ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

景観との調和…八塔寺川ダム

2023-04-30 06:53:08 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県備前市吉永町高田にある吉井川水系の八塔寺川(はっとうじがわ)ダムを目指します。アクセスは県道368号沿いにあるので迷うことはないと思います。

まずはダム下から「ご尊顔」を拝みます。横長の治水ダムのようです。


では、県道を登り、左岸のダム横に行ってみます。最初に目に入るのは「ダム石彫刻広場」です。


この石彫刻には「八塔寺川ダム竣工記念」と刻まれています。


その付近から見たダムの様子。シンプルで凛々しいですね。


左岸、ダム横には「八塔寺川ダム管理事務所」があります。



八塔寺川ダムの定礎は昭和61年(1986年)6月。


近くには「八塔寺川ダムのあらまし」があり、諸元が記載されています。これによると、高さ44.0mの重力式コンクリートダムだそうで。


これは何かな?「備前焼陶板のしおり」と記されています。説明によると、ダムの人工美と周辺の景観の調和を図る目的でダム上の欄干のところに備前焼の陶板89枚を配しているとのこと。なるほど!

例として左岸の親柱のところにはこんな感じで嵌め込まれています。ダム名は八塔寺川を堰き止めて築造したことに由来するんでしょうね。



このダムは自然調節ダムで、その説明が記されています。


これがダム上です。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。いや〜、良い眺めです。


一方、ダムの真下はこんな感じで、

下流側の遠景も良き、良き。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感です。

昭和63年(1988年)3月竣工だそうです。


右岸、貯水側から見たダムの様子。


同、下流側から見た様子。


ついでに上流側から八塔寺川ダムを眺めると、こんな感じ。


築造年から考えると当該ダムはバブル期(1986-1991)に建設されたものであることがわかります。ダムそのものはシンプルですが、ダム横に石彫刻広場を付帯させたり備前焼をフィーチャーしているのは、やはりカネをかけて築造したことの証かもしれませんね。でも見学するには楽しい場所だと思います。
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案内板が欲しい…和意谷池

2023-04-29 06:57:25 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県和気郡和気町吉田(わけぐん わけちょう よしだ)にある吉井川水系の和意谷池(わいだにいけ)を目指します。池の名は和意谷川を堰き止めて築造したことによると思われます。アクセスは山陽本線の吉永駅の北側を走る県道404号を和意谷川に沿って登っていくと到着します。

左岸に到着しました。


左岸、貯水側から見た、いわゆるダム上。洪水吐は左岸側にあります。


その洪水吐は水が溢れると、このトンネル水路を通って下流へ向かうようです。

おーっと、トンネル水路上部に「和意谷池」のプレートが!さらによくみると昭和34年(1959年)12月竣工の文字が見えます。


では、ダム上を歩いてみることにしましょう!


ダム上から洪水吐を角度を変えてみると、こんな感じ。越流式です。


ダム上、中央から見た和意谷池の様子。


一方、下流側はこんな景色です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


右岸から見た和意谷池の様子。左岸側に取水設備らしきものが見えますね(写真中央左)。


右岸から見たダムの傾斜の様子。


左岸に戻り、先ほど見た取水設備らしき建物に近づいてみます。その入口の扉には藤のイラストが描かれており、「ため池管理棟」の文字。あ、一応管理棟なんだ…。


そこからダム上を見ると、こんな感じ。


和意谷池はダム便覧に登録されていて、そのデータを見ると高さが25.6mとあるのでダム認定されているのでしょう。そして竣工年は1960年と記されているんですが上に示したトンネル水路の竣工年と一致しませんね。ということはダム便覧では別のデータから引用したということになります。では、どこから引用したんでしょうか…。出典元が気になります。
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イナゴ退散せよ!…日笠ダム

2023-04-28 07:00:12 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県和気郡和気町保曽(わけぐん わけちょう ほそう)にある吉井川水系の日笠(ひかさ)ダムを目指します。アクセスは県道414号沿いに「日笠ダム→」の表示があるので、そこを入って行くと到着します。

まず、ダム下へ行ってみます。こんなダムです。


続いてダム横に向かいます。治水ダムのようですね。


ダム横にある表示板。これによると、洪水調節と用水確保を目的とした高さ39.0mのダムで、笹目川を堰き止めて築造したものですが、日笠地区のダムであることから日笠ダムと命名されたようです。


