ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

石岡第一発電所取水堰堤へ近づくも…

2021-01-12 07:04:06 | 茨城(ダム/堰堤)
昨年というか、先月訪れた茨城県の小山ダムの下流には大北川水系の石岡第一発電所取水堰堤(高萩市横川)というのがあったんですね。最近気づきました。しかも前回の小山ダムからの帰り道(県道22号)の途上にあったのに見過ごしていたんです。アホやなぁ〜、ワシ。

…てなわけで、当該の堰堤に向かうことに。県道22号の道幅は狭いですが舗装はされています。そして堰堤はそこからこの未舗装の道を入って行くようです。



もうちょい先かな…。



一般の見学者が行けるのはここまで。



水利使用標識です。ズームしてもあまり良く見えません。



で、肝心の取水堰堤は?というと、どうやらこの奥にあるようです。写真に見えているのは堰堤の取水口から分流してきた水の沈砂地で、一番上の写真の未舗装路と並行している水路は、直線距離にして約3km下流にある石岡第一発電所(北茨城市中郷町)へ続き、発電用に使われるのでしょう。たぶん。





今回は取水堰堤を拝むことはできませんでしたが、ほとんど注目もされないであろう沈砂地の様子を垣間見ることができたのは収穫でした。まあ、こんなのも全国あちこちにあるんでしょうねえ。
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海がちょこっと…花貫ダム

2021-01-11 06:52:14 | 茨城(ダム/堰堤)
今回訪れるのは茨城県高萩市秋山にある花貫川(はなぬき)水系の花貫ダムです。アクセスは国道461号沿いにあるのですぐにわかります。事前に調べたところによれば、開門は午前9:00なので早朝に行くと入れないかもしれません。なので要注意。

国道を花貫川に沿って登っていくと…見えてきました、あれですね。



花貫ダムの管理事務所は国道沿いにあります。「海の見えるダム」? どういうことなんでしょうね。





花貫ダムの諸元表です。洪水調節、水道用水、工業用水を確保するための多目的ダムで、1973年3月に竣工だそうです。



左岸、下流側から見たダムの様子。



同、貯水側から見るとこんな感じ。



そして、これがダム上。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た真下の景色。



下流の遠景はこんな感じです。



ダム上、中央にある建物の壁にテープで貼られている案内図。いやいや、ちゃんとした案内板にしましょうよ。



一方、貯水側の景色はこんな感じ。夕方のように見えますが、これは逆光のせい。本当はもっと明るいんですよ。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸、貯水側から見た様子。



対岸、下流側からダムを見るとこんな感じです。



で、「海の見えるダム」とありましたが、どうやらあれのようです。写真中央に小さく見えるブルーの部分が太平洋なんでしょうね。



元の側(国道側)に戻り、貯水側からダムを撮ってみました。



ふと近くを見ると、石碑が。「茨城観光百選第二位入選記念 花貫ダムと花貫渓谷」とあります。なんですかね、これは。



その裏には茨城観光百選設立の経緯が記されています。リンク先にもありますが、茨城観光百選とは1985年のつくば万博開催を記念して、県民投票で選ばれた茨城の観光地ベスト100だそうな。



そして、その横には入選を記念する植樹の石碑。



二つの石碑の間に記念植樹があるのですが、なんかすっかり枯れちゃってますけど、大丈夫なんでしょうか。心配になります。



これで、茨城県が管理する7つのダムは全て制覇しました(笑)
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多面的に興味深い…十王ダム

2021-01-10 06:50:10 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県日立市十王町友部(じゅうおうちょうともべ)にある十王川水系の十王ダムに向かいます。アクセスは常磐自動車道の日立北インターチェンジを降りて、北へ2キロほど行った県道60号沿いにあります。

県道を進んで行くと…これですね。



ダム横には、なんとカリヨンがあります。これは複数の鐘を組み合わせて演奏するもので、ここでは時報のように鳴るようです。訪れた時には聞けませんでしたが。そういえば、カリヨンはどこぞの音大にもあったような…。



