ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

アンサンブル…華翠橋

2023-06-09 06:57:57 | 橋のユニークな親柱
どーも、ワシです。えー、久々に見つけましたよ。ユニークな親柱を!あちこちほっつき歩いていれば頻繁に川を渡るのですが、ユニークな親柱に出会うことはそうそうありません。ホント、偶然出くわすことがほとんど。

今回見つけたのはJR西日本の伯備(はくび)線の伯耆溝口(ほうきみぞぐち)駅近くにある、もっと近くには伯耆中央病院近くの日野川に架かる橋がそれです。名称は華翠橋(かすいきょう)といいます(場所は鳥取県西伯郡伯耆町宇代)。

どうです? もう台座からこぼれそうでしょ?楽器を奏でているようですね。これは日野川の右岸上流側にあるもの。


同じく右岸の下流側にあるもの。子供(天使?)が古代ギリシャの竪琴を抱えていますね。


左岸に移動しました。親柱以外はいたってフツーの橋です。遠くに見えるのが伯耆富士と言われる大山(だいせん/標高:1,729m)。

左岸の上流側にいるのがこいつ。ヴァイオリンを抱えています。台座には平成9年(1997年)3月の文字。

台座の下部を見ると「鋳造 藤沢武」と見えますが、これが作者なのでしょうか。でもネットを検索してもそれらしき人物はヒットしませんでした。

同じく左岸、下流側にいるのがこやつ。やはり台座から溢れそう…いや、なんとか乗っかっている感じですが、こちらはヴァイオリンを弾いていますね。


つまり右岸では竪琴(ハープ)が奏でられ、左岸ではヴァイオリンが弾かれているわけです。これにはどんなテーマがあるんでしょうか。2つの楽器の調和?案内板がないので調べてみましたが、その意図は不明。ちなみに華翠橋の架設年度は1996年(参考)。

さらに調べていくと、ここ伯耆町には鬼伝説があるらしく、鬼を模したブロンスがあちこちにあるようです(参考)。機会があればそれらを探してみようと思います。
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山の中から出現?…朝鍋ダム

2023-06-08 06:53:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡南部町朝金(さいはくぐん なんぶちょう あさかね)にある日野川水系の朝鍋(あさなべ)ダムを目指します。ダム名は朝鍋川を堰き止めて築造したことに由来するもののようです。アクセスは県道1号沿いにあるので迷うことはないでしょう。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を拝みます。まるで山の中から突然現われたかのよう。


県道からダム横へ向かいます。右岸、ダム横にはちょっとオシャレな建物。おそらくこれが管理事務所なのでしょうが、訪れた時にはゲートが閉まっていて県道沿いからパチリ。

案内板や諸元表もあるようですが、ズームしても遠すぎて読めません。

そこで、リンク先を見ると、当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、ダムの管理用発電を目的とした高さ45.0m、長さ150.0mの重力式コンクリートダムだそうです。

これがダム上。歩いてみましょう。

右岸、ダム本体のいわゆる親柱のところには「朝鍋ダム」「平成十七年(2005年)三月竣工 鳥取県」と記されたプレートが嵌め込まれています。



ダム上、中央から見た貯水側の景色。

中央に設置されている各種ゲート類は2004年10月に完成したそうな。

貯水された水はここから常用洪水吐へ向かいます。

一方、ダムの真下を覗き込むと常用洪水吐から水が流れ落ちています。

そして下流側の遠景を眺めます。


対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、ダム横から見た貯水側の様子。写真中央に見えるのが管理事務所と思しき建物。


朝鍋ダムの周囲は木が多く、新緑の季節のせいかダムのサイドからその「横顔」はほとんど見ることができませんでした。
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正式には…椿谷池

2023-06-07 06:55:02 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回はグーグル先生の地図で鳥取県西伯郡南部町絹屋(さいはくぐん なんぶちょう きぬや)に日野川水系の椿谷(つばきだに)溜池というのを見つけたので行ってみることにしました。アクセスは国道180号沿いにある「←入沢歯科」の看板のあるT字路を入り、法勝寺川を渡って最初のカーブミラーがあるT字路を入り、そのまま道なりに進みます。そして左側に森脇神社の鳥居が見えたらその先の最初の小さな交差点を左に入ります。目的地はこの先にありますが、ワシは大事をとってここからは歩いて行きました(クルマは安全な場所に停めましょう)。

