人間はというのか日本人はというのかご先祖様のことを気遣っていると思います。それはお墓を見晴らしの良い所に建てるという行為にみて取れるのではないでしょうか。ご先祖様に見晴らしの良いところに「居て」いただくことで子孫を見守っていただく…。といっても、肉体的な意味での「目」はないから見えないんですけどね。
ともかく、景色の良いところ=夜景の綺麗な場所に墓地がある確率は非常に高いですね。例えば、長野県岡谷市にある雨峯霊園。このほぼ真下には長野自動車道のトンネルが通っているところです。岡谷市の夜景が一望できます。
同じ岡谷市ですが、諏訪湖の南西に位置するところにあるのが芝原霊園。ここからの眺めもなかなか素晴らしいです。
諏訪湖の北東に位置する諏訪市大和(おわ)の少し高台のところにある墓地からの写真です。お墓が集まっていますが、そこのご先祖様たちが「いいねえ〜、この夜景は…」などと話しているよう。ええ、肉体的な「口」はないから喋れないんですけどね。
もちろん、様々な理由で平地に建てざるを得ない墓地もあるでしょう。それはそれで、まあ良いんです。そういうところは深夜でも街灯が点いていて、いつでもお参りができる。それはご先祖様と子孫とが身近な関係でいられるということなのかもしれません。
ともかく、景色の良いところ=夜景の綺麗な場所に墓地がある確率は非常に高いですね。例えば、長野県岡谷市にある雨峯霊園。このほぼ真下には長野自動車道のトンネルが通っているところです。岡谷市の夜景が一望できます。
同じ岡谷市ですが、諏訪湖の南西に位置するところにあるのが芝原霊園。ここからの眺めもなかなか素晴らしいです。
諏訪湖の北東に位置する諏訪市大和(おわ)の少し高台のところにある墓地からの写真です。お墓が集まっていますが、そこのご先祖様たちが「いいねえ〜、この夜景は…」などと話しているよう。ええ、肉体的な「口」はないから喋れないんですけどね。
もちろん、様々な理由で平地に建てざるを得ない墓地もあるでしょう。それはそれで、まあ良いんです。そういうところは深夜でも街灯が点いていて、いつでもお参りができる。それはご先祖様と子孫とが身近な関係でいられるということなのかもしれません。
9月以降、田舎へ引っ込んでいますが、都内で催される演奏会には時折出かけています。
今回のは正直呆れました。ソリストがロンドン・ブーツ姿で登場!おまけに演奏終了後、通常の弦楽器奏者であれば自分の楽器を携えてソデに帰るのですが、此奴はその場に楽器をなんのためらいもなく放置。おそらく数百万はするであろう楽器をですよ!自由過ぎると片付けるのは簡単ですが、放置された楽器がかわいそうでね…なんとなく。
もうひとりの登場したソプラノにもビックリ。バックの楽器編成は室内楽程度の小編成なのですが、なんとマイクをご使用になられている。こんな小編成なら生声で十分じゃないのか? それは作曲家の指示なんでしょうか。だとしても、マイクを通しても大して声が聞こえなかったんですがね。なんなんだろうか。
この演奏会は少し前に同一のプログラムでニューヨークでも行われたらしいのですが、その時はスタンディング・オヴェーションで大成功だったそうな。演奏前にそう聞かされたのですが、終わってみれば「ふ〜ん、どこが?」といった雰囲気が会場中に蔓延。「ブラヴォー!」と騒いでいたのは白い人と黒い人たちばかり。なんなんだろう、この温度差。
黄色い我々は理解力がないのか? いや〜そんなこたぁ、ない!
今回のは正直呆れました。ソリストがロンドン・ブーツ姿で登場!おまけに演奏終了後、通常の弦楽器奏者であれば自分の楽器を携えてソデに帰るのですが、此奴はその場に楽器をなんのためらいもなく放置。おそらく数百万はするであろう楽器をですよ!自由過ぎると片付けるのは簡単ですが、放置された楽器がかわいそうでね…なんとなく。
もうひとりの登場したソプラノにもビックリ。バックの楽器編成は室内楽程度の小編成なのですが、なんとマイクをご使用になられている。こんな小編成なら生声で十分じゃないのか? それは作曲家の指示なんでしょうか。だとしても、マイクを通しても大して声が聞こえなかったんですがね。なんなんだろうか。
この演奏会は少し前に同一のプログラムでニューヨークでも行われたらしいのですが、その時はスタンディング・オヴェーションで大成功だったそうな。演奏前にそう聞かされたのですが、終わってみれば「ふ〜ん、どこが?」といった雰囲気が会場中に蔓延。「ブラヴォー!」と騒いでいたのは白い人と黒い人たちばかり。なんなんだろう、この温度差。
黄色い我々は理解力がないのか? いや〜そんなこたぁ、ない!
