どーも、ワシです。今回は岩手県盛岡市下厨川四十四田(しもくりやがわ しじゅうしだ)にある北上川水系北上川の四十四田ダムを目指します。アクセスは国道4号の「高松」交差点を松園(まつぞの)方面へ曲がり、しばらく行ってから「四十四田」方面へ行くと到着します。
【四十四田の由来】
ダム名である「四十四田」。これは何に由来するんでしょうね。気になったので調べてみました。このサイトによれば平安時代中期の武将である安倍貞任(あべのさだとう:1019?-1062)が住んでいた厨川柵、現在の館坂橋(たてさかばし)付近から上流に数えて44番目の沢があったあたりなのでそう呼ばれるようになったとあります。何気なく読めば「へぇ〜、そうなのか」と思ってしまいますが、じゃあ「田」はなぜ付いたのかと気になりますね。だってその説明ならばダム名は「四十四沢」でもよいはずじゃないですか。でも、そうじゃない。うーむ、どういうことなんでしょうね。一方、別のサイトを見ると、このダムを築造するにあたり44の田んぼが水没したことに由来すると聞いたことがあると書かれています。こちらは真偽の程は不明ですが、なんとなくこの説のほうがしっくりくるような気がするんですが本当のところはどうなんでしょうか…。
とりあえず北上川の左岸側へ行き、ダム下へ向かいます。近くまでは行けませんが、「御尊顔」を拝むことはできました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c9/f63cefb4f5abc8a83cf3d0aec54212fc.jpg)
その下流には水管橋があります。横から見るとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d8/99839b443bb2746d5521ae7ac516cf8f.jpg)
河川占用許可表示板を見ると、これは上水道給水のために建設されたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/79/9f1ab94486a2f93bad80be0bb95a03f8.jpg)
正式名称は「四十四田水管橋」で、1984年6月に完成したものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/20/2928a24392eb8b0fadb766494faf28bd.jpg)
では、左岸のダム横に向かいます。そこには四十四田ダムの概要を記した案内板があります。説明には当該ダムは「北上川改修計画のひとつとして、石淵、田瀬、湯田ダムに続いてつくられた」とあります。あれ?数日前に書いたように田瀬ダムが国の直轄ダムの第一号じゃなかったっけ?(参考)念の為調べてみると、確かに田瀬ダムのほうが早く着工し(1941年)、石淵ダムはその4年後の1945年に着工しました。なので確かに田瀬ダムが直轄ダムの第一号であるのは間違いではありません。ところが石淵ダムは1953年6月9日にダム本体は完成していて、一方の田瀬ダムは1954年10月に竣工。だからこの案内板の説明は間違ってはいません。ちなみに石淵ダムはその後2013年に胆沢川(いさわがわ)の下流に胆沢ダムが完成したことで水没し、現在は見ることができないそうな。
で、話を戻すと、四十四田ダムは洪水調節と発電を主な目的とした重力式コンクリート・アース複合ダムで、昭和37年に工事が開始され、昭和43年(1968年)に完成したそうです。高さは50.0m、長さは480.0m。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/0a/a5df1eeead8da5fffc7d4709826c1258.jpg)
そこから見たダムの様子。これも絵になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b2/a876c71edd517cafd93d92ed6ed93a16.jpg)
左岸から見たダム上。歩いてみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ae/f0e1316ddb3791c2357a354b729e5a47.jpg)
右岸に向かって歩いていくと欄干に四十四田ダムの一口メモが貼られています。その1「ダム上は一時期道路として使用されていた」。ダム完成の2年後の昭和45年10月に開催された岩手国体のため、下流にある現在の市道に切り替わるまで8年の間、臨時の市道として松園ニュータウンと国道4号を結ぶ道路として使用されたそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/7e/97b22bc221acc3dbf513f937d5675740.jpg)
その4「四十四田ダムが衣裳替え!?」。四十四田公園下の法面にある「文字」が季節によって変わるというもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/82/09f758c29cf0027194b4980ac5bc8929.jpg)
ということで、左岸の斜面を見ると確かに「四十四田ダム」の文字が。これが季節ごとに変わるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/dc/f7be387bce7d1930d242014027ac9773.jpg)
ダム上、中央から上流方向を眺めます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/6b/8c9656d6d9e26912d8bd83bb13d5a18f.jpg)
その近くに貼られた「メモ」。ダム下にある四十四田発電所では盛岡市内で使用される電気の15パーセントをまかなっているそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c9/1820d1172405a595e1c93b90b667e381.jpg)
