ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

藤倉一沢砂防ダム(堰堤)

2023-06-19 06:56:52 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県山県市藤倉(やまがたし ふじくら)に藤倉一沢砂防堰堤というのを見つけたので行ってみることにしました。アクセスは県道91号沿いにあるALESS部品販売前のT字路を入り、緩やかな右カーブに差し掛かる所のT字路を入っていくと到着するようです。

右手にある伊自良苑(いじらえん)というグループホームを過ぎたところで急坂となり、クルマで行けないことはなさそうですが念のためそこからは歩いて目的地へ向かいます。

150mほど登るとお目当ての堰堤が見えてきました。よく見ると堰堤の中央に透過型の設備があるのがわかります。

堰堤の横に来ました。そこには表示板があります。

これが、いわゆるダム上ですが、フェンスがあるのでその先には行けません。

ふと足元を見ると堰堤本体にプレートが嵌め込まれています。2013年3月に完成したもので、そこには「藤倉一沢砂防ダム」と表示されていますが、高さは8.5mしかないのでダムの定義からすると表示板の通り砂防堰堤が正しいことになります。

堰堤横から見た下流側の遠景。


なんとものどかな場所でした。気になるのは下流にグループホームがあること。万一堰堤が決壊したら直撃間違いなしなのに…。余計な心配かな?
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昭和初期っぽい!…牧田川頭首工

2023-04-16 06:52:42 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県大垣市上石津町牧田(かみいしづちょう まきだ)にある木曽川水系の牧田川頭首工を目指します。場所は藤古川(ふじこがわ)と牧田川が合流したすぐ下流にあり、アクセスは県道56号「広瀬橋北」交差点を県道227号へ入り、すぐ牧田川方面へ曲がって行くと到着します。

これが牧田川頭首工。牧田川の左岸側に築造されています。でも見た感じ、随分年代を感じさせます。調べてみると、築造されたのは昭和10年(1935年)らしい(参考)。なるほど、確かに昭和初期っぽいねえ。


頭首工の横から見ると、こんな感じ。


左岸側に取水設備(写真手前)があり、頭首工とこんな位置関係になります。


取水装置を別の角度から見るとこんな感じ。


取水された水は土手の下を通って左岸側に流れ込みます。


その水は2つの方向へ流れ、牧田川に垂直方向に流れる水路と、

牧田川に並行して流れる水路に分かれます。

牧田川に並行して流れる水路のほうは、さらに2つの水路に分岐します(下流側から見た様子)。


現地には牧田川頭首工についての案内板はありません。なお、左岸の土手道路にクルマで直接行くことはできません。動物進入防止のゲートがあるからです。頭首工に近づくにはそのゲートを手動で開閉し、歩いて向かってください。
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機能と曲線美の融合!…市之倉おりべ砂防ダム(堰堤)

2023-04-15 12:07:51 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県多治見市市之倉町(いちのくらちょう)にある庄内川水系の市之倉おりべ砂防ダムを目指します。アクセスは国道248号沿いの「市之倉陶の里公園 おりべ砂防ダム」と表示された看板のあるT字路を入って行くと空き地があるのでクルマはそこに停めて、そこからは歩いて奥へ行きます。

到着しました。おおっ、フォルムが従来の砂防ダムと違い、なんともオシャレ!


これまたオシャレなプレート。


案内板。「市之倉おりべ砂防ダム」は大雨の際に中峰谷から流出する土砂を防ぐ目的で築造されたものですが、本来の目的に加え、その形には織部の陶器のもつ暖かみのある曲線が採用されています。あ、でも、概要を見ると高さは11.4mなので名称の定義としては砂防堰堤になりますね。


堰堤下の副堰堤の所に作られた階段。まさに曲線美!



右岸、堰堤下から見た様子。

上の案内板にも書かれていますが、壁面の一部をへこませて陶磁器を展示するブースが設けられています。


右岸、堰堤横に来ました。堰堤の上は立入禁止。

堰堤上にはプレートが嵌め込まれています。「中峰谷第1砂防ダム」が正式名称で、「市之倉おりべ砂防ダム」は愛称なのかな?2000年3月竣工。


堰堤の上に行けないため、右岸の堰堤横から見た上流方向の様子。


右岸、上流側から見た堰堤の様子。


案内板にある通り、これは役人が機能のみに着目して設計したものでなく地域の人々の声を取り入れて築造したものなので従来のダム(堰堤)とはひと味もふた味も異なる建造物になったんですね。紋切り型のフォルムも良いですが、このようなオリジナルのデザインもまた素敵だと思います。
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再現困難な工法…浦山第二砂防堰堤