おー、あれのようですね。

左岸の、いわゆるダム横に来ました。早速歩いてみましょう。

中央から見たため池の様子。

足下には取水設備でしょうか。

一方、下流側はこんな感じ。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

そういえば、洪水吐はどこにあるのかな。キョロキョロ探していると、なんと左岸側の木に隠れるようなところにありました。こりゃ気づかんわなあ。


溜池であるためか、ここに案内板はありません。そこで諸元を調べてみました。鳥取県の県内防災重点ため池一覧表によると、当該ため池の高さは16.3m、長さは90.0mとあります。しかし名称は「椿谷池」となっていて、こちらが正式名称のようです(参考)。グーグル先生の地図もダム便覧でも「椿谷溜池」と表示されていますが、それは何に基づくものなんでしょうねえ。出典が不明なので、ここでは椿谷池と表記しておくことにします。なお、椿谷の由来は不明です。
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過小評価どころか…賀祥ダム

2023-06-06 06:52:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県西伯郡南部町下中谷(さいはくぐん なんぶちょう しもなかたに)にある日野川水系の賀祥(かしょう)ダムを目指します。アクセスは国道180号沿いにあるので迷うことはないでしょう。

どーん、こんなダムです。

で、国道にはこんな表示板があるので、まあ、迷わないのです。

左岸、上流側からダムはこんな風に見えます。

日野川流域憲章」。賀祥ダムは法勝寺川(ほっしょうじがわ)を堰き止めて築造されたものですが、法勝寺川は下流で日野川に流入。そして日本海へ流れ込みます。この憲章は日野川流域の環境保全に努めるとともに川を通して流域の連携を強くしていこうというもので、2008年8月23日に制定記念式典が行なわれ同憲章が制定されたそうです。ふーん。

ダムの左岸、国道沿いには賀祥ダム管理事務所があります。


その敷地内には賀祥ダムの案内板。それによると、当該ダムは高さ46.4m、長さ174.0mの重力式コンクリートダムで、築造当初は洪水調節、流水の正常な機能維持、米子市の水道用水供給を目的としていましたが、2013年9月2日からはダム直下の賀祥発電所へ導水して発電も行なっているそうな。



「賀祥ダム竣功記念碑 平成元年(1989年)三月」と刻まれた石碑。

その隣にはダム建設に際し移転した方々の名前が刻まれています。その内訳は、信頼(のぶより)地区:21世帯、定常(さだつね)地区:14世帯、賀祥地区:12世帯、騂牛(あごうじ)地区:2、早田(わさだ)地区:1の計50世帯。 

では、ダム上を歩いてみることにしましょう。

左岸の、いわゆる親柱に相当するところには「賀祥ダム」「平成元年三月竣功 鳥取県」と記載されたプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、ダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸側の親柱にも左岸と同じ内容のプレートが嵌め込まれています。


右岸、貯水側から見たダムの様子。

同、下流側からダムを見るとこんな感じ。

せっかくなのでダム下へ行き、「ご尊顔」を。写真右下に見えるのが賀祥発電所の建物。

そこに掲示されている水利使用標識。


ダム名は左岸側の地名(賀祥)に由来するのですが、「賀」も「祥」も喜ぶとかめでたいを意味する字なので何か特別な由来があるのかなあと調べてみましたがわからず。まあ、でも縁起の良いダムだなと勝手に解釈して、気分はウキウキ。

ははは。
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黒坂発電所のための…大宮ダム

2023-06-05 06:57:45 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県日野郡日南町菅沢(にちなんちょう すげさわ)にある日野川水系の大宮ダムを目指しす。アクセスは県道48号でカーブするところにバスの停留場があり、その隣の橋を渡って行くと目的地に到着します。

到着しました。なんだか厳めしい感じのフォルムですね。

県道から入ってくると大宮ダムはこんな風に見えます。

左岸にあるこの建物が管理所のようですが、それを示すものはありません。

左岸のダム横から見た様子。しかしフェンスに阻まれていて近づくことはできず。

水利使用標識。これを見ると中国電力が発電のために築造したものであるのがわかります。


現場には案内板がないので調べてみました。すると大宮ダムはここから直線距離にして約9.3km東にある黒坂発電所へ別水路で繋がっていて(途中、鵜ノ池を経由しますが)、つまりは同発電所で発電するための取水ダムらしい。同発電所の運用開始が昭和15年(1940年)5月であり、この大宮ダムもそれに伴って同じ年に築造されたようです。高さが16.8mなので取水ダムといってよいでしょう(参考)。なお、大宮ダムは印賀川(いんががわ)を堰き止めて築造されたものですが、その水は昨日記事にした菅沢ダムのダム湖(日南湖)へ流れ込みます。また、ダム名は当該ダムの上流が日南町大宮地区ということなので、おそらくそれに由来するものと思われます。
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すげー見たかった…菅沢ダム