また、高さ50mまで上がるダムの噴水も定期的に見られるそうな。



その奥にあるのが十王ダムの管理所。





ダム横近くには「十王ダムのしくみ」や、



概要と諸元が記された案内板があります。



諸元の中で住所が「多賀郡十王町(じゅうおうまち)」となっていますが、2004年11月1日に日立市に編入されたため現在の住所は「日立市十王町(じゅうおうちょう)」になります。

ところで、十王ダムの名称はもちろんこの地名に由来するものですが、そもそもはここを流れる十王川(じゅうおうかわ)を堰き止めて造られたダムなのでそう呼ばれるのでしょう。ついでにこの十王川の由来も調べてみました。昔、この川は友部川と呼ばれていたそうですが、1842年に作成された検地絵図によるとそこに十王を祀った十王堂が描かれていたため、以来十王川と呼ばれるようになったそうです。(参考

【十王について】
なお、十王とは仏教もしくは道教において、亡くなった者が地獄で裁きを受ける際の裁判官に相当し、初七日から三回忌までに10回の審理が行われるそうですが、それぞれの回で別の王が審議するのだとか。その内訳は次の通り。

初七日:秦広王(しんこうおう)
二七日:初江王(しょこうおう)
三七日:宋帝王(そうていおう)
四七日:五官王(ごかんおう)
五七日:閻魔王(えんまおう)
六七日:変成王(へんじょうおう)
七七日:泰山王(たいざんおう)
百か日:平等王(びょうどうおう)
一周忌:都市王(としおう)
三回忌:五道転輪王(ごどうてんりんおう)

これについては、平安時代中期に活躍した天台宗の僧侶、恵心僧都(源信)が著した『往生要集』(985年)の中で詳細に記されています。

では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。ダム横には「十王ダム」「十王湖」と刻まれた石碑があります。これによれば、ダムの竣工は1994年3月。





ダム上、中央付近から見た真下の様子です。



下流側の遠景はこんな感じ。



一方、貯水湖である十王湖の様子。



ダム上、中央にある建物の壁面には十王町の花「桜」(これは多賀郡十王町時代の町花。日立市の市花でもある)が満開。



でも、桜も色々あるよ…ってんで、欄干には各種の桜が描かれたプレートが嵌め込まれています。

ソメイヨシノ


シダレザクラ


ヤエザクラ


カンヒザクラ


ミヤマザクラ


その建物の反対側には違うデザイン。鳥のようですが…。



穴埋め問題かっ! 多賀郡十王町時代の町鳥ならば「鵜」ですが、日立市の市鳥は「ウミウ」なんですよね。



対岸(右岸)側の斜面には「十王ダム」と切り揃えられた植木。



しかし、上の写真部分は本当の対岸ではなく曲がっていて、ここが本当の意味での対岸となります。



対岸、十王湖側から見たダムの様子。



十王ダム周辺の案内図です。これでダムの位置関係がわかると思います。



十王ダムはカリヨンやら噴水やらのエンターテインメントがありつつ、歴史的な興味もそそられる施設だと思いました。十王川についての資料館などが併設されていればもっと良いのにね。
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イカツイけどユーモラス…竜神ダム

2021-01-09 07:11:48 | 茨城(ダム/堰堤)
久慈川水系の竜神ダム(茨城県常陸太田市下高倉)は県道33号(常陸太田大子線)の「竜神ダム入口」から入っていきます。

【久慈川の由来】
ところで、久慈川の由来を調べてみました。史料として最初に登場するのは元明天皇が713年に編纂を命じ、725年に成立した常陸国(現在の茨城県全域に相当する)の地誌である『常陸国風土記』です。これは、常陸の国司が九つの郡(新治、筑波、信太、茨城、行方、香島、那賀、久慈、多珂)の説明や古老の話をまとめたもの。この中で、久慈の郡の説明のところに久慈の由来が書かれていて、「郡家の南に小さな丘がある。その形が鯨に似ている。(それを見た)倭武天皇(ヤマトタケル)が久慈と名付けた」と書かれています。ちなみに「郡家(ぐんげ)」とは郡の役所のことで、郡衙(ぐんが)とも言います。