2023-04-14 17:02:56 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県土岐市妻木町(ときし つまぎちょう)にある浦山第二砂防堰堤を目指します。アクセスは県道388号沿いにある妻木城士屋敷跡(つまぎじょうさむらいやしきあと)の西に架かる小さな橋のすぐ上流にあります。ただし、駐車スペースはないのでクルマは県道388号沿いの空いている場所に停めるしかありません。

これのようです。いや〜、渋い、渋すぎます。


右岸側から堰堤の横に行けないかなと思い、道を進んで行くと堰堤の横でなく、さらに上流に来てしまいました。そこには錠剤のような白い丸い石があり、それを渡って左岸へ行けるようになっています。


左岸へ移動し、そこから堰堤を見るとこんな感じ。


左岸側には案内板があります。それによると、築造の経緯は次の通りです。この地域は昔から美濃焼の産地として知られていますが、陶磁器生産のための陶土採掘や窯で焼くための木材を伐採し続けたため山地は荒廃。そのため少量の雨でも土砂崩れが発生し、下流で水害が多発するようになりました。そこで1937年に国による直轄砂防事業が開始されます。そしてこの浦山第二砂防堰堤は1942年10月21日に工事着工され、昭和18年(1943年)8月25日に完成。その工法は間知石(けんちいし)を矢羽積(やばねづみ)にしただけの空石積(からいしづみ)でモルタルなどは使用していません。この工法は隣接する妻木城を築城した時に用いられたものとされ、その技術がこの堰堤にも反映されているそうな。この石積技術は再現するのが難しいという理由から当該堰堤は2006年10月18日に登録有形文化財として登録されたそうです。(参考




高さ5.0mの地味な砂防堰堤で、興味がなければ気づきませんね。ちなみに「第二」とあるので「第一」もあるのかなという素朴な疑問が…。国土地理院の地図を見ると「第二」のさらに上流に堰堤らしきものがあり、それが「第一」かなと思うのですが確認できず。
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なかなか絵になる!…深山谷第1砂防堰堤

2023-04-13 06:56:25 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県多治見市笠原町(たじみし かさはらちょう)にある庄内川水系の深山谷(みやまだに)第1砂防堰堤を目指します。アクセスは県道13号沿いにある「深山谷第1砂防堰堤 不動滝 入口」の看板のあるところから入って行くと到着します。

これが「ご尊顔」です。2003年3月完成。


では、順番に見ていきましょう。上に示した看板のところから入り登ってくると不動滝の先にこんな景色が見えてきます。


堰堤の下に架かる橋から見た様子。堰堤が2つあるように見えますが、手前のは副堰堤です。


堰堤本体に貼られたプレート。堰堤名は深山谷を堰き止めて築造したことに由来するもので、深山谷が荒廃しているため下流域を土砂災害から守るために築造されたものらしい。なお、説明によれば下流の不動滝は特別宗教的な意味があるものではないそうな。また、堰堤本体には地場産業の産物である陶器がモザイクタイルの形で貼られており、そのデザインは漫画「進撃の巨人」をモチーフにしているとのこと。ほぉ、なかなか攻めてますな。


堰堤の下から見た落水する様子。


その水は副堰堤で一旦溜められ、下流へ向かいます。


堰堤の横にやってきました。そこから見た様子。

堰堤の上に嵌め込まれたプレート。高さは14.5mで15m未満なので堰堤で間違いないんですが、あと50cmカサ増しすれば砂防ダムという名称になったのにね。なんと奥ゆかしい(笑)


堰堤、中央から見た上流側の景色。


溜まった水はこの落水部から流れ落ちて、

副堰堤に溜まります。

そして、下流側の景色。


堰堤中央から右岸側を見るとこんな感じ。


ところで、「進撃の巨人」について調べてみたら意外なことがわかりました。つまりこれは2009年9月から2021年4月まで続いた漫画らしいのでそこから判断すると本砂防堰堤築造時にはなく、モザイクタイルは後から本体に貼り付けられたもののようです。でも、なぜモチーフが「進撃の巨人」なんでしょうねえ。作画は多治見西高校まんが部の生徒によるものだそうですが、どんな意図があったのでしょうか。制作時、「進撃の巨人」が流行していたから? もしそうだとしたら安易な発想だよね。

