どーも、ワシです。今回は福島県相馬郡飯館村大倉松ヶ平(いいたてむらおおくらまつがだいら)にある真野川(まのがわ)水系の真野ダムを訪れます。アクセスは県道268号沿いなので迷うことはありません。ちなみに真野川という名称の川はここの他に宮城県石巻市、新潟県佐渡市、滋賀県大津市にもあるようです。
まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。
県道を登ってくると、最初に目に入るのがこのデカい表示板。おおっ、なんだなんだ?と思いますよ。
その裏側には真野ダムの案内図が記されています。当該ダムは真野川総合開発の一環をなすものとして洪水調節、流水の正常な機能維持、都市用水(水道・工業)の供給、発電を目的とする多目的ダムとして1983年に着工し、1991年に完成したそうな(参考)。
左岸のダム横にあるこの建物が「福島県真野ダム管理所」。
ダム上から管理所を見るとこんな感じ。
管理所の脇には真野ダムの位置を示す地図があります。でもこれ、南北が逆になっていて、ちょっと戸惑いますね。
管理所からダムを見るとこんな感じ。
ダム湖名は「はやま湖」。真野ダムの周辺には色々なものがあるようです。
では、ダム上を歩いてみることにしましょう!
ダム上の通路には1952年に国指定重要無形民俗文化財に指定された「相馬野馬追(そうまのまおい)」の様子を描いたイラストの陶板が嵌め込まれています。
相馬野馬追の起源は相馬氏の遠祖に当たる平将門(903頃-940)が下総國相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生の馬を放ち、それを敵兵に見立てて軍事訓練したことに始まるとされ、江戸時代以降には、特に相馬中村藩第五代藩主である相馬昌胤(そうままさたね:1661-1728)の時代より軍事訓練から祭典へと変化します。
ところが1868年の戊辰戦争で相馬中村藩は明治政府に敗北し、廃藩置県により消滅すると相馬野馬追も一旦途絶えてしまいます。しかし相馬太田神社が中心となって野馬追祭の復興を図り、1878年に内務省の許可が下りて正式に野馬追祭が復活。現在では毎年7月の最終土曜日・日曜日・月曜日に南相馬市の雲雀ヶ原で開催されているそうです(参考)。真野ダムに嵌め込まれている陶板はこの祭りの一連の行事の模様が左岸側から順に描かれているというわけです。
出陣
七曲
古代甲冑競馬
神旗争奪戦
?(読めず)
ダム上、中央から見た貯水側の景色。
ダム中央に設置されているラジアルゲートから見た真下の様子。69mの高さはまあまあの迫力です。
真下には真野発電所があります。
下流側の遠景。
ダム上、中央には地理的に真野ダムの位置がわかるようになっています。
ダム上の欄干には走る馬のデザインが数種類描かれています。これはそのひとつ。
そうこうするうちに対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上は多少アーチがかかっていますね。
右岸、はやま湖側から見たダムの様子。
右岸、下流側から見た「ご尊顔」。うん、これも絵になるねぇ。ダム本体の洪水吐は越流式。
真野ダムはバブル景気時代(1986-1991)に築造されただけあって、それなりにカネをかけているのがわかります。もっとも、見学者の立場からすると見所がたくさんあって嬉しい限り。それに勉強にもなります。
ああ、そうだ。今日は大晦日。当ブログをご覧の皆さん、今年もお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね。…といっても、明日から引き続きダム巡りの記事を書いて行くんですけどね。
良いお年をお迎えください!
まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。
県道を登ってくると、最初に目に入るのがこのデカい表示板。おおっ、なんだなんだ?と思いますよ。
その裏側には真野ダムの案内図が記されています。当該ダムは真野川総合開発の一環をなすものとして洪水調節、流水の正常な機能維持、都市用水(水道・工業)の供給、発電を目的とする多目的ダムとして1983年に着工し、1991年に完成したそうな(参考)。
左岸のダム横にあるこの建物が「福島県真野ダム管理所」。
ダム上から管理所を見るとこんな感じ。
管理所の脇には真野ダムの位置を示す地図があります。でもこれ、南北が逆になっていて、ちょっと戸惑いますね。
管理所からダムを見るとこんな感じ。
ダム湖名は「はやま湖」。真野ダムの周辺には色々なものがあるようです。
では、ダム上を歩いてみることにしましょう!
ダム上の通路には1952年に国指定重要無形民俗文化財に指定された「相馬野馬追(そうまのまおい)」の様子を描いたイラストの陶板が嵌め込まれています。
相馬野馬追の起源は相馬氏の遠祖に当たる平将門(903頃-940)が下総國相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生の馬を放ち、それを敵兵に見立てて軍事訓練したことに始まるとされ、江戸時代以降には、特に相馬中村藩第五代藩主である相馬昌胤(そうままさたね:1661-1728)の時代より軍事訓練から祭典へと変化します。
ところが1868年の戊辰戦争で相馬中村藩は明治政府に敗北し、廃藩置県により消滅すると相馬野馬追も一旦途絶えてしまいます。しかし相馬太田神社が中心となって野馬追祭の復興を図り、1878年に内務省の許可が下りて正式に野馬追祭が復活。現在では毎年7月の最終土曜日・日曜日・月曜日に南相馬市の雲雀ヶ原で開催されているそうです(参考)。真野ダムに嵌め込まれている陶板はこの祭りの一連の行事の模様が左岸側から順に描かれているというわけです。
出陣
七曲
古代甲冑競馬
神旗争奪戦
?(読めず)
ダム上、中央から見た貯水側の景色。
ダム中央に設置されているラジアルゲートから見た真下の様子。69mの高さはまあまあの迫力です。
真下には真野発電所があります。
下流側の遠景。
ダム上、中央には地理的に真野ダムの位置がわかるようになっています。
ダム上の欄干には走る馬のデザインが数種類描かれています。これはそのひとつ。
そうこうするうちに対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上は多少アーチがかかっていますね。
右岸、はやま湖側から見たダムの様子。
右岸、下流側から見た「ご尊顔」。うん、これも絵になるねぇ。ダム本体の洪水吐は越流式。
真野ダムはバブル景気時代(1986-1991)に築造されただけあって、それなりにカネをかけているのがわかります。もっとも、見学者の立場からすると見所がたくさんあって嬉しい限り。それに勉強にもなります。
ああ、そうだ。今日は大晦日。当ブログをご覧の皆さん、今年もお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね。…といっても、明日から引き続きダム巡りの記事を書いて行くんですけどね。
良いお年をお迎えください!