では、ダムへ向かいましょう。見えてきました。なんとも特徴のあるダムですね。



ダム横の駐車場には3枚の案内板があります。まずは竜神ダムの案内板。1979年3月に完成した多目的ダムだそうです。



お次は周辺案内図。これを見れば竜神ダムの位置関係がわかると思います。



最後はダムの構造と配分図。これはマニアック過ぎて、ワシには興味の対象外。



竜神ダムの諸元のプレートが嵌め込まれた石碑。すごいね、石碑として独立させちゃうんだから。





ダム横には「竜神ダム竣工記念碑」の石碑。



その奥にあるのが竜神ダムの管理所。写真上に見える吊橋は「竜神大吊橋」で、吊橋の上からバンジージャンプを体験できるそうな。どうりで時折絶叫が聞こえたわけだ。最初、なぜ昼間から動物が吠えているんだろう…と思ったら、そういうわけでした。





では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水湖(竜神湖)の様子。



ダムの真下はこんな景色。



そして、下流側の遠景です。



ダム上、中央には何かの操作室の建物がありますが、何だかカワイイ。ドアをノックしたら「はい、どちら様ですか?」と言われそう。



対岸(右岸)に来ました。突き当たりには「こちらからも竜神大吊橋へ行けますよ」という看板。もちろん行きませんでしたが。



対岸から振り返るとこんな感じ。



対岸、竜神湖側から見たダムの様子。



同、下流側からダムを見るとこんな感じです。



屋根が三角なのはもちろん降雪対策なのでしょうが、堅牢なイメージのあるダムの中にこれがあることでユーモラスな雰囲気を醸し出しているように思います。
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訪問の際には注意…御前山ダム

2021-01-08 06:52:59 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県常陸大宮市上伊勢畑(かみいせはた)地内にある那賀川水系の御前山(ごぜんやま)ダムを目指します。御前山という名称はこの付近が2004年に町村合併されるまで東茨城郡御前山村だったことに由来するものと思われます。ダムの完成は2008年だそうですから、御前山という地名を残そうという意図だったのではないでしょうか。アクセスは県道212号から県道39号へ入って行くと到着のようです。ただ、地図を見ると県道212号から「ご尊顔」が拝めそうなので、まずはそちらへ行ってみます。

お〜、見えました。ロックフィルダムのようですね。滑り台のように見えるのは洪水吐の排水路です。



ふと、足元を見るとこんなものが。トンネル内から出てきた幸運なまん丸い石だそうです。「さわってあげましょう」って、なんかおかしな表現だなぁ。扱いがまるで生き物か何かのようだからです。もしかして触ると石が笑うとか? んなわけ、あるかい! でも、触りましたけどね。



では、県道39号をダムへ向かっていきます。するとダム横が見えました。でもこれはズームしているので、実際にはもうちょっと遠くにあります。



右岸の貯水側から見たダムの様子です。



県道沿いにダムの駐車場があるようなのですが、なぜか閉まっています。おかしいな…確か事前に調べた情報では午前9:00には開門とあったはず。訪れた時間は午前9:30なのに。



近くにこんな看板が。確かに午前9:00に開門とあります。じゃあ、開いてるはずじゃん。なぜだ? ふとその下の「閉鎖日」を見て愕然。「毎週月曜日」とな! なるほど、それで閉まっていたのか。というのも、訪れたのがまさに月曜日だったのです。オーマイガッ!



駐車場のさらに上流側にあるのが御前山ダムの管理所。もちろん休日なので誰もいません。





農林水産省管轄のダムですが、いかにも役所的な発想だなと思いましたね。これじゃあ月曜日が休日の床屋さんは見学できないじゃないですか。もちろんワシは床屋さんじゃないけど。

もう少し見学者のことを考慮して欲しいなあと思いますね。
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カラスも歩く…小場江頭首工

2021-01-07 07:06:12 | 茨城(ダム/堰堤)
茨城県常陸大宮市三美(みよし)にある那珂川水系の小場江(おばえ)頭首工は那珂川に設置された堰で、戦後洪水被害が多発していた那珂川の治水整備事業のひとつとして作られたもの。現在のものは昭和47年(1972年)に改築されたもののようです。アクセスは国道123号から桂運動公園を目指し、さらに那珂川に向かっていくとあります。

