ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

記事にはするけど…木地山ダム

2021-08-31 07:10:15 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県長井市寺泉桶沢にある最上川水系の木地山(きじやま)ダムを目指します。地図によると、以前訪れた長井ダムへ至る県道252号をさらに奥に進んでいったところにある…ようです。

まるで他人事のように「ようです」と書いたのは、実は到着することができなかったから。長井ダムから結構な細道をあたかも勇者のごとく進んでいったのに…ですよ!

舗装はされているものの、まずすれ違いができないほどの県道252号を進んでいった末に現われたのが、これ。



通行止か〜い!

どうやら、この先の道路の斜面が崩れないように吹き付けられているモルタルが劣化したため、改めてモルタルを吹き付けて強化しているようです。だから通行止。



ま、山の中へ行けば、こんなことはたまにあります。気にしない、気にしない。
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名称の由来は?…長瀞頭首工

2021-08-30 17:11:53 | 山形(ダム/堰堤)
それにしても月末は原稿の締め切りに追われるので、ホント憂鬱…。まぁ、やっと終わったのでいいんですが。

あ、どーも、ワシです。今回は山形県西置賜郡飯豊町(にしおきたまぐんいいでまち)松原にある最上川水系の長瀞(ながとろ)頭首工を訪れます。アクセスは国道113号沿いにある「道の駅 いいで」を目指し、その近くの県道250号を置賜白川方面へ行ったところにあります。

到着しました。これが上流側から見た「四人衆」です。



長瀞頭首工の案内看板。



頭首工の右岸、上流側にあるこの下が取水口で、



取り込まれた水は、ここから出て、



あちらへ流れてゆきます。そして下流の水田などで使われます。



それにしても訪れた日は前日の大雨のせいで置賜白川は、ご覧のような黄土色と氾濫しそうなほどの水量。



間近で見ると凛々しいね。迫力すら感じます。



これが頭首工の横から見た様子。関係者以外立入禁止。でも、同じ文言の看板を2つ並べなくても…。そうか! 大事なことなので二回言いましたってのと同じか…んなわけないな。



水が多すぎて、もう堰き止めるどころじゃなくなっています。



下流方向の様子。これを見ると、前日にどれだけ大量に雨が降ったのかがわかると思います。



先ほどの案内看板の前にある建物は見張所か何かのようです。



その壁面には水利使用標識が貼られています。ところで、長瀞といえば埼玉県を思い浮かべますが、その由来はなんなのでしょうか。すぐ下流には県道250号が通る「長瀞橋」もあるのでその付近の地名なのかもしれません。山形で長瀞といえば現在の山形県東根市(ひがしねし)にある長瀞城跡を思い浮かべますが、地理的には離れているので直接関係はないと思います。でも、気になるなぁ。



メインの川がこんなにも黄土色なのに取水口からの水路の水が澄んでいたのは、おそらく一時的に取水口を閉じていたからだと思われます。
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広いなぁ…白川ダム

2021-08-29 08:31:57 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は昨日の記事で書いた西高峰頭首工から県道4号をさらに登ったところにある最上川水系の白川ダムを訪れます。住所は山形県西置賜郡飯豊町(にしおきたまぐんいいでまち)高峰。ダム名はそこを流れる置賜白川に由来します。

なお、「飯豊」という地名は岩手県北上市、同県遠野市、福島県須賀川市、同県岩瀬郡天栄村、同県田村郡小野町にもあり、いずれも「いいとよ」もしくは「いいどよ」と読みますが、「いいで」と読むのはここだけです。また、飯豊は福島、新潟、山形の三県にまたがる飯豊山(標高2,105m)に由来し、一般には「いいでさん」と呼ばれるようですが、福島県会津地方では「いいとよさん」と呼ぶようです。いずれにしろ、その名称となったのは諸説あるようですが、ひとつには雪化粧をした山の様子が白米を豊かに盛ったように見えたためと言われています。

