ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

四十四田公園の前衛たち

2024-07-29 06:57:27 | ドライブ関連
どーも、ワシです。前回記事にした四十四田ダムの左岸の高台は四十四田公園(住所:岩手県盛岡市上田松屋敷)と呼ばれています。そこへ登ったのはたまたま四十四田ダムの全景を撮るのが目的でしたが、なんと、そこには前衛彫刻がゴロゴロ置かれていたんです。今回は目についたものをいくつか紹介しようと思います。

背後に北上川ダム統合管理事務所が見えていますが、そこに置かれているのが「時の化石」(1989)と題されたオブジェ。作者の松川善光(まつかわぜんこう:1964- )は岩手県出身の彫刻家で、歯車をテーマにした作品を数多く残しています。国画会会員。


あら、こんなところに座布団が…。これは「寂」(1989)と題されたもの。作者の渡辺忍(わたなべしのぶ:1960- )は岩手大学教育学部特設美術科卒業。「つつむ」「むすび」をテーマとした作品を残しています。国画会会員。


「内在する風景」(1989)。作者の内沢薫(うちざわかおる:生年不詳)については情報がありませんでした。ただ、同姓同名の方が岩手県の教員におられるのでその方なのかもしれません。


「VENUS ー 大地」(1992)。作者は岩手県出身の長内努(おさないつとむ:1958- )。岩手大学大学院教育学研究科美術教育専修修了。



ほかにもまだあるようでしたが、公園はとにかく草に覆われていたのと次の目的地のことで頭がいっぱいだったため慌ただしく立ち去りました。
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行く手を塞ぐ土砂!

2023-06-21 06:54:18 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回は国道152号から遠山川沿いに遡って行き、2つの砂防ダムを見ようと思います。2つのダムのひとつは長野県飯田市上村(かみむら)にある北又砂防ダム。もうひとつは長野県飯田市南信濃木沢(みなみしなのきざわ)にある本谷砂防ダムです。どちらも高さは30.0mで、これは長野県の砂防ダムでも第7位にランク付けされる巨大なもののようです(参考)。ちなみに以前訪れた下伊那郡平谷村にあるうつぼ砂防ダム(1992年築造)や松本市にある牛伏寺砂防ダム(1970年築造)、そして大町市にある長畑砂防ダム(2002年築造)もやはり30.0mなのでこれから訪れる2つのダムもおそらくこんな感じなのかなあと期待に胸が膨らみます。

で、北又砂防ダムまであと5kmくらいのところまで来た時、思わぬ事態に遭遇!


いやいや、思いっきり土砂崩れしてますやん。土砂が完全に道を塞いでいます。

土砂崩れの斜面を見上げます。うーん、なかなかの規模の土砂崩れです。


いうまでもなく万事休す。北又砂防ダムの先にある本谷砂防ダムももちろん諦めざるを得ません。土砂崩れの光景があまりに衝撃的すぎて遠山川沿いを走る林道のことを忘れていました。もしかするとこの林道からなら行けたのかもしれません。ただ、林道ですからね。クルマで行けない可能性もあるわけで…。

今回痛感したのはダムのある場所を舐めてはいけないということ。特に砂防ダム(堰堤)が築造された場所というのはかつて災害が発生した場所でもあり、災害を防止するためにダム(堰堤)が築造されたわけです。だから見学するのならそうしたリスクに遭遇することも想定した上で行く必要があるということですね。たまたま今回は巻き込まれなかったからラッキーだっただけで…。

2つの砂防ダムを見ることができなかったのは残念ですが、また機会を見つけて訪れてみようと思います。
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よっ!伯耆富士!

2023-06-10 06:57:42 | ドライブ関連
どーも、ワシです。いや〜、鳥取県の大山(だいせん:標高1,729m)ですよ!別名伯耆富士(ほうきふじ)と言われる通り、確かに富士山に似ていますね。大山は知識として知っていましたが、実際に見ると圧倒的な存在感!


