ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

おっかけ遊び

2009-08-30 08:18:38 | ドライブ関連
ごぶさたしております。ワシは元気です。さて、このところ細かい仕事が続いたこともあり、更新が滞っておりました。

ようやくちょっと時間がとれたので恒例となっている深夜の徘徊に。特に目指す場所もなくフラフラしていた時、あることを思いつきました。そういえば、今某テレビ局の企画でマラソンをしている最中だな、と。面白そうなので現場に向かってみることにしました。

向かうったって、相手は動いています。容易に見つけられるとは思えません。それでもネットでの情報やカーナビのTV中継などを参考に「追尾」開始。

家を出たのは午前零時半。それから5時間ほど捜索。なんとか見つけました。場所は茅ヶ崎市の小出というところ。渾身の1枚!…のはずが



あちゃー、肝心の主役のオネエチャンが電信柱の陰になって写ってない! ならば、もう一度チャレンジ。



今度は何とか成功しました。

たぶん、この時点でオネエチャンは走り始めてから50km経過しているはずです。相当疲れているのでしょうね。芸能人としてのオーラはまったくありませんでした。

今現在も都心に向かって走り続けていることと思います。情報によればロクに仮眠すらしていないようです。大丈夫なんでしょうか。

なんとか無事に完走して欲しいものです。
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湯飲みの思い出

2009-08-18 05:21:13 | 回想する脳みそ


唐突ですが、これはワシが愛用している湯飲みのひとつ。確か、これ萩焼だと思います。使用するたびに湯飲みの表面の色が変化するんですよね。どのように変わるのかは予想できません。だから面白いんですけど。

これは学生時代にやっていたバイトの時に偶然もらったものです。そのバイトというのは、かつての日本道路公団の傘下にあった会社に出向して役員クラスの車両を運転するドライバーの仕事でした。この会社はあちこちにありまして、それぞれに正職員のドライバーが常駐しているんですが、その職員が急用で休む時にワシはヘルプとして駆り出されていたわけです。

で、今回のケースは東名の足柄サービスエリアがリニューアルするので、その打ち合わせに行くから運転しろという突然の命令でした。この仕事は当日の朝に行き先が告げられます。それが普通なので別に驚きません。まあ、タクシーみたいなもんだと思ってください。

最初はてっきりそのサービスエリアに行くものと思っていました。「こりゃ今回は東名一本だな。うっしっしっ。楽勝、楽勝」と思いながら東名を下っていると後部座席の部長が

「あ、運転手さん、大井松田で降りてね」
「は、はい、わかりました…」

あれれ、足柄はその先なのになぜ手前のインターで降りるんだろう。とりあえず指示されるままにR246を下って行きました。

すると途中から脇道へ行けとの指示。ますます理解できません。でも部長は自信たっぷりに指示するのでその通りに行きました。しばらく行くと、

「あ、この家だからクルマ止めて」
「は、はい…」(この家?)

つまり打ち合わせというのは、その家の人が同サービスエリアのリニューアルに関係していて、そのお宅で打ち合わせをするというものだったのです。

ワシは運転手ですから部長に同行するわけにはいきません。なので打ち合せが終わるまで車中で待機です。これがね、いつ終わるかわからないので困るんです。居眠りするわけにもいきませんから。

一時間ほどして部長とその家人が一緒に戻ってきました。「ああ、見送るつもりなんだな」と思っていると、その家の人は部長にお土産を渡した後、「あ、運転手さんにはこれを差し上げます」といって、この湯飲みを手渡されました。

でも、なぜ湯飲みなんだ?

もとの道を戻りながら考えていましたが、さっぱりわかりません。すると、部長はワシの疑問を察したかのように後部座席から

「あの人は萩焼の陶芸家なんだよ」
「ああ、そうなんですか」
「今回のリニューアルの展示にあの人の作品を使わせてもらおうと思ってね」
「はぁ…」
「でも、運転手の君にまでお土産をくれるなんて、あの人、どうしたんだろうな」
「といいますと?」
「今まで運転手に何かをあげたことなんてなかったからなあ」
「はぁ…」(そう言われてもな…)
「たまたま機嫌が良かったんだろ。まあ、よかったじゃないか!」
「はぁ…」

平凡なひとつの湯飲みですが、以上のようなストーリーがあったというお話でした。
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覆面じゃないのに…

2009-08-17 03:56:59 | ドライブ関連
近年は高速に乗ってもあまり飛ばしません。基本的には走行車線をチンタラ走ります。でもワシより遅いクルマも走行車線にはいるわけで、そのうち追いつくことになる。