まあ、そんなわけで、まずは「白川ダム」のお姿をご覧ください。



あ、でも、県道からいきなりこれが見えるわけじゃありません。県道からダムへの入口には門のようなそうでないようなモノがあります。



そこから見えるのはこんな景色。



そして「白川ダム」と刻まれた石碑と概要説明が記された石碑があります。それによると当該ダムは置賜白川の洪水調節を主な目的とした多目的ダムで、1971年に工事に着手し、中央コア型フィルダムの建設省(当時)直轄第一号として1980年に完成したとあります。







ダムへの通路を挟んだ反対側には慰霊碑があります。4名の方がダム建設にあたり殉職されました。合掌。





通路を進むと見えてくるのが白川ダムの管理支所の建物。





その先には白川ダムの案内板があります。



ダム建設のきっかけは1967年8月末に発生した羽越豪雨だったようです。



その近くには水利使用標識。使用目的は水力発電なんですね。



その横から伸びている先にあるのが取水塔。



で、このあたりからようやくダム上。でも直線ではなく、クネクネしています。



それを進むと洪水吐があります。下流方向を見るとこんな感じ。訪れた前日に大雨が降っていたので水の色が濁っています。





「洪水吐ゾーン」を過ぎてもダム上はまだ続きます。



さらに進んで、貯水湖を見るとこんな感じ。広いのでパノラマで撮ってみました。



一方、下流側の景色です。



対岸(右岸)には独特な形をしたものが。「監査廊右岸口」と書かれています。





対岸から振り返って見るとこんな感じ。いや〜、長いわぁ。



対岸、下流側から見るとこんな景色です。



同、貯水側から見るとこんな感じ。



実は白川ダムに到着した時、まだ雨が降っていたんです。しかしながらクルマから降りようとしたら不思議なことに雨が止みました。つくづく自分が晴れ男だと実感しましたね。まぁ、偶然っちゃあ偶然なんでしょうけど。

はっはっはっ。
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本来は穏やか…西高峰頭首工

2021-08-28 11:21:45 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県西置賜郡飯豊町(にしおきたまぐんいいでまち)高峰にある最上川水系の西高峰頭首工を訪ねます。アクセスは国道113号から米坂線の手ノ子駅近くの県道4号を白川に沿って進んでいくと高峰簡易郵便局の少し先にあります。

到着しました。これですね。



農林水産省直轄の灌漑排水事業のようです。



この紫色の通路が県道と繋がっているのですが、関係者以外立入禁止なので行けるのはここまで。つまりこの頭首工は県道からしか眺めることができません。



県道側の建物の壁に取り付けられた水利使用標識。河川名が「置賜白川」とありますが、これは置賜地方にある白川という意味のようです。置賜地方は山形県南部(米沢市、南陽市、長井市、東置賜郡、西置賜郡)の総称で、「置賜」とは置(浮く)賜(溜まる)の意味から、元々は水が多く溜まる湿地帯だったと思われます(参考)。



上流側から見た頭首工の様子。取水口はクリーム色の建物の下のところにあり、ここから下流地域の田畑へ送水されます。



写真で見る限りだと白川の水量は凄いように見えますが、そうではありません。実は訪れた日の前の晩に大雨が降ったので、そのせいで水量が増え、川の色もこんな黄土色になっていました。いや〜、本当に凄い雨でしたよ。冗談抜きで。
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ん? あれれ?…古谷ダム(再訪2021)

2021-08-27 10:13:36 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県南佐久郡佐久穂町大日向(さくほまちおおひなた)にある信濃川水系の古谷(こや)ダムを再訪します。ここも前回の訪問時が深夜だったためダムの全貌がわからなかったためです。ダム名の「古谷」はその場所が大日向地区の古谷地籍であったことから命名されたもののようです。(参考

