ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

相馬野馬追がテーマ…真野ダム

2021-12-31 07:02:44 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県相馬郡飯館村大倉松ヶ平(いいたてむらおおくらまつがだいら)にある真野川(まのがわ)水系の真野ダムを訪れます。アクセスは県道268号沿いなので迷うことはありません。ちなみに真野川という名称の川はここの他に宮城県石巻市、新潟県佐渡市、滋賀県大津市にもあるようです。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。



県道を登ってくると、最初に目に入るのがこのデカい表示板。おおっ、なんだなんだ?と思いますよ。



その裏側には真野ダムの案内図が記されています。当該ダムは真野川総合開発の一環をなすものとして洪水調節、流水の正常な機能維持、都市用水(水道・工業)の供給、発電を目的とする多目的ダムとして1983年に着工し、1991年に完成したそうな(参考)。







左岸のダム横にあるこの建物が「福島県真野ダム管理所」。





ダム上から管理所を見るとこんな感じ。



管理所の脇には真野ダムの位置を示す地図があります。でもこれ、南北が逆になっていて、ちょっと戸惑いますね。



管理所からダムを見るとこんな感じ。



ダム湖名は「はやま湖」。真野ダムの周辺には色々なものがあるようです。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう!



ダム上の通路には1952年に国指定重要無形民俗文化財に指定された「相馬野馬追(そうまのまおい)」の様子を描いたイラストの陶板が嵌め込まれています。

相馬野馬追の起源は相馬氏の遠祖に当たる平将門(903頃-940)が下総國相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生の馬を放ち、それを敵兵に見立てて軍事訓練したことに始まるとされ、江戸時代以降には、特に相馬中村藩第五代藩主である相馬昌胤(そうままさたね:1661-1728)の時代より軍事訓練から祭典へと変化します。

ところが1868年の戊辰戦争で相馬中村藩は明治政府に敗北し、廃藩置県により消滅すると相馬野馬追も一旦途絶えてしまいます。しかし相馬太田神社が中心となって野馬追祭の復興を図り、1878年に内務省の許可が下りて正式に野馬追祭が復活。現在では毎年7月の最終土曜日・日曜日・月曜日に南相馬市の雲雀ヶ原で開催されているそうです(参考)。真野ダムに嵌め込まれている陶板はこの祭りの一連の行事の模様が左岸側から順に描かれているというわけです。

出陣

七曲

古代甲冑競馬

神旗争奪戦

?(読めず)


ダム上、中央から見た貯水側の景色。



ダム中央に設置されているラジアルゲートから見た真下の様子。69mの高さはまあまあの迫力です。



真下には真野発電所があります。



下流側の遠景。



ダム上、中央には地理的に真野ダムの位置がわかるようになっています。



ダム上の欄干には走る馬のデザインが数種類描かれています。これはそのひとつ。



そうこうするうちに対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上は多少アーチがかかっていますね。



右岸、はやま湖側から見たダムの様子。



右岸、下流側から見た「ご尊顔」。うん、これも絵になるねぇ。ダム本体の洪水吐は越流式。



真野ダムはバブル景気時代(1986-1991)に築造されただけあって、それなりにカネをかけているのがわかります。もっとも、見学者の立場からすると見所がたくさんあって嬉しい限り。それに勉強にもなります。

ああ、そうだ。今日は大晦日。当ブログをご覧の皆さん、今年もお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね。…といっても、明日から引き続きダム巡りの記事を書いて行くんですけどね。

良いお年をお迎えください!
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再訪決定!…高の倉ダム

2021-12-30 07:07:16 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県南相馬市原町区高倉細倉(みなみそうましはらまちくたかのくらほそくら)にある新田川水系の高の倉ダムを訪ねようと思います。アクセスは県道62号から途中で水無川に沿って走る道を進んでいくと当該ダムの左岸へ辿り着けるようです。

ところが訪れた日はその道が工事中で通行止。仕方ないので県道に戻り、右岸のほうへいってみることにしました。

県道からダムの右岸へ入るところに、いきなり「鳥獣慰霊碑」が。2001年10月に建てられたもののようです。一体何の目的で建立されたんですかね。それよりも気になったのは石碑の下部に書かれた「原町市西部地域行政区」の文字。気になったので調べてみました。原町市(はらまちし)とは1954年から2005年末まで存在した地名で、翌年から鹿島町(かしままち)と小高町(おだかまち)と合併し南相馬市になったそうです。なるほど、だからこの慰霊碑建立当時は原町市だったんですね。



