ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

秋田県の井川ダム

2022-07-31 06:54:50 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県南秋田郡井川町井内(いかわまち いない)にある馬場目川(ばばめがわ)水系の井川ダムを訪れます。アクセスは国道285号の「湖東のやさい畑」の看板のある交差点を東方向に進み、突き当りを右折します。そして県道228号を道なりに進んで行くと目的地に到着です。

ちなみに馬場目川の名称ですが、「ばば」は崖の意、「め」は狭いという意味らしい(参考)。狭いという意味の「め」は数日前の旭川ダムの記事で書いたようにもしかするとアイヌ語に由来するのかもしれませんね。さらにちなむとアイヌ語で崖は「ピラ」と言うんだそうな。だから「ばば」はアイヌ語に由来するものではなさそうです。

そんなこんなで当該ダムの右岸まで来たんですが、ちょうどその時、作業員たちがそこで伐採した木材を移動していたので、しばし待機。ワシのクルマに気づいた作業員のひとりが近づいて来て、

「あの〜、急いでます?」
「いえ、まったく。ゆっくりやってくださいな」

その作業員の兄ちゃん、別の作業員が道を開けるまでの間、ワシを飽きさせないようにするためなのか世間話を開始。なかなかの気遣い君です。しばらく喋っていて、ふと彼の話し方にほとんど訛りがないことに気づきました。

「あれれ、失礼だけど訛りがないですね」
「ああ、自分はこのへんの人間じゃないので」
「へえ〜、どちらのご出身?」
「自分、宮城と福島のハーフです」

うははは、ハーフ…。面白い言い方をする兄ちゃんです。もっとも、間違いじゃないんでしょうけどね。

そうこうするうちに道が空いたのでダム見学を開始。ご覧の通り、このダムの形状は独特で、洪水吐が右岸のダム横から離れたところにあります。



向こうに見えるのがダム上。つまり洪水吐からの水路の向こうにダム上があるわけです。だからここから直接ダム上に行くことはできません。



ダム上に行くにはちょいと下流からアクセスします。すると、ダムはこんな風に見えてきます。このあたりまではクルマで行けますが、ここからは歩いて向かいます。



ダム横に来ました。ダム上はこんな感じ。草でふかふかになっていて歩きにくいですが、ダム上を歩いてみます。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。



下流側は、こんな感じ。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな景色。あれれ、ピンボケだなあ。



左岸のダム横から見た貯水側の景色です。先ほどの洪水吐は写真中央あたりにあります。行ってみましょう。



フカフカの地面に苦戦しながら洪水吐のところまで来ました。このアングルからだとわかりにくいですが、



横から見ると、微妙にアーチを描いているのがわかります。



そこから溢れ出た水は、この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



実は、このダム、ダム便覧には載っていません。グーグル先生の地図で「ダム」で検索すると出てきますが、通常は出ていません。唯一、国土地理院の地図には「井川ダム」と表記されています。もちろん現場には井川ダムを示す看板すらありません。でも、井川ダム…どこかで見た覚えが。ああ、そういえば同名のダムは以前訪れた静岡県静岡市葵区にありましたね。(参考
コメント

そこに見えているのに…箒田溜池

2022-07-30 06:53:48 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友箒田(しもしんじょうおとも ほうきでん)にある雄物川(おものがわ)水系の箒田溜池を目指します。場所は昨日記事にした堀田溜池のすぐ北側にあるのですが、アクセスするには堀田溜池へ向かう手前のT字路を入って行くようです。

で、行ってみると、その道は完全に農道の車幅。3ナンバーのクルマではとても到達できそうにありません。クルマを置いて歩いて向かおうかとも思いましたが、周囲は水田だらけで駐車スペースもなし。というわけで、撮れた写真はこの一枚のみ。



ここはダム便覧にも掲載されていますが、基本的に農業用の溜池なのでクルマで気軽に行ける場所じゃありません。今回のことでちょっと溜池への訪問は遠慮しようかなと思ったりしています。農道で脱輪してもシャレにならんし…。
コメント

カーテンの奥に…堀田溜池

2022-07-29 07:08:52 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友堀田沢(しもしんじょうおとも ほったざわ)にある雄物川(おものざわ)水系の堀田溜池を訪れます。アクセスは昨日記事にした猿田沢溜池へ向かう道の手前のT字路を入って行くと到着します。