その付近から見たダムの様子。


左岸の貯水側には「日笠ダム完工記念碑」があり、

その横には概要を示す石碑が並んでいます。ダムの完成は昭和61年度。


では、ダム上を歩いてみることにします。

いわゆる親柱のところには「笹目川」「日笠ダム」のプレートが嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。

おや?左岸の奥に建物がありますね。なんでしょうか。あとで行ってみましょう。


一方、ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景はこんな感じ。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。こちら側の親柱には「昭和58年1月竣功 岡山県」のプレートが嵌め込まれています。おそらくこれはダム本体が完成した時期と思われます。

また、日笠と書くと「ひがさ」と読めますが、正確には「ひかさ」であることがここからわかります。


右岸の下流側には「除蝗之碑」と刻まれた石碑があります。ん?除蝗ってなんだ?調べてみると、イナゴ(蝗)やトノサマバッタなどの害虫が農作物を食い尽くすことにより凶作になることから、それらを駆除し豊作を願う意味でこのような石碑が建てられたものと思われます。たぶん。

ちなみにその駆除法について江戸時代後期の農学者である大蔵永常は『除蝗録』(1826)の中で田畑に鯨油を撒くことを説いています。つまり「飛んで火に入る夏の虫」の例え通り、虫は灯明の下にある油に飛び込む習性があることから鯨油の散布が効果的だと考えたのです。また、なぜイナゴに「蝗」の文字がついたのかというと、中国ではこうした害虫の被害をいかに防ぐかにより「皇」帝の命運が決まるとすら言われていたので虫偏に皇の文字が当てられたのだとも言われています。別にイナゴが虫の王様というわけではありません。

「除蝗之碑」の裏側には「岸野氏子中」が昭和57年5月吉日に建立したとあります。「岸野氏子中」とはダムの下流域の岸野地区の人々といった意味です。


さて、先ほど気になった左岸の建物のところに行ってみます。

日笠ダム管理事務所でした。

そこから見たダムの様子。


「除蝗之碑」なんてのは初めて見ました。おそらくこうした石碑を建てるほどかつては害虫による被害があったんでしょうね。
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血洗池とな!

2023-04-27 06:50:36 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県赤磐市是里(あかいわし これさと)にある吉井川水系の血洗池(ちあらいいけ)を目指します。いや、ちょっ、物騒な名前ですな。変なものが出ないといいんですが…。アクセスは県道265号沿いにある「滝山ほたるのさと」付近から川に沿って北上し、道なりに進んで行くとT字路になるので、それを左折します。そして、またまた道なりにしばらく行くと「血洗の滝」の表示があるのでそちらへ。細い道を進んだ先に目的地があります。

血洗池はダム便覧にも載っているので訪れたんですが、確かにこんなダムです。


上に書いた道順だとダムの左岸の上流側から来ることになります。その細い道になる手前にはこんな看板があります。

「血洗の滝」は血洗池の上流にあり、言い伝えによれば、須佐之男命尊(すさのおのみこと)が出雲で大蛇を退治した後、ここの滝で剣の血を洗ったことからその名が付いたそうな。ほほぉ〜。

ちなみに血洗池は岐阜県中津川市阿木にもかつてあったらしい。しかし昭和時代に土砂が流入したことで今では完全に埋まっているそうな。ただし、こちらの血洗池は伊弉冉尊(いざなみのみこと)が三貴神(天照大神[あまてらすおおみかみ]、月読尊[つくよみのみこと]、素戔嗚尊[すさのおのみこと])を産んだ際、その穢れを洗い清めたことから命名されたという。そして出産後、伊弉冉尊がそこの岩に腰掛けて休息したことからこの地は「安気の里」と呼ばれ、後に阿木(あぎ)という地名になったそうです。(参考

ま、そんなこんなで、細い道を進んで来ると「素尊命水」と刻まれた石碑が現われます。

その裏側には血洗池の諸元が記されています。これによると「ため池等整備事業」とあるので血洗池そのものは以前からあったものと考えられます。ともかく、この整備事業は平成2年4月に着手され、平成7年(1995年)3月に完了したもので、血洗池の高さは15mあるそうな。だからダム認定されているんですね。