そこから貯水湖を見るとこんな感じ。



その横の道からダム上へ行けるようです。行ってみましょう。



この道を行くとダム上に通じているようですが、実は訪れた日、ここは関係者以外立入禁止になっていました。なので行けるのはこの辺りまで。



ズームしました。たぶん写真中央に見えるガードレール付近からダム上になるんじゃないかと思います。



結果としてダム上に行くことができなかったので、せめて「ご尊顔」が見える場所がないか県道を下流方面へ向かい、途中に脇道があったので歩いて行ってみました。すると途中に水門のような施設があり、



さらに進むと、「高ノ倉隧道」と記されたトンネルが。方角的にみると、おそらく高の倉ダムから分水した水が水無川の右岸にある田畑に供給されるための水路なんじゃないかと思われます。





まあ、こんなわけで今回は高の倉ダムの周辺しか見ることができませんでした。次回訪ねることがあれば、是非とも「本丸」に近づきたいと思います。
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原町区の「大谷地ため池」

2021-12-29 07:08:14 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー今回は福島県南相馬市原町区押釜大谷地(みなみそうましはらまちくおしがまおおやち)にあるため池に行ってみます。アクセスは福島県南相馬市原町区押釜前田(まえた)にある高座(たかくら)神社の西側になります。

農村の道から小高い場所に目的のため池があります。ここへはクルマで行けないので道路端にクルマを停めて歩いて登ります。どうやら右岸に洪水吐があるようです。写真は洪水吐からの排水路を撮ったもの。



登ってきました。これが右岸から見た、いわゆるダム上。



近くには越流式の洪水吐があり、増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



右岸、貯水側から見た様子。



ダム上は草ボーボーすぎて歩くのを断念。そこで右岸近くから貯水側の様子を撮りました。



一方、下流側の景色はこんな感じ。写真の右に見える森が高座神社。



以上の写真からわかると思いますが、ここには何も看板がありません。一体なんという名称なんだろうか。気になったので近くの畑で作業している人に聞いてみることに。

「あのー、すみません」
「なんだ?」
「ここのため池はなんという名前なんでしょうか」
「あ゛ー、ごごば〓◎ゞ〆∃⁂◆○♂…だど?」
「えっ?」
「んだ!」

んー、困ったな…さっぱり理解できません。これが本場の相馬弁ってやつなんでしょうか。早口でまくし立てられるので余計にわからんのです。でも一所懸命説明してくれるので、悪い人ではなさそう。むしろ気の良い農家のおじさんです…といっても、たぶんワシと同じくらいの年齢かなあ。

それでも30分くらい立ち話をして粘ったのですが、結局断片的にしか理解できずにその場を去りました。

帰宅してから改めて調べてみると、どうやらここは「大谷地ため池」というらしい(参考)。

話の内容はわからんながらも、ほのぼのとした時間でした。こういうのもまた楽しいものです。
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原町区の「越田ため池」

2021-12-28 07:11:16 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや〜、地図を見ているとこのあたりにはやたらとため池が多いんですね。しかも無名の。このままいくと「ため池ウォッチャー」の蟻地獄にハマりそうなので少し冷静になることにしました。

…と言いながらも次に向かった先は福島県南相馬市原町区押釜越田(はらまちくおしがまこえだ)にあるこのため池。アクセスはこれまた説明が難しいんです。原町区押釜にある高座神社(たかくらじんじゃ)の横の川を遡って行ったところに今回のため池があります。

ため池の左岸に到着です。



これがいわゆるダム上になります。



おーっと、近くにはなんと「越田ため池」の文字が! もちろんグーグル先生の地図にも国土地理院の地図にも載っていません。でも現場に「証拠」があるので間違いないでしょう。ちなみにこのデータにも記載されているので「越田ため池」で確定です。



ダム上を歩いてみます。その中央付近から貯水側を見るとこんな感じ。



一方、下流側を見るとこんな景色です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



洪水吐は右岸側にあります。越流式ですね。



違う角度から。



増水時になると水は洪水吐から溢れ出て、あちらのほうへ流れてゆきます。



この付近のため池にはその名称を示す看板がほとんどありません。でもここにはちゃんとあったのでやれやれという感じでした。だって何もないと気になるじゃありませんか!少なくともワシは気になってしまうんです。
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原町区の「前田ため池」