諏訪湖の標高は759mですが、その周辺では高い「高(たか)ボッチ高原」に深夜に突撃。当たり前ながら真っ暗です。高原の頂上は広くなっていて、多くのクルマが駐車できるようになっています。
一体どれくらい登ってきたのだろう。スマフォのアプリによれば、1643mと表示されました。
高ボッチ山の標高が1665mなので、ここもまあまあの高さです。上の案内板によれば頂上から眺める景色が最高と書かれていましたが、さすがに暗闇の中を歩いて頂上に向かう勇気はありません。もし行かれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ登って見てくださいな。きっと感動することでしょう。
壮観な夜景を見ることができなかった悔しさからでしょうか。どこか他に素敵な夜景はないものかと探していると、ありました。
ここは岡谷インターから塩尻へ向かう塩嶺峠の中腹です。岡谷市の夜景がドカーンと楽しめるポイントがありました。いや〜、粘ってみるもんですなぁ。
一体どれくらい登ってきたのだろう。スマフォのアプリによれば、1643mと表示されました。
高ボッチ山の標高が1665mなので、ここもまあまあの高さです。上の案内板によれば頂上から眺める景色が最高と書かれていましたが、さすがに暗闇の中を歩いて頂上に向かう勇気はありません。もし行かれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ登って見てくださいな。きっと感動することでしょう。
壮観な夜景を見ることができなかった悔しさからでしょうか。どこか他に素敵な夜景はないものかと探していると、ありました。
ここは岡谷インターから塩尻へ向かう塩嶺峠の中腹です。岡谷市の夜景がドカーンと楽しめるポイントがありました。いや〜、粘ってみるもんですなぁ。
今回は長野県の南部を探検。伊那谷を南下し、駒ヶ根を過ぎると中川村に入ります。クルマを停め、カーナビを覗いてみると「アンフォルメル中川村美術館」という表示が目に飛び込んできました。名称に興味を惹かれ、そこに向かいます。
深夜ですから、当然閉館しています。なので来た道を引き返すことに…。すると夜景というご褒美がありました。
これが中川村の夜景です。村で、深夜2時ですから明るさはこんなもん。でもキレイでしたよ。美術館では、サイトをご覧のように現代美術の催しがいつも行われています。こんな場所といっては失礼ですが、その意欲はすごいなと思いますね。いつか開館している時に訪れてみよう!
深夜ですから、当然閉館しています。なので来た道を引き返すことに…。すると夜景というご褒美がありました。
これが中川村の夜景です。村で、深夜2時ですから明るさはこんなもん。でもキレイでしたよ。美術館では、サイトをご覧のように現代美術の催しがいつも行われています。こんな場所といっては失礼ですが、その意欲はすごいなと思いますね。いつか開館している時に訪れてみよう!
「どうみても○○だな…」
ネットの書き込みによくあるフレーズです。気にしなければ気にならないでしょう。でも、ちょっと考えてみてください。違和感を覚えませんか?
