なぜオカシイと思わないのでしょうか…。
たとえば「頭痛が痛い」はヘンだと思いますよね。なぜなら頭痛それ自体が「頭が痛い」という意味。それが痛いのですからオカシイのです。多くの人はそのことがわかっているから、こんな言い方はしません。
ところが、近年テレビなどを見ていてよく使われるのが「違和感を感じる」という言い回し。これとて理屈は「頭痛が痛い」と同じじゃないですか。なのにその言い回しをしている人は平気な顔をしています。
言うまでもなく、違和感とは「しっくりしない感じ」のこと。それを感じるというのですから、やっぱりオカシイ。「感じ」を「感じる」わけですから。二度感じてどうするんでしょうね。いや、何度感じてもいいんですが…。
確かに昔から日本語には畳用という手法はありました。でも、それとこれは意味が違うんです。頭痛は「する」ものであり、違和感は「覚える」もの(もしくは「ある」もの)。
メディアでアナウンサーやコメンテーターなどが涼しい顔で「違和感を感じます」なんてヌカしてますが、ありゃ自ら「私は日本語を知りません!」と宣言しているようなもの。恥ずかしくないんでしょうか…。いや、見ているこっちが恥ずかしくなるわい。
たとえば「頭痛が痛い」はヘンだと思いますよね。なぜなら頭痛それ自体が「頭が痛い」という意味。それが痛いのですからオカシイのです。多くの人はそのことがわかっているから、こんな言い方はしません。
ところが、近年テレビなどを見ていてよく使われるのが「違和感を感じる」という言い回し。これとて理屈は「頭痛が痛い」と同じじゃないですか。なのにその言い回しをしている人は平気な顔をしています。
言うまでもなく、違和感とは「しっくりしない感じ」のこと。それを感じるというのですから、やっぱりオカシイ。「感じ」を「感じる」わけですから。二度感じてどうするんでしょうね。いや、何度感じてもいいんですが…。
確かに昔から日本語には畳用という手法はありました。でも、それとこれは意味が違うんです。頭痛は「する」ものであり、違和感は「覚える」もの(もしくは「ある」もの)。
メディアでアナウンサーやコメンテーターなどが涼しい顔で「違和感を感じます」なんてヌカしてますが、ありゃ自ら「私は日本語を知りません!」と宣言しているようなもの。恥ずかしくないんでしょうか…。いや、見ているこっちが恥ずかしくなるわい。