頭首工ではありますが、ワシが勝手に命名した「ヘーベル君」はここにはありません。なので、ちょっとガッカリ。



真横から見るとこんな感じです。



そして、那珂川上流側からはこんな風に見えます。



ついでに那珂川の上流の景色もどうぞ。



ここは護岸工事がなされていないせいか、頭首工のすぐ近くまで行くことができます。なので、頭首工の真下にある洪水吐?も、こんな近くで見ることが可能。



沈砂部分も、こんなにアップで見学することもできます。



これは何だかわかりますか?魚道ですよ、魚道。お魚さんの気分が味わえます。



角度を変えて、もう一枚。



これは水際を歩いた鳥の足跡。よく「目尻にできるカラスの足跡」って言いますが、これを見た瞬間、思わず「なるほど!」と納得しました。



見学対象に近づけるのは嬉しい限りですが、周辺にちゃんとした堤防がないので豪雨が起きた際に果たして大丈夫だろうかと却って心配になってしまいます。
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厚い氷が張ったら?…小坂ダム

2021-01-06 06:43:19 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県東茨城郡城里町小坂(しろさとまちおさか)にある那珂川水系の小坂ダムを訪ねてみました。アクセスは県道61号から常北小近くを入り、西田川に沿う道を進んで行くと到着します。

これですね。アースダムでしょうか。



これがダム上ですが、手前半分だけが舗装されていて、奥の半分は未舗装。



真冬には貯水池に氷が張るんでしょうか。「氷が割れる」という前提で書かれていますが、割れないくらい厚い氷が張ったら立ち入っていいんですかね。それでも入っちゃいけないのかな。屁理屈ですか?そーですか。



貯水側からみるとこんな感じ。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



下流側の景色はこんな感じ。



対岸(右岸)側に越流式の余水吐があります。増水すると、ここから溢れ出て、



あちらへ流れていきます。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。地面がフカフカなので歩きにくい。



残念ながら、ここが小坂ダムという看板はありません。まあ、でもグーグル先生の地図にはそう書いたあったので、そうなんでしょう。ちなみに国土地理院の地図にはダム名が出てません。
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コンパクトな…藤井川ダム

2021-01-05 06:54:14 | 茨城(ダム/堰堤)
茨城県東茨城郡城里町下古内にある那珂川水系の藤井川ダムに行ってみました。地理的には前回の楮川ダムの北西にあたり、アクセスは県道51、52、61号の三方向から行くことができます。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



これがダム上です。車両は通行できますが、道幅が狭いので交互通行となります。



ダム上、中央付近から見下ろすとこんな景色が。



そして遠景はこんな感じ。



一方、貯水側の景色はこんな感じです。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな景色です。県道52号からアクセスすると最初に目にするのがこの景色です。ダムの竣工は1976年10月。







左岸の上流側に見える建物は管理所でしょうか。行ってみましょう。



管理所入口にある、ポツンと置かれた「茨城県藤井川ダム管理所」と銘打たれた石。なぜこんな場所にあるんですかね。



管理所へはここから入っていきます。



これが藤井川ダムの管理所。う〜ん、なんだか管理所紹介みたいになってますね。





管理所からダムはこんな風に見えます。



すぐ近くには非常用の洪水吐があったようですが、行ったその時には気づかず撮り忘れました。次回訪れることがあれば見てみようと思います。
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水戸市民の水瓶…楮川ダム

2021-01-04 07:05:05 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県水戸市田野町楮原(たのちょうこうぞはら)にある那珂川水系の楮川(こうぞがわ)ダムに来ました。ここはリンク先にも記されている通り、水戸市が管理する上水道専用のダムです。1986年3月竣工。

まずは右岸の下流側から見た「ご尊顔」をどうぞ。



これが右岸から見たダム上です。ご覧のように直線ではありません。車両通行可。では進んでみましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水湖の様子。小鳥たちがパシャパシャ遊んでいますね。



ダムの真下はこんな感じです。高さ35mなので、そんなに恐怖を感じません。



下流側の遠景。



ダム上の途中にある突き出した建物に貼られている水利使用標識。建物に近づこうとしましたが立入禁止なのでズームで撮影。でも記載内容がさっぱり読めません。とほほ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