ダムへのアクセスは抜井川(ぬくいがわ)に沿って走る国道299号を進んでいけば到着します。

見えてきました。あれですね。



ダム横近くまで来ました。ダムの真ん中には越流式の洪水吐が見えます。



ダム横の、国道を挟んだところに建っているのが古谷ダムの管理事務所です。





管理事務所の敷地内には古谷ダムの概要が書かれた案内板があります。1982年10月に完成だそうで。



では、ダムへ行ってみましょう。国道側(右岸)の貯水側から見たダムはこんな感じ。



これがダム上。歩いてみることにします。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



ダムの下はこんな感じ。高さ48.5mですが、まあまあ怖い。



そして、下流側の遠景です。



対岸(左岸)の斜面の高い場所には「古谷ダム」の文字。このアピールの仕方は水資源機構が管理するダムで見られるパターンですが、ここはもちろん違います。





左岸にも古谷ダムの概要と諸元が書かれた案内板があります。治水ダムなのですが、気になるのは諸元表の部分。管理事務所のところにある案内板と違うゾ。そちらでは1977年9月に工事着工で、上にも書いたように1982年10月に工事完成とありましたが、この案内板では1973年4月に着工し、1983年3月に竣工となっていること。表記内容からすると、たぶんこの左岸の案内板が後に作られたと思われるのですが、なぜこれを作る際に管理事務所のほうの案内板と見比べなかったんでしょうか。ちょっと確認するだけでわかることなのにね。



近くには古谷ダム周辺の案内図があります。



対岸(左岸)から国道側を見るとこんな感じ。



左岸、貯水側から見たダムの様子。



同、下流側から見た様子。管理事務所とダムの位置関係がこれでわかると思います。



左岸の片隅には「定礎」の石碑。1979年8月27日とあります。



訪れた日、どうやら照明灯の交換をしていたようで、左岸には交換用の部品が並べられていました。こうして並べて置いてあるとなんだか面白いですね。



その横に建てられていた工事用のプレハブ小屋の壁。おおっ、なんとハインリッヒの法則の文字! 工事の安全対策を怠らない姿勢がうかがえます。



前回の訪問では対岸の様子がわからなかったので、今回はその確認ができて満足でした。
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半世紀以上前の記憶

2021-08-26 07:00:54 | 脳みその日常
どーも、ワシです。今日こそダムの記事を書こうと思ったのですが、未だに原稿と格闘中。すみません、明日からは何とかしたいと思います。

で、今日も短いやつを。

先日、クルマのオイル交換のため埼玉県入間市にある整備工場に行ってきました。ここの社長とはもう35年もの長い付き合い。東京に住んでいた頃からお世話になっているので長野県に移った現在も定期的に通っています。

作業が終わるのを待つ間、事務所でボーッとしていたら背後で突然、

「ジジッ」

何の音だ? と振り返るや、網戸にセミが止まっているじゃあ、あ〜りませんか!



これを見た瞬間、ある記憶が蘇ってきました。それは半世紀以上前のこと。夏の夜、家の中のレースのカーテンになぜかセミの幼虫が止まっていたんです。そのことにも驚きましたが、もっと驚いたのはその幼虫が今にも脱皮して成虫になろうとしていたんです。

それを見るのは初めてだったので、「よ〜し、脱皮の瞬間を見届けてやろうじゃないか!」と固唾を呑んで待っていました。

しかし、なかなか脱皮が始まりません。時は既に深夜の2時を回っていました。小学生のワシにしてみれば夜更かしは未体験のゾーンに突入です。でも脱皮を見たいばっかりに睡魔と闘いながらまんじりともせず待ち続けました。

そして、深夜3時になろうとしていたその時、クライマックスが訪れたのです。脱皮の瞬間を見たことがある方ならわかると思いますが、成虫になりたての姿は、それはそれは透き通った美しい色でした。ホント、感動的でしたね…。

前にも書いたことがあるかもしれませんが、記憶のメカニズムってえのはつくづく不思議だなあと思います。だって、

・網戸(レースのカーテン)
・セミが止まっている。

この2つの条件から遠い昔のことが瞬時に蘇ったんですから。

残念なことに、網戸に止まっていたセミはこの撮影から30分ほど後、網戸の下方に落ちて息絶えていました。生まれてくるものがあれば、去り逝くものもある。

嗚呼、生活の中での哲学だなぁ…ぬぁんてね。
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おいしさの謎

