ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ユルく見ることは可能…手取川第2ダム

2020-10-28 06:37:22 | 石川(ダム/堰堤)
前回の手取川ダムでは空振りを食らってしまいましたが、ヘコんでいても仕方がありません。次のダムを目指します。

今回はそのすぐ下流にある手取川水系の手取川第2ダムを訪れてみました。住所は白山市仏師ヶ野町(ぶしがのまち)。アクセスは手取川と並行して走る国道157号から少し脇に入ったところにあります。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



ダム横から見るとこんな感じ。



ダム上はこんな感じですが、無断で入ることはできません。



仕方がないので少し高い場所から撮ってみました。



手取川上流はこんな感じです。



ダム上は行けないので、上流側から右岸のほうへ行ってみました。途中、上流側から見たダムの様子です。



右岸、貯水側から見たダム。



クリーム色の建物には発電用の水利使用標識が見えます。



予想はしていましたが、案の定、右岸からもダムへ行くことはできませんでした。北陸電力も占有地への第三者の侵入を厳重に拒む傾向があるようです。個人的には「何もそこまでしなくても…」と思うんですけどね。
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見たいなぁ…手取川ダム

2020-10-27 06:25:02 | 石川(ダム/堰堤)
今回は石川県白山市東二口(ひがしふたくち)地先にある手取川(てどりがわ)水系の手取川ダムに向かいました。アクセスは国道157号を行けば到着します。

もちろんダムへは国道から入っていくのですが、実際に行ってみると関係者以外は人も車両もダムへ近づくことはできません。一般の見学者は近くの手取川ダム展望台から見るしかないようです。

というわけで、展望台から見た景色がこれ。貯水池の中にニュッと生えているように見えるのは取水塔です。



その貯水湖の名前は「手取湖」だそうで。



1980年に完成した手取川ダムは、高さが153mもある巨大なもの。だからこそ実際に見てそのスケールの大きさを感じたかったわけですが、見ることができないとは…。とほほです。

手取川ダムの概要は(コチラ)をご覧ください。
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焼物は使われてませんが…九谷ダム

2020-10-21 06:52:29 | 石川(ダム/堰堤)
今回訪れる大聖寺川水系の九谷ダム(加賀市山中温泉枯渕町)は前回の我谷ダムの右岸沿いを走る県道153号を進んでいくと到着します。

到着しました。まずは右岸から見た「ご尊顔」を。



ダム横には管理棟があります。





九谷ダムと刻まれた石碑。



九谷ダムの概要が書かれた案内板。すぐ下流の我谷ダムと提携関係にあるようです。



右岸貯水側から見たダム。



これがダム上です。進んでみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。うんうん、美しい!



ダムの真下です。



そして遠景はこんな感じ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな景色。



横には「建設の碑」と刻まれた石碑。2006年3月とあります。



こちら側にもダムの概要説明の案内板。図解の説明がわかりやすいです。



九谷ダムの建設にあたっては、複数の集落が湖底に沈んだことがわかる図。



最後に左岸から見た「ご尊顔」をどうぞ。



ダム名から分かる通り、この辺りは有名な九谷焼の産地でもあります。見学者の視点からすれば、このダムのプレートとか案内板に九谷焼を使えばよりオリジナルな感じになるのにな…と思ったり。
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二つの町が湖底に…我谷ダム

2020-10-20 07:11:22 | 石川(ダム/堰堤)
加賀市山中温泉我谷町(わがたにまち)にある大聖寺川(だいしょうじがわ)水系の我谷ダムに来ました。ここはダム上の道が国道364号なので、大聖寺川に並行して走るこの国道を来るとお目当てのダムに間違いなく到着できます。

【大聖寺川について】
元々この川は大聖寺町(1958年1月1日に廃止。他の8町村と合併して加賀市となる)を流れていたところから命名されたものです。ちなみに大聖寺とは白山五院のひとつで、かつて近くの錦城山(きんじょうざん:標高65m)にあったことから町の名前になったそうな。じゃあ、白山五院って何でしょうか。

