ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

マニアなら知ってるかも?…豊里砂防堰堤

2023-09-29 06:56:52 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県安曇野市穂高有明豊里(とよさと)に堰堤があるようなので行ってみることにします。アクセスは県道25号沿いにある「ジャンセン美術館」の看板のある交差点を山方向へ曲がり、2つ目のロータリー交差点を北方向へ。すぐ先の橋の手前の細道を登っていくと到着します。

地図を見ると堰堤は3つあり、富士尾沢川の最も上流にある堰堤がこれ。

撮影した場所はそのすぐ下流の堰堤からで、先ほどの細道からその堰堤へはこんな感じで見えます。

さて、2番目の堰堤から下流を眺めると3番目の堰堤が見えます。2番目の堰堤と3番目の堰堤には中央に複数のスリットが施されていて、一部透過性のある砂防堰堤であるのがわかります。


で、最も上流の堰堤へ近づいてみることに。形状はご覧の通り通常の砂防堰堤です。

その堰堤の真下に来ました。

堰堤の右岸側の上部に近いところにプレートが嵌め込まれているのを発見。スマフォのカメラでズームしてもこの程度しか写りません。かろうじて「豊里砂防えん堤」「高さ9.7m」「しゅん工 平成24年(2012年)2月」の文字が読めます。

堰堤の下から堰堤の横へ行こうとしましたが行けず。そこで先ほどの道に戻り、堰堤の横への道を探しましたが藪で行けず。そしてようやく右岸下流側から見えたのがこんな感じ。写真だとなんだかわかりませんね。


いうまでもありませんが、地図に豊里砂防堰堤の表記はありません。またネットでこれを検索しても出てきません。まあ、つまりこの砂防堰堤は知られざるものなのでしょうね。マニア向けかな?
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既存の砂防ダムを利用!…須佐渡砂防ダム

2023-09-26 06:57:00 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県安曇野市穂高牧(あづみのし ほたかまき)にある信濃川水系の須佐渡(すさど)砂防ダムを目指します。アクセスは県道495号から「あづみの公園中央口」の看板のあるT字路を入って行きます。そして安曇野蝶ヶ岳温泉ほりでーゆ〜四季の里を過ぎると道が二又になるので右へ進むと到着します。ただし注意点がひとつ。年間を通して「四季の里」までは行けますが、冬季になるとダムへの道は通行止になり行けません。以前ワシはそんなことも知らず12月頃に訪れたところ苦い思いをしました。おそらく4月くらいまでは通行止だと思います。

…てなわけで、到着。立派な砂防ダムです。

ダム横に来ました。烏川(からすがわ)という表示板の向こうにダムが見えますが、ご覧の通り、ダムは下にあります。

ダム横へ行くには下流側の階段を降りていきます。そしてそこから眺めるとこんな感じ。


でも、ゲートに鍵がかかっているのでダム上へは行けません。


当該ダムはダム下にある中部電力の須佐渡発電所で発電するためのもので、高さは20mで、長さは136m。同発電所が運用開始したのは2010年ですが、ダム自体はそれ以前に長野県が砂防ダムとして昭和45年(1970年)に築造したもの。つまり既存の砂防ダムを利用して同発電所が発電を開始したというわけです。(参考)(参考

なるほど、須佐渡発電所が2010年に運用開始したわりにダムが古い感じがしたのはそういうわけだったんですね。
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「脱ダム宣言」で残った!…黒沢砂防ダム

2023-09-25 06:50:16 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は長野県安曇野市三郷小倉(あずみのし みさとおぐら)に信濃川水系の黒沢砂防ダムなるものを見つけたので行ってみることにします。アクセスは県道25号近くにある黒沢洞合自然公園あたりから黒沢川に沿う道を進んで行くと到着します。その道を進むにつれて道幅が狭くなるので要注意。