同じ速度を維持するためには当然そのクルマを追い越すことになりますよね。そうでないと追突しちゃいますから。

ところが、いざ追い越そうとすると隣の追い越し車線の後方からカッ飛んでくる車両がいたりするわけです。ここで下手に車線変更すると危険なのでその車両を先に行かせます。つまりその車両がワシのクルマの斜め右に進んだ時点で、こちらはウィンカーを出して車線変更するというわけ。

こんなことは運転していればよくあること。でも、ここからが本題。今のクルマになってから同じことをすると、その先に行った車両がすぐに走行車線に戻るとともに急減速するんです。

最初は不思議でした。どうしたんだろうな、と。

推測なんですが、彼らがそういう挙動をするのはワシのクルマを覆面パトカーと勘違いしたのかもしれません。覆面パトカーの車種はさまざまですが、シルバー色のセダンというのはよく見かけるパターンだからです。それにスモーク・ガラスなので夜間は特に中が見えません。

でもね、覆面パトカーだとわかる明確な特徴ってほかにあるんです。例えばリア・ウィンドウのところに簡易テレビ・アンテナみたいな形のやつがついてるんですよ。言うまでもありませんが、ワシのクルマにそんなアンテナはついてません。だからそれを知ってるドライバーは減速することはありません。

もうひとつの特徴はナンバーです。以前なら「8ナンバー」を見たら気をつけろといわれていましたが、その法則はもう通用しません。現在の覆面パトカーは普通に「3ナンバー」だったりしますからね。

じゃあナンバーのどこに注目するかというと、そのクルマがどこの地域なのかを見るんです。だいたいケーサツというのは都道府県ごと(さらに細かいこともある)に管轄が分かれています。だから自分が現在走行している場所とは異なる地域のナンバーだったら、それは仮に覆面パトカーであっても「活動」することはありません。例えば現在走行している場所が東京なのに覆面らしいクルマが静岡ナンバーだったらそれは無視してよいということです。

逆に悪知恵が働く奴だと他府県に逃げてしまえばそれ以上は追ってこないから逃げ延びることができると豪語したりします。でも実際にはデータが照会されて御用になるとかならないとか…。よく知りませんけどね。

もっとも、カッ飛んでいる車両からすれば走行車線を走っているクルマをすべてチェックするのは難しいでしょう。夜間は特にね。

だけど、覆面でもないワシが後ろについたばっかりに無用な減速と車線変更をさせてしまうのは心情的に申し訳ない気がしてなりません。

昨晩は常磐道を走っていたのですが、カッ飛びバイクを先に行かせてから車線変更したら、そのあんちゃん、急減速しながら走行車線に戻りました。それはいつものことなんですけど、かわいそうだったのはその後ろを走行していた大型トラックに「いきなり減速するな!」とばかりのクラクションの嵐を浴びせられてたこと。

その後、あんちゃん、ワシのクルマが覆面でないことがわかると再びカッ飛んで行きました。そしてワシを追い抜きざまに睨んでいたのは言うまでもありませんが。

うん、ワシは悪くない!
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現在と記憶のギャップ

2009-08-11 14:53:44 | 脳みその日常
いや~、最近は衝撃的なことが続きますね。昭和の大女優が亡くなるは、元アイドルが逮捕されるやら…。

いろんな意味で驚かされているわけですが、実は先日個人的にショッキングな「事件」がありました。「事件」といっても別に犯罪というわけじゃありません。ただワシ個人がショックを受けただけなんですけど。

この歳になりますと学生時代の同級生はそれぞれの分野で出世していたりします。企業に勤めている連中だとさほど表には出ませんが、医者や研究者になった奴らはネット上でその活躍ぶりを知ることができます。意外な奴が大学の先生になっていたりしますからね。

そんなことを考えていた矢先、数年前の高校の同級会で欠席した女子のことを思い出しました。情報によればその子は現在ある大学で教鞭をとっているとのこと。大学名を聞いていたので早速検索してみることに。

いました。確かにいました。准教授になってました。そのサイトには講義中の写真も出ていました。

でも、正直、見たことを後悔しました。なぜって、すっかり老けちゃって、中年体型のオバチャンに変貌していたからです。ワシの記憶に刻まれていた学生時代の面影は全くありませんでした。

そりゃね、ウン十年も経ったんだから見た目が変わるのは当然です。そんなことはわかってるんです。だけど当時学校一の美少女と呼び声が高く、聡明なお嬢様で、同級生といえども気軽に声をかけるなんてことができないほど高嶺の花だったんですよ、その子は。

おまけに本当かどうか知りませんが、当時その子はワシに気があるというウワサがありました。確かに気づくとその子がワシを見つめていることが何度もありました。小柄な割に潤んだ大きな目で見つめられてごらんなさいよ。気づかないほうがどうかしてます。

