か中学1年の秋頃。夕方、奴がワシの家にやってきました。

「突然どうした?」
「いや、体力作りをしようと思って家から走ってきたんだよ」
「ほぅ」

奴とワシの家の距離は約5km。決して近い距離じゃありません。そして、

「よかったら一緒に走らないか?」
「おお、いいね。やろう、やろう!」

てなわけで、その日から1年ほど天候に関係なく毎晩2人で走り続けました。基本は奴がワシの家に来て、今度は奴の家まで一緒に走るというもの。要するに毎日約10kmを走っていたわけです。

慣れれば意外にラクなんですよね。だから毎晩走れたのかもしれません。

その甲斐あって、それまでは年に一度は風邪を引いていたのが、そのランニングをしてからは健康そのもの。おっさんになった今でも医者にかかったことはありません。たぶん、あの時の「貯金」が現在も残っているのでしょう。

と、まあここまではカッコイイお話のように思えますが、実は走る「動機」は別のところにありました。もちろん基本のコースは走るのですが、いつも寄り道をしていたのです。

当時、我々は想いを寄せている女の子がいて、毎晩ランニングのついでにその子たちの家の前まで行くというコースを走っていたのでした。となると10km+αの距離になります。無論、家を見るだけで満足。呼び鈴を押してピンポン・ダッシュなんてしません。あぁ、純な少年時代でした。

それはさておき、今にして思えばあの時に体力作りをしていて良かったとつくづく思います。体力がなければ気力も続きませんし、思うような仕事もできないからです。動機は多少不純だったかもしれません。でもあのランニングがなければ今のワシはなかったといっても過言ではありません。
コメント

何度も叫ばれても…

2011-08-17 17:51:32 | 脳みその日常
なんでしょうねえ、うっかりしていると、あっという間に時間が過ぎています。すっかりブログを書くのを忘れていました。失礼、失礼。

さて、前々から気になっていたCMがあります。この会社なんですが、みなさん、よくご存知ですよね。このCMの基本パターンは次の通り。

ある家族が団らんしていると台所から悲鳴が…。
「助けてぇ~!」
すると、すぐに作業員が駆けつけて修理してくれる。
家族一同、ニッコリ ♫(テーマ・ソングが流れる)


まあ、こんな感じです。

迅速な対応、素晴らしいじゃありませんか。それはいいんです。気になるのはそこじゃありません。実はこのCM、パターンは同じなんですが「助けてぇ~!」を叫ぶ家族が違うヴァージョンがあります。おじいちゃんが叫んだり、孫娘(?)が叫んだり…。

つまりですね、同じ家族が出演しているのに叫ぶ人が違うということは、つまりこの家で何度も同じトラブルが発生しているというふうにも見えるわけです。これって、企業イメージとしてマイナスなんじゃないでしょうか。だって同一家庭で何度も同じトラブルが出るわけでしょ? ちゃんと修理してないみたいに見えるじゃないですか。いいのかなあ。

そもそも水回りの故障なんて、そう頻繁に起こるとは思えません。もし数パターンのCMを作るのであれば、せめて登場する家族は変えないと逆効果のように思えますけどね。

考え過ぎ? まあ、いいんですけど。
コメント

異業種交流

2011-08-09 04:43:42 | 脳みその日常
先日帰省した折、郷里の友人たちと旧交を温めました。

出席者全員が異なる仕事をしているので、とても刺激になります。普段会話をするのは大抵仕事絡みの人たちですからね。そうすると、どうしても会話が発展しない。知らないうちに井の中の蛙状態になります。

でも業種が違うと価値観や目線が異なるので新鮮な発見があったりします。もちろん、こちらの世界のことなんて相手は知らないですから理解してもらえないこともあります。だけど、そんなこと気にしない、気にしない。

異業種の交流会ではありましたが、それは職業人としての話。メインの話題は子供の頃の昔話です。今や昨日のことすらちゃんと思い出せない状態なのに、当時のことはなぜかハッキリと覚えている。ホント、不思議なものです。
コメント

「蜂」合わせ

2011-08-08 04:15:07 | 脳みその日常
お盆を前に、実家の墓掃除に行ってきました。

墓石を何気なく拭いていた時のこと。墓石の下側には台座があるんですが、その庇の部分に小さな蜂の巣が…。

こんなの、気づきませんよ。夢中になって拭いていたので、うっかり蜂の巣に触れてしまいました。

その先はもう書かなくてもわかりますね。ええ、大変でした。

ちなみに線香を供える部分も注意が必要です。確認せずに線香を置くと、そこに巣があったりして、直ちに蜂さんたちがスクランブル発進してきます。

ご注意あれ。
コメント

市井の偉人

2011-08-05 04:25:44 | 脳みその日常
田舎に住む大工の棟梁がいます。この人はもう後期高齢者であるにもかかわらず元気そのもの。もっとも、元気な老人は今や珍しくありません。ただ、他の人と違うのはその人間性。