対向車が来たら絶対にすれ違えないあたりにくると、今回の目標が見えてきます。見る場所によってはかなり迫力があります。

そこから下流側を見ると、こんな感じ。

対向車が来ないことを祈りつつ、さらに登っていくとダムの横に辿り着きます。ダム上に行きたいのですが、

実際にはこんな感じで、立入禁止になっているので諦めるしかありません。

近くにはこんな看板があるので、ここが黒沢川であるのは間違いありません。

それにしても、黒沢砂防ダムを示すものがこの辺りにはどこにも見当たりません。そこでダム下へ戻ってみることに。

ダム下の副ダムに相当する落水部のところに来ました。これだけ見ても立派なダムに見えますね。

で、ふと近くの藪を見るとその奥にはこんなものが。「黒沢砂防ダム竣工」と刻まれた石碑。

その裏を見ると築造の経緯が記されていました。写真はその一部です。

参考までにその文言を転記しておきます。

「黒沢川は日本アルプスの前峰黒沢山に源を発し、黒沢扇状地を北流している。当河川は流量増減甚だしく、しばしば枯渇をみるも小倉●地の貴重な用水をなして来た。流域は各所に崩壊地があり、激しい降雨のたびごとに土石を流下して、下流の河床は年々上昇し護岸の欠壌はんらん等沿岸地域に甚大な被害を与え、これを防止する砂防堰堤の実現は地域住民の強い希望と永年の夢であった。加えて灌漑用水及び飲料水源として、地域社会の発展に寄与せんと三郷村長中田又三郎氏が県議会議員在職中よりの念願であり、これを早急に実現すべく関係者に相計り、幾多の障害を越え、黒沢砂防ダムと命名。三ヶ年の歳月と三億円の国費を得て大堰堤の完成をみるに至った。
 この偉業成就を録し、ダム湖に映える自然美に地域住民憩いの場として、将来の発展を祈念しつつ碑を建立し後世に残す。
  昭和四十八年十月二十二日
    豊科建設事務所長 青沼武之助 記」

この内容からすると当該ダムは昭和48年(1973年)10月に竣工したようですが、ここには諸元が記されていません。そこで帰宅してから調べてみると、このあたりは1954年6月1日から2005年10月1日まで南安曇郡三郷村(みなみあずみぐん みさとむら)と呼ばれていたことが判明。そして、同日、周辺の豊科町(とよしなまち)、穂高町(ほたかまち)、堀金村(ほりがねむら)、明科町(あかしなまち)とともに合併して安曇野市となったため三郷村は消滅します。で、三郷村が廃止されるまで利用されていた同村のホームページを確認してみると、そこには村の歴史が記載されており、「1973年」の欄を見ると確かに10月22日に

「黒沢ダム完成。堤長101.6m、高さ24m、貯水量67,500トン、総工費2億9000万円。」

と記されています。築造物の名称は違えど、この竣工碑の内容と一致するのでこれが諸元とみて良いと思います。

ところで、この場所にはその後「黒沢生活貯水池」という名称で新たにダムを築造する計画が立てられます。そして昭和60年度から平成2年度にかけて予備調査が行なわれ、翌平成3年にはダム建設が採択。しかし平成13年2月に当時の長野県知事であった田中康夫の「脱ダム宣言」により平成15年6月、ダム建設事業が中止。結果として現在の「黒沢砂防ダム」という形のまま残ることとなりました。もし「黒沢生活貯水池」が実現していたら高さ61.5m、長さ172.0m、体積158,000㎥という巨大なダムになっていたことでしょう。(参考
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2023晩夏の例会

2023-09-23 15:45:35 | 脳みその料理
どーも、ワシです。昨日は例会をしました。参加者は4名。作ったアテはこちら。

写真左上から、鳥の唐揚げ、出汁巻、フルーツサラダ、もやしとモロッコいんげんのナムル、春雨サラダ、ナスとレンコンのカリカリ揚げ。写真下左から、キスとエビのフライ。

ナスのカリカリ揚げは以前作りましたが、今回はレンコンもセットにしました。どちらも下味をつけてしばらくしてから片栗粉をまぶして油で揚げたものです。

また、キスとエビのフライには自家製のタルタルソースを。このタルタルソースの隠し味は白ワインとアンチョビ、それにレモン汁。これらを加えることでなんとも言えない美味さが出ます。


あ、それに出汁巻の卵液にも一手間があります。それは全部の材料を混ぜた後「ザル」で濾すこと。これをしてから焼くとキメの細かいフワッフワの出汁巻になります。ちょっとしたことですが、手間をかければ同じメニューでもグンと美味しくなるんですね。