見えてきました。あれですね。屹立した木々のカーテンが開いて、登場するかのよう。



訪れた日はダム上の整備の真っ最中だったようですが、到着した時間、まだ工事が始まっていなかったので歩いてみました。ただし、いわゆるダム横へ直接クルマで行くことはできないのでそこへは歩いて登ります。



右岸、ダム横から見た貯水側の景色。時期的に貯水量は少なめ。



ダム上、中央から貯水側を見るとこんな感じ。



一方、下流側はこんな景色です。



対岸(左岸)にある取水設備の建物。



ここも洪水吐が見当たらないなと思いながら後にしましたが、後ほど国土地理院の地図で確認すると右岸側にあるようです。ちなみに現地にも地図にも堀田溜池の表示はありません。住所から推測すると溜池はここしかないので、たぶん間違いないと思います。
コメント

立派なんだけど…猿田沢溜池

2022-07-28 06:53:43 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市下新城小友猿田沢(しもしんじょうおとも さるたざわ)にある雄物川(おものがわ)水系の猿田沢溜池を訪れます。アクセスは県道41号から菅原神社を目指し、神社の右側の道を進んでいくと到着します。

水田の向こうに…見えてきました。あれですね。



未舗装の細道を進んでいくと右岸に到着します。しかし軽車両なら右岸に行けますが、そうでなければ溜池の下にクルマを停車させて歩いて登るのが無難だと思います。で、これが、いわゆるダム上になります。



右岸から下流側を見ると、こんな感じ。



同じく、右岸から見た貯水側の景色。ダム上を進んでいきます。



ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。水量が少ないため、溜池の中央に島のようなものが現われています。



同、中央から見た下流側の景色。のどかなもんです。



ダム上から左岸方向を見ると取水塔と取水設備があるのがわかります。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸、ダム横から見た貯水側の景色。



取水塔や取水設備があったり、なかなか立派な溜池ですが、残念ながらここが猿田沢溜池であることを示す看板な案内板はありません。そういえば洪水吐が見当たらなかったように気がするのですが、どこかにあるのかな。(帰宅してから国土地理院の地図が確認すると、右岸の奥のほうに洪水吐はあるようです)
コメント

秋田県の旭川ダム

2022-07-27 06:53:54 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は秋田県秋田市仁別マンタラメ(にべつ まんたらめ)にある雄物川(おものがわ)水系の旭川ダムを訪れます。アクセスは県道15号を秋田市太平山(たいへいざん)リゾート公園を目指して行くと到着します。

さて、ここの住所ですがちょっと珍しいですよね。調べてみると、どうやらアイヌ語に由来するらしい。え? アイヌといえば北海道でしょ?と思うかもしれません。ところがアイヌ語に由来する地名は秋田県にもあるようで、秋田県がその南限といわれます。そこでアイヌ語に照らして地名の由来を考えてみます。「仁別」の「仁」は木を意味する「ニ」、「別」は川を意味する「ペッ」が結合したものと思われます。つまり木や川のある場所という意味でしょうか。また「マンタラメ」とはアイヌ語で「源流、源」の意味のようです。「メ」は狭い場所を意味しますが、「マンタラ」についてはわかりませんでした。ご存知の方がおられましたら教えてください。

で、目的地である旭川ダムに到着しました。まず左岸から見るとこんな感じです。



でもね、いきなりこんな景色が見えるわけじゃありません。最初に目にするのが管理事務所らしき建物。敷地内は立入禁止のようなので遠くから撮影しています。



撮影場所近くには旭川ダムの案内板があります。説明によると、この地帯は秋田杉の主産地ですが、戦中戦後の乱伐により林相が悪化し災害が発生しやすくなっていたようです。実際、記録によると明治43年(1910年)、昭和26年(1951年)、昭和30年(1956年)、昭和32年(1957年)に洪水が発生。その度に下流の家屋や田畑に甚大な被害が起きたそうな。この対策として河川改修を行なってきたが、諸々の理由から遅々として進まず。そこで抜本的対策として旭川上流に大規模な治水ダムを築造することになり、昭和42年(1967年)に実施調査を開始し、翌年から工事に着手。そして昭和47年(1972年)に旭川ダムは完成したようです。



案内板のあるところから下っていくと左岸のダム横になります。ここまではクルマで行けます。ダム本体の親柱には旭川ダムのプレートが嵌め込まれています。昭和47年(1972)10月竣工。