さらに調べてみると「進撃の巨人」の作者である諌山創(1986- )の出身地である大分県日田郡大山町(現在の日田市)には大山ダム(2012年完成:未見)というのがあり、そこには「進撃の巨人」の主要登場人物の銅像があるそうな。へぇ〜、九州のダムかぁ…。いつか行けたらいいなあ。その時にはぜひ訪ねてみたいと思います。
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日本昭和音楽村の近く…打上ダム(打上調整池)

2021-11-23 07:10:21 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岐阜県大垣市上石津町打上(かみいしづちょううちあげ)にある木曽川水系の打上ダム(打上調整池)を訪れます。アクセスは国道365号から「水嶺湖 日本昭和音楽村」の看板がある交差点を入って行くと到着です。

その道を進んで行くと当該ダムの右岸に来るんですが、そこには江口夜詩記念館をはじめ、ホールやスタジオなどがあります。江口夜詩(えぐちよし:1903-1978)は昭和前半に日本の流行歌を多数書いた上石津町出身の作曲家(本名は江口源吾)。有名な作品には《月月火水木金金》(1940)や《憧れのハワイ航路》(1948)などがあります。日本昭和音楽村は江口の功績を称えるとともに同記念館を中心とする複合文化施設として1994年5月4日にオーブンしたそうな(参考)。





一方、ダム側には野外ステージと駐車場があります。



駐車場から見た野外ステージ。



ダムの右岸へは駐車場から行くことができます。洪水吐は右岸にありますね。ではダム横に行ってみましょう。



これがダム上になります。手前の橋の下が先ほど見た洪水吐。



そこから見た洪水吐。自然越流式ですね。増水時になると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



近くには三重用水事業の説明図。ん? ここは岐阜県なのにどうして? ええ、ワシも思いましたよ。しかし地図を見て納得。つまり打上調整池があるのは確かに岐阜県なのですが、すぐ南側が三重県いなべ市で、打上調整池の水が三重県北部のいわゆる北勢地域に供給されているのでここに看板があるんですね(もちろん岐阜県の牧田川沿岸の農業用水としても使用されるそうな)。ダム湖の名称が水嶺湖(すいれいこ)なのは「分水嶺を越える分水のための湖」という意味で1990年に公募により決まったそうです(参考)。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。中央から見た水嶺湖の様子。朝焼けで暗いですが、別の意味で良い雰囲気になっています。遠くに見える取水塔の連絡橋には「水嶺湖 水資源機構」の文字。





一方、下流側の景色はこんな感じ。



対岸(左岸)まで来ました。振り返るとこんな景色です。



ダム横にある日本昭和音楽村では定期的にイヴェントが行われているそうですから、そこへ出かけるついでに打上調整池を見学するのも良いかもしれませんね。
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東横山発電所取水堰堤?…東杉原堰堤

2021-05-06 06:56:48 | 岐阜(ダム/堰堤)
グーグル先生の地図を眺めていたら岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見に揖斐川水系の東杉原堰堤というのを見つけたので行ってみました。アクセスは国道417号を徳山ダム方面へ向かい、藤橋城・西美濃プラネタリウムあたりから揖斐川のほうへ行きます。そして揖斐川を渡り川沿いの細い道を行くと到着します。いや、ホントに細いので注意が必要です。

これが揖斐川上流側から見た堰堤の「勇姿」。



揖斐川の上流方面の様子です。キレイな水ですね。



堰堤本体に付された水利使用標識。



下流側から堰堤を見るとこんな感じです。



こちら側(左岸)に見えるのは魚道です。対岸(右岸)にあるのかは確認できませんでした。右岸へ行く道が土砂崩れのため通行止だったからです。



下流側の景色です。



本当は下流から見た「勇姿」を撮りたかったのですが、その全体像が撮れる場所まで下がると枯れ木ばかりでうまく撮れなかったんですよ。…なので、分割します。これが左岸側にあるもの。



そして、これが右岸側の様子です。



左岸、上流側にあるこの建物が見張所と思われますが、それを示すプレートはありません。



その下にあるのが、どうやら取水口のようです。ゴクゴクと揖斐川の水を飲み込んでいるのがわかりますかね。ホント、すごい勢いで吸い込まれていきます。



あとで調べてみると、この取水口から分水された水は直線距離にして約8km下流にある
イビデン 東横山発電所へ送水され、そこで発電に使用されていることがわかりました。