だって、その前には何も書かれていないんですよ。いきなり「どうみても〜」と来る。
「どうみても」と書くのであれば、その前文に書き手が「どう(どのように)みたのか」を記さないとおかしい。いくつかの観点から判断して、結果的に「どうみても○○だな…」というのならまだ納得がいきます(その結論に賛成・反対にかかわらず)。
でも、いきなり「どうみても」と書き始める。これではもちろん説得力はないし、書き込んだ人の思慮の浅さを自ら示しているようなもの。
いやいや、そんな深い意味で書き込んだわけじゃない。そう思う人もいるかもしれません。でもね、文章というのはそういうものではないんです。書くという行為はその人の知性を表すだけでなく、論理的な組み立てによって初めて文章になるのです。例えて言うなら「起承転結」みたいなもの。そうしたルールを無視し、単なる思い付きで書き込むのはどうなのかなと思います。
例外的な表記の仕方がないわけじゃない。新聞記事のような類です。ここでは時間のない読者に向けて結論から入ることが多い。でも、記事をよく読むと後のほうにその結論に至った経緯がちゃんと説明されているはず(そうでないこともありますが、それは問題外)。
近年ヒドイなと思うのは、ネットに上がっているニュース記事を書く記者。プロの記者という自覚があるのなら署名記事にすればいいものを、無署名で平気で載せる。無責任極まりないですね。
また、海外のニュースについての日本語もヒドイ。機械翻訳したものをそのまま掲載するなんてのは言語道断です。何が書いてあるのか、さっぱり理解できません。
一番不思議なのは記事をネット上にアップする際、おそらく書いた記事をちゃんと読み直していないこと。読み直せば誤字脱字くらい気づくでしょうに。プロの書き手なのに誤字脱字をするなんて一番恥ずかしいこと。記者の知的レヴェルが想像以上に低いのかなぁ…。
ネットの書き込みによくあるフレーズです。気にしなければ気にならないでしょう。でも、ちょっと考えてみてください。違和感を覚えませんか?
だって、その前には何も書かれていないんですよ。いきなり「どうみても〜」と来る。
「どうみても」と書くのであれば、その前文に書き手が「どう(どのように)みたのか」を記さないとおかしい。いくつかの観点から判断して、結果的に「どうみても○○だな…」というのならまだ納得がいきます(その結論に賛成・反対にかかわらず)。
でも、いきなり「どうみても」と書き始める。これではもちろん説得力はないし、書き込んだ人の思慮の浅さを自ら示しているようなもの。
いやいや、そんな深い意味で書き込んだわけじゃない。そう思う人もいるかもしれません。でもね、文章というのはそういうものではないんです。書くという行為はその人の知性を表すだけでなく、論理的な組み立てによって初めて文章になるのです。例えて言うなら「起承転結」みたいなもの。そうしたルールを無視し、単なる思い付きで書き込むのはどうなのかなと思います。
例外的な表記の仕方がないわけじゃない。新聞記事のような類です。ここでは時間のない読者に向けて結論から入ることが多い。でも、記事をよく読むと後のほうにその結論に至った経緯がちゃんと説明されているはず(そうでないこともありますが、それは問題外)。
近年ヒドイなと思うのは、ネットに上がっているニュース記事を書く記者。プロの記者という自覚があるのなら署名記事にすればいいものを、無署名で平気で載せる。無責任極まりないですね。
また、海外のニュースについての日本語もヒドイ。機械翻訳したものをそのまま掲載するなんてのは言語道断です。何が書いてあるのか、さっぱり理解できません。
一番不思議なのは記事をネット上にアップする際、おそらく書いた記事をちゃんと読み直していないこと。読み直せば誤字脱字くらい気づくでしょうに。プロの書き手なのに誤字脱字をするなんて一番恥ずかしいこと。記者の知的レヴェルが想像以上に低いのかなぁ…。
諏訪盆地の夜景で有名なのは中央道の「諏訪湖サービスエリア」からの景色ですが、ここからの夜景も地元ではよく知られています。場所は諏訪市の山間にある立石公園。毎年夏には有名な「諏訪湖花火大会」が開催されますが、その時期になると諏訪湖周辺だけでなく、この辺りも見物客で混雑するようです。そりゃそうでしょ、これだけ眺めがよけりゃ。
上の写真は諏訪市を中心に撮影したものです。下のは隣接する下諏訪町と岡谷市の夜景。どちらも綺麗でしょ?
しかしですね、その公園の道をさらに登って行ったら、諏訪市のとんでもなく見事な夜景スポットを発見。いや〜、これは驚きました。ただ、この場所はクルマを停める場所としてはあまりよろしくない。カーブの途中なのでね。ここで見ようとするなら、見通しの良い場所にクルマを止めて歩くことをオススメします(公園のほうはちゃんとした駐車場があるので安心です)。
上の写真は諏訪市を中心に撮影したものです。下のは隣接する下諏訪町と岡谷市の夜景。どちらも綺麗でしょ?
しかしですね、その公園の道をさらに登って行ったら、諏訪市のとんでもなく見事な夜景スポットを発見。いや〜、これは驚きました。ただ、この場所はクルマを停める場所としてはあまりよろしくない。カーブの途中なのでね。ここで見ようとするなら、見通しの良い場所にクルマを止めて歩くことをオススメします(公園のほうはちゃんとした駐車場があるので安心です)。