たとえば日曜大工ではちょっと手に負えないことがあったとします。当然その道のプロに相談しますよね。同じようにワシもその棟梁に相談しました。

「あの~、●●がうまく直せないんですが、どうしたらいいんですかね」

すると、棟梁、間髪を入れず、

「ったく、しょーがねえな。これから行くから待ってろ!」

電話してからものの10分もしないうちに棟梁は到着。そしてあっという間に修理完了。

フットワークの軽さと腕の良さが素晴らしいのはもちろんですが、この棟梁が素晴らしいのは「自分のことよりも、まず他人のことを考える」という姿勢なんです。

大体の人はまず自分の都合を優先しますよね。棟梁だって忙しいはずなのに電話口で相手が困っていると知るや、自分のことはいつも後回し。すぐに駆けつけてくれるのは困っている相手の気持ちを考えてのことなのでしょう。

おまけに修理代の請求書を見るとまた驚き。えっ、こんな安い金額でいいの?と思ってしまいます。たぶん儲けなんてほとんどないはず。カネに執着しない人なんでしょう。

他の人に聞いても、その棟梁のことは異口同音に褒めます。つまり棟梁は知り合いだから特別扱いというわけでなく、どんな人にも同じようにするのだとか。

あなたはこんな棟梁の真似ができますか。素晴らしいと思いませんか、こうした他人のことを優先して思いやる生き方。

もちろん中には棟梁をうまく利用しようとする人もいるでしょう。便利屋のように思っている人もいるかもしれません。でも棟梁はそんなことはお構いなし。

「いいんだよ、その人が助かるんなら」

人懐こい笑顔で言葉少なに語ります。名誉や財産なんてこの人にはどーでもいいこと。ホント、見習いたいものです。
コメント

脳寿命

2011-08-04 04:27:46 | 脳みその日常
ふと思ったこと。

このブログのタイトルは「脳みそ」なんですが、そもそも「脳みそ」って何? もし老化をはじめとして様々な病的要因がなかったら、コイツは一体どれくらい生き延びるんでしょうね。

また、私たちは日々いろいろ考えたりするわけですが、脳みその中では一体どんなプロセスが行なわれているのでしょうか。さっぱりわかりません。

だって、脳みそも細胞の集積したものでしょ?そこに脳神経が張り巡らされているんでしょうけど、なぜこの回路で新しい考えなどが誕生するんでしょうね。

電気信号の増幅や何らかの複雑な変換によって「考え」や「嗜好」といったものになるんでしょうか。最近、そのプロセスについてとても興味が湧いてきました。

それより、最初に書いたように「脳みそ」は完全な保存状態ならば何年生き続けるのか…。これのほうがもっと知りたいなあ。
コメント

褒められたい症候群?

2011-08-03 03:38:54 | 脳みその日常
人というのは、どうやら叱られるよりも褒められたいらしい。最近周囲にそういう人たちが増えている気がします。

例えば、うたの教室で教えている生徒さんの話。ある時「先生、もっと褒めて欲しいわぁ…」とご要望が。
「ん?なになに、どーゆーこと?」
「良いところがあったら褒めて欲しいんですけど…」
「う~ん、良いところねぇ…」
「どこかあるでしょ?」
「う~ん、フツーだとは思いますが…」
「もぉっ!」

この人は特別上手というわけでもないので、褒めるところが見つからず。といって特に下手でもない。いわゆる可もなく不可もなくといったレヴェル。ご存知のようにワシはお世辞が言えないので、こういうタイプの人にはコメントに困ることになります。だけど、良い時にはちゃんと褒めるんですよ。うん、ほんとに。

別の例は以前書いた「会長さん」。この人は川柳が趣味らしく、新聞に度々投稿しています。他人の趣味にケチをつけるつもりはありません。むしろ趣味に生き甲斐を感じるならば良いことでしょう。

ただ、困るのはその投稿が入選するたびにそのコピーを送ってくること。嬉しい気持ちはわからんでもないですが、報告されてもねえ。第一、ワシは川柳についてはド素人だし…。

年少者が年長者に「褒めて~」というならわかります。ですが、上記の例はどちらもワシより遥かに年長者。立場が逆じゃないですか。

思うに、褒められたいという気持ちは、同時に認められたいという気持ちでもあるのでしょう。でも、なぜそういう気持ちになるんでしょうか。誰かに褒められたり認められたりすることで自信をつけたいのかもしれないですね。違う見方をするなら、褒められたいという欲求は自信のなさからくる不安の表れなのかもしれません。

もし世の中にそんな人が増えているとしたら、それはそれで社会病理として対策を考えなければいけませんね。

それにしても、このタイトル「褒められたい症候群」。単なる思いつきだったのですがネットで検索してみたら意外に多くてビックリ。それほどまでにみんな褒めてもらいたいんですかねえ。ちょっと考えさせられました。

コメント

カラーがあっていい

2011-08-02 04:07:32 | 脳みその日常
最近、某民放テレビ局がやいのやいの言われてますね。韓流に傾いていると。また俳優某がそれを批判したとして、結果的に事務所を解雇されたそうな。