その石碑付近から見るとこんな感じ。


左岸から見たダム上。取水設備の屋根がなんと瓦葺き!し、しぶい。


では、ダム上を歩いてみることにします。中央から見た血洗池の景色。もちろん池の水は赤くありません。


一方、下流側はこんな感じ。


対岸(右岸)から振り返るとこんな感じで、

少し斜面を降りて撮ると、こんな風に見えます。


しかしながら、洪水吐はその外側に配置されていて、

橋の下に越流式の洪水吐があります。

そして、増水して溢れ出た水はこの水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


洪水吐の上に架かる橋から見たダム上の様子。


結果的に変なモノは出ませんでしたが、地図でこれを見つけた時はちょっと「ゾゾゾ」としたんです。でも、まあ実際に見たらなんてことないフツーの池だったので安心しました。当然といえば当然ですけどね。
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防災のための…滝山ダム

2023-04-26 06:52:08 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、前回、大深山池に立ち寄りましたが、その下流にあるのが今回訪れる吉井川水系の滝山ダムです。住所は岡山県赤磐市滝山(あかいわし たきやま)。アクセスは滝山川に沿って走る県道265号を進んでいくと到着します。

まずはダム下から「ご尊顔」を眺めてみます。治水ダムのようです。


左岸のダム横から見ると、こんな感じ。


左岸は県道265号と繋がっていて、こんな風にダム上を見ることができます。


ダム本体の、言うなれば親柱のところには「滝山ダム」のプレートが嵌め込まれています。

そして滝山川を堰き止めて築造されたものであることがわかりますね。


では、ダム上を歩いてみます。中央から貯水側を見ると、こんな感じ。


一方、ダムの真下を覗き込みます。写真上に見える橋は県道265号で、一番上の写真はここから撮りました。

そして、下流側の遠景です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


昭和49年(1974年)3月完工とあります。岡山県営のダムなのかな?


右岸、貯水側から見たダムの様子。


右岸にあるこの建物は管理所のようですが、それを示すものもなく、半ば放置されている状態。


その奥には「滝山ダム完工記念碑」があり、

その裏には諸元が記されています。高さ33.2mの直線型重力式コンクリートダム。


記念碑の隣には慰霊碑があります。

裏側には滝山ダム建設中に亡くなられた二人の名前が刻まれています。合掌。


滝山ダムがどのような経緯で築造されたのかは案内板がないのでわかりません。ただ、調べてみるとこのダムは県営防災ダム事業によって築造されたもので、ダムの管理運営は赤磐市に委託されているようです(参考)。
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大深山池…(番外編)

2023-04-25 06:59:04 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県赤磐市滝山(あかいわし たきやま)にある滝山ダムへ向かおうと県道265号を走っていたんですが、もう少しで滝山ダムに到着というところでちょっと気になるモノを発見。それがこちら。

ため池かな?


県道沿いにはこんな表示板が…。吉井川水系の大深山池(おおみやまいけ)という、やはりため池でした。地図で調べてみるとこの場所の北東に深山(みやま:標高336m)というのがあるので名称はそれに由来するものと思われます。でも高さが13.3mなのでダムの条件を満たしていません。


当ブログにおいて他府県の場合、ダムの条件(高さ15.0m以上)を満たす築造物を訪れる基準としているので本来ならば対象外なのですが、偶然出くわしたこともあり見ることにしました。

これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た大深山池の様子。


一方、下流側はこんな感じ。


右岸側には越流式の洪水吐があり、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。この水路の先にあるのが次回訪れる滝山ダムで、そこに流れ込んでいます。


水路に架かる橋を渡ると右岸となり、そこから振り返るとこんな景色になります。


今回のケースは特別ですよ。そうでないと全国のため池を訪問することになってしまうんでね。
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農地開発のために築造…山手ダム

2023-04-24 07:08:38 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県久米郡久米南町山手(くめなんちょう やまて)にある旭川水系の山手ダムを目指します。アクセスは国道484号から津山方面へ向かう広域農道(美作やまなみ街道)に入ります。そしてしばらく行った最初の十字路を左折し進んでいくと目的地の右岸に到着します。

