ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

遠巻きにしか…中岩ダム

2020-05-31 07:39:51 | 栃木(ダム/堰堤)
日光市高徳(たかとく)の利根川水系の中岩ダムはそこを流れる鬼怒川に造られています。ただ、並走する国道121号からその姿を見ることはできません。じゃあってんで、対岸を走る国道352号からアクセスすることにしました。

ところが、こちらはフェンスでガッチリ囲まれていて近づくことができず。フェンスの先に何とか見えたのがこのショット。



嗚呼…。

おなじみの水利使用標識やダムと一体化している中岩発電所のプレートを撮ったところで主役のダムが撮れなければ虚しいばかり。





嗚呼…。

気を取り直し、次の目的地へ。
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立派な下部調整池…今市ダム

2020-05-30 07:28:20 | 栃木(ダム/堰堤)
日光市佐下部(さげぶ)の利根川水系の今市(いまいち)ダムは砥川(とがわ)の上流にあります。砥川は板穴川に合流後、鬼怒川へ流入します。

到着しました。まず出迎えてくれるのがダムの管理所。





今市ダムは今市発電所(1988年7月運転開始)の下部調整池として使われています。つまりそこから524m高い場所にある栗山ダムを上部調整池としてその落差を利用して揚水発電をするというわけですね。





今市ダムの構造図。



管理所からダムはこんな感じに見えます。



ちょいと下から見た「ご尊顔」



ダム上です。進んでみましょう。



すぐ近くに「今市ダム」のプレートが嵌められた石。



ダム上、中央部から見た貯水側の景色です。



ダムの真下はこんな感じ。



下流の遠景の様子。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダム。



対岸、下流側から見たダムの姿。



揚水発電の下部調整池にしては立派な造りです。上部調整池である栗山ダムはどんな感じなんでしょうね。
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レトロな大谷川ダム(日光第一発電所取水堰堤)

2020-05-29 07:28:32 | 栃木(ダム/堰堤)
日光市久次良町にある利根川水系の大谷川(だいやがわ)ダムに来ました。ダムは国道122号から大谷川方面へ入ると日光宇都宮道路の下にあります。

これですな。



ダム上の橋です。行ってみましょう。



ダムの流れは2通りあって、下の写真手前は普通に堰き止めて流れるもの。



そこから下流の大谷川を見るとこんな感じ。



もうひとつの流れは似たようなものですが、堰堤の面の色が派手。



上流の景色はというとこんな感じ。遠くに見えるのは赤城山でしょうか。



これが監視所かな。なんか年代を感じさせますね。



橋を渡り切って振り返るとこんな感じ。



先ほどの派手なものはローリングゲートでした。向こう側にギアが見えますね。こいつを動かして水量を適宜調整するのでしょう。



水利使用標識です。これを見るとその目的は「発電用(日光第一発電所)」とあります。実はこの設備には大谷川ダムという看板はありません。むしろ地図には「日光第一発電所取水堰堤」と記されていたりします。この標識を見ると、ここは取水堰堤ということがわかります。以下、ダムでなく取水堰堤ということでお話を進めますね。




対岸から更に奥へ行くとプールみたいなものがあります。これは取水庭といわれるもので、少し上流から水がここへ引き込まれて溜まる仕組みなのでしょう。(参考



別の角度から。



ここに貯められた水は東に直線距離にして800mくらいのところにある日光第一発電所へ送られるようです。石積みのスタイルからして歴史があるんだろうなと推測するとその通り。日光第一発電所の運用開始が1918年5月なので、この取水堰堤も同時期に建設されたものと思われます。(参考

全ては金網のフェンスの内側にあって近づくことはできません。これは取水庭の近くにある建物ですが、詰所ですかね。



大正時代を感じさせるレトロな雰囲気が素敵な場所でした!
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憩いの場…笹井堰

2020-05-28 07:58:15 | 埼玉(ダム/堰堤)
荒川水系の笹井堰に来ました。荒川水系と書きましたが、この堰を流れるのは入間川(いるまがわ)で、入間川を挟んで狭山市と入間市に分かれます。笹井というのはここの地名です。





お魚さんが川を遡るための魚道です。



下流の様子。



上流側から見た堰



上流の入間川。



堰のすぐ下流のこれも魚道。なかなか芸術的じゃあ、あ~りませんか。





近くに民家が多いせいでしょうか、釣り人やら散歩人やらが大勢いました。ある意味で憩いの場になっています。
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フワフワ泥で近づけない…泥川ダム