これが左岸から見たダム上。歩いていきます。



進んでいくと直角に近いカーブになります。そこから見た様子。



ダム上、中央から貯水側を見下ろします。時期的に水量は少ないですが、上流が流れてきたものを網場(あば)がガッチリとガードしています。



上流側の遠景。山、山、山。



ダムの真下を覗くと、こんな感じ。



下流側を見ても山、山、山。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



こちら側にも左岸と同じようなプレートが嵌め込まれています。



右岸、ダム横から見た貯水側の景色です。水というより森が溜まっています(笑)



こうしてみると、河川の改修が困難を極めたのがわかるような気がします。そうした中にこんなダムを築造したんですから、ただただ凄いなあと感心するばかり…。ちなみに同名のダムは岡山県岡山市北区にもあるようです。そのうち行ってみたいと思います。
コメント

秋田市の水源…藤倉ダム

2022-07-26 06:57:20 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市山内上台(さんない かみだい)にある雄物川(おものがわ)水系の藤倉ダムを訪れます。アクセスは県道15号(秋田八郎潟線)沿いにあります。ダム名はすぐ下流の地名に由来します。

県道沿いにあると書きましたが、県道から見えるのはこんな感じ。付近をウロウロすると下流からダムへ近づくことができることがわかりました。



県道を下流方向へ行くと「藤倉水源地入口」の看板があるのでそこから入っていきます。細い道を入って行くと水田の先に広場のようなものがあります。そこには「源流」と刻まれた可愛らしいモニュメントが。



説明書きによると、秋田市の水道事業は明治40年(1907年)10月1日にこの藤倉を水源として通水を開始したそうな。そして近代水道としては東北地方で初だという。へぇ〜。



藤倉ダムはここから約300mほど上流にあるのでクルマを置いて歩いていきます。



こんな道を進んで行くと…、



通路脇の法面(のりめん)から生えた草も、まるで流れ落ちる水のよう。



そして到着です。



ふと足元を見れば藤倉ダムの概要を示した石碑が。それによると、藤倉ダムは1905年から1911年にかけて築造されたもので、1985年5月にはダム施設「近代水道百選」に選定。1987年11月から1988年10月にかけて補修工事が行なわれたとあります。





また1993年8月17日には「藤倉水源地水道施設」として重要文化財に指定されています。(参考



流れ出る清澄な水。



石碑の背後にある階段を登り、ダム横へ。しかしダム上に行くことはできません。



半ば朽ちかけている「危険 立入禁止」のプレートが、少々怖い。



仕方がないので、そこから貯水側を覗きます。



下流側を見ると、こんな感じ。向こうに見えるのが県道15号。



元の道を戻ると草を刈っている農夫の方がいました。ワシの姿に気づくと、

「おぅ、何だ、おめえ。釣りでもしに来たか?」
「いえいえ、上流にあるダムを見学に」
「ほぅ」
「この辺りは、やっぱりあきたこまちを作っているんですよね?」
「んだ」
「あきたこまちはここの水が使われて育つんですよね?」
「おぅ」
「それで美味しいお米が…」
「だども、あきたこまちだからって、みんなうめえわけじゃねえ」
「ん? というと?」
「肥料の種類、世話の仕方によって味もかわんだ」
「へぇ、そういうもんですか?」
「んだ」

そう言うと、農夫の方は草刈りを再開。地元の人との会話はホント楽しいねえ。
コメント

いまいち消化不良!…岩見ダム

2022-07-25 06:53:21 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県秋田市河辺三内財ノ神(かわべさんない さいのかみ)にある雄物川(おものがわ)水系の岩見(いわみ)ダムを訪れます。アクセスは国道13号の「和田坂本」信号から県道308号(河辺阿仁線)に入り、そのまま道なりに行くと到着します。

到着しました。これですね。向こうの右岸には管理事務所らしきものが見えます。



左岸、ダム横には「岩見ダムのあらまし」が表示された案内板があります。これによると当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、発電を目的として秋田県が昭和47年(1972年)に着工し、昭和54年(1979年)に完成させた多目的ダムとあります。ダムは三内川を堰き止めて築造されているにもかかわらずそのダム名は岩見ダム。なぜなんでしょうか。なぜ「三内川ダム」もしくは「三内ダム」じゃないんでしょうか。