まずは左岸から見た山手ダムの様子をご覧ください。比較的傾斜が緩やかなダムです。


では、順を追って見ていきます。上に書いたアクセスだと右岸側に辿り着きます。洪水吐は右岸側にありますね。


これがダム上。ガードレールの下が洪水吐からの水路になっています。


洪水吐は橋の下に越流式の堤があり、増水すると水はここから溢れ出て、

この比較的幅の広い水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


洪水吐に架かる橋を渡ると、貯水側には「山手ダム」と刻まれた石碑があります。

その裏側には概要が記されていて、灌漑用水と水道用水確保を目的とした中心コアー型フィルダムで、高さは24.0m。昭和55年7月に着工し、昭和58年(1983年)3月に完成したとあります。


一方、下流側のスペースには八幡神社が祀られています。


そこからダムを見ると、こんな感じ。


以前、ここには案内板か何かがあったんでしょうか。気になります。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。


一方、下流側はこんな感じ。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな景色です。


左岸、貯水側から見たダムの様子。


のんびりした山中にある県営農地開発のために築造されたダムでした。
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医療従事者を招いての食事会(2回目)

2023-04-23 11:56:34 | 脳みその料理
どーも、ワシです。昨晩は先月と同様のメンバーを招いての食事会をしました。で、ワシが用意したアテはこちら。



カニクリーム・コロッケ、ナゲット風フライドポテト、牛肉と牛蒡と生姜のみぞれ煮、だし巻き、鳥の唐揚げ、鮭のゴマソース、ほうれん草と玉子とハムの油炒め。

新メニューはナゲット風フライドポテト。茹でたジャガイモに小麦粉を混ぜ、塩とハーブをふりかけて練ったものをナゲット状に成型して油で揚げたものです。カリッとした歯ごたえがあり、カニクリーム・コロッケの下に敷いたトマトソースを付けて食べるとすこぶる美味い。

もうひとつはゴマソース。自家製のホワイト・マヨネーズ(黄身を除いた卵白と酢、白ワインビネガーと塩を混ぜたもの)に黒ごまペーストを混ぜて作りました。これはサラダのドレッシングとして使っても良さそう。

なんだかんだと話が盛り上がり、医療業界の裏話からメンバーの昔の恋愛事情まで、もうバラエティに富んだ話が続き、あっという間の4時間でした。そのあとは外のスナックに出向き、お開きになったのは午前3時。

あー、面白かった。
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2つの洪水吐…日古木大池

2023-04-22 06:59:22 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県赤磐市日古木(あかいわし ひこぎ)にある旭川水系の日古木大池を目指します。アクセスは砂川と並行して走る県道27号の「新下市(しんしもいち)」信号を和気(わけ)方面へ曲がり、県道253号を進みます。緩やかに大きく左カーブした先の信号を西2丁目方向へ曲がり、2つ目のT字路を左折すると目的地に到着します。

【赤磐市の由来】(参考
今回の目的地である日古木大池の名称は、おそらくその地名に由来するものと思われますが、じゃあ日古木の由来はなんだろうと調べてみるもわかりませんでした。その代わりと言ってはなんですが赤磐市の由来について書いてみようと思います。結論から言うと明治33年(1900年)に赤坂郡と磐梨郡が合併して赤磐郡となり、2005年3月7日に赤磐郡の山陽町、赤坂町、熊山町、吉井町の4町が合併して赤磐市が発足し現在に至っています。ですが、赤坂郡と磐梨郡という郡名はなんと8世紀からあったそうで、それぞれが長い歴史をもっているようです。

そんなわけで、日古木大池に到着しました。左岸側から見た、いわゆるダム上はこんな感じです。


左岸側にはさりげなく置かれた「日古木大池」の表示板。


これが、ダム上。左岸側に洪水吐のようなものがあります。


その洪水吐を別の角度から見るとこんな感じ。手動でゲートを上下させる仕様のようです。

ゲートから排出された水はここから道路の下を潜って下流へと流れてゆくようです。


では、ダム上を歩いていきましょう。中央から見た日古木大池の様子。


一方、下流側はこんな景色です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


なんと、右岸側にも洪水吐があり、

左岸のものと同様に増水時になるとこのゲートを手動で操作して、

この水路からあちらへ流すようです。


2つの洪水吐をもつ日古木大池。周囲に諸元を示す案内板は見当たりませんが、のんびりした場所であるのは肌で感じました。
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吉井川の渇水対策!…坂根堰