ちょっとした感銘を受けました。
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あさご芸術の森は面白い!

2022-12-09 07:14:19 | ドライブ関連
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市多々良木(あさごし たたらぎ)にある円山川水系の多々良木ダムへ向かおうとしたんですが、国道312号の「多々良木」信号からダムへ向かって行くと、それはもう魅力的な物体が目白押し。なので、今回はダム巡りではなくその魅力的物体の数々をご紹介したいと思います。

まず最初に目にしたのものがこちら。道沿いにゴロンと並んでいるのでビックリします。タイトルは「Seven Friends」(2013)。作者は帝塚山大学 安井健二研究室。



予想外の物体の出現に戸惑いながらダムへ向かって行くと、ダム下には現代芸術がゴロゴロ。案内板によると、このあたりは「あさご芸術の森」というらしい。


主だったものを見ていきます。

「MY FAMILY」(1999)。作者の中岡慎太郎(なかおかしんたろう:1957- )は岐阜県大垣市出身。多摩美術大学彫刻科卒業。(参考



「浮く石」(1999)。作者の植松奎二(うえまつけいじ:1947- )は兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部美術科卒業。(参考



「ブルーチーズ(森のなかで…)」(2003→2017)。作者のクボタケシ(久保健史:1974- )は兵庫県出身。宝塚造形芸術大学卒業。(参考



「円の仕掛/未来飛行」(2000)。作者の生形貴春(うぶかたたかはる:1948- )は大阪府出身。花園大学文学部卒業。(参考



「KEN」(2019)。作者の青野セクウォイア(1982- )はナポリ生まれの東京育ち。東京藝術大学大学院彫刻専攻修了。(参考



「『最後の午餐』に集合した一同」(1998)。作者の藤原吉志子(ふじわらよしこ:1942-2006)は東京都出身。東京藝術大学美術学部卒業。(参考




「おつきさま」(2001)。作者の澄川喜一(すみかわきいち:1932- )は島根県鹿足郡六日市町(かのあしぐんむいかいちちょう)/現在の同郡吉賀町(よしかちょう)出身。東京藝術大学大学美術学部彫刻科卒業。(参考



などなど…。

そして、多々良木ダムの直下にあるのが「あさご芸術の森美術館」。記念館名となっている淀井敏夫(よどいとしお:1911-2005)は地元朝来市出身の彫刻家で、東京美術学校(現在の東京藝術大学大学美術学部)彫刻科卒業。同大学教授、二科会理事長を歴任。2001年には文化勲章を受章。



美術館前にあるモニュメント。これも格好よろしい。


そのほかにも周辺には現代アートがたくさん展示されているようです。いや〜、朝来市に移住したくなるくらい面白いです。

次回はいよいよ多々良木ダムへ向かいますよ!
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鳴子ダム関連の諸々

2022-09-29 10:33:43 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回はダムじゃありません。昨日記事にした上大沢ダムから次の目的地である鳴子ダムへ向かう途中、国道108号を走っていると道沿いにこんなものを見かけました。



「ふるさと緑の道」

気になったので立ち寄ってみました。調べてみると、これは宮城県政100年を記念して昭和47年(1972年)に整備されたものだそうです。そのルートは大きく分けて奥羽山系ルート(254km)と北上山系ルート(103km)の合計357kmからなる道で、17のモデルコースに細分化されているそうな。これらを回ることで宮城県の豊かな自然に親しむことができるんだそうです(参考)。なので、この場所は「ふるさと緑の道」の起点というわけではなく、モデルコースの1つの途中にあるというだけの話。ふぅ〜ん。