案内板の地図から推測できるのは三内川は下流で岩見川に流入するのでダム名は岩見ダムと命名したのではないかということ。でも、その推測が正しいとすると岩見川は下流で雄物川に流入するんだからダム名は雄物川ダムになっても良い気がしますが、そうにはなりません。なぜなら雄物川に最終的に流入する全てのダムの名称が雄物川ダムになってしまうからです。…となると、そもそも「下流で岩見川に流入するのでダム名は岩見ダムと命名した」という推測そのものが間違っているのかな?ダム名の由来は別のところにあるのかもしれません。



ダム湖名は「河北湖」。



その向こうには発電のための水利使用標識。



左岸のダム本体には「岩見ダム」のプレートが嵌め込まれています。完成は昭和54年(1979年)4月とありますね。



同じく「河北湖」側の親柱には岩見ダムの諸元が記されています。



で、いよいよダム上へ…と思ったところが、なんと「関係者以外立入禁止」とな! うへぇ。



仕方がないので左岸のダム横から見た「河北湖」の様子と、



下流側の景色を撮ることに。



左岸、ダム横には他に「四方祓いの紙子飛び散る青嵐筑紫の山根にダムきずかんとす」と刻まれた石碑があります。これが何の目的で設置されたのかは不明。



なぜダム上には行くことができないのか。理由はわかりません。良い景色が見られそうなのに…。
コメント

もうひと工夫欲しい!…協和ダム

2022-07-24 06:54:20 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県大仙市協和船岡大川前(だいせんし きょうわふなおか おおかわまえ)にある雄物川(おものがわ)水系の協和ダムを訪れます。アクセスは国道13号の「船岡」と表示されたT字路を県道28号へ入り、そのまま道なりに進むと県道316号になります。そしてさらに進み、大川前トンネルを抜けたところで目的地に到着します。

まずは左岸から見た「ご尊顔」をご覧ください。治水ダムのようですね。



順に見ていきましょう。大川前トンネルを抜けると、すぐに目に入るのがこの建物。「協和ダム管理事務所」です。写真の向こうに見えるのが大川前トンネル。





管理事務所の並びにあるのが展望台と書かれた建物。下はトイレです。



早速、展望台に行ってみます。屋上には「協和ダム説明板」があります。それによると当該ダムは昭和49年(1974年)4月から予備調査が開始され、当初はここを流れる淀川にちなみ「淀川ダム」という名称で計画されていたのが昭和54年(1979年)7月に「協和ダム」に名称変更されます(ダム便覧では昭和55年とありますが、この説明板の記述を尊重すると間違いになります)。そして昭和60年(1985年)4月に建設着手。平成4年(1992年)3月にダム本体工事に着手し、平成10年(1998年)3月に完成したとあります。また諸元の「位置」の項目に「秋田県仙北郡協和町船岡字大川前」とありますが、協和町は2005年3月22日、市町村合併により大仙市になりました。ちなみに大仙市は、大曲市と仙北郡に属する複数の町村が合併したのでそれらの頭文字をとって誕生しています。



展望台からダムを見ると、こんな感じ。



展望台を下りてダムへ向かいます。ダムは管理事務所よりも下流側にあるのですが、その途中に「定礎」と刻まれた石碑が。平成5年(1993年)10月と記されています。



ダム横近くにはなんとも抽象的なオブジェがあります。題名および制作者は不明。説明書きがあってもいいのにね。



近くには「協和ダム周辺案内板」。



ダム湖名は「美山湖」。平成10年4月に命名されたようです。



ダム横には展望台に設置されたものと同じ説明板があります。



そこから見たダムの様子。



右岸、下流側から見たダム。



そして、これがダム上です。行ってみましょう。



ダム上の欄干に嵌め込まれたプレートの例。近隣の小学生の手形でしょうか。こんなのがたくさん嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た「美山湖」の様子。



一方、ダムの真下はこんな感じ。「KYOWA DAM」。これがシンボルマークのようです。





そして、下流側の遠景。



24年前に完成したとはいえ、こうした剥離が目立ちます。そろそろリニューアルの時期かもしれないですね。



左岸の高台の斜面には「協和ダム」と記された看板があります。



ダム上から左岸の「美山湖」側の壁面を見ると元気よく泳ぐ魚のレリーフが飾られています。



対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。



左岸、「美山湖」側から見た様子。



最後にダム下から見た「ご尊顔」をどーぞ。



説明板などそれなりにあるのですが、ダム建設の経緯などは抜け落ちています。比較的新しいダムだけに惜しいなあ。
コメント

ニョキニョキ&うおっ!

