ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

日本初のアーチダム…三成ダム

2024-10-07 06:59:11 | 島根(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は島根県仁多郡奥出雲町三成(にたぐん おくいずもちょう みなり)にある斐伊川(ひいがわ)水系斐伊川の三成ダムを目指します。アクセスは国道432号から「東城(とうじょう)/横田」方面へ向かうT字路を入り、国道314号を進んでいくと「島根県 三成ダム 土木遺産 日本最初のアーチダム」の看板があるのでそのT字路を入っていくと到着します。

こんなダムです。確かに年季が入っています。

一体、いつ築造されたんでしょうね。案内板によると、昭和27年から発電専用の「日本最初のアーチダム」として築造が開始され、昭和29年(1954年)3月に完成したとあります。高さは42.0m。そして左岸側で取水された水は直線距離にして約2.3km離れたところにある三成発電所へ送水され、発電に利用されます。一方データによると、三成ダムの長さは109.7mで、着工は昭和25年、また竣工は昭和28年(1953年)となっています。しかし発電所の運用開始が昭和28年10月なので三成ダムの完成も同時期と考えられ、こちらが正しいと思われます。ちなみに三成ダムが日本初のアーチ式ダムとされていますが、同型式のダムで先に着工したのは宮崎県にある上椎葉(かみしいば)ダムで、1947年。しかし同ダムが完成したのは1955年なので三成ダムが「日本初のアーチ式ダム」ということになります。(参考

そして、歴史的価値が認められ、2015年には土木学会選奨土木遺産として登録されました。


右岸側にあるこの建物は管理所と思いきや「島根県企業局 三成ダム操作所」なのでした。ならば管理所はどこに? どうやら左岸側にあるようです。

というわけで、ダム横へ向かいます。近くには昭和61年12月に設備改良工事が行なわれたプレートが貼られていました。

その付近から見たダムの様子。しかし、ご覧のようにダム上へは行けません。

仕方ないのでフェンス付近から貯水湖を眺め、

ダム下を見下ろします。

そして下流方向の遠景。

…にしても、悔しいのでフェンス越しにダム上をパチリ。しつこい?


やっぱり土木遺産に指定される築造物はどれも味があっていいね!
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秋を味わう

2024-10-06 07:03:52 | 脳みその料理
どーも、ワシです。昨日、時々例会に来る看護師のN君の父上が「ジコボウとカラカサダケがたくさん採れた」ということで届けてくれました。こりゃ、もう食べるしかありません。



そこで、早速調理。夕飯はジコボウの炊き込みご飯とジコボウの味噌汁、そしてカラカサダケは天ぷらにすると良いと聞いたのでカサの部分を天ぷらにしてみました。



もうね、キノコづくし!これが美味いのなんのって…ええ、自画自賛です。

無償で分けてくれる優しさ。ほんとうにありがたいです。
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プチ・シュー

2024-10-05 15:10:01 | 脳みその料理
どーも、ワシです。ひとくちサイズのシュークリームを作りました。なんでもそうですが、ミニサイズのものは可愛い。



味は同じなんですけどね。
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ぬのべじゃないよ…布部ダム

2024-09-30 07:00:29 | 島根(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は島根県安来市広瀬町布部(やすぎし ひろせちょう ふべ)にある斐伊川(ひいがわ)水系飯梨川(いいなしがわ)の布部ダムを目指します。アクセスは国道9号から側道を下りて国道432号を八雲(やくも)方面へひたすら進んで行くと到着します。

【飯梨川の由来】(参考
733年に完成した『出雲国風土記』によると、飯梨という地名はもともとは「飯成」であり、大国魂命(おおくにたまのみこと)がそこで食事をしたことに由来するそうな。その後、726年になって飯成は飯梨と改められたという。

【安来/布部の由来】(参考)(参考
市名の安来は『出雲国風土記』によると、その昔、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこの地を訪れた際、「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」と言ったことから「安来」になったという。また、布部はかつてこの地に布を生産する職業集団がおり、それを朝廷に献上していたことに由来するようです。

そんなこんなで、まずはダム下へ行って「御尊顔」を仰ぎます。

続いて、国道432号に戻り、ダム横へ向かいます。おお、なかなか大きなダムです。

近くにある「布部ダムのあらまし」。それと、上のリンク先の説明によれば、当該ダムは洪水調節、発電、都市用水の確保を目的とした多目的ダムで、型式は重力式コンクリートダム。高さは55.9m、長さは190.0m。昭和39年4月、飯梨川総合開発事業として飯梨川と東比田川の合流地点で築造が始まり、昭和43年(1968年)に完成したものだそうです。

実際の竣工は1968年3月。

左岸のダム横には「島根県布部ダム管理所」があります。

左岸から見たダム上の様子。曲線を描いているように見えますが、アーチ式ではなく左岸側が少しカーブしているだけです。

ダム中央のオリフィスゲートの建物の壁面にはダム完成50周年を記念して島根県立情報科学高校美術部の生徒が描いた絵に安来市立布部小学校全児童(24名)の手形を押したものが飾られています。


ダム上、中央から見たダム湖(白椿湖:しろつばきこ)の様子。

ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景。

右岸側の白椿湖の壁面には制限水位と常時満水位の表示があります。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側から見たダムの様子。


前回の山佐ダムでも書いたように、布部ダムと山佐ダムは松江県土整備事務所広瀬事業所が管理しており、山佐ダムのある山佐川は布部ダムから流れ出た飯梨川に合流して中海へ流入します。その中海から境水道を経て日本海に至るのですが、境水道までは斐伊川なので水系としては斐伊川水系になるんですね。
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山佐ダム

2024-09-29 07:02:32 | 島根(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は島根県安来市広瀬町上山佐(やすぎし ひろせちょう かみやまさ)にある斐伊川(ひいがわ)水系山佐川の山佐ダムを目指します。アクセスは国道9号から県道45号へ入り、そのまま道なりに進んでいくと到着します。

リンク先の説明によると、山佐ダムは昭和48年に山佐川総合開発事業として上水道用水の確保と洪水調節を目的として着工されたとあります。それにより水不足に悩まされていた松江市と出雲地方東部へ水の供給が可能になったとか。

で、到着しました。こんなダムです。

近くにある案内図。それによると、山佐ダムは洪水調節、水道用水の確保、発電を目的とした多目的ダムで、高さ56.0m、長さ220.0mの重力式コンクリートダム。あれれ、リンク先の説明では発電がありませんでした。ということは発電はあとから目的のひとつに追加されたのかな? 案内図をよく見ると発電はダム直下の山佐発電所で2020年9月から開始しているそうです。なるほど。


ダム湖名は「山美湖(やまびこ)」。なかなかおしゃれなネーミングですね。

左岸、山美湖側にあるのが「島根県山佐ダム」の管理所。


管理所あたりからダムはこんなふうに見えます。

では、ダム上を歩いてみましょう。

竣工は昭和55年(1980年)3月。

山佐川を堰き止めて築造されたもののようです。

ダム上、中央から見た山美湖の様子。

ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

定礎は昭和53年10月。

左岸、下流側から見たダムの様子。


山佐ダムは島根県広瀬土木事業所が管理していて、次回向かう予定の布部ダムも同事業所が管理しているそうな(参考)。同事業所の正式名称は「松江県土整備事務所広瀬土木事業所」なのですが、一見すると「松江県」のように見えて「あれっ?これは誤植?」と思ってしまいますが、間違いではないようです。
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