ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

浅い番組

2011-03-08 04:39:34 | 脳みその日常
少し前の話。友人の医者とテレビを見ていた時のことです。その番組は医療のドキュメンタリーで、肺移植を受ける少女が主人公でした。番組では彼女の主治医に焦点を当て、手術前から手術後の経過を流しています。

医学の素人であるワシは番組を見ながら「いや~、肺移植って大変な手術だな…」とつぶやきました。すると、友人は画面を見ながら、ひとこと、

「こんなの簡単だよ。大したことじゃないさ」

なになに、その自信は。なにを根拠にそう断言できるのさ。予想外の発言にワシは驚きました。でも、よくよく聞いてみるとなるほどと思うことばかり。

というのも、友人は肝臓が専門の外科医。その彼からすれば、肺の移植なんてのは単なるパーツ交換であって、拒絶反応に注意すればいいだけのことらしい。

「でもさ、肝移植だって同じじゃないのか?」
「うん、まあ、パーツとしてみればそうだけど、肝臓の場合はちょっとした出血で命取りになるんだぜ」
「ほぅ…」
「それに比べたら、肺とか心臓なんてつないじゃえば終わりだから簡単なのさ」

そんなことを知らずに番組を見ていれば、きっと深刻で大変な手術なんだなと誰もが思ってしまうでしょう。おまけに番組もそのような「演出」をしていましたからね。

だからといって、この手術が他の一般的なものと比べて簡単ではないでしょうし、腕のいい友人からすれば簡単でも、やっぱり緊張を強いられる手術であることは間違いありません。ただ、その事実を差し引いても番組の演出はちょっとオーバーすぎるほどでした。まるで世紀の大手術であるかのように番組を作っていたのですから…。

ここで気づいたのは、2つのことです。ひとつは何事も専門家の目をごまかすことはできないということ。いくらたいそうな演出をしても見る人が見ればバレてしまうのです。

もうひとつはテレビの演出がいかに真実を歪めて報道するのかということ。いや、もしかすると歪めるつもりはなかったのかもしれません。ただ単に医学のことを知らないだけなのかも。

ちょっと話を発展させます。

そもそもマスコミの報道というのは多くの場合、かなりテキトーです。扱う内容をロクに知らないくせにいい加減なことをさも事実であるかのように語ります。いわゆるコメンテーターみたいな人種はその最たる者ですね。専門家でもないくせに「わかったような」発言をします。これは本当に見苦しい。知らないんなら「わかりません」と言えばいいものを。

まあ、とにかくマスコミの人間は物事の表層しか見てません。その裏の深いところなんて知るつもりもないんでしょうが、とにかく「見た目」だけを重視する傾向にある。映像としてインパクトがあればあるほど視聴率が上がるからです。

番組の対象とするのが数学のように答えが明確になるものなら、それでも構いません。でも、ちょっと見ではわかりにくいものを対象とする場合、そうはいかない。単に見た目では判断できかねることが往々にしてあるからです。

ところが彼らはどんな対象もお構いなし。常に「うわべ」だけを捉え、これで視聴率がとれるかどうか考える。それが彼らの判断基準のようです。

そんな発想で番組を作るから場合によってはおかしなことになる。間違っていれば後で訂正すればよい。このようなスタンスだからマスコミはどんどん信用されなくなるんですよね。なんとかならんもんですかね。

仮に深い内容のものを扱うのなら、やはりきちんと調査した上で番組作りをしてもらいたいもの。それができなければ内容のない軽薄な娯楽番組だけやっていればよろしい。もちろん、そんなのワシは見ませんけどね。
コメント

豹変現場に立ち会う

2011-03-06 03:39:05 | 脳みその日常
よくある話かもしれませんが、久々に人間の醜い一面に直面してしまいました。

とある演奏会が始まる前のこと。指定席だったので自分の場所を探していると、ワシの座る席にひとりの中年男性(A)がすわっていました。その隣には別の中年男性(B)と連れの中年女性(C)。彼らは仲良く談笑中。