2020-05-27 07:23:39 | 長野(ダム/堰堤)
北佐久郡軽井沢町大字長倉にある信濃川水系の「中部電力 泥川ダム」は県道157号から入るとあります。

「ご尊顔」です。



もう少し近づいてみます。



しかしながら近づけるのはこの辺りまで。ダムの左あたりに管理所らしきものがありますが、フェンスがあって入ることはできません。

下流の泥川の様子。その名の通り、泥でフワフワしています。ここに堤防を作るのは大変な作業かもしれません。



ちなみに泥川はこのダムの直後に湯川と合流し河川名は湯川となります。そして下流の湯川ダムへと至ります。
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定期巡回されている…茂沢防災ダム

2020-05-26 08:08:40 | 群馬(ダム/堰堤)
利根川水系の茂沢(もざわ)防災ダムは渋川伊香保インターの西側の県道25号から入っていったところにあります。1977年年完成。



ダムはあの先にあります。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色。遠くに見えるのは榛名山。



下流側の景色です。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダム。



対岸側に小さな管理室があります。





管理室の脇にある木彫りの像。う〜ん、なんか怖いな。



防災ダムは結構放置されているケースがありますが、ここは定期的に担当職員が見回りに来ているようです。訪れた日もバッタリ出くわしましたし。たぶん偶然ではないと思います。
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ここでお別れ…赤榛分水工

2020-05-25 07:28:51 | 群馬(ダム/堰堤)
渋川市上白井にある赤榛分水工(せきしんぶんすいこう)はダムもしくは堰堤とは直接関係はないのですが、その関連施設ということでご紹介します。この分水工は国道17号から大渕集会所付近を入ったところにあります。(参考

まずは群馬用水の概要図。群馬用水の目的はココからダウンロードできます。



続いて赤榛分水工の概要図です。簡単に言えば、赤榛分水工の役割は利根川の水の一部を赤城方面と榛名方面へ分配する施設というわけですね。



実際に見ていきましょう。利根川の水はこの赤榛開水路に引き込まれます。





上の写真の奥のところで分水が行われます。そして榛名幹線水路と赤城幹線水路に分かれます。



これが赤城幹線水路。ここから33kmにわたり水路が続きます。



こちらは榛名幹線水路です。ここから24kmの水路の旅が始まります。



群馬用水のイメージ・キャラクターは「ふーちゃん」だそうですが、なぜそう呼ばれるんでしょうね。上州の空っ風に由来するのでしょうか…。知りませんが。
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ダム上で飛沫を体感…綾戸ダム(堰堤)

2020-05-24 07:14:57 | 群馬(ダム/堰堤)
群馬県沼田市にある上越線「岩本駅」のちょい南にあるのが利根川水系の綾戸(あやど)ダムです。国道17号沿いにあるのですがクルマを停めにくいと思い、利根川を挟んで並走する県道255号から行きました。

県道は少し高台を走っているので、ダムは見下ろすような感じになります。



小道があるので歩いて階段を降りて行くと「綾戸ダム管理所」の看板。



でもフェンスがあって近づくことはできません。



たぶん、あれが管理所なんでしょう。ダムと一体化している感じ。



ダム上は歩いて対岸へ行くことができます。



ダム上、中央部から見た利根川の上流方面の景色。



一方、下流はこんな感じです。



対岸へ来ました。振り返ると、



お魚さんのための魚道は対岸側にあります。



対岸の国道17号沿いには立派な「綾戸ダム」の看板。



対岸、下流側から見たダム。



対岸、上流側から見たダム。



おっと、見逃すところでした…水利使用標識。



元の側に戻ろうとしたら、別の水路のようなものが。



その水路のゆくえを知ろうと、別の道からアクセスするも…。くはぁ〜、行けず。



そこにはなみなみと湛えた水があるのでした。





あとで調べてみると、これは群馬用水(赤城、榛名地域へ供給するための用水路)と、直線距離にして約13km下流にある東京電力佐久発電所(渋川市)で使用されるための水のようです。なお、綾戸ダムという名称になっていますが、高さは14.45mらしいのでダムの条件を満たしていません。従ってその定義からすると「綾戸堰堤」とするのが正しいと思われます。
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静と動の対比…小森ダム

2020-05-23 07:44:43 | 群馬(ダム/堰堤)
前回の藤原ダムから利根川を下ってきたところにあるのが東京電力の管理する利根川水系の小森ダム(利根郡みなかみ町粟沢)。なぜか大福ののぼり旗が付いています。