これ、どう思います? なんつーか、笑止千万ですよ。俳優某の批判はたぶん的外れではないのでしょう。仮にその批判が的外れだったとしても、それを理由に解雇する事務所もどうかしてます。

ワシはそのテレビ局とは何の関係もないし、業界人でもありません。ただ、傍観者という立場から言うと、もっとやれやれ~という感じです。

そもそも民放の番組内容はどれもこれといった特徴がありませんよね。放送局が違うというだけで独自色がない。「売り」がないんです。なんつーか、みんな横並びがお好きなようで、何か事件が起きれば、各局が一斉に同じような特別番組を放送する。つまんないよ、そんなの。

中には「ウチはそんな事件は興味ありませんから!」っていうスタンスをとったっていいじゃないですか。でも、なかなかそうはできない。

何がネックになっているのでしょうか。詳しくは知りませんが、たぶん「公共の電波を使用しているから」とか「番組内容には公共性が求められるから」という理由で独自色が出せないのかもしれません。

だけど、こんなにたくさんの放送局があるんだからそれぞれが独自のカラーを出したっていいんじゃないの? 韓流を前面に出しますって局があったって、いいじゃん。反日的なスタンスをとる局があっても面白いでしょ。特定の野球チームを徹底的に応援する局だって構わない。極端に言えばその局のカラーにそったものなら内容が多少偏向してたっていいんじゃないの?

現代は視聴者がチャンネルを選ぶ時代。視聴者はバカじゃないんです。興味があれば番組を見るし、内容に偏りがあればちゃんと気づく。つまらなければ見ない。それだけのこと。

所詮民放なんだから自由奔放にやればよろしい。民放にはすべての視聴者を満足させるオール・マイティとかジャスティスなんて極論なくたっていい。公共性なんていうのは渋谷の放送局に任せておけばいいんです。国民から受信料を徴収しているんですから。
コメント

素晴らしい?…とんでもない!

2011-08-01 04:19:28 | 脳みその日常
いや~、ご無沙汰しちまいました。すみません。みなさん、お元気ですか。

さて今回は、不当に褒める(?)人の話をします。褒められるのは誰でも嬉しいもの。でもなぜ褒められるのかサッパリわからないと困惑します。この人は別にワシの機嫌を取るつもりで褒めているのではありません。なんでもワシの「生き方が素晴らしい!」のだという。う~ん、別にフツーに生きてるんですけどねえ。

このオジサン、今は年商250億円ほどの企業の会長。以前ワシの講座に出ていたのでワシのことを「先生、先生」と呼びます。まあ、どう呼ばれても構わないんですが、あまりに「素晴らしい! 素晴らしい!」と連呼されると、あんまり嬉しくなくなるもの。だって素晴らしいことをしている自覚が本人に全くないんですから…。

この会長さん、なぜワシをこんなにも褒めるのでしょうか。当人の説明によると、こうです。まず先生なのに全く偉そうな態度を取らない。そしてどんな人に対しても同じように接している。これはなかなかできるものではない。だから先生は素晴らしい…と。おまけに「きっと先生には優れたブレーンがいるんでしょうね」という推理まで飛び出した。

もうね、苦笑するしかありませんよ。フリーランスで活動している人間にブレーンなんているわけがないじゃないですか。第一、そんな優秀なブレーンを雇うカネがありませんて。

ま、ブレーンのことはさておくとして、会長さんがワシをなぜ絶賛するのか、その理由を考えてみました。彼はまだ現役だった頃は別の大企業の部長だったそうです。部下も300人はいたとか。

この経歴を聞いた時、はは~ん、そういうことかと合点がいきました。つまり、企業の中で生きるにはそれなりの処世術をもっていないとダメなんだということ。

上司と部下の関係がある限り、それぞれの立場があるでしょう。上司であればそれなりの威厳をもって部下に接しなければならんでしょうし、部下であればどんな上司であっても敬う態度をとらなければなりません。

しかし会社の上層部になるにつれて社員は徐々に経営者のあるべき姿とは何ぞやということに関心をもつようになる。そして優れた経営者の生き方をこの会長も学んだということなのでしょう。

会長がワシを絶賛するのはたぶんワシが企業の中での「価値観」を経ていないにもかかわらず優れた経営者のような生き方をすでに実践していることに驚いたからだそうな。

でもね、ワシに言わせたら最初にも書きましたが、極めてフツーのことなんですよね。ひとりの人間として他の人たちと自然に接しているだけ。相手がどんな肩書きをもった人であろうがそんなのは関係ない。思ったことはどんな人にも同じように言えばいいじゃないですか。これほどラクな生き方はないと思いますがどうでしょうか。

もちろん世の中には権威が大好きな人も大勢います。そういうタイプの人にはワシはたぶん嫌われるんでしょうね。思ったことはズバズバ言うので生意気だとか偉そうに見えるので敬遠されるのでしょう。

まあ世の中にはいろいろな人がいますからね。そんなことをいちいち気にしていては始まりません。こうだと思ったらそれを貫く。それがワシの流儀だし、考えが受け入れられなければ諦めればいいこと。それでいいと思いますけどね。
コメント