2023-04-21 06:51:01 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県備前市坂根にある吉井川水系の坂根堰(さかねぜき)を目指します。アクセスは県道79号沿いなので迷うことはないでしょう。

到着しました。なかなかスケールが大きいですね。


左岸の横には「吉井川農業用水管理所」があります。


昔から吉井川は渇水に見舞われることがあり、農民たちはそのたびに水の確保に奮闘していたそうな。そうした旱魃障害を解消するべく昭和34年10月に吉井川下流総合開発事業促進同盟会を結成。抜本的な改革事業に乗り出します。そして昭和46年10月、国営吉井川農業水利事業計画の決定とともに工事に着工。昭和63年10月、遂に同事業は完成したと記されています。

国営吉井川農業水利事業の概要が刻まれた石碑。

管理所入口のところには「興農之源」と書かれたプレートが嵌め込まれた石碑。


管理所の下流側にあるこの建物は「国土交通省 岡山河川事務所 坂根出張所」。


敷地面には「坂根出張所」の文字が。

坂根堰の案内板。諸元などがちゃんと記されていて、さすが国土交通省だけのことはあります。これによれば坂根堰は昭和48年に治水、灌漑、都市用水確保を目的として工事に着工し、昭和54年(1979年)に完成。翌年4月から同省で管理しているそうな。


では、坂根堰に向かいます。左岸にある水利使用標識。


その付近から見た坂根堰の様子。


これが左岸から見た管理橋です。歩いてみましょう。


左岸側にあるこれは取水口で、

その隣にある水路は魚道。

下流側のここからお魚さんたちは上流へ遡ることができます。


本体のコンクリート部分に貼られたプレート。「坂根合同堰」? これが正式名称かな?昭和54年(1979年)3月とあるので堰が築造されたのはこの時なんでしょうね。


管理橋の中央から見た吉井川上流方向の様子。


一方、下流方向はこんな感じ。かつて渇水していたとは思えないほどの流量です。


管理橋の中央には「坂根堰」と表示されています。上空から認識する目的かな?


坂根堰には8つのヘーベル君がいて背番号ならぬ表番号が表示されています(ヘーベル君という呼び名についてはコチラを参照してください)。


右岸、上流側にある取水口。


取水口の隣にある水路はお魚さんたちが遡るための魚道で、

下流側のここから遡っていきます。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


右岸から見た8人の「勇姿」。


右岸にも水利使用標識があります。左岸にあるものと同じかなと思いきや、取水量が異なるのでこれは右岸側の取水口についてのものと思われます。


右岸、上流側から見るとこんな感じ。


せっかくなので、先ほどの魚道近くに行ってみます。


訪れたのが朝の通勤ラッシュ時間だったせいか、沿道はクルマがビュンビュン通っていて、ドライバーたちは坂根堰を眺めているワシを奇異の目で見ているのがわかりました。でも、そんなことは気にしません。いちいち気にしていたらストレスになるもんね〜。
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大きくなった理由は?…同道池

2023-04-20 06:51:37 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回はグーグル先生の地図に「同道大池(どうどうおおいけ)」というのを見つけたので行ってみることにします。場所は岡山県備前市鶴海(つるみ)。アクセスは県道39号沿いにある岡山大鵬薬品株式会社近くの細い川に沿った道を山方面に曲がり、道なりに進んでいくと到着します。

その道を来ると目的地の左岸に辿り着きます。これが左岸から見た様子。


いわゆるダム上は、まあまあの長さがあります。


左岸から見た下流側の様子。斜面が茶色くなっているのは焼いたんでしょうね。


ではダム上を歩いてみることにしましょう。中央から見た池の様子。


一方、下流側はこんな景色です。空が朝焼けなのは目的地に到着したのが早朝だったからです。


右岸側には越流式の洪水吐があります。増水すると、水はここから溢れ出て、


この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


右岸から見たダム上の様子。


近くには2つの石碑が…。

小さいほうは平成6年度に完了した「ため池等整備事業(大規模)」についてのもの。高さは27mとあるのでこれはダムと呼んでも間違いではありませんね。気になったのは「地区名」の表記。「同道池地区」と書かれています。ん?同道大池じゃないの?