2023-06-04 06:57:14 | 鳥取(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は鳥取県日野郡日南町菅沢(にちなんちょう すげさわ)にある日野川水系の菅沢ダムを目指します。アクセスは国道180号から入って行くと到着します。

こんなダムです。シンプルでキリッとしたお姿。

ダムへの入口は国道沿いにこんな看板があるのでわかりやすいです。

入口横にある周辺ガイドマップ。

「森と緑の○○」…これがキャッチフレーズらしい(これは後でわかるんですが)。

菅沢ダム完成50年記念碑。これが建立されたのが平成30年(2018年)12月なので、ダムの築造は1968年? 念のため上のリンク先で確認してみると、昭和34年4月1日に建設省によるダム建設のための調査が開始され、様々な協定の調印の後、昭和41年4月8日にダム本体のコンクリート打設が開始。そして定礎式、湛水式を経て、昭和43年(1968年)5月27日に菅沢ダムの竣工式が行なわれたと記載されています。うん、記念碑の記述に間違いはありませんね。

そこからダムを見るとこんな感じ。「森と緑の日南湖」の文字。ダム湖名が日南湖なんですね。

じゃあってんで、日南湖を眺めます。

では、ダム上を歩こうか…と思いきや、「関係者以外 立入禁止」の看板! うはっ、残念。

左岸、日南湖側にある立派な建物が「国土交通省 菅沢ダム管理支所」。


近くには慰霊碑がひっそりと置かれていました。その裏側にはダム建設中、不幸にして亡くなられた5人の名前が刻まれています(裏側は草ボーボーで写真が撮れず)。合掌。


ところで、現地には案内板が見当たらないので上のリンク先で確認すると、菅沢ダムは次の4つの目的(洪水調節、工業用水の供給、発電、灌漑用水の供給)のための築造されたのだそうです。ダムの高さは73.5mで、長さは210m。

ダム上に行けなかったのは残念でした。
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若々しい!…高瀬川ダム

2023-06-03 06:57:47 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市神郷釜村(にいみし しんごうかまむら)にある高梁川水系の高瀬川ダムを目指します。アクセスは県道8号から「神郷温泉・高瀬湖畔キャンプ場」の表示のあるT字路を入り、道なりに進んで行くと到着します。

左岸に到着しました。こんなダムです。

近くには「高瀬川ダム竣功記念碑」と刻まれた石碑があります。

裏側には昭和57年3月竣功の文字。1982年3月ですね。

左岸、ダム横には案内板。定礎は昭和54年(1979年)6月。当該ダムは高梁川総合開発事業のうち西川治水計画の一環として洪水調節、流水の正常な機能維持のために築造されたもので、建設着工は1976年4月で、竣功は1982年3月。3つの特徴があり、第一は昭和55年9月にエネルギー適正利用化事業が創設され、ダム管理用水力発電設備が設置された全国初のダムであること。第二にダム本体のコンクリートに石灰岩が使用されていること。第三の特徴は洪水調節においてゲートの調節を行なわない自動調節方式(穴あきダム方式)で、岡山県では加賀郡にある鳴滝ダム(未見)もそうらしい。

なお、この案内板では左岸の住所が「岡山県阿哲郡神郷町」と記されていますが、阿哲郡(あてつぐん)は1900年4月1日に哲多郡(てつたぐん)と阿賀郡(あかぐん)の一部が合併して発足。郡下多くの町村が属していましたが、1954年6月1日にそのうちの新見町、美穀村、石蟹郷村、草間村、豊永村、熊谷村、菅生村、上市町(かみいちちょう)が合併して新見市が誕生します。そして2005年3月31日に同郡に属していた大佐町(おおさちょう)、神郷町(しんごうちょう)、哲多町(てつたちょう)、哲西町(てっせいちょう)が新たに新見市に合併したことで阿哲郡に属する町村がなくなり、同日阿哲郡は消滅。つまりこの案内板で阿哲郡神郷町と記載されているのはこの地がまだ新見市になる前だったためで、現在は上に記した住所になります。

左岸の貯水側にある建物は管理所のようですが、それを示すものはありません。

そこからダムはこんな風に見えます。

では、ダム上を歩いてみましょう。

左岸の、いわゆる親柱には「高瀬川」「高瀬川ダム」のプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央付近から右岸側を見るとカーブしているように見えるので、ん?このダムはアーチ式かな?と思いますがそうではなく重力式コンクリートダムで、右岸側で少し曲がっているだけです。

貯水側はこんな景色。

67.0mの高さからダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上の長さは273.5mで、まあまあ長いです。