ダム本体に嵌め込まれた諸元のプレート。



左岸から見たダムの様子。



左岸には楮川浄水場があります。ダムの管理事務所はその横(写真を撮り忘れました)。



浄水場の目の前にはこんなモニュメントが。「不尽(ふじ)の池」とありますが、これは貯水湖を指すのでしょうか、それともこのモニュメントの名称なのでしょうか。





楮川ダムの案内図です。この説明によると、このダムは川を堰き止めて作られたのではなく、那珂川から水を引き入れ、それを貯水するための施設で、その水が浄水場に送られて水道用水になるんですね。勉強になります。



左岸、貯水側から見たダムの様子です。



上の写真の左隅に「車上荒らしに注意!」という看板が見えます。え? この付近て意外に物騒なのかしらん?
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苦難の歴史を留める…三野輪池

2021-01-03 06:40:11 | 茨城(ダム/堰堤)
茨城県水戸市三野輪町(みのわちょう)にある那珂川水系の三野輪池へ行ってみました。地図によれば県道52号から入って行くようなのですが、それらしき道が見当たりません。注意深く探すと、どうやらここから行くしかなさそうです。柵があるので、ここにクルマを止めて歩いていきます。



落ち葉を踏みしめながら歩いた先にお目当ての三野輪池がありました。これがいわゆるダム上です。



左岸からダム上を歩こうとすると、こちら側に越流式の余水吐がありました。増水すると、ここから溢れ出て、



あちらへ流れていくようになっています。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。良き眺めです。



下流側はこんな感じ。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。それにしてもダム上に電柱がブッ刺さっているのは初めて見ました。ワイルドだなぁ。



対岸、貯水側から見た様子です。



対岸をふと見れば、石碑のようなものが…。



近づいて見ると「三の輪池改修工事竣工記念碑」でした。概要を記すと、昭和29年(1954年)から昭和35年(1960年)3月にかけて改修工事が行われたとあるので、三野輪池はそれ以前に既に存在していたと思われます。そして翌36年(1961年)6月に発生した未曾有の豪雨により池が決壊し、下流85町歩の田畑が流出するという惨事に見舞われます。その後、昭和39年(1964年)3月に池は復旧竣工され、流域300町歩の農地を潤し今日に至るとあります。



なるほど、過去には苦難の歴史があったんですね。

しみじみ。
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先人の労を想う…不動谷津池

2021-01-02 06:59:13 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県笠間市小原にある那珂川水系の不動谷津池(ふどうやついけ)を訪ねてみます。アクセスは県道193号から保呂輪(ほろわ)神社(768年創建)へ向かう道を進んでいきます。

到着しました。これのようです。



これが、いわゆるダム上ですが、ご覧の通り柵があって立ち入ることはできません。



仕方がないので左岸側から色々眺めてみます。



上の写真でお分かりのように、余水吐は左岸側にあります。越流式のそれは増水すると、ここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



左岸から見た池の様子です。



左岸側には「竣工記念碑」があります。これによると着手は1969年で、完成は1977年だそうです。



その隣には築造の経緯が記された石碑があります。1968年2月、地元の水利組合や中堅青年研究会などが農業経営の生産性の向上と農村集落の環境整備をすることこそ真の繁栄に繋がると考え、推進協議会を結成。そして土地改良事業の運動が始まり、不動谷津池をはじめとする周辺の池の整備が開始されたとのこと。



その石碑から見た「ダム上」の様子。写真手前が余水吐です。



このような経緯を知ると、見た目は単なる池にすぎませんが、築造までにどれだけの人々の協力と御苦労があったのかがわかりますね。そして、池の完成により現在の豊かで安全な暮らしが実現しているわけです…。

素晴らしいじゃないですか!
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バブルの最中に…飯田ダム

2021-01-01 06:34:00 | 茨城(ダム/堰堤)
世の中は正月なので、一応ご挨拶を。あけましておめでとうございます。本年もダムッて行きまっせ! よろしくちゃん!