2021-08-25 06:43:32 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今日は原稿を書くのに追われているので短めにしときます。



これなんですが…。

関東甲信地方にお住いの方なら良く見かけると思います。そう、お菓子メーカーのシャトレーゼのトラックに書かれたキャッチ・コピーです。

キャッチ・コピーってのはそれを見た人の記憶に残るのが重要。現にワシの記憶に残っちゃってますからね。まんまとシャトレーゼの術中にハマっているわけです。

でも、まてよ、「人を想うおいしさ」ってどういう意味なんですかね。おいしさって、一体なに?

わからんなぁ。
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水から守り、求めるため…余地ダム(再訪2021)

2021-08-24 09:56:06 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県南佐久郡佐久穂町余地(よじ)にある信濃川水系の余地ダムを再訪します。改めて前回の訪問した時の記事を見直してみると深夜ということもありましたが、ダムのことがほとんど出ていませんでした。なので初めて訪問したつもりでご紹介しようと思います。

まず向かったのはダム下。そこから見た「ご尊顔」はご覧の通りです。木が邪魔して全体が見えないのが悔しいなあ。



県道108号に戻り、次にダム横へ向かいます。

到着しました。まず目に入るのが余地ダムの管理事務所の建物です。





近くには水利使用標識。洪水調節、水道用水供給、流水の正常な機能維持を目的とした県営の多目的ダムだそうで。2003年完成。詳細な説明はコチラをご覧ください。



そこからダムを見るとこんな感じ。



ダム上です。歩いてみましょう。



「森の中の青い湖」。これが余地ダムのキャッチコピーかな?



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。美しい景色です。



42mの高さから見たダムの真下。ホントはここまで来て見上げたかったんですが、立入禁止でした。



下流側の遠景です。これもなかなかのナイス・ヴュー。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、貯水側から見たダムの様子。




そして、同、下流側から見た景色です。



リンク先に書いてありますが、余地川は急流かつ蛇行しているため、これまで何度も洪水の被害が発生していたそうです。しかし一方でここは少雨地域のため深刻な水不足に悩まされてきたそうな。そして下水道の普及に伴い、さらに多くの水を必要としたため余地ダムの建設に至ったようですね。

そうなると、もう建設するかどうかの議論の「余地」はなかったのでしょうね…ぬぁんてね。(さぶ〜)
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その名の通り…雨川(砂防)ダム(再訪2021)

2021-08-23 09:54:48 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県佐久市田口にある信濃川水系の雨川ダムを訪ねます。ここは2年前の深夜に初めて訪れましたが真っ暗なこともあり、県道93号沿いにあるダム横に佇む程度でした(参考)。なので、今度は昼間の雨川ダムの様子を見てやろうと意気込んで来たわけです。

改めてダムへ向かってみると、ダム下へ通じると思われる道が県道から行けることを発見。未舗装で細い道ですが用心しながら進むと…。



おおっ、ご尊顔、ご尊顔! なかなか立派なダムです…いや、まてよ、ダムの形状からすると砂防ダムじゃないですか!

まあ、いいや。続いて前回も行ったダム横に行ってみましょう。

その場所は県道93号沿いにあり、緩やかにカーブしているところにあります。駐車スペースがあるので安心してクルマを停めることができます。そこには前回の記事でも載せましたが雨川ダムの案内板が。「位置」の欄には「長野県南佐久郡臼田町山の神」と記されています。しかし臼田町は2005年4月1日に浅科村(あさしなむら)、望月町とともに佐久市へ合併となり、現在はありません。したがって現住所は上に記した場所になります。また「完成月日」が1974年11月30日とご丁寧に日にちまで記してあって見学者への配慮を感じさせます。もっとも、気にしない人には全く関係ないことなんでしょうけど。