2021-12-27 07:53:02 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回も昨日に続きグーグル先生の地図で見つけた名称のない堰堤(?)に行ってみます。場所は福島県南相馬市原町区押釜前田(みなみそうましはらまちくおしがままえた)。アクセスは説明が難しいのですが押釜神社の近くで、目的地はその南にあります。

到着しました。これのようです。



右岸の貯水側から見るとこんな感じ。写真下方に見えるのが洪水吐です。



いわゆるダム上の通路は洪水吐を跨ぐような橋と直線的に繋がっているのが一般的な構造なのですが、ここは違います。ダム上のところに橋がありません。写真を撮った場所から分かるように洪水吐から10数メートル下流に橋があります。



この水路を通って溢れ出た水はあちらへ流れてゆきます。



で、これがいわゆるダム上。



右岸のダム上から洪水吐はこのように見えます。洪水吐といってもただの排水路にしか見えませんが…。



フカフカなダム上の中央から見た貯水側の景色。



一方、下流側はこんな感じ。写真中央に見える数本の木があるところが先ほど書いた押釜神社。これじゃあ目印にならんか…。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



むしろ目標にするなら右岸側にあるこれを目指したほうが良いかもしれません。



何だろうと思って近づいて見ると、ため池の底に溜まった放射性物質を含む土壌を除去して一時的に保管する場所らしい。なるほど、ここも堰堤でなく、ため池なんですね。



でも、あるのはこの看板くらい。最も知りたいこのため池の名称が記されていないんです!



地元の人に聞けばわかるのかもしれませんが、あいにく近くに人はおらず…。とほほ。

(追記)
調べてみたらこのため池の名称は「前田ため池」と言う農業用のため池のようです(参考)。
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原町区の「地切ため池」

2021-12-26 07:09:52 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日は世界が盛り上がる日でしたね。ワシは全く興味がありませんが。ふと17年前、ここに書いた記事を思い出しました。興味のある方はお読みください。なんだろうね、突然思い出すってのはさ。

さて、今回訪れるのは福島県南相馬市原町区馬場地切(はらまちくばばじぎれ)付近にある名称不明の堰堤です。グーグル先生の地図を見ていたら気になったので行ってみました。アクセスは県道49号沿いにある山田工業を常磐自動車道方面へ曲がり、突き当りを左折。そして道なりに進んで行くと到着します。

これですね。なかなか立派な貯水池(?)です。



これがいわゆるダム上になります。でも門が閉まっていて行くことはできません。



仕方がないので左岸の下流側から堰堤を眺めてみます。



左岸から下流側を眺めるとこんな感じ。



次に貯水側から堰堤を眺めます。写真では見えませんが右岸のほうに洪水吐が設置されているようです。



左岸から貯水池を眺めるとこんな感じ。暗いけれど夕方じゃありません。昼過ぎなんですけどねえ。



この看板を見たら「ああ、ため池なんだな」とわかりました。



でも、名称が記してないのでなんというため池なのかは不明。

(追記)
調べてみたら名称が判明しました。この資料によると名称は「地切ため池」で農業用のため池らしい。
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沈まぬために!…横川ダム

2021-12-25 06:58:39 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県南相馬市原町区馬場滝(みなみそうましはらまちくばばたき)にある太田川水系の横川ダムを訪れます。アクセスは県道49号(原町浪江線)沿いにダムの入口があるのでわかると思います。

それにしても横川ダム? 同名のダムがそういえば長野県上伊那郡辰野町山形県西置賜郡小国町にありましたね。それはさておき、不思議なのは今回の横川ダムは太田川を堰き止めて築造されたのに名称は横川ダム。どういうことなんでしょうか。なぜ太田川ダムじゃないんでしょうね。調べてみるとこのダムの上流に横川渓谷というのがあるそうで、ダム名はそれに由来すると思われます(参考)。

まずは「ご尊顔」をご覧ください。



先ほどダムへのアクセスは県道に入口があると書きましたが、正確に記すと2つあります。上流側からの入口と下流側からの入口です。ただし、上流側の入口から行くことはできません。「関係者以外立入禁止」の看板が見えますね。写真は暗く夕方みたいですが逆光なのでそう見えるだけ。実際には明るいんですよ。