【白山五院と白山信仰】
白山五院は白山信仰の流れを汲む五つの末寺(柏野寺、薬王院温泉寺、極楽寺、小野坂寺、大聖寺)のこと。白山信仰の歴史は古く、奈良時代に修験者の泰澄(たいちょう:682-767)が717年に白山の御前峰(ごぜんがみね)に登り、翌年同地に白山妙理大権現を奉祀した社を建て開山したのが最初と言われています。どんな信仰かはまた別の機会に書くかもしれないので省略します。

話が逸れました。ダムに戻りましょう。まずは左岸の下流側から見たダムをご覧ください。大聖寺川に沿って国道364号を来ると対岸(右岸)に辿り着きます。



ダム本体に嵌め込まれた「我谷ダム」のプレート。



これがダム上を走る国道364号です。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。良い眺めでしょ?



下流側はこんな感じ。写真は色褪せて見えますが、実際はもっと綺麗。



で、管理事務所はどこかな? と思いきや左岸の少し貯水側に行ったところにありました。国道沿いには「石川県大聖寺川ダム統合管理事務所」の看板。



当該の建物はこれです。





近くにはダム建設にあたり我谷町と枯渕町(かれぶちまち)の家々が湖底に沈むことになり、それを示す「水没記念碑」が。その裏側には住んでいた人々の名前が刻まれています。





う〜ん、でも、記念碑ってのはイメージとして完成したとか到達したといったプラス的な意味があるように思うのですが、どうでしょうか。その解釈が間違っていなければ水没記念碑というのはちょっと違和感があります。水没を祝っているようなニュアンスも感じられるからです。例えば「水没の碑」とか「水没に寄せて」みたいなタイトルならしっくりくるんですが…。
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若々しく見える…赤瀬ダム

2020-10-19 07:01:10 | 石川(ダム/堰堤)
梯川(かけはしがわ)水系の赤瀬ダムは小松市赤瀬町(あかぜまち)にあります。アクセスは県道161号を進んでいけば到着します。

【梯川について】
梯川の名称の由来はこの川の様態に関係があります。つまりこの川に架かる橋は増水した際には橋板を増やし、通常時には減らすといった可変構造を採用していたことから「架け橋(梯)」と呼ばれたそうです。その後、その名称は川の名前にもなり「梯川」になったそうな。ほぅほぅ。

県道161号から行くと赤瀬ダムの右岸に来ます。貯水側から見たダムはこんな感じ。



そこにはダム近郊の案内図や、



「赤瀬ダム」と刻まれたオブジェのような碑。1978年9月完成だそうです。



あ、でも上のオブジェが完成したのが1978年9月で、ダムが完成したのは同年7月31日なんですね。それは下の石碑からわかります。画像では分かりにくいですが。



そして、ダム横には管理事務所。



事務所の「務」の字が「努」みたいになってます。力が入ってますね(笑)



管理事務所付近から見た「ご尊顔」です。




では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色。



ダムの真下はこんな感じ。



その遠景は長閑な様子って感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



こちら側にはダム本体に「赤瀬ダム」の表示が。



対岸、下流側から見たダム。



対岸、貯水側からはこんな風に見えます。



このダムは完成してからもう42年になるのですが、上に示したオブジェが古さを感じさせないので印象としては若々しく感じられます。不思議なものですね。
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石川県の大日川ダム

2020-10-18 06:54:41 | 石川(ダム/堰堤)
今回訪れたのは白山市阿手町(はくさんしあてまち)にある手取川水系の大日川(だいにちがわ)ダムです。アクセスは容易で、県道44号を進んで行くとダム上の道に来ることができます(つまりダム上の道も県道44号というわけ)。

まずは左岸の下流側から見た「ご尊顔」をどうぞ。なかなか凛々しい面構えです。



周辺案内図です。これで大日川ダムの位置がわかると思います。



大日川ダムの概要が示された案内板。これによると1952年に着工し、1968年に完成された多目的ダムであることがわかりますね。



多目的ダムを示すように水利使用標識も複数あります。これは発電用のもの。



こちらは灌漑および農業防災用のもの。



墓標のような「大日川ダム」と刻まれた石碑。



その裏側です。1967年11月竣工とあります。あれれ、先に見た案内板には1968年完成とありましたが、どういうことなんですかね。完成と竣工は違うのかな…。う〜む。