その裏側には「農地を潤す」というわかりやすい文言。

一方、大きいほうの石碑は「修●之碑」と篆書体で題されていて、その下にはおそらく築造の経緯などが記されていますが風化が激しく、また読めない字が多数あり、おまけに漢文調で書かれているので詳細は不明。なんとか理解できたのは大正13年9月に着工し、二年後の大正15年(1926年)5月31日に竣工したことくらい。石碑自体は大正15年11月下旬に建立されています。

説明文の一部。写真中央付近には「同道池」の文字が見えます。


2つの石碑にはどちらも「同道池」とあるのになぜグーグル先生の地図では「同道大池」と記されているんでしょうね。ちなみにダム便覧の表記も「同道大池」ですが、国土地理院の地図では「同道池」と記載されています。

最後に下流側から見た同道池の様子をご覧ください。


池の名称である「同道」の由来はわかりませんでした。ただ、同道池から瀬戸内海に流れ込んでいる川の名称は「堂々川」というそうですが、果たしてそれと関係があるんでしょうか…。謎がどんどん出てきそうなので次の目的地へ向かいます。
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工法に注目!…妓王井川支流砂防堰堤

2023-04-19 06:55:26 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県野洲市三上(やすし みかみ)にある淀川水系の妓王井川(ぎおういがわ)支流砂防堰堤を目指します。アクセスは国道8号の「三上山登山口」信号を三上山登山道方面に入り、緩やかに右カーブするところにある「天保義民碑」を左へ。民家の間を抜けて右に入って行くと目的地に到着します。なお、この付近は道が細く駐車する場所がないので、やはり国道8号沿いにある御上(みかみ)神社の駐車場を利用すると良いでしょう。

【妓王井川について】(参考)(参考
さて、堰堤名の「妓王井川」ですが、これは野洲川から取水して現在の野洲市野田まで延びる長さ約12kmの川で、1174年に完成した灌漑用の水路のこと。で、妓王とは誰なのか。それは平清盛に寵愛された白拍子(しらびょうし)の名手だった女性の名前。白拍子は平安時代末に始まった男装の舞妓で、簡単な歌を歌いながら踊ったそうな。また彼女たちは権力者の愛妾になることもあり、例えば源義経の妾であった静御前も白拍子だったようです。話を戻しましょう。妓王の郷里であるこの地域では度々干ばつに悩まされていたことから彼女はパトロンである清盛に治水整備をして欲しいと請願。それにより水路は完成することになり、慢性的な水不足は解消され有数の穀倉地帯へと発展しました。妓王の請願により水路が完成したことで「妓王井川」と呼ばれるようになったそうです(祇王井川とも表記されます)。

…てなわけで妓王井川支流砂防堰堤に到着しました。おー、今までに見たことのないデザイン!


堰堤本体に貼られているプレート。完成は2018年6月。堰堤形式のダブルウォール工法ってのはなんでしょうね。調べてみると、これは上流側と下流側に貼られた壁面材の間に現地で発生した土砂を流し込む工法のことで、コンクリートで築造するよりも経費がかからないメリットがあるようです。(参考


接写してみます。おおっ、なんだかオシャレ!


堰堤下から副堰堤を見た様子。中央には透過型の設備が置かれていますね。


左岸の堰堤の横から見ると、こんな感じ。


これが堰堤の上です。でもフェンスがあって進むことはできません。


仕方がないので、そこから上流側を眺めます。


下流方向を眺めると、こんな感じ。あの先に民家があり、来る時はそこから登って来ました。


高さ8.0mの小規模砂防堰堤ですが通常のそれと比べ、なかなか目を引くデザインだと思います。
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再訪だな…青川峡砂防堰堤

2023-04-18 06:52:56 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回目指すのは三重県いなべ市北勢町新町(ほくせいちょうしんまち)にある員弁川(いなべがわ)水系の青川峡(あおがわきょう)砂防堰堤。たまたま地図で見つけたので行ってみることにしました。アクセスは国道306号に「青川峡キャンピングパーク」の標識があるので、それに従っていくと同パークを過ぎた先にあるようです。

ところが、同パークを抜けた先には恐怖のゲートが…。

いや〜、通行止めですか。しかもお目当ての堰堤が工事中とな!