その場所から上流側を眺めるとこんな感じ。



最初は上流側から来たので「ああ、このダムは近づくことができないのかな…」と暗い気持ちになったのですが、「滝トンネル」を抜けたところにもうひとつの入口を発見。下流側の入口がそれです。早速進んでみることに。

すると、目に飛び込んできたこの建物が「横川ダム管理事務所」。





ダムはこの奥にあります。その途中にあるのが水利使用標識。農業用水と工業用水のためのダムらしい。で、この記事の最初のリンク先に書かれているように、このダムの建設の経緯は次のようなものでした。

つまり昭和35年(1960年)頃から太田川の下流域で地盤沈下現象が発生。その現象が年々酷くなっていったため東北農政局が調査に乗り出します。その結果同局が昭和54年(1979年)発表した「地盤沈下に関する報告書」によるとその原因は地下水の過剰な採取と最終的に判明。地盤沈下をこれ以上の進行を防ぐには地下水採取を規制するしか方法がなく、代替水源を見つけることに。

一方、福島県も昭和51年(1976年)度より独自の県営地盤沈下対策事業としてこの横川ダムの建設に着工したそうな。そして昭和59年(1984年)にダムが完成し、ここから工業・農業用水を供給することで、以来地盤沈下の進行が鈍化し効果を上げているようです。



ダム横近くには「定礎」と刻まれた石碑。1979年6月とあります。



左岸の上流側には横川ダムの概要が記された案内板があります。





「滔々豊饒」(?)と記された石碑。横川ダムが昭和59年(1984年)7月竣工に際して置かれたもののようですね。



では、ダム上を歩いてみることにします。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。向こうに見える道路は県道49号。



一方、ダムの真下はこんな感じ。78.5mの高さはまあまあの迫力!



ついでに、ラジアルゲートのところから落水の様子を撮ってみました。



下流側の遠景はこんな感じ。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



右岸、下流側からダムを見るとこんな感じ。



ダムから供給される水によって下流域の地盤沈下が食い止められるとすれば、これほど素晴らしいことはありませんね。Bravo !
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情報はほぼ皆無…鉄山ダム

2021-12-24 06:50:24 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県南相馬市原町区馬場五台山(はらまちくばばごだいさん)にある太田川水系の鉄山(てつざん)ダムを訪れます。ダム名は地名に由来するようです。アクセスは県道49号(原町浪江線)沿いなので迷うことはありません。

到着しました。アースダムのようですね。



しかしダム上に行くことはできません。フェンスでガッチリとガードされています。



仕方がないので、左岸から貯水側を見るとこんな感じ。



そして下流側はこんな景色です。



左岸のダム横には放射線モニタリングポストが設置されています。訪れた時の空間線量率の数値は「0.547μGy/h」と表示されていますが、この値が危険なのかそうでないのかは素人にはサッパリわかりません。





その隣には何かの石碑。ほとんど風化していて文字すら読めません。



左岸、上流側の県道から見たダムの様子。向こうの右岸に見えるコンクリート部分がたぶん洪水吐と思われます。



…と、まあこんな感じですが、ここが鉄山ダムという表示はどこにもありません。一応地図ではそう書いてあるのでそうなんでしょうね。(テキトー)
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他の道を探すか…小塚ダム

2021-12-23 07:01:15 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県双葉郡大熊町野上姥神(おおくままちのがみうばがみ)にある熊川水系の小塚ダムを目指します。アクセスはグーグルマップによると国道288号から「小塚溜池入口」の看板のあるところを入って行けば到着するようです。

その入口と思われる場所に来ました。ところが…い、行けない!