というわけで、新年最初は茨城県笠間市飯田にある那珂川水系の飯田ダムを訪れてみようと思います。場所は国道50号沿いにある笠間警察署近くの県道39号に入り、しばらくして斜め右の道を進むとあるらしい。

見えてきました。あれですね。



ダム横に来ました。まず目に止まるのが管理所の建物。実にユニークなフォルムです。





飯田ダムの概要と諸元表。涸沼川(ひぬまがわ)総合開発事業の一環として築造された多目的ダムだそうです。ちなみに涸沼川の名称の由来は10世紀半ばに関東で発生した平将門の乱を記した『将門記』の中に「吉田郡蒜間(ひるま)の江」という記述があり、蒜間が涸沼に転じたものだそうな。(参考)ほほぅ〜。



飯田ダムのしくみ。多くの川から集まった水がここでダムになっているんですね。



巨大な岩に無理やり嵌め込まれた感のある諸元表。1990年3月竣工だそうで。





「明日をつくる豊かな水」…スローガンのようですが、何も石碑にしなくても…。いいんですけどね。



左岸から見たダムの様子。



さて、ダム上を歩いてみましょうか。



ダム上、中央付近から見た真下の様子です。高さ33m。



下流の遠景はこんな感じ。



一方、貯水側の景色はこんな感じです。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな景色。



対岸、下流側から見たダム。



対岸、貯水側から見た様子です。管理所とその隣で並んで建っている何かの建物が仲良しに見えます(笑)



いわゆるバブルが崩壊し始めた頃に完成したダムですが、華やかさはありません。堅実・地味な印象を持ちました。まぁ、ダムですからそれでいいんですけどね。
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色々学べるョ…南椎尾調整池

2020-12-31 06:20:13 | 茨城(ダム/堰堤)
茨城県桜川市真壁町椎尾(しいお)にある利根川水系の南椎尾調整池に来ました。まずは左岸から見た調整池の様子です。



貯水側から見るとこんな感じ。



これがいわゆるダム上。進んでみます。



越流式の余水吐が左岸側にあり、水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



余水吐の橋を渡ると南椎尾調整池についての案内板があります。ここは霞ヶ浦用水事業のひとつとして、降雨分布が不均一なこの地域のために農業用水・水道用水、そして工業用水を安定して供給するために造られたものだそうです。



この案内板の隣には「つくしこ調整池」の石碑があります。



その裏には「つくしこ由来」と題する文。それによると、奈良時代の歌人、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ:生没年不詳)が詠んだ句、

鷲の住む「筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率いて 娘子壮士の 行き集ひ かがふ嬥歌」に 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな (万葉集:巻9-1759)

が載せられています。でも、この石碑では上の全文のうち「」部分を転載しているのですが、全文掲載でないのはどうしてなんでしょうね。なにも抜粋せずに全部載せてあげたら良いのに…。



ちなみに「」内の補足説明をしときましょう。
・裳羽服津(もはきつ)…地名らしいのですが、正確なところは不明。
・娘子壮士(をとめをとこ)…若い男女の意味。石碑では「娘子荘子」となっていますが、これは間違いと思われます。
・嬥歌(かがひ)…元々は歌を歌いながら踊る宗教行事のこと。ここでは男女の出会いの場という意味で、今風に表現するなら婚活パーティーのこと。

…と、万葉集を引用するのは良しとしましょう。また、調整池を建設するにあたり用地を提供した人々の名前を載せるのも大切なことです。でもね、タイトルになっている「つくしこ由来」がどこにも書いてないんです! どういうことやねん! で、由来はなんなん?

すみません、取り乱しました。気を取り直して歩きます。ダム上、中央付近から見たつくし湖の様子はこんな感じです。



一方、下流域の景色です。



対岸(右岸)まで来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、つくし湖側から見た様子。



同、下流側から見た様子はこんな感じです。



調整池の周囲には色々な案内板があります。まず、筑波山の中腹でミカンが採れる理由。



調整池の地理的な位置。



そして、詳細に書かれた霞ヶ浦用水の歴史。なかなかの力作です。



部分を拡大しますんで、お読みになりたい方はどうぞ。









これは子供向けの案内板かな?