まいう〜。
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礫流防止のために…御馬越堰堤(ダム)

2023-09-21 07:00:03 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県東筑摩郡朝日村古見(ひがしちくまぐん あさひむら こみ)に堰堤らしきものを見つけたので行ってみることにします。場所はあさひプライム野俣沢林間キャンプ場のすぐ上流にあるようです。

キャンプ場を抜けて、さらに進むと当該堰堤があります。キャンプ場を利用すると料金がかかりますが、通り抜けるだけならタダなので心配いりません。

そして堰堤の下に来ました。なかなか立派な築造物ですね。

国土地理院の地図によれば、堰堤の横へ行く道が記されています。その道はどこにあるんだろうか…。どうやらキャンプ場の南側にあるこれがそうらしい。せっかく来たので行ってみましょう。

堰堤の横に来ました。しかし木が邪魔して堰堤の上に行かせてもらえません。

この堰堤の名称は何かな?あたりに表示板もないので、堰堤本体に目を凝らすと…ありました。かろうじて「御馬越堰堤」と読めます。他の文字はほとんど判別できませんが、昭和35年(1960年)の文字が見えました。


帰宅して調べてみると、「御馬越堰堤」は確かに1960年に築造されたもののようです。資料によると高さは15mと記されているので現在のダムの定義からすると「御馬越(砂防)ダム」となります。なお、「御馬越(おんまご)」は左岸側の地名で、ダム名はそれに由来していると思われます。

ダム上には行けないけど、他に見る方法はないかなとキョロキョロしているとその道の上流からダムへアクセスすることが判明。そして上流側から見たダムの様子がこちら。

幸いというべきなのか、野俣沢に降りることができ、その上流方向を見るとこんな感じ。沢というより礫道といった感じです。

ダム中央から真下を見下ろします。

そして、下流側の遠景はこんな感じ。写真中央にチラッと見えるのがキャンプ場です。


先ほどの資料によると、この付近の沢は急流のため浸食が激しく土砂が多く産出されるため、当該ダムが築造される前は100年の間に20回もの災害が発生したそうな。それを防ぐ目的で御馬越ダムは築造されたようです。まあ、沢を埋め尽くす礫をみれば納得がいきますね。
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川鳥沢の2つの砂防堰堤

2023-09-20 06:58:53 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、突然ですが、比較的最近築造された砂防堰堤(ダム)は国土地理院の地図にすら載っていません。じゃあ、どうやってそれを探すのかというと、「(地名) 砂防堰堤 ダム」で検索するとヒットします。その方法で探し当てたのが今回の築造物です。

場所は長野県塩尻市木曽平沢にある「介護老人保健施設萌生の里」の横の道を登っていくとあります。

それが、こちら。2つの砂防堰堤で、それぞれ落水部には透過型の装置を備えています。

まず、下側にある堰堤の下に来ました。

堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「川鳥沢1号砂防堰堤」とあり、竣工は2023年3月。完成してまだ半年しか経っていません。プレートには「高さ6.0m 長さ60.0m」とありますが、

堰堤の下にある表示板では「高さ=4.5m 長さ=60.0m」また竣工年月は2021年3月と記載に食い違いが見られます。なぜちゃんと確認しないんでしょうね。これだから役人は…(ブツブツ)

1号砂防堰堤の横から眺めるとこんな感じ。


次に上にある「2号砂防堰堤」に近づきます。こちらの透過型の装置は「1号」に比べてゴツい。

そして、やはり堰堤本体にプレートが嵌め込まれています。こちらは高さ9.0mで、長さは72.0m。竣工は2021年3月で、「1号」よりも前に築造されたようです。

ちなみに、近くにある表示板を見ると、高さと長さの数値は堰堤のプレートと同じですが、竣工は2023年3月になっていて、これまた記載の食い違いが…。いやいや、どーなってんねん!