「たかせがわだむ」…ダム名を平仮名で書くとなんだか可愛いね。

竣功年月の記されたプレート。

右岸から見た貯水側の様子。

右岸、下流側から見たダムの様子。


完成して今年で41年目のダムですが、ダム本体に石灰石を使用しているためなのか劣化が目立たず若々しい感じです。
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湖底に眠る遺跡…三室川ダム

2023-06-02 06:55:35 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市神郷油野(にいみし しんごうゆの)にある高梁川水系の三室川(みむろがわ)ダムを目指します。アクセスは国道182号沿いにある「神郷温泉」の看板のあるT字路を入り、県道8号を進みます。そしてしばらく行き、「←三室峡」の看板のあるT字路を入り県道12号を道なりに進んで行くと目的地に到着します。

【新見の由来】(参考
ところで、新見の由来が気になったので調べてみました。「新」は赤土を意味する「丹」に由来し、「見」は場所を意味するそうな。つまり赤土がある場所なので「新見」という地名になったようです。実際、現在の新見市は明治時代初期まで製鉄業が盛んだったそうな。あ、そういえば、以前訪れた「丹」とか「丹生」のつくダム(例えば千葉県南房総市の丹生堰など)のある場所も似たような由来でしたね。

そんなわけで、ど〜ん!到着しました。こんなダムです。

左岸、ダム横には三室川ダムの概要を示す案内板があります。それによると、当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水そして発電を目的とした多目的ダムで、昭和52年(1977年)4月に予備調査を開始し、平成3年4月建設事業に着手、そして平成18年(2006年)3月に建設工事が完了したそうな。高さ74.5m、長さ231.0mの重力式コンクリートダム。


隣の案内板には近隣の子供たちが三室川ダムのコンクリート打設完了式(2004年8月3日)に合わせて夢と希望を込めたタイムカプセルを埋めたことが記されています。

ダム横には「三室川ダム竣工記念碑」(2006年3月)と刻まれた石碑があります。

左岸、上流側にある建物は三室川ダム管理所。


管理所付近から見たダムの様子。

ダム湖名は「しゃくなげ湖」。


三室川流域は鎌倉時代頃から江戸時代末期まで製鉄業が営まれていたそうで、ダム建設にあたり1996年から翌年にかけて水没予定地で発掘調査をしたところ「大成山たたら」と呼ばれる遺跡群が見つかりました。「たたら」は製鉄する際に使用されるフイゴのことで、詳細についてはコチラをお読みください。

保存された遺跡の一例。


では、ダム上を歩いてみましょう。

その左右には「三室川ダム」「三室川」と刻まれた石碑が置かれています。


定礎は2002年11月。


ダム中央にある取水ゲート類は2005年3月に設置されたもの。

ダム上、中央から見た「しゃくなげ湖」の様子。

一方、ダムの真下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側からダムを眺めます。


完成して今年で17年目を迎えるダムですが、まだまだ初々しさが残っている感じでした。
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工業発展のために…河本ダム

2023-06-01 06:59:32 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市金谷(にいみし かなや)にある高梁川水系の河本(こうもと)ダムを目指します。アクセスは県道33号の正田トンネル手前の脇道を本郷川沿いに入り、二ツ目の橋を左へ入ります。そしてそのまま道なりに進んで行くと目的地の右岸に到着します。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を拝みます。訪れた日は絶賛放流中でした。

副ダムの様子。

右岸にやってきました。

右岸から見たダム上。歩いてみましょう。

ダム本体には「高梁川水系 西川」「河本ダム」と書かれたプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。

ダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

竣功は昭和38年(1963年)12月で、

この場所に知事の名前が記されているのは珍しいかも…。

左岸、ダム横から下流側を眺めます。

左岸の壁面には概要と諸元が記されたプレートが嵌め込まれています。それによれば、河本ダムは水島工業地帯への工業用水の供給、洪水調節、発電を目的とした県営の多目的ダムで、昭和36年4月1日に着工し、昭和38年(1963年)12月に完成した高さ64.0m、長さ258.0mの中空重力式コンクリートダムだそうです。

左岸の上流側には河本ダム管理事務所があり、


そこには水利使用許可標識が貼られています。これは水力発電のための標識ですね。

その付近から見たダムの様子。

そして、もと来た道を戻ろうと右岸の道を下ろうとしたら、そこには慰霊碑が。

下部には13人の名前が刻まれています。おそらくダム建設中、不幸にして亡くなられた方々なのでしょう。合掌。


地域の工業発展と災害防止のために活躍するダムなんですね。
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