その敷地内には直立した銅像が建っています。この人物は誰なんだろうか…。



どうやら地元出身の政治家である高橋清治郎(たかはしせいじろう:1894-1957)のようです。明治大学の教授から衆議院議員となり、国民年金制度創設に尽力。そして鳴子ダムの築造にも貢献したそうな。なるほど、だから銅像は鳴子ダムのほうを向いているんですね。この銅像は彼の没後30年を記念して1987年に地元有志により建立されたそうです。





近くには「荒雄川発電所 水没の碑」があります。



その裏側には説明文が。転記すると、

「荒雄川発電所 水没ノ碑
昭和二年元仙北電気株式会社 此ノ地に出力八百五十K wノ水力発電所ヲ建設セルモ ソノ后宮城県電東北配電東北電力ヘト継承サレ 昭和三十二年鳴子ダムノ建設ニ伴イ水没ス ココニ往時ヲ偲ビ記念スルモノナリ
昭和四十五年八月」



【江合川の由来】(参考
補足すると、鳴子ダムは江合川(えあいがわ)を堰き止めて築造されたのですが、江合川は源流の荒雄岳(あらおだけ:標高984m)から鳴子ダム下流の旧岩出山町付近までは荒雄川とも呼ばれ、そこから下流は玉造川(たまつくりがわ)とも呼ばれています。現在ではそれらを統一する名称として江合川と呼んでいますが、その由来は下流の大崎平野の中心である旧古川市の江戸時代以前の地名「江合村」にちなむもののようです。

なるほど、だから鳴子ダムの左岸を走る国道沿いのこの地に高橋清治郎の銅像や水没の碑があるんですね。

学びました。
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ニョキニョキ&うおっ!

2022-07-23 06:54:00 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回は県道46号と県道61号が邂逅する「空港入口」交差点付近で面白いものがあったのでご紹介しようと思います。その場所とは秋田県立中央公園芝生広場なんですが、その交差点にさしかかった時、こんなものが!地面からニョキニョキ石が生えています。まるでストーンサークルのよう。調べてみると、これは伊藤邦衛の制作したオブジェらしい。伊藤邦衛(いとうくにえ:1924-2016)は広島県出身の造園家、環境デザイナーで、日本各地の造園を手がけたことで知られています。



休憩所を挟んだ隣には、これまた強烈な何か…。実際に目にすると「うおっ!」と声が出ます。地面が割れてる…。そんな感じ。リンク先の説明によると、これは噴水らしい。水がないと異様だね。でも誰がデザインしたんだろうか。



ドライブしているとホント予期せぬものと遭遇します。だから止められないんです。
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やまばと以外、立入禁止?

2022-07-03 06:57:10 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県横手市山内大松川(さんないおおまつかわ)にある雄物川水系の大松川ダムを目指そうと国道107号から県道273号へ入ったのですが、県道に入ったすぐのところで、ある建物に目がいきました。それは…、





「やまばとの宿」?

一体、なんでしょうね、これは。バス停の待合所のようにも見えますが、そうでもなさそう。ガラス越しに中を見ると、色々なポスターが貼られています。地域の掲示板のような役割をする場所なのでしょうか。

中を確認しようと勇気を出して引き戸に手をかけて入ろうとしたんですが…鍵がかかっていて入れず。

結局、これが何なのかは分からずじまい。ご存知の方がおられましたら、教えてください。

ちなみに調べてみると、「やまばと」はここがまだ2005年9月30日まで山内村(さんないむら)だった頃の村の鳥のようです。それが「やまばとの宿」と関係があるのかは分かりません。
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なぜ、ここに…

2022-06-28 06:59:19 | ドライブ関連
えー、どーも、ワシです。今回は秋田県仙北郡美郷町六郷東根(せんぼくぐん みさとちょう ろくごうひがしね)にある雄物川(おものがわ)水系の湯田ダムに向かうべく県道12号から「六郷温泉あったか山」の看板のあるT字路を入って行きました。す、するとですね、途中にある街灯をふと見ると、



あれあれ、これはどこかで見たことのあるキャラクターですよ! なんだったかな…そうだ、植田まさしの漫画だ!