おまけに国道沿いにあるはずの「小塚溜池入口」の看板もない! 再度確認しましたが、入口はこの場所で間違いありません。万事休す。嗚呼…。

気を取り直して次に向かいます。
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もっとロマンを!…こまちダム

2021-12-22 07:04:02 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県田村郡小野町菖蒲谷堂田(おのまちしょうぶやどうでん)にある夏井川水系のこまちダムを訪れます。ダム名はこの地域に平安時代の女流歌人である小野小町(生没年不詳)の生誕伝説があることに由来します。アクセスは県道42号沿いにあるのでわかりやすいでしょう。こまちダムの位置は磐越自動車道の小野インターチェンジの西南西になります。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。もっと近づきたかったのですが、行けるのはここまで。



ダム横に向かいます。県道にはこのような看板があるので迷うことはありません。



最初に目に入るのが「こまちダム管理所」の建物。





そこからダムを見るとこんな感じ。



左岸、ダム横の下流側はちょっとした広場になっていて、



「こまちダム賛歌」の歌詞が刻まれた石碑があります。なになに?ダムの歌がある?これは珍しいですね。作詞・作曲したのは福島県文化財センター白河館職員の野地弘治氏。ダムの歌の誕生のきっかけはダム建設を記念して「歌でも作ってみようか」という話から始まったそうな。一体どんな曲なんだろうか。検索してみると楽譜がありました。これです。口ずさんでみました。ほのぼのとした素朴な曲ですなあ。2003年12月にレコーディングもされているようです。ほぉ〜。ちなみにデータによるとダムの着工は2003年で、完成は2007年だそうです。



歌詞の碑があるところからダムを見るとこんな感じです。



では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。



ダム本体には「定礎」と記されたプレートが嵌め込まれています。2004年11月とあります。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



ダムの真下はこんな感じ。



そして下流側の遠景。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側から見るとこんな感じです。



いにしえのロマンをイメージして「こまちダム」と命名されたそうですが、残念ながらそれを示す案内板などは見当たりませんでした。そんな素敵なコンセプトがあるんですからダムの歌も良いですが、「小野小町記念館」みたいなものが併設されていてもいいんじゃないかなと、ふと思ったり…。惜しいなあ。
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もう釣堀でいいじゃん…鳴沢ダム

2021-12-21 15:14:31 | 群馬(ダム/堰堤)
雑誌編集部から「今月は年末進行ということで締切が早めになります」との連絡。12月は例年そうなのですが、考えてみればこれって要するに印刷屋の都合なんですよね。奴らはフツーに「正月休みを取るので早く入稿しろよな!」と圧力を掛けてくるわけです。最近はあまりありませんが、ひと頃は毎年正月返上でヒーヒー言いながら原稿を書いていました。正月明け締切の原稿があったからです。印刷屋の勝手で我々ライターは毎年翻弄される…。理不尽だなあと思いますが、仕方がない。あーあ。

あ、すみません。愚痴りました。どーも、ワシです。今回は群馬県高崎市箕郷町(みさとまち)富岡にある利根川水系の鳴沢(なるさわ)ダムを訪れます。ダム名はかつてこの場所に鳴沢寺があったことに由来するそうな(参考)。すごいねぇ、ダムを作るためには寺まで潰しちゃうんだからさ。アクセスは県道137号を行くと見えてきます。

県道からちょっと入ると到着です。これが左岸から見たダム上。



貯水湖の名称は鳴沢湖。山の中でなく、平場にあるダムによくあるパターンですがここも釣堀みたいな感じ。ワカサギを養殖しているそうな。



「ワカサギ釣りは秋から冬の期間です」とありますが、具体的な日にちが記されていません。こういうのって「じゃあ、いつからいつなんだ?」と思いませんか? こうした曖昧さ、好かんです。利用者だって困惑するだろうに。もっとも、この記事の上にあるリンク先には具体的な営業期間・時間が書かれているからいいじゃないかというのはお役所的な発想。現場に記してこそ意味があるんじゃないの?



ダム上、中央から見た鳴沢湖の様子。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



左岸、下流側から見たダムの様子。



鳴沢湖側からダムを見るとこんな感じ。



洪水吐は左岸の端にあって、ダム上から見るとこんな位置にあります。



それを裏側から見るとこんな感じ。越流式なのがわかりますね。



左岸には「鳴沢湖の概要」を記した案内板があります。元々は農業の灌漑用貯水池として1937年に着工し、1950年に完成したとあります。



その隣には釣場利用者への案内板。うーん、まあ先ほどの看板よりは具体的ですが、なんかツメが甘いような…。



山の中でなく人里にあるダムは大体が釣堀化しています。ダム自体はオープンなのでそれが悪いとは思いません。でも、カネを取るような商業化したダムは個人的にはあまり好きじゃない。構造上はダムなのかもしれませんが、表記上は「鳴沢釣堀」でいいんじゃないか…と。あくまで私見ですけどね。
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谷にあるから…川場谷ダム