そこから見えるダムの様子。



石碑の奥には管理事務所があります。事務所の下は通路になっていて、車両も通れるようになっています。





その通路を抜けたところから見たダムの様子。



では、ダム横に戻り、ダム上を進んでみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見た貯水湖(大日湖)の様子です。天候に恵まれ、美しい眺望です。



ダムの真下はこんな感じ。



その遠景です。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見たダムの様子。



同じく、大日湖側から見たダムの様子はこんな感じです。



調べてみると大日川と称する川は全国に11ほどあり、北は福島県相馬市を流れるものから南は愛媛県西条市を流れるものまであるんですね。また大日川ダムと称するダムは兵庫県南あわじ市にもあるようです。いつか行けたらいいなあ…。
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痒くはないけど…手取川第三ダム

2020-10-17 07:09:35 | 石川(ダム/堰堤)
今回目指すのは白山市河内町口直海(はくさんしかわちまちくちのみ)にある北陸電力が管理する手取川(てどりがわ)水系の手取川第三ダム。アクセスは国道157号沿いにある河内郵便局近くの県道181号を進んで行くと到着します。

まずはダム下から見た「ご尊顔」をどうぞ。



別の角度からもう一枚。



ではダム横へ行ってみます。まず目に入るのはこの建物「手取発電管理所」。





近くには手取川第三ダムの構造図。



ダム本体に嵌め込まれたダムのプレート。



その横に水利使用標識。河川名「直海谷川」は(のみだにがわ)と読みます。何だか痒くなりそうな名前ですねえ。直海谷川は500〜600m下流で手取川に合流します。



近くにはフランシス水車と水圧鉄管の展示物。調べてみると今日の水車の主流はこのフランシス水車だそうです。この水車を開発したのはイギリス出身のアメリカのエンジニアであるジェームズ・ビシェノ・フランシス(1815-1892)で、1833年にアメリカへ移住し技術者としての腕を磨きます。

このフランシス水車が考案されたのは1848年で、それまで主流だったフルネーロン水車(1826年にフランスのブノワ・フルネーロンが開発)のエネルギー変換効率が80パーセントだったのに対し、フランシス水車の効率は何と90パーセントを達成。以来、ほとんどの水力発電所ではフランシス水車が使われているそうな。ほぅほぅ。





で、肝心のダム上はどうなっとんねん! とお思いでしょうね。そうでしょう、そうでしょう。ワシもそう思いますよ。でもね、何だかダム上には足を踏み入れてはいけないような雰囲気があったんです。北陸電力もどこかの電力会社のようにダムをオープンにしない気質みたいなものがあるのかな…。知りませんが。

申し訳ないので、せめて貯水側から見たダムの様子だけでもお見せしましょう。



これでご勘弁ください。
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森の中の隠れ家的存在…籾川谷池

2020-10-16 06:38:16 | 石川(ダム/堰堤)
今回訪れたのは羽咋郡宝達志水町上田(はくいぐんほうだつしみずちょううわだ)にある大坪川水系の籾川谷池(もみがわだにいけ)です。アクセスは県道75号から大坪川沿いに遡って行きます。

細い道を行くと…おっ、あれかな。排水路から水が襞のように流れています。



ダム横(右岸)に到着しました。そこから見る景色はこんな感じ。



右岸には自由越流式の余水吐があります。水はここから溢れ出て、



あちらへ流れていきます。一番上の写真はこれを下から見たものです。



これがダム上。草ボーボーの中を進んでみます。



ダム上、中央付近から見た貯水側の景色です。



下流側はこんな感じ。ここがいかに山の中にあるかわかりますよね。



対岸まで来ました。振り返るとこんな景色です。



元の側に戻ってきました。貯水側から余水吐を見るとこんな感じです。



その近くには2畳ほどの小さな建物が。見張所でしょうか。看板はありません。



ここはまあまあの奥地にある池で、道も細いので、行くにはちょっとばかり勇気がいるかもしれません。でも自然を満喫できる素敵な場所ではあります。
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特に何も…新宮ダム(新宮川溜池)