2022-07-23 06:54:00 | ドライブ関連
どーも、ワシです。えー、今回は県道46号と県道61号が邂逅する「空港入口」交差点付近で面白いものがあったのでご紹介しようと思います。その場所とは秋田県立中央公園芝生広場なんですが、その交差点にさしかかった時、こんなものが!地面からニョキニョキ石が生えています。まるでストーンサークルのよう。調べてみると、これは伊藤邦衛の制作したオブジェらしい。伊藤邦衛(いとうくにえ:1924-2016)は広島県出身の造園家、環境デザイナーで、日本各地の造園を手がけたことで知られています。



休憩所を挟んだ隣には、これまた強烈な何か…。実際に目にすると「うおっ!」と声が出ます。地面が割れてる…。そんな感じ。リンク先の説明によると、これは噴水らしい。水がないと異様だね。でも誰がデザインしたんだろうか。



ドライブしているとホント予期せぬものと遭遇します。だから止められないんです。
コメント

原型は平安美人も見た?…鳥田目頭首工

2022-07-22 06:54:17 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県由利本荘市鳥田目川原(ゆりほんじょうし とりため かわら)にある子吉川(こよしがわ)水系の鳥田目頭首工を訪れます。アクセスは国道107号沿いにある「石沢保育園→」の看板のあるT字路を入り、石沢川に沿ってそのまま行くと到着します。

右岸から見た「横顔」。管理橋と屋根の空色が爽やかに映えます。



石沢川の右岸、下流側から見ると、こんな感じ。



石沢川の下流方向の様子。



右岸、頭首工の横には管理棟と思しき建物があり、



その壁には水利使用標識が貼られています。



そこから頭首工を見ると、こんな感じです。



頭首工の上流側にあるこれは取水設備。



石沢川の上流方向の様子。



右岸の上流側には「水勢滔々」と題された鳥田目頭首工竣工記念碑。



そこに記されているものを転記します。

「延喜時代(901-923)のころ大場弥惣左エ門という豪族が鍔出川(つばいでがわ)の水系を横揚げして笹井を通し諏訪神社の下の崖に堰を設け鳥田目部落の人家を保食神社(※)の付近に移し部落の屋敷全部を開墾かんがいを計画したのが鳥田目堰の始まりである。その後江戸時代現地点に頭首工を設けたが当時の頭首工は杭を打ち川石で堰止めたものにすぎなかった。昭和18年(1943年)戦時中の物資不足の折、頭首工は粗石コンクリートに改良されたが、その後頭首工と幹線用水路の老朽化が激しく特に近年は漏水が著しく到底近代的な農業施設として機能を果たすことが不可能となり石沢地区県営圃場整備事業を計画するに当たり関係各方面へ陳情。昭和48年(1973年)県営かんがい排水事業に採択され昭和55年(1980年)3月に完成の運びとなった。これにより水利の不安が解消され農業の振興に寄与するところ計り知れず国県の支援のもと関係各位及び組合員の協力のたまものであることを録してその恵沢を後世に伝える。
  昭和58年(1983年)9月24日 本荘市東由利町土地改良区」

※:保食神社…「ほしょくじんじゃ」もしくは「うけもちじんじゃ」。保食神(うけもちのかみ)は『日本書紀』の神産みの段に登場する神のこと。それによると、天照大神(あまてらすおおみかみ)は月夜見尊(つきよみ)に葦原中国(あしはらのなかつくに)に保食神という神がいるので見て来なさいと命じた。月夜見尊がそこへ行き保食神と対面する。すると保食神は陸に向くと口から米を吐き出し、海を向いては魚を吐き出し、山に向かっては獣を吐き出し、そうした吐き出したもので月夜見尊をもてなした。しかし月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとはけしからん」と腹を立て保食神を斬ってしまう。この話を聞いた天照大神は怒り、月夜見尊とは金輪際会いたくないと絶好宣言する。それ以降、太陽と月は昼と夜に分かれて出るようになったそうな。そんなわけで、保食神社は食物の神を祀る神社として日本各地に存在します。