でも、なぜここにそれがあるんでしょうね。調べてみると植田まさし(1947- )は東京都生まれで、秋田県とは特に関係がないようです。じゃあ、どういうことなんでしょうか。さらに調べていくと意外な「事実」が判明。

まず、このキャラクターの名前は「ユウちゃん」。名前の由来はここ六郷は湧水で有名であること、楽しく遊ぶの「遊」、優れているの「優」、みんなの友達である「友」。これらからカタカナの「ユウ」が採用され、結果として「ユウちゃん」に決まったそうな。

じゃあ、植田との関係は? さらに調べると彼の代表作である『コボちゃん』の主人公、田畑小穂の父親である田畑耕二の出身が秋田県仙北郡美郷町という設定になっていること、また植田の妻がかつてここが六郷町(ろくごうまち)だった頃の町長の姪に当たることがわかりました。ちなみに六郷町は1891年から2004年10月30日まで存在した町で、翌11月1日からは千畑町(せんはたまち)、仙南村(せんなんむら)と合併して美郷町になっています。

なるほど、そういう経緯で「ユウちゃん」は誕生したんですね。なお、「ユウちゃん」は街灯だけでなくマンホールや美郷町のバスにも「登場」しています。(参考)(参考)(参考

納得したところで、明日は当初の目的地である湯田ダムをレポートしますよ!
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本州最南端の地へ!

2022-02-10 15:04:50 | ドライブ関連
どーも、ワシです。いや〜、ついに紀伊半島の端、つまりは本州最南端の潮岬に来ちゃいました。せっかくなので和歌山県東牟婁郡串本町潮岬(ひがしむろぐんくしもとちょうしおのみさき)にある「本州最南端の碑」を見に行くことにします。アクセスは県道41号から潮岬観光タワー付近から歩いて行くとあるようです。

到着しました。おーおー、これこれ。ネットで見たことのあるやつだぁ。 



その近くには似たように石碑。位置は北緯33度26分、東経135度46分。1987年7月に完成したもののようです。







近くの建物の傍に「顕彰碑」と記されたものが。



何だろうかと読んでみると、1878年から1941年まで日本人は北部オーストラリアの木曜島で真珠貝などの採取に従事し、地域産業の発展に貢献したそうな。そして日本人移民渡航100年を記念して1979年に木曜島の日本人墓地の中に慰霊塔が建設されたことを受け、採取に従事した人々の故郷であるこの地にその功績を称えて1998年9月に「顕彰碑」が建立されたようです。(参考



そもそもオーストラリアにおいて真珠貝採取業は1849年に西オーストラリアのシャーク湾でメキシコ・アコヤ貝の中から真珠が発見されたことに始まる。真珠採取の仕事は当初先住民やマレー系の労働力に依存していた。ところが彼らは潜水具の装着を嫌がったため、潜水具を装着する白人ダイバーに取って代わる。しかしそれでも死亡率が10パーセントという危険な仕事であることに変わりはなかった。

そんななか、ひとりの日本人が木曜島に降り立つ。島根県出身の野波小次郎である。野波はイギリス商人に同行して2年間の世界航海を終えた後、1876年に木曜島行きのラガー船のポンプ労働者として契約を結ぶ。そしてそこで潜水技術を学び、トレス海峡で有名な潜水夫となる。その後日本人は続々とオーストラリアへ渡航し、1883年には15人もの日本人が木曜島で真珠貝採取の仕事に携わることに。

日本人の優れた仕事ぶりは白豪主義による有色人排斥の傾向が強かった当時の風潮にあっても高く評価されることとなる。翌年にはオーストラリアの真珠貝業者がわざわざ日本へ来て潜水夫として渡航する者を募集しているほどだ。それほどまでに日本人の潜水夫の技術は高かったということなのでしょう。ちなみに1926年までにトレス海峡で従事していた潜水夫の99パーセントは日本人だったそうな。(参考

