少し前、「歌い方教室」のオーナーから電話が。話によると、あるオジサンが歌の個人レッスンをして欲しいとのこと。時間のやりくりをすれば何とかなりそうだったので引き受ける。
ところが、この人、タダモノではなかった。タダモノでないというのはここではグレイトという意味ではない。むしろ逆。世に言う、いわゆる音痴というやつ。それもただの音痴ではない。こちらが指定した音に合わせて歌うのはおろか、耳で音の高低すら判別できないのである。これは困った。歌い方を教える以前のレヴェルなのだから。ワシにしてみれば、これは《魔笛》での試練に匹敵するといっても過言ではない。さあて、どうしたら良いものか。
このオジサンの声はまさに首を絞められた時に出るような感じ。つまり自らノドを締めつけて発声しているのだ。これでは仮に歌を歌ったとしてもノドを痛めるのは必至。よし、まずは発声の問題に取り組むことにしよう。
とはいえ、人は声をどうやって出すかなんて普通考えないし意識しない。気がつけば声は出ているわけだし。ワシだってそんなこと考えたことはない。自分で声の出し方がわからないのに他人にその方法を教えるなんてできるのか? 発声のメカニズムを理屈で説明することはできても、生徒にはハッキリ言って豚に真珠。今、この人に必要なのはどうやったらノドに負担をかけることなくラクに発声するかなのだ。とすれば、理屈でなく臨床的なアドヴァイスをするしかない。
このレッスンを客観的に見たら、きっと爆笑モノだろう。だって向かい合った2人のオッサンがアホ面して口の形を変えたりしながら、あーでもない、こーでもないとやってるんだからね。事実、レッスンの様子を見ていたオーナーは「涙が出るほど面白かったわよ」と…。ほっとけっちゅーの! こっちは一所懸命なんだからさ。もうね、なりふり構っていられんのよ。
救いなのはオジサンの態度。こちらが言うことを常に謙虚に受け止め実践してくれることなのだ。きっと本当に歌が上手になりたいんだろうな。
まだレッスンは始まったばかり。どこまで教えられるのかわからないし、自信もない。でもこのオジサンだって同じ人間。他の人が普通に歌えるんだから、この人にだってできないわけがないのだ。
ただし発声の問題をクリアしたとしても、次は耳で音の高低を判別することが求められる。それができないと実際に歌えないからね。さらにリズム感を養うことも必要だ。片耳が難聴ということも考慮してあげなければならない。「治療」が長引くのは間違いない。
でも信じられないほど謙虚なオジサンの姿を見ていると、こちらとしても「何とかしてやろうじゃないの!」とファイトが湧いてくる。そのレッスンは大変だけれど嫌な疲労はない。むしろ充実感のある爽やかな疲労といった感じだ。
ところが、この人、タダモノではなかった。タダモノでないというのはここではグレイトという意味ではない。むしろ逆。世に言う、いわゆる音痴というやつ。それもただの音痴ではない。こちらが指定した音に合わせて歌うのはおろか、耳で音の高低すら判別できないのである。これは困った。歌い方を教える以前のレヴェルなのだから。ワシにしてみれば、これは《魔笛》での試練に匹敵するといっても過言ではない。さあて、どうしたら良いものか。
このオジサンの声はまさに首を絞められた時に出るような感じ。つまり自らノドを締めつけて発声しているのだ。これでは仮に歌を歌ったとしてもノドを痛めるのは必至。よし、まずは発声の問題に取り組むことにしよう。
とはいえ、人は声をどうやって出すかなんて普通考えないし意識しない。気がつけば声は出ているわけだし。ワシだってそんなこと考えたことはない。自分で声の出し方がわからないのに他人にその方法を教えるなんてできるのか? 発声のメカニズムを理屈で説明することはできても、生徒にはハッキリ言って豚に真珠。今、この人に必要なのはどうやったらノドに負担をかけることなくラクに発声するかなのだ。とすれば、理屈でなく臨床的なアドヴァイスをするしかない。
このレッスンを客観的に見たら、きっと爆笑モノだろう。だって向かい合った2人のオッサンがアホ面して口の形を変えたりしながら、あーでもない、こーでもないとやってるんだからね。事実、レッスンの様子を見ていたオーナーは「涙が出るほど面白かったわよ」と…。ほっとけっちゅーの! こっちは一所懸命なんだからさ。もうね、なりふり構っていられんのよ。
救いなのはオジサンの態度。こちらが言うことを常に謙虚に受け止め実践してくれることなのだ。きっと本当に歌が上手になりたいんだろうな。
まだレッスンは始まったばかり。どこまで教えられるのかわからないし、自信もない。でもこのオジサンだって同じ人間。他の人が普通に歌えるんだから、この人にだってできないわけがないのだ。
ただし発声の問題をクリアしたとしても、次は耳で音の高低を判別することが求められる。それができないと実際に歌えないからね。さらにリズム感を養うことも必要だ。片耳が難聴ということも考慮してあげなければならない。「治療」が長引くのは間違いない。
でも信じられないほど謙虚なオジサンの姿を見ていると、こちらとしても「何とかしてやろうじゃないの!」とファイトが湧いてくる。そのレッスンは大変だけれど嫌な疲労はない。むしろ充実感のある爽やかな疲労といった感じだ。