いやいや、記念碑を読んでビックリですね。鳥田目頭首工の元になる鳥田目堰はなんと平安時代前期の終わり頃には存在したんですから!
コメント

つらい歴史が…六ヶ村溜池

2022-07-21 06:54:22 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。暑いですなぁ。ブログを書くのも億劫になりますがジジイは負けません。気合いで続けます。今回は秋田県由利本荘市赤田壱斗沢(ゆりほんじょうし あかた いっとざわ)にある子吉川水系の六ヶ村(ろっかむら)ため池を訪れます。アクセスは県道69号から一般道へ進み、赤田川を渡った最初のT字路を左折。さらに進むと道が二股に分かれるので右方向へ進み、道なりに行くと目的地に到着します。

見えてきました。あれですね。



右岸側に到着しました。そこには「六ヶ村ため池の沿革」が記された案内板があります。それによると、同ため池は江戸時代の宝暦年間(1751-1763)に亀田藩第六代藩主である岩城隆恭(いわきたかよし:1724-1782)がこの地域の水不足解消のために藩営事業として築造したものだそうです。当初、その受益地が6つの集落(平岡、漆畑、中の目、女岡、畑谷、山田)だったことから「六ヶ村堤」と命名。その後何度か堤の嵩上げ工事が行なわれ、南内越地区も受益地にするため昭和16年(1941年)に改修工事に着手し、昭和27年(1952年)に完成。ところがこの工事では戦時中の粗悪なコンクリートを使用したためため池の老朽化が顕著となり、これを改良するため秋田県営の大規模ため池事業として昭和42年(1967年)に工事に着手し、昭和44年(1969年)に完成。現在に至っています。



なるほど、歴史があるんですなぁ。

これが、いわゆるダム上。歩いてみましょう。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



一方、下流側の景色。



左岸寄りには管理棟のような建物。「水土里ネット内越」とあるのはここを管理しているのが内越土地改良区(1951年設立)であることを示します。(参考





左岸に来ました。振り返ると、こんな感じ。



左岸側から見た下流側の様子。



さらに左岸側には越流式の洪水吐があります。貯水量の水位を調節できるようになっていますね。いずれにしても増水時になると、水はここから溢れ出て、





この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



左岸には「六ヶ村溜池工事竣功記念碑」と刻まれた石碑が。



その裏側には右岸にあった案内板よりも詳細な年月日が記されています。つまりため池を起工したのは1941年10月5日で、竣工は1952年11月26日…などなど。



そこからため池を見ると、こんな感じ。



歴史を紐解くと、このため池が築造された頃、つまり1761年4月に亀田藩の100名以上の藩士が隣接する久保田藩(秋田藩)へ逃げるという「亀田藩士秋田退散事件」が起きています。その逃亡の理由は藩財政が逼迫したことで藩士の俸禄が削減され、藩士の生活が困窮したためでした。つまりこの地域では当時農民ばかりでなく武士たちの生活も苦しかったということなのでしょうね。うーむ。
コメント

横手市の郊外にある新一の堰頭首工

2022-07-20 06:51:51 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市大沢下庭当田(しもていとうだ)にある雄物川(おものがわ)水系の新一の堰(しんいちのせき)頭首工を訪れます。横手川には2つの頭首工があるようで、今回は上流側のほう。アクセスは国道107号沿いにある「トータル設計」近くのT字路を入り、橋を渡りすぐ右折し進んでいくと到着します。

到着しました。これです。



頭首工の下流側は、こんな感じ。半円形のようになっている段々の流れのところが魚道。



頭首工の左岸、上流側には取水設備があり、鉄柵を通った水は左岸の水田へ供給されます。



横手川の上流方向の様子。これを遡っていくと以前訪れた「大松川ダム」や「相野々ダム」に到着します。



頭首工の横には管理棟らしき建物があり、



その建物の壁には二種類の水利使用標識が貼られています。ひとつは灌漑用水を目的とするもの。もうひとつは消流雪用水、つまり雪を溶かすための水として用いられます。



頭首工の横には「新一の堰頭首工」と記された石碑。竣工は昭和43年(1968年)3月。元になっている石が風化しかかっています。



この頭首工の名称「新一の堰」の由来はなんでしょうね。これが設置される前に「一の堰頭首工」なるものがあったのでしょうか。詳細は不明です。
コメント

これぞ!…大戸川頭首工

2022-07-19 06:57:46 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市塚堀大島(つかぼり おおじま)にある雄物川(おものがわ)水系の大戸川(おおとがわ)頭首工を訪れます。国土地理院の地図によれば、本来の大戸川は前回見た般若寺頭首工のすぐ下流で吉田排水幹線に合流して正式に大戸川となるようです。つまり吉田排水幹線は大戸川のいわばバイパスみたいなものなのかもしれません。従って、ここ大戸川頭首工はまさに川の名前に相応しい施設と言えるでしょう。その位置は県道29号と秋田自動車道の交差した北側にあり、アクセスは大戸川の右岸から向かうのがわかりやすいでしょう。