上の写真の看板は県道63号沿いにあるんですが、ここからダムへ近づくことはできません。下の写真の水利使用標識もズームしての撮影。



ダムの姿もこの程度しか見ることができないんです。



上の写真をよく見ると対岸のところに「上牧(かみもく)発電所取水口」の看板が見えます。これはダムの手前(写真だと左側)のところに取水口があって、そこから直線距離にして15kmほど下流にある上牧発電所と地下水路で繋がっています。つまり小森ダムは上牧発電所で使用するための水を確保するためのダムでもあるわけですね。

それにしてもダム・フリークとしてはダムをもっと近くで見たい。その思いから対岸へ行ってみることにしました。だいぶ下流のほうから遠回りして行くと…。ジャ〜ン、これが「ご尊顔」。



先ほど書いた取水口がここです。水はここから出て、



細い水路を通って上牧発電所へ向かうんでしょうね。



自由越流式のダムが静かなのに対し、この水路の轟音たるや! ん、実に対照的でした。
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安全な場所に停めましょう…藤原ダム

2020-05-22 07:56:21 | 群馬(ダム/堰堤)
利根川水系の藤原ダムは群馬県利根郡みなかみ町夜後にあります。県道63号を利根川沿いに登ってくるとこんな形で現れます。



そのまま県道を道なりに進むとダム上に行ってしまうので、ダム上に行かず、そのまま直進して管理支所に行ってみます。下の写真の看板はダム上から撮ったものなので、「水上温泉」と書かれた側から来たものとお考えください。



これが管理支所の建物です。





そこから藤原ダムはこんな風に見えます。



では、歩いてダム上に向かってみましょう。ダム上の手前には慰霊碑があります。その裏には建設の際に亡くなった20人の名が刻まれています。





ダム上です。先ほども書きましたが、これは県道63号でもあります。



上の写真の緑色の柱のところはちょっとした展望台になっています。



藤原ダムは1958年5月に完成したとあります。



そこから見たダム。



ふと管理支所側の山腹を見れば「藤原ダム」の文字が。



ダム中央付近から見た真下の景色。



下流の遠景はこんな感じ。



対岸へ来ました。振り返った時の景色です。



今度は貯水側の通路を通って戻ります。するとご存知の水利使用標識が登場。



味のあるプレート。



貯水側の景色。利根川ではありますが、藤原湖というのだとか。



ダムに設置されたプレート。当初は「藤原堰堤」だったんですね。竣工が1957年12月とありますが、これはダム本体の竣工日なんでしょうか。上の案内板では完成は1958年5月とあるので…。



水位観測所は1958年9月1日に設置。



訪れる際には管理支所の駐車場へクルマを入れるのが無難です。この県道は路肩が狭いうえ、そこそこの交通量があって危ないからです。
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小ぶりながらも…相俣ダム

2020-05-21 07:58:06 | 群馬(ダム/堰堤)
群馬県利根郡みなかみ町相俣(あいまた)には赤谷湖(あかやこ)がありますが、そこにあるのが利根川水系の相俣ダムです。アクセスは近くを通る国道17号から入って行きます。赤谷湖を横目に進んでいくと左手に見えるのがダムの管理支所。





そのすぐ先には赤谷湖が見渡せる展望台があります。展望台といっても高台にあるわけじゃなく、道路から湖にちょっと突き出ているだけなんですけどね。なお、赤谷湖はダム湖百選のひとつでもあります。確かに選ばれるだけのことはあって美しい眺望です。





あと50mでダムなんですが、その手前にあるのが慰霊碑。ダム建設にあたり17名が殉職したとあります。





その慰霊碑からダムはこんな風に見えます。



おっと、二つの水利使用標識を忘れていました。ひとつは相俣発電所用、もうひとつは相俣第二発電所用です。





お待たせしました。ダム上です。歩いてみましょう。



説明によれば相俣ダムが完成したのは1959年6月だそうです。



ダムから見る赤谷湖は、先ほどの展望台から見るのとはちょっと趣が違って良いです。



ダムの真下です。67mの高さのスリルはなかなかです。



下流の遠景はこんな感じ。



対岸へ来ました。振り返るとまるで工場の通路のよう。



最後に「ご尊顔」をどうぞ。こうして見ると間口が狭く高さのあるダムであるのがわかりますね。



ここから流れ出た水は赤谷川となって下流へ向かいます。
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工事中…大源太川第1号砂防堰堤

2020-05-20 07:53:07 | 新潟(ダム/堰堤)
大源太川第1号砂防堰堤(南魚沼郡湯沢町大字土樽)は上越線「岩原スキー場前駅」近くの県道361号から県道457号へ行ったところにあります。大源太川は上越のマッターホルンと呼ばれる標高1,598mの大源太山(だいげんたさん)から流れ出た川で、山の名称はその山の形が角ばっているところから角材を意味する方言「げんた」と大きな山という意味で命名されたようです。

到着しました。この記念碑によると堰堤完成は1939年11月30日だそうです。なんと戦前!