2021-12-20 07:08:49 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、グーグル先生の地図を見ていたら群馬県利根郡川場村川場湯原(かわばむらかわばゆはら)に利根川水系の川場谷(かわばだに)ダムというのがあるのを見つけました。そこで今回はこのダムへ行ってみようと思います。アクセスは以前訪れた平出ダム近くの県道64号を登って行くと到着するようです。

地図に示す場所に来ました。カーブ付近に石碑らしきものが見えます。近づいて確認しましょう。



まずは、これ。諸元を記した石碑です。1983年8月に着工し、1988年12月に完成したとあります。





次に、これ。定礎と刻まれた石碑。1984年11月とあります。





そこから見下ろすとダムはこんな風に見えます。形状からするとこれは砂防ダムですね。



ダム横まで降りてみました。ところが残念ながら鉄柵があってダム上に行くことはできず…。とほほ。



仕方ないので、上流側からダムを見るとこんな感じ。



ダム横から上流側を見るとこんな景色です。



県道のカーブのところにはこんな看板が。「川場かるた散策」? 調べてみると川場かるたは2009年12月に川場村の村政120周年を記念して同村教育委員会が発行したものだそうです。川場村の良き場所をかるたにして紹介しようというものらしい。で、「か」の札がこのダムというわけ(参考)。





観光名所をかるたにするというのは面白い試みだと思いますし、良いと思います。でもさあ、かるたでは「川場ダム」になってますけど、正しくは「川場谷ダム」なんだよね。名称の表記を間違えるのはまずいんじゃないかなあ。誰も気づかなかったんでしょうか…。ましてや教育委員会が発行したんでしょ? 正しく教育してよね〜。
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大滝調整池の大滝堰堤

2021-12-19 06:51:42 | 群馬(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は群馬県利根郡片品村鎌田(かたしなむらかまだ)にある利根川水系の大滝堰堤を訪れます。アクセスは国道120号沿いにある道の駅 尾瀬かたしな付近から入って行くと到着します。

堰堤の下流に架かる橋から見るとこんな感じ。



右岸側には魚道があります。お魚さんたちはここを登って上流へ向かいます。



その橋から見た下流側の景色。これをずっと下流に行くと以前訪れた薗原ダムになります。



さて、まず左岸側へ行ってみます。これは堰堤の横から見た様子。フェンスがあって立ち入ることはできません。



左岸、上流側から見た堰堤の様子です。



次に先ほどの橋を渡って右岸側へ。どうやらここは東京電力が管理している幡谷(はたや)発電所(群馬県利根郡片品村幡谷)の大滝調整池らしい。



右岸の堰堤横にあるこの建物は「幡谷発電所 大滝調整池見張所」。





何分にもフェンスがあるので堰堤に近づくことができません。逆光で暗いのですが、これが右岸側から遠巻きに見た堰堤の様子です。



敷地内にはなぜか「馬頭観世音」と「供養塔」と刻まれた石碑が…。この供養塔の裏側には大滝堰堤が1927年に竣工したと記されています。この記述は幡谷発電所が発電の運用を開始したのも1927年11月なので間違いないと思います(参考)。



それにしてもこの供養塔は何を供養するためのものなのでしょうね。裏側に何やら記されていたのですが石碑がもはや風化していて解読不可能。馬頭観世音の石碑と並んでいるので、供養の対象は、ま、まさかおウマさん? どーなんですかね。ナゾだ。
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透過型かな?…猪谷(安楽谷)砂防ダム

2021-12-18 07:15:08 | 滋賀(ダム/堰堤)
いや〜、どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市土山町山女原(こうかしつちやまちょうあけびはら)にある淀川水系の猪谷(安楽谷)砂防ダムを訪れます。アクセスは県道187号を行くと笹路川近くに三子(みつこ)神社があるので、その近くの「山女原」方面へ向かう道を進んでいくとあるようです。

それにしても「山女原」というのは珍しい地名ですね。確かに「あけび」を変換すると「山女」と出てくるんですが、「山女」と書けば、まず魚の「ヤマメ」を連想しますよね?だから山女原はてっきり「やまめばら」だと思い込んでいました。場所的にもヤマメが生息していても不思議じゃないし。でも正しくは「あけびはら」。その由来が気になったので調べてみるとこの地名は戦国時代にはすでにあったようです。どうやらこの地名はこの一帯がアケビの産地だったことから付けられたらしい(参考)。