ということはですよ、ここの左岸付近の地名が東杉原なので確かに「東杉原堰堤」というのは間違いではありません。しかしその用途が東横山発電所で使用されるための取水堰堤なので、より正しくは「東横山発電所取水堰堤」もしくは「東杉原取水堰堤」と記載すべきなんじゃないでしょうか。

「そんなん、どーでもいいじゃん」と思われるでしょう。確かにそうです。でも、モノを書く仕事をしていると正確さを欠くこういう記述が気になってしまうんです。性分でしょうか。

はははは。
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レジャー施設…椛の湖溜池副堤

2020-11-27 07:06:55 | 岐阜(ダム/堰堤)
前回ご紹介した椛の湖(はなのこ)溜池にはもうひとつダム構造があります。副堤というそうです。それがある場所は前回の場所から国道256号に沿って国道19号方面に進むとあります。目印は「椛の湖」と書かれた看板。



この説明によると、椛の湖は当時の農林省が灌漑用に築造した人造湖で、1950年に着手し、1958年に竣工したとあります。



その隣には「中部北陸自然歩道」の案内板。これによれば、椛の湖の標高は海抜560mだそうです。



それらの看板のところを進むと、いわゆるダム上になります。写真は左岸から見た様子。白いガードレールの下に余水吐の排水路があります。



逆光でわかりにくいですが、これが余水吐。間口が広くなっています。



そして、溢れ出た水はこの水路を通って流れていきます。



ダム上、中央付近から見た椛の湖の様子です。



下流側はこんな感じ。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。ご覧のようにこの副堤もダム上がカーブしているのがわかりますね。



右岸側の様子。こちら側にはオートキャンプ場があるほか、



魚釣りもできるようです(有料)。



椛の湖は、ダムというよりレジャー施設のような場所なんでしょうね。
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忘れ物だよ…椛の湖溜池

2020-11-26 07:09:13 | 岐阜(ダム/堰堤)
中津川市上野にある椛の湖(はなのこ)溜池に来ました。かつてはその地名から福岡ダムと呼ばれていたそうな。場所は国道256号沿いなのですぐわかります。

これがいわゆるダム上。



ダム上、中央付近に来ました。ご覧のようにダム上はブーメランのように曲がっていて直線ではありません。



そこから見た溜池の様子。



下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)に近いところに越流式の余水吐があり、増水するとここから溢れ出て、



この水路からあちらへ向かって流れていきます。



対岸に来ました。振り返るとこんな景色。写真手前の白いガードレールの下が余水吐の排水路です。



対岸、貯水側から見たダム上。



対岸側の風景。この道が溜池の周りを囲んでいます。



対岸のダム横に何かがありました。ビニール製のボールのようです。



「りょうこ」ちゃん、早く取りに来てね。



ほっこり。
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ダム上の出会い…加子母防災ダム

2020-11-25 06:37:01 | 岐阜(ダム/堰堤)
今回は岐阜県中津川市加子母(かしも)にある木曽川水系の加子母防災ダムに行ってみました。アクセスは国道257号沿いにある小和知簡易郵便局付近から入って行きます。

到着です。防災ダムというので溜池のようなものを想像していたのですが見事に裏切られました。こりゃあ立派なコンクリート・ダムです。



ダムの右岸にドカンと置かれた岩。何かと思いきや「加子母防災ダム完成記念碑」と刻まれていました。ワ、ワイルドだなぁ。



その裏にはダム建設の経緯と諸元が書かれています。集中豪雨のたびに繰り返される下流沿いの農地や家屋の被災を防止し、安全を確保する目的で、1971年10月4日に着工され、1976年3月31日に竣工したとあります。ワイルドな外観とは対照的な丁寧な記述。そのギャップがたまりませんな。



ダム上の道路を挟んだ右岸の貯水側にある看板。あれれ、「岩」に記された着工年と違うぞ。果たしてどちらが正しいのか…。



その前にあるのが見張所らしき建物。



建物の裏の高台から見た様子。建物の屋上が池になっちゃってます。おそらく排水溝が詰まっているんでしょうね。



右岸、貯水側から見たダムの様子です。



これがダム上の道路。車両は通行できますが、離合は難しいかもしれません。



ダム上から見た真下の景色。水が澄んでいて美しいです。



その遠景。すっかり晩秋ですな。



こちらは貯水側の真下の様子。といっても、訪れた日に水はほとんどありませんでした。



上流の白川の様子です。



ダム上の中央付近でキョロキョロしていると背後から声が…。

「どちらから来られたんですか?」

見れば、クルマに乗った高齢の男性が声をかけてきました。

「長野県からです」
「そうですか。遠いところからようこそおいでくださいましたね」
「いえいえ、隣県ですし、ドライヴで来たので大したことはありませんよ」

なぜか意気投合して、ダム上の真ん中でしばし談笑。そして名刺交換(何してんねん!)その男性は行政書士をされている方で、趣味で写真を撮られているそうな。加子母防災ダムへは度々来られているそうで、この日も一眼レフを持参されていました。