そして2003年には文化庁の登録有形文化財に指定されています。



堰堤建設のきっかけとなったのは1935年に大源太川が合流する下流の魚野川で暴風雨による大氾濫が発生したこと。農作物ばかりでなく上越線にも甚大なる被害が及んだそうです。そこで1938年5月からこの地で工事が開始され、翌年完成するという突貫工事だったらしい。



ところが、訪れた日には堰堤を補強する工事中で、終了予定日は今年の7月末だとか。あらら〜。



なので、堰堤の全貌を撮影することはできませんでした。でも、せっかく来たのでその一部だけですがいくつか撮影。

1930年代までは石積みの美しい模様の堰堤が多いのですが、ここもそうですね。



堰堤の上に掛かるのは「希望大橋」というさほど大きくはない吊橋。頑丈そうに見えますが、意外と揺れます。





希望大橋から見た貯水湖(大源太湖)の景色。



下流側はこんな感じ。この排水口からは凄い勢いで水が出ていました。ゴゴゴゴ…。



対岸へ来ました。振り返った時の景色。



対岸から見た大源太湖側の様子。



一方、対岸から見た下流側はこんな感じです。アーチ式なんですね。



大源太湖の周りには遊歩道もあるようです。



一番上の写真の記念碑には堰堤の高さは18mとあるので、名称はともかく定義上は「砂防ダム」になります。今回は工事中だったので、完成後にまた訪れてみたいと思います。楽しみ、楽しみ。
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三国川ダムを探りに…

2020-05-19 07:46:45 | 新潟(ダム/堰堤)
南魚沼市清水瀬にある信濃川水系の三国川(さぐりがわ)ダムに来ました。普通に読めば「みくにがわ」ですよね。なぜ「さぐりがわ」なんでしょうか。どうやらこの川の水は三つの国(新潟、群馬、福島)の境から流れてきたものなので「さんくに」→「さぐり」と呼ばれるようになったそうな。(参考

まずはダム下から見た「ご尊顔」。夕方みたいに見えますが、これは単なる逆光のせい。洪水吐(こうずいばき)から流れ出る水が魚の鱗のような模様になっています。



下流側から見たダム。



ダム横に来ました。管理所がお出迎えです。





ダム建設のきっかけは1969年8月12日に発生した大洪水だそうです。(日にちについては後述)



管理所前にはひときわ目を引くモニュメントがあります。説明によれば、三角形のパイプはダムを、球体は周囲に群生するシャクナゲの花を、そして楕円形のパイプはその葉を表現したものだそうです。制作者は誰なんでしょうねえ。





ダム周辺の案内図。





では、ダム上を進んでみることにしましょう。シャクナゲのレリーフがあちこちに付けられています。





管理所側に先ほど下から見た洪水吐があります。ご覧のように水位が低い時は写真正面の細い部分から流れ、高水位になると右側の自由越流式の部分から流れ出る仕組み。



そして、この水路から下流へ向かいます。



ダム名の記された碑はその内側にあります。ほとんどのダムは外側にあるので珍しいですね。



ここの標高は439.5mだそうです。シャクナゲちゃん(勝手に命名)が可愛らしい。



ダム上には三つのモニュメントがあります。まずは「平安の祈り 法輪」(1993.6)。作者の野上公平(のがみこうへい:1934-2015)は南魚沼市(旧塩沢町仙石)出身の彫刻家。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)卒業。



次は「水の精」(1993.6)。作者の藤巻秀正(ふじまきひでまさ:1937- )は十日町市(旧川西町)出身の彫刻家。多摩美術大学卒業。前回の大崎ダムにあったマリア像の指導者でもあります。



三つ目は「湖のみのり」(1993.6)。作者の小出雄次(こいでゆうじ)は南魚沼市在住の彫刻家。



ダム上、中央部から見た貯水側の景色。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



対岸へ来ました。こちら側にもダム名を記した碑が。



対岸、下流側から見たダム。



対岸の高台から見たダム。なかなかの大きさです。



下流側の山腹には小さな砂防堰堤が段々畑のように作られています。



管理所の先(貯水側)にはセンスの感じられる公園と、



大きな記念碑があります。その裏を見ると建設の経緯と1992年10月に竣工式が行われたことが記されています。大洪水が発生した日にちはここに記されています。





あ、この貯水湖は「しゃくなげ湖」っていうですね。



しっかりと作られた立派なダムだと思います。
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田川第2号砂防ダム(大崎ダム)