だからといって、こちらからすれば近寄りがたい存在。田舎のほとんど男子校の中にいること自体間違っている、まるでこの世の者と思えない美しさと可愛らしさがありましたからね。今でいうチャラ男のように「じゃあ、つき合う~?」なんて言えるわけないじゃないですか。仮に言ったとしたら、学校中の男子生徒が敵になったことでしょう。まあ、それぐらいの「アイドル」だったわけです。

結局何も進展しないまま互いに別々の大学に進みました。以来、ウン十年音信不通の状態。ただ、その時の記憶だけが残ったまま…。

それが、あーた、現在では見る影もないわけです。想像できますか、この喪失感! ショックですよ、ホントに。

ただまあ、相手のことばかり責めるわけにはいきません。きっとワシだって相当なオッサンになってるに決まってますからね。お互い様ですけど。

ですが、改めて思いました。「思い出は不変かもしれないが、実体は変化するものだ」と。
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意外な発見

2009-08-06 07:05:30 | ドライブ関連


しばらく文字だらけの記事が続いていましたが、決して引きこもっていたわけじゃありません。相変わらずあちこちへ出かけています。でも、これといった対象に出会わないんです。

といって、文字だけのブログも味気ないもの。そこで今回は気分転換を兼ねて城南島付近をドライヴ。その時に撮影したのが上の写真です。

あたりは真っ暗で、物思いに耽るには十分。物騒といえば物騒ですが、何とも言えない心地よい気分になります。

しかし、待てよ。この景色、以前にも撮ったような…。

帰宅して確認してみました。ありました、ありました。「2004年9月2日の記事」でも、ほぼ同じ場所で撮影してるじゃありませんか。

嗜好というのは時を経ても意外に変わらないものなんですねえ。面白い発見でした。
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考える習慣をつけよう

2009-08-05 03:58:15 | 脳みその日常
すぐに諦めてしまう人っていますね。こういう人は早く結果を求めようとする傾向があります。でもね、その時点でその人には結果を出すだけの力はないんです。だから当然のことですけど、結果なんか出せません。

そうすると、このタイプの人は決まってこう言います。「ああ、自分には向いてない」とか「難しすぎてわからない」と。それで諦めてしまうのです。

でも、そこでちょっと考えて欲しいんですよね。なぜすぐに自分には向いてないと決めつけてしまうのでしょうか。結果を出すためにどれだけのことをしたのでしょうか。

また、わからないからと、すぐに投げ出してしまう人に限って「わかるためにはどうしたらいいんだろうか」ということを考えません。理解しようと努力せずにわかろうったって、それはあまりに虫がよすぎます。わかるわけがないじゃないですか。

何かを理解したり習得するためには、どうしたって何らかのエネルギーが必要なんです。絶対に理解してやるぞという情熱とか、必ず習得してみせるという決意がそれにあたります。

だけど、現時点でそれをクリアするだけの能力がないとしたら、どうすればよいのでしょうか。簡単なことです。どうしたらクリアできるかを自分なりに考えればいいだけの話。

「これはどういう意味なんだろうな」とか「どうすればできるようになるんだろう」と考える習慣をつけることが大事なんです。いろんな意味で考える習慣が身に付くと、結果そのものに到達するよりも、そこに至るプロセスが面白いことに気づくんですよ。

「へぇ~、そういうことなのか」とか「こうすればできるんだな」と。

どんな人も、もともと同じ脳みそをもっているんですから、能力の差なんてそんなにあるわけがないんです。もし「差」があるとしたら、それはその人がどれだけ考えることに時間を費やしたかによるのです。

早急に結果を出したいという気持ちはわかります。でも結果を出す前には必ずプロセスがあることを忘れてはいけません。プロセスを省略しての結果はあり得ないのですから。
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お節介について(後)

2009-08-04 04:42:12 | 脳みその日常
改めて「お節介」について考えてみます。

確かに「いらん世話」ではあるんですが、実はお節介という行為、社会生活を営む上で本当はとても大切なことなんじゃないかと思ったりもするんです。一般論としてですが、世の中には幸せな人もいれば困っている人もいます。困っている人がいたら誰かが力になってあげなければなりません。「そんなのは政治がやればいいんだよ」という意見があるかもしれません。大きな流れとしてはそうなんですが、個人レヴェルの問題は政治ではすぐに解決できませんね。