一方、北上川の下流方向の景色。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/36/3711e5822a496f727410361b67fa143f.jpg)
近くに貼られている「メモ」。上にも書きましたが、四十四田ダムは重力式コンクリートダムと両端をアースダムの複合ダムとして築造されていますが、その接合部の様子を示したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/dd/820aa124778fc11a45f63aecf9f0cff0.jpg)
確かにダム下には四十四田発電所が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/fc/b9fe3105a64cdd9cc6121ace65d6920e.jpg)
対岸(右岸)に来ました。こちらにある四十四田ダム案内板。上に書いた着工の詳細時期は昭和37年11月で、工事完了は昭和43年10月と記されています。あれ?「諸元」が「緒元」になってますが、いいんでしょうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/db/79c7e45aa2ece4d67bfc13678b106b2e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c8/8196fb4fc437efd6e3122defbed29a32.jpg)
右岸側にあるダム竣工のオシャレな石碑。背景にダムがうまく入るようなアングルになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/10/4fe2f8ea57b63358630caeb5d3edfe05.jpg)
裏側にはここにも諸元が記されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/83/06a09fc857997d57bc9edd322d40742e.jpg)
で、その石碑抜きでダムを見るとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/10/c64b9e8268f8b418c27fc124c5b0d9cb.jpg)
この石碑の向こうに建っているのが北上川ダム統合管理事務所。ここで北上川水系の五つのダム(四十四田ダム、御所ダム、田瀬ダム、湯田ダム、胆沢ダム)を統括管理しているようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/af/619c4b0fbb03b11334a30bb74a5dbfd3.jpg)
ダム上、欄干の一口メモは訪問時には2つしかありませんでした。あとの4つの内容はなんでしょうね。気になります。
ついでに左岸にある四十四田公園から見た四十四田ダムの全景をご覧にいれます。これで位置関係がわかると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a5/30138ac3688a963f7ae1ac95ecca9963.jpg)
実は、この公園にはちょっとしたサプライズがありました。それは次回のお楽しみということで。
【四十四田の由来】
ダム名である「四十四田」。これは何に由来するんでしょうね。気になったので調べてみました。このサイトによれば平安時代中期の武将である安倍貞任(あべのさだとう:1019?-1062)が住んでいた厨川柵、現在の館坂橋(たてさかばし)付近から上流に数えて44番目の沢があったあたりなのでそう呼ばれるようになったとあります。何気なく読めば「へぇ〜、そうなのか」と思ってしまいますが、じゃあ「田」はなぜ付いたのかと気になりますね。だってその説明ならばダム名は「四十四沢」でもよいはずじゃないですか。でも、そうじゃない。うーむ、どういうことなんでしょうね。一方、別のサイトを見ると、このダムを築造するにあたり44の田んぼが水没したことに由来すると聞いたことがあると書かれています。こちらは真偽の程は不明ですが、なんとなくこの説のほうがしっくりくるような気がするんですが本当のところはどうなんでしょうか…。
とりあえず北上川の左岸側へ行き、ダム下へ向かいます。近くまでは行けませんが、「御尊顔」を拝むことはできました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c9/f63cefb4f5abc8a83cf3d0aec54212fc.jpg)
その下流には水管橋があります。横から見るとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d8/99839b443bb2746d5521ae7ac516cf8f.jpg)
河川占用許可表示板を見ると、これは上水道給水のために建設されたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/79/9f1ab94486a2f93bad80be0bb95a03f8.jpg)
正式名称は「四十四田水管橋」で、1984年6月に完成したものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/20/2928a24392eb8b0fadb766494faf28bd.jpg)
では、左岸のダム横に向かいます。そこには四十四田ダムの概要を記した案内板があります。説明には当該ダムは「北上川改修計画のひとつとして、石淵、田瀬、湯田ダムに続いてつくられた」とあります。あれ?数日前に書いたように田瀬ダムが国の直轄ダムの第一号じゃなかったっけ?(参考)念の為調べてみると、確かに田瀬ダムのほうが早く着工し(1941年)、石淵ダムはその4年後の1945年に着工しました。なので確かに田瀬ダムが直轄ダムの第一号であるのは間違いではありません。ところが石淵ダムは1953年6月9日にダム本体は完成していて、一方の田瀬ダムは1954年10月に竣工。だからこの案内板の説明は間違ってはいません。ちなみに石淵ダムはその後2013年に胆沢川(いさわがわ)の下流に胆沢ダムが完成したことで水没し、現在は見ることができないそうな。