2020-05-18 07:59:48 | 新潟(ダム/堰堤)
新潟県南魚沼市大崎に「大崎ダム公園」というのがあるので行ってみました。公園とありますが、たぶん近くにダムがあると感じたからです。場所は国道17号から国道271号に入り、八海山尊神社社務所付近から脇道を登って行くとあります。

案内図によれば、ダムが完成したのは1979年だそうです。



ダムへは近くの未舗装の小道をクルマで行くこともできますが、歩くならここから。それにしても「新潟県森林浴の森100選」というのも気になりますね。検索すると全てを制覇している人がいた…。どこにもマニアはいるもんですなあ。(参考



ダムの近くにまた案内図です。ここで注目なのは「2号砂防ダム」と記されていること。理由は後で判明します。



この案内図の隣にはなぜかマリア像の説明が…。「ぜひ近くに行ってご覧ください」とあるので行ってみましょう。あの山腹ですな。



途中にある小さな橋。橋の下を丸い穴三つにするなんざぁオシャレですな。ふと以前訪れた岐阜にある地獄平砂防堰堤を思い出しましたよ。まあスケールは全く違いますけどね。



斜面中腹のマリア像のところまで来ました。





大体見晴らしの良いところに設置されるのはダム建設の際に亡くなった人々を追悼するための慰霊碑なんですが、ここは例外のようです。マリア像設置の経緯は次の通り。

1968年4月大崎中学校は他の三つの中学校と二つの分校とともに統合され、大和中学校と改称します。当初は名称が変わっただけで旧校舎を使用していましたが、1971年には全ての学校が完全に移転したそうです。(参考

大崎中学校跡地はその後売却され工場が立っていましたが、その工場も閉鎖。唯一残されたのがこのマリア像だったとか。案内板の説明にもあるようにこの像はまだ大崎中学校があった頃の美術クラブの学生たちが共同で完成させたものだそうです。当時彼らを指導していたのが現在二科会評議員である藤巻秀正(ふじまきひでまさ:1937- )氏で、この像をどこかに設置できないかということで、結果として1986年9月、この地に安置されたとのこと。ふ〜ん、なるほど、なるほど。

さて、ダム本体へ行ってみます。



ダム横になります。



下へ降りられそうなので行ってみましょう。



看板がありました。「田川 第1号 砂防ダム」あれれ、先ほどの案内図では「2号砂防ダム」と書いてありましたよね? 一体どっちなんでしょうか。



まあ、いいや。とにかく砂防ダムの「ご尊顔」を…と思いきや、上方にプレートらしきものを発見。



ズームしてみましたが、よく見えませんね。ただ、一番上の行が「田川●2●砂防ダム」というのだけは判別できます。おそらくダム本体のプレートの記載に間違いはないでしょうから、先ほどの「1号」は誤りということになります。この看板をを設置する際、担当者は確認しなかったんでしょうかね。



最後に、ダムから流れ出た水はこんなに綺麗。

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発展してほしい…清津大橋

2020-05-17 07:24:36 | 橋のユニークな親柱
新潟県中魚沼郡津南町を流れる川を清津川というんですが、そこを横断する国道117号に掛かる橋が清津大橋。その親柱には2つの装飾が施されています。

ひとつは玉を持つ龍。もっとも、手足がないので頭部を見なけれりゃ蛇。まさに竜頭蛇尾…意味がちゃうか。





もうひとつは雪国ならではデザインです。ピンボケですみません。





ピンボケだったのは周囲が真っ暗だったからです。では対岸へ行ってみましよう。



対岸の十日町市に来ました。こちらは明るい。



こちら側も2つの装飾。蛇のような龍と、



可愛らしい雪ん子たち。橋は1996年8月竣工だそうで。



龍は想像上の動物であり、手足があったかどうかを確認する術はありません。もしかすると実は龍は手足のない動物だった可能性だってあるんですからね。だからここのデザインがあながち間違いとは言えません。

ただね、先に「竜頭蛇尾」なんてシャレで書いたのですが、この意味を適用してしまうとあまりよろしくないです。だって「最初は勢いがあるが、終わりには勢いがなくなる」という尻すぼまりの意味なんですからね。あまり縁起の良いもんじゃないしょ。
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