迂回路もないようなので、今回のチャレンジはこれにて終了!

嗚呼。
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上平溜(再訪)からの洞ヶ谷溜(初見)

2023-04-17 06:55:59 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、三重県北部をクルマで走っていた時、ああ、そういえば訪れたけど見ることができなかった場所があったなというのを思い出しました。そこで今回はその場所を目指します。その場所とは三重県いなべ市北勢町別名(ほくせいちょう べつみょう)にある洞ヶ谷溜(どうがたにだめ)という溜池です。昨年3月、一度ここを目指したのですが雪が残っていて辿り着けず、その手前にある上平溜(うえびらだめ)しか見ることができませんでした。果たして今回は辿り着くことができるんでしょうか…(アクセスについては前回訪れた時の記事を参考にしてください)。

期待と不安を抱きつつ目的地へ向かいます。上に書いたように洞ヶ谷溜の手前には上平溜(高さ:19.0m)があるはず。

おーっ、さすがに今回雪はありません。写真は上平溜の右岸から見た、いわゆるダム上の様子。


ダム上、中央から見た上平溜の様子です。


同、下流側の景色。木ばっかり…。


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


前回来た時は気づかなかったんですが、左岸側に洪水吐があることを知りました。増水すると水はここから流れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


まあ、ここまでは上平溜の再訪の様子なんですが、上に書いたように今回の目的地はここではありません。この奥にある洞ヶ谷溜なんです。さあ、辿り着くことができるのか…。


未舗装の道を進んで行きます。


しばらく行くとゲートがあり、そこから先はクルマでは行くことができないので歩いて進みます。そして、ついに辿り着きました!これが洞ヶ谷溜です。


左岸、貯水側から見た様子。ここも左岸側に洪水吐がありますね。


そして、これがダム上。こんな山奥なのに手入れが行き届いていますね。では歩いてみましょう。


洪水吐は越流式で、増水すると水はここから溢れ出て、

この水路を通って、あちらへ流れてゆきます。


ダム上、中央から見た洞ヶ谷溜の様子。


一方、下流側はこんな景色です。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


もしかするとワシが訪れる少し前に草刈りなどをしたのかもしれません。それにしても、こんな山奥にこざっぱりした溜池があるとは驚きでした。ちなみにここのダムの高さは17.1mなので溜池とはいえダムと称しても間違いではありません。でもここと、先に見た上平溜はダム便覧には載っていませんし、どの地図にもそれらの名称は出ていません。ダム・フリークもあまりこれらの存在は知らないかも。それだけに現場を見た時、ちょっと感銘を受けました。

自己満足ではありますが、こういうことがたまにあるからダム巡りはやめられないのでしょうねえ。
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昭和初期っぽい!…牧田川頭首工

2023-04-16 06:52:42 | 岐阜(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県大垣市上石津町牧田(かみいしづちょう まきだ)にある木曽川水系の牧田川頭首工を目指します。場所は藤古川(ふじこがわ)と牧田川が合流したすぐ下流にあり、アクセスは県道56号「広瀬橋北」交差点を県道227号へ入り、すぐ牧田川方面へ曲がって行くと到着します。

これが牧田川頭首工。牧田川の左岸側に築造されています。でも見た感じ、随分年代を感じさせます。調べてみると、築造されたのは昭和10年(1935年)らしい(参考)。なるほど、確かに昭和初期っぽいねえ。


頭首工の横から見ると、こんな感じ。


左岸側に取水設備(写真手前)があり、頭首工とこんな位置関係になります。


取水装置を別の角度から見るとこんな感じ。


取水された水は土手の下を通って左岸側に流れ込みます。


その水は2つの方向へ流れ、牧田川に垂直方向に流れる水路と、

牧田川に並行して流れる水路に分かれます。

牧田川に並行して流れる水路のほうは、さらに2つの水路に分岐します(下流側から見た様子)。


現地には牧田川頭首工についての案内板はありません。なお、左岸の土手道路にクルマで直接行くことはできません。動物進入防止のゲートがあるからです。頭首工に近づくにはそのゲートを手動で開閉し、歩いて向かってください。
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