そして会話中、他のクルマが来たので話は一時中断。そして各自撮影を開始。

対岸(左岸)から見たダムの様子はこんな感じ。



そして同じ左岸の貯水側から見たダムの景色。



先ほどの男性はまだワシと話したかったようで、会話は再開。実に人懐っこい感じの方でした。そういえば数日前の記事で出会った大ヶ洞ダムの職員の方も似たような感じだったのを思い出します。全てではないにせよ、岐阜県の男性は人懐っこい気質の方が多いのかもしれません。なんとなくですけど。
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確かに水がない…水無瀬川ダム

2020-11-24 06:43:59 | 岐阜(ダム/堰堤)
グーグル先生の地図を見ていたら、高山本線の下麻生駅近くの川辺北小あたりから水無瀬川(みなせがわ)沿いに登ったところに木曽川水系の水無瀬ダム(加茂郡川辺町上川辺)というのがあるのを見つけました。ならば行ってみることに…。

ところが、先生の地図だとダムの手前150mまでしか道がありません。実際に行ってみると細い道はあるのですが、そのままクルマで進入するとアウトの予感。そこでここからは歩いて進みます。

一応舗装されていますが、壊れっぱなしのガードレールが嫌な予感。



むむむ、やはりクルマを置いてきて正解のようです。でも、まだダムは見当たりません。



ワォ、いよいよ舗装も怪しくなってきました。でも、まだダムには到着できず。



ん? 何かの看板が見えてきました。あの辺りか? でも、水の音すら聞こえません。



注意深く見ていると木々の中にコンクリートのようなものを発見!(わかりにくいですが)



これか! 落下せぬよう注意しながらダム上に進んでみます。



下流側です。見えるのは木ばかり。



ダム上から見た真下はこんな感じ。あれれ、水がチョロチョロ流れている程度。



同じく、貯水側を見てみると…水がない! まさに水無瀬川。なんちて。



この資料によればダム建設に着手したのは2001年のようです。ただ、高さは43.5mとなっていますが実際に見た感じではそんなにない気がします。それとも土砂が堆積してしまって低く見えたのか?

実のところ、ここが水無瀬ダムという表示はありません。しかし付近にそれらしいダムがないのでおそらく間違いないでしょう。

ちょっとスリリング。
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桜の時期はいいかも…大船渡ダム

2020-11-23 06:40:38 | 岐阜(ダム/堰堤)
前回の下原ダムから国道41号を南下したところにあるのが木曽川水系の大船渡ダム(下呂市金山町大船渡)です。このあたりにくると飛騨川の川幅は広くなるのでダムのテンターゲートは11門もあります。

まずは全景から。写真の左側が国道41号になります。



テンターゲートを近くから見るとこんな感じ。



左岸から見たダムの「雄姿」。



左岸に掲げられた横断幕。



水利使用標識です。



ダム横には見張所のような建物。



その上流側には取水口があり、この水路の先には大船渡発電所があります。



これが左岸から見たダム上の道路。地元の人たちからすれば生活道路なのでしょう。



テンターゲート越しに見る飛騨川の上流の様子。



ダム上、中央付近から見た下流の飛騨川。



右岸側にはお魚さんが上流へ行くための魚道があります。





対岸(右岸)に来ました。上流側から見たダムの様子。逆光になっちまいましたね。



右岸、下流側から見たダム。シュッとしてますね。



この施設は高さがダムの定義(15m以上)を満たしていないため、実際には堰堤という扱いのようです。しかし、横断幕に「大船渡ダム」とあるのでここではそれに準ずることにします。
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国道沿いの…下原ダム

2020-11-22 06:30:19 | 岐阜(ダム/堰堤)
木曽川水系の下原ダムは下呂市を走る国道41号沿いにあります。場所はわかりやすいのですが、十分な駐車スペースがないので駐車する際にはご注意ください。

まずは「ご尊顔」をどうぞ。



お次はダム横から。



上流側からダムを見るとこんな感じ。



ここは中部電力のダムですが、クローズドなのでダム上に行くことはできません。なので、水利使用標識もズームするしかありません。



飛騨川を堰き止めて建設された下原ダム。見学には不向きかもしれませんが、存在感のあるダムでした。
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西村ダム…テンターゲート抜きで!