右岸、下流側から見た大戸川頭首工の様子。



右岸、頭首工の横から見るとこんな感じ。



ふと足元を見れば取水設備らしきものが。



大戸川に架かる管理橋を渡ります。その中央から大戸川の上流方向を見ると、こんな感じ。これを遡っていくと前回の般若寺頭首工があるわけです。



頭首工の右岸、上流側にある取水施設。ここから取られた水は右岸の水田へ供給されるんでしょうね。



一方、下流側の景色です。



左岸側には管理所らしき建物があります。建物自体が草に覆われてしまっています。



草に覆われた壁面に水利使用標識を見つけました。確かに「大戸川頭首工」の文字が見えます。



以上で大戸川関連の頭首工は終わりです。ここから大戸川は下流で横手川に合流し、さらに雄物川へ流れ込みます。最後に大戸川(吉田排水幹線)に設置されている頭首工を上流から記しておきます。ご参考までに。

大戸川(吉田排水幹線)…上流から
新城(にいじょう)頭首工
猪岡(いのおか)頭首工
般若寺(はんにゃじ)頭首工
大戸川頭首工
  ↓
 横手川へ
コメント

きっと…般若寺頭首工

2022-07-18 06:50:28 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市清水町新田宮東(しみずまちしんでん みやひがし)にある雄物川水系の般若寺(はんにゃじ)頭首工を訪れます。頭首工名は吉田排水幹線の右岸のすぐ下流の地名(横手市塚堀般若寺)に由来するものと思われます。アクセスは稲荷神社前の道を北上し、吉田排水幹線に架かる橋を渡ってすぐ右折すると到着します。詳しくは昨日の記事を参考にしてください。

これが般若寺頭首工と思われる施設。その姿は昨日記事にした猪岡頭首工に似ています。



左岸、上流側から見た様子。



右岸側の取水設備。



左岸側の取水設備。



頭首工の管理橋から見た吉田排水幹線の上流方向の景色です。これを遡っていくと猪岡頭首工になります。



一方、その下流側の景色はこんな感じ。向こうに見える橋は先ほどアクセス方法で説明した橋です。



この頭首工は随分新しい感じですが、いつ設置されたのでしょうか。グーグル先生の地図のストリートビューで同じ場所を見ると、2012年10月時点では姿が異なっています。おそらく現在の頭首工はそれ以後に改築されたものなのでしょう。何しろこの場所には頭首工名を示す看板や諸元などがないのでその程度しか推測できないんです。

次回はこの下流にある大戸川頭首工を訪れます。
コメント

おそらく…猪岡頭首工

2022-07-17 06:51:58 | 秋田(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は秋田県横手市清水町新田宮東(しみずまちしんでん みやひがし)にある雄物川(おものがわ)水系の猪岡(いのおか)頭首工を訪れます。頭首工名はこの場所の北東の地名(横手市猪岡)に由来するものと思われます。アクセスは県道48号沿いの「佐藤ボデー」のある交差点を北へ進み、稲荷神社手前の農道を東へ行くと到着します。

昨日記事にした新城(にいじょう)頭首工を経た水は吉田排水幹線を通ってここ猪岡頭首工へやってきます。その「勇姿」がこちら。



吉田排水幹線の上流方向の景色です。これを遡って行くと新城頭首工になるんですね。



上流側から見た猪岡頭首工の姿。



頭首工の右岸、上流側にある取水設備。



左岸、上流側にある取水設備です。



吉田排水幹線の下流方向の様子。この先に次回訪れる「般若寺頭首工」があるはず。



頭首工の左岸のすぐ脇にも取水設備と思しきものが。



頭首工の右岸の下流では別の水路からの合流があります。



左岸側の水田と畑の景色。実にのんびりしていますね。こうした風景の中で長年暮らしている人たちからすれば都会の渋谷や六本木などはおそらく別世界に見えるんでしょうね。そう、テレビの中の景色。だから若者たちは都会に憧れるんだろうと思います。





次回はこの下流にある「般若寺頭首工」を訪れます。
コメント