左岸側に階段があったので「2号堰堤」の横まで登ってみます。

堰堤中央から落水部を覗き込みます。透過型の装置を上から見るとこんな感じ。

そこから上流側を眺めます。

そして、下流側の景色。直下に見える建物が「介護老人保健施設萌生の里」。いや〜、以前上の原砂防堰堤の記事で書いたように、ここも砂防堰堤の下に老人施設があるんです。万一のことがあったらどうするんでしょうね。なんだかなぁ…。


行政は老人施設の山側に砂防堰堤を築造すれば大丈夫とでも思っているんでしょうか。なんか違う気がします。
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ひっそりだけどがっちり!…寺の沢砂防堰堤

2023-09-19 06:54:19 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県木曽郡木祖村小木曽(きそぐん きそむら おぎそ)に堰堤らしきものを見つけたので行ってみることにしました。堰堤の場所は以前訪れた味噌川ダムの左岸を降りてきた道沿いにあります。

これが、そう。うっかりすると見落としてしまいます。実際、国土地理院の地図に堰堤の印はありますが、名称は載っていません。もちろんグーグル先生の地図には印すらありません。

堰堤の横へ行く道すらない。なので、堰堤の上には行けませんでした。しかし、堰堤の下の藪の中に表示板を発見。「寺の沢砂防堰堤」だそうです。高さは14.5mなので、もう50cm高ければ砂防ダムの「称号」を得たのにね。2015年3月竣工。

当該堰堤はこの道の左側にあります。ガードレールのところが一応橋になっていて、

その名称は「てらのさわはし」で昭和60年(1985年)11月竣工とあるので、当該堰堤の名称はここの沢(寺の沢)に築造されたことに由来するもののようです。



味噌川ダムから流れ出た水が木曽川となり、この寺の沢の水もやがては木曽川に流入するのでこの砂防堰堤は木曽川水系になるのかもしれませんね。
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シャインマスカットのタルト

2023-09-15 14:36:28 | 脳みその料理
どーも、ワシです。最近スーパーに行ったらシャインマスカットが安かったのでタルトを作ってみました。ただ、タルトの上に並べた時、その数が足りなかったので急遽冷凍庫にあったブルーベリーを追加。そしてこんな形に仕上がりました。デコレートした果実が艶々しているのはナパージュ(ゼラチン、砂糖、水を溶かしたもの)を塗っているからです。


これをカットすると、こんな感じ。


タルトのサクサク感と、果物の瑞々しさがなんともいえない美味しさとなって感動!

へへへ。
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的場川の2つの砂防堰堤

2023-09-14 06:58:50 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は長野県岡谷市(おかやし)川岸東4丁目地先に堰堤らしきものを地図で見つけたので行ってみることにします。場所は川岸駅の南東方向になります。

岡谷市道19号から細い道を山に向かって進み、中央道を潜ってさらに進むとS字カーブになります。最初の堰堤がここにドーンと現われます。落水部のところに透過型の装置がありますね。前回の志平川砂防堰堤と同様、いやそれ以上に堰堤の周囲は藪状態で、人が堰堤に近づけないようにしているかのよう。それを見るとワシも藪を突破してまで行こうとは思わず。

まあ、いいか。S字カーブを登って行けば堰堤の横に行けそうなので、そこになんらかの表示があるかもしれないし…。

てなわけで、堰堤の横に来ました。しかしフェンスがあって堰堤の上には行けず。

そのフェンスのところから下流側を眺めます。写真下にちょっと見える道がS字カーブのところです。

堰堤横に表示板などは見当たりません。そこでフェンスのところから身を乗り出し確認します。それは堰堤本体には堰堤名を記したプレートが嵌め込まれているから。すると確かにありました。それがこれ。かろうじて「的場川1号砂防堰堤」と読めますが、それ以外はわからず。


なるほど、ここは的場川(まとばがわ)なんですね。国土地理院の地図には的場川という記載はありませんが、堰堤らしきものはこの上流に2つあるようです。そこで、さらに山奥へ向かいます。

狭い道を進んで行くと、2つ目の堰堤を発見。まるで木々の中に埋もれているかのよう。

本体に嵌め込まれたプレートによれば、これは「的場川2号砂防堰堤」で、竣工は平成20年(2008年)3月。

ところが、この堰堤の横の場所は藪になっていて、確認できませんでした。そしてもうひとつの堰堤は「1号」と「2号」の間の脇道を入って行くとあるようなんですが、その脇道はあるにはあるんですが藪状態でもはや行けず、結局諦めました。