ほぉ、なるほどね。それはそうと、顕彰碑の上部にあるタコ入道みたいなものはなんだろうか…。気になりながら、すぐそばにある潮風の休憩所に入ると館内には興味深い資料がたくさんありました。受付のおねいさんに撮影許可をもらったので、その一部をご覧ください。

(年表)

(木曜島について)

(当時のダイバースーツ)


あっ、顕彰碑にあったのはこれです。ダイバーヘルメットだったのか…。





そういえば、ここ潮風の休憩所の入口脇にある銅像が気になったので受付のおねいさんに、「この銅像の人はどういう方なんでしょうか?」と訊ねると「ああ、下村宏(1875-1957)は号は海南と言い、昭和前半に活躍した官僚、政治家です。NHK会長(1943-1945)も務めました。また、戦争終結の際の玉音放送にも関係があるらしいですね」

…と、満面の笑みでお答えになる。

「へえ、そうなんですか。で、ここに銅像があるということは下村さんは串本町の出身で?」

すると、おねいさん、「いえ、よその人です!」とキッパリ。よくよく聞いてみると和歌山市出身らしい。うーん、確かに串本町の出身ではないにしても「よその人」って冷たく言い放つのは何か理由があるんでしょうか。でも、満面の笑みから一転して真顔になるところで、思わず苦笑してしまいましたよ。

ささ、次回からはまたダム巡りが始まります。
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おいしさの謎

2021-08-25 06:43:32 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今日は原稿を書くのに追われているので短めにしときます。



これなんですが…。

関東甲信地方にお住いの方なら良く見かけると思います。そう、お菓子メーカーのシャトレーゼのトラックに書かれたキャッチ・コピーです。

キャッチ・コピーってのはそれを見た人の記憶に残るのが重要。現にワシの記憶に残っちゃってますからね。まんまとシャトレーゼの術中にハマっているわけです。

でも、まてよ、「人を想うおいしさ」ってどういう意味なんですかね。おいしさって、一体なに?

わからんなぁ。
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これは?

2021-07-28 06:55:14 | ドライブ関連
新潟県の郊外を走っているとよく目にするこれ。一体なんなのでしょうか。ここは雪国なので大量に雪が積もったら二階部分から脱出するためのもの? でも仮に脱出できたとしても周囲は一面雪なわけですよね。それから先はどうするんでしょうか…。



ご存知の方は教えてくださいな。
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越後妻有のマウンテン

2021-07-09 06:56:28 | ドライブ関連
どーも、ワシです。今回目指すのは新潟県柏崎市にある栃ヶ原ダムなんですが、十日町市清水から桐山に向けて県道219号を走っていたら田園風景の中に突如こんなものを発見!



いや〜、田園風景とモダンアート。なんたる組み合わせ! それにしてもこれはなんでしょうね。看板を見ると「ECHIGO-TSUMARI」とあります。帰宅して調べてみると、それは「越後妻有(えちごつまり)」という新潟県南部の十日町市と津南町の妻有郷を総称する地域名だそうな。(参考

この名称をネーミングにした芸術祭が2000年から始められた「ECHIGO-TSUMARI」と呼ばれるもので、3年に一度開催されるトリエンナーレです。ただし、展示される場所は越後妻有のみならずその周辺の6つのエリアからなります。

で、この前衛作品である「マウンテン」(2006年)はイギリス、ウェールズの街バンガー生まれの彫刻家、リチャード・ディーコン(1949- )が手がけたもの。題名のマウンテンは妻有の山々をイメージしたものらしい。

近寄ってみます。ほぉぉぉぉぉぉ。



でも、すぐそばに置かれたこの2つのポークビッツみたいなものは何を意味するんでしょうね。



今年もその芸術祭は開催されているようなので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
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忘れちゃいけないもの

