(前回の続き)
その祝賀会に出席していたのは基本的に「プロ」の音楽家たちでした。祝賀会ですから、来賓のあいさつは当然ありました。来賓たちは、まあ長々といろいろしゃベってました。「今後、音楽の普及新興に務めて行きましょう!」とかなんとか…。
気が遠くなるようなあいさつに続き、祝賀の演奏が数曲。演奏は可もなく不可もなくといったところ。それはどうでもいいんです。問題なのは、その演奏中の出席者たちの態度にありました。
演奏中なのにあちこちから雑談が聞こえるんですよ。これが結婚式の披露宴の余興ならよくあること。披露宴ならば音楽に無関心の客も多数出席していますからね。
でも、この祝賀会はそうじゃない。いかにも怪しいのもいたけれど、一応みな「プロ」を自称している人ばかり(のハズ)。音楽家ならば、どこかで音が鳴ればその音のするほうに耳をそばだてて聞き入ります。そうなれば雑談なんてしていられない。だけどここの人たちは他人の演奏なんて知らん顔。それどころかペチャクチャおしゃべり。
思いましたよ、「ああ、この地域は音楽を地域に普及させる以前にやることがあるな」と。地元の「プロ」ですら音に対して鈍感なのですから、一般の人たちに「音楽を聴いてくれ」なんて求めるのは無理というもの。
そう、まずは音に対して敏感になること、つまり音楽を聴く姿勢を教えることから始めないとダメ。それをせずに、ただ華美な演奏をしたって根付くわけがないのです。残念なのはこの団体のトップですら、そのことに気づいていないこと。
もちろん、こんなことを彼らには言いませんでした。だって一応、祝賀会ですし。気まずい雰囲気になっちゃうじゃないですか。彼らからすれば、ワシなんて「よそ者」なわけで、「いらんこと言うな!」と思われるのが関の山ですからね。
だから、中締めでもって、そそくさと退散。残りの時間は名古屋の友人と旧交を温めました。そして、午後8時半頃、彼らと別れ、帰京の途に。帰りはR163から名阪国道(R25)をのんびりと走り、そこからは東名阪自動車道、伊勢湾岸道を経由して東名で戻ってきました。
大阪から自宅までは540km。まあまあ疲れました。
その祝賀会に出席していたのは基本的に「プロ」の音楽家たちでした。祝賀会ですから、来賓のあいさつは当然ありました。来賓たちは、まあ長々といろいろしゃベってました。「今後、音楽の普及新興に務めて行きましょう!」とかなんとか…。
気が遠くなるようなあいさつに続き、祝賀の演奏が数曲。演奏は可もなく不可もなくといったところ。それはどうでもいいんです。問題なのは、その演奏中の出席者たちの態度にありました。
演奏中なのにあちこちから雑談が聞こえるんですよ。これが結婚式の披露宴の余興ならよくあること。披露宴ならば音楽に無関心の客も多数出席していますからね。
でも、この祝賀会はそうじゃない。いかにも怪しいのもいたけれど、一応みな「プロ」を自称している人ばかり(のハズ)。音楽家ならば、どこかで音が鳴ればその音のするほうに耳をそばだてて聞き入ります。そうなれば雑談なんてしていられない。だけどここの人たちは他人の演奏なんて知らん顔。それどころかペチャクチャおしゃべり。
思いましたよ、「ああ、この地域は音楽を地域に普及させる以前にやることがあるな」と。地元の「プロ」ですら音に対して鈍感なのですから、一般の人たちに「音楽を聴いてくれ」なんて求めるのは無理というもの。
そう、まずは音に対して敏感になること、つまり音楽を聴く姿勢を教えることから始めないとダメ。それをせずに、ただ華美な演奏をしたって根付くわけがないのです。残念なのはこの団体のトップですら、そのことに気づいていないこと。
もちろん、こんなことを彼らには言いませんでした。だって一応、祝賀会ですし。気まずい雰囲気になっちゃうじゃないですか。彼らからすれば、ワシなんて「よそ者」なわけで、「いらんこと言うな!」と思われるのが関の山ですからね。
だから、中締めでもって、そそくさと退散。残りの時間は名古屋の友人と旧交を温めました。そして、午後8時半頃、彼らと別れ、帰京の途に。帰りはR163から名阪国道(R25)をのんびりと走り、そこからは東名阪自動車道、伊勢湾岸道を経由して東名で戻ってきました。
大阪から自宅までは540km。まあまあ疲れました。