これがダム上です。自己責任で歩いてみます。



中央に来ました。流木などが無造作に留まっています。



そこから見た貯水側の景色です。



ダム下はこんな感じ。副ダムには水がなみなみと溜まっています。



下流側の遠景です。山の中にあるのがわかりますね。



雨川はここを流れる川の名前なんですが、驚いたことにワシがダムを見終わった直後から突然雨がザーッと降り出したことです。「そんなの、単なる偶然だよ」と思うかもしれません。でも、ダムから離れ、少し下流に行ったところで雨はピタッと止み、晴れ間が覗いたんです。他の場所は晴れているんですよ。雨が降ったのはそこだけ…。

こうした体験をすると、なるほど、この川が雨川と呼ばれているのもわかる気がします。その名称が付いたのにはそれなりの理由があるように思いますね。
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確認できたけど…深沢(砂防)ダム(再訪2021)

2021-08-22 09:44:05 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回向かうのは小諸高原ゴルフクラブの北側を流れる深沢川にある信濃川水系の深沢ダムです。ここへのアクセス方法は目標物がほとんどないので説明するのはホント難しいんです。おまけにダム横までの道がやたらと狭いので気軽にドライヴというわけにはいきません。2年前の深夜、一応深沢ダムの横までは行ったのですが、今から考えるとよくもまあチャレンジしたものだと我ながら感心します(参考)。

リンク先にも書きましたが、深夜の深沢ダムは全く何も見えませんでした。しかし今回訪れたのは昼間だったのでそれなりの収穫はありました。これが右岸から見たダムの様子です。



残念ながらダム上は鉄柵があって行くことはできませんでした。でも、あれっ? この形…砂防ダムじゃないの?

とりあえず、貯水側の景色はこんな感じ。



前回は真っ暗だったため深入りすると危険と判断し、ここで終了しましたが、ダム下へ降りる細い道があったので今回はそちらにも行ってみました。ダム下から見上げるとこんな感じ。



副ダムには豊かな水が溜まっていました。



それにしても、この建造物についての案内板がないのはあまりに不親切だと思います。形状を見れば砂防ダムなのにそれについての説明も一切なし。今回、ダムを見ることができたのはよかったのですが、なんか一気に疲れが出ました。
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改修後の姿…西浦ダム(再訪2021)

2021-08-21 09:46:11 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は長野県小諸市山浦西浦にある信濃川水系の西浦ダムを再訪問します。前回の訪問は深夜で、ほとんど何も見えなかったので再訪というわけです。アクセス方法は上のリンク先をご覧ください。

到着しました。右岸から見た様子です。



さらにダム横に近づいてみます。でも、見た感じはダムでなく堰堤のようですね。



対岸(左岸)に見えるのは取水口ですが、地図で調べてみるとここから取水された水は直線距離にして約4.5km下流にある島川原発電所(長野県東御市[とうみし]島川原)へ送られて発電に使用されるようです。



ここがダム上への入口のようですが、立入禁止なので行くことはできません。門柱には東京電力の西浦調整池の文字。



近くには水利使用標識。おっ、「許可年月日・許可番号」が更新されてますな…(一番上のリンク先を参照)。



千曲川の上流側から見たダム(堰堤)の様子です。



続いて、左岸からダムを見てみます。



ここが先ほど説明した取水口です。水はここから地下水路を通って島川原発電所へ向かいます。



左岸、ダム横から見た様子。でも、ここからもダム上に行くことはできません。



どうやら2018年頃まで、西浦ダムには立派なゲートがあったようです(参考)が、その後改修工事が行なわれて現在の姿になっているようですね。いずれにしても全貌がわかってメデタシ、メデタシ。
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いいよ、いいよ…内村ダム(再訪2021)

2021-08-20 11:34:26 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。大雨の後、なんだか涼しくなっちゃいましたね。このまま秋に突入? いや〜、ダム巡ラーとしてはまだまだ夏が続いて欲しいんだけどなぁ。

さて、今回訪れるのは長野県上田市鹿教湯(かけゆ)温泉にある信濃川水系の内村ダムです。ここも前回の訪問では真っ暗でほとんど見えなかったのでやってきたという次第。アクセスは国道254号を鹿教湯温泉から松本方面へちょっと行ったところを脇道に入っていけば到着します。

まずはダム下へ行ってみます。この日は放水量が少なかったせいか川原に降りて魚の目線で「ご尊顔」を拝むことができました。これはラッキー!