2020-10-15 06:40:51 | 石川(ダム/堰堤)
前回の子浦川(しおがわ)防災ダムから流れ出た水は子浦川なのですが、それに沿って走っているのが県道29号です。子浦川の下流で新宮(しんぐう)川が合流します。今回目指すのはその新宮川の上流にある羽咋川水系の新宮ダムです。住所は羽咋郡宝達志水町新宮(はくいぐんほうだつしみずちょうしんぐう)。

到着しました。ダム上はこんな感じ。



その横には写真ではわかりにくいですが「新宮川溜池 建設記念碑」と刻まれた石碑があります。



貯水側からダムを見るとこんな感じ。



下流側から見た景色です。



さあ、ダム上に進んでみましょう。こちら側(右岸)には増水した際に流れ出るための排水路があります。



そして、あちらへ向かって流れてゆきます。



貯水側の様子。訪れた日にはほとんど水がない状態でした。底面はこんな風になっているんですね。





一方、下流側は木ばっかり…。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸には瓦葺きの建物。見張所か何かだと思いますが、何の表示もありません。



新宮ダムには先に見た記念碑の他に案内板などはありません。ちょっと寂しいちゃん。
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モスクを思わせる…子浦川防災ダム

2020-10-14 06:56:17 | 石川(ダム/堰堤)
今回は羽咋郡宝達志水町下石(はくいぐんほうだつしみずちょうさがりし)にある羽咋川水系の子浦川(しおがわ)防災ダムへ行ってみました。アクセスは県道29号沿いなので、すぐにわかります。

到着しました。天気に恵まれ、良い気分。



これがダム上なんですが、関係者以外は立入禁止だそうで。あらまあ。





貯水側から見た様子。よく見ると対岸側に越流式の余水吐がありますね。



対岸に見えるユニークな屋根の建物が気になりますねぇ。管理所?



ダム横から見た貯水側の景色です。目が痛いほど太陽がまぶしい。



ダム横から見た下流側は森ばっかり。



あの建物は何でしょうか…気になります。
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農村の中の…神子原ダム

2020-10-12 06:34:22 | 石川(ダム/堰堤)
今回は羽咋市神子原町(はくいしみこはらまち)にある羽咋川水系の神子原(みこはら)ダムへ行ってみました。当該の場所は国道415号沿いにあるので、アクセスは容易です。ただ、神子原ダムという表示がどこにもないのでご注意を。通り過ぎてしまう可能性があるからです。

これがダム上の道です。写真にある「神子原地区の昔ばなし 千本塚・千石の豆の木」とはどのようなものなのかは調べてもわかりませんでした。民話なのでしょうが、ご存知の方がおられたら教えてください。



ダムの横が国道415号ですが、貯水側からダム上を見るとこんな感じです。



貯水側の国道沿いには記念碑と書かれた石碑と瓦葺きの小屋があります。何の記念碑なのかは不明。文字がよく読めなかったからです。また小屋にも表示がないので不明。



では、ダム上を歩いてみます。もちろん車両通行可です。中央付近から見た貯水側の様子。逆光のため暗く見えますが、実際は明るいです。



下流側は木・木・木・木。



おっ、対岸(左岸)側に何かありますね。あとで行ってみましょう。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。まるで農村の一風景ですね。まあ、この辺りは実際農村らしいのですが。写真中央を横切る道路が国道415号。



対岸、貯水側から見た様子。写真右上に小さく見えるのが先ほどの小屋。



ダム上から見えていたのは余水吐でした。越流式の構造なのですが、よく見ると貯水側にだいぶ土砂が溜まっているのがわかります。そろそろ浚渫の時期かもしれませんね。



ダムとはいえ、ここは農村の溜池という感じ。当地は神子原米の産地としても知られ、「神子」という純米酒も販売されているようです。(参考
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近づけず…大坪川ダム

2020-10-10 06:53:34 | 石川(ダム/堰堤)
羽咋郡志賀町赤住(あかすみ)には日本海に面して北陸電力の志賀原子力発電所があります。その東側に道路を挟んで松戸川水系の大坪川ダムがあるので行ってみました。