で、話を戻すと、四十四田ダムは洪水調節と発電を主な目的とした重力式コンクリート・アース複合ダムで、昭和37年に工事が開始され、昭和43年(1968年)に完成したそうです。高さは50.0m、長さは480.0m。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/0a/a5df1eeead8da5fffc7d4709826c1258.jpg)
そこから見たダムの様子。これも絵になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b2/a876c71edd517cafd93d92ed6ed93a16.jpg)
左岸から見たダム上。歩いてみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ae/f0e1316ddb3791c2357a354b729e5a47.jpg)
右岸に向かって歩いていくと欄干に四十四田ダムの一口メモが貼られています。その1「ダム上は一時期道路として使用されていた」。ダム完成の2年後の昭和45年10月に開催された岩手国体のため、下流にある現在の市道に切り替わるまで8年の間、臨時の市道として松園ニュータウンと国道4号を結ぶ道路として使用されたそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/7e/97b22bc221acc3dbf513f937d5675740.jpg)
その4「四十四田ダムが衣裳替え!?」。四十四田公園下の法面にある「文字」が季節によって変わるというもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/82/09f758c29cf0027194b4980ac5bc8929.jpg)
ということで、左岸の斜面を見ると確かに「四十四田ダム」の文字が。これが季節ごとに変わるんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/dc/f7be387bce7d1930d242014027ac9773.jpg)
ダム上、中央から上流方向を眺めます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/6b/8c9656d6d9e26912d8bd83bb13d5a18f.jpg)
その近くに貼られた「メモ」。ダム下にある四十四田発電所では盛岡市内で使用される電気の15パーセントをまかなっているそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c9/1820d1172405a595e1c93b90b667e381.jpg)
一方、北上川の下流方向の景色。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/36/3711e5822a496f727410361b67fa143f.jpg)
近くに貼られている「メモ」。上にも書きましたが、四十四田ダムは重力式コンクリートダムと両端をアースダムの複合ダムとして築造されていますが、その接合部の様子を示したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/dd/820aa124778fc11a45f63aecf9f0cff0.jpg)
確かにダム下には四十四田発電所が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/fc/b9fe3105a64cdd9cc6121ace65d6920e.jpg)
対岸(右岸)に来ました。こちらにある四十四田ダム案内板。上に書いた着工の詳細時期は昭和37年11月で、工事完了は昭和43年10月と記されています。あれ?「諸元」が「緒元」になってますが、いいんでしょうか…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/db/79c7e45aa2ece4d67bfc13678b106b2e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c8/8196fb4fc437efd6e3122defbed29a32.jpg)
右岸側にあるダム竣工のオシャレな石碑。背景にダムがうまく入るようなアングルになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/10/4fe2f8ea57b63358630caeb5d3edfe05.jpg)
裏側にはここにも諸元が記されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/83/06a09fc857997d57bc9edd322d40742e.jpg)
で、その石碑抜きでダムを見るとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/10/c64b9e8268f8b418c27fc124c5b0d9cb.jpg)
この石碑の向こうに建っているのが北上川ダム統合管理事務所。ここで北上川水系の五つのダム(四十四田ダム、御所ダム、田瀬ダム、湯田ダム、胆沢ダム)を統括管理しているようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/af/619c4b0fbb03b11334a30bb74a5dbfd3.jpg)
ダム上、欄干の一口メモは訪問時には2つしかありませんでした。あとの4つの内容はなんでしょうね。気になります。
ついでに左岸にある四十四田公園から見た四十四田ダムの全景をご覧にいれます。これで位置関係がわかると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a5/30138ac3688a963f7ae1ac95ecca9963.jpg)
実は、この公園にはちょっとしたサプライズがありました。それは次回のお楽しみということで。