「ああ、知り合いなんだな、この人たち」

でも、(A)の席はワシがすわる場所。申し訳ないと思いつつ、(A)に

「あの、この席は…」

と話しかけると、本人もわかっていたようで即座に「あ、すみません」と立ち上がる。そして、(B)と(C)に向かって「それじゃ、また!」と言って去っていきました。

ここまではよくあること。驚いたのはこのあとでした。(A)と談笑していたはずの(B)の態度が豹変したのです。連れの(C)に向かって、

「ったくよぉ、(A)の野郎、自慢ばっかりしてやがってよぉ」
「なにかってぇ~と、エラソーにしやがる」
「大した学歴もないくせによ」

連れの(C)は、(B)を諌めるわけでもなく、ただ「そうなの~?」「へぇ~」と相づちを打つばかり。

ワシはもちろん(A)とは知り合いじゃありませんし、(A)が(B)の言う通りの人間なのかも知りません。でも、今まで仲良く話していた(ように思えた)のが、相手が去った瞬間にその相手の悪口を言い始める。それを隣で聞かされてごらんなさいな。ものすごく気分が悪いですよね。

彼らがどのような利害関係でつながっているのかは知りません。でも、(B)のあまりに極端な態度の豹変にワシの背筋は凍りました。(B)の品性のなさに哀れみすら覚えましたが、また、そのような人間関係がどこにでも存在するのかと思うと戦慄を覚えるとともに少し悲しい気持ちにもなりました。

本音と建前があるのはもちろん知ってます。それが社会を動かしていることも理解しているつもりです。でもね~、本音と建前を同時に目撃してしまうと、「こんなもん、クソ食らえだな」と思ったりもします。

なぜなら、ワシは今までの人生を本音のみで生きてきた自負があるからです。あっちに良い顔をしたら、こっちで悪口を言うなんて考えられないし、唾棄すべき生き方だとも思います。相手のことが気に入らなければ付き合う必要なんてないし、どうしても付き合わなければならないのなら相手にこちらの本音を直接言えばいい。少なくとも陰でコソコソ悪口なんぞ言うのは最低の人間のすること。

いや、ほんと、気分が悪かったですよ、この日は。救いだったのは当日の演奏が素晴らしかったこと。もし演奏まで最低だったら、あるいは(B)にブチ切れていたかもしれませんでした。

正々堂々と生きようよ!
コメント

サイトー君、現わる!

2011-03-05 04:05:21 | 脳みその日常
仕事をする上で、今や不可欠なのがパソコン。もっとも、ワシの仕事は文章を書くのがメインなのでハイ・スペック機でなくとも十分可能。そのため、つい最近までは2000年に購入したAPPLE社のPowerBookをのろのろと動かしていました。

ところが、ある企画の仕事をするにあたり戦友ともいえるPowerBook君が悲鳴を上げ始めました。もともとロー・スペックなので、データ処理をする上でほとんど戦力にならないんです。

「体力の限界!!」

いやいや、それはかつての大横綱、千代の富士の引退会見での有名な台詞ですが、まあ、どちらにせよプロ野球でいうところの「戦力外通知」を申し渡される状態でした。

なにしろ、本当にフリーズしたんじゃないかと思うほどのノロノロ運転なんですからね。これでは仕事になりません。こちらとすれば「体力の限界」ならぬ「我慢の限界」です。

そんなわけで、必要に迫られて新入社員の登場となりました。

(クリックすると写真は拡大します)


この新人、仮にサイトー君と呼びましょうか。もうね、こちらの想像をはるかに上回る逸材。こんなにサクサク動いちゃっていいわけ?と思えるほどキビキビとしたフットワーク。11年間のブランクがあったにしても、テクノロジーの進歩には心底驚かされています。

いや、これ、宣伝じゃないですからね。サイトー君の能力の高さにただただ驚愕したにすぎないんですから。

よし、暇な時間をみつけてサイトー君を使って久々に作曲でもしてみますか。確か、部屋のどこかにフィナーレみたいな楽譜作成ソフトがあったはずなんでね。

「なんとかとなんとかは新しいほうが良い」とはよく言ったものです。いえ、へんな意味じゃないですよ~。
コメント