2020-11-21 06:38:07 | 岐阜(ダム/堰堤)
下呂市馬瀬西村(まぜにしむら)にある木曽川水系の西村ダムに向かいます。ダムは馬瀬川と並行して走る県道431号沿いにあるのでわかりやすいでしょう。位置としては道の駅「馬瀬 美輝の里」から少し南下したあたりです。

到着しました。これが「ご尊顔」ですが…あれれ、なんか違うぞ。そう、写真左側にあるはずの4門のテンターゲート(tainter gate)が撤去されていたのです。以前の「勇姿」を見たい方はコチラからどうぞ。それにしてもいつ撤去したんですかね。



管理所は県道沿いにあります。





その付近から見たダムはこんな感じ。



馬瀬川上流の景色です。水が美味しそう。



おなじみの水利使用標識。発電用のダムです。



県道側には取水口があり、この水路は前回取り上げた瀬戸第一堰堤と同じく下流の瀬戸発電所へ続いています。国土地理院の地図を見るとそれがよくわかります。





最後に、馬瀬川右岸から見たダムの様子をどうぞ。



テンターゲートがあるのとないのとではダムのイメージがだいぶ違いますね。それを撤去した西村ダムはなんか間の抜けた感じだなぁ。でも馬瀬川の水の美しさに癒されたので良しとしましょう(どんなオチやねん!)。
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「瀬戸第一堰堤」なんだけどなぁ…

2020-11-20 06:37:33 | 岐阜(ダム/堰堤)
下呂市にある木曽川水系の瀬戸第一堰堤に来ました。場所は高山本線の禅昌寺駅と下呂駅の中間にあり、国道257号から飛騨川を渡る橋のところです。

まずは右岸から見た堰堤の全景をどうぞ!
   


右岸にある「中部電力 瀬戸第一堰堤」と刻まれた石碑。



ここでふと疑問が…。なぜ瀬戸なんでしょうか。ここは瀬戸市でもなく、瀬戸という地名でもなさそうだし。

そのヒントは石碑の裏にありました。つまりこの堰堤は直線距離にして11.5kmほど離れた飛騨川下流の瀬戸発電所で発電するための取水堰なんですね。だから瀬戸という名称がついているんでしょう。ちなみに堰堤そのものは大正13年(1924年)からあり、現在目にしているのは1995年3月に改修工事が着工され、1998年に完成したものだそうです。



飛騨川の水はここから取水されます。



そしてこの水路を通って下流の瀬戸発電所へ向かうのですね。



薄汚れている水利使用標識。そろそろ作り直しましょうよ。もう令和の時代だし。



右岸、上流側から見た堰堤。飛騨川の水が綺麗ですね。



右岸から見た飛騨川下流の様子です。



飛騨川の橋の上から見た取水口の入口部分。



同、上流の飛騨川の様子。良い景色です。



グーグル先生の地図や国土地理院の地図には「瀬戸ダム」と記されていますが、ここでは現場の表記に従うことにします。でも、誰が瀬戸ダムと言い出したんでしょうね。そちらのほうが気になりますが…。だって現場にはどこにも瀬戸ダムなんて書いてないんですよ。


(メモ)
後輩のT君から大学でお世話になった教授の奥様が亡くなられたようだというメールが届く。息子さんのfacebookに「先月の終わりに、去年から癌で闘病を続けていた母が亡くなり」という記述を見たのだという。ワシはfacebookをやらんので全くそのことを知りませんでした。

大学在学中、そして卒業してからも毎年春には教授のご自宅で飲み会が行われ、欠かさず参加していました。その際に出てくる料理の数々。どれも本当に美味しいものばかりだったのを思い出します。常に笑みを絶やさず、育ちの良さを感じさせるお顔。奥様自身も他大学の教授でしたが、全く偉ぶるところがなく常にご主人である教授を立てる良き妻だったと思います。

亡くなられるにはまだ早い年齢でした(おいくつかは知りませんが)。ご冥福をお祈りします。
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