2021-06-29 06:50:53 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、大町ダムへの入口とは反対側のところにちょっとした広いスペースがあります。そこには2つのモニュメントが…。気になったので近づいてみます。

道路側にある1つめがこれ。何を表現したものなんでしょうね。



モニュメントの下の説明文を読んで思わず震えました。そうです、ここから4キロほど離れた湿地帯で、あのオウム真理教によって誘拐・殺害された坂本弁護士の息子、当時1歳2ヶ月の龍彦ちゃんの遺体が発見されたのでした。ホント、あれは凄惨な事件でしたね。二度とあのような悲劇を起こしてはなりません。当時を思い出していたら、再び怒りの感情が湧いてきました。なぜ正義のために立ち上がった人間(一家)が犠牲にならねばならなかったのか…と。



怒りを鎮めるため、もう1つのモニュメントへ。おっと、これは泉小太郎君ではないですか!リアルな竜はもちろん見たことがないので、似ているとも似ていないとも言えません。でもその活き活きとした姿は今にも動き出しそう。



その横にある石碑には泉小太郎伝説が記されています。





色々と考えさせられる瞬間(とき)でした。
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毎年開催…大鹿歌舞伎

2021-02-25 07:01:15 | ドライブ関連
長野県下伊那郡大鹿村に来たので、何かないかとキョロキョロ。すると国道152号沿いに道の駅がありました。その名も「歌舞伎の里 大鹿」。何ですかね。気になります。



早速建物に入ってみました。その入口には「大鹿歌舞伎 春の定期公演 大磧神社」と題した切り絵が飾ってありました。



建物内に観光案内所があったので向かうと誰もおらず。代わりに隣の売店の女性に尋ねてみました。

「あの〜、すみません」
「はい、何でしょうか」
「大鹿歌舞伎について伺いたいのですが…」
「あ〜、今日案内所の担当者はお休みなんですよね」
「そうなんですか」
「ええ」
「じゃあ、大鹿歌舞伎についての資料みたいなものはありませんか?」
「ええっと…。そこにあるパンフレットくらいしか今は…」

で、いただいたパンフレットによれば、大鹿歌舞伎は国重要無形民俗文化財であり、毎年春と秋に場所を変えて定期公演が行なわれているそうな。しかも演目はご覧のようにたくさんあります。



定期公演が行なわれる2つの神社の地図です。



こんな感じなんですね。ちなみにこれはパンフレット置き場にあったビニール製の手提げ袋。これもいただきました。



「いや〜、かなり本格的なんですね」
「ええ、私も子供の頃に舞台に出たことがあるんですけど、熱気がありましたよ」
「えっ? この歌舞伎の舞台に上がった?」
「ええ、まあ」

さりげなくびっくりするようなことを言うこの女性。聞けば地元のフツーの主婦だそうです。つまり大鹿歌舞伎はそれだけ昔から地域に根ざした文化なのでしょう。あとで調べてみると、大鹿歌舞伎は上演記録を遡ると江戸時代の1767年には行なわれていたようです。以来、こんにちまで続いているそうな。(参考

娯楽とはいえ、いや~、すごいな。

長野県の歌舞伎といえば、他に以前ちょっとご紹介した伊那市の中尾長谷地区に伝わる中尾歌舞伎があります。こちらは伊那市の無形民俗文化財に指定されていますが、大鹿歌舞伎のようにずっと続いていたわけではありません。(参考

いずれにしても、長野県の南信地区にこのような歌舞伎文化があることは驚きですね。
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トトロ岩だそうで…。

2020-10-08 07:07:08 | ドライブ関連
前回の八ヶ川ダムの西南西の方角、日本海沿いに走る国道249号のところで見かけたのがこれ。



まあ、確かにトトロのようにも見えます。

でも、岩単体で見たらどうなんでしょうか。



ワシはアニメには全く興味がないので単なる岩にしか見えないんですけどね。
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