そこから階段を上ったところにあるのが内村ダムの案内板です。洪水調節、灌漑、上水道用水の補給を目的とする多目的ダムで、1986年3月完成とあります。ただ、案内板にある所在地は「長野県小県郡丸子町字西内」になっていますが、これは2006年3月5日までのもの。翌日から丸子町は真田町(さなだまち)、武石町(たけしまち)とともに上田市になりました。そのため現在の住所は上に記したものになります。



では、ダムの真下へ行ってみます。ダム本体に貼り付けられた水利使用標識。



横に長いダムなのがわかりますね。



真下から見上げると…。



そして、下に目をやると…。



下流はこんな感じ。



次にダム上に行ってみます。坂を登りきって最初に目にするのが「内村ダム管理事務所」。





管理事務所からダム横へ行く途中にある「天地一険一易」と刻まれた石碑。



その裏には「天地一険一易」の説明が書かれています。これは文字通り訳せば「自然は危険でもあり平穏でもある」といった意味。出典は中国の管子が書いた(実際には中国春秋時代の政治家、管仲とその門人が執筆)「宙合(ちゅうごう)」から取られています。宙合とは簡単に言えば自然世界の仕組みのこと。それにしても、この言葉を探してきた旧丸子町第12代町長の大野太郎一(在職:1975-1990)はなかなかの知識人だったと思います。ただ、残念なことに町財政の不明朗会計発覚を恐れてなのか在職中に自殺してしまったのは晩節を汚すものでしたね。



ダム横には、ダム下にあったのと同じ案内板。



右岸、下流側から見たダムの様子。



そして、これがダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水湖の様子。ダム湖百選のひとつであっても良いくらい美しい!



ダムの真下。51.3m下はこんな感じ。



下流側の遠景です。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



対岸、貯水側から見たダム。



同、下流側から見たダムの様子。これも絵になります。



いや〜、内村ダムがこれほど見応えのある場所とは思いませんでした。やはりダムは昼間に見るべきですなぁ。
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竜ヶ沢(砂防)ダム(再訪2021)

2021-08-19 09:49:33 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県上田市武石上本入(たけしかみほんいり)にある信濃川水系の竜ヶ沢(たつがさわ)ダムを再訪します。前回の訪問が深夜だったので昼間の様子を見てみようということで…。アクセス方法や深夜の様子はコチラをご覧ください。

…てなわけで、到着しました。こういう感じなんですね。



でも、待てよ、ダムの形状からするとこれは砂防ダムではないのか? 調べてみるとビンゴでした。長野県の上田建設事務所整備課による資料によれば、名称こそは「竜ヶ沢堰堤」になっていますが、説明を読むと昭和37年(1962年)に築造された「コンクリート砂防堰堤」と記されています。また概要欄には「高さ22.5m」とあるので、1964年に施行されたこんにちのダムの定義に当てはめると「竜ヶ沢砂防ダム」が正しい表記となります(参考)。

それはそれとして、ダムを見ることにしましょう。右岸、貯水側から見たダムの様子です。



右岸にある案内板です。あっ、下の部分がなくなってる! いえね、2年前に来た時にはその下の部分があったんです。確認したい方は一番上のリンク先をご覧ください。



これがダム上。深夜だとホント真っ暗なのでスリル満点だったのを思い出しました。そんな時間に行くのはどうかしてるぜ! ええ、どうかしてました。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。良い眺めです。