調べてみると、的場川のこれらの砂防堰堤もこれまで訪れた近隣の砂防堰堤と同じく2006年7月に発生した土石流がきっかけで築造されたもののようです。(参考

いや〜、このあたりの道は本当に狭く、藪だらけなので気軽にドライヴという場所じゃありません。むしろ冒険・探検に近いところです。万一行かれる場合は十分に気をつけてくださいね。
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志平川の2つの砂防堰堤

2023-09-12 13:45:45 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、国土地理院の地図を見ていたら長野県岡谷市(おかやし)川岸東2丁目地先に堰堤らしきものがあるのを発見。早速向かうことにしました。アクセスは岡谷市道19号から橋原第3公園を目指し、中央自動車道を潜って登って行くとあるようです。

S字カーブに入るところでお目当ての堰堤に遭遇。よく見ると落水部のところに透過型の装置があるのがわかります。ただ、ご覧のように道から堰堤の下までは来るな!と言わんばかりに強烈な藪。

でも堰堤名が気になります。藪の間から表示板らしきものが見えたので、藪をかき分け、ここが「志平川1号砂防堰堤」であることを確認。平成20年(2008年)3月竣工だそうです。

藪をさらにかき分け、堰堤の近くに来ました。ああ、この形からするとこの堰堤はダブルウォール構造のようです(参考)。

地図によればS字カーブを登って行くと堰堤の横に行けるようなので、細い道を進みます。

堰堤横に来ました。堰堤はかろうじて見える程度で、またまた来るな!と言わんばかりなのでリスクを考慮し近づくのを断念しました。


地図によれば、この上流にも堰堤があるようなので行ってみます。もう、あたりは藪一面で、堰堤があるのさえわかりません。地図を頼りに探すと、どうやらここがその堰堤の横のようです。写真だと全くわかりませんね。

堰堤の横で、またまた藪の中に表示板があるのを発見。藪をなんとかかき分けて撮影成功! こちらは「志平川2号砂防堰堤」で、竣工年月は「1号」と同時期。


地図には記されていませんが、ここは志平川(しびらがわ)という川で、志平川には2つの砂防堰堤が築造されています。それらの築造の経緯を調べてみると2006年7月に発生した豪雨災害に起因するそうな(参考)。この豪雨災害により築造された砂防堰堤は多数あり、以前訪れたウノキ沢砂防堰堤待張川砂防堰堤上の原砂防堰堤八重場沢川砂防堰堤小田井沢川砂防堰堤もこの時の災害がきっかけで築造されたわけです。それだけ見てもこの豪雨災害が凄まじいものであったのがわかりますね。
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防災の意味を再考せよ!…上の原砂防堰堤

2023-09-07 06:57:28 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回も国土地理院の地図を見て堰堤らしきものがあったので向かってみることにします。場所は長野県岡谷市長地出早(おかやし おさちいずはや)2丁目にある岡谷市立上の原小学校の北側に位置し、特別養護老人ホーム洗心荘への入口を入って右折して登って行くと到着します。

とりあえず今回の「主役」をご覧ください。横長の砂防堰堤です。

でも、いきなりこれが目の前に現れるわけじゃありません。坂を登って、まず目にするのがこの光景。えっ、こんな小さいの?これが地図にあったやつ?いや〜、期待はずれだなぁ…なんて思いました。

だってね、すぐ近くにこんな表示板があったからです。ああ、この築造物は「上の原砂防堰堤」というんですね。2008年3月竣工とあります。現在の地名は上に記した通り長地出早ですが、すぐ下に上の原小学校があるように当時の地名は上の原だったのかもしれません。おそらく堰堤名はそれに由来するものと思われます。

築造物の本体(実質的には沈砂池工)には築造の経緯が記されています。それによれば2006年7月15日から19日にかけて降り続いた豪雨は当地において19日早朝にこの上流で土石流が発生。下流の小学校の施設を損壊。そこで同年12月から復旧工事が開始され、治山事業は翌年5月まで、そして砂防事業は2008年3月に完了したそうな。