で、安楽峠に向かうその道を注意しながら進んで行くと…ありました! これですね。



ところが撮れたのはこれのみ。この上流側にも下流側にも道路沿いに木が生い茂っていて撮れなかったんです。もちろんダム上へは鍵が掛かっていて行けませんでした。よく見るとダムの中央に鉄骨らしきものが確認できるので、これはどうやら透過型の砂防ダムのようですね。

でも、このダムがいつ築造されたのかは確認できませんでした。そもそもここが「猪谷(安楽谷)砂防ダム」だという看板すらないんですからね。たまたまグーグル先生の地図に出ていたのを見て行っただけのこと。ちなみにこのダムの北東方向に「猪谷砂防ダム」というのがあるようですが、そこへ行く道はゲートで閉ざされていたので行けませんでした。

ただ、この資料から判断すると「猪谷砂防ダム」は2000年に着工して2003年頃に完成したようです。なぜそう判断したのかというと、その資料に「湛水」の文字があるから。透過型のダムだったら水を溜めることができないでしょ? とすれば猪谷通常砂防事業として築造されたのは「猪谷砂防ダム」のほうではないかと考えたわけです。

まあ、見てもいないダムのことをあーだこーだ書いても仕方ないので、今回はこれにて終了!
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圧巻の洪水吐!…青土ダム

2021-12-17 07:03:56 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー今回は滋賀県甲賀市土山町青土(こうかしつちやまちょうおおづち)にある淀川水系の青土ダムを訪れます。アクセスは県道9号をずーっと行けば到着します。

見えてきました。あれですね。



おっと、近くに「青土ダム ウォーキングマップ」の案内板があります。それを見ると、どうやらこのダムの洪水吐は独特らしい。楽しみです。





左岸側にある取水塔の管理橋近くには「水利使用許可標識」。管理用水力発電が目的とあります。



その近くには青土ダムの概要を記した案内板。これによれば、当該ダムは滋賀県初の多目的ダムで、洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水の確保、工業用水の補給を目的として1963年に調査を開始し、1981年からダム本体の建設に着工、そして1988年3月に完成したとあります。







これが左岸側にある独特な形状の洪水吐。写真右側の2つが常用洪水吐で、左側の高い位置にあるのが非常用洪水吐です。常用洪水吐はまるで蟻地獄のよう。ちょっと不気味でもあります。



左岸のダム横にあるこの建物が「青土ダム管理事務所」。





「定礎」の石碑。通常、この類のものは何の個性もなく作られるのですが、ちょっとオシャレなデザイン。1984年11月と記されています。



では、左岸から右岸に向かって歩いていきます。ダム上から見た非常用洪水吐。その向こうに常用洪水吐があります。いずれにしても増水時になると水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



ダム上は2つの道が並行しています。ひとつは上流側にある歩道、もうひとつは県道9号です。歩道には3体のキジの絵が嵌め込まれています。一体これは何を意味するのでしょうか。

左岸側のキジ


中央のキジ


右岸側のキジ


調べてみました。ダム建設当時、ここの地名は滋賀県甲賀郡土山町(こうかぐんつちやまちょう)でした。同町は1916年4月1日に発足し、2004年9月30日まで存続。翌10月1日からは水口町、甲賀町、甲南町、信楽町と合併し甲賀市となって現在に至ります。で、ダム上の歩道にキジがあるのは当時の甲賀郡土山町の町の鳥がキジだったのでそれに由来すると思われます。

ダム上、中央から見た貯水湖の様子。



一方、下流側の景色です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。左側の茶色の道が歩道、右側が県道です。



右岸、貯水側からダムを見るとこんな感じ。



この近くにあるのが別の案内板。



そして、どっしりとした巨岩に刻まれた「青土ダム」の文字。



その横には建立の趣旨がよくわからない碑。



ついでにダム下へ行ってみました。中央から左岸方面を見るとこんな感じ。



洪水吐の水路を下から見るとこんな感じです。なかなかの迫力!



先にも書きましたが、青土ダムの見所は何と言っても独特な形状の洪水吐。一見の価値ありです! 実際に見ると不思議な感覚になりますよ。
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