一方、ダムの下はこんな感じ。



先ほどからご覧の通り、この砂防ダムの上には橋が架かっているので対岸(左岸)まで行くことができます。対岸から振り返るとこんな感じです。



長閑で静かな美しい場所ですが、そろそろ案内板を作り直したらどうですかね。それも諸元表を記したちゃんとしたやつを。ついでに「竜ヶ沢砂防ダム」という表記で。
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たぶん堰堤だろうなぁ…風腰ダム

2021-08-18 10:08:53 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県小県郡長和町和田野々入(ちいさがたぐんながわまちわだののいり)にある信濃川水系の風腰ダムを訪れます。アクセスは国道142号を美ヶ原高原美術館へ向かう県道178号をひたすら上っていくと到着です。その県道は野々入川に沿っていて、県道沿いに「風腰ダム」の表示があるのですが注意していないと見落とします。



表示板の裏側には1954年竣工で、1993年から94年にかけてグラウト注入により補修したとあります。グラウト(grout)とは建設工事において隙間を埋めるために注入する流動性の液体のことで、セメント系、ガラス系、合成樹脂系があるそうな。ここはダムですからおそらくセメント系のグラウトが使われたものと思われます(参考)。



その表示板の場所からダムを眺めることができますが、たくさんの木があって写真では何が何だかわかりませんね。



足元に気をつけながらダム上を歩いてみましょう。中央にある落水部分の様子です。



上流側の景色。水は澄んでいるんですが、写真ではわかりにくいですね。



落水の様子。飛沫が心地よい音を立てています。



次にダム下に降りてみました。緑色した丸いものは石なんですが、石全体が苔で覆われています。横に見える白樺を見ると「ああ、長野県だなあ」と思ったり…。



ダム下近くまで来ました。いかにも涼しげです。でも、これを見ると県道沿いにあった表示板の裏の表記がおかしいことに気づきます。だって「高さ90m、長さ320m」ですよ! いやいや、どう見ても違います。おそらく「高さ9.0m、長さ32.0m」の間違いじゃないかなあ。



それはともかく、ダム下の水の流れを見ているとそんなことはどーでもよくなります。



そこから下流はこんな感じ。



もし先ほどの高さ表記が間違いでワシの推測が正しければ、これは15m未満なのでダムでなく堰堤と呼ぶべきだと思います。未解決なのはこの建造物の名称です。「風腰」と命名された由来は? 付近の地名でもなさそうだし。そもそもこれ、なんて読むんでしょうね。「かぜこし」? それとも「かざこし」? まさか「ふうよう」?

う〜む、案内板がないのでわからんじゃないか!
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木も森も見よ!…宮川ダム

2021-08-17 09:52:31 | 福島(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は福島県大沼郡会津美里町宮川(みやかわ)にある阿賀野川水系の宮川ダムを訪れます。アクセスは国道401号沿いなのでわかりやすいです。

宮川を上流に向かって国道を走っていると…おっ、見えてきました。なかなか立派なコンクリートダムです。



ダム横に来ました。水利使用標識です。灌漑用のダムなんですね。



しかし、ん? なんだか様子がおかしい…。



これがダム上なんですが…あれれ、アースダム? コンクリートダムじゃないの?



ダム上を歩いて確かめようとしたんですが、実はご覧の通り鉄柵があり、関係者以外は立入禁止なんです。



国道沿いの、ダムの左岸の上流側にあるこの建物が宮川ダムの管理事務所。





一体このダムはどうなってるんだろう…と思いながら上流側からダムを見て謎が解けました。つまり左岸側がアースダムになっていて、右岸側がコンクリートダムという珍しい構造になっているんですね。



このダムの周辺には宮川ダムの案内図がないので諸元の詳細はわかりませんでした。でも、1つだけ言えるのは一部分だけ見て全体もそうだろうと思い込んではいけないということ。これは何事にも通じることですが、ある対象物は様々な角度から見ないと本当の姿はわからないんだなと改めて思ったんでござるよ。

うん、先入観はイカンな。自戒、自戒。学ばせてもらいました。
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