そういう時に登場するのが「お節介ジジイ」であり「お節介ババア」。この種の人の中には恩着せがましい人もいますが、本当に善意の気持ちで「お節介」する人もいます。

恩着せがましいか善意かはともかくとして、お節介をする人に共通なのは、ある意味で何らかの余裕があることです。それは金銭的な余裕であることもありますが、精神的な余裕の場合もあります。どちらにせよ、お節介をする本人がイッパイイッパイなはずはありません。何かが余っているから人に与えられるのです。

お節介という行為を量的なパラメーターで見ればそういうことになります。でも物質的に豊かになった今日、お節介をする人は増えたと思いますか? いや~、あまりそうには思えません。これはどういうことなんでしょうか。お節介をする人がもっといてもいい気がするんですけど。

確かに人々の暮らしは物質的に豊かになりました。でもそれに伴って気持ちも豊かになったのでしょうか。どうやらそうでもなさそうです。モノは手に入れたけれど、今度はそれを守銭奴のようにガッチリ押さえるのに必死になっているのではないでしょうか。

そう仮定すると、お節介という行為はそれをする人の性格によるものと考えるのが自然だと思います。だいたい、お節介するのが好きという人は、いわゆる世話好きな人ですよね。ということは、他人に何かを与えることに喜びを感じる人がお節介な人ということになります。

まあ、これも自己満足の世界ではあります。与える本人がそれで満足すればいいんですから。論理的にみれば、お節介という行為は与えられる人のことなんてどうでもいいわけです。だから行き過ぎた行為は「お節介なことをしやがって!」とか「大きなお世話よ!」と相手から思われてしまう。与えようとする相手がどう思うかを考えずに勝手に行なうからです。そう、まさに自己満足の世界。

ならば、お節介は悪なのか? いや、そうとは思いません。なぜなら自己満足かどうかはともかくとして、何かを与える行為は素晴らしいことだからです。与えるという行為は難しい言葉で言えば「他者との共生」を前提にしています。完全なる弱肉強食の世界であれば共生という概念は存在しません。自分さえ生き残れればいいんですからね。

でも、ビジネスの世界は別にして世の中はそうじゃない。「エコ、エコ」と叫ばれているくらいですから。地球温暖化の影響で今やすべての生命体が共生せざるを得なくなっている状況にあります。つまりエコの活動はマクロ的な意味でのお節介でもあるわけです。ということは個人間のミクロなお節介は必ずしも悪ではないということになります。

じゃあ、お節介をする上で大切なのは何か。自己満足のためだけで行なわないことです。少なくとも受け手の立場、気持ちに配慮することが重要なんじゃないでしょうか。それを心がけてお節介をすれば感謝されることはあっても、さほど迷惑がられる頻度は減るように思うんですが…。

そうはいっても実際にはうまくいかないことが多いんですけどね。ああ、だからマイナス的な意味で「お節介な!」と言われるんですね(苦笑)
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お節介について(前)

2009-08-03 04:16:53 | 脳みその日常
ちょいとご無沙汰してしまいました。いや~、いつも月末は講座やら原稿の締め切りがあるので忙しいのですが、先月の依頼内容は特に苦戦を強いられました。

ある原稿なんて大した文字数じゃないのに、やたらと時間がかかってしまい、時給換算すればたぶん何十円の世界。作業しながら、ふと気づけば「さくらと一郎」の《バッカじゃなかろかルンバ!》をつぶやくありさま。おっと、正気でなくなっとる、ワシ。いよいよ脳みそ崩壊か?

そんな状況のなか、知り合いが失業したとの連絡。この人はそこそこの年齢で、なおかつ家族を養わなければならない身。でも特別な資格があるのでなく、キャリアもない。それに、聞けばハローワークでの就職口もその人の条件ではほとんどヒットしないとか。そんな人の話を聞いて放っておけますか。まあ、放っておける人もいるでしょうが、どうもワシはそれができません。

というわけで、いろんなジャンルの知り合いに声をかけて職探しのお手伝いをすることに。

でも、改めて感じたのは適した仕事というのはなかなか見つからないということ。特殊技能を持ち合わせていればいいんでしょうが、それもないとなると、この就職難の時代にあって仕事をみつけること自体困難であるのは火を見るより明らかです。それでも探せば何かあるに違いないと信じて、今も探している最中なんですが。

ここまで書いて、ふと思いました。「これはお節介なことなんだろうか…」と。まあ、確かに『大辞林』によると、お節介とは「出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま。」とあります。

うん、その通りですな。職探しは本人の努力とハローワークに任せておけばいいことなのかもしれません。でもね、きれいごとでもなんでもないんですけど、ワシの中では、せめて自分の周囲の人は幸せな状態でいて欲しいという気持ちがあるんですよ。だから放っておけないんです。

あ、イカン、話がだんだんずれてきそうです。軌道修正せねば…。

続きは次回に。
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