これは一体なんなのでしょうね。脇の看板はのっぺらぼうなのでわからず。



「紫の 山と薬師の 影うつす 水辺に映えよ 若き桜木」と刻まれた石碑。紫の山とは筑波山のことです。それは朝夕に色が変わって見えることからそう呼ばれるようになったそうな。紫峰とも言います。残念ながら作者名はよくわかりませんでした。



調整池でありながら、色々学ぶことの多い場所でした。興味のある方は是非行かれてはいかがでしょうか。

本年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。来年も頑張りますんで、よろしくちゃん!
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横長でシンプル…小山ダム

2020-12-18 06:46:11 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は茨城県高萩市横川にある大北川水系の小山ダムに向かいます。アクセスは県道22号を行くと到着します。

見えてきました。これですね。



県道沿いに入口を示す看板があるのでわかりやすい。



入って右手に見えるのが管理事務所。



心霊現象の番組のタイトルに出てきそうな字体。ぞぞぞ〜。



管理事務所からダムを見るとこんな感じ。



ダム上に行くには少し歩きます。



ダム上近くまで来ました。脇には小山ダムと刻まれた石碑。2005年7月竣工とあります。



近くには「小山ダム建設協力感謝の碑」。それによると大北川はこれまで何度も氾濫し、下流の磯原地区に甚大な水害を起こしてきた。そのため大北川の洪水調節と利水の安定供給を目的としたダム建設が決まったのだが、決定からダムの完成まで何と34年もの年月がかかったとあります。また、ダム建設に際しては15戸の移転と150余名から土地提供の協力を得たと記されています。



貯水湖の名称は「こやま湖」。



その裏には湖名の由来が書かれています。要するにここの地名を付けたのですが、わかりやすくするために敢えて平仮名で表現したそう。



では、ダム上を歩いてみます。その長さ、462m。なかなかの長さです。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。あれれ、こちらは2005年3月になってます。上に見た石碑と4ヶ月違いますが、どういうことなんですかね。



下流側から見たダムの様子。



歩を進めます。ダム上、中央付近から見た「こやま湖」の様子。



65m下の様子です。「こやまダム」と刈りそろえられています。



遠景はこんな感じ。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸、下流側から見たダムの様子。こうして見ると横長のダムであるのがわかりますね。



2000年以降に作られたダムにしてはちょっと素っ気ない感じです。しかし、要は水害防止をするのが目的なのですから、これはこれで良いのです。
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かたくりの里…水沼ダム

2020-12-17 07:04:41 | 茨城(ダム/堰堤)
今回は北茨城市華川町小豆畑(きたいばらきしはなかわちょうあずはた)にある大北川水系の水沼ダムに向かいます。アクセスは県道153号から入るのが無難。ダムの上流から左岸へ行く感じになります。地図を見ると県道27号から花園川沿いにダムの左岸へ行く道もありますが、ダムまであと2kmというところで万事休す。ダムへ辿り着くことはできません。

…というわけで、水沼ダムの上流からの道を来ました。するとダムを発見。あれですね。



ダム横に来ました。



花園川を堰き止めて造られた貯水湖です。



ダム横の脇に管理事務所があります。





水沼ダムの案内板。治水と利水を目的とする多目的ダムだそうです。1962年に着工し、1966年6月完成。



では、ダム上を歩いてみましょう。



ダム本体に嵌め込まれた「花園川」と「水沼ダム」のプレート。





ダム上、中央付近から見た貯水湖の様子。



同、ダムの真下はこんな感じ。



その遠景です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見たダムの様子。年季の入ったダムという感じですね。



対岸、貯水側から見るとこんな感じ。



このあたりは「かたくりの里」というそうです。万葉の歌人、大伴家持(718-785)が唯一カタクリについて詠んだ歌、

「物部の八十少女らが汲みまがふ 寺井の上の堅香子の花」(万葉集:巻19・4143)
(大勢の少女たちが集まって水を汲んでいる。その寺の井戸の傍に咲くカタクリの花よ)

のことが記されています。





また県道から入ったすぐのところには水沼ダムの諸元が書かれた看板がありました。



(おまけ)
最初に花園川沿いから遡るとダムへたどり着けないと書きましたが、万事休すの場所がこちら。



これを見た瞬間、本当に脱力しましたよ。しばし呆然…。ま、これも冒険、冒険。
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