その説明から判断するとワシが最初に小さいなと感じたものは実は沈砂池工だったようです。

ふと上流を見れば「本丸」があるじゃあ、あ〜りませんか!説明からすると「本丸」の下二段は床固工(とこがためこう)らしい。

なるほど、そういうことですか。ならば「本丸」に近づいてみましょう。

右岸側の草地を歩いて行きます。すると記事の一番上の「本丸」つまり砂防堰堤に辿り着くのです。そして堰堤本体には先に見た表示板と同じ内容が記されたプレートが嵌め込まれています。

ふと見れば堰堤の下から堰堤の横まで続く階段が…。せっかく来たので登ってみることに。
階段の途中から堰堤の横顔をパチリ。決して巨大ではありませんが、なかなか存在感があります。

そして、ついに堰堤の横に来ました。これがその様子。しかし、残念ながら堰堤の上に行くことはできませんでした。

止むを得ず、堰堤の右岸から上流側を眺めます。

そして下流側はこんな感じ。


今回の見学で気づいたことが…。それは砂防堰堤の下流に老人施設や小学校があること。もっとも、調べてみると特別養護老人ホーム洗心荘がこの地に建てられたのは2005年、また上の原小学校の開校は1973年なので当該砂防堰堤築造よりも前にあったわけですが、それでも豪雨により実際に被災しているわけです。

2006年の土石流ではたまたま人的被害はなかったようですが、今後またこの場所で土石流が発生しないとも限りません。そういう地形なんですから。砂防堰堤を構えたのだから大丈夫ということはないんです。将来的にもっと大規模な土石流が発生する可能性だってあるんです。

つまり、そうした場所にお年寄りの施設や子供たちが通う学校があること自体もっと考えなければならないんじゃないでしょうか。こうしたケースは何もこの場所だけではありません。意外にも各地の砂防堰堤の下流にも同様のパターンがあるんですよ。例えば今年になって見た例としては岐阜県山県市にある藤倉一沢砂防堰堤がそうでした。

お年寄りや子供といった社会的弱者が真っ先に犠牲になるような防災のあり方はもっと議論すべきなんじゃないでしょうか。
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八倉沢砂防堰堤?

2023-09-06 11:24:55 | 長野(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。地図を見ていたら長野県岡谷市長地梨久保(おかやし おさちなしくぼ)地先に堰堤らしきものがあるのを見つけました。場所は国道142号の「湖北トンネル南」信号近くにある八倉沢(やっくらざわ)公園の奥あたりです。

早速向かいます。山あいの住宅地の間を登っていくと…おお、これのようです。何段もの堰堤が見えます。

堰堤の横へはこの道を行けば良いようです。看板には「大雪による倒木のため通行できません」と書かれていますが、行けるところまで行ってみます。ご覧のように道は草ボーボーなので歩いて行きます。

中くらいの石がワイヤーで固定されて堅牢な石垣を形成しています。

その上の段の堰堤。透過型の砂防装置が施されています。堰堤の様子が古いので、この装置は後から設置されたもののようです。

さらにその上にも堰堤が。どうやらこれが「本丸」らしい。

ようやく堰堤の横に来ました。堰堤の上を歩いてみることにします。

堰堤の中央から落水部を覗き込みます。ここには透過型の装置はありません。

そこから上流側を眺めますが、木ばかりで何も見えず。

一方、下流側はというと先ほど見た透過型の装置が確認できるだけで、やはりほとんど見えず。

堰堤中央から右岸側を見るとこんな感じ。


それにしても、この築造物の名称はなんでしょうね。どこかに記されているのかもしれませんが、木が多すぎて確認できませんでした。名無しの砂防堰堤といってしまえばそれまでですが、そこで終わるのもちょっと悔しい。

で、推測してみました。この下流には八倉沢公園があります。八倉沢は地名ではなく、どうやらこの沢の名称と思われます。であるならば、この砂防堰堤の名称も「八倉沢砂防堰堤」か、もしくは地名から「梨久保砂防堰堤」なのかもしれません。もちろんあくまで推測ですが。
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