しか〜し、ダムへ通じる道はご覧の通り封鎖されています。



道が封鎖されているんですから、わざわざこんな看板を立てなくても入れないのにね。それでも柵を乗り越えて侵入する奴がいるんでしょうか…。



速度制限の標示板なのでしょうが、25km/h…って、また中途半端な。それとも何か意味があるんでしょうか。



ダムへの道の隣には北陸電力が運営する「アリス館志賀」があり、その駐車場あたりから大坪川ダムが見えるかなと期待したのですが、あいにく新型コロナウイルスの感染拡大防止のため休館中で入れず。

とほほですよ、ほんとに。
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大世町ダム=栗山貯水池

2020-10-09 06:32:51 | 石川(ダム/堰堤)
羽咋郡志賀町(はくいぐんしかまち)栗山にある米町川水系の大世町(おおぜまち)ダムへ行ってみました。アクセスは県道236号から土屋川に沿って北上していく道を進みます。

ダム横に到着しました。ダム上の道はこんな感じ。



貯水側から見た景色です。



ダム名はここの管理区の名称に由来するものと思われます。また、地図を見ると「栗山貯水池」と記されていますが、それはこの場所の地名から取られたものなのでしょう。



ダム上の道を進みます。中央付近から見た貯水池の景色はこんな感じ。



一方、下流側はこんな感じです。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸側には越流式の余水吐があり、増水するとここから溢れ出て下流に向かいます。



対岸側の余水吐付近から見たダム上の様子。



静かな場所ですが、これといって見るものはありません。ダムについての案内板もないし。文字通りの貯水池でした。
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翠に囲まれた八ヶ川ダム

2020-10-07 06:26:26 | 石川(ダム/堰堤)
輪島市門前町地原にある八ヶ川(はっかがわ)水系の八ヶ川ダムに行ってみました。アクセスは県道7号から県道51号に入っていくと到着します。

あれですね。まずは「ご尊顔」をどうぞ。



ダム横に来ました。まず目にするのが管理事務所の建物。





その横には白抜き文字で「八ヶ川ダム」と刻まれた石碑。1994年8月竣工とありますね。



【八ヶ川】の由来:
ダム名にもなっている八ヶ川は、かつての仁岸郷(にぎしごう)、阿岸郷(あぎしごう)、櫛比庄(くしひのしょう)、本郷、浦上庄(うらかみのしょう)、七浦庄(しつらしょう)、西保庄(にしほのしょう)、二ヶ庄(にかのしょう)からなる通称「八ヶ郷(はっかごう)」の中心を流れる川だったことに由来するそうです。



ダムの概要と諸元を説明する案内板。



ダム横の左側(下流側)にはダムサイト左岸公園があり、こんな感じ。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



ダム上、中央付近から見たダムの真下。



その遠景はこんな感じ。



貯水側の景色です。この日は風が強かったので、湖面が波打っていました。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな景色。



対岸には八翠湖(はっすいこ)と刻まれた石碑。この貯水湖の名称ですね。



八翠湖と命名された由来が書かれています。



ダム建設にあたり水没した世帯名が刻まれた石碑。



対岸にもちょっとした高台にダムサイト右岸公園があるのですが、これといって見るものはありませんでした。
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弁慶石のある北河内ダム

2020-10-06 06:50:27 | 石川(ダム/堰堤)
今回は鳳珠郡能登町五十里(ほうすぐんのとちょういかり)にある町野川水系の北河内(きたかわち)ダムに向かっています。アクセスは県道26号から入っていくと到着です。

見えてきました。あれですね。



ダム横に到着しました。そこでまず目につくのは「弁慶石」。平安末期の僧兵である武蔵坊弁慶は比叡山の僧兵として知られていますが、いつ能登半島に来たんでしょうね。





すぐ近くにあるのが北河内ダムの管理棟。





ダム上の横には「北河内ダム」と刻まれた石碑。



そしてここが多目的ダム(洪水調節、水道用水、農業用水)であることを説明する看板。



では、ダム上を歩いてみましょう。



ダム本体に嵌め込まれたプレート。ダムの完成は2010年7月だそうです。



ダム上、中央付近から見たダム下の景色。



同、貯水側の景色です。この日は風が強く、湖面が風でヘコんでいるの分かるほど。



対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、下流側から見たダムの様子。



対岸、貯水側から見たダムの様子です。



完成してまだ10年ほどのダムですが、今後水害防止の要として活躍してくれることを期待しましょう!
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